屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


[5月26日追記]

言葉を扱われる方やそれ以外の方から、いくつか反応を頂きました。
・・・というか、Twitterですが・・・
おおむね、揶揄するような内容や「よう分からんくせにええ加減なこと言うな」(←強い口調にまとめてみるとこんな感じ)的な内容でした。
記事やブログが名指しされた訳ではなく、私が疑心暗鬼になっただけのものもあり、前後の内容から、おそらくこの記事のことだとかなり高い確率で断定できそうなものもありました。
が、凹んでしまうことに違いはありません。文章全体ではなく、ひとつの言葉だけが心に刺さったものもありました。
Twitterは覗きにいくもんやない。

で、自分の記事を、丁寧に読み返してみました。

1つ。
私は記事を書くときは、結構時間をかけます。書いては書き直しを繰返し、不適切な表現や人に嫌な思いを抱かせる言葉がないかどうか、気を配っているつもりです・・・いえ、つもり、でした、が正しいのかも。この記事についていえば、普段よりかなり長い上、近日中に参考書籍を図書館に返却しなければならないということもあり、多少焦って書き、再読もおざなりになってしまったことは否めません。そのため、言葉を選ぶ際、少し吟味が足りなかったり、舌足らずになったりした部分もあるかもしれません(本文を再度読み直し、微修正しました)。ただ、文全体として「今考えていること」であることに変わりはありません。

2つ。
本ブログを始めたとき、私は「自分の考えていること、使ってよかったもの、勉強してためになったもの、読んで面白かった本」などを、「私の場合はこうでした」というスタンスで記事にしていこうと決めました。書きたいことは書くけれど、それ以上のことは書くまい。
でも、年月が経ち、同業の知合いも増え、そうした方たちとの交流も盛んになってくると、自らを「平凡ないち翻訳者」と呼び卑下する振りをしながらも、無意識のうちに、「自分をあるがまま以上に大きく見せたい」「力量があるように思って貰いたい」という欲が出てきてしまったような気がします。それが結実(でいいのかな?)したのが、今回の記事だったように思います。記事にできるほど色々なことはきちんと分かっていなかったし、では、実際問題として業界で生きていくために「自分なら」今どうするのかという視点も欠けていたと思います。それなのに、偉そうに上から目線になっていたと思います。恥ずかしいです。その点が、気に障り、嫌な思いをされた方もあるかもしれません。すでに感じた「嫌な思い」を消すことはできませんが、もしもそのような方がおられましたら、私の思い上がりのために不快な思いをさせましたことをお詫び致します。
そんな訳で、恥さらしな記事、記事ごと消してしまうこともできたのですが、「今思うこと」を書いているのは事実ですし、今後、初心にかえってもう一度等身大の記事をかくための、今後の自分への戒めてしてもこのまま置いておこうと思います。


以下、投稿時の本文(一部修正)

参考にした書籍:
「AIの衝撃」(小林雅一)
「クラウドからAIへ」(小林雅一)
「東大准教授に教わる『人工知能って、そんなことまでできるんですか?』」(塩野誠/松尾豊)

この頃、「将来、(機械翻訳により)翻訳者は不要となる(かもしれない)」という物騒な話を耳にすることがある。将来って、いつなんだろう?
「日本語はファジーな言語だから、当面、翻訳という仕事がなくなることはない」と仰る方もある。当面って、どのくらいの期間なんだろう?
「機械翻訳にはそこまでのこと(=人間と同等の翻訳)はできない」という意見もある。これからずっと、本当にそうなんだろうか?
さらには
「機械に置換されない翻訳者を目指して実力をつけよう」という声もあるけれど、それって、いったいどんな翻訳者なんだろう?(の部分は、まあ、自分で考えなければならないことなのだと思いますが))。

ということで、「よく分かんないけど、今のままで大丈夫?」と思っていらっしゃる方も多いのではないかと思います。ワタクシも思います。チェスも将棋も囲碁も、AIに負けたしね。ただ、ワタクシ自身は(翻訳者としては)老い先短い身ですので、「そーなったら、止めりゃーいいじゃん」と思っている部分はあります。ありますが、できれば、自分なりに将来を考えた上で、できるだけ長く、やりたい仕事がやりたい。というこことで、少し真剣に考えてみました。

私たちは、将来、AI搭載の機械翻訳と伍していかなければならないと思うのですが、「置換されない翻訳者」を目指すには、まずはAIのことを多少は知りたいということで、上記の3冊を斜め読みして、基本的な知識を頭に入れまし(入れる努力をしました)。その後、ワタクシなりに、「では、どの部分でヒトは機械より優れているのか」を考えてみます。おおむね15~20年くらい先を想像してます。

本記事は、あくまでも現時点での考えで、今後、もう少し理解が深まったり翻訳を取り巻く状況が変わったりすれば、多少変わることもあるかもしれません。
また、ワタクシは基本和訳翻訳者ですので、対象として頭に思い描いているのは「英→日」方向の翻訳です。


じゃ、いきますよー(いつものように、前置き長い)。

ワタクシも正確に理解できたとは言い難いのですが、多少強引にまとめてみると、「AIでは、ディープ・ラーニングという手法を用いて大量のデータを解析することで、どんどんハイレベルの判断ができるようになった/今後も進化は続く」「インターネットの発達によって膨大な量のデータが手に入るようになった現代では、AIの『学習』速度も驚異的に向上している」というのが現実のように思います。
現在用いられているもの以外にも、自動運転車、災害救助、介護など様々な分野での実用化が研究/検討されているようです。

上記の書籍には、興味深い箇所が何ヵ所もありました。いくつか上げてみます(順不同)。

・機械翻訳技術開発中に、機械にまず英語と中国語を学ばせ、ある程度語学力が上がったところで新たにスペイン語を学習させると、英語と中国語の語学力も向上した。

・2013年に「現存する職種の47%がAIに奪われる」とする研究結果が発表されたが(危険性を定量的に採点した)、702種類の職種のうち、ワースト3(奪われる確率が高い)は、電話販売員、データ入力、銀行の融資担当者、ベスト3(確率が低い)は、医師、小学校などの教師、ファッションデザイナーという結果だった(翻訳や通訳はどちらの10位までにも登場せず)。

・事故回避時など極限状態における優先順位を自動運転車のAIに判断させるのは極めて困難。

・IA (intelligence assistance)とAI (artificial intelligence)の逆転-20世紀後半から最近まではツールとしてのコンピュータの進歩(マウス、ツールバー、プルダウンメニュー、GUIなど)の方が優勢だったが、プロセッサ速度の向上やビッグデータの登場を追い風に、ここにきて、AIを中心に据えたビジョンの方が優勢になりつつある。


確かに、論文の抄録などをGoogle翻訳にかけて「はあ?」という結果が表示されるのを見れば、「いやいや、機械翻訳まだまだだよね」と思わないでもありませんが、最初のヒトゲノム解析に13年掛かっていた(1990年~2003年)のが、2014年1月には3日以内に解析が可能となり、現在では「数時間以内に解析する」ための研究が進められているという現実をみれば、そう安穏ともしていられないような気もします(まあ、最初の解析では、「どう解析する?」の研究から始まったことも加味しなければなりませんし、遺伝子と言語を一緒くたにすることもできないとは思いますが)。
それから、「超優秀な翻訳用AIが一般企業でもそれなりの価格で利用できるようになるのはいつか」という実用化の問題もあるのかなとも。

では、「機械翻訳」がそうやってどんどん賢くなっていっても、ヒトとして譲れない部分はあるのか?

それはやっぱり「判断」の部分なのかなと思います。
もちろん、ある程度の判断はAIがするようになると思います。1つの英単語を文脈によって訳し分けるということも、前後の単語との関連で「この場合はこう訳している」という膨大なデータが手に入れば、将来のAIなら、ある程度できるようになるかもしれません(それだけのAIが実用化するのがどれくらい先か、ということは、何とも言えませんが・・・)。
ただ、文書全体を俯瞰し、作成者の全体的な意図を読み取り、対象読者を考慮し、「全体をこのToneで訳す」ということを決め、訳語として複数候補がある場合は、先に決めたToneに即したものを使用する、ということは最後まで人間の手に残るのではないかと思います。文や文節単位ではきちんとした訳文は作れても、全体の流れを理解しそれに沿って全体を適切に訳すということは、将来のAIにもなかなか困難なのではないかと(ワタクシが理解したと錯覚している「AI」について考えれば、てことですが)。

だから、翻訳者として生き残ろうとするのであれば、「全体として、その文書の持つ意味をぶれずに適切な言葉で伝えられる翻訳ができる」力は蓄えておく必要があるのではないかと思います。少なくとも、ワタクシは、そこは覚えておきたい。

・・・というのは、理想論かもしれません。
実際問題としては、AIによる翻訳の質が飛躍的に向上した将来において、それ以上のヒトによる翻訳を必要とするクライアントが、実際どれだけ存在するかという現実も直視しなければならないだろうなあ、という気もします(必ずしもクライアント=最終対象読者ではありませんし)。その点を考え出すと、「じゃあ、そういう現実の下で生き残るにはどうすればよいのか」という話になり、正直なところ、ワタクシには、自分の中でも、その点はまだうまくまとめられていません。そうした未来では、一部翻訳エージェントさんでは、その仕事内容も大きく様変わりしているかもしれませんし。

でも、どんな時代がきても、何らかの形で翻訳に携わろうとする限り、最後に自分を助けてくれるのは、他の多くの分野についてもそうであるように、やはり「確かな基礎力」なのではないかと思います。それは、「この場合はこの単語を選ぶ」という知識の集積ではなく、「この基準に拠ってこの訳文を作る」という判断が正しくできる力なのではないかと、今はそんな風に考えています。そういう土台の上に、日本語(英訳の場合は英語)運用能力だったり、英語(日本語)読解力だったり、専門知識だったりを積み重ねていくしかないのかなと。

尻切れトンボ気味ですが、今日のところはこのへんで。
2016.05.25 21:38 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(4) |
参考にした資料&URL
「図解で学ぶ医療機器業界参入の必要知識」(じほう 2013年)
PMDAの該当ページ HOME URL
医療機器センター e-learning URL
MEDIC 医療機器開発支援ネットワーク HOME URL


こんなワタクシでも、「医療機器翻訳者です」と言うと、「今後成長が見込める分野ですか」的なことを尋ねられることがあります。

たいていは、「あくまでも個人的な感触」と断って、「ムック本などにもそのように書かれていますし、今後も健康や医療に対する関心が薄れることはないでしょうから、全体的な翻訳需要が大きく減ることはないと思います」と答えているのですが、今日は、ワタクシの分かる範囲で、も少し真面目に、「医療機器」という翻訳分野について考えてみたいと思います(とここまで書いただけで、真面目な書出しにすでにバテ気味<最後は尻すぼみになってしまいましたが、Figure Skate観戦の方も忙しいので、許してやっておくんなさい)。

流れとしては、「今後も堅調ちゃうか」 → 「和訳と英訳で、傾向的なものがあるねん<たぶん」 → 「政府が力を入れとるようやけど、今後の和訳と英訳はどんな感じやねん」を、あくまでも勝手にまとめてみました、という感じです。


生老病死はワタクシたちの大きな関心事ですから、それらに関わる医療分野の翻訳については、(医療分野内での変動、というのはあるかもしれませんが)ニーズの増加はあっても減少はないと思います。

翻訳対象として考える場合、医療分野は、大きく(&かなり乱暴に)製薬関連、医療機器関連の2種類に分けられます(今後、新たに再生医療が3本目の柱となる可能性がありますが、再生医療については、メディアや雑誌から得られる程度の一般的な知識しかありませんので、本記事では扱いません)。両方の分野をこなされる翻訳者の方もおられますが、ワタクシの知る限りでは、皆さん、優秀で情報アンテナの精度も高く、常に勉強を怠らない方々ばかりです。なので、両分野でそれなりに重宝される翻訳者を目指すのであれば、かなりの努力が必要になるかなと思います。


医薬品と医療機器の市場規模はどうなのか、と言いますと・・・

2010年のデータですが、世界市場における医薬品と医療機器の市場規模の比率は、8:2です。
ただし、「種類」という点から見れば、医療機器の種類の多様性は医薬品を大きく凌駕しています(30倍弱という資料もあり)。
 * 医療機器の市場環境については、MEDICさんのコチラのページが大要を掴みやすいかなと→
 http://www.med-device.jp/html/state/market-environment.html

こちらでは、国内市場は輸入超過になっていますが、ペースメーカ、人工関節、歯科インプラントなどの生体機能補助・代行機器は輸入超過、CTやMRIなどの画像診断システム、臨床化学検査機器などの医用検体検査機器は輸出超過です。前出の「図解で学ぶ医療機器業界参入の必要知識」には、後者(輸出超過分野)については、生産の7割近くを輸出していると書かれています。
翻訳対象として考えた場合、(あくまでも比較的、てことですが)輸入超過の製品群では、英日翻訳が多く、輸出超過の製品群では日英翻訳が多くなるかと思います。


さて。
翻訳という点からは、医療機器を政府承認を必要とするものとしないもの、の2種類に分けるのが分かりやすいかなと思います。
承認を必要とする医療機器では、日本国内では厚労省の承認が(審査業務はPMDAが代行)、米国ではFDA承認が必要で(欧州では、CEマークを取得し、適合宣言をすることにより、上市が可能となります<まだイマイチよく理解できていないので、ここはあまり突っ込まないでやってください)、そのために大量の資料の翻訳が発生します(と思われます)。

国内の市場についていえば、医療機器は、(おおむね)不具合が生じた場合の人体へのリスクに応じて、I~IVの4クラスに分かれていて、数字が大きくなるほどリスクが高く、たとえば、クラスIVの機器は、「患者への侵襲性が高く、不具合が生じた場合、生命の危険に直結するおそれがあるもの」と定義されます。クラスIII、IVの機器(改正後の医薬品医療機器法ではIIIの一部とIV)については、PMDAの審査/承認が必要となります。機器自体がどれだけ複雑であるかということよりも、人体とどのように接し、どれだけ血液や体液に触れ、どのような生体反応を惹起するか(しないか)の方が問題となります。

たとえば、医用検体検査機器である血球分析装置はクラスI、画像診断システムであるCTやMRIはクラスIIに分類され、ともに承認は不要ですが、人工関節、コンタクトレンズ、歯科インプラントなどはクラスIII、ペースメーカ、植込み型補助人工心臓、カテーテルやステント(III又はIV)、脳動脈瘤用クリップ、人工心臓弁(←「下町ロケット」後半はコレよ、コレ)などはクラスIVに分類され、承認が必要となります(改正法の下では、一部承認が不要となる可能性あり)。

クラス分類に興味のある方は、分類表をご覧ください(ただし、老眼には優しくない)→
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/24267/00165601/classlist.pdf
PMDA画面上でも、クラスを確認することができます(名称入力の必要あり)→
http://www.std.pmda.go.jp/stdDB/index_jmdn.html

補助人工心臓、ステントグラフト、人工関節等については、国内メーカ製造のものもありますが、輸入超過と述べたとおり、海外メーカのものがほとんどです。
ということで、ざっくり乱暴にまとめると、クラスIII、IVの(外資系企業)製品では、PMDA承認関連の英文資料の和訳案件が多く発生すると思われます。

では、画像診断システム等の海外輸出時に、FDA提出資料は発生しないのかといえば、必ずしもそうとは言えず、クラスII機器*については510k(市販前届)の提出が必要となります(ので、たぶんそれに伴う各種資料の英訳も)。
なので、日本製の大型医療機器については、おおむね510k用資料や膨大な量の使用説明書の英訳案件が多いのかなと、個人的には思っています。
これは、あくまでウエブページや紙版資料のみに基づく机上の類推で、実務は経験がありませんので、「ほおお、そんな感じかい」程度で流して頂ければありがたく存じます。

* 米国では医療機器はI~IIIの3種類に分類され、クラスI機器は510k免除、クラスII機器は510k届出、クラスIII機器は市販前承認申請要となります。510kは、ざっくり言えば、「米国で上市済みの同種製品と同等以上だよん」ということを証明する届です。

FDA画面上でも、クラスを確認することができます(名称入力の必要あり)→
https://www.accessdata.fda.gov/scripts/cdrh/cfdocs/cfpcd/classification.cfm


で、えーと、何でしたっけ。「今度の動向的な?」でしたね。

経済産業省は、輸入超過の現状に鑑み、日本メーカの優れたものづくり技術の医療機器分野への応用を勧める医工連携事業化推進事業を打ち出し、実際、一定の成果も出ているようです(経済産業省の政策に興味のある方は→
http://www.med-device.jp/html/state/policy.html)。

この動向自体は、医療機器翻訳者としてはありがたいものなのですが、高度管理医療機器(III&IV)では、精度はもちろんですが、それ以上に「生体と長期間接触させても悪させえへんで」ということがとても重要になりますので、個人的には、中小メーカや医療現場に(ここでは主に医師や研究者とお考えください)、医療機器という特殊な機器の開発製造、さらには、PMDAやFDAの承認申請についてのノウハウがあるヒトがどれだけおるんやろ、ということが不安ではあります。

外資系企業は、医療機器メーカとして大手の企業も多く、多くの場合、ひとつの企業が、循環器、整形外科、脳神経外科、医療用消耗品など複数の事業を展開しています。このため、承認申請も含めて「医療機器を開発・製造・販売する」ノウハウの蓄積も大きいのではないかと思います。
対して、国内企業は、大手メーカの一部門として「医療機器部門」が存在するというケースがほとんどです。技術力は高くとも、「医療機器製造」という点では、まだ外資系企業の後塵を拝する部分も多いのではないかなあと、素人は考えるわけです。そこに、新たに参入しようというのですから、医工連携の体制が整い、高度管理医療機器を「輸出超過」の状態に持って行くまでには、まだ暫く時間が掛かるのではないかと、個人的には思っています。


というわけで、英訳より和訳が好きなワタクシの個人的願望も含め、「当面現状維持」と今後の動向を占ってみました。
ただ、「当面」というのがどれほどの期間になるかはなんとも言えません。

ワタクシは、「もう和訳ひと筋で朽ち果ててもいいぜ」という年齢なので、希望としては、和訳者のまま朽ち果てたいですが、別に「特に英訳が嫌い」というわけではありませんので、一応、日々、脳細胞の老化を遅らせる意味もこめて、仕事以外の英語をインプットし、たまにアウトプットもして、有事(?)に備えています。ただ、もし、あと15歳若ければ、今後の業界の動向を考慮し、現在の「植込み型機器」(クラスIII又はIV)中心という状態を維持したまま、実際に英訳案件の比率をもう少し上げていく方法を模索したかもしれません。
2015.11.08 00:19 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(0) |
少しばかり目を引くタイトルですが、いつもように、タイトル負けのしょぼい内容でして、
なおかつ「専門分野はこうやって作っていこう!」的内容でもございませんので、
(屋根裏では基本的に自分語りしかしません)
そのような心準備で、ひとつ宜しくお願い致します。


「専門分野」について考えたきっかけは、先日のJAT京都でのランチ。
話の流れで「専門分野」の話になったとき、私はぱっと「循環器」だの「整形外科」だの器官系や診療科を思い浮かべたのですが、「○○領域」と大きなくくりの疾患名を挙げられた方もおられました(製薬分野を主にされる方でした)。
また、別の機会に同じような話題が出たとき、「専門」として、主に取り扱う文書の種類(論文、治験関連書類など)を挙げた方がおられました。

そのときフと思ったのが、「専門分野」と聞いてぱっと思い浮かべる内容って、もしかして、人によってビミョーに違うかも、ということ。
あくまでも、医療分野に限った話ですし、どの「専門分野」解釈が正しいとか正しくないかとか、そういうことではありません<念のため。

翻訳経歴書などで、自分をアピールする必要が生じた時は、狭くなりすぎない範囲である程度分野(とりあえず「分野」という語で括っておきます)分けし、順番も考えて記載した方が方がいいのかも、と思った次第です。
これまで、無意識のうちに概ね分野分けはしていましたが、書く順番まではあまり考えていなかったかも。

ということで、Sayoを例にとって、(書ける範囲で)翻訳経歴など書いてみました。
(概ね事実に沿っていますがが、ビミョーに改変している部分もあります。ご了承ください。)

***
医療機器、医療機器を使用しての外科手技 (1)
循環器系(主に植込み、留置医療機器)、整形外科(人工関節、脊椎治療)、歯科(インプラント)での経験豊富 (2)
非臨床、臨床どちらも対応可能 (3)
報告書、治験計画書、論文などを主に扱いますが、MRや患者を対象とする、多少柔らかめの文章も得意です (4)
解剖学・生理学は基礎をきちんと学んでおりますので、上記以外の分野の翻訳も、脳神経外科など、内容により幅広く対応可能です (5)
***

ワタクシの心情的にはかなりの誇大広告で、個人的には「経験豊富」や「得意」の語を使うのは気が引けますし、蕁麻疹出そうなのですが、そこは翻訳経歴書、ある程度の強気は必要です。
それでも、小心者なので、1回しか経験していない分野/文書は「など」でぼかすかOmitするなどしています。

(1) まずは広義の対象分野から。医療機器のみではなく、外科手技の翻訳にも対応しまっせと言いたかったので、このような表現に。
(2) ワタクシの考える「専門分野」は、やはり、器官系、診療科なので、まずはそこから。一番やりたい分野順。
(3) 「非臨床」には、細胞や動物を扱う試験が含まれる訳なんですが、このように書くことで、「非臨床/臨床の違いを分かって訳せる人らしい」感を地味にアピール。
(4) その後に慣れた文章の種類。「分かりやすい言葉に噛み砕ける案件」も結構好きなので、地味にアピール。
(5) 今後の分野拡大も踏まえた記述。「基礎はやってるよ~ん」と明記しつつ、「内容により」と逃げ道を作り、「脳神経外科など」と、今後やってみたい分野を地味にアピール。

(<地味にアピールばっかかよ<自分)

誇大広告とは言っても、「この内容に対応する案件であれば、それなりの成果物が納品できる」ものしか書かないようにしています(根が小心者なので・・・もありますが、1回お仕事は頂いたものの、その後「あんな風に言ってたけど、全然たいしたことないじゃん」と2回目以降仕事がこない/やりたい系に進めない、という事態は避けたいです)。
コーディネータの方からみれば、もしかすると、多少物足りない感があるかもしれません。

「戦略的」という言葉は個人的にはあまり好きではないのですが、仕事をする上では、ある程度の年月が過ぎたら、「今後こういきたい」という専門分野についての方向性があれば、その方向に持って行けるような方法を考えることも大事かなあと思います・・・とか言ってるわりには、いつものようにしょぼい内容でホントすいませんです。
2015.10.16 12:47 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(0) |
効率や無駄のことばかり考えている自分に気づいた時。
自分のために割ける時間がたくさんあったはずなのに、1日だらだら過ごしてしまった時。
今いちピンとこないけど、「間違いではないのでこの訳でいいか」と思ってしまう時。
興味が湧かない案件を引き受けてしまい、ついつい「やりたくね~」と思ってしまう時(注:その案件を引き受けたのは自分です)。

そんな自分に気づいた時は、タイトルの言葉を思い出すようにしています。

私は、英語の意味するところをきちんと日本語にしたい。
「ぴったりの日本語で表現したい」
というところから、私の翻訳修行は始まったような気がします。
諸先輩方と交流させて頂く中で、影響を受けた部分も多いですが、
この基本は変わっていない、そう思います。

そうだったよね。忘れてないか<自分。

年収や単価UPや望まれる翻訳者、といったものは目標ではあっても理想ではない、と私は思います。もちろん、理想はある意味霞と同じで、それを喰って生きてはいけませんから、実際的な目標を設定し、その目標を達成するために戦略も練らなければなりません。そのために効率化を図る、無駄をなくすということも必要になってきます。
それでもやはり「はじめに理想ありき」で、目標が変わり、或いは現在の方法に行き詰まり戦略を練り直す必要に迫られても、ブレない「理想」というものは忘れず持っていたい(実際問題として、現実との折合いも求められますが)。理想から遠いところに目標があると、心が苦しいばかりになってしまうのではないかと思います。あくまで、自分の思うところですが。

退職前の旦那や、様々な理由から「辞める」という選択肢すら持てずにいる方々を間近に見てきて、休眠期間がありつつも、20年以上、好きな道で理想を追求できる人生が送れているということが、それだけでどんなに幸せなことかとしみじみ思う今日この頃です。

だから私は、色々な意味でダレ気味な時、「自分は何のためにそれをしたいのか」がよく分からない、或いはそこから目を逸らそうとしていると感じた時は、自分の理想に立ち返るようにしています・・・ ・・・と鋭意努力します(努力かよ<自分)。
2015.02.21 14:49 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(0) |
という言葉を私もよく使い、同業者の方が使われるのもよく耳にするのですが、
では、「その『品質』とは完全に同じものをイメージしているのか」と考えると、
「なんか違う・・・ような・・・」ということもあります。

翻訳者の考える翻訳の「品質」に大きなばらつきがあってはもちろんマズいのですが、
最低限の了解事項というか「あるべき品質」というものがあって、
そこから先は、その人の考える「品質とは何ぞや」には微妙な違いがあるのではないか、
この頃、そんな風に考えるようになりました。

実は、ワタクシ、恥ずかしながら、イメージとして頭の中にあるソレを
すぐにきちんと言葉にすることができなかったのでした。
というか、どうしても、抽象的な言葉になってしまうというか。
という訳で、この暑い中、干乾びた脳味噌を絞って少し考えてみました。

基本的な「あるべき品質」を備えた成果物(訳文)は、
‐納期通りに提出された、
‐指定の書式・表記方法の守られた、
‐文単位の抜けのない、
‐書かれていることが理解できる(文意が不明なまま翻訳していない)
訳文であろうと考えます。

当たり前っちゃ当たり前のような気もしますが、
最後の「文意が不明なまま翻訳しない」ために苦しむことは結構あります。

転記間違いやスペルミスは、もちろんあってはならないものとは思いますが、作業者が人間である以上、チェックを重ねてもゼロにすることはできないし、ツールの助けを借りたとしても、やはり完全にゼロにすることはできないのではないかと考えましたので、My「あるべき最低品質」基準からは除外しました。

これらの「基本品質」を満たした上で、では「高品質」とは何かを考える時、
(あくまで脳味噌の溶けたワタクシの考えるソレです)
対翻訳会社では、「後工程で最低限の作業しか発生しないもの」

具体的には、
‐ケアレスミスの修正・訂正の少ないもの(転記間違いやスペルミスはここに入ります)
‐間違って文意を解釈している場合はゼロではないとしても、自分の中で何らかの結論に達した上で翻訳を行っており、根拠や解釈に自信の持てないものについては、その解釈を採用した根拠をコメントに簡略にまとめてあるもの
です。

対クライアントでは「成果物の文書の種類に応じた文体で、適切な訳語を用いた翻訳がなされているもの」

具体的には(・・・て、あんまり具体的じゃないんですけど)、
‐修正が少なく、
‐専門家が読んだ時、選択語句等の間違いが「これはあのこと(言葉)を指す」とすぐに分かるもの

あくまでワタクシの考えですが、自分は、どう頑張っても、ある分野の専門家の方々と(その専門領域に関し)同レベルの文章は書けないと思っています。どんなに頑張ってみても、所詮は門外漢なのですから。であれば、自分のすべきことは、そうした専門家の方々を唸らせる文章を作成することではなく、常に、その方々が一読して間違いなく書かれた内容を正確に把握でき、簡単な語句や表現の修正のみで利用できる訳文を作成することだと思うのです。

以前、「美味礼讃」(海老沢泰久、1992)の読書感想文で、
「べつにあれでもあのままどこへ出しても恥ずかしくない味なんです。しかし九十点の味でいいということになると、七十点の味に落ちるのはすぐですからね」
という主人公の言葉に共感したと書きました。

でも、「理想としての100%」はありだと思いますが、
達成可能目標としては「常に95%」あたりを目指すのが実際的なのかなと。
その結果、タイトな納期のものも、内容的に難解なものもすべて含め、
常に85%以上のものがOutputできれば「一定品質が保たれている」
と言ってよいのではないかと、そんな風に考えています。
(ここでいうマイナスとは、ミス、解釈間違い、専門用語の選択ミスなどを言います)

誤解しないで頂きたいのですが、私はいつも
「限られた納期の中で今の自分にできる最高のものをOutputしたい」
と思って仕事をしています。
・・・でも・・・
恥ずかしく悔しい話ではありますが、
たとえば、自分の過去訳を参考資料的に参照する時、
そこにミスや解釈間違いを見つけることは多々あるのです。
それが現実です。

85%という数字は、一見かなり甘い数字に見えますが、例えば
「どんな事情があり何が起こっても、85%を下回る品質のものは出さない」
と言い換えると、実現は不可能ではないものの、
なかなか難しい目標であるような気がします。
(少なくともワタクシにとっては)


この「品質」を達成するやり方というのは、人それぞれでよいのかなと思います。
多数の方が推奨されるよい方法というものはありましょうし、
そこから始めてみるのは決して間違いではないと思いますが、
自分にとっての最善を求めて、常に試行錯誤していく必要はあるかなと。
独りよがりなものになってしまわないよう気を付けなければなりませんが。

手抜き、ではないのですが、最近、自分の中で色々な意味で「流れ作業的」になっていることが多いな~という気がしましたので、「品質とは」という原点に一度立ち返ってみましょか、自分、ということで、記事にしてみたりなどしました。ああ、脳味噌絞り切った感。老体には堪えるわい。もうこの夏頭は使わな~い、と。


2014.07.15 17:25 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(0) |