屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

本日は、「お好みによりスルー」記事にて。
ちょっと気持ちをまとめておきたかったので。


ここ3週間くらい、ちょっとしんどかったのでした。

身体の不調は心の不調から、
心の不調は身体の不調から、

という訳で、両者不調による相乗効果だったのかもしれません。

両親、特に対母親のことは、「自分なりに精一杯のことをやった」と気持ちの整理をつけた積りでいましたが、やはり、心の奥では、どうしても好きになれない気持ちと、その気持ちに対する申し訳なさがいつまでもせめぎ合っているのかもしれません。

今年は、連日、母も、そんな私をまだ許していないと知らせに来たと思われるような夢を見ました。私が必要とするものを隠したり、「やらない」と言ったり、無視したり、怒り狂ったり。お盆の直前におじさん(「喪失感」参照)のことがあったせいか、両親の魂が帰ってきているのを「感じた」ような気もしました(普段あっしはそういう人間じゃないんですけど)。

今朝の夢は、両親の魂がいると分かっている部屋に、ひとりで入っていかなければならない夢で、部屋に入ると同時に、色々なものが私を目がけて飛んできて、私は、顔を覆って「許して、許して」と絶叫していました。それでも、その場から動いてはいけないことだけは、分かっていました。その後、何が起こったのか不明ですが(何しろ夢ですから・・・)、部屋は静かになり、良い天気であることが分かりました。それから、多少関係のある、何の脈絡もない次の話へと移って行き(何しろ夢ですから・・・)、その途中で目が覚めたのでした(何しろ朝ですから・・・)。

許す、許さないは、私の心の問題で、たぶんこれからも背負っていくと思うんですけど、その夢から覚めたとき、何となく、自分の今回の一過性うつ状態は底を打ったような気がしました。何というか、長かった今年のお盆が、やっと今日終わったような。

それさえも、自分に都合の良い解釈なのかもしれませんが、ヒトの心には、そんな風に、自分の心を守ろうとする働きが備わっているのかもしれないなどと思いつつ、この文章を書いています。
2015.08.20 13:28 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(2) |
今年は春から訃報が多い。
そういう年なのかも。

週末亡くなったのは、数少ない薄い血縁関係の
(父の「はとこ」を私の血縁と呼べれば、の話だけれど)
でも、親戚としては、付合いは一番濃かったおじさん。
父の方がだいぶ年上だったので、「兄さん」と慕って時々実家を訪れた。

6月に旦那の元勤務先がちょっと世間様で話題となり
心配して電話をくれたのが最後になった。
「身体壊して辞めてん」と言うと、「そうか」と安心していた。
(そこ安心するとこかい、というツッコミもできますが)

声に覇気がなく、息をするのも大儀そうで
「肺に穴開いて声出えへんねん」という言葉に多少納得しながらも
おじさんらしくなく、どこか釈然としない気持ちもあったが、
忙しさにかまけてそのままになった。

実は肺がんで、その後寝付いたのだということは、
おばさんからの訃報の電話で知った。

よく言えば面倒見がよく、少し悪い言い方をすれば善意の世話焼きで、
実家絡みの謎かけのような電話に閉口したこともあったけれど、
あれも、今思えば、頼りない私を心配してのことだったのか。
ボランティアや民生委員として多忙な毎日、
遠い親戚のことなど、うっちゃっておくこともできたはず。

「おっちゃんももう後期高齢者やで」とぼやきながらも、エネルギッシュに行動し、
何となく、おじさんだけはいつまでも元気でいるような錯覚を抱いていたのだが、
最後のお別れをさせて頂いた、痩せてひと回りもふた回りも小さくなったおじさんには、
往事の面影はなく。
(といっても、久し振りに最晩年の父母を見た方も、
きっと同じように感じられたには違いないのですが)

旦那は一番近しい人で、尻にも敷き頼りにもしているけれど(意味的にヘン<自分)、
それでも、やはり「血のつながりはない」という意識がどこかにある。

父を亡くした時にもこれほどには感じなかった、
自分の拠り所がなくなるようなこの深い喪失感を、
人は誰もどこかで一度は味わうのだろうか。
しっかりと「喪失感を感じ」ておくことも、
これからの人生にとって意味があることなのか。


本日かなり感傷的ですが、
通夜葬儀で予定の狂った仕事の目途もつき、
明日は心を入れ替えて、PASORAMAの怪に触れたいと思います。
(つって、単に動かなくなったってだけですが)
2015.08.11 22:53 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
えっちらおっちら都会の病院まで行ってきました。
病院行く方が体調崩しそうな暑さだぜ。

ワタクシには甲状腺機能低下症という持病がありまして、
定期的に採血して甲状腺ホルモン値を確認し、
お薬を処方して頂かなければなりません。
(薬を服用している限り、特に生活に支障はありませぬ)

というのが本日の本題ではなく・・・

病院へ行くと、どうしても老親と思われる方を介助する(特に4~50代の)女性に目がいってしまうのですよね。
・・・因果な性格だぜ。


今回は、何くれとなく両親の世話を焼く40代くらいの女性に目が止まりました。
小気味よく世話を焼き、口ではぽんぽんいいながらも、ご両親に対する愛情が覗えました。
そして、私は、何となく、遠い地で癌を患うお父様の世話をする友人を思い出したのでした。
髪型や立ち居振る舞いが似ていたからかも。
暑い中、彼女も、こんな風に、ちゃきちゃきとご両親の世話を焼いているに違いない――
――そう思ったとき、「自分にはもう世話を焼くべき親はいないのだ」という寂しさを心の芯に感じたのでした。

彼女は、日々最良の治療を求めて悩みながら、とても献身的にお父様の世話を焼いています。それでもふと、「なぜ私(ウチの家族)だけ」「この忙しいときに」「自分のことだけしていたい」と思うこともあるかもしれません(それとも、そんな不埒な娘はワタクシだけだったのか)。

でも、そのしんどかった時間さえ、実はある意味幸福な時間であったと
懐かしく思い出すときも来るのだよ、たぶん。
私も通ったよ、その道。

だから、彼女にも、自分がへばらないように、そこは適当にセーブしながら、
感情を昂ぶらせすぎることなく、弱音吐き愚痴こぼし、ご両親は励ましながら
大事に今の時間を過ごしてほしいと願うSayoなのでした。


送信した。脳味噌沸騰した。しんだ。
明日は(というか今日ですが)墓参りじゃ(←納品ハイのようです)
2015.08.05 01:12 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
実家の片付け&雑草引き」という記事を書いてから、早や4年。
まだ、あります、実家。


固定資産税も馬鹿にならないっちゃならないですが、ワタクシ、旧姓の最後の人間でもありますので、自分の手でできるところまでは片付けたく、今日に至ります。
(車だと30分、公共交通機関を利用しても1時間弱の距離なので出来る技かと思いますが)

さすがに4年もちまちまやっていれば、だいたいのものは片付くもので、ついに、残りは、本だのお茶道具だの人形だの、それぞれ、然るべきところにお願いし、引取り/処分してもらわなければならないものばかり、というところまで辿り着きました。うう、長かった。こんな日が来ようとは(感涙)。
まあ、まだ「仏壇と位牌よしなに」を巡って菩提寺と腹の探り合いをしなければなりません(実は、これが、一番気が重かったりするのですが)。

今は主に風を通しつつ雑草引きに通う日々ですので、涼しくなったら、まずは父の書籍に手を付けようと思います。


片付けを通して、しみじみ思うことは、
「自分は、まだ判断能力があり、それなりの体力があるうちに身軽になろう(実感)」
これに尽きます。

が、これはきっとなかなか難しい。
今のところ、趣味といっても読書とフィギュアスケートくらいで、モノが増えるといっても書籍・雑誌程度なのですが、この先、どんな新たな趣味に手を染めないとも限りません。
そうやって、年取って手元に残した愛着のあるモノを「えいやっ」と処分するのって、たぶん、ホントに勇気いるよねー、と思います。
でも、残された者も、「故人が大事にしていた」ことがよく分っている品々の処分には、それなりの勇気(?)がいるのよねー。

ワタクシがHNを借りている伯母は、年取っても可愛らしいヒトでしたが、元々ちょっとぼーとしたところがあり、「自分亡き後、大量の書道関連の品々はどうなるのか」といったことは何も考えていなかったと思います。
地元では多少高名な先生について書道を学び、先生が個展をされる際には、他の生徒さんと一緒に、自分も作品を出品したりしていたのですが、落款押して額装したり巻物にしたりした様々な作品、今でもどうするのが一番よいのか悩んでいます。

様々に思慮深かった父も、書籍は最後まで処分できなかったようです。
リンク先の記事でも書いたように、認知症の徴候が現れ始めた頃、「本は全部図書館へ寄贈せよ」との指示はありましたが、図書館の返事は色よいものではありませんでした。だから、親父、リサーチ足りねえし。

こうやって悩みながら片付けていくのも喪の仕事のうちなのかなあと思うこともありますが(それにしては長い喪の仕事だぜ<自分)、それにしてはモノ持ち好すぎるし<実家。

「処分」の重さの感じ方は、たぶん人それぞれで、重ければ愛惜の念が強く、或いは軽ければその逆ということではないのだろうと思います。ワタクシの場合は、まあ責任感のようなものだし。
ただ、重くも軽くも、残された者には、処分する(特に捨てる)ことに対して、一抹の後ろめたさが残るような気がします。であれば、「こうしてほしい」と託すところまでではなく、「処分できるものは処分する」ところまで自分ですることが、老い支度なのではないかなあと考える夏の午後。あくまで、個人的に思うところです。
2015.07.30 15:22 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
朝日新聞(7月2日)「ザ・コラム」という編集委員の方の記事。
表題のお好みによりスルーでお願い致します。


老母(といっても70代前半~半ばほどかと想像)が転倒骨折し、一気に親の老いを実感したという内容。書き手の女性は、気丈と思っていた母親の「孤独への不安」の噴出に驚き戸惑う。そして、年老いた母親ときちんと向き合おうとする過程で知ることとなった(たぶん)、2人の人物を紹介する。

一人は認知症予防のデイサービスを営む女性。彼女は、認知症を「寂しい病」と呼ぶ。

「老いればできないことが増え、『自分は用のない人間』と生きる力をなくしがちだ(中略)以来『優しさを伝えること』に心を砕く。共に過ごし、話し、聞く。触れ。ほめる。感謝する。すると塞いで表情を失った人も満面の笑みを浮かべる瞬間がくる。『人は自分に目を向けてもらったと感じたとき、生きる力を取り戻すんです』」

もう一人は地方都市の職員の男性。「私は自分の都合ばかりでした。自分を認めさせようとして、本人を追い詰めていた」と自分の体験を語る。

彼の講演を聴いたコラムの書き手は、自分も認めさせようとする人間であったと振り返る。「競争社会では、そうしなければ負けてしまう。役に立つ相手は認めても、そうでなければ切り捨てて生きている」

幸い、彼女の母は元気を取り戻しているようだ。実家に顔を出すと、あれこれ愚痴り料理を所望するという。それは、自分を元気づけようとしているのだと彼女は解釈する。そして、「人は老いても、できないことが多くなっても、誰かを励ますことができる。そう思うと生きる勇気がわいてくる。親の教えは永遠である」と結ぶ。



父が入院した当初、まだそれなりにしっかりしていた母は、実家に顔を出すたびに、我が侭全開ながらも、何呉れとなく私の世話を焼こうとした。役に立とうとすることで、孤独な自分を奮い立たせようとしていたのか。あの時、それが分っていれば、たとえ親子の相性が悪くても、私の介護は違った結末を辿ったのだろうか。きっと、私は、これからも、「仕方がなかった」と「もっと他にやりようがあった」の間を行ったりきたりしながら行くのだろう。

そんな私に、「せめてもと思い、母世代の方優しくしてさしあげればよい」と言ってくださる方がいる。それを実践していくことは、きちんとした翻訳者であり続けることより難しいようにも感じられるが、その言葉を心の隅において行こうと思う。人生は孤独を感じるほどには長いのかもしれないが、無為な時間を過ごすほど長くはないのかもしれない。

今日も知人の訃報が届いた。前途ある方たちの訃報が続くのはちときつい。
ので、ちょっとメランコリー。明日からは頑張るよ。
(上の記事のまとめも、「要約の勉強」と思って頑張ったんだよ)
2015.07.03 00:38 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |