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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「シンポジウムでは、どんな風にノートをとっているのですか」という質問をいただきました。
こうやってレポートを書いていると、ノートとりにまで目を向けてくださる方がいて、ありがたいことです。


ひと言で言えば、「書き取れるもの、聞き取れたことはすべて書いています」ということになります。なので、ずっと何か書いています。今回のシンポジウムでは、A4用紙5枚(裏表)10ページ分のノートをとりました。

なぜ、こんなノートのとり方をするようになったかを説明するには、初参加の2016年の翻訳祭までさかのぼらなければなりません。
それまで私は、翻訳祭のツイートやその後のレポート記事を「(参加できて)いいなあ」「羨ましいなあ」と思いながら眺めていました。
だから、始めて参加できた翻訳祭では、それまでの自分のように「いいなあ(参加したいなあ)」とPCの前でため息をついている方たちのために、精一杯レポートをしようと決めていました。ツイッターでは、その場に居合わせた方々の生の感想が流れてきます。同じフレーズが何度も流れ、「それがその話のキモだったのだ」ということは分かるのですが、どういう状況で、どんな流れでそのフレーズが演者の口から発せられたのかは、前後のツイートやその後のレポートから想像するしかありません。だから、「大事な部分を切り取った、内容の濃い深いレポートは他の方に任せて自分は全体の流れが分かるようなレポートをしよう、そのためには、書き取れることはすべて書き取ろう」というのがSayoレポを始めた理由です。


今もその気持ちは変わらなくて、「昔の私のような方に読んでほしい」とノートをとり、レポートを書いています。

そんなわけで「とにかくすべて書く」ことに徹しているため、「ここ大事だから書き留めよう」ということはありません。ですから、シンポジウムなりセミナーなりが終わると、「え、今日私どんな話を聞いたっけ」状態で、普通なら心に残っているはずの重要な内容がまったく自分の中に残っていなかったりします。なので、自分のためにも復習とレポート作成が必要なのです。

シンポジウムに関していえば、講演者によって少しずつノートのとり方が変わります(3回目ともなると、そのへんだけは少し見えてきました)。

深井さんは、比較的ゆっくり喋られ、スライドもイラストや写真多めなので、ノートテイキングという点から言えば一番ラクです(その代わり、どの情報も落とすことができませんが)。
なので、トップバッターが深井さんだと、言葉がちょっと悪いのですが、いいウォーミングアップになります。耳から情報を中心に、できるかぎりスライド情報を書き足します。

井口さんは、とても理路整然と話されますので、やはりノートはとりやすいです。話が分かりやすい一因として、(スライドで)図を多用されるということがあるかもしれません(今回の「ぐるぐる循環させる」の説明も、図があれば一目瞭然ですよね)。なので、その図だけは、間違いがないようキチンと写しておかなければなりません(昨年はいい加減に写したのでレポートに使えなかった)。耳から聞いたこと7割、スライドの内容3割くらいの感じでノートをとります。

高橋(あ)さんは、「マイクいらないですよね」と仰って地声で話されるだけあって一番滑舌がよく、「耳からノートテイキング」には神のような方です。スライド情報はそこそこ多いのですが、あとで事後配付資料やご自分のブログ記事などの形で何らかの補足をしてくださることが多いので、耳からの情報をおもに書き取ります。

高橋(さ)さんは、すごく大事なことを仰るのだけど、とにかく難しい。今回は、事前配付資料とスライドの内容がかなりかぶっていたのでとても助かりました。さきのさんのお話をノートにとるときは、スライドからはキーポイントだけ、おもに耳から情報を書き殴ることになります。一度置いてきぼりになると絶対に追いつくことはできないので(&ほとんどの方がそうだと思いますが、「ノって」こられると早口になります)、とにかくその場では、耳に入ってくる内容をできるかぎり書き取ります。

(星野さん、佐復さん、タコの会さんは、まだ傾向がつかめていないため割愛します。スイマセン。)

最後の4名によるケーススタディは、「ノートテイキング」的観点からいえば、一番ラクでした。スライドに各例題が表示されましたが、いずれも事前資料として配付されていたものですので、基本、顔を上げることなく耳からの情報だけに傾注することができました。「スライドも見ながらノートをとる」には、首の動きと視線の移動が必要になりますし(キー入力と同じで「チリも積もれば…」です)、瞬間瞬間で、耳からの情報とスライド情報のどちらを優先するかという判断も必要になります。ですから、疲れマックスの最後のセッションが、このケーススタディであったことは、とてもありがたかったです。


ノートからレポートにする作業ですが、まず、テーマや当日の進行表とにらめっこしながら、「なぜその順番なのか」を考えます。フォーラムのシンポジウムでは、内容や緩急も含め、話をされる順番がとてもよく考えられていると思います。そこで、だいたいの流れを1枚程度のメモにしてしまうと、その後のレポート作成がかなりラクになるような気がします。
基本的には自分のノートを基にレポートを書きますが、一応、ハッシュタグでまとめられたシンポジウム関連のツイートも確認しておきます。
その後、もう一度ノートを読み直して、どの部分をレポートに採用するか(&どの部分を闇に葬るか)を決めます。だいたいそのあたりで新幹線が京都に到着します。


覚えとしてのメモなら、自分にとって大事だと思えるところを重点的にノートをとればいいのかなと。
もしも、翻訳祭や来年のシンポジウムで「全部ノートをとろう」と思っている方がいらっしゃったら、なにがしかの参考になれば幸いです。
2019.06.03 22:15 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |

翻訳フォーラムへの参加も今年で3回目になります。1年目はただただ圧倒され、2年目は全身を耳にして話に聞き入り、3年目の今年は、その場にいて話を聞けることの有難さと幸せを噛みしめました。フォーラムのメンバーの皆さま、その他の登壇者の皆さま、受付等の準備に携わられた開催関係者の皆さま、本当にありがとうございました。

3年分のシンポジウムのレポートへのリンクを以下にまとめました。

2017年「直訳と意訳の間で」
翻訳フォーラム・シンポジウム体験報告記(上)
翻訳フォーラム・シンポジウム体験報告記(下)
翻訳フォーラム・シンポジウムおまけ(Q&A)


2018年「つなぐか切るか」
翻訳フォーラム・シンポジウム2018 (1)
翻訳フォーラム・シンポジウム2018 (2)
翻訳フォーラム・シンポジウム2018 (3)
翻訳フォーラム・シンポジウム2018・雑感(おまけ)


2019年「足さない・引かない」
翻訳フォーラムシンポジウム2019・全体総括 
翻訳フォーラムシンポジウム2019・レポート1 
翻訳フォーラムシンポジウム2019・レポート2 
翻訳フォーラムシンポジウム2019・レポート3 

2019.05.29 00:06 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |

「『原文の絵を描く』とは-「スペインの雨はヒマラヤの雪」(星野)
 The rain in Spain stays mainly in the plain.
 映画「My Fair Lady」の中で主人公イライザのコックニー訛りの矯正に用いられる台詞。以下の3つの訳がある。
1 スペインの雨はおもに平野に降る(倉橋健)
2 日は東、日向にひなげし、光あふれひばりひらり(2013年「マイフェアレディ」東京公演時の翻訳)
3 ヒマラヤの鄙(ひな)に終日(ひねもす)ひらひらと雪はひた降る(2005年「ウォータースライドをのぼれ」ドン・ウィンズロウ/東江一紀訳)
1は原文に忠実。2は発音矯正(「ひ」と「し」)に主眼を据えているという点で原作の意図をよく踏まえており、自然描写でもある。3は韻を踏みつつも情景を美しく捉えていて秀逸。
原文を読めていないまま正しく訳すことはできない。これはどんなジャンルでも翻訳の基本である。正しく読み訳すための技術としては、文法、今日シンポジウムで学んだ事柄、たくさんの優れた原文と訳文に触れることなどが挙げられる。
(Sayo記:東江一紀氏の訳業から多くの影響を受けたと仰る越前敏弥さんが一聴講者としてシンポジウムに参加されるという、幸せな偶然(?)が。改めて東江さんの凄さを感じました。しかしながら、音読した際に一番読みにくいのは2で、これはこれで、公演台本として上手く作られているなあと思いました。)


「翻訳者のための言語学のススメ」(佐復)
 原文にはalsoやtooがなくても、日本語では「も」としないとおかしいケースが往々にしてある。その理由を言語学的観点から説明できないかとずっと考えていたが、コヒージョン(結束性)によって説明できるのではないかと思う。英語と日本語では、言語によって結束性を実現する方法が違うため、原文と訳文を等価にするためには「も」が必要。「も」を足したことで情報が増えたわけではない。
言語学に対する興味が大きくなり、放送大学などを利用して、大学時代に学んだ言語学を学び直している。「旧」言語学ではlangue(規則の集まり)のみが研究対象であったが、現代の「新」言語学には、parole(個々人が具体的に使用する実体)も含まれ、意味のみならず言語が用いられる意図も対象となる。翻訳には、意味(旧言語学)と意図(新言語学)の両方が必要ではないか。
言語学は、翻訳に役立つヒントの詰まった鉱脈。問題を整理し、顧客に理論的な説明を行うのに役立つと考える。
(Sayo注:佐復さんの言語学についてのお話は非常に面白かったのですが、お話にメモ取りがついていけず、すべてをレポートすることができません。ということで、声を大にして「興味深い内容でした」とだけ申し上げておきます。)


「足さない・引かないのケーススタディ」(高橋さ・井口・高橋あ・深井)
 8つの例題を肴に、4人が「どう処理すると『足さない・引かない』を実現できるか」を論じ合う非常に贅沢な時間。
例題A:比喩の処理―原文言語・訳文言語両方のもつ文化背景まで考慮する。「自分が知っているから皆知っているだろう」という判断は危険。自分の常識が他人の非常識ということもある。
例題B:固有名詞の処理―対象読者は誰かを考える。一般的には知られていない言葉でも、説明を加えると対象読者に失礼になるケースもある。読者はどう読むか、どんな絵を描くかを考えることを忘れない。
例題C:大幅に言葉を補う―英語読者には馴染みのフレーズ(したがって冒頭部分しか書かれていない)が日本語読者には馴染みのないものである場合、読者の受け取る情報を同じにするために、全部を記載する場合もある。
例題D:原文にない情報がいくつも追加されている(好ましくない例)―原文の書き手の意図がまったく反映されていない。日本語を整えるために、また調べて分かったことを伝えたいがために言葉を足している。翻訳者は自分のために訳文を書いてはいけない。
例題E:定義の「こと(である)」―必要な「ここぞ」というときに使うべき。そのために、その他の部分では極力使わないようにするのが望ましい。
例題F:one or moreの処理―英語では単複を定義しなければならないが、日本語では単複が包含されるので、基本的に「1つ以上の」は訳さない。
例題G:日本語のおしらせのあいさつ部分を英訳では(全)削除―大切な情報が確実に伝わることが大事。相手と目的に合わせて変えることは「足さない・引かない」からは外れない。ただし、例のように大幅に削除する場合は、最初に理由とともに「リライトする」と伝えておく方が無難かも。
例題H:肯定と否定の転換―日本語では二重否定で微妙な内容を表現することがある。英語も、違う形で同じように微妙なニュアンスを表現しようとする場合もあるだろう。そのような場合に二重否定を用いることは、「足さない・引かない」からは外れない。

Q&A(割愛)
「足さない・引かないのケーススタディ」で、皆の知りたかったことがおおかた言葉にされた感があり、会場からはほとんど質問の手が上がりませんでした。
2019.05.28 23:59 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |

「辞書最新情報2019年版」(高橋あ)
高橋(あ)さんが、2018年5月~2019年5月までの1年間の辞書に関する最新情報をベスト10の形で紹介。詳細はご本人が記事にされていますので、そちらをご参照ください。
「翻訳フォーラム・シンポジウム2109終了」
http://baldhatter.txt-nifty.com/misc/2019/05/post-d9f1ae.html


「やってみた! 辞書の棚卸し」(タコの会)
 深井ゼミ生4名で構成される「タコの会」では、それぞれが手持ち辞書をリストアップし、特徴を調べ、気づいたことをまとめるという「辞書の棚卸し」に挑戦した。ゼミで辞書に関する質問に答えられなかったり、辞書セミナーに出席しても内容を実務に生かしきれないと感じたりしていたことが契機という。棚卸しをしたことで、自分がどんな情報がほしいか、それはなぜか、そのためにどのような辞書環境を構築すればよいかが明確になったそう。単に辞書環境が改善されたのみならず、辞書引きに対する意識改革がなされたのが素晴らしい。「投網漁法」から「モリでつくやり方」に変え使いやすくなったという報告がとても分かりやすかった。
(Sayo記:私も最初は多数の辞書を一括検索していましたが、ここ2~3年は、複数の串刺し検索ソフトを使って辞書をグルーピングし、「この情報がみたいときはまずここ」「もっとピンポイントで検索したいときはここ」みたいな辞書引きをするように変わってきましたので、タコの会さんの話には頷ける部分が大きかったです。と同時に、自分にはまだまだ最適化の余地があると思いました。)


「接続表現をどう処理するか」(高橋さ)
 特許翻訳の仕事を始めた頃、「すなわち」「つまり」は、英訳では削り和訳では挿入するようアドバイスされたが、最近の自分の仕事を確認すると、実際にそのようにしていることが多い。その意味を改めて考えてみた。
英語は、基本語順が決まっており、独立した文を接続詞でつなぐイメージ。切れ目がはっきりと見える。これに対し、日本語は基本的に語順が決まっておらず、「が」などを用いていくらでも文をつなぐことができ、主語の省略もあるため、句点くらいでは文の切れ目はピンとこない。このため、切れ目を明確にするために接続詞(切続詞=さきのさん造語)が必要となる。いわば、一時停止(STOP)記号が入っているようなもの。一時停止後「そのままススメ」なのか「方向変化」なのかを分かりやすく標識する手段として「つまり」等の接続詞が用いられる。「そして」が出来事や状況の継起時に使用され順接を示すのに対し、「つまり」は、その後に抽象化された記述が続くことを示す標識となる。
 日本語の「きれつづき」の調節に使用できる箇所は、文頭、文の途中、文末の3カ所である。文頭(接続詞の挿入)は、流れがよくなるという利点はあるが、使いすぎは禁物。文の途中で調節を行うと、文の構造が際立つ効果がある。文末で調節すると、文のまとまりがよくなるとともに、次の文頭調節が不要となることも多い。
 誰しも、翻訳ということになると、「だ」「である」の羅列になりがち。切続詞を効果的に使用して「きれつづき」の調節を行うべき。翻訳をすればするほど日本語文章を書く力が落ちるということを頭にとどめておきたい。
2019.05.28 23:57 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |
*翻訳フォーラムの紹介
冒頭、簡単に翻訳フォーラムとシンポジウムの紹介がありました。
● 翻訳そのものについて語り合おうという会である。
● 日頃お世話になっている辞書や書籍を紹介するとともに物販も行っている。すべて自分たちが「よい」と思ったものばかりである。
● 自分たちが先輩から教わったことを次世代に伝えたいという気持ちでやっている。その一環として、翻訳や言葉に興味のある学生に手伝いをお願いしている。

「翻訳と絵」
(深井)
言語Aから言語Bに翻訳を行うとき、情報が減っても増えても、論理展開が変わってしまってもダメである。では、書かれた情報が過不足なく翻訳されていればそれでよいのか? 
過不足なく翻訳はなされているが、原文読者と訳文読者が同じ「絵」を描くことができなかった例として、doorjambとその辞書に書かれた訳語「側柱」が提示された。4月のレッスンシリーズから、パンクチュエーション(記号)の有無で、描かれる絵が変わる例も示された。
これらの例をもって、「絵を描くことで解決できることは多い」と話を結ばれた。
(高橋あ)
卑近な例を示すのが自分の役割だと笑いをとったあと、どんな分野でも「絵」を描くことは必要だとして、ご自分の翻訳分野から2題例題を示された。(まとめ)個人的経験による知識はあるにこしたことはないが、そうでなくとも、辞書を引き、きちんと調べ、引用も参照すれば、正しい絵を描くことはできる。
(井口)
Millionsを例に挙げ、英語と日本語で頭に思い浮かべる「絵」のズレと翻訳する際の難しさを説明。日英も同様。「数千万」の訳語を機械的にtens of millionsに置き換えられないケースもあるかもしれない。それが書き手の意図であれば、millionsの方が訳語としてふさわしい場合もあるだろう。そこまで考えるのが翻訳者の仕事。
Millions






(高橋さ)
「難しいパート担当の高橋さきのです」とさきのさん登場。フローチャートのスライドを示し、フローチャートだけを見ていても正しく訳せないと。書き手が何をどうとらえどのように読み手に伝えようとしているかを理解することが大切。そのための「絵」である。井口さんパートの「何かを引き立たせるために背景をぼかす訳が必要な場合もある」という発言を受け、「ぼかすためにもぼけた部分がどうなっているのか近寄って確認する必要がある、そのために翻訳者は足を使わなければならない」
(Sayo注:この「足を使う」があまりよく分からなかったのですが、「引いたり寄ったり」しながらさまざまな角度から訳文を検討するということなのかなと考えています)
著作権の重要性についても言及あり。原著者も翻訳者も著作権によって守られている。同一性保持権は、著作物を通して描かれた著作者の人格を侵害してはならないとする著作者人格権の一種で、著作者の了解なく作品を変更することを禁じているが、これは、「足さない・引かない」と基本的に同じことではないか。

「循環とフィードバックでピント合わせ」(井口)
原文読者と訳文読者が頭の中に描いた絵が同じになるようにするのが(井口さんの考える)翻訳の基本である。言語や文化の違いにより、細かい部分のズレをなくすことはできないが、全体としてズレが最小になるようにもっていきたい。そのためのやり方が循環とフィードバック(Sayo注:ということなのだと理解)。
一般的な理解では、翻訳作業は直線(原文読解→原文と対応する訳文を作成→訳文をブラッシュアップ)。分納要請もこの理解の上に立つものだ。だが、実際は循環しながら翻訳を行っている(下図左)。部分的な最適化(直線翻訳)が全体の最適化につながるわけではない。単語を見、文を見、章を見、全体を見る、を繰り返しながら、全体として著者が伝えたいことがきちんと反映された訳文に仕上げていく(下図右)。この循環作業はひとりの人間が行うべきだ。
翻訳循環
伝えたいこと循環





循環しながらフィードバックによりズレを直していくことで、振れ幅(Sayo注:原文や原著者意図との乖離や違和感?)を小さくし、最終的には振れのない直線(望ましい訳文)が得られるようにする。
例として「スティーブ・ジョブズ」の文章中のunagi sushiの訳語と、現在翻訳中の作品の主人公女性の特徴(round-face, outspoken)の訳語選択に至る過程が説明された(Sayo注:後者の例でのポジティブかネガティブか等々を考慮した訳語選びの過程はとても興味深かった)。
2019.05.28 23:55 | 翻訳祭・フォーラムetc.報告(2016-) | トラックバック(-) | コメント(0) |