屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「補助人工心臓と医療機器翻訳ワークショップ」ということなので、これはもういかねばなるまい。
前週のJTFセミナーに続き、寒風の中を出動。今回の開催地は神戸。この風が、かの有名な六甲おろしなのか。

前半は、人工心臓の開発と実用化についての講義。
体外循環(補助循環)ポンプを開発された方のお話なので(ワタクシ的には)とても興味深いものでした。
ちなみに、正確には、移植までのBridge Therapyを意図した機器を(補助)人工心臓、手術用(といっても実際は1ヵ月程度は装着可能とか)の機器は体外循環・補助循環と呼び分けるようです。
仕事で扱うことはほとんどないので少し予習したのですが、国立循環器病研究センターの「ここまできた人工心臓」というページが、コンパクトにまとまっていてなかなか分かりやすかったです。
http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph42.html

技術的側面と規制の面(承認のためのガイドライン策定)という2方向からの実用化に向けた取組みについてお話があり、両方向の話をまとめて聞く機会はなかなかないので、そのあたりも興味深く拝聴しました(技術的な話はワタクシには難し過ぎましたが...)。で、最後に、実用化された補助循環ポンプも見せていただきました。
今はYou tubeで医療機器の実物を確認できる機会も増えましたが、「意外に小さい」とか「こう動かすのか」など、実物を手に取って初めて分かることが多いのも事実。実際、初めてステントを手にしたときは、「こんなに細いものだったのね~(血管内に留置するので当たり前なんですが)」としみじみしたものです。というわけで、これからも、こういう勉強会には機会を捉えて潜り込んでいきたいと思っています。

「どこまで書いて大丈夫なのか」ということがイマイチよく分からないため、若干歯切れの悪い報告になっており、申し訳ありません。


後半は、医療機器翻訳者の方による、医療機器の概要説明と事前課題の訳文(和訳)の検討。

課題はステント。いつも仕事でやってるもんねー、うっしっし、と内心ほくそ笑みつつ、でも丁寧に訳して提出しました。
ワークショップでは、各パラグラフ2名(匿名)の訳文が紹介されたのですが、それを読んでワタクシは、ほくそ笑んだ自分を恥じました。もちろん、「医療機器に精通していない」という点で上手く訳せていない部分もありましたが、全体を通した訳文の質の高さはどうでしょう。基礎的な「医薬翻訳」力があれば、これだけの訳ができるのだと、出席者の方の実力に舌を巻きました(実際、翻訳学校で講師経験のある方が何名も出席されていました<ゼイタクな勉強会や~)。

1つの訳語を巡って、出席者から「こうではないか」「なぜそうなのか」と質問が飛び、それに講師や別の出席者がさまざまな意見を出す、という形で活発な意見交換があり、結局、課題の最後まで辿りつけなかったのですが、なかなか濃いディスカッションだったと思います。

ディスカッションの対象となった語句に「existing preclinical and clinical experience」というフレーズがありました。
課題は、治験報告書のexecutive summaryの冒頭部分(たぶん)。何をもとにこの試験の評価内容を決定したのかを述べる部分です。勉強会では、「製品の市販申請を意図した報告書なのに『existing ... clinical experience』とあるのはおかしくないか(まだ臨床使用されていないはず)」という素朴な疑問が提示され、何名もの出席者から、さまざまな可能性が示されました。特に、医療機器関連会社に勤められた後、医療機器翻訳者に転身されたという方の、申請の実際を踏まえた意見は説得力があり、「なるほど」と頷けるものでした。

ということで、帰宅してから、もう少し、このステントを巡る状況について調べてみました。
1 「existing preclinical and clinical experience」は、EUや米国の申請に関わるガイダンス等に用いられている、いわゆる定型表現なのか? → 調べたかぎりではそういう文書はないようでした。
2 このステントは今どういう状況にあるのか? → 少し調べれば、製造者と製品は「おそらくこのメーカーのこれだろう」というところまで特定することができます。現状、欧州で市販されており、各国の規制を見据えながら国際共同治験を行って、欧州以外の地域にも販路を拡大したい、ということのようでした。
そういう背景があっての existing ... clinical experienceなので、「実績」「経験」などの言葉を用いて問題ないようです(個人的には、「実績」とすることでexistingのニュアンスも含められるのではないかと思います)。
実際は、そうした背景も報告書の中に書かれているでしょうから、もう少し確信をもってこの部分を訳出することはできると思います(逆に言えば、背景が分からない状態では少し難しい課題だったと言えるのかもしれません)。

そして、ワタクシはといえば、「ああ、この種のステント知ってる」ということで安心してしまって、報告書の全体や背景まで思いを馳せることなく、(字面とは言いませんが)課題と参考部分の流れだけを考えながら翻訳をしてしまっていました(結果的に大きく外さなかったというだけです)。慢心していました、ということで、今一度自分を戒めるよい機会になったと思います。

そんなわけで、さまざまな意味で実になる勉強会でした。
今日も「屋根裏」は超絶寒いので、まとめが雑ですが、現場からは以上です。
2018.02.07 00:47 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(2) |
強烈な寒波の中、寒波より若干暖かい酷寒の屋根裏でぬくぬくしていたい誘惑を振り切って出動。
「誰も教えてくれない翻訳チェック ~翻訳者にとっての翻訳チェックとは?~」(Terry S藤さん<て伏せ字になってないし)

ジツはワタクシは、以前同じテーマのセミナーに出席しています→
http://sayo0911.blog103.fc2.com/blog-entry-495.html
再確認したい部分などありましたので、再度お話を伺ってきました。
S木さんの「翻訳ストレッチ」もそうですが、初回「おおっ」と思ったセミナーは、2回目にも何らかの発見があります。

とはいえ、(微修正(?)の入った発展型ではありますが)基本は同じなので、詳細は ↑ を参照していただければと。

* S藤さんは、品質チェックを、訳文の質のチェックと抜けやミス、仕様不適合などその他のチェックの2種類に分け、前者を翻訳チェック、後者を作業チェックと呼んでおられます。セミナーの対象は主に「作業チェック」の方です。

盛りだくさんの内容で、「こういうやり方がある」というTipsもたくさん紹介されていましたが、やはり、最初に考えるべきは、「なぜ品質(特に作業)チェックなのか」ということではないかと思います。(翻訳を「知らない」読者を含む)誰の目にも分かってしまうケアレスミスをなくすことで、評価され信頼を得て継続的に仕事を獲得することが可能となる。また、ヒューマンエラー撲滅を念頭に置いて使用できる「ケアレスミス発見器」的ツールを適宜使用することで、チェックそのものが省力化・時短でき、その分の時間と労力(とスッキリした頭)を翻訳と翻訳チェックに注ぎ込むことができる ――― そういう好循環に持ち込むこともできるでしょう。「作業品質」と「翻訳品質」は、やはり、翻訳における車の両輪であり、互いが互いを高められるような関係が構築できれば理想なのではないかと思います。

今回、S藤さんが、ご自分の例として示してくださったチェックフローは、よくできているなと感動しましたが(<いや、前もコレ見たんですけど、今回さまざまな「なぜそれをそこで」をお聞きして、しみじみスゴいなーと思ったのでした)、誰にもそのまま当てはまるものではないと思います(実際、S藤さんご自身も、翻訳者モードとチェッカーモードで順番を入れ換えておられるそうです)。最初に皆に向かってなさった6つの質問(前回レポートに記載あり)に対する「自分なりの」答えを吟味しながら、自分にとって「最強の」チェックフローを組んでほしいと考えていらっしゃるのではないかと思います。そして、そのためのTipsをさまざまご紹介くださった、という流れなのかなと。そして、そのTipsは、「そもそも最初からミスを出さないようにするためにはどうすればよいか」という発想に立脚したものなので、(自分が実際に取り入れるかどうかは別として)頷けるものばかりです。


さて、今回は、一昨年の翻訳祭でも配布された「翻訳者の翻訳品質保証マトリックス」、セミナー用の資料と思われる「誰も教えてくれない翻訳チェック ~翻訳者にとっての翻訳チェックを考える~」の他に、「翻訳者のための翻訳チェック入門」という小冊子が配布されました。この最後の資料が、翻訳品質を考える上での最高の教科書になっています(とワタクシには思えました)。この冊子を貰うためだけにも、寒さに打ち震えながら行ってよかったと思いました。

冊子の「はじめに」で、翻訳学校でこうした内容に特化した講座は自分の知る限りないようだが、それは、翻訳者ひとりひとりの(文書や分野も含めた)翻訳環境が大きく異なるためかもしれない、と書いておられます。だからこそ手法そのものより、アプローチの仕方を考えることが重要になってくるのではないかと思います。


今回、新たに、チェック時間の考え方として「翻訳/翻訳チェック工数」という概念についての話がありました。詳細は省きますが、翻訳やチェックの文字/秒の基準時間を算出し、そこから時速や1日処理量を導き出すというものです。なんかムツカシそうな言葉ですが、ざっくり言うと、数値化によって自分の仕事を客観視していることになるのかなと。チェックも含めた「自分が翻訳に要する時間」(自分の処理量)を体感的(←得意)ではなく工数という形で客観的に把握することができれば、「その仕事は品質を落とさずにできる仕事かそうでない仕事か」の判断もしやすくなると思います。


最後に、昨日話題に上がったWildlightですが、ワタクシも、最後のチェックに有難く使わせてもらっています。
翻訳社毎のスタイルガイドの他に、独自のスタイルガイドを指定してくる元クラさんが2~3社あり、「ここは同じだけどここはA社はこう、B社はこう」という小さな違いが結構あって、以前は難儀していたのですが、Wildlightで、クライアント毎の適用辞書を作ってからは、その確認が格段に楽になりました(<自分で作った振りをしていますが、最初はWildlightに精通した諸先輩方にほとんど作って頂きました)。
自動修正するのではなく、ハイライト機能で辞書に掲載されている語句を示し、最終判断はこちらに委ねてくれる点も気に入っています。

...そんなわけで、一昨年の翻訳祭の直後に若干手直ししたMy Checkですが、今回、「教科書」を読んで考えながら、「もっとよいものはできないか」を今一度考えてみたいと思います。Wildlight辞書もちょっと見直しせないかんなー、と思っていたのでこの機会に。


かなり大雑把な報告になってしまいましたが、凍死しそうなので、現場からは以上です。
2018.01.27 14:47 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(1) |

個別レポートを終えて抜け殻となったワタクシは、たぶん軽く突いただけでぺしゃんこになると思うので、心優しい皆さんはそうっと通り過ぎてやってくださいませ。


「屋根裏」では、特に翻訳祭と翻訳フォーラムの記事を書くときは、出席されなかった方にも流れが分かりやすいよう、できるだけ細かく、ニュートラルにを心掛けています(その割に私情を挟んでいるという説もある)。なので、「ここがキモやで」というか「ここが聴衆の心を掴んだんや」という、登壇者がもっとも伝えたかった部分は、逆に分かりにくいかもしれません(そして、ハズしている可能性が大なのだった)。

そういう「キモ」を知るには、実行委員長がまとめてくださった翻訳祭関連のブログやツイートのまとめを見ていただくのが一番いいかなと思います。熱いレポばかりではなく、異なる視点からの感想もあり、とても興味深いです。
http://baldhatter.txt-nifty.com/misc/2017/12/27jtf-40a2.html
(「屋根裏」も入れていただきました、ありがとうございます)


ただ、あくまで自分の場合ですが、熱いレポートやツイートを読んでいると、それを自分の意見や感想と錯覚してしまうことがあるので、そこは気をつけなあかんなと思っています。
レポートから1週間の冷却期間(?)をおいて、もう一度翻訳祭を振り返ってみました。


わたしは、翻訳祭から何を持ち帰ったのだろう?

翻訳祭に参加する理由は人それぞれかと思うのですが、ワタクシはやはり、「聴講したいセッションが複数ある」ことが最大の理由です。そして、普段SNS上でしかやり取りできない方々と(短時間でも)実際にお話できればそれで十分満足です(というかそのあたりで体力が尽きる)。今年は懇親会まで参加し、旧知の方々と楽しくお喋りして過ごしましたが、大人数の宴はやはり苦手です(田舎者なだけという説もある)。で、お喋りに夢中になってデザートを頂きそこねたのが、今でも悔やまれます。だから、十人十色の懇親会のメニューは「甘味」つきにしました(って関係ないし<自分)。

でも、そうやって聴講したセッションの記憶も日が経つにつれて少しずつ薄れてきていて、文字には残したものの、自分の心の片隅にもきちんと「何か」が残っているかどうかははなはだ不安です。
それでも、今でも残っているこの気持ちは、ハンパない「打ちひしがれ」感。何を持ち帰ったかと問われれば、やはりこの超弩級の「打ちひしがれ感」なのかなと思います。

登壇された方々も、直接お話した方も、間接的にお話を聞いた方も、それはそれはすごい方が多くて。その「すごさ」は、少しの才能と見えないところでの多大な努力の結晶だと思うのですが、その方たちは、そうした努力を日々の普通の営みのように話されたり、実に楽しげに語られたりする。
それを見聞きし、わたしは、「自分はまだまだだ」と、少しばかり天狗になりかけていた鼻をへし折られ、心に若干の痛みを抱えながら、同時に「まだまだ努力できる部分がたくさんある」という妙な高揚感を抱いて帰途についたのでした。

そんな風に、自分の中に生じてくる「自分はできる」という過信を踏み潰してもらうことが、自分が、定期的にセミナーに出席する大きな理由のひとつなのかなと思います(実際的な情報を頂けるセミナーやワークショップも多いですが)。そうしたセミナーをひとりで開催できるだけの力を備えた方々が集っているわけですから、翻訳祭のあとは、ティラノザウルスに踏まれたような気持ちです(踏まれたことがないので想像ですが)。←今このあたり

そんなことを考えながら「通翻ジャーナル冬号」を読んでいたら、通訳者の方の言葉で「自分の頭で考えて判断する、言葉だけを追いかけるのではなく意味を汲み取って通訳する」という言葉が目に入りました。
翻訳も同じで、文脈の中において初めて、訳語の適否を正しく判断することができると思います(やっと、受け売りではなく、自分なりに考えて、そう思えるようになりました)。
それは、諸先輩や講師先生などから、それぞれ違う言葉や表現で教えて/伝えていただいたことなのですが、結局は皆さん、同じ(ような)ことを仰っているのだなあと思った次第です。
「言葉は生き物」というのは、「時代によって言葉が変化する」という意味合いで使われるのが一般的だと思いますが、毎日の翻訳でも、異なる文脈では異なる訳語が選ばれるわけで、そう考えると、翻訳者は日々言葉という生き物と相対しているのだなあと、改めて思ったのでした。

翻訳祭に出席していなかったら、すぐにこうした連想をしたかどうか分かりません。だから、
「(生き物である)言葉を大切にしたい」
という気持ちが、今年の翻訳祭の一番の収穫なのではないかと、少し落ち着いた今思っています。
2017.12.11 18:04 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |

最後も出版翻訳のセッションにしました。S山先生の辞書のセッションとどちらにしようか迷ったんですけど。
セッションは、自身も翻訳・通訳者でライターでもあるM丸さんが、会社員と産業翻訳者の「二足のわらじ」時代を経て、ご家庭の事情から産業翻訳者として独立し、その後産業翻訳と出版翻訳の「二足のわらじ」時代を経て、現在は仕事を出版翻訳1本に絞っておられる(でいいのかしら)I口(こ)さんに「徹子の部屋」風にいろいろ質問していくという形で進行しました。
もちろん、事前にかなり打合せをされていたのでしょうが、M丸さんが「聴講者代表」のような感じでいろいろ質問してくださるので、最後に「これを聞きたい」という疑問がほとんど残らないセッションでした(M丸さんは懇親会の司会も担当された方で、アナウンサー並みに滑舌もよく、I口さんもはっきりと喋られる方ですので、お話も非常に聞きやすかったです)。


最初に簡単な自己紹介のあと、挙手で聴講者の構成を確認。ほとんどが産業翻訳者で、出版翻訳のみが多少、産業翻訳と出版翻訳の兼業翻訳者と出版翻訳学習者がそれぞれ3~4名という感じでした。

I口さんの経歴は、少し古いものですが、こちら ↓ に詳しいので、上の大雑把な説明より詳しく知りたい方はご一読ください。
私のレポのあとの方で、I口さんが「トランスクリエーション」を「普通の翻訳でしょ」と一刀両断されるくだりが出てきますが、紹介したWedgeの文章中のI口さんの訳文を読むと、そう仰るのも頷けます。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4423

この ↑ (矢印便利やな)中に書かれている「スティーブ・ジョブズ偶像復活」は、Y岡洋一さんから紹介されたもので、この後、同系統の書籍の翻訳依頼が、だいたい2冊/年のペースで続いたそう(その後、2011年に2巻本の「スティーブ・ジョブズ」が大ヒットになったことは皆さんもご存じですね)。ただ、I口さん自身は、産業翻訳者として食べていくつもりだったので、自分の方から特にアプローチしたことはなかったそうです。

(以下、M=M丸さん、I=I口さん)

M: (I口さん自身は特にアプローチはしなかった)とはいえ、一般論として有効な手段はあるか。
I: 「この人は何に興味があってどんな文章を書くのか」が分かるので、ブログは有効だろう。スタイルの異なる人の文章をまとめるのは大変なので自分は下訳を頼まないが、下訳者や共訳者として参入するのもひとつのやり方。(リーディングは有効かとの質問に)きっかけ作りとしては有効な手段のひとつだと思う。

M: 1冊目を出版後時間が空いてしまった場合、その間は何をすればよいか。
I: 1冊めをネタに営業する。産業翻訳を長くやっていることが、逆に売りになるかもしれない。「この人はよさそうな人だ(人間的にも実力的にもということと思います)と思ってもらうことが大事」

M: 産業翻訳と出版翻訳の違いは。
I: 翻訳の技術としてはあまり変わらない。台詞周りの処理が少し違うだけ。
 (そう言い切ることのできる領域に達するのが理想なのでしょうが、自分の場合は、両立したとしても「産業翻訳モード」と「出版翻訳モード」の間を行き来することになりそうです)

 * ここで、「トランスクリエーション」についてどう思うかという話になります。マーケティングの分野では、字面訳から離れたクリエイティブ色の濃い訳をこのように呼ぶようですが、「原文に書かれた意味合いを伝えることが翻訳するということなので、パッと見字面から離れていることもある。その意味では、翻訳は全部Transcreationでしょう」というのがI口さんのお考えのようです。試みに、英語と日本語でTranscreation(トランスクリエーション)をググってみましたが、そうやって出てきたいくつかの翻訳会社が「トランスクリエーション」として提示していた翻訳は、私でも、マーケティング色が濃かったり想定読者が広いと思われる場合は、ごく普通にやっているような内容でした。ただ、英語のTranscreationは、もっとCopywriting色が強い(どうかするとチームで作り出す場合もあるような)ものをイメージしているような気がします。Translation=Transcreation又は、Translationの中にTranscreationがあるのではなく、TranslationとTranscreationに重なる部分がある、みたいな。日本語で「トランスクリエーション」と言ったとき頭に浮かぶ内容は、まだ人によって少し開きがあるということなのかもしれません(とちらっと思っただけやけどな)。

I: (産業翻訳と出版翻訳の違いはとの質問に対する回答の続き) 翻訳のやり方もだいたい同じだが、1つの案件にかかる時間(1つの案件の量)が違う。また、対象読者が広がるため考えることも多くなり、1日の処理枚数も出版翻訳の方が少なくなる(だいたい半分)。

M: 訳出したデータやゲラはどのように推敲するか。
I: 章ごとにファイルを作って訳出、2、3章ごとに確認、最後に全体をもう一度チェックしてから編集者に渡す。ゲラは日本語のみを読んで修正する(ゲラの前に変更履歴入りのワードファイルをもらうこともある)。編集者は第一の読者なので(これはセッション3でも言われていましたね)、編集者の提案は大切にするが、最終的に責任を取るのは自分だから(自分の名前で訳書が出る)、納得した上でその提案に従うようにしている。
(会場からの質問に対する回答として、(ゲラ読みに余裕をもらえた場合は)朝元気がいいときは新しいものを訳し、午後疲れてきたときにゲラ読みをすると回答されておられました。その際の「切換え」はあまり気にならず、かえってリフレッシュになるということでした)

M: 訳者として名前が出ることのメリット、デメリットは。
I: メリットは信用が得られること。デメリットはいい仕事をしていないとコワいこと(信用も落ちるし、SNSなどで叩かれる場合もある)。ブログに訳文に対する意見コメントが入ることもあるが、回答はCase by case。きちんとした質問には真摯に回答している。(M丸さんから「ハートを強く持つにはどうすればよいか」との質問があり、I口さんは「(SNSなどの叩きは)見ないのが一番です」と回答されていました。

M: ぶっちゃけ儲かりますか。
I: 儲からない。印税は5~8%、初版は2000~4500部程度のことが多い。増刷は1~2/10冊程度(これもセッション3のお話とだいたい同じです)。専業でやっていると「当たる」ことも1回くらいはあるが、ギャンブルではある。

M: 契約から入金までどれくらいか。
I: 翻訳をスタートしてだいたい3、4ヵ月かけて訳すのが普通。その後ゲラのやり取りが2回程度あり、次いで、印刷・製本・発売という流れになる(で間違ってないっすか?<自分の書いた字が読めないんっすよ)。ここまででだいたい6ヵ月。発売後1~3ヵ月で入金される。

M: 儲からないのになぜ出版翻訳を続けているのか。
I: 自分の裁量権が大きい。また、著者が本1冊にしたいほどのものを訳すのは楽しい。好意的な感想を返してくれる読者もいる。訳者買いしてくれる人もいる(私も、若い頃、深町眞理子さん、食野雅子さん、永井淳さんを訳者買いしていました)。お金の都合がつきそうだったということもある。40代はがむしゃらに訳して基礎を作った。50代はガンガン訳すからやりたいものだけを翻訳するに移行する下地を作ってきた。60代はやりたいものだけを翻訳する「わがままな」翻訳者になりたい。
(このように言えるのは、実はもの凄いことだと思うんです。そのような「やりたいと選んだもの」については、必ずいいものを作りますと言い切っているわけですから。そうなるために20年かかったと仰っていますが、私は、たぶん、この先一生勉強してもその境地には到達できんのだろうなあと思います。それでも、勉強しながら朽ち果てることができれば、それはそれで(平凡な)翻訳者冥利に尽きると言えるのかもしれません。)

最後に、産業翻訳の方に向く人はどんな人かという質問があり、「瞬発力があるけれど、長いことコツコツやるのは苦手な人」「人付き合いが苦手な人」「営業が苦手な人」を挙げておられました。出版翻訳は長丁場なので、計画的に訳出を進めなければならず、編集者とのやり取りはコーディネータとのやり取りよりも深く、また、出版翻訳は動いて結果が出ることが多いからだそうです。


というわけで、午後の2つのセッションを自分なりにまとめてみると、出版翻訳をするには「楽天的+強いマインドを持つ」必要があるといえるかもしれません。
うんむ~、微妙やけど、意外に最後は「何とかなるさ」の私はいいセンいくかも(<その前に「翻訳力を磨く」という問題が厳然として横たわっているのですが忘れているようです)


***

最後に全体的な感想を(記事立てするほどではないので「セッション記事に追加」という形にしました)。
長くなりますがもう少し頑張っていただけると嬉しいです。

今年は、出版翻訳セッション以外でも、各所で「自分から外に出る」「知ってもらう努力をする」ことが大事という声を聞いたような気がします。
これからは力のある翻訳者であっても、待つだけではなく、好機を自ら掴みにいく努力をすることが求められるということではないかと思います。

ただ、忘れてはならないのは、力があってこそ自ら動いて好機を掴めるということ。そのことはいつも心の片隅において、力をつける努力は忘れないようにしたいと思います。力というのは、翻訳する力とミスのない訳文をつくる(にはどうすればよいかを考える)力で、どちらが欠けても商品としての訳文にはならないのではないかと思っています。

こうしたことが短期間にぱっとできてしまう人もいれば、私のように時間をかけないとできない人もいるでしょう。そこは、自分のやり方で伸びていけばいいのではないかと思います。正道をいくことでしか確かな力は身につかないのですから。
自分にとって最適のやり方をしなければ、いつか身体や心を壊してしまうかもしれません。「好き」で始めた翻訳だったとしても、無理な背伸びが「楽しくない」に結びついてしまうかもしれません。
もしも、翻訳祭でいろいろな話を聞いて「あれもしなければ、これも導入しなければ」と焦りばかりが先行している方がおられたら(それはまさに数年前の自分の姿なのです)、今の自分に一番必要なのは何か、どんな方向に伸びていきたいのかを考えてみて頂ければ嬉しいなと思います。そうして、自分の中に「これは譲れない」という部分をつくっていただけたら。

さて。長々書いてきた翻訳祭のレポもこれで終わりです。
明日から、「屋根裏」は週1回更新を努力目標とする通常営業に戻ります。
期間中(?)、いつもの倍以上のアクセスをいただきました。本当にありがとうございました。
どなたかの何らかの役に立っていれば、こんな嬉しいことはありません。
2017.12.06 23:39 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(5) |

午後は、出版翻訳系のセッションを2つ拝聴しました。

昨年はノンフィクションとリーディングの通信講座を受講しましたが、正直、今、「出版翻訳を目指そう」という強い気持ちがあるわけではありません。というか、体力的にも精神的にも、産業翻訳と出版翻訳の二足のわらじを履く自信がないといった方がいいか(力があるかどうかという点は、今は忘れてやっておくんなさい)。医療機器翻訳の仕事も、これはこれでなかなか面白くて好きです。でも、音読や聴読で何冊も洋書を読んでいると、やっぱり「これを自分で訳してみたい」という書籍が何冊か出てくるのよね(「Being Mortal」もそんな1冊でした)。また、産業翻訳は、(分野や文書にもよるかと思いますが)表現の幅が若干狭い場合が多いような気がします。そこをもう少し広げたいなあという思いが常に自分の中にあります。さまざまな文を、TPOに合せて、きちんと書きたい。だから、中途半端な気持ち、ではありますが、これからも、並行して、少し範囲を広げたところにある(ような気がする)出版翻訳の勉強は続けていきたいと思っています。


そんなわけで、「出版翻訳の実際を覗いてみたい」と選択した午後の2セッション。
1つ目は、出版翻訳家のM井さんと編集者のI子さんによる楽しいセッションでした。なので、若干ユルめにレポさせて頂きました。

M井さんは、見た目は若干地味めで(その点だけ共通<でもたぶん背景同化能力は私の方が高い)、お話が面白く、お茶目な方です。
そして、心に残る文章を書かれます。といっても、私は、ブログや「Webでも考える人」の連載を拝読しているくらいなのですが。
ごく普通の日常がほとんどで、どこにでもあるような話なのだけれど、気がつくと最後まで読んでしまっている。文章力があって観察眼が鋭い方だと思います。
そして、I子さんは、きりっとしていてはきはきしていて、「すべてを私に任せて、あなたは全力でいいものを書いて」オーラのようなものが全身から発散されています。
いいコンビだと思いました。

まず、お二人の簡単な自己紹介から。
I子さんは、書籍編集者。国内外の実用書やビジネス書を中心に扱っておられますが、ジツは硬派なノンフィクションがお好きだとか。
M井さんは、翻訳家で文筆家。最近「村井さんちのぎゅうぎゅう焼き」という料理本を出版されたことをご存じの方も多いのでは。
2017年は5冊の訳書を出版し(「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」「朝までぐっすり睡眠プラン」「兵士を救え! マル珍軍事研究」「子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法」「人間をお休みしてヤギになってみた結果」)このうち1冊に増刷がかかったそう。原稿用紙的には2100枚超になり(ここから、編集でかなり削られるのだとか)、キーボードを2台壊したとのことでした(ウチの子は、3年使っていてまだ元気ですが...)。来年は「自分で日本語の文章を書く」ことを増やしていきたいと仰っていました。

I子さんの話では、通例、増刷されるのは10冊に1冊程度、翻訳書で1万部売れるのは1%程度なので、5分の1というのは「かなりいい成績」とのことです。

では、どうすれば、出版翻訳家になれるのか。
「コレ」という明確なステップはなく、編集者と翻訳者を繋ぐ確実なルートがないのが実情(I子)とのことでした。だから、自分から発信していかなければダメだと。
そのために、

・ブログを書く
・SNSを利用する
・お金を使う
・人を大事にする
・自分から企画書を出していく

ことを勧めておられました。

・M井さんも、ブログで制約のない文章を書いてエクササイズとすることもあると仰っていました。「日常も面白く読ませる文章力があればこの人に頼んでみようと思う」(I子)とのことで、M井さんの文章はまさにそんな感じです(ワタクシのように、オチを求め自分へのツッコミを一番に考えているようではダメってことですな<でも関西人のサガではある)。
・SNSでは、特にTwitterは、140字という制約の中で完結した分かりやすい文を書くのはかなり難しいので、凝縮した表現力を磨く練習になるのだと。M井さんも、ゲーム感覚で140字に収めようと、かなり推敲したものをTwitterに投稿されているそうです。文章の練習のひとつとして毎日投稿されるのだとか。
・「お金を使う」というのは、書籍・ツール・PCなど、自分のプラスになると思うものには惜しみなくお金を使うということです。また、心を健康な状態に保って長く書き続けるためには、欲しいものはあまり我慢せず手に入れるようにするのがいいというのが、M井さんのご意見でした。原稿料の半分はそうしたことに使っておられるそうです。
・「人を大事にする」は、煮詰まらないためにも必要とのこと(これは出版以外の分野も同じですね)。
・また、1回目でボツになることは結構多い(これには、出版社の特性が関係している場合も多々ある)ので、くさらず、企画の持込みを続けてほしいと、これはI子さんからの言葉です。その際、数値的なデータや本国での反響、受賞した賞などを含めると効果的とのことでした(これは「リーディング講座」で言われたこととも合致します)。

さらに、「これだけは気をつけよう!」ということで、最初に契約書をよく確認することを挙げておられました(このあたりは産業翻訳も同じですね)。ただ、出版翻訳では、印税は最初に決められても、出版直前まで(つまり訳出もゲラの直しも終わるまで)発行部数が確定しないことも多いのだそうです。これは、今回初めて知りました。

そうやって、企画が通り、契約が締結されると、翻訳→初稿ゲラ→赤入れと実際の作業に入っていくわけですが、この段階で、翻訳者が大切にすることは、身体・心・編集者の意見の3つというのが、M井さんのご意見です(そのとおりかと)。身体と心という2つのベースがしっかりしていないと長丁場を最後まで走り抜くことは難しく、また「最初の読者代表」である編集者の意見は大切にすべきとのことでした。「自分のスタイルを保つことも大事だが、自分の訳文に酔わず、読者に一番近い立場である編集者の意見は尊重し、最終的には読者のことを考えながら訳す」ことを心掛けておられるそうです。

セッションも終わりに近づいたところで、「出版翻訳の魅力は何だろう」という話になります。お二人はさまざまに語ってくださいましたが、「いいと思ったものが売れたときの喜びは麻薬やで!」というひと言(ワタクシが大雑把に大胆にまとめました)に集約できるでしょうか。M井さんは、常に「原著者になり代わってその人の思いを伝えたい」という思いを持ってお仕事をされているそうです。そんな風に、楽しくやりがいもあり好きな仕事ではあるものの、「翻訳がだめならXXがあるさ」という逃げ道も用意し、力を抜いて楽に仕事ができるようにも心掛けているそうです。

ここで、会場から、「これから出産を考えているが(だったと思います)、子育てとどのように両立させたのか/両立すればいいですか」という質問があり、それに対する回答が「まだおきていないことをずっと前から心配するより、5分前になって心配すればいい」というもので、Twitterを賑わせた(?)「5分前から」は、この流れでM井さんが口にされた言葉です。でも、もしかしたら、最初から楽天的だったということではなく、がむしゃらに乗り越えて踏み越えた結果、「5分前から心配しても何とかなるじゃん」という境地に達したということなのかもしれません。
お仕事もキッチンの片隅でされているそうで、その仕事環境とキーボード2台叩き割った(とご本人が仰っただけで、実際に叩き割られた訳ではありません<念のため)という事実に「全米が泣いた」と笑いを取られたりして、最後まで本当に楽しいセッションでした。
そしてM井さんとI子さんの「いっしょにいいものを作りたい」という思いが伝わってきました。編集者と翻訳者のタッグの理想形のひとつかもしれません。
2017.12.06 00:20 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(2) |