屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

医薬の分野ではお馴染み、治験関連文書のinclusion criteriaの訳語です。

治験対象として適格かどうかを判定するための基準として、「この基準をすべて満たす場合は適格」とするinclusion criteriaと、「この基準のいずれかに該当する場合は不適格」とするexclusion criteriaがあります。exclusion criteriaの訳語は「除外基準」で統一されているようなのですが、inclusion criteriaには「選択基準」と「組み入れ(組入れ)基準」のふたつの訳語があって、私はいつも、「で、どっちやねん」とちょっともやっとしていたのでした。

クライアントさんの参考資料がある場合は、それを第一選択肢とするのですが、そうでない場合、自分の中の第一選択肢はこれまで「組入れ基準」でした。

確か、昔、Inclusion criteria / exclusion criteriaの上位の見出しとして「治験対象母集団を選択する」という意味でSelection Criteriaが用いられている場合もあるので、この2つを明確に訳し分けるためにSelection Criteriaを「選択基準」、Inclusion Criteriaを「組み入れ基準」とする、というような話をどこかで読んだか誰かに聞いたかした記憶があるのよね。どちらかが絶対に正しい、ということではなく、あくまでも自分の中の決めごととその根拠、ということですが。

ところが。
この頃では、「組み入れ基準」という参考資料にお目にかかったことがない。
世の中はSayoの与り知らぬところで(Sayoにひと言の断りもなく)変化しているのか。

ということで、ちょっと調べてみました。

「組み入れ基準」の根拠になっているのは、「治験総括報告書の構成と内容に関するガイドライン」(平成8年5月1日薬審第335号)だと思われます。これは、ICH E3(Structure and Content of Clinical Study Reports)の日本語版で、文字通り「治験総括報告書を作成する場合はこのようにするように」というガイドラインを示したものです。URLは以下のとおり。
https://www.pmda.go.jp/files/000156923.pdf 
「ICHでは『組み入れ基準』になっている」というのは、おそらくこれを指しているのだと思います。

しかし、医薬品の臨床試験の実施に関する基準(GCP)のガイドライン(ICH-GCP E6)の日本語版では「選択基準」が使われています。「ICHが『組み入れ基準』としている」という理由付けはちょっと苦しいかも。ていうか、もとの語句はInclusion Criteriaで統一されているわけで、ICH的には何の問題もないわけなんですが。
http://www.jmacct.med.or.jp/plan/files/ICH-GCP.pdf
*参考:PMDAのICH E6(GCP)に関するページはこちら。
https://www.pmda.go.jp/int-activities/int-harmony/ich/0028.html

念のため「ICH-GCPナビゲーター-国際的視点から日本の治験を考える」(治験国際化研究会編、じほう)も確認してみましたが、Subject Inclusion Criteriaは選択基準で特に問題なしとされています。

うーむ、やはり、世の趨勢は「選択基準」なのか。

ということで、今後はMy第一選択肢として「選択基準」と「除外基準」を採用し、上位大見出しがある場合は「被験者選択のための基準」(今考えた仮訳)のようにして差別化しようかなと考えています。

とはいえ、「申請」という点からみれば、「1セットの文書の中で訳語が統一されており、審査者の誤解や混乱を招かない」という点が一番大事ではないかと思います。なので、まずは参考資料準拠、が基本かなと。
2017.08.15 21:20 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
努力しても努力しても、自分はダメだなあと思う今日この頃。

自分の中に、

考え方を変えたり、新しい取組み方法を試してみたりして「自分、少しは上達したかも」と錯覚する → スゴい人のスゴい訳文や翻訳に対する真摯な姿勢に触れる → 「結局、自分はいつまでも『そこそこ』の『中の上』レベルから抜け出せないのだ」「努力だけでは埋められない溝がある」「結局、地頭が違う」と落ち込む → 「スゴい人たちも日々研鑽を積んでいる」「努力が報われることはなくても、努力しなければ何も始まらない」と思い直す → 現在の取組みを微修正する OR 新しいものを取り入れる → 「自分、少しは上達したかも」と錯覚する、に戻る

という無限ループがあって、今は「自分はダメなヤツ」「周りが皆スゴい人に見える」モード。

努力の方向が間違っているのかと考えてみるが(日々の生活に関しては、旦那に「無駄の多いヤツ」と言われております)、考え方の変化や、それに伴って少し明確になった「自分が目指したい翻訳」が間違っているとは思えない。最近、身体も気持ちもだらだらしているのは確かだけど(この時期、そうなることは多い)。

このループから抜け出すことは、たぶんない。
「もしかしたらほんの少しだけ上達しているのかもしれない」状態を積み重ねながら、私はぐるぐる回り続ける。謙虚な姿勢は大切だけれど、「上達したい」という気持ちと「少し上達したかも」という喜びがなければものごとは続かない。そして、その自信をへし折られることがなければ、成長はそこで止まる。このループから抜けたいと真剣に思ったときが「止め時」かなとも思っている。


心に残った言葉は、基本的にFBの方に書くようにしているけれど、今日はこちらにもまとめてみた。
再読しながら、「考え方の基本」に戻る。まずはそこから。近道はない。

「慢心は上達の敵」「『ほどほど』では『ほどほど』の力しか身につかない」(行方昭夫)
「(引退は)モチべーションの維持が難しくなったというのが決め手」(宮里藍)
「(浅田真央は)そのときそのとき精一杯やるというところは絶対にぶれなかった。どんな小さな大会でも、大きな大会でも全力を尽くしてきた。『あ、抜いたな』と感じたことは一度もない」(小塚嗣彦)
「人の2倍とか3倍、頑張ることなんてできない。だから、自分の中で(限界よりも)ちょっとだけ頑張る、というのを重ねて欲しい。僕も、米国で3千本も打てるなんて想像はできなかった。でも、それを重ねてきたことで、僕は今現在に至ると実感しています。この言葉をみんなに伝えたいと思っています」(「イチロー杯争奪学童軟式野球大会」閉会式あいさつより、イチロー、朝日新聞12月31日)


てことで、夜行性のSayobotはこのあと夜翻です。
2017.08.09 18:38 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(6) |
こんにちは、Sayobotです。
Sayoさんが不在のため(前の記事を参照)、代わりに記事を書いています。


昨年に引き続き、MEI(大阪大学国際医工情報センター)のメディカルデバイスデザインコース(土曜講座)を受講しています。
昨年のMEI潜入記はコチラ


今年は
「医療機器開発のための臨床医学」
http://mei.osaka-u.ac.jp/mdd2017/m1/
「医療機器開発のための機器実習」
http://mei.osaka-u.ac.jp/mdd2017/m3/
の2モジュールを受講しています。

「臨床医学」は6月に終わり(残念ながら修羅場と重なって最終回の出席は断念しました。最近、ときどき仕事に絡んでくるIVR(インターベンショナルラジオロジー)の話を詳しく聞きたかったので残念ですが、講義資料を入手するという最低限の目標は達成しました)、今日からモジュール3の「機器実習」が始まりました。

「機器実習」の実習機器は昨年と同じものも多く、昨年度受講生は1/3程度の受講料で差分受講(昨年から変更になった科目のみ受講)もできたのですが、昨年は東京遠征と重なって一部受講できなかった科目もあり、悩みましたが、再度全受講することにしました。フトコロ痛かったですが(お高いのが難点です)。でも、「循環器の経験豊富」を(ハッタリで)標榜するワタクシとしては、昨年受けられなかった循環器植込み機器とそのシミュレーションの実習は絶対やってみたいのですよね。

「臨床医学」は、基本的に、「専門的に解剖生理を学んでいない、医療機器分野への参入を検討する企業の社員や将来機器開発の道に進みたいと考えている大学院生」を主な対象としている(と思う)のですが、講義によって、難易度に多少バラつきがあるように思われました。ただ、現役の医師が「こんな風に医療機器を使用している」「このような機器があれば便利」といった観点から臨床を語る講義が多く、「ナルホドそうなんや」と納得したり新鮮な驚きを感じたりする部分がいつもとは異なり、そういった意味でも興味深い講義でした。ちょっと「翻訳の外から医療機器をみる」感じですね。翻訳者のワタクシには直接関係がないっちゃないんですが、お聞きした内容や頂いた資料がいつどこで役に立つかもしれません。特に、循環器以外の分野では、これまで断片的だった知識が線でつながったものもあり、それなりに収穫がありました。

今日始まった「機器実習」、今日は昨年と同じ機器ばかりでしたが、若干内容が変わっているものもあり、自分自身も昨年とはまた違う点が気になったりして(そして、アウェイでもそれを質問するだけの逞しさは身につけたのだった<単に「おばさん」度が上がっただけという説もあります)、今日のところは出席してよかったなと思っています。次回は一部グループワークも入るようなので、同じグループになった皆さんにご迷惑をお掛けしないかと(何と言っても、普段は世間から隔絶された隠遁生活を送っているので)多少気重ではありますが。でも、そこを乗り越えないとペースメーカには会えないので、頑張ります。

守秘義務があり、講義内容を詳しく書くことができなくてすいません。
興味が湧かれた方は、上述のURLで内容を確認して頂ければと思います。
2017.08.05 22:21 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
ご無沙汰しました。
ブログを書きたくてたまらないワタクシには苦行の3週間でした。

31日の丑三つ時に納品を済ませ、仮眠ののち、1日遊び呆け、そちらに心を置いてきました。
よって、このブログはSayobotが書いています。
(「心を置いてきた」イベントについては次の記事で)


ひと月に渡る案件は、量的なことを言えば「できなくはない量」、馴染みのある医療機器で、そこそこ馴染みのある文書。あまり無理せずできると思いました。
(内容的にも訳出作業的にも「やってよかった」と思える案件でしたが、最後の方は訳語や文の吟味にかける時間が、最初の頃より若干お座なりになってしまったのが悔しいです)

しかし、落とし穴がありました(世の中というのはそんなもんです)。

一つは、文書中の統計に関する記述。そもそも、普段から基本のキくらいしか分からない状態で戦っている生物統計ですが、今回は「君の言いたいことが分からないよ」状態でした。てことで、もう一度体系的におさらいせねばなるまいと、ざっと流し読みして放置していた「今日から使える医療統計」(新谷歩、医学書院)を引っ張り出してきたところです。

もう一つは、自分の訳出速度が遅くなっているということ(正確には、遅くなったまま回復できていないと言うか...)。
決して加齢とそれに伴う集中力の低下「だけ」が理由ではありません(それも大きいけど)。
以前は、参考資料や信憑性のあるサイトの表現を機械的に採用している部分がありましたが、しばらく前から「その表現は分野では穏当だが、広く日本語としてどうなのだろう」というようなことが気になるようになりました。資料やサイトとの整合性の問題もありますから、最終的にはよほど「そのままではマズかろう」という場合以外は、そちらの語句や表現を採用するのですが、その前に調べて確認する分、余分な時間が掛かるようになりました。項目全体を通した「読みやすさ(少ない労力で内容が頭に入るかどうか)」も以前より気になります。

てことで、ここ2~3ヵ月、月単位の処理量は同じながら、作業時間的にも精神的にもかなりキツい状態が続いていました。
同様の仕事が9月中旬頃まで続く予定ですが、8月前半はお盆もありますので、思い切って少し長めの納期を申請し、OKを頂いたところです。そもそも、「暑い」というだけでヤル気は失せますし。

とはいえ、それでは、ひと息つけても根本解決にはならないのも確かです。
では、どうするのがいいのかなあと考えてみて、やはり「仕事以外の文章を読む」時間をもっと取らなければならないという(取りあえずの)結論に達しました。

「どうやって力をつければいいのか」という質問に対して「習うより慣れろ」「仕事で量をこなせ」という回答をよく見かけます。ワタクシも、決してそれに異を唱えるものではありません。常日頃からある程度の量をこなしていないと、どんな案件にも一定品質で対応することは難しいですし、分野のきちんとした文章を数多く読んでこそすぐに「正しい分野用語」が口をついて出るようになるのだと思います。でも、それでは、どんなに多読多聴しても、その分野内でしか翻訳能力を伸ばしていけないのではないか。この先を考えたとき、それだけでは寂しいなあと思ったりするわけです。あくまで自分の場合ですが。

ですから、新聞も広告も文学も評論も、もう少し「きちんと読む」時間を作ろうと思います。
毎日のだらけた生活を思い返してみれば、「ダラダラ仕事をする」の一箇所をぎゅっと締めれば、そうした時間がもう少し取れそうです。


読み返してみればですね、
FBでは「7月以降は、もう少し『仕事以外のものを読み書く』時間を増やしたい」と書きましたし、1つ前の「最適の訳語を選ぶ」でも、「次は語彙の拡充が自分の課題。これまでのように『ストーリーを追う』読み方も(それはそれで息抜きになるので)継続するが、文書/書籍によっては表現やコロケーションに注意し、その場で辞書を引き、ときには書きとめる、ということをもう少し意識していきたいと思う」と書いてますが、最後にどちらも「希望的観測」って逃げてるし。仕事しかしない7月を予想しとったな<自分。

というわけで、ちょうど月も変わったところですし、8月、逃げずに頑張ってみようと思います。
2017.08.01 15:19 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
今日の覚書き。
ちょっと真面目文章風に頑張ってみる。


「やさしい単語の方がジツは翻訳は難しいんだよね」
という台詞を、これまでに何回耳にし、自分でも何度したり顔で口にしてきたことだろう。

それなのに、つい2~3年前まで、私はその「難しさ」を本当には理解していなかったような気がする。今でもきちんと理解できているかどうかはアヤしいが、少なくとも、「やさしい単語の最適の訳語」に辿り着くまで七転八倒することが増えた、と思う。それだけでもなにがしかの進歩には違いない(と自分を慰めて...もとい、奮い立たせている)。

つい先日は one of the most (複数形)... に苦しんだ。次に苦しまずに済むようにと、further, most common, excellentなど、翻訳に苦しんだ単語やフレーズは、My辞書にMy訳語を追加するようにしているが、(あたりまえと言えばあたりまえだが)文脈が異なれば使い回しがきかないことも多い。 one of the most は訳語欄に「~級、~クラス、重鎮のひとり、most challenging (最)高難度の部類に属する」と記入しているが、今回はどれもしっくりこない。
愛用の「対訳君Accept」の対訳データは、ICHや薬局方の対訳も含めて、多くが「最も...なもののひとつ」という訳語を採用している。「最も...な」で複数形が連想できない場合もないではないが、「one of the most ...=最も...なもののひとつ」と機械的に当てはめた場合が多いような感じだ。
「最も...なもののひとつ」それ自体がダメということではなく、「読者が一読したときに、苦労せず『複数の過剰・過多・良質なもののひとつ』という意味が読み取れるかどうか」が重要なのだと、今はそんな風に思っている。その結果が「最も...なもののひとつ」であれば、それはその箇所では最適の訳語としてアリということになる。

Address the limitsも、最近意識の片隅に引っ掛かったフレーズのひとつ。addressは「対処する」と訳すと上手くいくことが多いので、いつもあまり深く考えずにこの訳語を使用してきたが、ふと「限界に対処するってどういうこと?」という疑問が頭に浮かぶという罠にはまってしまい、「打破する」に辿り着くまで結構な時間を要した(ついでに言うと、掃除機をかけている最中に辿り着いた)。

そうした経験を重ねていると、自分はまだまだ語彙が貧弱だという事実を再認識して愕然とする。
今はともかく、若い頃はとにかく本を読みあさった時期があるからだ。いや、だからこそ、自分の語彙力を過信し、語彙の引出しを増やし言葉へのアンテナの精度を高める努力を怠った結果が「今」なのかもしれない。


翻訳とは、「頭の中に原文が意味する『下絵』を描き、それに『作成者の意図』という若干の色をつけたものを思い描き、それを訳文に再現する」という作業だと思う(というのは、これまでに聞いたり読んだりした諸先輩方の言葉を自分なりにまとめたもので、決してひとりでここまで辿り着けたわけではない>念のため<最後まで真面目に行こうと思ったけれど、「屋根裏的不等号」やらずにいられない<屋根裏管理人のサガです、許されよ)。原文と訳文で同じ色合いになるのが理想だが、訳文の目的や性質を考えたとき、(そちらの方がベストであれば)ごくわずかな色調の変化を許容するということも、場合によってはありかもしれない。今の仕事ではまずなさそうだけど。

この頃では、絵を思い浮かべながら「この訳文は適切か、自分の好みや恣意や心地よさを優先して原文のニュアンスまで変えてしまっていないか」ということをよく考えるようになった。翻訳に時間はかかるが、そこは「最適の訳語を選ぶ」上での進歩だと思う(と自分を慰めて...もとい、奮い立たせている)。

問題は、上にも書いたように、語彙のプールが圧倒的に貧弱ということだ。
「原文の語順を変えても、等意を保ちながら言い換えができる」ということについては、この頃、多少はバラして再組立てすることが苦ではなくなってきた(>あくまで「屋根裏」比)。
なので、次は語彙の拡充が自分の課題。これまでのように「ストーリーを追う」読み方も(それはそれで息抜きになるので)継続するが、文書/書籍によっては表現やコロケーションに注意し、その場で辞書を引き、ときには書きとめる、ということをもう少し意識していきたいと思う。当面(半年程度)の目標。
2017.07.12 14:08 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |