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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


コロナウィルス感染の広がりが懸念される現状を考慮し、2月29日に予定していた公開勉強会を中止致しました。
(運営としては無念、一参加者としてはとても残念です)

中止の連絡は、ツイッターやFBで発信済みです。
(参加者の皆さんには、個別にメールで連絡しました)
https://twitter.com/osaka_lesson/status/1228831792959905792

以下は、中止に至る経緯です。
今後、同じような決断を迫られる方の参考になればと思って書いています。

「中止を視野に入れた方がいいのでは」という話が出たのは14日夜でした。
「公開勉強会」では、課題提出の締切りを19日、懇親会出欠の回答の締切りを23日に設定しています。また、遠方から来阪してくださる方も数名いらっしゃいました。「決断は早い方がよい」ということになりましたが、事務局(3名)では結論に至りませんでした。
そこで、「翻訳を勉強する会」のメンバーにも意見を聞きました(15日午後)。「中止」「開催」で少し意見が割れましたが、皆さんから頂いたコメントを参考に、最終的に事務局で「中止」を判断しました(15日夜)。その晩のうちに、「しなければならないこと」を洗い出し、参加者に送る文面のひな形をつくり、翌16日朝、ツイッターやFBで発信するとともに、参加者にメールで連絡しました。

私は、事務局のうちの1名に過ぎず、私の考えたことは、「中止に至った理由」のすべてではありません。私の考えも考慮に入れて頂いた上で、「コロナウィルス感染拡大の状況を踏まえ、安全を考慮し」(ツイッター文面)という中止の決断に至ったとお考えください。とはいえ、個人的なものではありますが、具体的な思考内容は、今後の決断のなにがしかの役に立つかも知れませんので、ここに書いておきます。

・今後さらに感染が拡大することが予想され、2月中に収束に向かうとは思えない。
・移動が長時間になる参加者が複数名いる。
・今回の勉強会はグループワークを主体としており、懇親会だけではなくグループワークでも、いわゆる濃厚接触に該当する状態が生じる。
・高齢者と同居したり高齢者と頻繁に接したりする状況の参加者も少なくない。
・そのような状況で、運営として多人数が一堂に会する機会を設ける(感染リスクを高める)ことは、現状好ましくない。

*これはあくまでも、私たちが会の進行や参加者の内訳も考慮して決断したことです。すべてのこうした集まりに適用されるということではありません<念のため。

中止に際し、

・参加料は全額返金する(主催者都合なので当然といえば当然ですが)。
・取り組んできた課題を無駄にしたくないという参加者には、課題を提出してもらうようにする(提出期限は延ばす、提出は任意)。提出者には、半月を目処に、提出物まとめ等、なんらかの形でフィードバックを行う。

ことも決めました。
(しかし、たとえば参加者が100名超というような話になれば、ここまでの対応(=フィードバック)は難しかったかもしれません)


事務局は、
管理人:全体統括、募集画面作成、メール送付、課題やアンケートのとりまとめ
第1秘書:スケジュール管理(形だけ)、広報、各種文面(案)作成
第2秘書:福利厚生(懇親会)
というおおまかな役割分担で動いております。

というわけで、中止に際しては(開催の場合もそうなんですけど)、一番の力仕事をしてくださったのは(本来でんと構えて秘書らを手足のように使って当たり前の)管理人さんなのです。提出課題をとりまとめてくださるのも管理人さんです。当日の進行についても、「ああでもない、こうもしたい」と色々考えておられるようでした。ですから、今回の決断に一番心を痛めていらっしゃるのは管理人さんではないかと思います。
そのことをちょっと皆さんにも知って頂きたく、最後に付け加えさせて頂きました。

ご参加予定の皆さまにとっては、残念な結果となってしまい、本当に申し訳ありません。メールでも申し上げたとおり、参加メンバーの高齢化(笑)など諸般の事情で、今後このような「公開」イベントを開催することはなかなか厳しい状況ですが、今後も「翻訳を勉強する会」を生暖かく見守って頂けたらと思います。
2020.02.16 18:54 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |

2月7日、「翻訳を勉強する会」定例勉強会終了。
疲労困憊し(脳が)、よれよれになって帰宅。まだ本復せず(脳が)。

公開勉強会と同じ課題"They All Just Went Away"(Joyce Carol Oates, 1995)に取り組みました。
Oatesは、私たちが使用しているテキストThe Best American Essays of the Centuryの編者でもあります。この短編は同書に収載されたものですが、The New Yorkerでも読むことができます。
https://www.newyorker.com/magazine/1995/10/16/they-all-just-went-away?verso=true

今回の課題は、冒頭7段落の要約(基本1文)と全体要約(400文字以内)。
ここ暫く、課題は指定箇所の翻訳ばかりでしたので、要約は本当に久しぶりです。そして、全体要約は、私たち勉強会メンバーにとっても初めての試み。

課題が結構長く、「これをどう400字にしたらよいのか」と、最初は途方に暮れました。
書かれている「できごと」を追っていくのは、そう難しくはありません。分からない単語も多いけれど、そう難解な文章でもない。けれど、「全体を通して何が言いたいのか」ということになると、分かるような分からないような。ネットでOatesの著作の書評をいくつか読み、その生い立ちについてもある程度知識を得ましたが、自分の解釈ではまだ不十分だという感覚がありました。
ネットでOatesの著作の書評をいくつか読み、その生い立ちについてもある程度知識を得ました。

(ちなみに、Oatesは、2016年に、その生い立ちを綴ったThe Lost Landscapeという自伝を出版していまして、その中にこの"They All Just Went Away"も含まれています。ページ数からすると、今回の課題にかなり加筆されているような感じです。Amazonの「なか身!検索」で、書籍のさわりの部分とあとがきを読むことができます)

そうして、何度も原文を読み返したのち、やっと「原点に返ろう」というところに辿り着きました。

何のための要約なのか?

要約の目的は、そのあとで著者の意を正しく汲んだ適切な訳文を書くための土台をつくること――少なくとも、当会の要約の目標はそこだったはず。訳文全体のトーンをどうするか、段落間の繋がりはどうなのか、段落のどの情報を重要視するのか、言葉選びに迷ったときにどの言葉を選ぶかといったことをきちんと決めることができる、背骨になるようなもの――そういう「全体要約」を目指すべきなのだということに、やっと思い至りました。それまでは、「綺麗に要領よくまとめるにはどうすればよいか」に力点を置いてしまっていたような気がします。
(それが上手くできたとは言いがたい、読みの足りない結果になってしまいましたが、そういう考え方にシフトすることができたのは、ひとつ収穫だったかなと思います)

今回の勉強会で、自分はまだまだだと気づかされたことが、もうひとつありました。それは「きちんと言葉にできないこと」です。管理人さんに「それはこういうことではないですか」と言われて、「ああ、私はそういうことを言いたかったのだ」と思ったことが何度かありました。もやっとしたままでは、分かっているとは言えない。きちんと言葉にするためには、「よく調べ、よく考え、整理し、書いてみる」、この繰り返しだろうかと考えながら、今、この記事を書いています。

*****

さて。
以下は、「公開勉強会」の課題に七転八倒されている方向けの内容です。
もちろん、この部分が不要な方もたくさんいらっしゃるに違いないと思いますが、今回、翻訳学習者の方も相当数ご出席下さるということで、なにがしかの「考え方の足し」のようなものになればと思って書いています。

*要約とは「著者の言いたいことを浮き彫りにする」ためのもの。
*翻訳のための要約(=しっかりと読み込めていることを確認するための要約)であることを意識する(要約自体が最終目的にならないこと)。
*全体を部分に分けて考えてみる(まず各パーツの内容を理解する)。
(ウエブページのプリントアウトでは少し分かりにくいかもしれませんが、本エッセイは全体が6つの大きな部分に分かれています。以下に、各パートの最初の段落の冒頭部分を記載しておきます。参考になさってください)
 1 I must have been a lonely child.
2 A house: a structural arrangement of space, ...
3 There is a strange and profound and unknowable reality ...
4 Shall I say for the record that ours was a happy, ...
5 I remenber the night of the fire vividly, ...
6 As a woman and as a writer, ...

(勉強会で話し合われた内容を基に私がまとめたもので、自分なら、このあたりを意識するかなというものです。これが「たったひとつの正しいやり方」ということではありません<念のため)

課題提出リマインダ(「翻訳を勉強する会」ツイッター)の中で管理人さんが「(要約文や訳文は)どう取り組んだか、疑問や不明な点などを話し合うための材料です。不完全なままでも十分です」と書いておられますが、誰もが感嘆するような素晴らしい(要約/訳)文を書く必要はありません(いや、もちろん、書ければ一番いいんですけど)。実務一辺倒で来られた方の中には、そもそも、こういう文章に接するのが始めてで、どう対処していいか分からないという方もおられるかもしれません(最初は私もそうでした)。はじめから周りを唸らせる訳文が書けなくて当然だと思います(少なくとも私は、かなり実務っぽい文章を書いてました)。それよりも、原文を前に(時間の許すかぎり)たくさん考え、悩むことが大切ではないかと、私は思っています。

「公開勉強会」当日は、学習者や経験の浅い方も、「学習中だから」「経験が浅いから」と萎縮してしまうことなく、疑問に思ったことや、その訳文をつくるに至った経緯などを、臆さず発言していただきたいと思います。ベテランの方にも「目から鱗」の内容があるかもしれません。また、不慣れでうまく訳文が作れなかった方も、皆と意見を交換する中で「これからどうすればいいのか」「自分には何が足りないのか」に気づくことができるかもしれません。私たち勉強会のメンバーも、「どれだけ新たな気づきがあるだろう」とワクワクしています(勝手に皆の気持ちを代弁しましたが、たぶん、な)。何より、そんな風に、たくさんの翻訳者と、同じ課題についてface-to-faceで意見交換できる機会はそうないのではないかと思います。有効活用してください。

また、「公開勉強会」には、それぞれの分野でベテランと呼ばれるほどの経験を積んでおられる方も、多数出席されます。時間のある方は、懇親会までご出席いただき、そのような諸先輩方を質問攻めにしていただければと思います(幹事は死んでいると思いますので、優しく扱ってやってください)。

当日、お会いできるのを楽しみにしております。
2020.02.09 16:59 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |
[お断り]
本ブログの勉強会関連の記事は、(自称)管理人第1秘書が個人的に思うところを自由に綴っているもので、決して勉強会の公式見解ではないことにご留意ください。
(公式ブログ:「翻訳を勉強する会 in 大阪」)

――という前提で読んでください。
一部、妄想や寝言も入っているかもしれません。


思い返せば、昨年3月、東京での公開勉強会を終えて心身ともにボロボロになり、「もう決して公開勉強会はすまい」と誓ったのではなかったか。どうした、事務局、何を血迷った。

というわけで、2月29日(土)、大阪で、3回目となる「翻訳を勉強する会」公開勉強会を開催します。
詳細はコチラ↓↓↓
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/0131ta10qxc04.html

始まりは昨年10月だったと記憶しています。
「翻訳を勉強する会」例会では、「読んで調べて解釈して表現した訳文を持ち寄って、全員が議論に参加し(場合によっては)議論を主導する」という当勉強会が目指す方向の萌芽が見え始めていました。いや、もちろん、それは一瞬の錯覚だったのかもしれせんが。であっても、そうした侃々諤々の議論は楽しい。「この楽しさをまた皆さんと共有したいですね、また公開勉強会どうでしょう」と口走った自分。そうだよ、元凶はおまえだよ。

もちろん仕事は「楽しい」ばかりではありません。けれど、「さまざまに調べ、原文を解釈し、最適な表現を探し、推敲を重ねる」というある意味贅沢な時間を過ごし、その結果をとことん議論し、「ああ楽しかった」と思えた経験は、その後の翻訳人生に確実に影響を与えてくれるのではないかと思うのです。たとえそれが一回限りの経験であっても。

というわけで、今回は、参加者全員に課題を提出していただくことにしました(オニかよ)。
申込み画面に課題掲載サイトのURLを記載しておりますので、公開勉強会に興味をもたれた方は、リンク先の課題をご一読ください。翻訳箇所は冒頭2段落と少なめですが、今回はその他に400字以内の全体要約課題を用意しました(これは私たち勉強会メンバーにとっても初めての取組みです)。なので、最後まできちんと読まなければ勉強会には参加できない仕様になっております。ご注意ください
(いや、こういうキビしい条件を出してきたのは、みな管理人さんだから。恨むなら管理人さんを恨んでください。そこのところ間違わないようにお願いします)

当日は、提出いただいた課題をもとに、グループワークを行う予定です(グループワークの内容は管理人さんの胸三寸なので、私たちもドキドキしているのだった)。
そのため、定員を少なめに設定しています。追加募集は予定しておりませんので、参加を検討される(命知らずの)方は、早めにお申込みください。

さて。
「課題について」の末尾には「当勉強会は答え合わせをする場ではありません。間違いを指摘したり、回答の優劣を比較したりする場でもありません。互いの回答を尊重し、どう読んだか、どう訳したかを議論する場です。難しめの課題に思い切りチャレンジしてください」と書かせていただいております。これは管理人さんの言葉ですが、勉強会メンバー全員の「訳文と議論に向かうさいの姿勢」でもあります。比較すべきものがあるとすれば、それは前回の自分、あるいは昨日の自分の英文解釈や訳文表現であり、他人の解釈や訳文ではありません。大切なのは「どれだけきちんと読み、訳したか」だと思っています。ですから、ベテラン翻訳者の方はもちろん、翻訳を初めて間もない方や学習者の方であっても「きちんと読み、訳し、推敲」します(するよう頑張ります)という方には、臆せず参加していただきたいと思っています。

最後に、課題"THEY ALL JUST WENT AWAY"についてひと言。
私も読んでみましたが、正直、読後感はあまりよくなかったです(笑)。好みもあろうかと思いますが、個人的には、課題じゃなかったら投げてますね。
(そういう感情的・皮相的な解釈をしちゃいけない、というのは、管理人さんからよく指摘される点ですが、正直な感想ではあります)
私自身も含め、多くの方が、ふだん「読み込む」ことは少ないタイプの文章ではないでしょうか。だからこそ、トライしてみる価値があるのでは。

文法的な解釈は別として、書かれた内容の解釈はひとつではないかもしれません(それもまた、多くの実務翻訳者が普段相手にする文書と違う点かと思います)。結局は、著者に聞かなければ「正しい」(という言葉は語弊があるかもしれませんが)解釈は分からないのかも。その著者解釈だって、『井上陽水英訳詞集』(ロバート・キャンベル)のインタビューの中で、キャンベルさんの解釈に対し、陽水さんが「(そんな風に考えたことはなかったので)ははぁー、ちょっと目からうろこ」と言っているように、著者自身ぼんやりとしか捉えていなかったということも、もしかしたらあるかもしれません。ですから、公開勉強会では、たとえば経験豊かな先輩がこう解釈しているからそちらが正しいに違いないと頭から決めつけず、「よくよく考えて私はこう解釈した」ということをキチンと言葉にしていただけたら嬉しいです。そこからまた議論が広がっていくかもしれません。


――といろいろ書いてまいりましたが、がっつり準備をした上での議論、とても楽しいものです。他の方の発言に「おお、こんな視点もあったのか」と瞠目させられることもしばしば。時節柄、課題に取り組む時間を捻出するのは容易ではないと思いますが、半日、一緒に悩み、考えてみませんか? 皆さんのご参加をお待ちしております。
2020.01.06 23:28 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |

勉強会、息も絶え絶えになって終了。

今回の「日本語学習」はテンス。1名が発表した内容を、皆で(前回同様管理人さんの力に負うところ大ではあるのですが)補足しながら白板にまとめます(白板に書くのはワタクシですが、皆さんから、「それはこっちに書いた方がいい」とか「それはいらない」とか「その表現はおかしい」とか色々愛あるツッコミをいただきます)。今回は「テンス図解」で、皆の頭の中で、絶対テンスと相対テンスの違いが明確化されたと思います。「知っているようで言葉で説明できない日本語文法」、今後も、こうしたやり方で「言葉できちんと説明できる」範囲を広げていきたい。次回の課題はアスペクトです。

翻訳課題は、前回に引き続き、E. B. Whiteのエッセイ"Once More to the Lake"。前回は冒頭2段落の翻訳でしたが、今回は最後の3段落です。
そこまで(ワタクシの理解では)割りと淡々とキャンプ地での様子(やそれらを通じての、過去と現在の対比、自分と息子の同化)が語られてきた感じだったのが、最後の2段落でThunderstormという大きな出来事が臨場感たっぷりに描写され、最終段落へとつながっていきます。いわば「大転換」とも言える段落です。

ひとつひとつの単語は決して難しいものではないし、それが文になったものも、おそらく皆(なぜそんな風に表現するのか的なことを除けば)「まったく意味が分からない」というものはなかったのではないかと思います。けれど、そのありきたりの単語がテーマにつながる深い意味を持っていたりして、翻訳しようとすると、頭を抱えてしまう――そんな文章でした。個人的な印象としては、とてもやりがいのある、けれど歯ごたえがありすぎて歯の方がボロボロになってしまった翻訳課題3段落でした。


前回から、明らかにメンバーの意識が変わったように感じています。
それは、かつては「では僕から行きますね」と常に議論を主導してきた管理人さんが黙って皆の議論に耳を傾ける時間が増え、「ここぞ」というときに割って入ることが増えたことからも明らかなように思います。

最初の頃多かった(もちろんワタクシも含めてですが)「XXさんのこの表現すごい」「YYさんのこの言い方は思いつかなかった」的な賛辞が、この頃では「こういう背景から考えて、この言葉の選び方はなかなかいいと思う」「こういう視点から見ていることを考えると、この言葉は、その視点のAという部分はよく表現されているけれどBという部分が表現されていないように思える」という賛辞(や意見)に形を変えつつあります。まだまだ未熟ではありますが、全員が、テーマと言葉使い(や表現)との関連を考えるようにもなりました。

この変化はいったいどこからきたのだろう、と考えてみたとき、ひとつのきっかけとなったのは、やはり管理人さんの言葉ではなかったかと思います。

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今回は、提出訳文配布時に、管理人さんから「メンバーの訳と自分の訳を比較するのではなく、他のメンバーの訳を読んで気になったところ、どう考えて訳したのか、訳語の選び方など、知りたいところや聞いてみたいところをチェックするようにしてください。間違いを探したり訳を評価したりする会ではありません」というコメントがありました。(「第15回勉強会―『たずね方』が大切(、と思う)」より)
***

けれど、そのときには、メンバーにそれができるだけの力がついていた、だから、管理人さんの言葉に呼応するように深い議論に入っていくことができたのではないか、そんな風に考えます。「力がついた」理由は、人によって少しずつ違うだろうし、ひとつのことがきっかけだった訳でもないと思います。それぞれの日々の仕事、勉強、読書、公開勉強会、番外編、管理人さんの言葉の数々――そうしたものをもとに醸成されてきたものが、ある形をとろうとしている、今はそういう時期なのではないかと感じます。課題も「転換部」だったように、ワタクシたちも今、半受動的参加者から積極的な参加者への転換点にいるのかもしれません。
そうは言っても、ワタクシたち秘書の読み方はまだまだ未熟です。これからも、きちんと絵を描き適切な言葉で表現する努力を続けていきたいと思います。


ワタクシたちが取り上げる課題は、かなり文芸翻訳寄りです。
課題への取組みや勉強会自体は楽しいけれど、正直、こうした課題に立ち向かうことが仕事にどう役立つのだろうと考えた時期もありました。けれど、「きちんとイメージして言葉を選ぶ」というのは、すべての翻訳の基本だと思います。課題への取組みを通じて、それがどういうことかが自分の中で明確化されたような気がします。そういう頭の使い方は、実務翻訳において「読者が絶対に誤読しない訳文をつくる」ことにつながっているのだということが、今なら実感できます。


勉強会の最後に、管理人さんから、(管理人さんの考える)翻訳者の心得的な言葉が紹介されました。
それは、「翻訳者には、作者で、読者で、研究者で、そして翻訳者であることが求められる」というもの(この言葉どおりではありませんが)。
作者がなぜそんな風に書いたのかを作者の立場で考え、読者として作品を読み、研究者として作品やその背景を調べ解釈し、翻訳者としての立場を忘れないようにしながら訳す――とそんな風な意味だったと思います(白板に書き付けていたので、聞き漏らした部分があるかもしれません。解釈の責はSayoに帰します)。

来年のI-JETでは、そんな話もしてくださるとか(あくまで予定です)。
なま管理人さんをご覧になりたい方は、楽しみにお待ちください(魔王とか無茶苦茶言ってますが、とても優しい方ですよ)。
2019.11.21 18:18 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |

勉強会終了。

前回から取り入れた「日本語学習」の今回の課題は、「は」と「が」の違い。
その場で指名される1名が簡単に発表という形をとりますが、誰が指名されるかわからないためそれぞれ自習してこなければなりませんし、(管理人さんの力に負うところ大ではありますが)最終的に皆でホワイトボード上に整理しまとめていきますので、それまで「なんとなくできていた」ことの理由が(とりあえずそのときは)きっちり理解できます。個人的には、この日本語文法の時間を取り入れてよかったと思っています。次回課題は「テンス」。私は今おもに、前回管理人さんに紹介いただいた『日本語学入門』(近藤安月子、研究社)で学習していますが、この本わかりやすくまとまっていていいと思います。

翻訳課題の方は、今回から(たぶん2回にわたって)E. B. Whiteのエッセイ"Once More to the Lake"に取り組みます。

E. B. Whiteは、雑誌「The New Yorker」のライターとしていくつもの作品を発表していますが、日本人には『シャーロットのおくりもの』の作者というのが一番なじみが深いかも。"The Elements of Style"の著者でもあります。
このエッセイは1941年に書かれたもので、1900年代初頭の少年時代と今(エッセイ執筆当時)の湖での体験が交錯するもの。浅い理解なのかもしれませんが、2~3回読んだところで、私の頭の中には「郷愁」「焦燥」「受容」などの言葉が浮かびました。「なんとなく大意をとる」のはそう難しくないエッセイだと思います(翻訳は別です)。

これまでのエッセイは、1回ざっと読むと、すぐに著者や作品や時代背景などについていろいろ調べていたんですけど(実務ではそういう「まず調査ありき」の読み方をすることがほとんどです)、今回は、2度、3度と少しずつ注意するところを替えながら、Wikipedia以上の情報は入れないようにして原文を読んでみました。それから、いろいろ調べものをしながら原文を読み…という感じで、数回原文を読んで、かなりイメージが浮かぶようになってから翻訳に取りかかりました(それでも、自分の描いた絵が不十分だったと思い知らされるわけなんですけど…)。この読み方が適切なのかどうかわかりませんが、しばらくこのやり方を続けてみようと思います。

今回は、提出訳文配布時に、管理人さんから「メンバーの訳と自分の訳を比較するのではなく、他のメンバーの訳を読んで気になったところ、どう考えて訳したのか、訳語の選び方など、知りたいところや聞いてみたいところをチェックするようにしてください。間違いを探したり訳を評価したりする会ではありません」というコメントがありました。

それで、皆念入りに「全員の訳文を」原文と比較したのだと思います。ひとつ意見が出ると、皆が呼応し、これまでで一番「全員が深い議論をした」会だったのではないかと思います(管理人さんとしてはまだ不十分だったかもしれませんが、第1回から皆勤賞の私はそう感じました)。

「たずね方」ってありますよね。「この訳語すごい」「この訳文上手い」と思っても、そう言ってしまってはdiscussionはそこで終わってしまいます。疑問であれ賞賛であれ「なぜその訳語を選んだのですか」「なぜそんな風に訳そうとしたのですか」と尋ねれば、「なぜ」に対する答えが返ってくるし、もしかしたら、別の誰かも異なる見方だったり解釈だったりを追加してくれるかもしれない。聞き方ひとつで議論が深まるし、「こう考えてこうした」「こうしようと努力したけれどうまくいかなかった」といった他のメンバーの「翻訳する過程」を知ることもできます。
管理人さんが仰りたかった(そしてやりたかった)ことのひとつは、そういうことではないかと思います。

だいたい皆同じ箇所で悩んでいるんですけど、もう少し気を配るべきだったのに軽くスルーしていた(とあとになってわかった)ところもありました。精進精進。

今回はエッセイ冒頭部分が課題でしたが、次回は最後の部分の翻訳が課題です。
上手くできないのはわかっていますが(泣笑)、今からちょっとワクワクしています。


さて、Twitterで管理人さんも告知されていましたが、「翻訳を勉強する会」では、来春、ふたたび(東京編も数に入れればみたび)公開(後悔)勉強会を開催することになりました。私たちがふだんどのように勉強会を進めているかを体験していただきつつ、参加者の皆さんも積極的に参加できるような会にできればと思っています(希望的観測)。どんな風に進めていくかはこれから詰めてまいります。
2月下旬~3月の土曜日を考えております。詳細決定しましたら正式にアナウンス致しますので、興味を持ってくださった方、今しばらくお待ちください。
管理人さんと斬り合いたい方は今から腕を磨いておいていただければと(「それであなたはどう考えますか」と返り討ちにあうと思うけど、たぶん)。

2019.10.06 01:28 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |