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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


訳文の検討では、最後に文体(常体か敬体か)についての意見交換がありました。

なんと、秘書らも含め、管理人さんを除く全員が常体で翻訳していたのです。

原文の全体はウェブ上で読むことができますので、こちらにタイトルを記載します。
勉強会に参加なさらなかった方で興味が湧かれた方は、Googleで検索してみてください。
課題は、この中から長めの1パラグラフとしました。

「The DIY Scientist, the Olympian, and the Mutated Gene」(by David Epstein, ProPublica, January 15, 2016)

この文章は、普通のエッセイより呼びかける的な感じが強く、対象読者年齢も低い(10th Grade=日本でいえば高校1年生相当)、というのが管理人さんのご意見だったかと思います(間違いや不足があったらすいません)。
個人的には、説明の前半部分は納得できるもので「ナルホド、そこまで考えなかった」と思いましたが、後半部分は(高校1年生が日本語で読書する場合を仮定し)「高1をなめんなよ」と思ってしまいました(あくまで個人的な感想です<念のため)。

そのあとで、会場から「このエッセイはラジオ放送の内容を書き起こしたものなので、敬体の方がいいかも」というご意見をいただきました。
少し調べてみましたら、確かに、最初にThis American Lifeという番組(?)の中で放送されているのです。ウェブ記事にもリンクがあるというのに、まったく気がつきませんでした。不覚だわ~。

Something Only I Can See
のAct One ”Do These Genes Make Me Look Fatless?”の部分です。
https://www.thisamericanlife.org/577/something-only-i-can-see

10分ほど聴いてみましたら(…長かったので…)、途中に司会者との掛け合いやエッセイ中の主人公本人による語りが挟まれる、喋り言葉である等々、エッセイとまったく同じというわけではありませんでしたが、ストーリーの流れは同じでした。管理人さんが仰った「呼びかける感」はここからきているのではないかと思います。

そうした背景をいろいろと考えてみた結果、勉強会課題の訳文としては、今は若干「敬体の方がよかったかな」に傾いています。
仕事として考えた場合は、さらに「掲載媒体はどこか、日本の対象読者は」を加味して最終的に判断することになるかなと思います。


あとで「恥ずかしい」と思ったのは、最初に深く考えることなく、当たり前のように常体ではじめてしまったことです。
圧倒的多数の方が常体で翻訳されるという結果にはなりましたが、参加者の中には、もしかしたら「敬体の方がいいかな、いややぱり常体かな」と迷った末に常体で訳された方もいらっしゃったかもしれません。そうした方と自分の間には、まだまだ「さまざまな面から色々考える」という点で、隔たりがあるよな-と思ってしまいました。

最後、若干「時間切れ」で終わらせた感がなきにしもあらずでしたので、謝罪の意味もこめ(+自分を戒めるために)記事にしました。
(でも、こうやって調べたり考えたりする作業は楽しかったです<さまざまなことがビハインドになりつつありますが)


それから、公開勉強会が終わってから、「意外にたくさんの方が、ジツは管理人さんに斬られたがっているらしい」という事実に気がつきました。
これは、秘書らが「斬られる」を連呼したせいもあると思いますので反省しています。「斬られる」だけでは勉強会は成立しません。
確かに管理人さんは、(おそらく)私たちの誰よりも「ものごとを多面的に見る」力があり、「斬られる」部分は「ああ、そうだよねー」という箇所ばかりではあるのですが、それでも、勉強会では秘書らも「ここはこう考えてこうしました(だから譲れませんのや)」と管理人さんに向かっていきます(「そこ訳したときだけ瞬間的に寝てたみたいです」とか「まあひとつチョコレートをどうぞ」と逃げる場合もありますが)。負け戦は確定だとしても、それはやはり「斬り合い」なのです。ということで、多くの方に「管理人さんに斬られたい」ではなく「管理人さんと斬り合いたい」(自分の解釈も投げつけたい)と思っていただけたら嬉しいです。
勉強会に参加するしないに関わらず、日々の翻訳の中で、そうした気持ちを共有できたらと思います。
よく、「翻訳者は、もとめられれば、自分の訳文について(なぜそう解釈したのか、なぜその訳語を選んだのか)すべてきちんと説明できなければならない」と言いますよね。「斬り合いに備えること」はそれと似ていると思う今日この頃です。

公開勉強会から、私も本当にさまざまなことを学びました。ご参加の皆さまに改めて感謝です。
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2018.11.14 15:52 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |

このブログ記事を書きながら、しみじみスライド資料を読み返しています。

管理人さんとは、9ヵ月間勉強会でご一緒し、要約の話もいろいろ伺ってきましたが、これを読んで、「理解したつもり」になっていたことが多いことを実感しました(「つもり」という魔物は本当に厄介です)。

要約をするときは、「キーセンテンスを探す」「不要な部分は削る」「自分の言葉に言い換える」「段落間のつながりも意識する」といったことを意識してはいますが、つい、「何のためにそれをするのか」ということを忘れがちになります。
勉強会の要約の目的は、「翻訳のさい、著者の意図を過不足なく伝えられるようきちんと準備する」(ためのひとつのトレーニング手段)であるはずなのですが、つい、「いい要約をつくろう」と力が入ってしまうのですよね。でも、よく考えてみれば、「いい要約」というのもおかしな話で、その要約を基に最終的に「読者がきちんと著者の描いた絵と同じ絵が描ける」訳文をつくれてはじめて、「それはよい要約だった」ということができるはず。だって、要約は手段なのですから。

私は、これまでも書いているかと思いますが、わりと、「ひとつのことに注意が向くとそこだけに注力してしまう」人間です。「つながりがうまくいかなかった」と指摘されると、次はつながりばかりが気になったり、段落内の流れを意識しすぎて段落間のつながりへの意識が疎かになったり...と、勉強会で、他のメンバーから新たな視点で自分の要約(訳文)が「斬られ」ると、そこばかりに注意が向いてしまいがちなのです。で、要約も訳文も、いつもデコボコしたアンバランスなものになってしまうのです。そのデコボコが、1本の線に近いところに収められるようになれば、近距離から、遠距離から、そしてさまざまな方向からみた、バランスのとれた「読者に余分な労力を使わせることなくきちんと原著者の意図が伝えられる」訳文がつくれるようになるのかなと思います。分かっちゃいるけど、で道は遠いですが。このアンバランスを調整する力は、最終的には自分で努力してつけていくしかないのですが、ひとりだとどうしても偏ったままになってしまいがちです。勉強会は、私にとっては、それを矯正してくれる(少なくとも矯正を助けてくれる)場がであるように感じています。そう考えると、これからも決してラクな場所ではあってほしくないと思ってしまうのです。

公開勉強会を開催したことで、「翻訳のための要約」を(資料という形で)再確認し、自分の欠点を見つめ直すことができました。
そして、これからも翻訳力を磨き、少しでも理想とする訳文に近づきたいと改めて思いました。
公開勉強会は、私個人にとっても、とても実り多い勉強会でした。

最後に、自戒、ということで書いておきます。
このところ、ひと前に出たり、ブログ管理人と本人が結び付けられたりする機会が増えてきました。そうすると、実力以上の人に見られることもあって。
私は、「きちんと丁寧に仕事をする」以外は平均的な翻訳者で、特に「これは!」という秀でた訳文が書けるわけではありません。一を聞いて十を知るということもないので(最終的に十は知るとしても、めっちゃ時間が掛かったり回り道したり、何度も同じことを聴いたり読んだりしてからです)、少し学べばあとは自力でグングン伸びていくというタイプでもありません。
でも、褒められてばかりいたら、この先「自分デキる人だよね」と錯覚してしまうことがあるかもしれません。
そこを勘違いしないよう、これからも謙虚な気持ちを忘れず、基本「そこそこ頼れる裏方」として過ごしていきたいと思っています。
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2018.11.11 23:46 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |

11月10日、無事に「公開勉強会」を終了致しました。

お忙しい中、本当にたくさんの方にご参加いただき、運営一同、心より感謝致します。
至らぬところも多々あったかと存じますが、多くの方から暖かいお言葉をたくさんいただきました。本当にありがとうございました。

内容的なことは、「どうしても管理人さんに斬られたい」と関東からご参加くださった齊藤貴昭(Terry Saito)さんが、公開可としたホワイトボードの内容とともに、ブログに詳しくまとめてくださっていますので、そちらをご覧ください。ご自分の意見も交え、よくまとめてくださっていると思います。
https://terrysaito.com/2018/11/11/study_in_osaka/
また、
https://togetter.com/li/1287158
に公開勉強会関連のツイートもまとめてくださいました。
テリーさん、本当にありがとうございました。時間の関係で、お望みになられたほど斬らせていただけなかったことだけが心残りです(意外と皆さん斬られたいらしいということが分かったのだった)。

今、皆さまから提出していただいたアンケートの結果をまとめています。
当日の運営方法などに関し、いくつか厳しいご意見もいただいておりますが、第1秘書が「どうか批判は厚いオブラートに包んで」と切々と訴えたことが功を奏したのでしょうか、どなたも優しい口調で改善点を指摘してくださっています(うっしっしっ)。そして、すべてとても参考になるものでした。今後の勉強会や招致セミナーの運営に活かしていきたいと思います。

当日、会場から、「要約とはなにか」や検討対象課題について、さまざまな意見・感想・指摘をいただきました。
私たち3人では思いつかなかった視点あり、変化球(?)あり、課題段落について明解にまとめてくださった方ありと、私たちにとっても新たな発見がたくさんありました。
公開勉強会を「楽しかった」と感じてくださったとしたら、会場の皆さんのそうした「積極的に参加したい」という姿勢がかもし出す雰囲気がなせる技だったのではないでしょうか。つまり、皆さんが協力して「楽しい勉強会」をつくり上げてくださったのだと、私は思っています。
同じ公開勉強会をもう一度やったとしても、ホワイトボードに書く内容は、きっと同じものにはならないでしょう。参加型の勉強会のよさはそこにあるのではないかと思います(収拾がつかなくなるという危険も孕んではいますが)。
会場の皆さんの「もっと学びたい」という熱気、「翻訳は楽しい!」という気持ちに後押ししていただきました。本当にありがとうございました。

自由記入欄に、いくつか「またやってほしい」という声をいただきました。このような勉強会を公開で開催することはなかなか難しく(みな、最後は仕事量を減らしたり一定期間仕事を休んだりして準備しています)、希望にお応えできない可能性が高いですが、「なぜ要約するのか」の輪郭を掴み、「翻訳する楽しさ」を知った参加者の皆さんは、十分自分たちで勉強会を行う土台ができたのではないかと考えております。最初に少しお時間をいただき、「自分たちは、こんなふうに勉強会を準備し実施してきました」ということをお伝えしたのも、ひとりでも多くの方に、いつか気持ちや経験や時期が熟したときに、自分たちで自主勉強会が開けるようになってほしいと思ったからです。
数年前までは、私自身、十数名の方を前に少し話をしただけで声が震えてしまうような状態で、自分にこんなことができるとは思っていませんでしたから。

表現は違いますが「翻訳の原点に戻れた」的な感想をいくつかいただきました。
一人でも多くの方に、「翻訳って難しいね、でも楽しいよね」と思っていただけたら、公開勉強会を開催した価値はあると思っています。
そして、私たち運営も、参加者の皆さんとのやりとりの中で、本当に多くのものをいただきました。ありがとうございました。
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2018.11.11 23:43 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(2) |
「『翻訳を勉強する会(仮称)』公開勉強会」自称管理人第1秘書のSayoです。

いよいよ公開勉強会も今週末に迫ってまいりました(とうとう来ちゃったよおおお←パニクっている秘書です)。
出席される方への最終案内になります。
出席されない方は読み捨ててください。
前回の「大阪でもレッスン!」の直前連絡事項の記事と同じ部分もありますので、そちらにも出席された方、あるいは会場をよくご存じの方は、「会場への行き方」部分は、軽く読み流してください。


再掲になりますが、勉強会会場は以下のとおりです。

場所:神戸大学学友会大阪クラブ・大阪凌霜クラブ セミナールーム(大阪駅前第1ビル11階)
https://www.osaka-ryoso.com/(凌霜クラブHP)
https://www.1bld.com/floor/floor_11.html#container_inner

受付開始は12時30分です。
懇親会に出席される方は、受付で懇親会費をお支払いください。
 *急用や体調不良でキャンセルされる方は、11月8日(木曜日)22:00までにご連絡ください。その後はキャンセル料(全額)が発生します。また、当日、急な事情で勉強会や懇親会に出席できなくなった方は、osaka-lesson@studiokoala.com までご連絡ください。懇親会を当日キャンセルされる方で、メール連絡ができないという方は、お送りしたメールに記載している携帯電話番号までご連絡ください。


「会場への行き方」

JR大阪駅方面から来られるかたは、桜橋口を出てヒルトンホテルの方向を目指してください。徒歩5分弱です。
桜橋口と大阪駅前第1ビルの位置関係は下図のとおりです(地下通路もあります)。
https://www.mapion.co.jp/m2/34.70163687,135.4951046,16/poi=L27205020000000000012
(一目盛分拡大すると、「大阪駅前第1ビル」の名称が表示されます)

地下鉄四つ橋線・西梅田駅をご利用の方は、7番出口が、駅前第1ビルへの地下通路に続いています。

地下鉄御堂筋線・梅田駅をご利用の方は、南改札を出てください。
その後は、こちらにお借りした「行き方」の指示に従ってください。
https://seminar-times.com/partner/map-osaka-conference-room/midousujiumeda/
(こちらのSeminar Times様のサイトには、他の駅からの道順も記載されています。JR大阪駅からの行き方は、桜橋口ではなく、中央出口から地下通路を通る方法が記載されています。所要時間はどちらも同じくらいかと思います)

駅前第1ビルの建物の中央にエレベータが何基もありますので、11階まで上がってください。
神大クラブの倶楽部受付とセミナールームが建物の両翼に分かれる配置になっており、たまに間違って倶楽部の方にいかれる方がおられます。
セミナールームの扉に「公開勉強会会場」と書いた紙を貼っておきますので、目印にしてください。
上記フロアマップの⑫の位置になります(ちなみに、倶楽部は⑤ですが、10日は土曜日ですのでクローズされています)


会場にゴミ箱はありますが、ペットボトル等のゴミはお持ち帰りください。
また、会場にはペットボトルクーラーがありますが、そちらから飲み物を出されますと、別料金が発生し、後日クラブまで支払いに来なければなりません。
お手数をお掛けして申し訳ありませんが、あらかじめ飲み物をご用意くださるようお願い致します。
同じビルの地下2階にコンビニ、11階に自販機(会場とは反対側の端になります)があります。
https://www.1bld.com/floor/floor_b2.html#container_inner(コンビニはこちらの⑫の位置です)


その他の注意事項

● 参加者の皆さまには、昨晩(11月4日)、課題要約文・訳文をまとめたPDF原稿をDLできるURLをご紹介しています。各自プリントアウトし、当日ご持参ください。万一、連絡メールが届いていないという方がおられましたら、osaka-lesson@studiokoala.com までご連絡ください。
● 当日は、皆さまにひと言ずつ自己紹介して頂くことを考えています(時間の関係で、本当にひと言になるかと思います)。そのひと言が、話のきっかけになるかもしれません。忘れず名刺をお持ちください。 学習中の方も、恥ずかしがらず自作の名刺をご持参頂ければと思います。 


**最後に、SNS等を通じて顔見知りの多い翻訳者の方にお願いです**

今回は、学習中の方も含め、こうした集まりが初めてという方も相当数参加されます。最初は「自分はここにいてもいいのか」てドキドキしますよね。数年前の私がそうでした。周りでポツンと心細げにしている方を見つけたら皆さんの方から話しかけてあげてください。そうして、ご自分の知合いにも紹介してあげてください。
管理人と秘書は当日の運営に精一杯で、そうしたところまで目が行き届かないかもしれません。
心優しい先輩の皆さまのご協力をお願い致します。


それでは、当日会場でお待ちしております。
皆さま、気をつけておこしください。
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2018.11.05 21:33 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |
「わかったつもり-読解力がつかない本当の原因」(西林克彦、2005年)

もともと「本の読み方指南本」と思って手に取ったものです。
最近、読んだことがなかなか記憶に定着しないので、本の読み方が悪いのかなー、と思って(加齢原因説もあり)。

そうしたら、ちょっと思っていたのと違う本でした。

著者は、小学校の教科書の例を用いて、一般的な読者が「わかった」と思う状態は、多くの場合、深く読み込めていない「わかったつもり」の状態であることを示します。
そうした状態は、とりあえず「わからないことがない」という安定した状態なので、そこで思考が停止し、それ以上読みが深まらず、「そこそこわかった」状態から進展しないとも。

では、「わかる」とはどういう状態をいうのか。
著者は、それを、文脈からスキーマ(ある事柄に関する、すでに知っているひとまとまりの知識)が発動され、文章中のそれぞれの部分がきちんと関連付けられた状態と表現します。
その関連付けが適切ではないまま安定してしまった状態が「わかったつもり」なのですね(←私めがやや強引にまとめています)

「わかったつもり」には、もの足りない読みによるもの(解釈は間違っていないが十分に読めていない)と間違った読みによるものがあり、この「間違った読み」をつくり出すひとつの大きな要因として、著者は、文章の全体の雰囲気(部分を大雑把に読ませ、ときに読み間違いさせる魔力を持つ)を挙げ、本来「わかる」状態をつくり出すはずの文脈が、間違った「わかったつもり」を引き起こすこともあると注意を喚起します。また、文脈から喚起されるスキーマ(ステレオタイプのスキーマなど)も、読み手をミスリードするおそれがあるとも述べています。

このように、「わかったつもり」とはどのような状態か、なぜそのような状態になるのか、どんな種類の「わかったつもり」があるのかなどの説明にページが割かれ、「では、どうすれば、『わかったつもり』をなくすことができるのか」に関する記述は少なく、具体的な方法は書かれていません(「自分でまとめてみる」くらいで、あとは、「こういうところに気をつける」的な内容が多いです)。それぞれが自分の読書生活の中で訓練を積むしかないってことでしょうか(まあ、即効性のある方法があるというのも、若干胡散臭い感じがしますが)。

具体的な訓練は、今のところ、「わかったつもり」の性質と種類をよく理解し、漫然とではなく、間違った「つもり」を引き起こさないよう意識しながら読む、(自分にとって)重要な内容の本は二度読みするくらいしか思いつかないです。とりあえず、この本を「わかったつもり」になっていないかどうか、もう一度気をつけて読んでみようかと。


この本の「本」を、私はときどき「原文」に置き換えて読んでいました。
わかったつもり、間違った読み、「わかる」を妨げるさまざまな要因...「原文」と置き換えても納得できることが多く、「わー、わたし、そんな風に原文読んでることあるー」となってしまい、そうした要因を心に留めて原文と向き合わなければいけないと、改めて思ったのでした。
当初の目的からは外れてしまいましたが、手にとってよかったと思える1冊でした。
(そして「公開勉強会」までに読もうと思っていた本が読めていないなど)
(今、この本をめっちゃ「わかったつもり」になっているSayoです)


最後に、原文を解釈するという観点から、「解釈の自由と制約」という部分が興味深かったので(あくまでも個人的な感想です)、一部抜粋して記載しておきます。

***引用ここから***

(文の解釈において)
自らの解釈の「正しさ」を信じたり、「正しさ」を強調することは、他の解釈を排除することにつながりかねません。自らの解釈を押し付けることにもなりかねないのです。
科学においても、減少を整合的に説明できる仮説が、ある時点で複数個存在することは決して珍しいことではありません。
解釈が妥当であるかどうかを「正しさ」に求めるのではなく、周辺の記述や他の部分の記述との「整合性」だけに求めたい、というのが私の考えです。
(中略)
① 整合的である限りにおいて、複数の想像・仮定、すなわち「解釈」を認めることになります。間違っていない限り、また間違いが露わになるまで、その解釈は保持されてよいのです。
② ある解釈が、整合性を示しているからといって、それが唯一正しい解釈と考えることはできないのです。
③ しかし、ある解釈が周辺の記述や他の部分の記述と不整合である場合には、その解釈は破棄されなければならないのです。
このような制約条件のもとで、想像を逞しうして、部分間の緊密性を高める想像・仮定を構築しては壊し、また構築していく、これが「よりよく読む」という過程の内実なければならない、というのが、本節の結論です。

***引用ここまで***

翻訳では、「想像を逞しうして」ばかりでは足りず、その前に、辞書も含め、「さまざまな方向からとことん調べ尽くし」という過程を経なければならないでしょう。そして、最後は、自分の責任において「これ」というひとつの解釈に行き着き、その解釈に基づく訳文をつくるということになるかなと。「本読み」とは若干異なるかもしれませんが、「正しさ」を求めて他の解釈を排除せず、解釈の妥当性を「整合性」に求めるという姿勢は、翻訳でも大事にすべきなのではないかと思うのでした。
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2018.11.04 19:10 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(0) |