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2020. 09. 24  
「文学作品を味わう―英文法をベースにヘミングウェイを読む」
(杏林大学外国語学部教授 倉林秀男)

 あっという間に一週間が経過し、記憶もあやふやになりつつある今日この頃。先日、上記タイトルのJTFセミナー(Zoomウェビナー)に参加しました。
 後日資料配付はなかったので、記憶に頼りつつ、どこまで書いてよいか迷いつつ……の報告です。

 ご登壇の倉林先生は「専門は英語文体論。ことばの表現効果について、言語学的に研究をして」(JTFセミナーページの講演者略歴より)おられるとのこと。『ヘミングウェイで学ぶ英文法』2冊に続いて、最近『オスカー・ワイルドで学ぶ英文法』が出版されました(いずれも共著)。私もここ暫く『ヘミングウェイで学ぶ英文法1』を読んでいますけど、簡単なようでいて読後「で?」となって以来ずっと敬遠していたヘミングウェイが、文法的視点からこんな風に読み解けるのかと、ある種の爽快感さえ感じています(て私の読みが浅かっただけか)。

 先生は、まず、絵画やルビンの壺を用いて「ものごとを分析的に捉える」ということを説明されます。ざっくり言えば、普段着目しないような細かな部分にもきちんと目を向けることで、表現の裏にある意味も見えてくる、というようなことかと思います。文学で言えば、この「細かな部分」が文法であり、文法をきちんと理解することで文章をさらに豊かに味えるようになるのではないか――と、そのような説明であったと思います。
 たとえば、短い会話文の法助動詞を正しく読み取ることができれば、もっと話者の心情に迫ることができるのではないか。ちょうど今『ヘミングウェイで学ぶ英文法1』の「The Sea Change」をやっているのですけど、私のような「ハッキリ、きっぱり」が好きな人間は、主人公の男女の首根っこをひっ掴んで「もっとはっきり喋れやーーー」とぶん投げてしまいたくなるのですよね(普通はならんか)。それが、文法を駆使して読み解いていくことで、「はっきり言葉にできない、したくない二人の事情」のようなものが少しずつ分かってくる(と私は受け取りました)。乱暴な言い方をすれば、文法はいわゆる「行間を読む」ためのツールの一つと言えるのかもしれません。

 セミナーでは、
● 文頭に現れる過去進行形を用いた劇的展開の予測
● There構文の重要な新情報を導入する働き
● 英語と日本語におけるyou(あなた)の重みの違い、youの効果的な使われ方
● will, be going to, be + 現在進行形の区別
 などが、実際に文学作品中にどう用いられ、その効果(役割)がどう実現されているかが説明されました。『ヘミングウェイ…』を読み始めていたとはいえ、「そこにそんな意味があるのか」「その文法からそこまで読み取ることができるのか」と驚くことの連続で、新しい扉が開いたようなワクワク感もあり(ちょっと大袈裟ですかね)、2時間があっという間でした。時間の制約もあり、「文法から読み解く」のほんの数例を挙げてくださったにすぎないと思いますが、先生の語り口でもっとお聞きしてみたいと思いました。来年朝日カルチャーの講座がまだZOOM開催なら潜り込めるかな。
 こうした説明の最後に先生が仰った言葉が大切だと思いましたので、書き取れたかぎりの内容を転記しておきます。「ただし、機械的にルールを覚えるのではなく、なぜそこでその文法が使われているのかを考えながら英文を読む努力をしてほしい。それが小説を読み味わう醍醐味であり楽しみでもあると思う」
 「なぜ」を忘れないのは、翻訳でも大切なことですよね。

 文法的にきちんと読み解くことができたからといってうまく日本語に訳せないところが、翻訳の難しいところでもあり、面白いところでもあり、楽しいところでもあり。そこからは、いかに正しく、そして豊かに日本語を使いこなせるかという問題も関わってくるのでしょう。


 セミナーでは、文法復習用の参考書籍として
 『英語運用力養成 新・英文法ノート』『英語運用力養成 新・英作文ノート』(いずれも日栄社)
 の2冊が示されました。その後数日の間に、Twitterで「購入しました」という同業者さんを多数お見かけしました(私もまずは『英文法』の方を入手しました)。何と言ってもその薄さが嬉しい(本体63ページ、そして417円!)。やっと少し時間と気持ちに余裕ができたので、少しずつやっていこうと思っていますが、できれば、これを「間違わない」のではなく「自分の言葉で説明し直せる」ところまでいきたいです。翻訳者なら本当はそれくらいできて当たり前なのかも(という私もできていないというのが現状です、はい)。

 ということで、まとめますと、楽しい2時間でありました。
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2020. 09. 14  

 先日Twitterで、

「one of 最上級+複数形が激ムズ(怒)
今回は、『最悪と(も)いえる(~のひとつ)』で取りあえず切り抜けた」

 と呟きましたら、Buckeyeさんから、

「日本語の『最悪』って、少なくとも一般には、厳密な意味で最上級ではなく、すごく悪い、最も悪いと言ってもいいグループに属するものであるって意味だと思います」とコメントを頂きました(Buckeyeさん、勝手に引用して申し訳ありません m(__)m )。

 私は、恥ずかしながら、「最悪」に複数性があるという風に考えたことはなかったのですが、改めて考えてみて「確かにそうかもしれない」と思いました。で、

「最*の*に色々当てはめて考えてみて、なるほどひとつと断定できないものを言う場合も多いなと思いました。私の中では、英語の最上級と、その訳語としてよく習う最*と『もっとも』と『一番』(まあこれは一つですかね)がごちゃごちゃになって『どれもひとつを言う』的に考えていたようです」

 とお返事しました。(ちなみにそれに対しては「『最悪』は、『ひどすぎる』『ありえない』あたりと互換性が高いわけで、そう考えると、最大級とは限らないってことになります。もちろん、最大級のこともあるわけですが」とさらにコメント頂きました)。

 ――というようなやり取りのあと、私は、もう一度、one of the 最上級 + 複数形、「もっとも~なものの一つ」、そして「最*」について、もう少し整理してみようと思いました。

 形容詞の最上級を「もっとも~(なXX)」と習ったのは、高校英文法だったと思います。そのとき、併せてtheのつかない最上級についても習いましたが(これは記憶がある)、最上級+複数形については習わなかったような(あるいは習ったけど忘れたのか)。とにかく、私が最上級+複数形を意識しだしたのは、(私の記憶では)翻訳で、one of the 最上級+複数形という形で遭遇するようになってからです。上位の複数のものの一つなので、「もっとも~なものの一つ」という訳語はおかしい。だから、翻訳ではひと工夫しなければならないというようなことを、どこかで習ったか、読んだか、それとも誰かに聞いたのか。その経緯はもう忘れてしまいましたが、私の頭の中に「one of the 最上級+複数形とあったらひと工夫」がインプットされ、そこで思考停止していたようです。今回は、あまり大きく変更できないチェック案件の「もっとも悪い(~の一つ)」をなかば機械的に「最悪」に変更し、「最悪」そのものについてはそこから先は考えなかったということです。恥ずかしいですが、とりあえずそんな流れでしたと曝しておきます。

 さて。まず、one of the 最上級 + 複数形。

 "one of the" "plural superlative"でG検索してみると、結構な件数がヒットします。
 少し古いですが、
https://english.stackexchange.com/questions/79438/meaning-of-one-of-the-most-xxx
など、個人的にはなかなか分かりやすい説明に思えました。

 日本語の文法書にも、「one of the + 形容詞の最上級が表す意味」という囲み記事の中に、

「(She is one of the kindest persons I have met. のような英文は)よく『彼女は、私が会ってきた中で最も親切な人々の一人です』というように、極めて不自然な日本語に訳されたりするが(中略)『彼女は非常に親切な人です』といった程度の日本語訳で十分だ。<one of the + 形容詞の最上級>は、『非常に + 形容詞』と変わらず、『並一通りではない程度』を示すために使う言い回しにすぎないのである」(『表現のための実践ロイヤル英文法』P372)

という記述が見つかりました。

 one of the 最上級 + 複数形は、「(程度が)上位に位置する一つのセット(グループ)の中の一つ」みたいな感じでしょうか。宜しくない訳文の例のような日本語で申し訳ありません。どの程度「並一通りでない」のかは、文脈の中で判断するのが賢明なのかなと思います。


 次に、「極めて不自然な日本語」と呼ばれた「もっとも~なものの一つ」。私は、この表現を耳にするとやはり背中がムズムズして「使いたくない」と思ってしまうのですが、この使い方はやはり間違いなのか。

 明鏡国語辞典(大修館書店)には、「最も」の語義として「程度がこの上なく甚だしいさま。いちばん」が挙げられ、語法のところに「『最も偉大な作家の一人』など、『最も…』を一つに限らない言い方は、英語などの最上級表現(He is one of the greatest novelists.)の翻訳からきて一般化したもの」(『明鏡国語辞典 第二版』)という記述がありました。
 しかし、日本国語大辞典(小学館、JK)には、「程度のはなはだしいさま」という語義が記載されており、その最初に「非常に。とりわけ。たいそう。他をこえて。他のすべてにまさって」とあり、一つとは断定できないような感じです(ただし文例は、19世紀のものが1件ありましたが、ほとんどは11~13世紀のものでした)。
 G検索では「違和感がある」「迂闊に使えない」「ただし近年使用が増えてきているようだ」などの記述が散見されました。

 近年の「もっとも~なものの一つ」は、明鏡さんの仰るとおり、翻訳の訳語からきていると考えるのが自然のように思います。
 翻訳では、「もっとも~なものの」の部分をどう工夫するかという方向に行くことが多いのですが、「one of the 最上級 + 複数形」について考えたあとでは、「そもそも『の一つ』必要?」という考えが起こってきます。もちろん前後の部分も考慮する必要があるでしょうが、たとえば「最高の部類に属する」とか「最有力候補に数えられる」とか「屈指の~だ」のような「の一つ」を使わない訳し方も可能ではないかと思えてきます。


 最後に「最*」について。
 色々調べている途中で、さきのさんが(上述のスレッドの中で)「『最』ではじまる語彙を研究社大和英で引いてみる(和英辞典を英語で読む国語辞典として使う)といったあたりも糸口になるかもしれません」と提案してくださいました。
 そうやって調べてみて気になったのは、さきのさんも仰っていた「最安値」でした。lowest price ever、an all-time low、a new lowといった訳語が示されていました。その「a」や「an」に目を引かれたのです。「最安値」は誰が見ても同じ一つの数字なのですよね。それに対し、「最悪」「最善」「最大」「最高」などは、何というか境界が曖昧であるような気がします。評価なので、多少の主観も混じるというか。ですから、頂いたコメントのように、「最上級の一つ」と「程度の甚だしい複数」の両方の意味をもち得ると心に留めておいた方がよいのではないかと思いました。どちらであるかは、これもまた文脈によると言えるのでしょうが、確認のさい、「何と置換可能か」と考えるようにするとよいのかもしれません。


 結局「コメントで言われたことがすべてじゃん」という話なのですが、自分なりに調べてみましたので、記事立てしておくことにしました。
 チェック案件ということもあり、日本語の中だけでこねくり回そうとした、ということもあるのですよね。「原文にはどう書かれているのか」――どんなに急いでいようと、納得のいくよいものにしたければ、まずはそこから始めるべきということも、最後に自戒のために文字にしておきます。
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2020. 09. 05  

 Covid-19流行による外出自粛の煽りをくらって無期限休止状態となった「翻訳を勉強する会」。その代わりにと、スピンオフ的にほぼ同じメンバーで「翻訳を勉強する会・Online」が始まって、早いもので3ヵ月が経とうとしています。

 昨日7回目の勉強会を終えました。オフライン勉強会より若干ユルめモードで脱線や雑談も多いせいか(会場使用時間を心配する必要もない!)、終わった頃にはもう日付が変わっていました。

 これまで、英文法をしっかり読み解かなければ正しく翻訳することができないエッセイを4本、文法的にはさして難解ではないものの訳出の際にひと工夫が必要になる最近のノンフィクション2本を取り上げましたが、昨日は、スピーチの翻訳に挑戦しました(メンバーが「こういうものをやりたい」という意見は出しますが、翻訳課題は主催が決めてくださいます)。

 「さまざまな角度から原文をみる」ことが苦手なワタクシですが、それでもオフライン勉強会が始まった2年半前よりは、多少いろいろなことを考えながら翻訳できるようになってきたかなあと思います(希望的観測)。まだまだ大ぽかはやりますし、間違いを指摘され(あるいは勉強会の最中に自分自身で間違いを自覚して)赤面することもしばしばですが、自分の中の「考えなければならないこと」リストは確かに(少しだけ)伸びたかなと。「いろいろ考えた」内容がきちんと訳文に反映できないことの方が多いというのが実状ですが(考えすぎて失敗することも)。

 自分の訳文を他の人に見てもらい、他の人の訳文も見ることが大切だということがよく言われます。オフラインとオンラインで勉強会を経験してきて、それは本当に大事だなと思います。「見せる」訳文をつくろうと思えば本気度も違ってきますし、他人の訳文を見ることで、思いもかけない(自分では思いつかないような)訳文に出会うこともできる。当会では一人一人「なぜそういう訳文にしたか」を説明しながら自分の訳文を読んでいき、他のメンバーが適宜突っ込みをいれるというやり方なので、とにかくすべてを説明できるようにしておかなければなりません。まったくもって鬼のような会です(たぶん皆さんMだと思う)。
 講師の下で学ぶセミナーにも「見せて、見る」ことが可能なものがたくさんありますが、講師相手だと、どうしても「相手の言うことがすべて」でこちらは聞く一方になりがち。でも、勉強会では、講座では「こんなこと聞いたら恥ずかしいんじゃないか」ということも遠慮なく聞ける。とはいえ、そんな風に忌憚なく意見を述べ合う前提として、メンバーがある程度、翻訳に対する考え方や姿勢を共有していることは必要ではないかという気がします。たとえば「翻訳を勉強する会」では、「読者が原文読者と同じ絵を描けるような訳文をつくる」という考え方や「文法をゆるがせにせず原文をきちんと読解し、最適と考える日本語にする。そのために英語を読む力と日本語を書く力の両方を鍛える」という姿勢あたりは共有しているかなと――たぶん。

 参考図書や他のセミナー、講座などで学んだことを、実際に訳文をつくるという形で実践するという「学び+実践」の組合わせはとても大事だと思います。けれど、独りではなかなか継続して実践するのは難しい。半強制的に(笑)実践を助けてくれる手立てのひとつが勉強会なのかなと思います。


 今回の課題はミシェル・オバマのファーストレディとしての最後のスピーチでした。
 こちらに全文とスピーチがあります。
https://www.elle.com/culture/career-politics/news/a41898/michelle-obama-final-flotus-speech-transcript/

 課題は、

 If you are a person of faith, know that religious diversity is a great American tradition, too. In fact, that's why people first came to this country - to worship freely. And whether you are Muslim, Christian, Jewish, Hindu, Sikh - these religions are teaching our young people about justice, and compassion, and honesty. So I want our young people to continue to learn and practice those values with pride. You see, our glorious diversity - our diversities of faiths and colors and creeds - that is not a threat to who we are, it makes us who we are. (Applause.) So the young people here and the young people out there: Do not ever let anyone make you feel like you don't matter, or like you don't have a place in our American story - because you do. And you have a right to be exactly who you are.
 But I also want to be very clear: This right isn't just handed to you. No, this right has to be earned every single day. You cannot take your freedoms for granted. Just like generations who have come before you, you have to do your part to preserve and protect those freedoms. And that starts right now, when you're young.

 の部分。動画では14分20秒あたりからです。

 アメリカ人と日本人の宗教観の違い、アメリカの歴史、「あなた」という呼びかけの言葉を使うか使わないか、スピーチから感じ取れる話者の強調したい部分を翻訳にどう反映するか――2段落ではありますが、さまざまなことが話題に上りました。Who we areの部分は、たった3つの単語ですが、ほぼ全員が異なる訳語となっていました。そのどれもが間違いではないように思います。翻訳って本当に面白いですね。一人が提起した意見や質問がどんどん展開していくさまは、ナカから見ていてもときにちょっとした感動がありました。
 皆と学ぶ機会が少しでも長く続いてくれればいいなと願うものです。
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2020. 09. 03  

「通翻フォーラム2020」のトリを飾る越前先生のセッション。表題のとおり、課題文の翻訳を解説する「文芸翻訳のツボ」と出版翻訳の現状やその中での先生の取組みを語る「出版翻訳の現在」の二本立てです。越前先生のお話を聞くのははじめてでしたが、喋り慣れておられるのでしょう、適度に「間」が挟まれ緩急もあり、まるで対面講義を受けているようにスムーズにノートをとることができました。

「文芸翻訳のツボ」

 課題の解説に入る前に「文芸翻訳で大事なこと」4点の説明がありました。

1 わかりやすさと歯応え(わかりやすさは大切だが、著者の意図によってはわかりやすくしすぎてもいけない場合がある)
2 だれの視点か(一人称なのか、三人称なのか、三人称の場合は主人公に近いのかいわゆる神の視点なのか、物語がきちんと読み取れているか)
3 読者が映像を思い描けるか(翻訳フォーラムの「同じ絵が描けるか」とだいたい同じ、原著のイメージをそのまま再生できるか、文芸のみならずどんな翻訳でも大事)
4 つまるところ、おもしろいか(著者の狙いをきちんと伝えられているか)

 これらを踏まえて、事前課題2題の解説がありました。課題はフレドリック・ブラウンとオー・ヘンリーの短編から。

 個々の解説は割愛しますが、「文芸ホントに難しい」というのが正直な感想です。自分は本当に読めていないなと思いました。時間がなかったというのは言い訳になりません。上手く訳せるかどうかは別として、わかる人には「ここがこうなっとるのがキモやな」というのがすぐにわかると思うのですよ。そういう「読み取る」力が自分には欠けているのかなあと思いました。産業翻訳でよく扱う論文や報告書では、「こういうストーリーでコレコレを伝えたいのだな」ということはさほど労せず読み取れると思うのですが(確かに、普段の翻訳では、今回の課題に登場したようなちょっとイジワルな視点やわかりにくさを強調する視点といったものにはお目にかからないですが)……それが、ある程度の「慣れ」の問題だとすると、考えながら訓練を続けることで「読み取り」勘は(多少なりとも)養われるのだろうかと、このレポートを書きながらちょっと考え込んだりしています。
 解説では「ナルホド」「おおそうか」という言葉がこれでもかとばかりに繰り出されましたが(注:個人の感想です)、一番心に残ったのは「全体として短ければ短いほど(言葉は)力をもつ」という言葉です(言い方は違いますが、ノンフィクション翻訳の児島修さんも同様のことを仰っていました)。
 越前先生の解説を聞くのははじめてでしたが、けっこう厳しい批評をなさるのだなと。悪い意味ではありません。そんな風にときに酷評されても食らいつき少しずつでも上達する人が、結局最後まで残るのだと思います。
 (自分が俎上に上がらないということもあるかもしれませんが)一日でも聴いていたいと思えるようなお話でした。

 「文芸翻訳のツボ」編の締めとして、「自分にもまだ文芸翻訳は体系化できていない」として、文芸翻訳を一番よく言い表した言葉ではないかと思うと、『ねみみにみみず』から東江一紀さんの言葉を引用されました。(スライドには91頁とありましたが、探してみましたら149頁「金科玉条」の項に書かれていました。本書をお持ちの方は該当する項を読んでみてください。)


「出版翻訳の現在」

 セッションの紹介に「いささか生々しい内容」という煽り文句(笑)がありまして、始まる前からドキドキしたというか期待したというか(笑笑)。
 実際は、よいものも悪いものもさまざまなデータを示し、私たち一人一人に今後の進み方を委ねられた――そんな風に感じました。

 書いても大丈夫かな、と思う範囲で内容を少し。
● 越前先生が文芸翻訳(長編)の仕事を始められたのは1999年ですが、翻訳のみで食べていけるようになったのは2004年(『ダ・ヴィンチコード』)以降だそうです。
● 報酬の支払い方法について説明がありました。印税方式と買取り方式があることくらいしか知らなかったので、大変参考になりました。
● 文庫一冊の収入の変遷(往事vs現在)には、予想されたこととはいえ、やはりため息が出ました。今後は、もしかしたら、兼業時代に戻り、本当にやりたい人(というのは、淡い憧れではなく「自分の手で訳し紹介したい」という強い思いがあり、厳しい現実を直視した上で「それでもなお」という気持ちがあり、食べていく手立てがある/作り出すことができる人あたりを言うのかなと想像します)だけが文芸翻訳をやる厳しい時代になるかもしれない、とも述べられました。
● そんな中で、翻訳者自らが著者にかけあって版権を取得し翻訳書を出版しようとする動きがあることを紹介。
● コロナ禍の影響については、他の業界に比べて少ないように思う(Stay Homeと読書は親和性が高かった)とのことですが、書籍の売れ行きは今後の景気にも左右されるだろうとも。
● 「出版翻訳の人間として触れておいた方がよかろう」と「だれでもプロになれる」講座に対して注意喚起。

 まとめとして、文芸翻訳者の心得10項目が提示されました。「ひと言でまとめると『プロとしての自覚を持つ』ということです」。その多くは、翻訳する者すべてに当てはまるものですが、出版翻訳に特徴的だと思えるのが、「翻訳書の読者を増やすために、自分なりにできることをする」という項目。だいたい2010年頃を境に「翻訳者が翻訳だけしていればいい時代は終わった」と考えておられるそうです。
 私なぞ、もしもそういう(訳書が出版されるような)立場になれば、気後れしてだんまりになってしまいそうな気もしますが、よく考えてみれば、「こんな面白い本があります」ということを積極的に発信していかなければ、売れるものも売れないかもしれないですよね。そして、これは以前どなたかも仰っていたように思いますが、日本でその本の面白さを一番よく知っているのは翻訳者に他ならないはずです。自信をもって宣伝するためには、力をつけ、よいものをつくらなければならない――と結局はそこに帰着するのかな。
 「自分なりにできること」として越前先生が実践しておられる「全国翻訳ミステリー読書会」「はじめての海外文学フェア」「読書探偵作文コンクール」の活動が紹介されたところで、ちょうど時間になりました。
 締めの言葉は「翻訳とは愛です」。
「花を愛するということは、綺麗だと愛でることではない。その花を一日でも長く美しく保つために水を遣ったり肥料の勉強をしたりするのが花への愛だ。翻訳にたとえてみれば、原著を読者に紹介するために、調べものをしたり技術を磨いたりすることが、花を育てる愛に相当するのではないか」(「花を愛する…」以下は、アーカイブ視聴にて要約したものです)
 
 出版翻訳という産業翻訳とはまた少し違う世界の話です。翻訳に対する基本的な姿勢など共通する部分も多々ありますが、正直「(まだ)よくわからない」ことも多い。
 ただ、これまでいくつかのセッションを聴いてきて、今この時代において「揺るぎない力をつけること」と「座して何かを待つのではなく機を見てみずから動く(もちろん目的を見定めて動くわけで闇雲に動いてもよい結果にはならないかと思いますが)」ことが大切なのではないかと感じました(あくまで個人的な感想です)。

 どれも素晴らしいセッションばかりでしたが、越前先生のセッションはトリを飾るにふさわしい内容だったと思います。
 司会進行役を務められた蛇川さんの、一歩引いて登壇者をサポートする進行振りも光っていました。落ち着いたお声も素敵で、私は今回のフォーラム月間ですっかりファンになってしまいましたよ。
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2020. 09. 02  

 翻訳フォーラムのメンバー深井さんのパンクチュエーション講座。

 実は、私はこの講座を受けるのは3回目です。
 一度目は昨年4月。ちょうど英日翻訳におけるパンクチュエーションの大切さに気づき始めた頃でした。
http://sayo0911.blog103.fc2.com/blog-entry-670.html
 そのとき「こんな講座はこれまでなかった! 是非これを大阪でも!」とお願いし、昨年11月末の大阪編に裏方として参加したのが2回目。演習も含む4時間の長丁場でしたが、募集枠は1日で満席となり、「英日方向に特化して体系的にパンクチュエーションを学ぶ講座」への皆さんの関心の高さがうかがえました。
http://sayo0911.blog103.fc2.com/blog-entry-708.html

 通翻フォーラム2020のセッションは、これまでの講座を90分にギュッと凝縮したものに新情報を加えたという贅沢な内容。個人的には、過去2回の講座を振り返るよい機会になりました。
 止める記号、つなぐ記号、補足する記号、そのまま伝える記号――視聴された方は分かると思いますが、分類も的確ですよね。特に、各記号の「間」を音楽の休符にたとえた説明は、はじめて聴かれた方は「おお」と感動があったのではないかと思います(私もはじめて聴いたときは「分かりやす!」と思いました)。
 個人的には、「そのまま伝える」記号の内訳と新聞見出し(Headline)の読み方の理解がやや曖昧だったのが、今回きちんとメモも取れて(後追いなので途中で止められるのがいいですね~)クリアになったという感じです。
 具体的にどんな内容のお話があったのかは、上述の過去2回のブログ記事に譲ります。興味をもたれた方は覗いてみてくださいませ(今回、時間の関係で説明されなかったものもあります)。

 「今日からできるエクササイズ」として、挿入部分を抜き出し、その部分を外して読んでみる、原文のすべての記号に印をつけその用法を説明できるようにするなどの方法が挙げられました。そういう読み方をすることで、大事な部分とそうでない部分の違いが際立つようになり、訳出する際も、そうした重みの違いを意識して訳すことができるようになるのだと。別のところで口にされた「(記号は)立体的に読む(ためのヒント)」というのも同じことを言っているのかなと思います。
 最後に、深井さんは、「パンクチュエーションは何のためにあるのか?」を、何冊かの参考図書の記述を引いてまとめてくださいました。パンクチュエーションは、著者からの「こう読んでほしい」という申し送りや指示で、誤読を防ぐためのものである(逆に言えば、誤読の恐れがない位置に置く必要はない)――と、こんな感じにまとめられるかと思います。そこに著者の意図がこめられているならば、その意図が訳文にも適切に反映されなければなりません。日英翻訳のみならず英日翻訳でも、正しく読解するためにパンクチュエーションの知識が欠かせないということがよく分かります(でも「適切に訳文に反映」はなかなか上手くできないのだった)。

 深井さんがまとめてくださった参考書籍一覧(http://trans-class.blog.jp/archives/2145655.html)は、通翻フォーラムに参加されていない方でも見ることができます。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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