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2023. 10. 20  
 日本会議通訳者協会(JACI)が、8月の1カ月間、ほぼ毎日さまざまなプログラムを提供してくださる「日本通訳フォーラム」(オンライン)に、今年も参加しました。
 いまさらではありますが、ブログに覚書を残しておきます。

 通訳に関連するセミナーが大半を占めますが、翻訳関連、あるいは翻訳にも参考になりそうなプログラムも多く、あまり視聴できなかったのが残念です(アーカイブ視聴は9月末日まで)。それでも、ケスナジャット氏の基調講演、長井鞠子氏の特別講演、WACCAのプログラムを視聴するという最低限の目標は達成しました。
 イベントの詳細はコチラ↓↓↓ 
 https://jaci-forum2023.peatix.com/view

 視聴したのは以下のプログラム(もう少し聴きたかったけれど、時間切れ)
 1. 「台湾有事とは何か ――台湾海峡問題の構造と未来」(劉彦甫)
 2. 「パラレルコーパスから見えてくること -辞書記述、翻訳ユニット、機械翻訳、そしてLSP-」(仁科恭徳)
 3. 「文化的な違いからくるさまざまな誤解や誤訳」(長友英子)
 4. 「通訳者養成法を活用した効果的な英語強化法」(池田和子)
 5. 「通訳学校を使い倒す方法」(白倉淳一)
 6. 「AIとネットと無断翻訳に対抗する商業翻訳術~文化の懸け橋の水先案内人としての翻訳家」(兼光ダニエル真)
 7. 基調講演「翻訳と創作の間」(グレゴリー・ケズナジャット)
 8. 「ゆるく繋がる映像翻訳者の輪/ダジャレを訳してみよう」(岩辺いずみ、井村千瑞、横井和子)
 9. 「通訳なんでも質問箱~出張版」(千葉絵里、関根マイク)
 10. 特別講演「通訳者に伝えたい『伝える極意』」(長井鞠子)

 全体を通じて感じたのは、通訳のみなさんは、声の高さや声質にちがいはあるものの、総じて滑舌がよく、「何だろう」「何でしょう」形の(続く言葉をさがす/言い換えをさがす)合いの手が少ない、ということ。やはり、ふだんから声を出し慣れ、しゃべり慣れているせいでしょうか。この先人前で発表する機会がある/将来は講師業もしたいという翻訳者は、5.で白倉氏がおっしゃっていたように、「まずは自分の声を録音し、自分の声やしゃべり方を知る」ことからはじめるのがいいかも。あとは「腹から声を出す」(千葉氏)ことも大切です。(ちなみに、私は――関西人なので――「何やろ」という合いの手が多いようです)
 Q&Aで、「準備はどこまで」という質問を複数回耳にしたように記憶しています。これは、翻訳者にとっての「調べものはどこまで」と少し似ているかもしれない。通訳の準備は「できるところまでどこまでも」というものが多かったように思います。翻訳の調べものも(納期までに仕上げるという制約の中で)「納得できる(=訳文の根拠をきちんと説明できる)ところまで」が基本だと思うので、回答も似ているかもしれません。

 以下、個別の感想を少し。
 「台湾有事とは何か」―わかりやすくまとめてくださっていて、そもそも「台湾有事とはなんぞや」から始まる私には、とてもありがたいプログラムでした(2021年のBrexitに関するプログラムも、やはり大変参考になるもので、こうしたプログラムも含めてくださるのが、JACIさんのありがたいところです)。

 「通訳学校を使い倒す方法」―ナルホドと思う点がいくつもありましたが、一つを挙げるなら、「その練習をする理由をよく考えて練習する(練習法すべてになんらかの理由がある)」でしょうか。がむしゃらに量をこなすより、「なぜそれをするのか」を考えながら勉強する方が、短時間でよく身につくというのは、翻訳も同じではないかと思います。あ、そうそう、これだけは書いておかなければ。白倉さんの声や喋り方は、ひとえに訓練のたまものであると思いました。

 「翻訳と創作の間」―日本語で創作なさる(小説を書く)ケズナジャット氏の言葉には、印象に残るものがたくさんありましたが、「言葉について真剣に考えすぎて(自分の口にする言葉であっても)言葉に対する不信感が生じた時期があったが、この不安から救いだしてくれたのが創作だった」(大意)「(伝える途中でかならずなにかが失われてしまうのだから)ミスコミュニケーションがコミュニケーションのもっとも自然な形ではないか」という二つの発言が、特に強く心に残っています。

 「ゆるく繋がる映像翻訳者の輪/ダジャレを訳してみよう」―常日ごろ、映像翻訳というのは、(同じ翻訳であっても)かなり特殊な分野ではないかと思っていたのですが、「やはりそうだな」と思う部分と「基本(原文や訳文に向かう姿勢など)は同じ」と思う部分の両方がありました。たとえば、ジェンダー関連用語の使用について、「一般的な配慮・作品の意図などを考慮した上で、場合によっては複数選択肢をもち、どの選択肢も提示できるようにしておく」という姿勢などは、他分野の翻訳にも通じるものでしょう。登壇者三名のお話を拝聴したのはこれがはじめてですが、さまざまな映像作品・文化に造詣が深く、考え方もしっかりしていらして、さすがと思わされました。三人がたがいの発言を補完しながら、という形でしたので、ずいぶん密度の濃い内容になっていたように思います。

 「通訳なんでも質問箱~出張版」―英語力向上のための勉強法(特に駆け出しのころ)を尋ねる質問に、回答者のお二人が、「しなければ」マインドになったことはない(いつも勉強するのが楽しかった)とおっしゃっていたのですが、長く続けるためには、通訳も翻訳もこう思える性格であることが大事かも、と思いました。また、すべての経験が糧になり、どんな知識も無駄にはならないので、「遊んでね」とも。

 「通訳者に伝えたい『伝える極意』」―「通訳は瞬間芸・格闘技」という言葉がありましたが、であれば、「翻訳は静かに原文と向かい合うもの」と言えるかもしれません。また、「自分がわかっていることを相手にもわかるように伝えるのがいい通訳、努力しないと理解できない通訳はダメ」のくだりは、翻訳にもそのまま当てはまるのではないかと思います。長井氏は今年80歳になられるそう。その年齢まで高いパフォーマンスを維持できているのは(もちろん、本人の努力のたまものにはちがいないのですが)うらやましいかぎりです。

 行動制限がなくなり、来年以降は、対面中心の「通訳フォーラム」に戻るのではないかと予想しています。
 オンラインのあいだ、さまざまなプログラムを見せていただきました。JACIのみなさん、登壇者のみなさん、ありがとうございました。
2021. 09. 25  

 今年も8月1日~31日の1カ月間にわたり、日本会議通訳者協会(JACI)主催で、完全オンライン方式の通訳翻訳フォーラムが開催され、さまざまな分野の通訳者・翻訳者が、仕事の内容や力のつけ方などについて講演をおこなった。セッションの数は最終的に40近くに上った。このような機会を与えてくださったJACIには感謝しかない。本当にありがとうございました。
 https://jitf2021.peatix.com/view

 ひと月間のアーカイブ視聴期間も終りに近づいてきたので、自分なりに今年の「通訳翻訳フォーラム」をまとめてみたいと思う。

 今年(これまでに)視聴したセッションは以下のとおり(開催日順)。まだまだ聴きたいセッションがいくつもあり、最後まで頑張るつもりだけれど、あと1~2本が限界かと。無念です。

 ○ 武田珂代子「通訳の歴史と戦争ーその今日的意義」
 ○ 蔭山歩美&ジョナサン・M・ホール「ペアで仕上げる英語字幕」(前・後編)
 ○ 矢能千秋「『出版、夢だよね』と言ったあの日から、『きみがまだ知らない恐竜』シリーズが出るまで」
 ○ 白倉淳一「はじめての元請」
 ○ 角敦子「『図説 狙撃手百科』、さあどう訳そう? 軍事翻訳とお役立ちソース」
 ○ 今井むつみ「言葉と思考-ことばは思考にどのような影響を与えるのか」
 ○ 杉本優 「で、Brexitって結局何だったんですか? UKはどこに行くのか」
 ○ 倉林秀男 「オスカー・ワイルドで学ぶ英文法」
 ○ 安達眞弓「レッド・ステイツをピンクに染めるお仕事-『クィア・アイ』ファブ5メンバー2名の半自伝を訳して」
 ○ 川根紀夫「ろう者の願い、手話通訳の理論・実践から手話通訳の思想を探る」
 ○ 星野靖子「翻訳・通訳の調べ物とコーパス最新事情」
 ○ ヘレンハルメ美穂「修行時代から現在まで~北欧翻訳事情」
 ○ 金水 敏「キャラクターを翻訳する-村上春樹作品を中心に-」
 ○ 鴻巣友季子「翻訳の深読み、浅読み」
 ○ セリーヌ・ブラウニング、巽美穂、ブラッドリー純子「あれから1年半~RSIの過去・現在・未来を語る」


 今年は、翻訳・通訳以外に手話通訳(川根紀夫氏)のセッション*も加わり、つなぐ仕事・つなぐ役割といったものを改めて考えさせられた。私たちは、「情報の出し手」の立場に立ち、「情報の受け手」のことを考えながら情報を出すという点が共通する仕事をしていると思う。この先通訳や手話通訳の仕事をすることはないと思うが、この“共通性”はつねに(心の片隅で)意識していたい。

 * 参考までに、今回セッションで使われたのは「日本語対応手話」と呼ばれるものだが、「日本手話」と呼ばれるものもあるそうだ。


 今年はブログ記事にできたのは、武田珂代子先生の基調講演のみだった。Twitterからの再掲が多いが、以下に簡単に各セッションの感想を記載しておく。

 ○ 武田珂代子「通訳の歴史と戦争ーその今日的意義」
 https://sayo0911.blog.fc2.com/blog-entry-775.html

 ○ 蔭山歩美&ジョナサン・M・ホール「ペアで仕上げる英語字幕」
 (前編)質問で(字幕にのせる)情報の取捨選択の優先順位を問われ「作品全体を勘案して決める」と。全体を見て考えるというのは、どんな翻訳にも大切なことなのだと改めて認識。
 (後編)「ペアで仕上げる」は共訳についても同じことが言えそう。いい作品に仕上げたければ、人柄的にも実力的にも信頼でき、忌憚なく意見が言い合える相手が必須。方向性が同じであること。お二人はとてもよいペアだと思った。「経験の浅い翻訳者はすべての登場人物を自分の声(?)にしてしまう(=描き分けができない)」というコメントがあり、これは「『著者が日本語で書いたらこうではなく、自分なら日本語でこう書く』訳にしてしまう」に似ているのかもと思った。

 ○ 矢能千秋「『出版、夢だよね』と言ったあの日から、『きみがまだ知らない恐竜』シリーズが出るまで」
 夢という言葉を使っているあいだは「遠い夢」でしかないのだなあということを実感。一例として見る必要はあろうけれど、出版翻訳を目指す方にはtipsが詰まった内容だと思う。

 ○ 白倉淳一「はじめての元請」
 「元請けになってしまったら(なりそうになったら)何をすればいい?」という疑問に明確に答えてくださるセミナー。個人“事業者”としてどのような発想の下にどのようなマネジメントをおこなえばよいのかというお話は、基本的な心得と実務内容の両面から、通訳者のみならず翻訳者にも大変役に立つ内容(*ただ、自分は元請けに向かないタイプだなとは思います(^^ゞ)。「エージェント経由で出会った顧客は請われても直受けしない」というポリシー、とても好ましい。この“姿勢”が信頼につながるのだと思う。

 ○ 角敦子「『図説 狙撃手百科』、さあどう訳そう? 軍事翻訳とお役立ちソース」
 軍事翻訳といえば図鑑的なものというイメージだったのだけれど、マニア向け書籍、歴史資料、ゲームなど、驚くほど多彩(そして調べもの大変そう)。お話を聞いていて、「正確に分かりやすく」はキモだが、最終的には読み手を想像して言葉や表現を選ぶというのは、どんな翻訳にも共通するものなのだなと思った。

 ○ 今井むつみ「言葉と思考-ことばは思考にどのような影響を与えるのか」
 言葉はさまざまな形で認知(認識)に影響を与えるということを、多数の具体例を用いて説明された。言葉は表現したいもの・伝達したい内容を共有するために発達・発展した側面もあると思うが、それが翻って(認識に影響を与えるという形で)適切な伝達に影響を及ぼすかもしれないなどと考えたり。興味深い。

 ○ 杉本優 「で、Brexitって結局何だったんですか? UKはどこに行くのか」
 Brexitについては断片的な知識しかなく「知りたいけどどこから手をつけたらいい??」状態の私のためにつくられたかとしか思えない、とても分かりやすい講演。後日資料でもう一度復習します。

 ○ 倉林秀男 「オスカー・ワイルドで学ぶ英文法」
 倉林先生のお話を聴くと「文法楽しい!」「文法スゴい!」てなる。テンスやアスペクトを正しく読みとることで登場人物の心の動きが分かるということを明解に説明してくださった。文学作品だからということもあるかもしれないが、台詞のあいだに挟まれる said XX は“タメをつくる"役割を果たす(場合もある)という説明は新鮮。倉林先生は、英語学習の準備運動として北村一真さんの『英文解体新書』の例文に取り組まれるそう。私は『ヘミングウェイで学ぶ英文法』と『英文解体新書1』を同時に読んだのだけれど、そこで「文章の中で文法を考える」(文法と文章の流れをきちんと関連づける)ということを、はじめて意識したような気がする。お二人の書籍は、互いに相手の説明を補い高め合うようだと思った。

 ○ 安達眞弓「レッド・ステイツをピンクに染めるお仕事-『クィア・アイ』ファブ5メンバー2名の半自伝を訳して」
 1 安達さんと編集者さんだったからできた!恐怖の短納期
 元になったReality Showがお好きだったそうだが、その前の仕事(ピンチヒッター的共訳)でもこのテイストの書籍への確かな実力を示された、別の機会にShowについて熱く語るなど、“そのとき”女神の前髪を掴む準備は日頃からできていたと思った。
 2 耳から情報も大事
 原著者の語り口・性格を翻訳に反映するに際し、番組で耳から得たリズムやアクセントも大きかったとのこと。以前、翻訳家の児島修さんがTwitterで「Audibleで聴き倒してから翻訳をはじめる」(大意)と書いていらしたのを思い出した。似てる?

 ○ 川根紀夫「ろう者の願い、手話通訳の理論・実践から手話通訳の思想を探る」
 情報量(文字)が多すぎ、プラス声(話)を聴きながら手話を見ていたのでどっと疲れた。と同時に、ろうの方が画面を見ながら日本語対応手話を見るというのはこういう感じなのかなと思うなど。まずは、日本手話を習っている方から教えていただいた『手話通訳者になろう』を読んでみようかと思う。

 ○ 星野靖子「翻訳・通訳の調べ物とコーパス最新事情」
 前半はウェブ検索を利用した調べもの、後半はコーパスについて。学習中の方から長く翻訳をされている方まで広く役立つ内容だったかと。ウェブから得られる情報が飛躍的に増え、調べものは昔より格段に便利になったとはいえ、玉石混淆の情報の海の中で、調べるがわの技量が問われ、調べ方が翻訳の質を左右する一因にもなっていると感じる。星野さんが話を聞かれたという大先輩の「使いこなすのは自分次第」という言葉は重い。自分もいっそう気を引き締めて調べものと向き合おうと思う。コーパスについては、きちんと理解しないまま使っていた部分もあり、「どういうものなのか」「なにができるのか」「『均衡』どういう意味か」など基本的なことへの理解が少し深まったような気がする(希望的観測)。もっと使いこなせるようになりたい。パワポの資料は、情報の配置・情報出し・フォント・ポイント・行間などが工夫された読みやすいものになっていた。「資料読みのストレスがない」という点も素晴らしい発表だった。

 ○ ヘレンハルメ美穂「修行時代から現在まで~北欧翻訳事情」
 マイナー言語の翻訳をされる方のお話、興味深く拝聴した。英ー日以上に、言語の使われ方の異なる言語を日本語にどう落とし込むかという点でご苦労があるようだ。原書には(喋り方に)現れない年代差や異性間の力関係を、日本語訳でどこまで示すかにつて、試行錯誤しつつ「大切なのは自分なりの基準をもつこと」と。文化という点からの重訳(原語→英語→日本語)に関するご意見も(そういうことを考えたことがなかったので)ナルホドと思いながら視聴した。
 この他に(スウェーデン語ほどマイナーとは言えないとは思うが)ドイツ語や韓国語の翻訳者の方のお話もあり、期間内に視聴できなかったのが残念。

 ○ 金水 敏「キャラクターを翻訳する-村上春樹作品を中心に-」
 日本語は役割語が濃く(ゆえに豊富)英語は薄いというのはナルホド。「人がにじみやすい」言語ということにも関わってくるのかな。ただ、英語は、役割語の役割(?)の一部を副詞や形容詞に載せているのではないかと思うときもないではない。上手く言えないけど。それから、台詞の部分に役割語がある程度濃く現れる(英日)のは仕方がない面もあるのではと個人的には思う。本来「話されている」言葉なのだから、抑揚や喋り方が「役割」を補っている部分もあるわけで。それを文字だけで表そうとすると、全体に、実際に語られる言葉よりこころもち濃い味付けになるのは仕方ないのかなとも(ジェンダー差やステレオタイプの濃淡についてはよく考える必要はあるだろうけれど)。

 ○ 鴻巣友季子「翻訳の深読み、浅読み」
 「深く読む」と「深読み」は違うのだと思った。「深く読む」にも「深読み」にも背景知識は欠かせない。背景知識ゆえの思い込みにとらわれるのが「深読み」、まずは背景知識がないものとして読み、テキストから読んだ内容をそのとおりに捉え、訳文を練り上げるさいに背景知識を反映させるのが「深く読む」と、そんな感じなのかな。例文が2題示されたが、どちらも「ナルホド」という読み。やはり翻訳はおもしろい(自分はまだまだだけど)。また、これは、これまで何人もの大先輩の話をお聴きしてきて思ったことの繰り返しになるけれど、どなたも語る言葉は違えど「翻訳する」ということに対する基本的な姿勢は同じではないか(もちろんそれぞれその先の考え方の違いというものはあるだろうけれど)。

 ○ セリーヌ・ブラウニング、巽美穂、ブラッドリー純子「あれから1年半-RSIの過去・現在・未来を語る」
 通訳の方の「コロナでどう変わったか」のお話。興味深く拝聴した。翻訳外の方のお話を聞くことも大事と実感。通訳しろうとの感想だけれど、通訳の方が翻訳より劇的にコロナ禍の影響を受けたのではないか。その分、厳しい現実に直面し、再編も進んでいるように感じた。新しい働き方への順応も翻訳者より強く求められているような。

 他にも視聴したかったが時間切れになったものがいくつもあった。無念……
 (一部を下記しておきます)

 ○ 豊田憲子「機械には無理!だからこそ意識したい『論理的・批判的』思考」
 ○ 毛利雅子「日本における司法通訳の現状と展望」
 ○ 三浦真弓「オペラの対訳・字幕・訳詞 ~「―分野・多言語対応」という翻訳キャリア~」
 ○ 矢野百合子「韓国語の翻訳通訳」
 ○ 井村千瑞「日本語版吹替翻訳 字幕と何が違う? 吹替翻訳の楽しさ」


 圧巻は、なんと言っても武田珂代子先生の基調講演だった。
 研究と実践を結びつけることや歴史を知っておくことの大切さ、倫理観など、さまざまなことを教えていただいた。特に、歴史を知っておくことの大切さは、8月にアフガン情勢が大きく変化したことにより、現実のものとして目の前に突きつけられた感じだった。
 通訳の倫理にも話が及んだことで、「翻訳の倫理」について改めて考えさせられた。個人レベルで(類似の)“倫理観”を備えた翻訳者は多いと思うが、翻訳界全体を包括する倫理綱領的なものがあってもよいのかもしれない。今後の人手翻訳のウリにもできるような。

 三名の通訳者による「RSIの過去・現在・未来を語る」もとても興味深いものだった。
 その中で、(遠隔同時通訳の導入にあわせて)「働き方やレート等を含めてマインドから変えていく必要がある」という言葉が印象に残った。「戻る」という発想はもう捨てるべきなのかもしれない。
 翻訳は(医療に関していえば、仕事減はあったとしても)コロナ禍の影響をあまり受けなかったような気がする(私自身は、書籍翻訳との兼ね合いで実務の仕事を休んだ時期と最初の緊急事態宣言の時期が重なったので確かなことは言えないが、少なくとも、実務を再開したとき「依頼が急減した」という感触はなかった)。とはいえ、今後、仕事の内容は変化していくのではないかという気がする。たとえば、以前から「IT+医療」案件はあったが、コロナ禍で二つの融合には拍車がかかったのではないかと思う。また、まわりで「実務字幕案件を受けた」という話をちらほら聞くようになったが、これは在宅勤務が急増し、情報提供の手段として動画の使用が増えた結果なのかもしれない。であれば、今後一つの流れになる可能性は高い。そうしたことを考えれば、これからは、“異なる二つ”に対応できる、ということが一つの強み(OR 生き残りの一つの手段)になっていくかもしれない(異なる分野の翻訳者が手を組んで顧客に提案するというやり方もありかも)。

 そんな風に、世の動向をみながら、それに合わせて進み方や考え方を変えていくことは、この先さらに重要になるだろう。けれど、どんな場合も、長く続けるための究極の武器は確かな実力だ。どの登壇者も、これまで人一倍の努力を重ねてきての実力に裏打ちされた「今」があり、その言葉の端々から、今後も「学び」をやめないだろうということがうかがえた(というか、そもそも皆さん「いろいろ知る」ことが本当に楽しそう)。では、翻訳の場合の実力は――という話になると、それはもう「総括」を大きく逸脱してしまうので、その話は機会があれば、また(あくまで自分の考えるところだけど)。ただ、通訳翻訳フォーラムの各セッションが、こうしたことを今一度考える機会になったのはまちがいない。
 

 とまあ、いろいろ書いてきたけれど、まとめると「いろんな話が聞けて楽しかったよ!」というところに尽きるかなとも思う。
 JACIの皆さん、ありがとうございました。
2021. 08. 15  

 会議・法務通訳者で翻訳者でもある武田珂代子さん(立教大学異文化コミュニケーション学部教授、ミドルベリー国際大学モントレー校の翻訳通訳大学院でも教鞭をとる)による基調講演。

 通訳中心のお話だったが、翻訳というものを、外と言うか、もう少し広い視点から考えさせてくれる貴重な講演だったように思う。
 
 まず、通訳の実践と研究はどう関わっているかというところから。
 武田先生は、実務者として自分の仕事をきちんと説明したいという気持ち(+好奇心)から研究をはじめられたそう。その後、教える立場になったとき、生徒に「なぜ(それをやるのか)」を意識させたいという気持ちが強まり、研究を続けようと思われたとか。研究はエビデンスにもとづいて大局的に通訳を振り返ることになるため、実践の改善にもつながったとのことだ。

 最初に研究テーマとして選ばれたのは「どういう過程を経て通訳者・翻訳者になるのか」(訓練・社会的背景・歴史との関わりなど)だったが、そのうち、戦時中や占領期の通訳者・翻訳者を研究の中心に据えるようになる。通訳翻訳活動が戦時下でどのように生まれ発展したのか、そうした活動は戦後社会や文化にどのような影響を与えたのか、またその時代に通訳者・翻訳者はどのように扱われたのか――大雑把にまとめると、だいたいそんな感じか。そこからさらに、現在各地で起こっている戦争や紛争に関わる(おもに現地)通訳者の状況にも話が及んだ。


 * 戦時下通訳は特殊な活動ではあろうかと思いますが、折しも、アフガニスタンからの米軍撤退にともない、現地人元通訳たちの国外退避作戦が開始された(がなかなか進まない)というニュースが新聞報道されました。米軍撤退後、裏切り者として反政府勢力から危害を加えられるかもしれないというのがその理由です。(現地の人間ではなく)米軍に正式雇用された通訳者であればこうした危険な状況におかれることはないのでしょうが、戦時通訳は決して過去のものではなく、現代においても世界のどこかで行われているのだということを再認識させてくれるタイムリーな報道でした。

 * 戦時下・占領期通訳についての話の中では、(戦後)戦時通訳が戦犯として裁かれたこと、戦争犯罪の証言者となったこと(本来、通訳の守秘義務に反する行為)、日系二世の通訳が少なからず存在したことなどが話題になりましたが、私は、日系二世で米軍に従軍した(戦後東京裁判で日本側通訳のモニターを務める)青年を主人公にした、山崎豊子さんの「二つの祖国」を思い出さずにはいられませんでした(興味が湧いた方は読んでみて<個人的には、気力体力が充実しているときの方がいいかな、と思います)。


 戦時下・占領期の通訳についての話のあとは、通訳の可視性(Visibility)と守秘義務が話題に。

 可視性については、実に複雑な概念という印象で、できれば「録画を視聴してね」ですませたい(笑)。順不同にメモから拾ってみる。可視性がいかに多面的に捉えられる(と私は感じた)概念であるかが、多少なりともイメージしていただけるのではないかと思う。
● “通訳者の社会認知”(=通訳者は重要な役割を担っている)という点からいえば可視性(の強化)が必要だが、実務の点からは、存在感のない(invisibleである)通訳がいい通訳ということになる。
● 戦後、戦時通訳(民間人)が戦犯として裁かれたのは、被害者にとって通訳が加害者を代表する“顔”に見えた(most visible)からということもある。
● 通訳の可視性が高まることでpowerにアクセスしやすくなるが、露出が高まるという点で危険にもなりうる。

 守秘義務については、時間が押して駆け足になってしまったが
● 基本、通訳者には守秘義務があり、証言やノートの開示を求められることはない(前述の戦時通訳による証言はきわめて例外的)
● 例外事項として虐待や身の危険がある場合は通報義務があるが、例外事項への対応や他職種(ソーシャルワーカーなど)の規定を持ち込むことには課題もある
 といった点に言及された。

 とにかく濃い内容で、ただただ圧倒された。


 以下は視聴しての感想。

● 歴史を知ること
 武田先生は「(自分の研究がレアケースだと言われることはあるが)歴史を知ることで現状理解が深められると思う」と仰っておられた。歴史をきちんと知ることで、自分の立ち位置(先人のどういう歩みがあって、自分は今ここにいるのか)の理解も深まるということではないかと思う。通訳と翻訳はまた違うだろう。翻訳において、理論や歴史と実務をどう結びつけられるのかということになると、話が壮大すぎて私などオロオロするばかりなのだが、「翻訳する意義」という点から両者を結びつけることは可能なのではないかと思ったりする。突き詰めようとすると分からなくなってくるので、とりあえず、この点は今日はここまで。

● 職業倫理
 武田先生が、通訳者の責任(の範囲)についての質問に、「自分の能力を超える仕事を受けてはならない」という倫理規定に言及して回答なさったあと、同じような「責任」問題は翻訳にも適用されるのかと質問された方がいらした。武田先生の回答は「翻訳者には『なにが書かれているか』に対する責任はないが、なにを訳すか、どう訳すか、訳したときにどういう結果があるかを判断する責任がある」(大意)というものだった。個人的には「自分の能力を超える仕事を受けてはならない」も翻訳者として当然の職業倫理であると思う。
 そこで、「翻訳者の職業倫理」を扱った規定はあるのかということが気になった。もちろん、個人レベルでそうしたことを口にされる先輩同輩はたくさんいる。私自身も当然と思っている部分はあるので、いつかだれから聞いたか、どこかで読んだかしたのだろうと思う。では、なにかまとまったものはあるのだろうか? ということでちょっと調べてみた。

翻訳者の倫理綱領(一般社団法人 日本翻訳協会)
http://www.jta-net.or.jp/conduct.html
知り合いが一人もおらず、どのような団体かについてはウェブサイト以上の内容は分からないのだけれど、この倫理綱領はよくできているのではないかと思う。

JATの「翻訳者とよいチームを組むためには」の中の「翻訳者の職業倫理」
https://jat.org/ja/about/working_with_translators
これは、翻訳者をさがすクライアント向けのページの中の記述で、上の「翻訳者の倫理綱領」が翻訳者視点で「こうあるべき」と書かれているのに対し、「翻訳者はこのような職業倫理を有しています」と外部に知らせる形で書かれている。

 その仕事で対価を得ている翻訳者は、みなプロ意識をもつべきだと私は思う。上の職業倫理はそれを示したものとも言えるだろう。武田先生の回答をかみしめるとともに、これらにも目をとおし、プロの翻訳者というものについて、ちょっと立ち止まって考えてみていただけたら嬉しい。
2020. 09. 03  

「通翻フォーラム2020」のトリを飾る越前先生のセッション。表題のとおり、課題文の翻訳を解説する「文芸翻訳のツボ」と出版翻訳の現状やその中での先生の取組みを語る「出版翻訳の現在」の二本立てです。越前先生のお話を聞くのははじめてでしたが、喋り慣れておられるのでしょう、適度に「間」が挟まれ緩急もあり、まるで対面講義を受けているようにスムーズにノートをとることができました。

「文芸翻訳のツボ」

 課題の解説に入る前に「文芸翻訳で大事なこと」4点の説明がありました。

1 わかりやすさと歯応え(わかりやすさは大切だが、著者の意図によってはわかりやすくしすぎてもいけない場合がある)
2 だれの視点か(一人称なのか、三人称なのか、三人称の場合は主人公に近いのかいわゆる神の視点なのか、物語がきちんと読み取れているか)
3 読者が映像を思い描けるか(翻訳フォーラムの「同じ絵が描けるか」とだいたい同じ、原著のイメージをそのまま再生できるか、文芸のみならずどんな翻訳でも大事)
4 つまるところ、おもしろいか(著者の狙いをきちんと伝えられているか)

 これらを踏まえて、事前課題2題の解説がありました。課題はフレドリック・ブラウンとオー・ヘンリーの短編から。

 個々の解説は割愛しますが、「文芸ホントに難しい」というのが正直な感想です。自分は本当に読めていないなと思いました。時間がなかったというのは言い訳になりません。上手く訳せるかどうかは別として、わかる人には「ここがこうなっとるのがキモやな」というのがすぐにわかると思うのですよ。そういう「読み取る」力が自分には欠けているのかなあと思いました。産業翻訳でよく扱う論文や報告書では、「こういうストーリーでコレコレを伝えたいのだな」ということはさほど労せず読み取れると思うのですが(確かに、普段の翻訳では、今回の課題に登場したようなちょっとイジワルな視点やわかりにくさを強調する視点といったものにはお目にかからないですが)……それが、ある程度の「慣れ」の問題だとすると、考えながら訓練を続けることで「読み取り」勘は(多少なりとも)養われるのだろうかと、このレポートを書きながらちょっと考え込んだりしています。
 解説では「ナルホド」「おおそうか」という言葉がこれでもかとばかりに繰り出されましたが(注:個人の感想です)、一番心に残ったのは「全体として短ければ短いほど(言葉は)力をもつ」という言葉です(言い方は違いますが、ノンフィクション翻訳の児島修さんも同様のことを仰っていました)。
 越前先生の解説を聞くのははじめてでしたが、けっこう厳しい批評をなさるのだなと。悪い意味ではありません。そんな風にときに酷評されても食らいつき少しずつでも上達する人が、結局最後まで残るのだと思います。
 (自分が俎上に上がらないということもあるかもしれませんが)一日でも聴いていたいと思えるようなお話でした。

 「文芸翻訳のツボ」編の締めとして、「自分にもまだ文芸翻訳は体系化できていない」として、文芸翻訳を一番よく言い表した言葉ではないかと思うと、『ねみみにみみず』から東江一紀さんの言葉を引用されました。(スライドには91頁とありましたが、探してみましたら149頁「金科玉条」の項に書かれていました。本書をお持ちの方は該当する項を読んでみてください。)


「出版翻訳の現在」

 セッションの紹介に「いささか生々しい内容」という煽り文句(笑)がありまして、始まる前からドキドキしたというか期待したというか(笑笑)。
 実際は、よいものも悪いものもさまざまなデータを示し、私たち一人一人に今後の進み方を委ねられた――そんな風に感じました。

 書いても大丈夫かな、と思う範囲で内容を少し。
● 越前先生が文芸翻訳(長編)の仕事を始められたのは1999年ですが、翻訳のみで食べていけるようになったのは2004年(『ダ・ヴィンチコード』)以降だそうです。
● 報酬の支払い方法について説明がありました。印税方式と買取り方式があることくらいしか知らなかったので、大変参考になりました。
● 文庫一冊の収入の変遷(往事vs現在)には、予想されたこととはいえ、やはりため息が出ました。今後は、もしかしたら、兼業時代に戻り、本当にやりたい人(というのは、淡い憧れではなく「自分の手で訳し紹介したい」という強い思いがあり、厳しい現実を直視した上で「それでもなお」という気持ちがあり、食べていく手立てがある/作り出すことができる人あたりを言うのかなと想像します)だけが文芸翻訳をやる厳しい時代になるかもしれない、とも述べられました。
● そんな中で、翻訳者自らが著者にかけあって版権を取得し翻訳書を出版しようとする動きがあることを紹介。
● コロナ禍の影響については、他の業界に比べて少ないように思う(Stay Homeと読書は親和性が高かった)とのことですが、書籍の売れ行きは今後の景気にも左右されるだろうとも。
● 「出版翻訳の人間として触れておいた方がよかろう」と「だれでもプロになれる」講座に対して注意喚起。

 まとめとして、文芸翻訳者の心得10項目が提示されました。「ひと言でまとめると『プロとしての自覚を持つ』ということです」。その多くは、翻訳する者すべてに当てはまるものですが、出版翻訳に特徴的だと思えるのが、「翻訳書の読者を増やすために、自分なりにできることをする」という項目。だいたい2010年頃を境に「翻訳者が翻訳だけしていればいい時代は終わった」と考えておられるそうです。
 私なぞ、もしもそういう(訳書が出版されるような)立場になれば、気後れしてだんまりになってしまいそうな気もしますが、よく考えてみれば、「こんな面白い本があります」ということを積極的に発信していかなければ、売れるものも売れないかもしれないですよね。そして、これは以前どなたかも仰っていたように思いますが、日本でその本の面白さを一番よく知っているのは翻訳者に他ならないはずです。自信をもって宣伝するためには、力をつけ、よいものをつくらなければならない――と結局はそこに帰着するのかな。
 「自分なりにできること」として越前先生が実践しておられる「全国翻訳ミステリー読書会」「はじめての海外文学フェア」「読書探偵作文コンクール」の活動が紹介されたところで、ちょうど時間になりました。
 締めの言葉は「翻訳とは愛です」。
「花を愛するということは、綺麗だと愛でることではない。その花を一日でも長く美しく保つために水を遣ったり肥料の勉強をしたりするのが花への愛だ。翻訳にたとえてみれば、原著を読者に紹介するために、調べものをしたり技術を磨いたりすることが、花を育てる愛に相当するのではないか」(「花を愛する…」以下は、アーカイブ視聴にて要約したものです)
 
 出版翻訳という産業翻訳とはまた少し違う世界の話です。翻訳に対する基本的な姿勢など共通する部分も多々ありますが、正直「(まだ)よくわからない」ことも多い。
 ただ、これまでいくつかのセッションを聴いてきて、今この時代において「揺るぎない力をつけること」と「座して何かを待つのではなく機を見てみずから動く(もちろん目的を見定めて動くわけで闇雲に動いてもよい結果にはならないかと思いますが)」ことが大切なのではないかと感じました(あくまで個人的な感想です)。

 どれも素晴らしいセッションばかりでしたが、越前先生のセッションはトリを飾るにふさわしい内容だったと思います。
 司会進行役を務められた蛇川さんの、一歩引いて登壇者をサポートする進行振りも光っていました。落ち着いたお声も素敵で、私は今回のフォーラム月間ですっかりファンになってしまいましたよ。
2020. 09. 02  

 翻訳フォーラムのメンバー深井さんのパンクチュエーション講座。

 実は、私はこの講座を受けるのは3回目です。
 一度目は昨年4月。ちょうど英日翻訳におけるパンクチュエーションの大切さに気づき始めた頃でした。
http://sayo0911.blog103.fc2.com/blog-entry-670.html
 そのとき「こんな講座はこれまでなかった! 是非これを大阪でも!」とお願いし、昨年11月末の大阪編に裏方として参加したのが2回目。演習も含む4時間の長丁場でしたが、募集枠は1日で満席となり、「英日方向に特化して体系的にパンクチュエーションを学ぶ講座」への皆さんの関心の高さがうかがえました。
http://sayo0911.blog103.fc2.com/blog-entry-708.html

 通翻フォーラム2020のセッションは、これまでの講座を90分にギュッと凝縮したものに新情報を加えたという贅沢な内容。個人的には、過去2回の講座を振り返るよい機会になりました。
 止める記号、つなぐ記号、補足する記号、そのまま伝える記号――視聴された方は分かると思いますが、分類も的確ですよね。特に、各記号の「間」を音楽の休符にたとえた説明は、はじめて聴かれた方は「おお」と感動があったのではないかと思います(私もはじめて聴いたときは「分かりやす!」と思いました)。
 個人的には、「そのまま伝える」記号の内訳と新聞見出し(Headline)の読み方の理解がやや曖昧だったのが、今回きちんとメモも取れて(後追いなので途中で止められるのがいいですね~)クリアになったという感じです。
 具体的にどんな内容のお話があったのかは、上述の過去2回のブログ記事に譲ります。興味をもたれた方は覗いてみてくださいませ(今回、時間の関係で説明されなかったものもあります)。

 「今日からできるエクササイズ」として、挿入部分を抜き出し、その部分を外して読んでみる、原文のすべての記号に印をつけその用法を説明できるようにするなどの方法が挙げられました。そういう読み方をすることで、大事な部分とそうでない部分の違いが際立つようになり、訳出する際も、そうした重みの違いを意識して訳すことができるようになるのだと。別のところで口にされた「(記号は)立体的に読む(ためのヒント)」というのも同じことを言っているのかなと思います。
 最後に、深井さんは、「パンクチュエーションは何のためにあるのか?」を、何冊かの参考図書の記述を引いてまとめてくださいました。パンクチュエーションは、著者からの「こう読んでほしい」という申し送りや指示で、誤読を防ぐためのものである(逆に言えば、誤読の恐れがない位置に置く必要はない)――と、こんな感じにまとめられるかと思います。そこに著者の意図がこめられているならば、その意図が訳文にも適切に反映されなければなりません。日英翻訳のみならず英日翻訳でも、正しく読解するためにパンクチュエーションの知識が欠かせないということがよく分かります(でも「適切に訳文に反映」はなかなか上手くできないのだった)。

 深井さんがまとめてくださった参考書籍一覧(http://trans-class.blog.jp/archives/2145655.html)は、通翻フォーラムに参加されていない方でも見ることができます。
プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医学・医療機器和訳から
医療関連の書籍翻訳にシフト中
『患者の話は医師にどう聞こえるのか』共訳
『医療エラーはなぜ起きるのか』
現在3冊目と格闘中
還暦を過ぎて(やっと)
翻訳は楽しく苦しく難しいと実感
老体に鞭打って勉強に励む日々
翻訳関連の雑感・書籍紹介・セミナー感想など
(2023年5月現在)

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