屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


「足音もなく不意打ちで冬が背後に立っていました」感のある今日この頃ですが。


夏以降、「医療機器だけど何やねんそれ」的な案件を2、3回担当しました。
そのときにお世話になった辞書たち。いずれも、フリーでウェブ上で参照/ウェブからDLすることができます。

「鉄道技術用語辞典」(公益財団法人鉄道総合技術研究所)
http://yougo.rtri.or.jp/dic/

グラフィックデザイン用語英和辞典
http://www.fishtailstudio.com/pages/gd.html

上の辞典は、提供元から考えて信頼度はかなり高いのではないかと思いますが(紙版も出版されています)、何しろ鉄道案件は初めてでしたから、勘が働かず、いちいち「辞典にある訳語は案件の文脈に照らして適切かどうか」を確認しなければなりませんでした(鉄道も奥が深そうなのだった...)。

下の辞典は個人の方の提供ですが、説明が分かりやすく、相互参照も豊富で、適宜裏取りしながら使用する分には問題ないと思います。

上は確認に時間を取られ、下は「マーケティングもどき案件」でしたので訳語選びに呻吟し、疲弊度はハンパなく時間単価も低かったのですが、終わって思い返してみればなかなか面白い案件でした(とはいえ、こんな案件ばかりでも収入的にツラいので、ときどきがいいかなと思ったりしますが)。
今後は、医療機器をベースに「循環器分野が得意だが、医療機器関連であれば、広くさまざまな内容・分野に対応可能」というスタンスでいくのも悪くないかなと思ったりしています。読者を想定し、文体を考え、どのレベルの言葉を使用するかを考えるのって、結構楽しかったり(量的に一番多い報告書はあまりそういうことを考えることはないので...ラクっちゃラクですが)。

そんなわけで、日本語辞書環境と使うヒト(ワタクシ)の性能をもう少し強化したいなと考えている秋の夜なのだった。
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2017.10.18 23:56 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(0) |

そして2年の時を経て、「チームII」に辿り着いたSayoです。
(「チーム」の感想文はコチラ

前回は「箱根駅伝予習」として「陸上もの」を読み始めたにも関わらず、2月の声を聞いた頃やっと山登りの5区まで辿り着くという「どんだけ遅れてんねん」な状態でした。
同じ失敗はしないもんね-、もっと早くから読み始めるもんねー(入手したのはGWなんですが...)
ちょうど秋のドラマ「陸王」も始まるではありませんか。おお、なんとタイムリー。そして、なぜ仕事が絡まない本はさくさく読めるのだろう。

ということで、「チームII」を読破したわけですが、今回は逆に「どんだけ早すぎるねん」な状態で、箱根駅伝の号砲を聞く頃にはすべてが記憶の彼方に飛んでいそうです(結局、どこまでもタイミングを外すヤツなのだった)。


で、「チームII」です。

「チーム」で学連選抜のメンバーとして箱根駅伝を走ってから7年、天才ランナー山城は、東海道マラソンで日本記録を樹立(「ヒート」)後は、故障に悩まされ、2年間レースを走ることができず、焦燥を募らせていた。折りしも、所属する実業団チーム、タキタの廃部が決まる。「唯我独尊わが道を行く」山城は、誰かに頼ることをよしとせず、心密かに五輪記念マラソンを引退レースに決める。とはいうものの、練習環境の確保さえままならない。
山城の真意を察したかつての学連選抜メンバー浦や監督の吉池、さらには東海道マラソンで最後まで山城とデッドヒートを繰り広げた甲本(「ヒート」)らが、「チーム山城」を結成し、故障明けの山城をバックアップしようとする。

というのが粗筋。
これに、学生連合(以前の学連選抜)の監督として浦が寄せ集めチームをまとめていく過程がサイドストーリー的に挟まれます。「走る」場面は、主に、箱根駅伝と(チームタキタとしての最後の出場となる)全日本実業団対抗駅伝(全実)。全実でからくも勝利しながら、自分らしくない無様な姿に失望し、五輪記念マラソンへの出場を断念するかどうかで揺れる山城が、当日、スタート・ゴール地点に姿を現すところで「チームII」は終わります。

なので、「チーム」や「ヒート」に比べると、レースの場面は若干少な目。
「チーム」や「ヒート」では、(特に山城の)心の動きがあまり読めない状態でいきなりレースに場面転換した感があったので、小説的にはこれくらいの方がよいのかも。もっとも、前2作ほどのド迫力は感じられず、どちらがいいとも言い難いです。まあ、好みかな。
延々とレースの場面が続くのですが、視点が走者と(伴走車からのものも含め)応援者の間を行ったりきたりするので、退屈することはありません。走者の心理や走者同士の駆引きの描写が続くと、ふと自分もレースを走っているような感覚に捕らわれたりします。そう、持久力皆無のワタクシでもマラソンだの駅伝だのを走れちゃったりするのだよ。堂場さんのレース描写の場面は秀逸だと思います(あくまで、個人的意見です)。

本書の(たぶん)主人公、山城悟は、ホント傲慢なヤツなんですよね。
故障するまでは、国内ではぶっちぎりの強さを発揮してきたので、そんな態度でもすべてが「山城だから」で許されてきたわけなんですが、故障で結果は残せない、練習環境が奪われるなど「走ること」以外の部分で悩まなければならなくなると、弱さも垣間見られるようになってくる。本人も、すべて自分一人でできると思っていたのがそうではないことが分かってくる。
浦たちがそれぞれに忙しい時間を割いて山城を援助しようとしたのは、甲本が言ったとおり「あいつが何をやるか見てみたかった」というのが大きいと思うのですが(それほど規格外の選手ではありました)、学連選抜でのレースを通じて、弱さや「実は自分のためだけでなく他人のためにも走れる男だ」ということも何となく分かっていたからかもしれません。

その孤高の選手山城が、浦のペースに巻き込まれて、学生連合の一員として箱根を走ることになった浦の教え子の荒井にアドバイスする場面があります。「誰のために、何のために走るのか」が分からずモチベーションが上がらずにいた荒井ですが、「全員が自己ベストを更新することだけを考えて次のランナーにつなげばいい」という山城の言葉に、何か掴んだものがあったようで(発想を転換することで、悶々としていた気持ちが楽になり、新たな目標ができたって感じでしょうか)、このアドバイスを期に、バラバラだった学生連合のメンバーは何となく緩くまとまっていきます(「チームII」は「チーム山城」の話なので、このあたりは軽く語られるだけですが)。何とも山城らしいアドバイスに、ワタクシも、浦じゃないですが、ハッとさせられました。


全実の前に、タキタ監督の須田が、山城に「日本の長距離を何とかしたい」と夢を語る場面がありました。山城は何とも思わなかったみたいですけど。
でも、読み流していたこの部分を再読したとき、これまでとは形を変えた「チームIII」があるかもとちらっと思いました(とにかく、堂場さんは多作の方だし)。それまで、「チーム」シリーズはここで終わりかなと思ってたんですけど。まあ、山城が指導者になっている姿は想像できませんが...


てことで、箱根駅伝の(早すぎる)予習は無事終了したのだった。
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2017.10.11 23:29 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |

屋根裏には、「・・・から(強引に)翻訳へ」という得意技があります。

アスリートやベテラン俳優などに関する記事や、そうした方々のインタビュー記事を、翻訳と強引に関連付けるという荒技です。

周りにさまざまに支えられているとはいえ、こうした方々の「よい」パフォーマンスの一番の拠り所は、自分自身--自身の中にある、練習や稽古に裏打ちされた技術や経験、「できる」という自信、「まだまだ」という謙虚な気持ちなどであり、その「最終的に拠り所とできるのは自分自身(の力)」という部分が、翻訳にも通じるところがあって、自分の中の「強引にもってくるで」アンテナがぴぴっと反応してしまうのかなと思っています。

ワタクシは決して「通」ではないけれど、フィギュアスケートを観るのが好きなので、フィギュアスケートから強引に持ってくることが多いです。
最近では、コンパルソリーから「強引に翻訳へ」をやっています。


今日の「強引に翻訳へ」の元記事は、Web Sportivaに掲載された、「佐藤信夫氏・久美子氏(元浅田真央コーチ)に聞く『喜びと苦しみの日々』」。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/figure/2017/10/05/post_23/index.php
(最後は、「続きはSportivaフィギュアスケート特集号へ」になるんですけど<ありがち)

以下、ウェブ掲載版からの抜粋です。


専属コーチが不在のなかでバンクーバー五輪のシーズンを戦った浅田にとって、課題はジャンプの修正だった。だが、10年以上もジャンプを跳び続けてきたなかで、いくつかの癖がついていた。そこを見破った佐藤コーチだったが、すぐにはジャンプの修正に着手しなかった。まず始めたのはスケーティングの基礎を教えること。そのめどが立ってから、ジャンプの見直しに入ろうと考えていた。だから「道のりは長く厳しい」と覚悟を決めていた。(文:辛仁夏)

「スケートというのはひと滑り、ひと滑りじゃないですか。そのひと滑り、ひと滑りを毎日チクッと言っておけば、ふと変化が起きるわけです。その変化がやがて、いつのまにか本人にとっては心地よい変化になるんです。気持ちよく滑れるものだから、少しずつ変わってきたのかな、というふうには思います」(佐藤信夫コーチ)

「一番簡単なことを大切にするということですよね。一番簡単なことだから無視するのではなくて、簡単なことを大事にするということの積み重ねですね」(佐藤久美子コーチ)

「彼女からすると、受け取り方としては『また同じことを言ってるわ』になるんですけれども、それでもいいんです。何かあった時にふと、それを思い出すというふうになれば」(佐藤信夫コーチ)

(ソチ五輪のSPで失敗を重ねた浅田に対し、佐藤信夫コーチは)「練習をきちっと全部やってきた。できない理由はないし、できない理由が見つからない。できて当たり前なんだよ」と、背中を押した。(文:辛仁夏)


結局、また「基礎ですかい」て話なのですが、自分は、やはりいつもここに辿り着いてしまう(進歩がないともいう)。

久美子コーチのいう「一番簡単なことを大切にする」というのは、漫然と毎日基礎練習をするということではなく、「何かを意識しながら」基礎練習をするということかなと思います。フィギュアだったら、たとえば、身体の軸を意識するとか、のってるエッジを意識するとか。翻訳だと、たとえば、「流れを意識しながら」「使われている言葉を意識しながら」文章を読むとか、「引き方を意識しながら」辞書を引くとか、「接続を意識しながら」文を書くとか。

そうしたことは、そのうち「無意識に」できるようになるのでしょうけど、たとえばゴルフのフォームなどのように、何かのきっかけで崩れてしまうこともあるかもしれない。そうしたら、また「意識しながら修正する」。技術は、そういことを繰り返して向上させていくものなのかもしれません--てことで、考えてみれば終わりがないのだった。でも、考えようによっては、「(気力・体力・知力が続くかぎり)いつまでも改善・努力できる」職業というのは幸せな職業なのかもしれません。

今日は散漫になりましたが、散漫なままで失礼致しまする。
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2017.10.06 18:13 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
翻訳フォーラム・レッスンシリーズ第7弾、講師はT橋(さ)さんです。

この「述語から読む・訳す」については、「翻訳フォーラム・シンポジウム」の中でもお話がありました。
そのときの記事がコチラです。
(時間があれば、まずコチラから読んでいただけたらと)


お話をお聞きし、「衛星図(上の記事の中に例があります)」を作って考えるというやり方を示していただき、「翻訳事典2018年度版」や「翻訳のレッスン」を再読して、やっと考え方の全貌が掴めてきたという感じですが、それでも、きちんと把握できているのか、書籍や雑誌の中で示されたトレーニングができているのか、自分のやり方でいいのか等々、不安が多々ありました。

そうしたら、東京でワークショップがあるという。これはもう、行かねばなるまい。
決して、遊びに行ったわけじゃありませんよ、決して。
いちおー、「翻訳事典」の該当記事と「翻訳レッスン」のT橋さん担当部分を再読して参加しました。


てことで、以下、ワークショップのまとめです。長いので、お時間できましたときに。
(* 応用もきくかと思いますが、ワークショップの話は、英語原文→日本語訳文の方向です。)

前半は、「述語から読む・訳す」という考え方の概要の説明でした。
(この部分は、JTFジャーナルの次号に、復習的な形で、T橋さんが寄稿なさるそうです。)
(JTFジャーナルは、会員でなくても、登録すればPDF版を読むことができます。私もそのようにしています。)

以下、その概要のそのまた概要を、箇条書きでまとめてみました。
(あくまで、ワタクシが理解し得たかぎりですので、間違っている部分があるかもしれません)

・翻訳は、本来不自然な作業なので、日本語力を向上させる努力をしなければ、翻訳すればするほど日本語単体の文章力は低下する(ホラーやな<と前も言ったような気がする)。

・日本語を維持向上させるための方策として、日本語文法と英語文法の共通部分を体系的に身につけることをしておけば、原文が理解しやすく(最終的に)効率的でもある。

・その「日本語側と英語側を対応させる」方法として、述語に目をつけて文の構造を考える、というやり方がある。
 * ここで、衛星図について説明。
 ** 述語を中心に衛星図を描くことで、主-述のねじれ等を防ぐことができるということなのですが、実際にやってみると(ワタクシは和訳者なので、まず英語でこれをやるんですが)、確かに「主語が迷子にならない」感があります。

・文の構造を考えるときは、構文が、単文、二股合せ文(主語は1つで述語が複数ある場合)、重文(合せ文)、複文(入れ子文)のいずれであるかを意識する。

・また、意味的内容から、できごと文(なにがどうした=動詞述語文)としなさだめ文(なにがどんなだ=形容詞述語文、なにがなんだ=名詞述語文)に分類する。SV、SVO、SVOO、SVOC、SVCの5文型は、できごと文、しなさだめ文のいずれかに(概ね)分類することができる。
 * できごと文としなさだめ文については、「翻訳事典」の該当記事にもう少し詳しく書かれています。
 ** ここで、20例ほどの課題文を、できごと文、しなさだめ文に分類するという実習があり、前半終了です。


後半は、いよいよワークショップの時間です。
これをグループワークで行うため、予めシャッフルされた7班に分かれます(顔見知りの方がいてホッとするやら、まったく別の意味でキンチョーする方とご一緒するやら...)

50個弱のMostの訳例が記載されたカード(訳例は、新和英大辞典の逆引きで得られた例文から抽出されたもの...だったと思います<カード切離し作業をしながら聞いていたので間違っているかも)を使用し、これを、グループで相談しながら、日本語訳でmostにあたる部分が置かれている位置によって、6パターン(フレーム外=外出し、主語の前、主語の後ろ、述語の前、述語=文末、その他)に分類します。

訳例カードはこんな感じ。
訳例横








実際は、配布資料に各パターンの衛星図も用意されていて、迷ったときの助けになります。
分類の過程で、「おお、その訳は出てこない(新和英逆引き恐るべし)」という訳例に遭遇したり、グループ内で意見が割れたり、文脈がない中では分けにくいよね、という話になったり。「自分でやってみる」+「グループワーク」のよさですね。
 * 蛇足ですが、通常「語彙」と呼ばれるものは、各パターンの中での変化なので、パターン変化が自在にできるようになれば、表現の幅は格段に広がります(ハズです)。

「仕分け」が終わったら、次は自分たちで6パターンの訳語を考えます。時間の制約がある中では、どうしても無難な訳になりがちでしたが、それでも、自分では思いつかないようなアイディアも出てきたり。これもグループワークのよさですね。最後に各班の発表があり、そこでまた、自由度の枠が広がったような感じです。
今回は、参加者の中に十代の学習者の方が1人混じっておられて、若者向けの表現に場が湧くということもありました。若者向けの表現を取り入れるかどうかは、これはもうケースバイケースでしょうが、年代の異なる同業者や学習者の方と話をする機会は大事だなあと改めて思いました。

その後、駆け足でoftenの訳例に触れたあと、簡単なまとめがありました。またまた箇条書きで。

・英語文法と日本語文法の整理には時間が掛かり、一時的に翻訳スピードが下がる可能性もあるが、それは初期投資。長い目で見れば力がつく。「急がば回れ」。
・述語に目をつけられる(述語を中心に考えられる)ようになると、日本語も構文として考えられるようになる。
・最終的に翻訳作業の正確さと自由度が増すので、「文章を見たら課題だと思って頑張りましょう」。


「予習」をしていったので余計にそう思えたのかもしれませんが、特に「翻訳のレッスン」には、この日お聞きした内容がうまくまとめられていると思います。
未読で出席された方がおられましたら、今読んでみると、「砂に水が染み込むように」という感じで頭に入ってくるのではないかと思いました。
ワタクシ、決してフォーラムの回しものではありません、念のため。


もうすでにかなりの長さになっていて、本当に申し訳ないのですが、最後に若干の感想など。

三日坊主の多いワタクシですが、できごと文としなさだめ文の仕分けは、時々思い出したようにやっています(正しくは「思い出したときに三日坊主する」)。思い返してみれば、パターン変化も、それとは意識せずに、日々の仕事の中でやっていたりします。ワークショップに参加したことで、やり方や目的がもう少し明確になったような気がします。聴くばかりではなく、参加するセミナーも大事だなと再認識しました。

T橋さんは「考える」という言葉をよく使われたのですが、この言葉がとても「深い」言葉であるように思えました。
さまざまなことを考えていると、当然翻訳速度は落ちるわけで、ワークショップでは、それが、先に進むための「初期投資」と表現されていました。
「だから、つまり今は頑張りどきで、もう少しすべてを整理することができれば、もう少し楽に早く、日本語として齟齬のない(できれば「そこそこ読ませる」)訳文が書けるようになるのかなあ」といったことをとつおいつ考えていて、ふと、翻訳が「早い」には2種類の「早い」があるのではないか、ということに思い至りました。「考え」分類し多くの情報を整理して自分の中に蓄積できているがゆえに早い人と、外部の用語/例文集等にうまく頼って早い人の2種類です(この場合の「用語/例文集」とは、決していわゆるTMのみを指しているわけではなく、狭い分野に限定した用語や言回し、定型文などをまとめたものもこれに該当するかと思います)。基礎力のある方が、きちんとした信頼の置ける用語/例文集を使って仕事をしていく分には、分野限定の成果物という点ではまず問題はないのかもしれません。でも、わりと根本的なことから考え悩むことなく外部に頼る、ということは、「そこから隔絶されてしまうと自分の中に戦う武器がない」という危険性も孕んでいるのではないかと、そんな風に思ったのです。「考え、修正し、正しい(この場合はきちんとした翻訳ができるということですが)方向に進む」ことができるというそのことこそが、「戦う武器」なのかもしれません...自分の中でも、まだ言葉として上手くまとまっていない状態なのですが、まずはワークショップの報告を書いておきたく、分かりにくい感想も含めさせていただきました。ご容赦ください。


最後になりましたが、資料の準備も含め、実り多い勉強会を企画してくださった翻訳フォーラムの皆さま、それぞれお忙しい中、本当にありがとうございました。
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2017.10.02 20:36 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(4) |

1年ほど前に「見出しを文章に、文章から見出しを」という記事を書きました。

だいたい毎日紙版の新聞を読むので、この作業は、その後も続けています(サボる日もありますが)。

続けることで、何か身につくものはあるのか。
...てことで、ちょっと振り返ってみます。

「見出しを文章に」の方は、ちょっと油断すると「本文盛り込みすぎ(見出しにそこまでの情報ないやろ)文」になってしまい、「上達した」感はありません。やはり、「漏れてると言われたらヤバいので」という小心者の性格が災いしているのか。翻訳でも、この「冗長」グセが出てしまうことが多々あります。「見出しを文章に」を続けることで、そういう自分のクセ(弱点)を短い周期で「はいはい、そうでしたね自分」と肝に命じることができている、というのが、「強いていえば」のadvantageかもしれません(なのに、なかなか直らんという...)。

「文章から見出しを」の方は、最近、「そのおかげかも」と思ったことがありました。
(前にも書きましたが、ワタクシは、見出しを考えるという作業はけっこう好きなので、どちらかというとコチラの作業の方が楽しいです)

わが家ではA新聞を購読しているので、「文章から見出しを」には、火~土曜日は3面の「てんでんこ」という記事を、日曜日は(「てんでんこ」の連載が日・月は休みのため)同じく3面の「日曜に想う」を使用しています(月曜日は休日♪)。「てんでんこ」は、「頑張ってやろうかい」と思える程度の絶妙な長さです。記事には、2~4文字の見出しと、30文字程度の副見出しがあります。
たとえば、今は「音楽の力」がテーマなのですが、9月22日の「てんでんこ」は、見出しが「沖縄民謡」、副見出しが「『あす』が津波で一瞬にして失われる現実。宮沢和史は動き始めた。」です。

新聞の副見出しを隠した状態で全文を読み、5分程度で副見出しを考えます。文字数にはあまりこだわりません。自分なりの副見出しができたら、答え合せ。新聞の副見出しに「うーむ、そこを取ってくるか」と敗北感とともに納得したり(←だいたいこちら)、「いやいや、それだと内容モロ分かりでしょ」と若干のケチをつけたりして終わります。頭の中で考えているだけなので、自分の見出しを特に推敲することはありません。

副見出し作成作業を無理に順序化してみると(普段は頭の中でやっていて、特に「こういう流れで」みたいなことは考えていないので...)、頭の中で文を要約 → 一番言いたいことは何かを考える → それを基に何となく骨格的なものを作る → そこに「引き」はあるか(見出しが単なる要約になってしまっていないか、つまり読者に「中身も読んでみよう」と思わせる「何か」があるかみたいなことです)を考える → 最終的な副見出し作成、という流れになるかなと思います。

これを1年と少しやってきた先日、マーケティング(もどき)の仕事が舞い込みました。
たくさんの国語辞書さんと類語辞書さんのお世話になり(ふだん、何と狭い語彙の中で仕事をしていることでしょう!)、遅々として進まない日もあり最後はへろへろでしたが、こういう案件、嫌いではないです(こういう案件ばかりもしんどいので、翻訳会社さんには控え目にアピールしておきました)。

その中で、小見出しの翻訳がありました。いつもの定型的な小見出しではなく、多少の「引き」が求められる小見出しです。その小見出しを考えるのが楽しくて。もちろん、自分で考えるのではなく翻訳ですから、「いやいや、そこまでは言うてへんで」と却下し、無難にまとめた箇所も多かったですが、「見出しを考える」作業をやってきたので、すんなり楽しめた(...若干表現がおかしいですが...)のかなと思っています。

というわけで、1年経って若干惰性になりつつあった「見出しを文章に、文章から見出しを」ですが、初心に戻り(<そもそも「初心」はあったのかという説もありますが)「意識してやる」ことをもう少し取り入れつつ続けていこうと思っています。
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2017.09.29 17:33 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |