屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

**屋根裏ではセミナーや講習会の講師の方のお名前は、S木さん、T橋(あ)さん、S藤さん、M井章子さんなどのようにアルファベット混じりの表記を基本としています。ご了承ください(直リンク張っているので意味ないっちゃ意味ないんですが...)。


翌日は、コチラの↓対談を聴きに日本出版クラブさんまで。
http://www.shuppan-club.jp/?attachment_id=1136

その前には、やはり対談に出席なさる方やそうでない方が数名ランチに付き合ってくださり、楽しくお喋り。同業の方とのお喋りからは、やはりたくさんの刺激をもらえます。
日本出版クラブのある神楽坂という場所は今回初めてでしたが、かなりの急坂で、「神楽」以外に「かくら」(崖や渓谷の意)がその名の由来であるという説もあるというのも頷けます。

「洋書の森」は出版翻訳者のための洋書ライブラリが母体で(、でいいのかな?)ワタクシは部外者なんですが、ウィークエンドスキルアップ講座の内容が豪華で、いつも「羨ましいなあ」と指をくわえて見ていました。今回、奇跡的に前記事のワークショップと日程が重なり、初めて参加することができました(ランチの方々がご一緒してくださったので、心細い思いもせずに済みました<ジツはかなり小心者)。

I口耕二さんとK野万里子さんという接点の見つからないお二人の「リラックス対談」というのも興味をそそられます(ジツは翻訳以外で意外な接点があったことが判明するのですが...)。I口さんのお話はお聞きしたこともありますし、さまざまな媒体で書かれたものを読んでもいますが、K野さんのお話を聞くのは初めてです。ワタクシが最初の通信講座を始めたとき、そこから巣立った新進翻訳家として雑誌で紹介されていたのがK野さんで(確か「愛は束縛」だったかと...)、畑は違えど憧れの方ではありました。

対談はお二人の自己紹介で始まりました。最初はお二人とも若干緊張気味のように見受けられましたがが、すぐに舌もほぐれてきます。話慣れていらっしゃるせいか、お話もお上手です。
次に、それぞれが「思い出に残る仕事」に言及されました。I口さんは「スティーブ・ジョブズ」、K野さんは、確か「キュリー夫人伝」を挙げておられたと記憶しています。
I口さんが、超特急(通常の3分の1の期間)で「スティーブ・ジョブズ」を翻訳されたあと、精神的肉体的に元に戻るのに数年を要したと仰ったのが印象的でした。また、K野さんは、文芸翻訳家は翻訳の間「向こう(作品の舞台となった場所と時間)」に行ってしまっているので、現実に戻ったときの疲れがハンパないと仰っていました。

他に印象に残った言葉に「ひとつと出会うことはひとつと分かれることである」というものがありました。
特に出版翻訳の場合は、ひとつ仕事を受けてしまうと次にきた仕事は断らざるを得ず、「そうまでしてやりたい仕事かどうか」を常に自問自答しながら仕事をされるのだとか。そうしたところに「無理をすれば何とか」という形で舞い込んできたのが「スティーブ・ジョブズ」であり「星の王子様」(K野さん)だったそうです。それを「やれる」と判断できた一因に、お二人ともかなりの背景知識をお持ちだったということがあります。翻訳者は常に好奇心を持ち、アンテナを張り、勉強、ですね。
分野は違いますし、1案件の量も全然違いますが、自分を高め日々の仕事に満足を求めるのであれば、常に「やりたい案件か」「やりたい分野につながる案件か」を自身に問いながら仕事をしていく必要があるのだなあと。実際は収入的なこともあり、そうばかりも言ってはいられない部分もありますが。でも、「自問自答するかどうか」は大事だよなと改めて思いました。

対談は予定時間を大幅に超過しましたが、時間の経つのを忘れるほど、また「もっと聞いていたい」と思えるほど楽しい対談でした。

最後にお二人が仰ったのは、「(思い返してみれば、翻訳をするために)これまでの人生で無駄だったことは何ひとつない」ということ。K野さんはピアノで大きな挫折を経験されたそうですが、それさえも今の自分の糧になっていると。そういえば、前日、S木さんも同じようなことを仰っていました。翻訳でも人生でも、あと(あるいは人生を終えるとき)になって「無駄だったことは何ひとつない」と思える生き方をするのがヒトとして大事なことなのかもしれません。少なくとも自分はそういう生き方をしたいなあと思いました。

その日のうちに帰阪しなければならず、祝賀会の乾杯までご一緒して会場をあとにしました。
お世話になった皆さん、本当にありがとうございました。楽しい2日間でした。
関連記事
2017.04.21 21:54 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
先週末はこっそりお上りさんしていました。
普通なら翌日に勢いで記事を書き上げるSayoですが、翌日はまだ東京でしたし、その後は締切りと戦って半死状態でしたので(自分が悪いんですけど)、記事を書くのが遅くなってしまいました。


「翻訳ストレッチ」(旧名称:翻訳筋トレ)というのは、ベテラン金融翻訳者のS木さんが毎日仕事を始める前になさっている勉強法で、昨年JTFのセミナーでも紹介されました。
その後FB上の勉強会で開催されたワークショップも大好評だったため、今回もう一度開催される運びとなりました。
「その場で実践する」というワークショップ形式なので、DVD視聴ではなく実際に参加してみたいと思っていました。でないと、実生活に何をどう取り入れてよいかが分かりにくいと思って。

ちなみにですが、ワタクシも「自称(←ココ大事)筋トレ」を毎日の生活に取り入れて20年近くになります。S木さんのストレッチに比べれば「ながらリスニング」「なんちゃって筋トレ」に過ぎませんし、日本語力の向上や分野特有の言回しのクセ取りを意識しだしたのはここ1~2年のことなので、同列に語ることはできませんが。それでも「習慣化している」という点だけは同じかなと思いましたので、主な過去記事を貼っておきます。

で、音読ですが」(2011年) 
筋トレ」(2014年) 
昨年の音読・リスニング記録」(2017年1月) 

話を戻します。
S木さんは「つい同じ表現を使う」「原文/訳文の全体像を見失う」といった翻訳をする際の自分のクセを直す目的で、毎日「翻訳ストレッチ」を続けられているとのこと。

・文章中の「が」「は」「の」「、」に注目しながら短い文章を読む。
・すぐれた原文と訳文を対比し、英文を読めば訳文が出てくるまで読み覚える。
・短文を指定時間内にできるたけたくさん覚える(英→日、日→英)。
・英語の文章を味わいながら読む。
・日本語の文章を味わいながら読む。

といったことを、1セット○分と時間を決め、キッチンタイマーで時間を計りながら行っておられます(忙しいときは一部を端折ることもある)。
ワークショップでは、S木さんが用意してくださった資料を片手に、実際に時間を計りながらフルセットを行ったのですが、だいたい60分強くらいの時間になりました。


「覚える」ものもいくつかありますが、「その後もずっとその表現を覚えておく」ことが目的ではなく、「頭の一部にでもそういう表現を使用した記憶が残っていれば」を目的としておられるということで、それを毎日続けることが「自分のクセを取る」ことにつながるのかなあと思います。

ワークショップでは「力がついたと思うか」「効果はあるか」といった質問が出ましたが(恐らくどのワークショップでも出たのではないかと思います)、「よく分からない」という回答でした。
以下はワタクシ個人の考えになりますが、こうした勉強法の効果というのは、たとえば10年くらい続けたあとで振り返ったときに、「もしかしたらこれが続けてきた効果かもしれない」と実感できるものなのではないかと思います。逆に、1~2年で効果を出そうという気持ちで始めたのでは長く続かないのではとも。「1~2年で効果を出す」ためには、一定期間を区切って意識しながら深く勉強しなければならないわけで、「翻訳ストレッチ」はそうした勉強とは少し異なるもののような気がします。翻訳ストレッチを通じて得られるものは、「はっきり目には見えないけれど、少しずつ自分の身になっていくもの」と言えるんじゃないかなあと。それくらいの気持ちで取り組むのがいいのではないかと思いました。
また、S木さんご自身も仰っておられましたが、S木さんが時間をかけて辿り着いたやり方が誰にとってもベストとは限らないかもしれません。まずは自分の弱点(くせ)をよく見極め、それを直すために毎日何かひとつふたつ続けるとしたら、何をすればよいだろうということを考えることが大切かなあと。その際のヒントとなるやり方をたくさん紹介して頂いたワークショップでした。

さて。
自分の日常にどう取り込むかですが、「すぐれた原文と訳文の対比」は取り入れてみたいと思いました。そのためには今のやり方を見直す必要もあり(すでにアップアップしているという...)、今後どういうやり方にすれば一番よいか思案のしどころです。
関連記事
2017.04.20 17:27 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
2月末頃からちょっとバタバタし、ここ数年のうちに自分を取りまく状況が変わる予感がします。
3~4年のうちには、実家と田舎の墓(まだ山の中にあるという...)をきちんと処分し、旦那の実家に帰ることになるでしょう。

以前はそれをこの仕事からの引退の時期と考えていましたが、旦那が仕事を辞めたりと少し状況も変わり、何より、自分にとって「最後まで残したいものの筆頭」である翻訳を何らかの形で継続すべくもう少し足掻いてみようと、考えが変わりつつあります。まあ、「自分の考えるレベルの翻訳が指定納期に出せない」と自分で自分の衰えを認めざるを得ないときがくれば引退すると思いますが。

収入ということではもう頭打ちかなと思います。生活が変わっても現状を維持しようと思えば単位時間当たりの生産性を大幅に上げる必要がありますが、正直、もうそこまでしたいという気持ちはありません。そういうときが来るだろうということはかなり早いうちから考えていて、コツコツへそくってきたので(子どもがいなかったからできたということはあるかもしれません)ある程度の心の支え(=先立つもの)はできました。とはいえ、「心の支え」だけでは心許ないですから、先日取引先と単価交渉をして、期待以上の回答を頂きました(この件については、他にも理由がありますし、暫くはこの先の受注状況もみていく必要があるかなと思いますので、後日、書ける範囲で別立ての記事を書きたいと思っています)。
そうして、この先、緩やかに「年間収入のことはあまり考えず好きな仕事をする」方向にシフトしていけたら理想です。

そうして、翻訳と翻訳以外の生活のバランスを取りながら、そのときどきの一過性ストレス源に自分の心が無理をし過ぎないように対処し、自分の力ではどうにもならないことにはくよくよせず毎日を過ごすことができれば(そういう時間が少しでも長く続けば)、もうそれだけでいいかなあと思っています。
あとは読書と大人の塗り絵とピアノの再開(旦那の実家には電子ピアノ置けそうです<その前に指が動かないという説もある、というか動きませんが...)くらいできれば。
まあ、思い描いたとおりに行かないのが人生、でもありますが。なので、「置かれた場所で、やりたいことをできる範囲で」をモットーに、これからも生きていきたいと思っています。

状況が変われば遠出は難しくなると思うので、できる間はせいぜい遠出もし、たくさんの方とお話したいと思う今日この頃なのでした。
関連記事
2017.04.12 12:42 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |
「シンプル病理学」と相前後して、他の日本語書籍の音読も終了しました。
(昨年末時点のラインナップはコチラ

「潮騒」(三島由紀夫)
...スイマセン、初三島です。
ストーリー的なことをいえば、「べたな純愛小説」と言えばいいんでしょうか。
音読的観点からいえば、とても読みやすかったです。無駄を省いて推敲を重ねた文章なのだと思います(もちろん、出版される文章というのは、本来すべてそうあるべきものなのでしょうが)。そうした無駄のない文章ながら、情景描写の部分では、地形や景色や天候、あるいは登場人物の佇まいが目の前にありありと浮かんでくるのは、この文章がそれだけ「読ませる」文章ということなのかなと思います。

「実戦・日本語の作文技術」(本多勝一)
...スイマセン、今さらの「日本語の作文技術」です。
この本の後半部分は、著者の主張がちょっと強く出すぎているような気がして、少々辟易する部分もありましたが、前半の「日本語の作文技術」の、直結の原則、修飾の順序、テンの二大原則などの部分は、「ナルホド」と納得する内容ばかりでした。実際、この本を読んだあとは、訳文を作る際も、今挙げたようなことを意識しています。「裁判の判決文を分析する」で、不明瞭この上ない判決文が(そのように書き直すことの是非は取りあえず置くとして)見事に料理され、分かりやすい文章になっていくさまは見事だと思いました。

の2冊を終え、現在、専門分野系の「異常値の出るメカニズム」の他に「文章読本」(谷崎潤一郎)と「かくれ里」(白州正子)を読んでいます。

このうち「かくれ里」は、実家の父の蔵書から「音読用に」と発掘してきた数冊のうちの1冊。
白州さんの本は初めてですけど、ひと目で...じゃなくて冒頭の数行で気に入りました。

「かくれ里」と題したのは、別に深い意味があるわけではない。字引をひいてみると、世を避けて隠れ忍ぶ村里、とあり、民俗学の方では、山に住む神人が、冬の祭りなどに里へ現われ、鎮魂の舞を舞った後、いずこともなく去って行く山間の僻地をいう。謡曲で「行くへも知らずなりにけり」とか「失せにけり」というのは、皆そういう風習の名残であろう(「油日の古面」冒頭部分)

自分の文章のリズムと関係している部分もあると思いますので、他の方はまた別の感想を持たれるかもしれないのですが、ワタクシは、こういう文章、好きです。凜として清々しくて品がある文章だなあと思います(あくまで個人的な感想です)。というわけで、楽しく読んでいます。

これらの書籍を音読してきて(「かくれ里」は現在進行形ですが)思うのは、何気なく書かれた文章のように見えて、あるべき順序で書かれ、必要な箇所に読点が打たれているということ。
自分の書いた訳文を音読していて、続けるべきではないところまで続けてしまって「あれれ」となっているワタクシは(つまり、分かりにくい書き方をしているということなのですが)まだまだ修行が足りないようです。トホホ。
関連記事
2017.03.31 21:00 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(2) |
「シンプル病理学」(改訂第6版、2010年、南江堂)
音読了。

この本は、以前にも書いたとおり、Book-Offの片隅でメソメソ泣いていたところを救出したものです。
自分の中では優先順位はそう高くなかったので、泣き声が聞こえなかったら買わなかったと思うのね。

このテキストは、(「序」には、改訂を経て読者層を広げたとありますが)主にコメディカルの方々を対象としたもので、文系出身者が独学するには難易度が高く、かといって、仕事で必要となる情報を得るには記述が簡潔すぎるという、翻訳者にとってはやや扱いにくい書籍のような気がします。あくまで個人的な感想ですが。
実際、「医療機器メーカー社員向け教育資料の翻訳に役立った」と書きましたけれど、その後この本を開いて内容を確認することはなかったのですよね。

でも、ときどきパラパラめくってみると、「そうやって書棚の肥やしにするのはもったいない」と思うことがあったのも事実。
組織病理検査報告書の表現の宝庫、なのです。

ワタクシは体内植込み系の医療機器に関する仕事が多いので、動物を用いる非臨床試験の案件にもそれなりに遭遇します。毒性試験や埋植試験の報告書には、安楽死させた動物の組織を採取し処理して顕微鏡観察する組織病理検査の報告書も含まれます。言葉遣いもそれなりに特殊だったりするのよね(慣れっちゃ慣れですが)。

というわけで。
「書棚の片隅本を音読で解消しよう」キャンペーンの一環として音読しました。

音読してしみじみ分かったんですけど、テキストを意図した書籍なので、やはりそれなりに順番を考えて作られている。

まず総論として、細胞や組織、全身に適用される循環障害、炎症、感染症、免疫機構とその異常、腫瘍、遺伝と先天異常、代謝異常について簡単にまとめたあと、各論で、各器官系について述べています。各章では、はじめにその系の構造について簡単に説明し、その後、代表的な疾患とその疾患によって組織や細胞がどのように変化するかが述べられています(組織病理学的検査で主にお世話になるのはこのあたりです<収穫も多々あり)。写真がそこそこ多いのも嬉しい。


でもだがしかし。
他の同業者の方にこの本を薦めるかというと、そこはビミョー...(Book-Offで「そこそこ新しいのに半額で売られています、私」と泣いているところに遭遇した場合は、救出してあげてください)。
この本は結構難しいのです。たとえば、「文系出身ですが、医薬翻訳講座でひととおり解剖生理を学びました」という状態で手に取った場合、得るものはそう多くないのではないかと思ってしまうのです(「意味はよく分からないが専門用語を覚えることができる」という利点はあると思いますし、それはそれで、実際に翻訳をする上で役に立つとは思いますが)。あくまで個人的な感想です<念のため。
「解剖生理は(短大レベルですがいちおー)きちんと基礎を学んだ、実務で組織病理検査報告書もそこそこやった」今の自分には、包括的復習として最適だったかなあと思いました。

というわけで。
「書棚の片隅本を音読で解消しよう」キャンペーン、次は「異常値の出るメカニズム」(第6版、医学書院)に進むことにしました。
こちらも、仕事の関係で読むところは決まってしまっているので(そしてなかなか覚えられないのだった<年のせいという説もある)、普段読まないところにも目を通すことにしました。まだまだ修行は続きます。
関連記事
2017.03.27 16:14 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(2) |