屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


・・・正直、負けた感満載ですが。
日本循環器学会学術集会(於:大阪)に2日間潜入。

当初は23日、24日の予定でしたが、24日に急用が入り、23日と25日(←書籍を買い足りなかったわけっすよ)の2日間。
おかげで3日間出ずっぱりとなり、心身ともに疲れた身体にムチ打って、明日から粛々と仕事ですワ。トホホ。

強引にざっくりと印象をまとめると、翻訳祭の数十倍スケールアップ版という感じです。
残念ながら発表内容には言及できませんが、今後学会潜入を企てておられる同業の方のために、若干のレポなど。

循環器学会の学術集会が今年は大阪で開催されることを知ったのは、昨年の秋。
大胆にも無謀にも、名刺に「循環器分野の経験豊富」と謳っている(<命知らずにもほどがある)Sayoとしては、これはもう、行かねばなるまい。

12月25日からプレレジストレーションが始まりましたので、1月中旬に申し込みました。
参加者登録するとログインIDがもらえ、自分の登録者情報画面から、ランチョン・コーヒーブレーク・ファイアサイドの各セミナー(弁当や軽食付き)への申込みなどができるようになります。
企業主催らしいこれらのセミナーには心惹かれるものがいくつもあったのですが、修羅場って油断しているスキに、事前申込み分はすべて満席になっていました。当日券もあったのですが、こちらも、いずれも早い時間に埋まってしまったようで、結局、1つも申し込むことができませんでした。その点がちょっと心残り、というか今後の課題です(「今後」があるかどうかは心許ないですが)。

開催の2週間ほど前になると、セッションの抄録がダウンロードできるようになりました。
で、ダウンロードしたら、何と全2800ページ。局方、負けとるー。
同時に、興味のあるセッションを選択・登録し、その分の抄録のみを記載したMy Abstract(PDF)を作成できるようになります。それまでに、発表された演題とスケジュールとにらめっこして、軽くスケジューリングをしてみたりなどしていたのですが、最終的に、プログラム検索画面からMy Abstractを作成しました(抄録はほとんどが英語のみなんで、あんまりソッコー性はないですが)。
とにかくトラック数が多く、目移りしてしまって演題を選ぶのも大変でした。

翻訳祭と違って、自分の立場的に、拝聴したセッションの内容が即身になるとは思えません。てか、「よう分からんかった」で終わる方に一票。
最終的に、普段仕事で関わることが多く「面白そうなもの」という観点から、23日は心臓突然死に関するセッションを、25日は心臓移植に関するセッションを選択しました。
前者は私には難しすぎましたが、後者はシンポジウムの内容を興味深く拝聴しました。

展示にも(普段お世話になって?いる医療機器メーカーさんなど)心惹かれるものがいくつかあったのですが、潜在顧客でもない自分を相手にしてもらうのも申し訳なく、こそこそとパンフレットだけ頂いて退散しました。

個人的に、今回一番嬉しかったのは、書籍販売の品揃えです。2日間、書籍購入に通ったと言っても過言ではありません(若干、過言ですが)。
大規模書店でも、医学系、特に循環器に特化した専門書が、これだけ揃っていることはまずありません。専門雑誌のバックナンバーや増刊号が綺麗に並んでいるさまを見たときは嬉し泣いたーー。
お医者さまはどんな書籍を手に取るのだろうか、としばらく様子を窺ってみたところ(いや、お医者さまとは限らないんですが)、「心不全関連多そう」というのがざっくりした印象でした。さまざまな原因によって生じる心機能低下が心不全という病態であることを考えれば、これもある意味当然かという気もします。まあ、10分程度しか観察してませんので、こじつけですが。
今回の学術集会に合わせたのか、循環器ガイドラインが3月23日付けでいくつかアップデートされていますが、心不全のガイドラインも2017年度版が出ました。
「急性・慢性心不全診療ガイドライン(2017年改訂版)」
http://www.j-circ.or.jp/guideline/
あと、統計関連の書籍が結構あって、「お医者さまも統計には苦労してるのね~」と(勝手に)しみじみしてしまいました。

というわけで、(屋根裏比)疲れMAXの週末でした。
今回の潜入がこれからの仕事に役立つ...かどうかは、自分次第であろうと。ついつい雑誌のバックナンバーなど何冊も仕入れてしまいましたので、翻訳ストレッチにも織り込みつつ、少しずつ目を通していきたいと思っています。とりあえず、明日から仕事に励みます(の予定です)。
2018.03.25 22:17 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(4) |
セミナーのタイトルは「脱・辞書の持ち腐れ《60Hz》~どの辞書をいつ引くか~」。
講師は、翻訳フォーラムのメンバーであるF井さんとT橋(あ)さんです。
《60Hz》とあるのは、少し前に、東京で「脱・辞書の持ち腐れ《50Hz》」と題された同様の内容のセミナーが開催されたためで、関西セミナー開催前に「できればやってみてね」と、《50Hz》と同じ課題が送られてきました。

JTFセミナーのサイトの概要には、
「翻訳者と辞書は切っても切れない関係だ。優れた辞書を複数手元において、頻繁に参照することは、とても大切である。一方、辞書は数を揃えればいいというものでもない。上手に使ってこそ、辞書が生きてくる。本セミナーではまず、どの分野の翻訳者も必ず持っていたい辞書は何か、どのようなプラットフォームで揃えるのが良いかといった、辞書の基礎情報について簡単に説明する。さらに、『いつ』『どの辞書を』『どの単語で』『どのようにして』引くかを、実例を出しながら解説し、『紙辞書』『電子辞書』『CD-ROM辞書』『アプリ辞書』『オンライン辞書』等、さまざまな辞書環境を組み合わせた調べ方についての情報を提供する」
とあります。

この「実例」というのが、土壇場になって「やってみてね」と送られてきた課題です。セミナーでは、《50Hz》で参加者(すべて匿名)が、その辞書(又はプラットフォーム)でどの単語(フレーズ)を引き、どのようにして訳文に辿り着いたかというプロセスを表にまとめた資料が配られました。さらに、T橋(あ)さんの手になる「翻訳者が使う定番辞書一覧」と「EBWin4マニュアル」も配られ、とどめに、本日、参加者限定DL資料として、当日のPPT資料が送られてきました(課題が増えとるーーー)。個人的には、これだけでも、元を取ってあまりあるセミナーだったと思います。


さて。
私が翻訳の勉強を始めた1990年代にはすでに、「辞書はお金で買える実力」という言葉がありました。
確かに、辞書は、揃えないより揃えた方がいいに決まっていると思うのですが、「手元にある」「串刺し検索できるように設定している」ことで安心してはいないか、各辞書が持つそれぞれの長所を活かす形できちんと辞書が引けているか、辞書引きの結果をどのように翻訳と結びつければいいか、といったことが、今回のセミナーの主眼であったように思います。
お二人の言葉を借りれば、「辞書の形態が多様化し『とりあえずこれを揃えれば』と言い切ることが難しくなった」現代にあっては、翻訳者一人一人が、それぞれの辞書の特徴をよく把握し、自分の仕事の分野やPC/辞書環境に適した辞書を選び最適の使い方をよく考えることが、これまでにも増して重要になってきているような気がします(といいながら、全然できとらんけど)。

というわけで、セミナーでは、まずF井さんから、辞書の種類、良い辞書か否かを判断する際の大きな決め手、辞書の形態と各形態のメリット・デメリットなどについて説明がありました。
ここで、いったん、T橋(あ)さんにバトンタッチ。これからどのように辞書環境を整えていけばよいかという話になります。現状、ひとつの辞書環境(辞書ブラウザなど)で辞書を揃えるのは難しく、複数の環境をできるだけ使いやすくして使う方法がベストではないかとのことです。そうした辞書ブラウザのひとつであるEBWin4や、アプリをPCから引けるようにする方法などの紹介がありました。続いて、課題(実例)1の解説。成句検索の極意(?)が伝授されます。

ここで、再びF井さんにバトンタッチし、「何のために、いつ、どの辞書を引くか」という話から、課題2の解説へと入ります。まず、翻訳の目標として、「原文を読んだ人と訳文を読んだ人が思い浮かべる絵が同じになること」が挙げられます(フォーラムや関連記事・図書などではお馴染みの言葉なのですが、個人的には、フォーラムの方であるなしに関わらず、大先輩方は、表現する言葉はそれぞれ違えど、ざっくりまとめると同じことを言っておられるような気がします)。そうするための翻訳手順として、原文の意味を正しく把握 → 辞書引きのけっかに基づき、使えそうな訳語の候補をいくつも上げる → 最終的に原文の意味に最も一致する語を選ぶ、というやり方を、課題に即して説明してくださいました。

課題3は再びT橋(あ)さん。簡単な語句ほど辞書引きが難しいことの実例です。「この語は分かっている」と思ってスルーすることの危険性を、辞書の訳例を示しながら説明していただきました(ジツは、ワタクシも「結果的に解釈は合っていたが、辞書引きはスルーした」ヤツの一人です)。「辞書は、単語を引いてそこにある訳語を用いて訳すのではなく、用例まで読んで語義を掴み、それを訳語に反映するために使うもの」と強調されました。DL資料をお持ちの方は51ページあたりです。

最後の課題はF井さん。スピーチが題材だったのですが、どんな人物なのかを調べるのに加え、その人物の(可能であればスピーチそのものの)動画があればそれも視聴し、口調や強調されている部分を確認することも重要と説かれました。普段の仕事ではそこまで考えて翻訳に臨むことはほとんどないのですが、「大事そうな部分は大事そうに、寒いジョークは寒く訳す」という言葉が心に残りました。それが「思い浮かべる絵を同じにする」ことになるのだなと。
F井さんが仰った「辞書は知っている言葉の確認に使うもの、使ったことのない言葉は使えない(だから普段から言換えの訓練をして知っている言葉を増やしている)」という言葉は、T橋(あ)さんの「(辞書は)用例まで読んで語義を掴み、それを訳語に反映するために使うもの」と相通じるものだと思います。

ということで、まとめると、「何のために辞書を使うのか」をきちんと理解し、「そのために、自分の辞書環境には何が足りないのか」を把握して必要な部分を強化し、「最適なやり方で辞書を引く」ことが大切、ということになりましょうか。ありきたりのまとめでスイマセン。
あと、自分に欠けているのは「『!』と思ったら辞書を引く」という基本姿勢なのではないかという気がしました。使える言葉を増やすためにも、そこはこれからもっと心掛けていかねばならんと心に誓ったのでした(問題は、いつまで誓いを覚えているかなんですが)。
2018.03.06 23:31 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(4) |
「補助人工心臓と医療機器翻訳ワークショップ」ということなので、これはもういかねばなるまい。
前週のJTFセミナーに続き、寒風の中を出動。今回の開催地は神戸。この風が、かの有名な六甲おろしなのか。

前半は、人工心臓の開発と実用化についての講義。
体外循環(補助循環)ポンプを開発された方のお話なので(ワタクシ的には)とても興味深いものでした。
ちなみに、正確には、移植までのBridge Therapyを意図した機器を(補助)人工心臓、手術用(といっても実際は1ヵ月程度は装着可能とか)の機器は体外循環・補助循環と呼び分けるようです。
仕事で扱うことはほとんどないので少し予習したのですが、国立循環器病研究センターの「ここまできた人工心臓」というページが、コンパクトにまとまっていてなかなか分かりやすかったです。
http://www.ncvc.go.jp/cvdinfo/pamphlet/heart/pamph42.html

技術的側面と規制の面(承認のためのガイドライン策定)という2方向からの実用化に向けた取組みについてお話があり、両方向の話をまとめて聞く機会はなかなかないので、そのあたりも興味深く拝聴しました(技術的な話はワタクシには難し過ぎましたが...)。で、最後に、実用化された補助循環ポンプも見せていただきました。
今はYou tubeで医療機器の実物を確認できる機会も増えましたが、「意外に小さい」とか「こう動かすのか」など、実物を手に取って初めて分かることが多いのも事実。実際、初めてステントを手にしたときは、「こんなに細いものだったのね~(血管内に留置するので当たり前なんですが)」としみじみしたものです。というわけで、これからも、こういう勉強会には機会を捉えて潜り込んでいきたいと思っています。

「どこまで書いて大丈夫なのか」ということがイマイチよく分からないため、若干歯切れの悪い報告になっており、申し訳ありません。


後半は、医療機器翻訳者の方による、医療機器の概要説明と事前課題の訳文(和訳)の検討。

課題はステント。いつも仕事でやってるもんねー、うっしっし、と内心ほくそ笑みつつ、でも丁寧に訳して提出しました。
ワークショップでは、各パラグラフ2名(匿名)の訳文が紹介されたのですが、それを読んでワタクシは、ほくそ笑んだ自分を恥じました。もちろん、「医療機器に精通していない」という点で上手く訳せていない部分もありましたが、全体を通した訳文の質の高さはどうでしょう。基礎的な「医薬翻訳」力があれば、これだけの訳ができるのだと、出席者の方の実力に舌を巻きました(実際、翻訳学校で講師経験のある方が何名も出席されていました<ゼイタクな勉強会や~)。

1つの訳語を巡って、出席者から「こうではないか」「なぜそうなのか」と質問が飛び、それに講師や別の出席者がさまざまな意見を出す、という形で活発な意見交換があり、結局、課題の最後まで辿りつけなかったのですが、なかなか濃いディスカッションだったと思います。

ディスカッションの対象となった語句に「existing preclinical and clinical experience」というフレーズがありました。
課題は、治験報告書のexecutive summaryの冒頭部分(たぶん)。何をもとにこの試験の評価内容を決定したのかを述べる部分です。勉強会では、「製品の市販申請を意図した報告書なのに『existing ... clinical experience』とあるのはおかしくないか(まだ臨床使用されていないはず)」という素朴な疑問が提示され、何名もの出席者から、さまざまな可能性が示されました。特に、医療機器関連会社に勤められた後、医療機器翻訳者に転身されたという方の、申請の実際を踏まえた意見は説得力があり、「なるほど」と頷けるものでした。

ということで、帰宅してから、もう少し、このステントを巡る状況について調べてみました。
1 「existing preclinical and clinical experience」は、EUや米国の申請に関わるガイダンス等に用いられている、いわゆる定型表現なのか? → 調べたかぎりではそういう文書はないようでした。
2 このステントは今どういう状況にあるのか? → 少し調べれば、製造者と製品は「おそらくこのメーカーのこれだろう」というところまで特定することができます。現状、欧州で市販されており、各国の規制を見据えながら国際共同治験を行って、欧州以外の地域にも販路を拡大したい、ということのようでした。
そういう背景があっての existing ... clinical experienceなので、「実績」「経験」などの言葉を用いて問題ないようです(個人的には、「実績」とすることでexistingのニュアンスも含められるのではないかと思います)。
実際は、そうした背景も報告書の中に書かれているでしょうから、もう少し確信をもってこの部分を訳出することはできると思います(逆に言えば、背景が分からない状態では少し難しい課題だったと言えるのかもしれません)。

そして、ワタクシはといえば、「ああ、この種のステント知ってる」ということで安心してしまって、報告書の全体や背景まで思いを馳せることなく、(字面とは言いませんが)課題と参考部分の流れだけを考えながら翻訳をしてしまっていました(結果的に大きく外さなかったというだけです)。慢心していました、ということで、今一度自分を戒めるよい機会になったと思います。

そんなわけで、さまざまな意味で実になる勉強会でした。
今日も「屋根裏」は超絶寒いので、まとめが雑ですが、現場からは以上です。
2018.02.07 00:47 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(2) |
強烈な寒波の中、寒波より若干暖かい酷寒の屋根裏でぬくぬくしていたい誘惑を振り切って出動。
「誰も教えてくれない翻訳チェック ~翻訳者にとっての翻訳チェックとは?~」(Terry S藤さん<て伏せ字になってないし)

ジツはワタクシは、以前同じテーマのセミナーに出席しています→
http://sayo0911.blog103.fc2.com/blog-entry-495.html
再確認したい部分などありましたので、再度お話を伺ってきました。
S木さんの「翻訳ストレッチ」もそうですが、初回「おおっ」と思ったセミナーは、2回目にも何らかの発見があります。

とはいえ、(微修正(?)の入った発展型ではありますが)基本は同じなので、詳細は ↑ を参照していただければと。

* S藤さんは、品質チェックを、訳文の質のチェックと抜けやミス、仕様不適合などその他のチェックの2種類に分け、前者を翻訳チェック、後者を作業チェックと呼んでおられます。セミナーの対象は主に「作業チェック」の方です。

盛りだくさんの内容で、「こういうやり方がある」というTipsもたくさん紹介されていましたが、やはり、最初に考えるべきは、「なぜ品質(特に作業)チェックなのか」ということではないかと思います。(翻訳を「知らない」読者を含む)誰の目にも分かってしまうケアレスミスをなくすことで、評価され信頼を得て継続的に仕事を獲得することが可能となる。また、ヒューマンエラー撲滅を念頭に置いて使用できる「ケアレスミス発見器」的ツールを適宜使用することで、チェックそのものが省力化・時短でき、その分の時間と労力(とスッキリした頭)を翻訳と翻訳チェックに注ぎ込むことができる ――― そういう好循環に持ち込むこともできるでしょう。「作業品質」と「翻訳品質」は、やはり、翻訳における車の両輪であり、互いが互いを高められるような関係が構築できれば理想なのではないかと思います。

今回、S藤さんが、ご自分の例として示してくださったチェックフローは、よくできているなと感動しましたが(<いや、前もコレ見たんですけど、今回さまざまな「なぜそれをそこで」をお聞きして、しみじみスゴいなーと思ったのでした)、誰にもそのまま当てはまるものではないと思います(実際、S藤さんご自身も、翻訳者モードとチェッカーモードで順番を入れ換えておられるそうです)。最初に皆に向かってなさった6つの質問(前回レポートに記載あり)に対する「自分なりの」答えを吟味しながら、自分にとって「最強の」チェックフローを組んでほしいと考えていらっしゃるのではないかと思います。そして、そのためのTipsをさまざまご紹介くださった、という流れなのかなと。そして、そのTipsは、「そもそも最初からミスを出さないようにするためにはどうすればよいか」という発想に立脚したものなので、(自分が実際に取り入れるかどうかは別として)頷けるものばかりです。


さて、今回は、一昨年の翻訳祭でも配布された「翻訳者の翻訳品質保証マトリックス」、セミナー用の資料と思われる「誰も教えてくれない翻訳チェック ~翻訳者にとっての翻訳チェックを考える~」の他に、「翻訳者のための翻訳チェック入門」という小冊子が配布されました。この最後の資料が、翻訳品質を考える上での最高の教科書になっています(とワタクシには思えました)。この冊子を貰うためだけにも、寒さに打ち震えながら行ってよかったと思いました。

冊子の「はじめに」で、翻訳学校でこうした内容に特化した講座は自分の知る限りないようだが、それは、翻訳者ひとりひとりの(文書や分野も含めた)翻訳環境が大きく異なるためかもしれない、と書いておられます。だからこそ手法そのものより、アプローチの仕方を考えることが重要になってくるのではないかと思います。


今回、新たに、チェック時間の考え方として「翻訳/翻訳チェック工数」という概念についての話がありました。詳細は省きますが、翻訳やチェックの文字/秒の基準時間を算出し、そこから時速や1日処理量を導き出すというものです。なんかムツカシそうな言葉ですが、ざっくり言うと、数値化によって自分の仕事を客観視していることになるのかなと。チェックも含めた「自分が翻訳に要する時間」(自分の処理量)を体感的(←得意)ではなく工数という形で客観的に把握することができれば、「その仕事は品質を落とさずにできる仕事かそうでない仕事か」の判断もしやすくなると思います。


最後に、昨日話題に上がったWildlightですが、ワタクシも、最後のチェックに有難く使わせてもらっています。
翻訳社毎のスタイルガイドの他に、独自のスタイルガイドを指定してくる元クラさんが2~3社あり、「ここは同じだけどここはA社はこう、B社はこう」という小さな違いが結構あって、以前は難儀していたのですが、Wildlightで、クライアント毎の適用辞書を作ってからは、その確認が格段に楽になりました(<自分で作った振りをしていますが、最初はWildlightに精通した諸先輩方にほとんど作って頂きました)。
自動修正するのではなく、ハイライト機能で辞書に掲載されている語句を示し、最終判断はこちらに委ねてくれる点も気に入っています。

...そんなわけで、一昨年の翻訳祭の直後に若干手直ししたMy Checkですが、今回、「教科書」を読んで考えながら、「もっとよいものはできないか」を今一度考えてみたいと思います。Wildlight辞書もちょっと見直しせないかんなー、と思っていたのでこの機会に。


かなり大雑把な報告になってしまいましたが、凍死しそうなので、現場からは以上です。
2018.01.27 14:47 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(1) |

個別レポートを終えて抜け殻となったワタクシは、たぶん軽く突いただけでぺしゃんこになると思うので、心優しい皆さんはそうっと通り過ぎてやってくださいませ。


「屋根裏」では、特に翻訳祭と翻訳フォーラムの記事を書くときは、出席されなかった方にも流れが分かりやすいよう、できるだけ細かく、ニュートラルにを心掛けています(その割に私情を挟んでいるという説もある)。なので、「ここがキモやで」というか「ここが聴衆の心を掴んだんや」という、登壇者がもっとも伝えたかった部分は、逆に分かりにくいかもしれません(そして、ハズしている可能性が大なのだった)。

そういう「キモ」を知るには、実行委員長がまとめてくださった翻訳祭関連のブログやツイートのまとめを見ていただくのが一番いいかなと思います。熱いレポばかりではなく、異なる視点からの感想もあり、とても興味深いです。
http://baldhatter.txt-nifty.com/misc/2017/12/27jtf-40a2.html
(「屋根裏」も入れていただきました、ありがとうございます)


ただ、あくまで自分の場合ですが、熱いレポートやツイートを読んでいると、それを自分の意見や感想と錯覚してしまうことがあるので、そこは気をつけなあかんなと思っています。
レポートから1週間の冷却期間(?)をおいて、もう一度翻訳祭を振り返ってみました。


わたしは、翻訳祭から何を持ち帰ったのだろう?

翻訳祭に参加する理由は人それぞれかと思うのですが、ワタクシはやはり、「聴講したいセッションが複数ある」ことが最大の理由です。そして、普段SNS上でしかやり取りできない方々と(短時間でも)実際にお話できればそれで十分満足です(というかそのあたりで体力が尽きる)。今年は懇親会まで参加し、旧知の方々と楽しくお喋りして過ごしましたが、大人数の宴はやはり苦手です(田舎者なだけという説もある)。で、お喋りに夢中になってデザートを頂きそこねたのが、今でも悔やまれます。だから、十人十色の懇親会のメニューは「甘味」つきにしました(って関係ないし<自分)。

でも、そうやって聴講したセッションの記憶も日が経つにつれて少しずつ薄れてきていて、文字には残したものの、自分の心の片隅にもきちんと「何か」が残っているかどうかははなはだ不安です。
それでも、今でも残っているこの気持ちは、ハンパない「打ちひしがれ」感。何を持ち帰ったかと問われれば、やはりこの超弩級の「打ちひしがれ感」なのかなと思います。

登壇された方々も、直接お話した方も、間接的にお話を聞いた方も、それはそれはすごい方が多くて。その「すごさ」は、少しの才能と見えないところでの多大な努力の結晶だと思うのですが、その方たちは、そうした努力を日々の普通の営みのように話されたり、実に楽しげに語られたりする。
それを見聞きし、わたしは、「自分はまだまだだ」と、少しばかり天狗になりかけていた鼻をへし折られ、心に若干の痛みを抱えながら、同時に「まだまだ努力できる部分がたくさんある」という妙な高揚感を抱いて帰途についたのでした。

そんな風に、自分の中に生じてくる「自分はできる」という過信を踏み潰してもらうことが、自分が、定期的にセミナーに出席する大きな理由のひとつなのかなと思います(実際的な情報を頂けるセミナーやワークショップも多いですが)。そうしたセミナーをひとりで開催できるだけの力を備えた方々が集っているわけですから、翻訳祭のあとは、ティラノザウルスに踏まれたような気持ちです(踏まれたことがないので想像ですが)。←今このあたり

そんなことを考えながら「通翻ジャーナル冬号」を読んでいたら、通訳者の方の言葉で「自分の頭で考えて判断する、言葉だけを追いかけるのではなく意味を汲み取って通訳する」という言葉が目に入りました。
翻訳も同じで、文脈の中において初めて、訳語の適否を正しく判断することができると思います(やっと、受け売りではなく、自分なりに考えて、そう思えるようになりました)。
それは、諸先輩や講師先生などから、それぞれ違う言葉や表現で教えて/伝えていただいたことなのですが、結局は皆さん、同じ(ような)ことを仰っているのだなあと思った次第です。
「言葉は生き物」というのは、「時代によって言葉が変化する」という意味合いで使われるのが一般的だと思いますが、毎日の翻訳でも、異なる文脈では異なる訳語が選ばれるわけで、そう考えると、翻訳者は日々言葉という生き物と相対しているのだなあと、改めて思ったのでした。

翻訳祭に出席していなかったら、すぐにこうした連想をしたかどうか分かりません。だから、
「(生き物である)言葉を大切にしたい」
という気持ちが、今年の翻訳祭の一番の収穫なのではないかと、少し落ち着いた今思っています。
2017.12.11 18:04 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |