屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

個人的に「訳しにくいなあ」と思うことの多い単語です。サクセルフル、キライ。

どうしてかなあと考えながらずっと仕事をしてきたのですが、今回、トリセツで、大量の
After A has/have been successfully completed, Press B
(Aがsuccessfullly completedしたらBキーを押してください)
系successful / successfullyと戦う中で、「こうかな」と思ったことがありました。

「そういう記載を見つけた」ということではなく感覚的なことにすぎないので、間違っているかもしれませんが(<てか、たぶん間違ってる<ので読み流して)。

その前に、successfully (successful)の意味ですが、いくつか英英辞典を確認してみましたが、以下のコウビルドの説明が分かりやすかったので、そちらの説明をお借りします(他にも意味はありますが、私が「訳しにくい」と思うsuccessfulの意味ということです)。

Something that is successful achieves what it was intended to achieve. Someone who is successful achieves what they intended to achieve.
(「コウビルド米語版英英和辞典」)

また、安定の海野さんちからは英和の訳語をいくつかお借りしてきました。

うまく、首尾よく、上首尾に、無事に[事なく]、成功して[成功のうちに, 成功裏に]、まんまと、うまうまと、うまいこと、見事に、上々のできで、盛会裏に、盛況裏に、順調に、正常に、 《意訳》正しく
(「ビジネス技術実用英語大辞典V5」)

トリセツのsuccessful (successfully)は、「首尾よく」や「無事に」はしっくり来ず、この中では「順調に」「正常に」が一番近いような気がします。

それは、トリセツでは「その操作、成功して当り前」という暗黙の了解というか含みがあるからなのかなと、今回フと思ったのでした。
もちろん、失敗することもあるわけですが、トリセツ的には「こう操作したら普通は成功しまっせ」とポジティブに言いたいのではないかと思うわけです。少なくとも、私が作成者なら、まず「上手くいく(ホラ、簡単でしょ)」と言ってから、「でもね」という注意や警告を(そこは漏れなく)書く流れにしたいです(もちろんトリセツ作成にもルールがあると思いますが、素人的に考えるとそういう流れがよいかなということです)。「失敗する可能性もあるんですけど」的な弱々しいトリセツでは、「上手く行かんのちゃうか」と疑心暗鬼になってしまいそうです。ええ、ころっと騙されるくせに、妙に疑り深いところがある厄介な性格ですから。

でも、通常のcontextで使われる「achieves what it was intended to achieve」にはそのような含みはないような気がします。上手く行かない可能性がなきにしもあらずの状況でのsuccessというか。
なので、「無事に」や「首尾よく」を伴っても違和感がないような気がします。もちろん、前後関係にもよりますが。
でも、トリセツの「成功して当り前」の場合のsuccessfulに、失敗の可能性をソコハカとなく連想させる「無事に」は、やはりマズいような気がする。

というわけで、「成功して当り前」の操作と考えられるトリセツのsuccessful (successfully)には、「支障なく」「問題なく」「正常に」「順調に」などの訳語を選ぶことが多いです。

流れと状況がきちんと頭に入っていないと適切な訳語を選ぶことはできないので、一見簡単そうに見えて、実は奥深かったりするトリセツなのでした。やれやれ。
そのトリセツの終わりも見えた。ううっ、嬉しい。
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2017.06.26 23:33 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
このお話を書いた頃、私は、スティーブン・キングの「From a Buick 8」を聴いていました。ホラー風味の再生と成長の物語です。
読まれた方はご存じだと思いますが、この小説は、数名の登場人物が、自分の視点から目撃談を語る形になっています。Audio Bookでは、男女数名の朗読者が担当章を朗読する、という体裁を取っていて、ラジオドラマを聴いているような不思議な味わいがありました。
話者の視点が過去と現在を行ったり来たりするため、各章のタイトルが「NOW: XXXX(話者名)」「THEN: YYYY(別の話者名)」のようになっていて、次は同じやり方でお話を書いてみたいなあと思っていました。所詮二次小説なんで。項目タイトル記載方法のパクリくらいは、ま、えっかなと。

再掲するにあたり、原形を留めないくらい書き直しました(さわりの部分だけですけど)。
言葉遣いももちろんですが、どう考えても時系列的に「それはないだろ」みたいなことを書いていたりして。おそらく、「その方がなんかいい感じ」という理由で、深く考えずに言葉を繋いでいたのでしょう。
何となく、先日のシンポジウムの「機械的な翻訳と自分に都合がよく気持ちのよい勝手訳の中間に『よい翻訳』があり」の部分を思い出してしまいました。「自分に都合がよく気持ちのよい」の部分。でも、「気持ちがよい」だけだと「ホラ、ホラ、いいでしょ、この表現」という自己陶酔というか自己満足に陥ってしまうのだなあと、10年の歳月を経てしみじみと思うのでした。とはいえ、「きちんと正しく」だけだと無味乾燥な文章になってしまったりということもあり、「伝えたい」気持ちだけが先行しないように注意しながら文章を書くのは、翻訳に限らず、どんな文章でも本当に難しいと改めて思いました。

このお話は、10年以上前に、2040年くらいの近未来を想定して書いたものです。
当時はまだスマホは登場しておらず、ビデオ通話も(すでにある程度市民権を得ていたのかもしれませんが少なくとも私の周りでは)一般的ではなく、私は、移動手段の高速化が進むだろう、とありきたりの予想をしていますが、10年時点では大きく外していますね(2030年頃にはリニアモーターカーが開通している予定のようですが...)。結局、「今」の延長でしかものを考えられない人間ということなのだった。トホホ。2040年、どんな世界がくるのだろう。


***


NOW アメリカのどこか  デイビッド

 もう何時間歩いたろう。
 出発したときはまだ薄暗かったのが、日はもう中天にかかろうとしている。
 行く手を阻む崖に取りついてから、まる2日が経とうとしていた。


 以前偵察のためにこの地を訪れたとき、たまたま知り合った地元のガイドに、その山に登ろうと考えていることを冗談めかして話したところ、やんわりと、しかしはっきりと反対された。「でかいけものがよく出ますんでね。地元の人間は誰も近づきませんよ。自殺行為ですからね。旅行で来られた方が腕試しするような場所じゃありません」と、執ように少し東の別の山を勧められた。だが、私は彼が反対した本当の理由を知っていた。その山は人を喰うのだ。生命の欠片すら見当たらないその赤い岩山の向こうに何があるのか知る者はいない、はずだ。
 桃源郷があるという者もいたし、悪魔が住むという者もいた。いにしえの黄金を隠した洞穴があり、今は魂だけになった持ち主が番をしていて、近づこうとする者を取って喰うのだと、まことしやかに囁く者さえいた。
 そういう噂に惹かれ、私のように山越えに挑んだ者は十指を下らなかったが、その半分は行き倒れたのかそれとも魔物に喰われたのか二度と戻ってこなかった。残る半分は、何日も、時には何週間も経ってから岩山の麓で発見されたが、みな等しく入山してからの記憶を失っていた。
 ハイテク機材を装備した自家用ヘリを飛ばし、空から探索を試みたトレジャー・ハンターもいたが、戻ってきたヘリの乗組員たちも、同様に出発してからの記憶を一切失っていたという。
 不思議な出来事はしばらく前に止んでいたが、伝説や噂話の類いは残り、最近では岩山に近づこうとする者すらいないらしい。
 そうしたことを、私はすべて調べ上げていた。わたしの本業はジャーナリストだ。調べものはお手のものである。そして、私には、どうしてもすべての情報を得ておかなければならない理由があった。あらゆる準備を整えてその山に臨むために。


 真下に立って見上げると、赤い岩山自体はそう高いものではなかった。魔物伝説を身にまとい、来る者を拒むがごとく屹立しているので、「そびえ立つ」という表現が使われるようになったのであろう。いずれにせよ、父の話から、最初に岩登りをしなければならないことを予想してロック・クライミングの訓練を積んできた私には、その頂上に立つのはさして困難なことではなかった。

 頂上から見ると、絶壁の反対側はなだらかな下り斜面になっていて、中ほどから再びゆるやかな上りになり、そのまま尾根に続いている。そのあたりから、赤茶けた岩肌は緑に変わる。うねうねと続く尾根には霞がかかり、あまり先まで見通すことはできなかった。

 その日の晩は下り斜面の広い岩棚に簡易テントを張ってビバークし、翌日は尾根伝いに歩けるところまで歩いて、手頃な木の枝の上で一夜を明かした。その頃には、たけ高い草に行く手を阻まれ、時に藪こぎを余儀なくされるようになっていた。だが、これは悪い徴候ではない。父から「藪こぎに難儀した」という話を聞いていたからだ。

 3日目の朝、日が昇る前に再び出発して数時間、視界を覆っていた草木が少しまばらになり始めた。間違いない、この方向だ。もうすぐ会える。遥か昔、父が出会ったというその人たちに。


ONE YEAR AGO 東海岸  デイビッド

 父とはもう長いこと疎遠になっていた。大学2年の年に、ロボット工学を専攻させようとして譲らない父に反発し、ジャーナリズムをやるのだと宣言して勘当同然に家を出て以来だから、もう10年近く顔も見ていないことになる。

 その間に、働きながら、何とかそこそこ名の知れたジャーナリズム学科を卒業し、そこそこ大きな町の地方新聞社に職を得た。たいがいは記者として飛び回っていたが、最近では、主筆が休暇を取った折りなど、時折り論説文を任せられることもある。だが、もちろん、そんなちんけな新聞社で一生を終わるつもりはなかった。ジャーナリストの卵の例に漏れず、私も、いつの日か自分の名前で本を出版するという夢を暖めていたのである。


 勘当以来、家に足を踏み入れたことはなかったが、母とは時折り連絡を取り合っていた。
 父が、末期の癌であることも母からのメールで知った。ステージIVの癌が死病と呼ばれなくなって久しいが、それでも発見が遅れれば手の施しようがない場合もないではない。父がそんなケースだった。
 母は、メールで、父が死ぬ前に何とか和解してほしいと切々と訴えてきたが、家に帰るつもりは毛頭なかった。父は大変厳格だった上に、私を自分の思いどおりに育て上げようとしていることが感じられたから、勘当以前も親子の仲は悪く、「勝手に死ねばいい」くらいにしか思わなかった。---白状すれば、胸の奥の方にちくりと痛みを感じたのだが、私はそれを二日酔いのせいにして何とか意識の底に押し込めた。

 それから2週間ほどして、母が今度は、父が私に会いたがっていると言ってよこした。死ぬ前にどうしても話しておきたいことがあると言っている、というのだ。来てくれるなら、昔の自分の言動を土下座して詫びてもいいとまで言ったそうだ。
 あの父が土下座だと? たとえ太陽が西から上ってもそんな日は来るまいと思っていた。いったい何事だ。ジャーナリストの血が騒ぐ。
 私はその足でエクスプレス・フライトのチケットを買いに走った。東海岸から西海岸に1時間ちょっとで飛べるという謳い文句の、目の玉が飛び出るような値段のフライトだ。カードで支払いを済ませながら、自分から頭を下げるわけじゃない、父の方から折れてきたのだ。決して少しでも早く父に会いたくて高価なチケットを購入するわけじゃないと自分自身に言い聞かせる。だが、それが言い訳に過ぎないことは、自分が一番よく承知していた。

(後略)

「かくれ里伝説」(初稿2006年頃)
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2017.06.20 13:28 | 好きなもの・こと | トラックバック(-) | コメント(0) |
改正当初は「改正薬事法」と呼ばれ、その後「医薬品医療機器等法」と略されるようになった「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(2014年11月25日施行)ですが、今は通称「薬機法」まで短縮されているんですね(単にワタクシがリサーチを怠っていただけという説もある)。

2015年末に、「図解で学ぶ医療機器業界参入の必要知識」(じほう、2013年)を紹介したとき、「旧薬事法に則って書かれているけれど、図解が多くて分かりやすいし、『医療機器』業界を俯瞰するにはとりあえずこれでいいかな」みたいなことを書きましたら、その言葉を陰で聞いていたとしか思えないタイミングで、「医療機器開発ガイド」(じほう、2016年8月)という書籍が刊行されてしまいました。もちろん、改正薬事法準拠。本体価格5500円という、皆さまにお勧めするにはなかなか厳しいお値段。
そこで、FBで「ワタクシが人柱となり、内容をレビュー致しましょう」と宣言致しました。ええ、いちおー、「医療機器専従」を名乗ってますんで。
...というのが、昨年初秋の話。責任を取って(?)購入しましたが、「内容をレビュー」の部分は全力でスルーしました(ざっと目は通しましたけど)。当時の感想は「取りあえず持っていれば安心。いつかどこかで役に立つかもしれないし」でした。

そして先日、ついにその「いつかどこかで」がやってきたのでした。
詳細は書けませんが、QMS(Quality Management System)省令やGVP(Good Vigilance Practice)省令が関連してくる案件です。
で、お世話になりましたので、ちゃんとお礼をしなければ(=記事にしておかなければ)と思った次第です。

「医療機器開発ガイド」では、旧制度からの変更点も含め、これらがかなり詳しく解説されています。
目次(じほうのHPから)→
http://www.jiho.co.jp/shop/list/detail/tabid/272/pdid/48582/Default.aspx
GVPは5-5で、QMSは5-7~5-9あたりでかなり詳しく触れられています。

この書籍のありがたいところは、説明の途中で、「根拠法令、通知等」として、該当する法律や省令の番号と条項、通知の番号(薬食機発**などの番号)が記載されているところ。たいていの省令や通知はウェブ上で確認することができるので、省令番号や通知番号からの元文書探しが容易になります。若干の索引もあり。
「省令や通知を結構探しに行く」という方は、お手元に置いておかれてもいいかなと思います。


参考までに、日本法令外国語訳データベースシステムには、薬機法(改正薬事法)の対訳(暫定版)が収録されています。和訳の場合でも、用語の確認に役立ちます(ワタクシはPDFの日英交互版を使用していますが、好みの形式を選択することができます)。ありがたや、ありがたや。
http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail/?id=2766&vm=&re=

QMS省令とGVP省令は以下のとおり(日本語のみですが)。

QMS省令(厚生労働省令第169号)
http://www.hapi.or.jp/documentation/yakuji/pdf/koroshorei_169.pdf
GVP省令(厚生労働省令第135号)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H16/H16F19001000135.html
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2017.06.12 18:06 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(2) |
MなSayoなのだった。

今回の「一流」は通訳者のH本美穂さん。
先日「情熱大陸」で取り上げられたばかりですので、ご覧になった方も多いと思います。

外国特派員協会でのピコ太郎さんの通訳で一躍有名になられた方です。
(それまでもギョーカイでは名の知られた方だったのでしょうが、ワタクシは存じ上げませんでした<恥)

当日はバタバタしていて見逃してしまったので、MBSの見逃し配信のお世話になりました(探しに行く前にFBやTwitterでURLを教えてくださった皆さん、ありがとうございました)。
昨日1回見たのですが、打ちのめされる言葉があまりにも多かったので、今日もう1回見てそうした言葉を書き留めました。自分に甘く立ち直りが早いので、そのとき「大事」と思った言葉も書き留めておかないとすぐ忘れてしまうんですよね。
ということで、今日の記事は、概ねあとで自分が読み返すためのものです。ご容赦ください。
カッコ内はTVナレーションやシーンの説明など。それ以外はH本さんの言葉です(いちおー一時停止して書き留めていますが、ところどころ言葉どおりではない箇所があります。また、基本的に常体に直して記載しています)。


(ピコ太郎さんやふなっしーの通訳の映像が流れたあと、H本さんの哲学として)
お客さまの代弁をしに行っているのだから、お客さまになりきらなければならない。
つまり、お客さまの価値観を瞬時に吸収して言葉に反映していかなければならない。

(IT企業の会議通訳の場面。同企業社長の言葉)
彼女の通訳はストレスがまったくない。「本当にちゃんと伝わっているのか」という心配がない。

(プレゼンテーション通訳の場面。一人で機材をセットしていく。資料や手書きのノートがすごい。もっとゆっくり映して~。ナレ「(話者の)表情を見ながら強調すべき点を把握していく」)
(帰りの車の中?)
通訳は一人でやる仕事だから、お客さまが「よかった」「駄目だった」と言ってくれることはあるけれど、基本的には誰も何も言ってくれない。
自己批判精神を保つことが大事。「やったー」みたいな自己満足が一番危険。

(資料の読込みは場所を問わない。息子の習い事の待ち時間にも資料に目を通す。「集中できるのか」と問われて)
できる。静かでないと、条件が整わないと頭に入らないとか言っていると、いつまでも条件は整わない。雑音を押し出す力で集中する。

(通訳時に頭の中でどのような作業を行っているのか問われて)
まずリスニングした音を理解しないと意味がない。理解した内容をイメージとして記憶する。日本語と英語は語順が逆なので、聞こえてきた順番に文字を変換すれば訳せるというわけではない。英語と日本語の世界の間に非言語地帯(イメージ?)がある。

(仕事は30~40本/月。テーマや場所に応じてファッションにも気を配る。通訳者は「くろこ」と考えおとなしい服が多いが、着心地にはこだわる)
相手に与える印象を考える。たとえば少し着心地が悪いと、どうしてもそこに手がいってしまう。服に触っていると、通訳者は焦っているのか?などと思われる。
きちんとしていて、安っぽくなく、華美ではない衣装は難しい。
(ナレ「理想は、存在を感じさせない通訳のようだ」)

(若手通訳者の勉強会で、「インド英語が聴き取りにくい」との相談を受けて)
覚悟して、そういう英語だと認める。拒否反応を感じている時点で耳が反応していない。コミュニケーションはお互いの理解だ。

(小学生で渡米したとき、何と言ったかは忘れたがトイレに行きたいと伝えたら、先生がちゃんとトイレに連れて行ってくれた。その体験が原点)
自分の思った言葉をクリアに相手にそのまま伝えられる気持ちよさ、意思伝達の気持ちよさを感じてきた。

(海外投資家向けのコンベンション会場で、H本さんが通訳した台湾投資家の感想から)
コンパクトに通訳してくれたので、考える時間もあった。

(最後は月2回通うという鍼灸院の場面。頭を空っぽにできる1時間だという。喋りすぎて口が動かなかったが)
これでまた頑張れそう。

*普段の生活を切り取ったシーンもありましたが、通翻関係の語録に絞り、ここでは割愛しました。


感想(の一部)

*通訳について(あくまで通訳シロウトの感想です)
早口の場面が多かったのですが、滑舌がよく日本語は日本語のリズムで、英語は英語のリズムで話され、適度な間もあるので、どちらもとても聞き取りやすかったです。IT企業社長の「ストレスがない」、台湾投資家の「コンパクトで考える時間があった」という感想も、ここから来るものなのかなと。多少は小学生時代の在米体験も役立っているでしょうし、適性もあったかと思いますが、相当な努力をされたに違いないと思います。

*通訳と翻訳について
「イメージ」という言葉を使っておられましたが、それはそのまま「絵」や「景色」と言い換えることもできると思いました。2つの言葉の間に立つ者としての基本的なスタンスは同じなのだと。

*ぐさっときました
「自己批判精神を保つことが大事。『やったー』みたいな自己満足が一番危険」
ワタクシは「自分結構やるかも」と「自分いつまでもダメ」の間をいったりきたりすることが多く、その意味では「自己満足度」はそんなに高くないと思うのですが、「自分いつまでもダメ」というのは、ジツは単なる落込みに過ぎなくて「自己批判」ではないんですよね。「自己批判」というのは「自分のここがこんな風に駄目、そこを改善するにはこういう方策が必要」と冷静に分析できる能力なのだと...よく考えれば分かるのですが、普段はつい無駄に「できるかも」「駄目なヤツ」を繰り返してしまいます。自己批判、(とりあえず今は)心に刻みました(今は<しつこい<自分)。
「条件が整わないと頭に入らないとか言っていると、いつまでも条件は整わない」
だから、いつまでたってもできない、というか「今は無理だから」や「今は時間がないから」を言い訳にしていることの何と多いことか。ちょっと、本気で色々改めようという気持ちになりました(取りあえず今はなってます)。

*H本美穂さん
いつも全力疾走しているというイメージです。自分にはここまで疾走するのはやっぱり無理だな~、というのが正直な感想(そこが一流との違いなのでしょう)。
とはいえ、「ぐさっ」の部分は大事にして、Slow runnerなりに少しだけペースを上げて走ってみたいとも思いました。でも、毎日を丁寧に。全力疾走という言葉は細部を疎かにするという印象を与えてしまう恐れがありますが、H本さんは、全力ながらも丁寧に走っていらっしゃる(という言葉はちと変ですが、許されよ)という印象でした。
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2017.06.07 23:19 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
Q&Aコーナーでは、質問はジツは12個ありました。
2つは、いろいろ意見が出そうな質問ということで、「回答は後日別の形で」ということになりました。

1つはすでに半死の脳がついていけず書き漏らしてしまったのですが、もう1つは
「さまざまな理由から初心に返りたいときに立ち帰る書籍、先達の言葉などありましたら、その理由とともに教えてください」
というものです。
...ジツはワタクシが書きました。

フォーラムの4名は、もうそれぞれが「先達」の域の方々ですので、そもそも初心に返る必要などないかもしれないのですが、それでも皆それぞれに初心者時代というのはあったわけで、もしかしたら密かに大事にしている言葉や読み返す書籍などがあるかもしれないと思ったのですね。

質問に対する答えは、また後日、どこかで何かの形で披露して頂けるかもしれません。
「おまけのおまけ」では、質問の責任を取りまして(??)、ワタクシの「そんなときに訪れる場所」を記しておきたいと思います。

ワタクシは、流されやすく影響されやすいヒトなので、ふと気づくと仕事にどっぷりはまって「わー、目の前しか見てないわ-」なんてことはザラです。
なので、定期的にブログに「これではいかんぞ、自分」的な記事を書いて自分を戒めるようにしています。

遡ってみましたら、前回の記事は2月でした→「基本に還る」。
...3ヵ月しか経っとらんやないか<自分。
(蛇足ですが、「屋根裏」では「<」方向の不等号は、基本自分へのツッコミを意味します)


「翻訳事典」(2017版)「わたしの提言」(井口耕二)は、特に「目標をみすえてすすむ」の部分を読み返して、「自分の進みたい方向」を再確認するという感じです。

「誠実な裏切り者-岩坂彰の部屋」については、以下にURLを記しておきます。
http://aiwasaka.parallel.jp/

翻訳が伝えるべきもの
http://aiwasaka.parallel.jp/webmagazine/WEBマガジン出版翻訳 岩坂彰の部屋-翻訳者が伝えるべきもの.htm
翻訳の新たな規範とは
http://aiwasaka.parallel.jp/webmagazine/WEBマガジン出版翻訳 岩坂彰の部屋-翻訳の新たな規範とは.htm
誠実な裏切り者
http://aiwasaka.parallel.jp/webmagazine/岩坂彰の部屋│e翻訳スクエア第50回%20誠実な裏切り者.htm

この他に、今回のシンポジウムの題目が「意訳と直訳」であると分かったときにGoogle検索をしていてたまたま見つけた以下の記事も、(現時点での)「還るところ」に追加しておきたいと思います。

誤解されやすい翻訳業界の常識-訳文に、翻訳者の解釈を入れてはならない
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2005/07/post_82f2.html

これも井口耕二さんが2005年に書かれた記事なのですが、この中の「『完璧な解釈・理解などできない』、つまり自分の知識や経験に不足があることを肝に銘じて、調べ、勉強し、少しでも深く解釈・理解する努力をする。プロ翻訳者として、これ以外の道があるとは私には思えない」という言葉は、今も色褪せないのではないかとワタクシは思います。

一連のブログ記事は、時間にも気持ちにも多少の余裕があるときに読み返します。
それぞれ内容が濃いですし、ワタクシは決して「目から鼻へ抜ける」タイプではないので、「結局行き着くところは同じではないのか」に辿り着くまでそれなりに時間がかかるのですよね(恥)。

こうした基本の上に立って、「原文解釈能力を養う」側のひとつの方法を示されたのが、今回のシンポジウムの「アウトラインで読む」、「日本語運用能力を強化する」側の一方法を示されたのが、同「述語から読む・訳す」であったと考えています。「辞書の話」部分は、それぞれの能力を高めるための武器にあたるものなのかなと。


今度こそ「シンポジウム」関連の記事は終わりです。
来月からはまた「週1回の更新を努力目標とする、基本ユルめのブログ」に戻りますが、たまには覗いてやって頂けると嬉しゅうございます。
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2017.05.30 19:31 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |