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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


2016年、2017年に続いて3回目の参加になります。
(2018年の京都は参加しとらんのかい!というツッコミはなしね)

実行委員始め関係者の皆さま、ありがとうございました&お疲れさまでした。

最初にプログラムを拝見したときは、機械翻訳関連が多いのかなという印象を受けましたが、あとでゆっくり講演内容冊子を拝見すると、機械翻訳がテーマと言ってもいくつも切り口があり、それ以外に、さまざまな視点から「(日々の翻訳作業であるいは翻訳業を続けていく上で)翻訳者としておさえておくべきこと」もちりばめられていて、それなりにバランスのとれたプログラムのように感じました。
大会組織委員長(高橋聡さん)の挨拶に「…どの道を選ぶにしても、必要なのは十分な情報に基づいた自覚的な判断です。今年の翻訳祭では、その判断の手がかりとしていただけるような24のセッションを用意しました」とありました。聞きたいセッションが被っているものもあって悩みましたが、そこからひとつを選ぶという作業から、もう「自覚的な判断」が始まっているのかもしれません。

簡単に各セッションの感想

まず、時間的に間に合わなくて、聴講したかったけれど聴講できなかった1時間目のセッションについて。

「質を守る翻訳者の工夫~原稿受領の時点から」(高橋さきの・齊藤貴昭)
聴講された方の話を伺ったり、資料を見せていただいたりしたところでは、「翻訳の品質」に焦点を当て、(頭の中で起こっていることも含めて)原稿受け取りから最終チェックまでの「翻訳」とはどのような作業なのかということを、高橋さきのさんが説明され、それを間違いなく効率的に行うためのチェックの一方法を齊藤さんが実例を示して説明される、という贅沢な内容だったようです。どちらか一方だけでは見えにくい可能性もある「なぜそれが大切なのか」が見事に可視化されたセッションだったと想像します。初めての試みであるサテライト会場(英断!)も含めて立ち見が出る盛況ぶりだったそうで、「翻訳の基本」に関する話を聞きたい翻訳者がそれだけ多いということの現れではないかと思いました。

* こうした翻訳の基本について丸一日話を聞くことができる「翻訳フォーラム・シンポジウム」、来年は6月28日の開催だそうです。詳細発表はおそらく来春でしょうが、興味のある方は、翻訳フォーラムさんのツイッターに気をつけておかれることをお勧めします(回し者ではありません<念のため)。


2時間目「機械翻訳時代のサバイバル戦略」(井口富美子・梅田智宏・加藤泰・成田崇宏)
個人翻訳者(井口さん)、翻訳会社経営者(梅田さん・加藤さん)、翻訳会社の翻訳事業部責任者(成田さん)という立場の違う4名が、それぞれの立場から語る翻訳(社/者)の未来とサバイバル。このセッションも(サテライトを含め)立ち見が出ました。メモから抜粋します(共感できなかった部分も含めて箇条書きにしています)。お話をお聞きしたかぎりでは、こちらの翻訳会社はいずれも、MTを導入しているとはいえ、翻訳者の力というものを認め、MTについてきちんと考え、PEの労力もきちんと評価しようとしている、良心的な会社であるように感じました。また、他業種から転職されたという方の、「外から翻訳業界をみる」視点は、なかなか興味深いものでした。
・本来MT-PEに人力と同等の品質を求めるのは困難。内容に間違いがないレベルを提供。
・駆け出しではなくベテラン翻訳者の方がPEに向いているように思う。
・MTエンジンの精度は分野によってまちまち。PEの作業がきちんと評価されずコスト下げ圧力がかかった場合のはけ口にされている。
・MTを使う使わない(PEをするしない)は自分次第。受けるのであれば、他の作業者のためにも条件闘争はすべき。
・今後どのように状況が変わるか分からないため、使う場合もそうでない場合も、常に(MTの)リサーチや勉強は必要。
・現状、MT出力の品質を正しく評価できないクライアントが多いのが実状。本来は、翻訳会社が、できるかできないかを顧客にきちんと説明すべきである。
・今後は「やわらかい」翻訳しか人手翻訳として残らないと思われる。そこでも、納期短縮とコストダウンは求められるだろう。
・そうした時代に生き残るために、ベテランは力をつけてほしい(専門性、翻訳力など)。新人の場合は、もし抵抗がなければ、PEを極める方向に向かうという選択肢もある。ただし翻訳会社を選ぶ際は、搾取されないよう注意が必要。
・世間の9割以上が「翻訳とは何か」を知らない。
・今後、翻訳者はどうすればよいのか? 専門を極める、信用・信頼に基づいたチームをつくる、multi-profession(複業)で生きるなどのやり方が考えられる。


3時間目「NMT+PE=医学翻訳の新たな潮流」(津山逸)
(自分=津山氏の考えでは)MTは、Translation Memory Softwareと同じような、Toranslation Toolsのひとつ。対抗し戦う相手と考えなくてもよいのでは。PEによって翻訳者の仕事の幅が広がると考えればよい。NMTの良し悪しを決定するのはコーパスの良し悪しだ。英日翻訳については、NictがR&D Head Clubと共同でAI自動翻訳システムの最適化を進めている(加盟製薬会社複数社から提供された対訳データをコーパスとして使用)。このデータを用いたMTのPE作業が今後飛躍的に増えるのではないかと思われる。それが大きな割合を占めるようになるのが避けられないのであれば、早いうちに慣れて備えておいた方がよい。翻訳会社はよいポストエディタを求めているが、人力翻訳能力が高い翻訳者でなければよいPEはできない。一見誤訳に見えるがそうではないようなものも短時間に見極める能力が必要だからだ。背景知識も必要。MT-PEでは、短時間でどれだけ多くの量を仕上げられるかが問われる。100点を求める必要はない。「ちょうどよい」レベルでよい。ただし、常に100点のものができる実力はつけておく必要がある。PEはMTの付加価値であるから、コストダウンの対象にはしてほしくない(最終的なしわ寄せがエディタにくるようなやり方はやめてほしい)。

――というのが講義全体の大意。セッションでは、通常のMTエンジンと、それに製薬会社内のコーパスを加えたものから出力された訳文の比較を行いましたが、後者(以下Adaptive)の出力は、訳文のみをさらっと読んだだけでは、ほとんど違和感が感じられない仕上がりになっていました。(医薬のこの種の文書にMTを使うという判断の是非はひとまず置くとして)正直、これならかなりの数の人間翻訳者が負けるわと思いました。あくまでもセンテンスレベルの話ですが。セッション後半では、いかに短時間で、そうしたAdaptive訳文の不備を見つけ、修正の要否を判断するかのtipsが説明されました。「よいPE」を行うための秘訣的なものとでも言えばよいでしょうか。


4時間目は、「メディカル翻訳の将来を考える」か「玄人な関係を築くための本音トーク90分」のどちらかを聴講しようと思っていましたが、常日頃一番お世話になっている翻訳会社の役職者の方とサシでお話をする機会に恵まれましたので、サボってしまいました(スイマセン)。その社の方針(かなり本音レベル)や現況をお聞きし、こちらも考えや目指したい方向についてお話することができました。感触は悪くなく、これからもよい関係が続けられるのではないかと思いました。今回の東征の(個人的)収穫のひとつです。


(感想いろいろ)
私が聞いた2つのセッションでは、ポストエディタに向くのは、知識も翻訳力も豊富できちんと判断のできるベテラン翻訳者だとされていました。その点は確かにそうかなと思うのですが、PE作業ばかり続けていると、出力される訳文以上の訳文を自力でつくれなくなるおそれがあるという負の部分(つまりMTが翻訳者に及ぼすデメリットのひとつ)への言及はありませんでした。とはいえ、PE打診時に翻訳会社側からそういう話があるはずもなく、その点は翻訳者自身が自覚しておかなければならない点だと思います。上で、Adaptive訳文はなかなか素晴らしかったと書きましたが、一般MT訳の方は、読めるものもありつつ「…」という箇所もあり、たとえて言うなら、砂抜き不十分なしじみのお料理をいただいているような感じでした。そういう文章ばかり見ていては、そんな文章しか書けなくなるのは時間の問題だと思います(少なくとも、良くも悪くも影響を受けやすい自分はそうなるに違いありません)。

以前、MT導入がなし崩しに進んでいるというような話に絡んで、MTが自動運転と対比されていたことがあったと記憶しています。自動運転では、事故が起これば死に至るおそれがあるから、開発にも導入にも慎重になる(MTはそうではない)というような話だったと思います。確かに、言葉は、比喩的に「凶器」と言われることはあっても、それ自身が刃物のように実際に人を殺めるわけではありません。けれど、言葉はコミュニケーションの基本であり、それによって得られるメリットは計り知れませんが、ときには誤解を生み人間関係を壊し人や国を争わせる原因にもなり得ます。どんな形にせよ翻訳に関わる人間は、そのことを忘れてはならないのではないかと、メモを読み返し報告書を書きながら、ふとそんなことを考えました。翻訳祭とは直接関係はありませんが。

結局、一翻訳者としては「やみくもに恐れずけれど楽観もせず、現状を正しく認識し、周りの雰囲気や声に流されず、自分の置かれた(翻訳以外の)環境も考慮し、自分の進みたい道を自分で決め、決めたらとことん努力する」というごく当たり前のことを日々やっていくしかないのかなと思います。MTへと向かう流れを否定するものではありませんが(「他社がやっているから」「顧客が求めるから」「運用できちんと」で流れていくのはどうなんだろうとは思ってしまいますが)、自分はやはり自分で翻訳をしたい。であれば、今以上の力をつけていくことを一番に考えなければならないだろうと、改めて思ったのでした。


最後になりましたが、会場や懇親会でお話できた方、新しくお知り合いになった方、お話しできて嬉しかったです。ありがとうございました。一瞬のご挨拶しかできなかった方、またの機会にゆっくりお話させてください。総じて楽しい1日でした。ありがとうございました。
2019.10.26 02:29 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(2) |

翻訳フォーラム・レッスンシリーズのセミナー「辞書のホントの使い方~大辞典・学習辞典・英英辞典はここを読め~」に参加してきました。
詳しい内容が記載されたイベント情報はコチラ↓
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/01nhqt10dfi13.html

セミナーで紹介された辞書・書籍・ウェブサイトなどの一覧はコチラ↓です。
http://fhonyaku.blog.jp/archives/80267988.html

すでにご存じと思いますが、帽子屋さんのブログ「禿頭帽子屋の独語妄言 side A」はコチラ↓
http://baldhatter.txt-nifty.com/


帽子屋さんの辞書の話は、これまで翻訳フォーラムのシンポジウムやJTFセミナーで何度か聞いていますし、辞書関連のブログ記事も適宜読ませていただいています。手元にはそこそこ辞書も揃いました。それで、今回はどうしようか迷っていましたが、月末の用事が延期になったこともあり、思いきって参加することにしました(下心は、もちろん、ある)。


イベント情報に「これまではどの辞書にも共通する汎用的な説明にとどまっており、どの辞書を使ったらどんなことが読み取れるのかという具体的・個別的な話までは至っていません。そこで今回は、翻訳者がよく使う辞書の特徴を紹介しながら、それぞれの辞書にどんな情報がどんな形で載っているのか、どう読み取ればいいのかを細かく解説します」とあるように、今回のセミナーは、これまでの「各種辞書とその特徴を(ざっと)紹介する」というものから、一歩も二歩も踏み込んだものであったと思います。


セミナーは、各辞書(英和・和英・国語)の序文当てクイズから始まりました。
各辞書に個性があり、そして面白い! これまでは海野さんと「英語基本語義辞典」くらいしか読んだことがなかったですが、時間を見つけて序文も読んでみようと思います。

特に、三省堂国語辞典第三版序文の「辞書は、ことばを写す〝鏡〟であります。同時に、辞書は、ことばを正す〝鑑(かがみ)〟であります。〝鏡〟と〝鑑〟のどちらに重きを置くか、どう取り合わせるか、それは辞書の性格によってさまざまでありましょう」という部分については、編者の縁者という参加者の方から、その趣旨についてもっと詳しい説明をいただきました。序文まで読むと、もっと背筋を伸ばして辞書を使わなければ、という気持ちにさせられます(ちなみに、私は、物書堂アプリとして三省堂国語辞典第七版を所持していますが、あとで確認しましたら、七版序文に加えて三版の序文も収載されていました)。


序文の次は凡例についてのお話。
凡例を知っているのと知らないのとでは、辞書を引いたときに得られる情報がかなり違うことを実感。恥ずかしい話ですが、意味をよく知らなかったものもかなりありました。凡例大事。


その後は、英和辞典(ランダムハウス・ジーニアス・新英和の三大英和辞典、リーダーズ&プラス、ビジネス技術実用英語大辞典など)、英英辞典(Cobuild、Longman、WordNetなど)、国語辞典(明鏡、三省堂、大辞林など)、類語辞典(日本語大シソーラス、類語例解辞典、デジタル類語辞典)の順に、それぞれの特徴の説明がありました。参加者も実際に例題の単語を引きながら、それぞれの結果についての解説を聞くという形でしたので、凡例や用例まできちんと読むことの大切さが実感できました。


個人的にはWordNetの見方をきちんと教えていただけたのが、収穫のひとつでした。実は私は、かなり前にWordNetをDLして使ってみたものの、使い勝手がイマイチだなと感じて、あまり使わなくなってしまっていたんです。それは、英語版と日本語版の統合版を日本語シソーラス的に使用しようとしていたからだということが分かりました。記事の最初に記した「参考資料一覧」のWordNetの項にも、ちゃんと「日本語シソーラスとしての使用は非推奨」と括弧書きされていました(恥)。上位下位という概念の考え方やラベルの見方を教えていただきましたので、これからは、もう少しちゃんと使用することができそうです。このWordNetの上位下位の概念は、デジタル類語辞典の同義・狭義・広義とちょっと似ているなと思いました。

それから、新和英大辞典の使い方も、自分の中で以前より明確になったような気がします。これまでは、「全文検索で用例から訳語(日本語)探し」という使い方しかしてこなかったんですけど、日本語単語を入力しての広い意味での語義確認もなかなか役に立ちそうだということがわかりました(実際に帰宅して両方やってみてスクショもとりましたので――そのうち――補足として記事を書こうと思っています<希望的観測<そのうちな)。


最初に帽子屋さんが仰ったように、これからは、オンライン辞書、CD-ROM(またはDL型の)辞書(の串刺し検索)、アプリ(物書堂など)、紙辞書、電子辞書などさまざまな媒体の特徴を知り、それらを駆使して辞書引きを行う、という方向に向かうのでしょう。
辞書の基本を抑えたら、自分の仕事環境、分野などにあわせて、辞書環境をカスタマイズしていく(どんな辞書をどのように使えば最短時間で最適な結果が得られるのかをよく考える)必要があるのだということを(いや、それ、当たり前と言えば当たり前なんですが)、改めて意識することができたセミナーでした。
頭も辞書環境も、もう少し整理しなければ。
2019.10.01 22:54 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |
「シンポジウムでは、どんな風にノートをとっているのですか」という質問をいただきました。
こうやってレポートを書いていると、ノートとりにまで目を向けてくださる方がいて、ありがたいことです。


ひと言で言えば、「書き取れるもの、聞き取れたことはすべて書いています」ということになります。なので、ずっと何か書いています。今回のシンポジウムでは、A4用紙5枚(裏表)10ページ分のノートをとりました。

なぜ、こんなノートのとり方をするようになったかを説明するには、初参加の2016年の翻訳祭までさかのぼらなければなりません。
それまで私は、翻訳祭のツイートやその後のレポート記事を「(参加できて)いいなあ」「羨ましいなあ」と思いながら眺めていました。
だから、始めて参加できた翻訳祭では、それまでの自分のように「いいなあ(参加したいなあ)」とPCの前でため息をついている方たちのために、精一杯レポートをしようと決めていました。ツイッターでは、その場に居合わせた方々の生の感想が流れてきます。同じフレーズが何度も流れ、「それがその話のキモだったのだ」ということは分かるのですが、どういう状況で、どんな流れでそのフレーズが演者の口から発せられたのかは、前後のツイートやその後のレポートから想像するしかありません。だから、「大事な部分を切り取った、内容の濃い深いレポートは他の方に任せて自分は全体の流れが分かるようなレポートをしよう、そのためには、書き取れることはすべて書き取ろう」というのがSayoレポを始めた理由です。


今もその気持ちは変わらなくて、「昔の私のような方に読んでほしい」とノートをとり、レポートを書いています。

そんなわけで「とにかくすべて書く」ことに徹しているため、「ここ大事だから書き留めよう」ということはありません。ですから、シンポジウムなりセミナーなりが終わると、「え、今日私どんな話を聞いたっけ」状態で、普通なら心に残っているはずの重要な内容がまったく自分の中に残っていなかったりします。なので、自分のためにも復習とレポート作成が必要なのです。

シンポジウムに関していえば、講演者によって少しずつノートのとり方が変わります(3回目ともなると、そのへんだけは少し見えてきました)。

深井さんは、比較的ゆっくり喋られ、スライドもイラストや写真多めなので、ノートテイキングという点から言えば一番ラクです(その代わり、どの情報も落とすことができませんが)。
なので、トップバッターが深井さんだと、言葉がちょっと悪いのですが、いいウォーミングアップになります。耳から情報を中心に、できるかぎりスライド情報を書き足します。

井口さんは、とても理路整然と話されますので、やはりノートはとりやすいです。話が分かりやすい一因として、(スライドで)図を多用されるということがあるかもしれません(今回の「ぐるぐる循環させる」の説明も、図があれば一目瞭然ですよね)。なので、その図だけは、間違いがないようキチンと写しておかなければなりません(昨年はいい加減に写したのでレポートに使えなかった)。耳から聞いたこと7割、スライドの内容3割くらいの感じでノートをとります。

高橋(あ)さんは、「マイクいらないですよね」と仰って地声で話されるだけあって一番滑舌がよく、「耳からノートテイキング」には神のような方です。スライド情報はそこそこ多いのですが、あとで事後配付資料やご自分のブログ記事などの形で何らかの補足をしてくださることが多いので、耳からの情報をおもに書き取ります。

高橋(さ)さんは、すごく大事なことを仰るのだけど、とにかく難しい。今回は、事前配付資料とスライドの内容がかなりかぶっていたのでとても助かりました。さきのさんのお話をノートにとるときは、スライドからはキーポイントだけ、おもに耳から情報を書き殴ることになります。一度置いてきぼりになると絶対に追いつくことはできないので(&ほとんどの方がそうだと思いますが、「ノって」こられると早口になります)、とにかくその場では、耳に入ってくる内容をできるかぎり書き取ります。

(星野さん、佐復さん、タコの会さんは、まだ傾向がつかめていないため割愛します。スイマセン。)

最後の4名によるケーススタディは、「ノートテイキング」的観点からいえば、一番ラクでした。スライドに各例題が表示されましたが、いずれも事前資料として配付されていたものですので、基本、顔を上げることなく耳からの情報だけに傾注することができました。「スライドも見ながらノートをとる」には、首の動きと視線の移動が必要になりますし(キー入力と同じで「チリも積もれば…」です)、瞬間瞬間で、耳からの情報とスライド情報のどちらを優先するかという判断も必要になります。ですから、疲れマックスの最後のセッションが、このケーススタディであったことは、とてもありがたかったです。


ノートからレポートにする作業ですが、まず、テーマや当日の進行表とにらめっこしながら、「なぜその順番なのか」を考えます。フォーラムのシンポジウムでは、内容や緩急も含め、話をされる順番がとてもよく考えられていると思います。そこで、だいたいの流れを1枚程度のメモにしてしまうと、その後のレポート作成がかなりラクになるような気がします。
基本的には自分のノートを基にレポートを書きますが、一応、ハッシュタグでまとめられたシンポジウム関連のツイートも確認しておきます。
その後、もう一度ノートを読み直して、どの部分をレポートに採用するか(&どの部分を闇に葬るか)を決めます。だいたいそのあたりで新幹線が京都に到着します。


覚えとしてのメモなら、自分にとって大事だと思えるところを重点的にノートをとればいいのかなと。
もしも、翻訳祭や来年のシンポジウムで「全部ノートをとろう」と思っている方がいらっしゃったら、なにがしかの参考になれば幸いです。
2019.06.03 22:15 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |

翻訳フォーラムへの参加も今年で3回目になります。1年目はただただ圧倒され、2年目は全身を耳にして話に聞き入り、3年目の今年は、その場にいて話を聞けることの有難さと幸せを噛みしめました。フォーラムのメンバーの皆さま、その他の登壇者の皆さま、受付等の準備に携わられた開催関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

3年分のシンポジウムのレポートへのリンクを以下にまとめました。

2017年「直訳と意訳の間で」
翻訳フォーラム・シンポジウム体験報告記(上)
翻訳フォーラム・シンポジウム体験報告記(下)
翻訳フォーラム・シンポジウムおまけ(Q&A)


2018年「つなぐか切るか」
翻訳フォーラム・シンポジウム2018 (1)
翻訳フォーラム・シンポジウム2018 (2)
翻訳フォーラム・シンポジウム2018 (3)
翻訳フォーラム・シンポジウム2018・雑感(おまけ)


2019年「足さない・引かない」
翻訳フォーラムシンポジウム2019・全体総括 
翻訳フォーラムシンポジウム2019・レポート1 
翻訳フォーラムシンポジウム2019・レポート2 
翻訳フォーラムシンポジウム2019・レポート3 

2019.05.29 00:06 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |

「『原文の絵を描く』とは-「スペインの雨はヒマラヤの雪」(星野)
 The rain in Spain stays mainly in the plain.
 映画「My Fair Lady」の中で主人公イライザのコックニー訛りの矯正に用いられる台詞。以下の3つの訳がある。
1 スペインの雨はおもに平野に降る(倉橋健)
2 日は東、日向にひなげし、光あふれひばりひらり(2013年「マイフェアレディ」東京公演時の翻訳)
3 ヒマラヤの鄙(ひな)に終日(ひねもす)ひらひらと雪はひた降る(2005年「ウォータースライドをのぼれ」ドン・ウィンズロウ/東江一紀訳)
1は原文に忠実。2は発音矯正(「ひ」と「し」)に主眼を据えているという点で原作の意図をよく踏まえており、自然描写でもある。3は韻を踏みつつも情景を美しく捉えていて秀逸。
原文を読めていないまま正しく訳すことはできない。これはどんなジャンルでも翻訳の基本である。正しく読み訳すための技術としては、文法、今日シンポジウムで学んだ事柄、たくさんの優れた原文と訳文に触れることなどが挙げられる。
(Sayo記:東江一紀氏の訳業から多くの影響を受けたと仰る越前敏弥さんが一聴講者としてシンポジウムに参加されるという、幸せな偶然(?)が。改めて東江さんの凄さを感じました。しかしながら、音読した際に一番読みにくいのは2で、これはこれで、公演台本として上手く作られているなあと思いました。)


「翻訳者のための言語学のススメ」(佐復)
 原文にはalsoやtooがなくても、日本語では「も」としないとおかしいケースが往々にしてある。その理由を言語学的観点から説明できないかとずっと考えていたが、コヒージョン(結束性)によって説明できるのではないかと思う。英語と日本語では、言語によって結束性を実現する方法が違うため、原文と訳文を等価にするためには「も」が必要。「も」を足したことで情報が増えたわけではない。
言語学に対する興味が大きくなり、放送大学などを利用して、大学時代に学んだ言語学を学び直している。「旧」言語学ではlangue(規則の集まり)のみが研究対象であったが、現代の「新」言語学には、parole(個々人が具体的に使用する実体)も含まれ、意味のみならず言語が用いられる意図も対象となる。翻訳には、意味(旧言語学)と意図(新言語学)の両方が必要ではないか。
言語学は、翻訳に役立つヒントの詰まった鉱脈。問題を整理し、顧客に理論的な説明を行うのに役立つと考える。
(Sayo注:佐復さんの言語学についてのお話は非常に面白かったのですが、お話にメモ取りがついていけず、すべてをレポートすることができません。ということで、声を大にして「興味深い内容でした」とだけ申し上げておきます。)


「足さない・引かないのケーススタディ」(高橋さ・井口・高橋あ・深井)
 8つの例題を肴に、4人が「どう処理すると『足さない・引かない』を実現できるか」を論じ合う非常に贅沢な時間。
例題A:比喩の処理―原文言語・訳文言語両方のもつ文化背景まで考慮する。「自分が知っているから皆知っているだろう」という判断は危険。自分の常識が他人の非常識ということもある。
例題B:固有名詞の処理―対象読者は誰かを考える。一般的には知られていない言葉でも、説明を加えると対象読者に失礼になるケースもある。読者はどう読むか、どんな絵を描くかを考えることを忘れない。
例題C:大幅に言葉を補う―英語読者には馴染みのフレーズ(したがって冒頭部分しか書かれていない)が日本語読者には馴染みのないものである場合、読者の受け取る情報を同じにするために、全部を記載する場合もある。
例題D:原文にない情報がいくつも追加されている(好ましくない例)―原文の書き手の意図がまったく反映されていない。日本語を整えるために、また調べて分かったことを伝えたいがために言葉を足している。翻訳者は自分のために訳文を書いてはいけない。
例題E:定義の「こと(である)」―必要な「ここぞ」というときに使うべき。そのために、その他の部分では極力使わないようにするのが望ましい。
例題F:one or moreの処理―英語では単複を定義しなければならないが、日本語では単複が包含されるので、基本的に「1つ以上の」は訳さない。
例題G:日本語のおしらせのあいさつ部分を英訳では(全)削除―大切な情報が確実に伝わることが大事。相手と目的に合わせて変えることは「足さない・引かない」からは外れない。ただし、例のように大幅に削除する場合は、最初に理由とともに「リライトする」と伝えておく方が無難かも。
例題H:肯定と否定の転換―日本語では二重否定で微妙な内容を表現することがある。英語も、違う形で同じように微妙なニュアンスを表現しようとする場合もあるだろう。そのような場合に二重否定を用いることは、「足さない・引かない」からは外れない。

Q&A(割愛)
「足さない・引かないのケーススタディ」で、皆の知りたかったことがおおかた言葉にされた感があり、会場からはほとんど質問の手が上がりませんでした。
2019.05.28 23:59 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |