屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

...どうやってつなげるというのか<自分

「文章の書き方」(辰濃和男)

ジャケット見返しには「わかりやすい文章を書くためには、何に気をつけたらよいか。日頃から心がけるべきことは何なのか。『朝日新聞』のコラム『天声人語』の元筆者が、福沢諭吉から沢木耕太郎にいたる様々な名文を引きながら『文は心である』ことを強調するとともに、読む人の側に立つこと、細部へのこだわり、先入観の恐ろしさ等のポイントをていねいに説く」とあります。

何となく手に取った本なんですけど、「文章を書く」という意味で「ナルホド」と思う点が多々あり(...あたりまえか...)、「翻訳も同じ」と思う点も多々ありの1冊でした。
謳い文句のとおり、様々な文筆家の文章が例文として記載されており、「おお、このヒトの文章をもっと読んでみたい」と思ったときに原典が手に取れるよう、巻末に出典一覧が記載されているのがありがたいです。個人的には、門田勲(元朝日新聞記者)、国分一太郎(作文指導者の方とか)、北村薫、疋田桂一郎(ジャーナリスト),谷崎潤一郎(「文章読本」)らの文章が心に残りました。半数以上がこれまで名前も知らなかった方々です。

目次の一部を記しておきますので、興味の湧いた方は参考に(括弧内はワタクシ的ひと言説明です)。

広い円(様々な素材や資料を集めてから書く-100を集め1の文章にするというような意味かと)
現場(とにかく自分の目で見る)
無心(先入観にとらわれない)
感覚(感じる、感じたことを言葉で表現する)
平明(分かりやすく、読み手のことを考えて書く)
均衡(一方向ではなく様々な方向から、自分の文章や社会を見る)
品格(技術ではなく心の持ちようや人としてのありようが大事)
新鮮(紋切り型の常套句ばかり使わない-そのためには言葉に対する嗅覚を磨くことが大事)
選ぶ(余分なものを削る<ぐさっ<自分)
流れ(全体の流れを俯瞰する、しかるのちに「冷やす」)


で、この本を読みながら、基本引き籠もり系のワタクシは、「やっぱり、もう少し外に出で自分の五感で様々なものを感じることが大事よね」と思ったりしたのですが、そのときフと仁木悦子という作家のことを思い出したのです。脊椎カリエスを患って寝たきりとなり学校にも通えず、本を友として日々の生活を送り、のちに江戸川乱歩から「日本のクリスティ」と賞されるまでの推理作家になられた方です。実際に自分の目で見ることが叶わぬ広い世界を本を通して正しく想像する「誠実な想像力」と、窓から見える狭い世界から多くのものを吸収するだけの鋭い五感を備えた方だったのでしょう。のちに数度の手術を経て、車椅子で生活できるまでに回復されたそうです。

その仁木悦子の処女作が「猫は知っていた」(1957年)。
とうに絶版だよなと調べてみたら、ポプラ文庫ピュアルとして復刊していました。会話部分や事物の描写など、現代からすれば相当にレトロなものに違いありませんが、逆にその「レトロ」感がよいのか。主役の兄妹の掛け合いはテンポよく楽しいものだったような気がしますが、内容は本格推理で決して明るいコージー・ミステリではなかったように記憶しています。


その「レトロ」「コージーミステリ」というキーワードから記憶に蘇ったのが、「スイート・ホーム殺人事件」(クレイグ・ライス、長谷川修二訳、1944年/日本語版1976年)。
14、12、10歳の3姉弟が、ミステリ作家の母に代わって殺人事件を解決するという、コージー・ミステリ...になるんでしょうか。「遊園地の移動サーカスで目一杯楽しみました」的な読後感が残ります。
2009年に羽田詩津子さんの新訳版が 出ています。羽田訳ですから素晴らしいものに違いないのですが(未読)、ワタクシは、この作品はやはり長谷川訳で読みたいなと思うのです。あくまで個人的な好みですが。少し古めかしい言葉遣いがこの小説にピッタリ合っているような気がするのです。「相好を崩す」という表現はこの小説に教えてもらいましたし、羽田訳にはきっと「嬢や」「手塩にかけた」「彼女、シャンだわねえ」等々の表現はないに違いありません(いや、もっとスゴい表現になっているかもしれないのですが)。原題は「Home Sweet Homicide」。洋書のタイトルは愛想のないものが多いよな~と思うことが多いのですが、これは原題の方に軍配を上げたいです。

というわけで、「文章の書き方」から「猫は知っていた」から「スイート・ホーム殺人事件」に無事につながったのだった(こじつけとも言う)。
2017.03.10 14:20 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |
昨晩から通常営業の屋根裏です。


昨年1年間に音読・リスニングした書籍をまとめてみました。

リスニング

スマホで聴いておられる方が大勢を占める昨今、未だにCDウォークマンとヘッドホンのお世話になっているという20世紀の化石Sayoです。
でも、予算と相談しながらAmazonさんでCDブックを探すのは至福のひとときなので、今暫くこの状態が続きそう。

「County - Life, Death, and Politics at Chicago's Public Hospital」(David Ansell)
「Working Stiff - Two Years, 262 bodies, and the Making of a Medical Examiner」(Judy Melinek, MD and T.J. Mitchell」
「The Emperor of All Maladies - A Biography of Cancer」(Siddhartha MukhaerJee)
「Geography of Genius - A Search for the World's Most Creative Places, from Ancient Athens to Silicon Valley」(Eric Weiner)

下の2冊は邦訳が出版されています。
「がん‐4000年の歴史」(シッダールタ・ムカジー/田中文訳)
「世界天才紀行――ソクラテスからスティーブ・ジョブズまで」(エリック・ワイナー/関根光弘訳)

この他に過去に購入したCDブックの再読も含め、昨年は330日程度の「1日30分超ながらリスニング」を達成(ていうか、掃除したり洗濯物を干したり畳んだり、洗い物をしたりし「ながら」聴いているだけなので、あとの35日は何しとってんて話なんですが<そこ、あんまり突っ込まんといて)。

今年は「Geography of Genius」の聴き直しから始めて、「The Wright Brothers」(David McCllough)に進む予定。


音読

和訳者としては、日本語にももう少し気を配りたいということで、昨年から日本語の文章の音読も開始しました。全体音読時間は15~20分と変わっていないので、英文音読量が減少。その代わり、という訳でもないですが、英文は冠詞(の有無)、名詞の単複などに気を配りながら読むよう心掛けています(あくまで「心掛け」なので、しばしば「心ここにあらず」状態になってます)。昨年は320日程度の音読を達成(あとの45日は何しとってんて話なんですが<そこ、あんまり突っ込まんといて)。

「Alpha Docs - The Making of A Cardiologist」(Daniel Munoz, MD and James M. Dale)
「Touch」(David J. Linden)
 邦訳「触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか 」(デイビッド・J・リンデン/岩坂彰訳)
「Immunobiology - The Immune System in Health and Disease」(5th Edition, 2001)
 アメリカから連れ帰って以来、ずっと「読んでくれんのか」という恨めしげな目で見つめられていたのでした。昨年、意を決して挑戦。まだ20頁は残っていて、あと2週間くらいは掛かると思いますが、1年読み続けていたので、気分は晴れ晴れと読了♪ 15年前に出版された書籍ですので、内容的に古い部分があるという問題はあるのですが、免疫の基本は大きく変わっていないはずなので、医療機器翻訳者としては「調べものの基本となる最低限の知識」という意味では十分かなと思っています。
「基礎日本語文法-改訂版-」(益岡隆志、田窪行則)
「文章添削の教科書」(渡辺知明)
「文章の書き方」(辰濃和男)


ということで、現在のラインナップ。

リスニング
「Geography of Genius」

音読
「実戦・日本語の作文技術」(本多勝一)
「潮騒」(三島由紀夫)
「シンプル病理学」(改訂第6版)
「Basic & Clinical Pharmacology」(12th Edition) ・・・いや、ジツはまだ「Immunobiology」なんですが(汗)

 和書の音読は、「文章、文法、語の使い分けに関する書籍」「小説や紀行文」「医療分野の文体(?)で書かれた書籍」の3本立てを基本としていますが、その日の気分と時間によって、1種類だけ読んだり3種類全部読んだりしています。「小説や紀行文」は12月から取り入れたもので、まずは、以前業界の某大先輩が「全文筆写した」とどこかに書かれていた「潮騒」から始めてみることにしました。日本語の音読は始めて1年未満なので、自分の書く日本語の文章に某かの効果をもたらしてくれるのか、そもそも効果があるかどうか未知数ですが、とりあえず、あと最低1年は続けてみたいと思っています。
2017.01.02 14:25 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |
久し振りに読書感想文です。

海堂さんの小説は結構読んでいて、「屋根裏」でも何回か記事にしています。

アリアドネの弾丸
ナニワ・モンスター

海堂尊という名前は、ワタクシの「そこに『医療モノ』の本が」センサを発動させるのよね。

...と思って読み始めたら、何ということでしょう、ソコハカとなくラノベ調味料を振りかけた感のある、青春風味成長小説ではありませんか(というような分かったようで分からない訳文は書くまいと自戒したのはつい一昨日だったような気がしないでもありませんが)。文が走りすぎている感じがしないでもない部分もありましたが、そういうところは楽しんで書かれたのでしょうか。もちろん、成長するための選択はとても厳しいものではあるのですけれど。

主人公は、かつて「ナイチンゲールの沈黙」に登場した小児患者、佐々木アツシ。本作では、アツシの中3から高1までの期間が描かれています(そして、田口先生や如月翔子など当時の面々が、それなりにエラくなってちらりと顔を覗かせてくれるのも嬉しい)。
ジツは、アツシは、医療の進歩を待つための5年間のコールドスリープから覚めたあとであり、現在は「社会に馴染む」ことを学びながら、自分と入れ替わりにコールドスリープに入った元自分の管理人の女性の管理人をしています(このあたりの経緯は前作「モルフェウスの領域」に描かれているようですが、前作は未読)。

さまざまな意味で自分の殻に閉じこもっていたアツシは、最初はこじ開けられる形ではあったものの(少なくともワタクシにはそんな印象があります)、クラスメートらに心を開いていきます。クラスメートや天才ボクサー神倉さんなど、それぞれ個性的な(個性的すぎる)キャラクターも、皆どこか憎めず。でも、そういえば、海堂さんの描かれる大人キャラも殆どがそんな感じだったかも。
「ナイチンゲールの沈黙」は「ジェネラルルージュの凱旋」と同じ時間軸を扱った作品で、ワタクシは初読時、「ジェネラルルージュ」を陽、「ナイチンゲールの沈黙」を陰と捉えたのですが、「アクアマリンの神殿」も、真面目くさった顔で面白いことを書いているのですけど、全体を覆うトーンはその延長上にあるように感じました(ラストはそうでもないですし、あくまで個人的な感想です)。

詳細は割愛しますが、スリーパーの目覚めのときが迫ってきて、アツシは、覚醒後にスリーパーの記憶を消して新しい人格として覚醒させるか、記憶を残したまま覚醒させるかの選択を迫られます。それが、大人になるための「最後の踏み絵」になっているような印象です。
乱暴に書いてしまうと、選択の際に大事なことは、最後は「気持ち」だってことなんですが、そこに至るアツシとサポータのやり取りはワタクシにはとても難しく、何度読み直しても「正しく理解した」という確信が持てません。たぶん、「モルフェウスの領域」を読んでいないから余計だと思うのですが。ひとつ推測できたのは、「モルフェウスの領域」時には、コールドスリープに関する法律や倫理問題がまだ整備されていなかったのではないか、ということ。あくまで推測ですけど。

ジツは今日、再生医療の安全性とリスクに関するシンポジウムを聴講してきたのですが、その中で「新たな技術の臨床応用では、安全性やリスクの評価方法や規制が技術の開発と同時に走っている(本来先に存在すべきものの整備が遅れがち)」というような話も出まして、本当はそこは必死でメモを取っていなければならないところなのですが、ワタクシは何となくこの「アクアマリンの神殿」のことを考えていたのですよね。
なので、他にもいろいろ書きたい記事はあるのですが、「アクアマリン」を先にしてみました。

いろいろ書きましたが、面白かったです。成長物語、好き。
アツシ、スリーパーの日比野涼子、アツシのクラスメイト麻生夏美の登場する後日譚があるのかどうか気になります。

シンポジウムの内容は、また日を(年を?)改めまして。
2016.12.23 21:48 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(6) |
「死すべき定め」(アトゥール・ガワンデ、原井宏明訳、みすず書房)

原書「Being Mortal」を読んだ(聴いた)ときの感想を以前に記事にしています。
原書を読んだとき、「自分がこの本を訳したい」と強く思いましたが、同時に「今の自分の力ではこの本の真価を伝えられない」という恐れも抱きました。

原書はベストセラーになりましたし、ガワンデ医師の著書は過去にも翻訳されていますので、きっと訳書が出るに違いないと、ときどきGoogle検索やAmazon周りチェックで確認していました。そして、出版される暫く前に、同じ著者の「医師は最善を尽くしているか」を翻訳された精神科医、原井宏明氏の翻訳で出版されることを知りました。

原井先生の経歴をネットで確認し、ご自分で何冊も著書を書かれている方であることを知り、ブログで「Being Mortal」について真摯に語っておられる記事も読みました。そして...いてもたってもいられず、「私もその本読みました」的なコメントをしてしまったのでした(ときどきそういう大胆なことをやります)。それがきっかけで、先生とやり取りさせて頂くようになり、前作を翻訳するにあたって、宮脇孝雄さんの著書や他の翻訳指南書で自分なりに勉強されてから翻訳に取り組まれたことを知りました。そのお話をお聞きしたとき、医師であり「翻訳」という作業にもきちんと取り組まれた原井先生の翻訳で本当によかったと思いました。

先生には「読んだら感想文書きます」とお約束していたのですが、ずるずると遅くなってしまいました(いちおー、出版されてすぐに購入したんですけど...)。1つ前の記事の勉強会の前には読了しておきたいと思ったのですが、帰りの新幹線の中でも読み終わらず、月も変わった今となってしまいました。
前置きが長くなりましたが、以下、「死すべき定め」の読書感想文です。

長文です。内容的なこともあり、体調の宜しいときに読まれることをお勧めします。


***


訳文、ということだけを言うなら、もっとこなれた日本語を書かれると思われる翻訳者の方を、たぶん私は何人も知っている。
でも、「死すべき定め」を読んでいると、訳者の翻訳に対する真摯な姿勢が伝わってくる。「翻訳に対する」というと、少し語弊があるかもしれない。訳者は誰でも、常に真摯に翻訳と向かい合っているに違いないのだから。生と死について翻訳することに、居住まいを正して向かい合っている、とでも言えばよいだろうか。少なくとも、さまざまな知識も含めて、今の私が足下に及ばない翻訳をされたことは確かだ。

もちろん、原文の持つ力も大きいと思う。
Amazonの著者紹介には、アトゥール・ガワンデは現役の外科医だが、「ニューヨーカー」誌のライターでもあると書かれている。アメリカ生まれだが、インドにルーツを持ち、両親もともに医者である。

医療の進歩により、寿命は延び治る疾患も増えた。しかし、「人生の最後の日までをどうすれば満ち足りて生きていけるかを全体から見る視点が欠けている」(序x頁)のではないかと、著者は問いかける。
医療を行う側も受ける側も、その方が楽だから、老いや死から目を背けている。そうではなく、きちんと対峙する必要があるのではないか。そのためには何が必要なのかを明らかにしようとする本だ。

原書は何巡したか分からないほど聴いていて、内容は概ねきちんと頭に入っていると思っていたが、母語で「読んで」みると新たに気づくことがたくさんあった。

まず、アトゥール・ガワンデはストーリーテラーだということを改めて実感した。

老化と死についての考察では、インド在住の父方の祖父の最後の日々(多くの家族の世話を受けながら天寿を全う)と、妻の祖母の最後の日々(独居→ナーシングホームという流れで徐々に生きる気力をなくす)が対比される。その間に、これまでの研究で得られた知見や、別の最後の日々の実例(フェリックス・シルバーストーン医師)が挟まれる。
また、いわゆるナーシングホームの成立や、理想的なナーシングホーム、アシステッドリビングなどが生まれた経緯を紹介する間に、ローとシェリー父娘の葛藤が描かれる。
ホスピスと緩和ケアのくだりでは、そのケアの実例の描写と、最後までアグレッシブな治療に望みを繋いだ結果、ICUで最後を迎えることになったサラ・モノポリとその家族の物語が同時進行する。
それぞれが絶妙な間隔で配置され、飽きさせない。逆に、彼(彼女)はこの先どんな運命を辿るのだろうという興味をかき立てる。

終末期ケアでは、治療のみならず話し合いこそが大切なのではないかと、ガワンデ医師は問う。
緩和ケアスペシャリスト、ブロック医師は、そのような患者を相手に話を進める場合のルールとして、「相手の前に座る。時間を作る。治療Xか治療Y、どちらを行うかを決めるのは医療者ではない。今のこの状況の中で、何が相手にとってもっとも大切なのかを学ぼうとする――そうすることで、大切なことを達成できる最善のチャンスを見いだすための情報とアドバイスを提供することができる。このプロセスには話すのと同じくらい聞くことが必要だ。もし医療者が面接時間の半分以上話しているならば、(彼女によれば)これは話しすぎである」(180頁)と語っている。
ブロック医師自身も、父親の手術を前に、現実を直視する「厳しい決断」を迫られた経験がある。
しかし、現実は、「これ以上の治療はよろしくないという時期を決めるための話し合いにはお金が支払われていない」(185頁)。医療は死や病気と闘うために存在するのだから。

「Being Mortal」の感想文の中で、医師の態度には、Father-like figure(家父長的、「こうしなさい」と治療法を指示)、informative(情報提供的、これこれこういう治療の選択肢がありますよと情報を与え、最終決定は患者に委ねる)、interpretive(解釈的、患者の「どうしたいか」を理解し、そのために最善の治療を選択する)の3種類があると語られていることに言及したが、これは、エゼキエル・エマニュエルとリンダ・エマニュエルによる論文から引用された言葉だった。私は、ガワンデ医師は「共同意思決定」とも呼ばれるこの3番目の態度を望ましいとしている、と解釈していたのだが、実際に読んでみると、論文の著者らは、それだけでは足りず、ときには「医師は患者の大きな目標を明確にすることだけにとどまらず、思慮の足りない願望に対しては考え直すように医師の側から指摘する必要がある」(200頁)とも述べている。患者のニーズに適切に応えるためには、時間や知識や患者理解に加え、ときには情に流されない判断も必要ということだ。

これは、患者と家族の間にも当てはまる。
ガワンデ医師は、父親の病に際して、患者家族として「厳しい会話」に臨み「厳しい決断」をくださなければならない。手術をするのかしいないのか、どういう状態なら生きていたいのか、治療を続けるのか緩和ケアに進むのか。決断のときは何度も訪れる。

父親の最後の日々の話と並行して、娘のピアノ教師ペグの最後の日々が描かれる。ペグはホスピスケアを受けながら、最後までピアノ教師として生きた。そういう、何らかの役割を果たすことにも、医療者はもっと目を向ける必要があるのではないかと、ガワンデ医師は考える。「現代のハイテク社会は、社会学者の言う『死にゆく者の役割』が臨終で果たす重要性を忘れている。死にゆく人は記憶の共有と知恵や形見の伝授、関係の堅固化、伝説の創造、神と共にある平安、残される人たちの安全を願う。自分自身のやり方で自分のストーリーの終わりを飾りたい。調査報告によれば、この役割は死にゆく人にとっても残される人にとっても人生を通じてもっとも重要なことである。そして、もし本当にそうならば、私たちの鈍感さや怠慢さゆえに、この役割を否定してしまうことは恥辱を永遠に残すことにもつながる。人の人生の最後の時に底知れない深い傷を残しながら、終われば残した傷について無関心でいることを、私たち医療者は何度も繰り返している」(250頁)。

本の最後で父親にも死が訪れるが、父との間に「厳しい会話」があったからこそ、自分たちは今平穏な気持ちでいられる、とガワンデ医師は結ぶ。

医療者や医療者を志す方たちに是非読んで頂きたい本だと思うが、現実問題、さまざまな制度の縛りがある(らしい)中で、医療者にばかり意識改革を促すのは酷ではないかという気持ちもある。患者とその家族は、自分たちの決断だけを考えればよいが、医療者は数多の患者とその決断を共有しなければならない。常に真摯に対応した場合の疲弊感は並大抵のものではないということは、容易に想像できる。
よりよく生きて死ぬためには、医療を受ける側も、逃げずに現実を直視し、任せておけば医師が何とかしてくれるという他力本願から脱却する必要があると思う。前にも書いたとおり、人生は一度しかないのだから。


最後に。
ガワンデ医師は、最後まで人らしく生きるためには「厳しい会話」が重要で、それを怠らなかったから、父は人間らしく死ぬことができた、と述べている。

確かに、私は、父とも母ともそうした会話をしなかった。ガワンデ医師と状況は違うが、状況が大きく動く前も、3人とも、何となくそういう話題を避けていたと思う。
でも、同時に、老衰で亡くなった父に関して言えば、たとえそうした会話を交わしていたとしても、最後の日々は大きく変わらなかっただろうとも思う。父には延命措置は行わなかった。枯れ木が枯れ落ちるように亡くなった。
それでも、一日の殆どを眠って過ごし、手掴みで食べ物を口に運び、(おそらく)娘を始め周りの誰をも認識できない状態で過ごした日々は、人間らしいと言えるのだろうか。その状態で生きる意味はあったのだろうか。
その問いに対し、かつて私は、自分の気持ちを楽にしたいという思いもあったが、とにかく一つの結論を出している。あれから4年がすぎたが、その気持ちは概ね変わらない。それもまた「死にゆく者の役割」ではないかと思う。
自分も死に際して、そうした「何らかの役割」を果たすことができるだろうか。
2016.11.08 14:03 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(4) |
「復讐法廷」(ヘンリー・デンカー/中野圭二訳、1984年)
(Outrage by Henry Denker, 1982)

昨年2月、田村正和さん主演でドラマ化されるにあたり、本棚の奥から救出したものの、同時救出した「アナスタシア・シンドローム」を先に手にとってしまった結果、再読の機会を逸し、その後1年以上放置した、という不幸度ハンパない可哀想な書籍です。その原因のひとつは文字のポイント数です(キッパリ)。昔の文庫本は老眼には辛いわ~。

ドラマは結局見なかったので、先日あらすじ(ネタバレ含む)を読んできましたが、「基本設定だけ貰いました」的な内容になっていたような気がします。まあ、米国と日本では法体系も違うし、同じように話を進めるわけにはいかなかったと思いますが、逆転無罪の証拠が「そ、それですか」というガッカリ感半端なく、もう少し内容を練って頂きたかったな、というのがストーリーについての正直な感想です。

さて、本書。
帯には「推理作家協会会員アンケートによる84年度ミステリーベスト1」と書かれていますし、確か、旧版の「東西ミステリーベスト100」にも掲載されていたと記憶しています。

とはいえ。
30年以上前に発行された書籍ですから、とうに廃版になっているに違いないと思っていたら、2009年に再版されてるんですね。Amazonさんで新版が入手可能です。

本書は、善良なNY市民であるデニス・リオーダンが州外で拳銃を購入する、という不穏な場面から始まります。リオーダンはその拳銃でクリータス・ジョンソンを射殺し、その足で自首すると、「人を殺したので裁判にかけてくれ」と言い張ります。そのリオーダンの弁護を担当することになるのが、少壮弁護士のベン・ゴードン、本書のもう1人の主人公です。
ジョンソンはリオーダンの娘アグネスを強姦殺人したのですが、法体系の不備が原因で証拠が採用されず、ジョンソンは無罪となり、ショックを受けたリオーダンの妻もほどなく亡くなってしまいます。だから「自分で手を下し、自ら証言台に立って、市民を守ってくれないこんな法律はおかしいと訴えるのだ」というのがリオーダンの言い分で、自分が無罪になるかどうかについては全く関心がありません。証拠はそろい、本人の自白もあります。そんな状況で、ベンは、リオーダンを弁護し、無罪を勝ち取らなくてはなりません。さらに言えば、リオーダンとベンは白人、被害者ジョンソンと検事クルーは黒人ということで、陪審員選びの段階から、人種問題が裁判に色濃く影を落とします。

話は主にベンの視点から語られますが、ときどき、陪審員の視点に移ります。

ベンは、「アグネスを殺害したジョンソンが法手続上の理由で無罪になったために、リオーダンは凶行に及んだ」と主張しようとするのですが、それは裁判所も心の中では「おかしい」と認めている法体系の不備を暴くことにもなるため、なかなか上手くいきません。ついに、ベンは、奥の手として、ある人物を証人として召還します。

くらいで、あらすじは止めておきます。
「不備」の説明が難しいというのもあるのですが、「そ、それですか」ではなく「そ、そうきたか」という判決に至る話は、やはり、自分で読んでカタルシスを味わって頂きたいなと。ベンは、いつも、偉大な先輩でもあった「ハリー叔父さん(故人)」を引合いに出し、「叔父さんならこうする」「叔父さんならどうするか」とやっていたのですが、恋人の言葉をきっかけに、「自分ならどうするか」を考え始めます。その第一歩が「奥の手証人の召喚」です。というわけで、本書は、基本リーガル・サスペンスではありますが、同時に若者の成長物語でもあります。

米国の陪審員制度も垣間見ることができ、陪審員選びや判決に至る協議など、とても興味深く読みました(蛇足ですが、我が国の裁判員制度については、夏樹静子さんが「てのひらのメモ」という秀作を書いておられます<あくまで個人的感想です)。

本文とは関係ありませんが、本書には「褐色砂岩(たぶんblownstoneの訳語)」という言葉が出てきます。私が「褐色砂岩」に始めて遭遇したのは、たぶん、ラドラムの「暗殺者」(ジェイソン・ボーンシリーズの1作目)。今でこそ、Googleで調べれば、それがどんな色調の石なのか、どんな建物に使われているのかといったことがすぐに分かりますが、当時(1980年前後)は、特に米国東部の建物に特有の建材らしい、ということくらいしか分からず、海外への興味を掻き立てられたものです。

海外が身近になった今、読者の翻訳書の受け取り方も昔とは変わってきているはずで、別の方が現代の読者に合わせて翻訳されたら、また少し違ったものができあがるのかもしれません(←このあたりはフと感じたことなので、あまり深く追求しないでやってくださいまし)。でも、私は、何というか、昭和の匂いが漂う中野圭二さん訳、結構好きだったりします。

初版の表紙は、(おそらく)リオーダンの肖像だと思いますが、新版では表紙は槌に変わっています。表紙は新版の方がシンプルで好きですね。ただ、「復讐法廷」という邦題はどうだろう。確かにインパクトはありますが、ちょっと、リオーダンの気持ちをきちんと表していないんじゃないかなあという気もします。

てことで。
気になった方はAmazonさんへ。
2016.10.27 23:01 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(4) |