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2020. 09. 14  

 先日Twitterで、

「one of 最上級+複数形が激ムズ(怒)
今回は、『最悪と(も)いえる(~のひとつ)』で取りあえず切り抜けた」

 と呟きましたら、Buckeyeさんから、

「日本語の『最悪』って、少なくとも一般には、厳密な意味で最上級ではなく、すごく悪い、最も悪いと言ってもいいグループに属するものであるって意味だと思います」とコメントを頂きました(Buckeyeさん、勝手に引用して申し訳ありません m(__)m )。

 私は、恥ずかしながら、「最悪」に複数性があるという風に考えたことはなかったのですが、改めて考えてみて「確かにそうかもしれない」と思いました。で、

「最*の*に色々当てはめて考えてみて、なるほどひとつと断定できないものを言う場合も多いなと思いました。私の中では、英語の最上級と、その訳語としてよく習う最*と『もっとも』と『一番』(まあこれは一つですかね)がごちゃごちゃになって『どれもひとつを言う』的に考えていたようです」

 とお返事しました。(ちなみにそれに対しては「『最悪』は、『ひどすぎる』『ありえない』あたりと互換性が高いわけで、そう考えると、最大級とは限らないってことになります。もちろん、最大級のこともあるわけですが」とさらにコメント頂きました)。

 ――というようなやり取りのあと、私は、もう一度、one of the 最上級 + 複数形、「もっとも~なものの一つ」、そして「最*」について、もう少し整理してみようと思いました。

 形容詞の最上級を「もっとも~(なXX)」と習ったのは、高校英文法だったと思います。そのとき、併せてtheのつかない最上級についても習いましたが(これは記憶がある)、最上級+複数形については習わなかったような(あるいは習ったけど忘れたのか)。とにかく、私が最上級+複数形を意識しだしたのは、(私の記憶では)翻訳で、one of the 最上級+複数形という形で遭遇するようになってからです。上位の複数のものの一つなので、「もっとも~なものの一つ」という訳語はおかしい。だから、翻訳ではひと工夫しなければならないというようなことを、どこかで習ったか、読んだか、それとも誰かに聞いたのか。その経緯はもう忘れてしまいましたが、私の頭の中に「one of the 最上級+複数形とあったらひと工夫」がインプットされ、そこで思考停止していたようです。今回は、あまり大きく変更できないチェック案件の「もっとも悪い(~の一つ)」をなかば機械的に「最悪」に変更し、「最悪」そのものについてはそこから先は考えなかったということです。恥ずかしいですが、とりあえずそんな流れでしたと曝しておきます。

 さて。まず、one of the 最上級 + 複数形。

 "one of the" "plural superlative"でG検索してみると、結構な件数がヒットします。
 少し古いですが、
https://english.stackexchange.com/questions/79438/meaning-of-one-of-the-most-xxx
など、個人的にはなかなか分かりやすい説明に思えました。

 日本語の文法書にも、「one of the + 形容詞の最上級が表す意味」という囲み記事の中に、

「(She is one of the kindest persons I have met. のような英文は)よく『彼女は、私が会ってきた中で最も親切な人々の一人です』というように、極めて不自然な日本語に訳されたりするが(中略)『彼女は非常に親切な人です』といった程度の日本語訳で十分だ。<one of the + 形容詞の最上級>は、『非常に + 形容詞』と変わらず、『並一通りではない程度』を示すために使う言い回しにすぎないのである」(『表現のための実践ロイヤル英文法』P372)

という記述が見つかりました。

 one of the 最上級 + 複数形は、「(程度が)上位に位置する一つのセット(グループ)の中の一つ」みたいな感じでしょうか。宜しくない訳文の例のような日本語で申し訳ありません。どの程度「並一通りでない」のかは、文脈の中で判断するのが賢明なのかなと思います。


 次に、「極めて不自然な日本語」と呼ばれた「もっとも~なものの一つ」。私は、この表現を耳にするとやはり背中がムズムズして「使いたくない」と思ってしまうのですが、この使い方はやはり間違いなのか。

 明鏡国語辞典(大修館書店)には、「最も」の語義として「程度がこの上なく甚だしいさま。いちばん」が挙げられ、語法のところに「『最も偉大な作家の一人』など、『最も…』を一つに限らない言い方は、英語などの最上級表現(He is one of the greatest novelists.)の翻訳からきて一般化したもの」(『明鏡国語辞典 第二版』)という記述がありました。
 しかし、日本国語大辞典(小学館、JK)には、「程度のはなはだしいさま」という語義が記載されており、その最初に「非常に。とりわけ。たいそう。他をこえて。他のすべてにまさって」とあり、一つとは断定できないような感じです(ただし文例は、19世紀のものが1件ありましたが、ほとんどは11~13世紀のものでした)。
 G検索では「違和感がある」「迂闊に使えない」「ただし近年使用が増えてきているようだ」などの記述が散見されました。

 近年の「もっとも~なものの一つ」は、明鏡さんの仰るとおり、翻訳の訳語からきていると考えるのが自然のように思います。
 翻訳では、「もっとも~なものの」の部分をどう工夫するかという方向に行くことが多いのですが、「one of the 最上級 + 複数形」について考えたあとでは、「そもそも『の一つ』必要?」という考えが起こってきます。もちろん前後の部分も考慮する必要があるでしょうが、たとえば「最高の部類に属する」とか「最有力候補に数えられる」とか「屈指の~だ」のような「の一つ」を使わない訳し方も可能ではないかと思えてきます。


 最後に「最*」について。
 色々調べている途中で、さきのさんが(上述のスレッドの中で)「『最』ではじまる語彙を研究社大和英で引いてみる(和英辞典を英語で読む国語辞典として使う)といったあたりも糸口になるかもしれません」と提案してくださいました。
 そうやって調べてみて気になったのは、さきのさんも仰っていた「最安値」でした。lowest price ever、an all-time low、a new lowといった訳語が示されていました。その「a」や「an」に目を引かれたのです。「最安値」は誰が見ても同じ一つの数字なのですよね。それに対し、「最悪」「最善」「最大」「最高」などは、何というか境界が曖昧であるような気がします。評価なので、多少の主観も混じるというか。ですから、頂いたコメントのように、「最上級の一つ」と「程度の甚だしい複数」の両方の意味をもち得ると心に留めておいた方がよいのではないかと思いました。どちらであるかは、これもまた文脈によると言えるのでしょうが、確認のさい、「何と置換可能か」と考えるようにするとよいのかもしれません。


 結局「コメントで言われたことがすべてじゃん」という話なのですが、自分なりに調べてみましたので、記事立てしておくことにしました。
 チェック案件ということもあり、日本語の中だけでこねくり回そうとした、ということもあるのですよね。「原文にはどう書かれているのか」――どんなに急いでいようと、納得のいくよいものにしたければ、まずはそこから始めるべきということも、最後に自戒のために文字にしておきます。
2020. 07. 26  

 COVID-19の流行が拡大し始めた3月以降、セミナーや勉強会は、ほぼすべてオンライン(主にZoom)で開催されるようになった。収束の兆しがまったく見えないことを考えると、この傾向はまだしばらく続きそうだ。

 私もいくつかのセミナーに参加した。どれも、アンケートやチャットでの質問を以外、聴講する側からのインプットのない一方向のセミナーだった。
 あくまで自分の体験の範囲内だけれど、講師の皆さんの喋り方は、若干不自然なものだったような気がする。
 でも、これは当然のことかなという気もする。オンラインでは、聴衆の反応(自分の話がウケているのかスベっているのか、聴衆を掴んでいるのか飽きさせているのか、誰かを置いてきぼりにしてはいないかといったこと)が分からない。だから、どうしても、抑揚の乏しい平坦な話し方か、逆に身振り手振りの大きい派手な話し方になってしまい、私はそれを(それまでの対面式のセミナーと比べて)少し不自然と感じたのだと思う。聴衆との「空気」のキャッチボール(場の雰囲気と言い換えてもいいかも)がない状態で、適切に「間」をつくり、話に緩急をつけ、聞き手と足並みを揃えて進むのはとても難しい。
 とはいえ、そういう状況に慣れていかないといけないのが現実だ。今は届ける側も受け取る側も(聞き手である私たちにも「よいセミナー」づくりに参加する責任はあると思う)、「最善の方法」を試行錯誤している時期ではないかと思う。

 セミナーを通してもうひとつ感じたのは、(オンラインのやりとりで)正しく理解することの難しさだ。場の雰囲気やちょっとした仕草、間(周りの状況を確認し頭を整理することができる)など、対面であれば理解を助けてくれるものが欠落している状態では、どうしても、小さなあらゆるcueに敏感にならざるを得ない(私がオンラインセミナーでげっそり疲れる理由のひとつはこれだと思う)。伝える方も、対面の場合より、伝え方や伝える順番、使う言葉などに注意を払うようになるだろう。これは、セミナーだけではなく、あらゆるオンラインコミュニケーションに言えることではないかと思う。

 オンラインでは、対面の場合より、ひとつひとつの言葉が大事になってくる。対面よりも言葉に依拠する割合が大きいからだ。少なくとも私はそう思う。私がそう考えるくらいだから、言葉の重要性に気づく(そこまでいかなくとも、対面と同じ要領でやりとりしていて「どうも上手く伝わらない、誤解が多いがなぜだろう」と感じる)人はそこそこいるだろう。そういう「気づき始めた人たち」に、上手くいかない理由や言葉を大切にすることの重要性を説明すると、理解が得られやすいのではないか。もしかしたら、今のこの状況は、「正しく理解する/してもらうためには言葉が大切だ」ということを伝えるチャンスなのかもしれない。

 文書では言葉はもっと大切だ――というか、言葉がすべてだ。正しく伝えるためには、適切な言葉を適切な語順で紡いでいかなければならない。それは、私たち翻訳者が今までもやってきたことだけれど、これまでは、その大切さがなかなか理解してもらえない、ということが多かった。だが、今なら、そのことが実感として理解できる顧客もそれなりにいるのではないか(期待もこめて…)。
 翻訳会社には、顧客の「安く早く」という要望に応えるだけではなく、文字のみで正しく伝えることの重要性と難しさ、そしてそれを実現するためには「それなりの値段で翻訳を発注する必要がある(その方が結局きちんとしたものができる可能性が高い)」ということを、この機会に是非顧客に伝えていって頂きたいと思う。そして、私たち翻訳者は、有無を言わせぬものをつくり出すだめに、普段から翻訳する力をつけておく必要がある。

 今このとき、「正しく伝える」ことの大切さを、言葉で伝え、態度で伝え、訳文で伝えていくその先に、翻訳の未来があるのではないか。コロナ禍でさまざまな活動が制限され仕事も減る中で、私は長いことかなり悲観的だったけれど、(仕事量が100%戻ってきたとは言えないものの)セミナーからコミュニケーションへ、そして「伝えることの大切さ」へと(若干強引に)考えを広げていく中で、この厳しい状況は、自分たち次第でチャンスにもなるかもしれないと思い始めている。
2020. 06. 30  

 ご無沙汰しました。
 それなりに元気です。
 ちょうど、一年も折り返し点を迎えましたので、近況報告(?)など。

 一昨晩、一年以上抱えてきた大きな仕事にひと区切りつきました。

 振り返ってみれば、苦しく楽しい仕事で、やり甲斐はありました。けれど、収入的にあまり期待できない仕事ではあります(分かって引き受けた、というか突っ込んでいった仕事なので、後悔はありませんが)。遅々として訳出が進まぬ毎日の連続でした。特にここ半年は、どこがどうという訳ではないのですが心身の不調が続き(…単に年のせいかも…)、文字通り這って机に向かう日々もありました。よく乗り切れたものです。そこだけは自分を褒めてやろう。

 この仕事を最後までやり遂げるために、昨年は少し仕事をセーブした時期がありました。おかげで、昨年の収入は百万円を切るという目を覆うばかりの結果でした(貯金を切り崩して生き延びました)。チラッと事情を書いた記事はコチラ

 今年も少し仕事をセーブしたのですが、偶然にもと言うかなんと言うか、セーブを始めた時期は、COVID-19の流行が本格的に始まる直前でした。5月の連休明けに通常営業に戻したものの、世間はStay Homeのただ中。小さな仕事しかないか、大きな仕事の打診はあるものの、こちらの呈示する納期が折り合わず流れていく、という悲惨な状況が長く続きました。最近やっと「(多少)状況が改善してきたかもしれない」と感じています。一時的なものかもしれませんが。そんなわけで、今も貯金を切り崩して生活しています。

 というわけでですね、Twitterでは結構エラそーに翻訳に対する態度など呟いたりしておりますが、決して「楽しくやりたい翻訳をする」と「翻訳で生計を立てる」のバランスがとれた生活ができているわけではありません(エラそーなことたくさん書いてスイマセン)。

 そんな私の下半期ですが、年末の記事で表明したとおり、貯金に頼りながら、やりたい仕事(先日ひと区切りついた案件とは、まだしばらくお付き合いが続きます)を優先し、無理のない範囲で実務の仕事も受けながら、がしがし勉強できたらと思っています。やっぱり力はつけておきたい――と言っても、私くらいの年齢になると、一生懸命勉強して「現状を維持できる」というのが本当のところかもしれませんが。

 まだ本調子にはほど遠いですが、とにかく納期通り大きな仕事を納められたことで、少し気持ちが楽になりました。
 当面、無理せず頑張っていこうと思います――いやいや、がしがし勉強するんでしたね(棒読み)。
2020. 05. 07  

と考えておられる方もいらっしゃるかもしれません。
楽かどうか、稼げるかどうかは別として、在宅でできる仕事には違いありませんから。

Twitterでは、ある翻訳講座に関するツイートがよく流れてきます。
そのやり方を踏襲すれば、英語力がなくても簡単に翻訳者になれるのだとか。
(講座受講費用はかなりの金額でしたが)

「翻訳」がどういうものかよく分からなければ、そういうものかと思われる方もいらっしゃるかもしれません。
私も、他の業種や職種が実際どのようなもので、相応の収入を得ようとした場合、どれくらい頑張らなければならないかということは、正直よく分かりませんので、それも当然かと思います。
(私は翻訳で継続して収入を得るのはかなり大変なことだと思っています。そして、どんな仕事も、同じように勉強や工夫や努力が必要なのだろうなと思います。楽して稼げる仕事などありません)

「屋根裏」は、「自分の場合はこうです(こうでした/こう思います)」というスタンスで記事を書いているのですが、今回のみ、「翻訳をしてみたい」「翻訳に興味がある」という方を(読者として)念頭に置いて、できるだけ安価に「翻訳とはどういうものか」に関する情報を得られるよう考えてみました(独断と偏見ですが)。
(私は英和翻訳者ですので、そちら方面(?)中心の情報になっておりますこと、ご容赦ください)

書籍:
1 『できる翻訳者になるために プロフェッショナル4人が本気で教える 翻訳のレッスン』(講談社、2016年)
2 『最新版 産業翻訳パーフェクトガイド』(イカロスムック、2019年)
https://www.ikaros.jp/sales/list.php?srhm=0&tidx=36&Page=1&ID=4555

まず手に取る書籍としてこの2冊を選びました(他にも何冊も「これは」という書籍はありますが、「できるだけ安価に」ということで2冊に絞りました)。
1を読むと、「翻訳とはどういうものか」という輪郭が掴めるのではないかと思います。2は、翻訳エージェント寄りの内容になっている点が若干気にはなりますが、業界の動向や各種産業翻訳に関するおおまかな知識が得られると思います。全国のエージェント一覧表もあります。

ウエブサイト(ブログ):
書籍1、2で輪郭が掴めた方には、以下のブログ(記事)をお勧めします。

Buckeye the Translator
Budkeyeこと井口耕二さんのブログ。
「翻訳」そのもの、翻訳の品質、ビジネス的側面等、ためになる記事が満載です。いくつかご紹介しようと読み進めましたら、逆にどれを外していいか分からなくなってしまいましたので、わりと最近のものから3本選びました。どの記事にも、ご本人が関連する過去記事へのリンクを張ってくださっています。

誤解されやすい翻訳業界の常識――産業翻訳は情報を伝える、文芸翻訳は心を伝える

ひょうたん図

JTF翻訳祭2019のレポートを読んで思ったこと-その3「機械翻訳に関する提言について」


岩坂彰の部屋 
ノンフィクション書籍とニュースの翻訳をされる岩坂彰さんが、以前ウエブマガジンに連載された記事をまとめたもの。前半(~28回)は翻訳者以外の翻訳関係者に向けて、後半(29回~)は翻訳学習者を念頭において書かれたとのこと。かなり古い記事ではありますが、基本的な考え方は変わらないかも知れないと思いましたので、第1回、第2回の記事へのリンクを張りました。

なぜ翻訳をしなければならないのか

翻訳者が伝えるべきもの


翻訳横町の路地裏
齊藤貴昭/Terry Saitoさんのブログ。翻訳者として「翻訳会社に搾取されない、自分を卑下しない、翻訳者としての自分を大切に」という視点からさまざまな記事を書いてくださっています。


翻訳に必要な7つのカード ー翻訳を独学するー
YujiさんのKoujou Blogの記事。「翻訳を独学するには何が必要か」が、それらの関係性も含めてまとめられた素晴らしい記事だと思います。勉強を始めようという方は、まずここから。


書籍のおまけ:
『翻訳とは何か:職業としての翻訳』(山岡洋一、日外アソシエーツ、2001年)
上記のブログ記事(翻訳に必要な7つのカード)でも触れられている山岡洋一さんの著書。翻訳をされる方なら、どこかで一度読んでおかれるのがいいと思いますが、翻訳(の勉強)を始める前より、少し勉強してからの方が身につくことも多いのではないかと思いましたので、最初のX冊からは外しました。


ウエブ上の辞書:
翻訳者はCD-ROM形式の辞書を揃え、それらを串刺し検索するというのが、今も一般的なやり方かと思います。けれど、辞書を揃えていくにはそれなりにお金も掛かります。そこで活用したいのがウエブ上の辞書。無料辞書もたくさんありますが、内容が玉石混淆ですので、それだけに頼るのは危険です。そこで私のお勧めは、Japan Knowledge Personal。少し高くなりますが+Rのオプションがお勧めです。「利用できるコンテンツの一覧」を見ると分かるとおり、基本辞書に加え、「ビジネス技術実用英語大辞典V6」(通称「海野さん」の最新版)の他、「理化学英和辞典」「医学英和辞典」「岩波 生物学辞典」などの専門辞書、ヨーロッパ言語辞書も検索できるからです。
https://japanknowledge.com/personal/price.html

蛇足ですが、医療翻訳者としては、この他に、

日本医学会 医学用語辞典
http://jams.med.or.jp/dic/mdic.html
(要登録)
ライフサイエンス辞書
https://lsd-project.jp/cgi-bin/lsdproj/ejlookup04.pl
(日英翻訳時にコーパスが便利)

も重宝しています。

また、辞書ではありませんが、JTF(日本翻訳連盟)が昨年発行された『JTF日本語標準スタイルガイド 』(2019年8月20日)も、訳文表記の指針になるかと思います。作成にあたって参考にされた資料の一覧も付記されています。


上で紹介した書籍やブログをじっくりと読めば、翻訳はどんな仕事なのか、どんな能力・資質が必要なのか、それをどんな風に身につければよいのかが、分かってくるかと思います。
決して、手元にPCがあり、インターネットに接続でき、英語がそこそこ読めればできる仕事ではないことも、お分かりいただけるのではないかと。

この先、翻訳でそれなりの収入を得ることは、今までにも増して難しくなるのではないかと思います。私自身も、「いつ仕事がなくなるかもしれない」という不安と戦いながら毎日を過ごしています(体力も落ちてきたし…)。それでも翻訳を続けて行くには、業界や顧客の動向を読みつつ、もっと力をつけるしかないと思っています。

そんな、明るいかどうか何とも言えない業界ですが、今は、おそらくどんな業界でも多かれ少なかれ事情は同じですよね。核となり幹となる考えをしっかり持ち、勉強して力をつけていくことを厭わなければ、翻訳者として長くやっていくことは十分可能だと思います。一人でも多く、そうした翻訳者の方が育っていって下さればと思います。
2020. 03. 09  

(…なんて捻りのないタイトルなんだろう…)

先日、ツイッターで、山岡洋一さんの『翻訳とは何かー職業としての翻訳』の一部を紹介し、それについて思うことを三連投しました。内容は以下のとおりです。

1
「翻訳とは、原文の意味を読み取り、読み取った意味を母語で表現する作業である (中略) そして、翻訳は学び伝える仕事である。学んだ内容を伝え、伝えるために学ぶ。力のある翻訳者なら、この過程で、どんな専門家もかなわないほど、どんな実務家もかなわないほど、深く理解する」『翻訳とは何か』(山岡洋一)から(P.100)
2
どんなに学んでも専門家の理解を超えることはできないのではと、私は思う。それでも、学びに際し「専門家を超えるくらい頑張ってやる」という気構えと深い理解は必要。「どうせ超えられないし」と自分を甘やかしてしまっては、そこから先に進めない。
3
そして、もうひとつ大事なのは「伝えるために学ぶ」ということ。学びは大切だけど、学びが目的になってしまっては本末転倒。つねに「誰かに伝えるのだ」という意識を忘れないようにしなければ(翻訳を始めたら無意識のうちに必ずそのスイッチが入っているのが理想なのだろうな)。


学ぶ目的をはき違えてはいけないけれど、それでも、翻訳をやめるその日まで、翻訳者は学び続けるべきなんじゃないかと、私は思っています。

仕事以外のまとまった勉強以外に、日々の仕事そのものからも、何かしら学ぶことはあります。惚れ惚れするような参考資料を頂くこともありますし、ナルホドと納得できこちらの不勉強を恥じるようなFBを貰ったこともあります。特に、経験の浅い頃は、分野独特の表現や用語など、たくさんのことを学ばせてもらいました。「?」な原文さえ反面教師になります(あまり出会いたくはないですが)。

けれど、(仕事も含めて)毎日が勉強と意識しつつ、同時に、納品物は商品ということも忘れないことが大切だと、ここ数年強く思うようになりました。

実際は、納品後、確認・修正・表現変更などの過程を経て、自分の翻訳物が顧客の手に渡るには違いないけれど、「そのまま顧客の手に渡っても問題ない」と思えるレベルの訳文を、毎回納品する。「商品」なのだから、妥協はしないし、甘えもしない。手もかける。学びに時間を費やし、参考書籍にお金を費やし――と、それなりに元手もかける。だから、どんな単価でもいい、ということはない。安売りはしたくない。下げ圧力があっても「下限はここ」は譲れない(まあ、それがそもそもそんなに高くないということはありますが)。

「仕事=学び」という意識が強かったせいでしょうか、私は、かなり長い間、学びの成果物=商品という意識が希薄だったように思います。
けれど、「商品」意識をもつことで、商品価値という視点からも、ものごとを考えるようになりました。ただ、「学ぶことが好き」「知識が増えるのは嬉しい」「訳すのはしんどいけど楽しい」だけではなく(それが翻訳を続ける上での一番の原動力ではあるのですが)、「商品」を意識することで、「大事にしたい」という気持ちも強くなったような気がします。


ツイッターの「学びが目的になってはいけない」に関連して色々考えていて、「日々学び、仕事も学び、でも『商品』意識も忘れず」といったようなツイートをしたのですが、舌足らずのツイートになってしまいましたので、ブログ記事にしました。連投できるとは言っても、140字という制限の中で伝えたいことを的確に伝えるのは本当に難しいです。
プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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