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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


巷で話題の(笑)最新版、私も手にとった。
(蛇足ながら、「翻訳事典」は、ここ4年ほど毎年購入している)

アルクさんの「翻訳事典」頁の目次 ↓
https://ec.alc.co.jp/book/7019007/

一時はAmazonの売上げ順位が2桁までいったとか(それはとてもスゴいことらしい)。
ツイッター等では、「機械翻訳と人間翻訳者」という特集が話題になっていたが、正直なところ、「翻訳ガール」という漫画と特別付録のDVDに惹かれた読者も多かったのではないかと思う。
けれど、それはそれでいいと思う。手にとって読んで貰わなければ、そもそも何も始まらないのだから。

漫画やらDVDやら新たな試みもあるが、全体の構成は例年どおり。
(記事では割愛するけれど、このDVDの内容もとても豪華だし、2つのイベントのレポートもとても興味深い)

で、話題の(笑)「機械翻訳と人間翻訳者」という特集。
「翻訳事典」が機械翻訳を取り上げるのは、これが初めてではない。
昨年版にも、「誌上講演会」の「演目」のひとつに「機械翻訳の変遷と『これから』」という記事があるし、一昨年版にも、「翻訳者になりたい人のための8つのドア」という特集に「機械翻訳で翻訳者の仕事はなくなるのか」という記事がある。

だが、今年は「何かの一部」ではなく「機械翻訳と人間翻訳者」という独立した特集がある。そこに私もやはり「きちんと翻訳できる翻訳者に育ってほしい」という出版社の思いを感じるのだ。私は、あまりムック本を読まない方なのだけど、この雑誌が、一番翻訳者に寄り添った雑誌ではないかと思う。

まず、機械翻訳の歴史とPEという仕事の内容が簡単に語られたあと、高橋さきのさんが、ニューラル機械翻訳を検証する。
これまでも、「単文や2~3文の機械翻訳を誌上でポストエディットしてみる」という誌上デモのようなものや、「G翻訳を試してみました」的な個人翻訳者のブログ記事を目にしたことがあるが、さきのさんは、句点を入れたり外したりするだけで似たような一つの文が少しずつ違う訳文になってしまうこと(日→英)を、実例を挙げて示されている。句点の有無(=微妙な意味の違い)によって、同じことを伝える動詞が複数の異なる動詞に訳されたり、ときには意味が逆転してしまったりする。異なる動詞の使用は、文字面だけをみれば小さな差違にすぎないように見えるけれど、出力全体を通じて表記揺れが生じているということになり(しかも無作為に)、仕上げ(修正)を施すときに、無視することはできない。これは、(少なくとも私には)誌上ポストエディットや「試してみました」では分からなかったことだ。
このような、人間と同じ思考回路で生成されたものではない訳文を人間の思考回路で修正するという作業は、人間の脳に多大な負担を強いるものなのではないかと思う。

続いて井口耕二さんが「私が考える『翻訳』」というタイトルで、自分がどんな風に翻訳作業をするのか、それは機械翻訳+PEとどう違うのかについて語られる。この「どんな風に翻訳作業をするか」の部分を読んで、「自分が(そして勉強会が)めざしている方向と同じだ」(私の場合、恥ずかしいくらいまだまだなのだけれど)と嬉しくなってしまい思わずツイートしたら、思いがけず多くの方から「いいね」をいただいた(その節はありがとうございました)。
実は、私は、いろいろ迷っていた時期に、この翻訳事典(2017年度版)で井口さんの「わたしの提言」を読み、迷いを減らすことができた(なかなかゼロにはできない)。以来、翻訳事典を毎年購入し続けている。心に刺さる言葉は人それぞれで(そして同一人でもそのときどきで)違うものだし、この先輩の言葉が誰に対しても絶対とも思わないけれど、迷っている方がおられたら是非読んでほしい文章だ。

とはいえ、機械翻訳に向かうのは世の流れだ。今後、機械翻訳の利用は加速していくだろう。翻訳業もビジネスなのだから、それも当然かなと思う。
ただ、今は、効率化・時短・安価のみがクローズアップされ、それのみが目的になっているような気がして残念だ。「少しでもよい翻訳を」という理念はどこへ行ってしまったのだろう。

私たち一人一人が自分の進む道を決めなければならない。私は「自分で考える翻訳」をやりたいけれど、PEという仕事も、どちらかといえば添削的なそれ自体面白い、極めればやりがいもある仕事なのではないかと思う。ただ、翻訳とは別ものではないかと思うし、人間の書いた文章の校正より大変ではないかとも思う。そして、業界もクライアントも「一から翻訳しないのだからずっと安くていいよね」という方向に向かっているのは確かだ。

翻訳を志す方、仕事を始めたばかりの方は、そうしたことをすべてよく理解した上で、この先どうしたいのか決めていただきたいなと思う。どんな選択をしても、理解した上での選択であれば、「あのときああしていれば」と自分の選択を悔やむ以外の後悔はないのではないか。自分にとって最良の選択をするために、翻訳会社や翻訳エンジンをつくる側からみた機械翻訳に関する記述と、実際に翻訳をする側からみた機械翻訳に関する記述(本書)の両方を読んでみてほしいと思う。

もうひとつ、「これから」という方に読んでいただきたい記事は、「翻訳者志望者への直言、助言、愛のムチ」の中の「AI時代に賢く生きる勝者」(豊田憲子さん)という記事だ。「AI時代」と書かれているけれど、本来、翻訳の仕事を始めるときにはきちんと抑えておきたい、でもなあなあで始めてしまうことの多い内容が(…すいません、私もそうでした…)、Q&Aの形で分かりやすく書かれている。

副題にもあるとおり、「翻訳者になりたい人の」ための雑誌という性格の濃い一冊だと思う。


他にも盛りだくさんな内容ですが、とりあえず特集に特化してみました。

*「翻訳事典」や「アルク」さんの回しものではありません>念のため*
2019.02.05 00:03 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

この頃、機械翻訳についての話を耳にする機会が多くなりました。

近日発売の「翻訳事典2019-2020」(寄稿者の手元にはもう届いているようですが、ワタクシは発売待ちです)には、「機械翻訳と人間翻訳者」という項目があり、記事内容紹介に「旬の話題である機械翻訳について、翻訳者の立場に立って識者が解説します。他誌にはない必読記事」(出版元の商品詳細記事)と書かれていて、機械翻訳がどんな風に語られているのか読むのが楽しみです。


ワタクシは機械翻訳のPEを体験したことはなくCATツールも使用していないのですが(一概に反対ということでは決してなく、自分には合わないなということで使用していません)、それでもときどき、自分が、これらの注意すべき欠点のひとつとして挙げられることのある「自分で考えない翻訳」をしているなと実感することがあります。それは、「機器や機能名などはこれに合わせて」若しくは「この訳文を参考にして/流用して」と渡された参考資料を確認しながら翻訳しているときです。

一からの翻訳では、まず原文を読み、その構成と意味を理解し、(必要に応じて調べものをし)、翻訳するという手続きを踏むのですが、参考資料があると、まず「使える表現がないかどうか」を探しに行ってしまうのです。そこで該当する文(章)があると、それを土台にして原文に合うように組み立て直すという作業をします。そこから翻訳作業が始まるため、私は「こういう構文でこういう意味だからこんな風に訳そう」と考える作業を怠ってしまうのです。借りた土台から始まる翻訳(もどき)は、参考資料を流用する普通の翻訳でも十分可能です。

何年か前にも、同じようなことを書いたような気がしますが、今ほど自分の思考の流れの違いを実感することはありません。
それは、「翻訳を勉強する会」で翻訳に取り組むことを始めたからのような気がします。もちろん、題材がまったく異なるので、比重を置くべき点も異なってくるには違いないのですが、参考資料を使用した仕事の翻訳から、勉強会の課題にスイッチすると、明らかに「さっきこの(まず色々考える)作業してなかった」と気づくのです。そして、適切な訳語を探してあれこれ思い悩むのが、とても難しく楽しいことにも。

もちろん、そういう流用の多い案件は実際問題としてオイシく、心の中で「ラッキー♪」とガッツポーズしているのも事実ではありますが、何らかのツールや機械翻訳を使用しないとしても「思考回路的に一から考えていない翻訳」であることには違いなく、全体に占める比重は増やさず、せめて「自分は今違う思考回路で翻訳作業している」ということは忘れないようにしようと思うのです。

注:決して「公開勉強会」推しの記事ではありません、念のため。
2019.01.29 23:09 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

シフト勤務の旦那が31日、1日と出勤だったので、例年にも増して「正月を迎える」感のないわが家の年末年始。
ということで、年末、少しだけ念入りに掃除し、大ものを洗濯し、「新年を迎える準備よし」としました(<そこまでいい加減でいいのか<自分)。
そのとき、実家から持ち帰った私物の最後の箱も整理しました。

そこで発掘したのが25年前の退職挨拶状。
OLの日々は自分の中で遠い昔のことだったので、平成になってから5年間も働いていたのかとびっくり(確かに「お局さま」という立ち位置にはいた)。

わたしはその挨拶状に「今後は翻訳という未知の分野で頑張っていきたい」と書いていました。

職場はよい雰囲気で居心地もよかったけれど、少し前から、仕事自体には行き詰まりを感じていました。結婚の予定はなかったけれど、かといって、そこで長く働く自分も想像できませんでした。
そんな中で始めた翻訳の勉強が思いのほか面白く、これを仕事にしたいと思うようになり、2年間収入がなくても生活できるだけの貯金を貯めたところで退職しました。平成5年(1993年)のことです。

その頃わたしは出版翻訳がやりたいと思っていました。「実務翻訳」という言葉はまだ市民権を得ておらず、そういう世界があることをよく知らなかったということもありますし、自分の名前で訳書が出るということに憧れもありました。
けれど、思い返してみれば、原文の読みも浅く、段落のつながりや文脈に思いを巡らせることはありませんでした。調べものも今とは比べものにならないほど大変だったとはいえ、言葉の選び方もおざなりで、一文一文を上手く訳せて満足していました。翻訳をなめていたと思います。

今、当時の自分と話ができるなら、「その心構えで出版翻訳なんか到底無理だから」とびしっと言ってやりたいです(今なら自信を持ってできる、ということではありません<念のため)。

結局、退職して2ヵ月後に派遣翻訳者として工場で働くことになり、その後、実務翻訳者の道を歩んできました(その後いくつもの回り道や停滞期を経たので、翻訳者としてのキャリアはもっと短いですが)。
辞めた当初の目標とは違ってしまいましたが、それでも今まで続いたのは、「必要とされている」感が心地よかったこと、好きなことをやって報酬が得られたことも大きな理由ですが、何より、英語で書かれたものを日本語らしい表現で伝えるという作業が好きだったからだと思います。翻訳を目標に退職したという選択自体は間違っていなかったかな。

25年前、わたしは、自分がどんな翻訳がしたいのかよく分かっていなかった、漠然と思い描いてはいても、少なくとも言葉にはできていなかったと思います。
今は、こまごま書けばいろいろありますが、突き詰めれば、著者の伝えたいことが読者に無理なくきちんと伝わる、そんな翻訳がしたいと、とりあえず言葉にまとめられるところまでは来ました。

25年かかったけれど、それでもここに辿り着けてよかったと、今は思っていますが、25年前のわたしに「しっかりと『自分が理想とする翻訳』を言葉にできるようになるまでに25年かかるよ」と伝えたら、いったいどんな顔をするでしょう。意外にしぶといヤツではあるので、それでも「なにくそ」と翻訳は辞めていないかもしれませんし...全然別のことをやっているかもしれません。

思いがけなく年末に過去の自分と出会い、来し方を振り返り、今思うところを再確認することができました。

同業の方、そうでない方、たくさんの方に教えられ支えられてここまで来ることができたと思います。
本当にありがとうございました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2019.01.03 00:27 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

総括

十人十色・大阪編(1月6日)は、もう遙か昔、2~3年前のできごとのような気がします。それでいて、1年あっという間だったような。
変化の少ない毎日を過ごしていた私には、さまざまに「濃い」1年だったようです。

翻訳以外

実家の仏壇を処分しました(私は実家の最後の人間なのです)。
来年は、実家の売却はともかく、中身をすべて処分するところまでいければ。空家になったのが2010年1月、さすがに「ひと目に曝すのどうよ」と思われるものはほとんど処分しましたので、そろそろ業者に任せてもいいかなと思っています。
面倒くさくて先延ばしにしてきた実家の処分ですが、義父母も目に見えて老いてまいりまして、「とにかく仏壇だけは」と立ち上がった2018年、来年は「とにかく中身だけは」何とかできれば。幸い来年の翻訳フォーラムは早いうちから予定がオープンになりましたので、その時期を外すべく鋭意画策中であります。

翻訳

ジツは、11月以降、仕事が減りまして、仕事がない期間が数日続くことが2~3回ありました。12月中旬以降、多少盛り返した感がありますので、一過性のものだったかもしれませんし、そうでないかもしれません。昨今の機械翻訳化+CAT使用優遇→必須の増加(あくまでも私の扱う分野ということです)と関係あるかもしれませんし、ないかもしれません。そういうことは、これまでもあったのですが、ここ数年は(こちらからお願いした場合は別として)数日打診がないことはなかったので、少なからず不安な時間を過ごしました。不安の源は、1. 収入が減る(ウチは今基本私の収入+預金切崩しで生活しています)+2. 「自分はもう必要とされていないのかもしれない」感の2つです。どちらも同程度に辛かったですね。

これまでは、そうした徴候がみられたら、すぐに自分の希望に合いそうなところを探して新規取引先を開拓してきたのですが、今回は、すぐに行動に移すかどうか迷っているうちに時間が経過し、今に至るという感じです。義実家関連のことも理由のひとつですが、これまでは、とにかくどんな形でも必要とされたかったのですけど、今は「自分がやりたい翻訳ができるところで必要とされたい」気持ちが強く、そうなると、アプローチしたいところもなかなか少なくなってまいりまして。現状、2~3社に絞って書類準備までした段階です。今メインでお仕事を頂いているところも、それなりに面白い仕事を下さるので、しばらく様子見ですが、大事にしていきたいと思っています。

で、あくまで自分比ですが、結構、勉強したり参考書籍を読んだり(しつこいようですがあくまで自分比です<念のため)できたので、それはよかったかな。

そんな風に、11月から12月にかけて少し悶々としましたが、全体を通していえば、(社員やユーザー)教育資料、パンフレットなど、個人的に「面白い」と思うタイプの翻訳もそれなりにあり、内容としては結構充実していたと思います。また、少し別の方向にも一歩足を踏み出した年でした。こちらでの新しい出会いも大切にしたいです。

また、今年は、初めて勉強会やセミナーの運営に関わらせていただきました。1月に「十人十色・大阪編」、7月に「翻訳フォーラム・大阪でもレッスン!」、11月に自分たちの勉強会の「公開勉強会」と3つの勉強会を(事務局として)開催しました。来年も年明け早々、「翻訳フォーラム・大阪でもレッスン!その2」、3月に「公開勉強会・東京編」が控えています。春以降は、いつも何かしら細かい準備をしていたような気がします。そして分かったことは、「自分、意外に事務局に向いてるかも」ということ(一緒にやって下さっている方が、私のことをどう見ておられるかは分かりませんが)。細かくネチネチと地味に事務仕事をやっつけるの嫌いじゃないです(<そこかよ)。

もともと、(翻訳に携わる年月もそれなりに長くなりましたので<年数だけは)、ブログで情報提供する以外にも、こうして自分を育ててくれた翻訳の世界に恩返しをしたい+大阪でも東京のようなセミナーができたら、と思って始めたことでした(同時期に同じ思いの事務局メンバーがいらっしゃったことは幸運であったと思っています)。「自分が体験してよかったものを全力で呼ぶ」というのがワタクシ的基本方針でして(あくまで自分はそういう風にしたいってことです)、今後、そうしたセミナーをどれだけ体験できるか分かりません(まず出かけていく必要があるので)。状況の許すかぎり、体験し、感動し、その感動を関西の同業の方とも分かち合いたいと思っています。いつまでできるか分かりませんが。そして、その間に、この流れが途切れないよう、「セミナーを開催する」ノウハウ的なものをもう少し蓄積できればと思っています。

という感じで、なんのかの言いながら、翻訳中心の生活を送ることができた1年でした。
来年は、どうなるかは分かりませんが、朝、目を覚ましてつつがない1日を祈り、夜、平穏に翻訳に向かえたことを感謝しつつ床に就く、そんな生活を1日でも長く続けられたらと思います。

昨年末は、「来年の抱負」に、
「やりたいときにやりたいことをやる」「動くときは動く」
と書いています。
世間から見ればしょぼい内容でしたが、自分的には、いちおうどちらも達成できたかなと思います。そこは褒めてやろう>自分。

来年の抱負は特にないです。
しいていえば「よく学び、よく翻訳する」
年々テキトーになっていくような気がしますが(笑)。

こちらを読んでくださる皆さんが、穏やかに幸せに新年を迎えられますように。
そして、健康で「嬉しいこと」の多いしあわせな1年を過ごすことができますように。

来年も「屋根裏通信」をどうぞ宜しくお願いいたします。
2018.12.29 23:07 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

...ラーメン、が話題になりました。

そのセッション、私も聴講するつもりでしたが、体調不良と修羅場により、翻訳祭セッションは全欠席となりました。残念です(←それでも、這って交流パーティには行ったヒト)。

自分の耳で聴いたわけではないので推測ですが、ツイートの内容やセッション内容紹介を読むかぎり、今後、メディカル分野へのMT進出が加速するのは間違いなさそうです。
(*私の機械翻訳の理解は一般的な理解の域を出ませんので、以下の文章は、もしかしたら、機械翻訳を若干取違えているかもしれないこと、ご容赦ください)

他分野の方には「メディカルが(人間翻訳の)最後の砦」みたいな言われ方をすることもありましたが、私は、決してそんなことはないと思っています。
どの分野もそうであるように、文書によっては機械翻訳を用いた方が統一されたものができると思えるものもあります。それもかなり(自分が知っている医療機器翻訳の範囲ですが)。
最初のうちに「機械翻訳→時間を掛けてよいものにPE→機械翻訳にFB」を繰り返して、どんどんよいものを喰わしておけば、それなりの結果が得られるようになるのではないかという気がします。
食べ物にたとえたいのであれば、美味しいものばかり食べてさせれば舌が肥え、不味いものばかり食べさせれば何が美味しいものなのかいつまでも分からない、みたいな。
今は、コスト削減+時短ばかりが叫ばれ、「最初にお金をかけてよいものを仕上げる(その方が最終的によいものができる)」という視点がないような気がします(私の誤解だったら申し訳ないのですが)。

私は決して機械翻訳に反対するものでも拒否するものでもありません。きちんと使えるのであれば、使えるところは使えばいいと思っています(自分がやりたいかどうかは別問題ですが)。前にも書きましたが、「知識の豊富なスキルの高い翻訳者にこそPEをしてほしい」が本音であるならば、PEという仕事を段階評価するなどの工夫をこらし、スキルのあるエディタは高く評価してほしいと思いますが。将来は分かりませんが、現時点では、機械翻訳はまだまだ腕のいいエディタの助けを必要としているように思います。

上記のセッションと同じ時間帯に、「How Machine Translation can help you most」というセッションがありまして、実はそちらにも興味を惹かれていました。

昨晩、パーティ前に頂いた資料を眺めていましたら、某社Bulletinに、このセッションの講師の方へのインタビューが載っていました。そこでは、「MTは注意深く準備されなければならない」「MTは、いわゆる『流暢なエラー』を生み出し...こうしたエラーは、翻訳者が気づきにくいものだ」「ニューラルMTが、どうすれば私たちが望む一定の環境や個別のプロジェクトに適応するのかわからない」とはっきり仰った上で、「それでも機械翻訳のアウトプットが役に立つ」と述べておられます(Post Editor=翻訳者と捉えていらっしゃるようですが)。今となっては、こちらの話の方を聞いてみたかったですね。

私自身は、「自分でいろいろ考えて翻訳するのが楽しい、したい」と思っているのですが、実際的な話をすれば、ここ2~3年で、仕事の内容はかなり変わりました。
ツールを使用しないと公言+処理量が特に多いわけではない、ということから(それが理由の1つであろうと思っています)、出来上り100枚(400字)を超える案件は少なくなり、案件の内容も、「その方が意味が通じるのであれば、原文直訳から離れてもOK」的なものが増えました。今は、これまでと同等の売上げがありますが、現状のまま新規開拓を怠れば(OR単価を上げなければ)確実に売上げは減るだろうと思っています。年齢や環境的なこともあり、今後どうしていくかは悩みどころではありますけど(今の方針は変えないと思いますが)。

今後、機械翻訳+ツール+PEは増えていくのではないかと思います。その流れは止められないのかなと。
そうなったときに「自分で翻訳したい」のであれば、ともかく自分の翻訳力を鍛えておくしかない、というのが今の考えで、それが勉強会にもつながっています。
「これからどんなふうに翻訳に関わっていくのか」に正解はなく、個人個人が決めるしかないことだと思います。でもそこに「自分はどうしたいか」があるべきで、「流されるだけ」はダメなんじゃないかというのが、私の考えです。

ラーメンには私の心も若干ざわつきましたので(笑)、思いつくまま書きました。
あくまで個人的な考えです。念のため。いろいろな考えがあっていいと思います。
2018.10.29 00:01 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |