屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

2月13日付朝日新聞 「波聞風問」(多賀谷克彦編集委員)から
(「NEXT 5」HP:http://www.masushin.co.jp/next5.htmも参考)

後継者不足による中小企業の廃業や解散が相次ぐ中、秋田の5件の酒造蔵が、逆境を乗り越え成果を出している、という記事。

「NEXT 5」と呼ばれる5人の経営者はみな、先代から蔵を継いだものの、利益を出せず、市場は縮小する一方だった。秋田では杜氏を置く蔵元が一般的で、「蔵の技術は杜氏の技術であり、秘中の秘だった」が、5人は、自らも酒造りに加わり、「技術や生産データの公開、共有を始めた」。酒も、品質の高い純米酒に切り替えたという。「技術交流」「情報交換」を目的に頻繁に集まり、イベントを開き、消費者の声を聞いた。2010年には共同醸造も始めた。毎年、その年の当番蔵に集合し、各自自慢の素材にこだわり、テーマを変えて、最高品質の酒を醸したという。5軒の蔵を一巡し、今は二巡目だ。この共同醸造酒が人気となり、今では毎回予約時点で完売する状態になっている。取引を求める酒販店や飲食店も多いという。もちろん5軒とも、自身の蔵でもこだわりの酒を造り続けている。
多賀谷氏は、これを「量を追わず、質を求め続けた成果だ」とし、「彼らは業界の因習にとらわれず、緩やかにつながり、危機意識、事業リスクも共有した。だからこそできた復活劇ではないか」と考察している。


この記事を読んで、「緩やかにつながり、情報、危機意識、事業リスクを共有し、量を追わず、質を求める」を、これからの翻訳の1つのやり方として応用できないかと思った。この蔵元のように、各自がそれぞれの仕事を持ちながら。
とはいえ、ビジネスマインドのない私でも、(そのまま移植しないとしても)不可能とは言わないまでも、それがかなりの難題であろうことは何となく分かる。
まず「利き酒」という言葉は聞いたことがあるが(正確には蔵元での官能検査を言うようですが、ここでは「質のよさ」の分かる舌の持ち主による試飲など、もっと広い範囲の「利き酒」をイメージしています)、「利き翻訳」という言葉は聞いたことがない。誰が「利く」のか。どう判定するのか。発注者(元クラ)の中には「利き翻訳」のできる人がいるのか。必ずその人が「利いて」くれるのか。この先、「利き翻訳」のできる人間が減っていかないか。もちろん、NEXT 5もよい共同醸造酒をつくって手をこまねいて待っていたわけではなく、自ら宣伝に回っている。だが、そこに質のよさを見分ける舌の持ち主がいて、噂が広まっていった。同じことが翻訳でもできるのか。
考え出すときりがない。というか、違いばかりが浮き出てくる。

翻訳業界は今過渡期にある、と私には思える。過渡期がどのくらい続くか分からないけれど、これまでの翻訳者の働き方と少し違う働き方をする人は確実に増えるだろう。
私の周りには、「業界がどんなふうに変わろうと、何とかわたっていけるだけの最低限の力は蓄えておきたい」という考えの人が多い。使えるものは使うけれど、最後に頼るのは自分だ、という考えだ。そのために勉強もする。ともに切磋琢磨しようという話もある。それでも、力量を買い、そこそこの単価で発注してくれる発注者が減るのではないかという不安は(少なくとも私は)消えない。同年代が多いので、「私たちは逃げ切れるよね(仕事を辞めざるをえなくなる年齢まで今のような仕事ができるよね)」という話もする。そして、次世代を思い、多少の後ろめたさを感じたりもする。一番大事なのは自分であり、自分の生活であるのは当然なのだけれど。

そんなことを考えていたときに、ふとこの記事に目が留まった。
自分の仕事も持ちながら、「質を求め、緩やかにつながり、リスクを共有する」チームがいくつもでき(チームの人数が増えるほど協調が難しくなる、というのは経験してきた)、そのチームがまた緩やかにつながって協力し合うという形で、質の担保された翻訳を広げていくというやり方はできないものだろうか(こちらからの働きかけも必要になるので、決して楽な道ではないと思うけれど)。多くが手を携えて生き残るヒントにはなるのではないかと思える記事だった。


結局、「この新聞記事いい」な記事でして、いつものように考察も甘いので、あまり深く考えず、「NEXT 5」に的を絞って、あとはテキトーに読み流していただければ嬉しゅうございます。
2018.02.16 00:46 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

「水遣りを放棄したのに、花は届けられた(山口ミルコ) 」
2018年2月1日付け朝日新聞朝刊

これだけでは、分かりづらいかなと思いますので、「ことば」に続く鷲田さんの解説も記載しておきます。

***引用ここから***
退社してすぐガンが発覚し、闘病生活に入った編集者。肩書はなくなり、髪も貯金も急減し、ついに何者でもなくなると心細い思いでいた時、以前担当していた作家から仕上がった小説が届く。心底情熱を傾けたものは、途中で降りることになっても必ず誰かが後を継いでくれる。「欠席、可」。そう思い定めると、以後何ごとにもビクビクしなくなったと言う。「毛のない生活」から。
***引用ここまで***

少し検索してみると、この方が、バリバリの社内編集者だったのが、フリーランスとして独立し「さあ、これから」というときに病気を宣告されたのだということが分かります。
「毛のない生活」は、抗がん剤治療中に考えたことを綴った1冊らしい。

本を読んだらまた違う感想を抱くと思うのですが、私が「折々のことば」を読んで思ったのは、「水を遣る」ことの大切さ。
勝手に、もっと年配の方だと思い違いし(たぶん「何者でもなくなる」「肩書はなくなり」の部分から)、定年に近い年齢で退社しガンと分かり、自分の今後の人生設計やIdentityを根こそぎ持っていかれた(と感じた)のではないかと想像したのですよね。自分と世間をつなぐものはもうなく、世間はこのまま、何もできない自分を忘れ去っていく(と私が勝手に想像を膨らませているだけですよ、もちろん<念のため)。そんなとき届いた完成本を手にとって、「自分のことを思ってくれる人がいる」と安心する。

...でも、たぶん、本当は「情熱を傾けていたものは、それを見ていた人が後を継いでいいものにしてくれる → 今はあせらなくてもいいんや → 『欠席、可』」という流れなのかなと思います(書籍を読んでみないと分かりませんが)。

てことで、私の一読しての解釈はたぶん間違っていると思うのですが、いずれにしても、「それでも花が届く」という結果になったのは、著者が普段からしっかり「水遣り」を欠かさなかったからではないかと思うのです。花が届いたのも、途中で降りても後を継いでくれる人がいたのも、そこまで手厚く水を遣り続けていたから。育てようとしたものは、水遣りを辞めざるを得ない結果になってしまったときには、すでにしっかり根を張っていたのではないかと。

では、この仕事での「水遣り」は何だろう、とついつい考えてしまったりするわけです。因果な性格です。
いろいろ考えたのですが、結局は「常に顧客にとってのベストを考えながらきちんとした仕事をやり続ける」ことに尽きるのかな、という結論になりました、とりあえず。地味ですが「やり続ける」て結構ムツカしいと思うのですよね。そういう実績を積み、さらにその仕事を好きでやっていることが伝わってこそ、「あの人なら」という信頼を得ることができ、何らかの事情で自分にそれができなくなっても、たとえば、復帰を待って貰えたり、「この仕事はこの翻訳者がこういう姿勢でやってきた仕事です」として仕事自体も守られていくかもしれない。もちろん、それで「はいそうですか」と相手を納得させられるだけの仕事をしていなければならないわけですが。あと、そうであってほしいという願望、かなり入ってます。
そう言って貰えるよう、日々せっせと「水遣り」を続けたいと思うのでした。

もとネタから限りなく離れてしまいましたが、いつものことなので大目に見ていただけるとありがたいかなと。
2018.02.01 22:40 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

前回増刷(?)時の記事はコチラ


あれから1年弱。早すぎる。なんでや?
(まだ3代目の名刺が若干数残っていますが)

考えてみれば、昨年は、東京遠征も含め、(当社比)よく課外活動したのでした。
各回の課外活動でそう多くの名刺交換をしたとは思えないのですが、チリも積もればなんとやらとはよく言ったものです。

特に、MEIのメディカルデバイスデザインコースのネットワーキングランチ/ディナーでかなりの枚数が捌けました。
3代目は「裏書き」付きにしておいてよかったとしみじみ思ったものです(...まあ、そこから話が盛り上がることはあまりなかったですが)。

さて、4代目はどうしようと考えたとき、翻訳祭で話をお聞きしたS田耕太郎先生の言葉が頭に浮かびました。
営業も必要という話から、例として、ご自分の「淡々と事実だけを書いた等身大の自分の略歴」と「若干の売込みも混ぜた『薄化粧した』略歴」を並べて示してくださったのですが、そのときの「嘘はいけないが、薄化粧する(見せ方を意識する)ことは大切」という言葉が(このとおりの言い方ではなかったと思いますが)心に残っていました。

よし、もう少し「薄化粧」してみよう。

そして、これまでいただいた名刺をためつすがめつしながら、どんな情報を裏書きしようかと考え始めたのですが、そのうち、「そのやり方は違うんじゃないか」と思い始めました。
結局は「自分が一番伝えたい情報を(若干「盛って」)記載する」ことが大切なんじゃないか。

...と思ったはいいが、なかなかそれを絞ることができません。おそらく自分の中に、若干の迷いがあるからなのでしょう。いろいろと悩むお年頃なのだよ。
何度も書いては書き直し、校正で上がってきたもの(馴染みの文房具屋さんで作ってもらいます)の変更をお願いし、昨日やっとでき上がってきました。
そんなに悩んで作った名刺なのに、この「...で?(そこがウリなん)」と「...そんなん作ったん?(恥ずかしげもなく)」感はどうだろう。
とはいえ、可愛い名刺であります(世間では、できの悪い子(?)ほど可愛いと申しますし)。
運悪く手にとってしまわれた方は、裏返して「ぷぷっ」と吹き出さず(あるいは「そんなの書く価値ないやろ」という冷たい感想は心の中だけに留め)、平静を装って受け取っていただければ幸甚です(とりあえず、今しばらく3代目を先に捌きますが)。

どんな分野のどの方向(英→日、日→英etc.)の翻訳者なのかという基本情報の他に、

・取扱い領域
・専門知識習得場所
・翻訳に絡む興味のあることをひとつ
・翻訳への基本姿勢

を裏書き。
同業者や翻訳会社以外の方の手に渡ったときにも、「きちんとした仕事ができそうなヤツ(かも)」との印象を与え、若干の興味を持って貰えそうな名刺を目指しました(いや、あくまで当社比なんで...でもって、どちらかといえば「ぷぷっ」な結果かもなのですが...)

ヨロシクね、助けてね、4代目。
2018.01.24 22:40 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

「翻訳ストレッチ」は、S木立哉さんが毎日取り組まれているものですが、この「翻訳ストレッチ」を聞き知る前から、音読やリスニングを「続ける」ことの大切さを説かれる方のお話を聞いたり、そうした話を耳にする機会がときどきありました。
もちろん、「考える」勉強も大切には違いないのですが、「毎日(ある程度機械的に)きちんとした文章を読み、聴くことが大切」というのは、多くの翻訳者が辿り着く解のひとつなのかもしれません。そしてそれは、「翻訳力を向上させる」ためのものではなく、「翻訳するための基礎体力を落とさない」ために必要なものではないかと、この頃思うようになりました。あくまで、個人的な感想ですが。

若干の微修正を加えた、最新のラインナップ(フルセット)は以下のとおり。ご参考まで。

ジツは、私は、「なんちゃってリスニング」「なんちゃって音読」歴はかなり長いのですが(それでこの程度かよと思われるのが哀しく、あまり大っぴらにせずこそこそやってきました)、それが翻訳に役に立つかもと思い始めてまだ日は浅く、日本語の音読を追加したのは3~4年前に過ぎません。やり方も、S木さんに比べてかーなーりーいい加減なので、「ストレッチ」という名前をお借りするのも申し訳ない気がしたのですが...(てことで、「なんちゃってストレッチ」)。


* リスニング:「Better」(Atul Gawande)

 たぶん10巡目くらい(←この「くらい」がすでにいい加減)。
 どこかに書いていますが、私のリスニングはCDウォークマンをエプロンのポケットに入れて聴くという、時代に逆行するやり方です(でもAmazonでCD BOOKを探すのも楽しかったりする)。「聴いてみたい」と思うものを聴いています。最近は医療ノンフィクションやポピュラーサイエンス多め。新しいものが買えなくて(それなりに貧乏です)、何年か前に聴いたものを引っ張り出すことも。洗濯物ほし/たたみ、アイロン掛け、夕ご飯の片付けなどしながら、毎日30~40分くらい。拭きそうじすると1時間を超えることも。「聴く」ために余計な時間を取らなかったのが、面倒くさがりの自分でも長く続いた理由かも。何だかんだで20年目に突入(最初は「相手の言うことが聞き取れるようになりたい」という切実な理由だったのですが、まんまと「お話を聴く」楽しさにはまってしまったのだった)。

 一昨年くらいから、ウェビナーや講演の文字起こし原稿を翻訳する機会が増えました(といっても、年3~4本ですが)。もちろん、いつも原稿は頂けるのですが、「?」と思う部分もあったりして、音声や動画は必ず確認します。そういうとき英語音声を聴くということに抵抗がないのは、リスニングを続けてきたおかげかなと。今後、分野を問わず、ウェビナーなど、動画と抱き合わせの翻訳は増えていくのではないかと思います。動画やクライアントの意を汲んだナレーション原稿の翻訳ができるというのは、今後、翻訳者としてひとつの強みになるかもしれません(←自分にそれができるということではなく、「そういう翻訳者は今後重宝されるかも」という意味です<念のため)。

* 原書の音読:「What Patients Say, What Doctors Hear」(Danielle Ofri, MD)

 テキストを読んだり、小説を読んだりと、色々試行錯誤しましたが、今は「自分が読んでみたいもの」を読むことにしています。きちんとした文章かどうかは、中身検索である程度確認できますし。それでも、「...失敗した(おもろない)」と思うことはあり、そういうときは潔く撤退します。音読も20年目(そのわりに発音イマイチですが、そこは暖かくスルーしてください)。長くやっていると、だんだん、「ここでひと呼吸置いた方が聞き手に分かりやすいかも」的なことを考えるようになってきます。上に書いたナレーション翻訳にも、「切り目の意識」が多少役に立っているかも(超希望的観測)。

* 日本語の音読:「一語一会」(保阪正康)&医療分野の論文やアメリア定例トライアルのメディカル分野の訳例など

 できるだけさまざまな文体に触れるようにしています。保阪正康さんの前は白州正子さん。その前は三島由紀夫、その前は谷崎潤一郎を途中で挫折。「一語一会」はもうすぐ終わるので、次はたぶん向田邦子さん。日本語音読はまだ数年。最初はテキストや論文を読んでいたのですが、それでは「普通の日本語を扱う能力が落ちる」と危機感を感じ、小説や随筆に移行しました。最近は、「分野独特の言回しに疎くなってもマズい」と、分野特有の文章(主に論文)と2本立てにしています。2本立ては、まだひと月くらい。

* 原書と訳書の突き合わせ読み:「Stoner」(John Williams/東江一紀)

 今回新たに取り入れてみることにしました。楽しく悩みましたが、まず東江一紀訳「ストーナー」から(えーと、まだ始めていませんが)。

* 見出しから文を&記事にMy小見出しを:その日の新聞記事から各1記事

 「見出しから文を」は「文章添削の教科書」(渡辺知明)で推奨されていた方法。「記事にMy小見出しを」はその逆も面白いかなと自分でやり始めたもの。まだ半年くらい。私はお昼に新聞を読むので、そのときにさくっとやります。毎週月曜日はお休みと(勝手に)決めていて、月曜日は開放感に浸ります。何かの役に立っているかどうかは...不明。ただ、「見出しから文を」で「いや、この見出しの中にそこまでの情報は含まれていないから、そこまで足すのはやり過ぎ」などと考えるのは、翻訳で「どこまで逐語訳から離れていいか」を考えるのに若干似ているような気がしないでもありません。


並べてみると、毎日かなり「なんちゃって」ストレッチしているように見えますが、基本、新聞と原書の音読と聴読しかやっていません<念のため。聴読と新聞は「ながら」なので、「そのために特に時間を取っている」のは原書の音読だけです。気持ちと時間に余裕があるときはフルセットやります。さらに、私の場合は、「まったくやらない日」もあります。
私は、きっちりやらないと気が済まない部分とアバウトな部分(「ま、えっか」)が同居しているというややこしい性格ですが、そんな自分が長く続けられた理由を挙げてみると、

・生活習慣の中に組み込んだ(「ながら」の確立)
・2日くらいはまったくやらない日が続いても「しょうがない」と割り切る(その代わり、その次の日は必ず何かやる)
・「好き」で選んだものではない課題(←「課題」と呼んでいる時点ですでに苦行)の場合は、「今日はこれはやらない日(曜日)」を決める(そして開放感に浸る)
・できるだけ「読みたい(聴きたい)もの」で固める

...あたりになるかな、と思います。あくまで自分の場合ですので、あまり参考にならないかも。私もここらで「『ストーナー』やるよー」宣言をしておかなければ、いつまでも重い腰が上げられないような気がしましたので、記事にしてみました。う、退路が断たれた...
2018.01.12 20:29 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

連休前のその日、ワタクシは、見るともなくテレビを見ながら、帳簿付けをしていました。
NHK、だったと思います。西川きよし師匠と藤井隆さんと(たぶん)アナウンサーの女性が、ゲストとトークするという番組。

その中で、ゲストの俳優さん(朝ドラで漫才師役をされていて、役作りのために実際に相方役と漫才をされているのだとか<今期の朝ドラは早々と脱落したので、記載に若干の間違いがあるかも)が、きよし師匠に「漫才がうまくなるにはどうすればよいですか」的な質問をされました。

きよし師匠は、「上手くいかなかったり受けが悪かったりしたときは、『どこが悪かったんやろ』と楽屋に戻ってから何度も(横山やすしと)二人でネタ合わせをした。50回はやった(この『50回』という数字でテレビ集中モードが覚醒するまでいい加減に聞き流していたので、その前のきよし師匠の言葉は正確ではない可能性があり、『舞台に上がる前は、50回はネタ合わせをした』ということだったかもしれません)。それだけやって初めて安定(安心?)してちょっとしたアドリブをはさめるようになる」と回答されました(もしかしたら、それは質問者が期待した答えと少し違っていたのかもしれませんが、そこは藤井隆さんが上手にフォローされていました)。

やすきよの漫才は、今見ても面白い。「これ前も見たネタやな」と思っても聞き入ってしまうことがあります。
やすしさんが奔放に好き放題暴走しているように見えて、裏ではこれだけ努力していたのだなと、ちょっとしみじみしました。

同時に、バラエティ番組に出ずっぱりの最近の漫才師の方々には、果たして、1回の本番のために50回練習する時間はあるのだろうかとも思いました。
あくまで、(普段そもそもあまりテレビを見ないワタクシの)個人的な感想ですが、最近の漫才は「1回みたら同じものはもういいかな」というものが多いような気がします。
視聴者が常に新しい、面白いものを求めている(あるいは作り手がそう思っている)というのもあるのかもしれませんが、昔ほど練習する時間がないということもあるのかもしれません。
...そして、もしかしたら、多くの漫才師の方が「このままではいかん」と思っておられる...のかもしれません。ちらっと思っただけですが。

そんな風に思ったのは、「十人十色」勉強会のあと、多くの参加者の方から「これまで体験したことがなかったような内容だった」(確かにそれはあるかも)という感想をいただいたり、翌日から「**をはじめた」というようなツイートをいくつも拝見したりしたからなのです。そうでなければ、ワタクシは、この話を「ええ話や」で記憶の底に葬っていたに違いない。

もしかしたら、多くの翻訳者の方が(ワタクシ同様)、日々の忙しさに追い立てられつつ、「今のままではいかん、本当は、良質の文章を音読し、聴き、書く訓練をする(そしてそれを続ける)ことが大切で、自分に必要なことなのだ」と焦燥感を募らせていたのかもしれません。今回の勉強会は、そうした焦燥感に対し「ひとつこういうやり方がある」という具体的な道を示してくれるものでした。それが、参加された方の胸に響いたのではなかろうか、と(スタッフの贔屓目も交えつつ)そんな風に感じております。

ワタクシ自身、「ストレッチ」が若干なあなあになっていたなという思いはあります。
少し整理し、毎日の生活に支障がない程度に違う内容のものも増やしていきたいと思いました。

昨日は廃人化していましたが、今日いち日少し頭を整理する時間がありましたので、明日をMy New Year's Dayとして、「(息切れしない程度に)今年も頑張ろう」スイッチを入れたいと思います(...ああ、日付変更線をまたいでしもうた...)。
2018.01.09 00:10 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |