屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

わたしはこの世に交流のある血縁者はもう誰もいない。
旦那と、旦那の気のいい人たちだがやはり気を使う義父母と病気の義妹は健在だ。
だから、わたしは、最初に旦那を失うことをとても恐れている。常日頃は考えないがいつも心の底にある。
そして、いつか自分を取り巻く事情が変わり、あるいは自分の限界を悟って、翻訳から離れなければならない日が来ることも恐れている。訳文を考える作業がとても好きだから。
(だからEveryday is giftという言葉も常に心のどこかにある)

でも、翻訳を離れ、つらいことが続き、ため息ばかりの毎日になっても、頭がそれなりにしっかりしていて、見たもの、読んだ本、聞いた話、感じたことを文章にすることができるなら、そのあとの人生もそれなりに生きていけそうな気がする。
わたしにとって、パンドラの箱に最後に残った希望は「書くこと」なのかもしれない。たとえ、素人のそれであっても。だから、書くための力はまだまだつけていきたいし、もっとたくさんのものを見、本を読み、考えたいとも思う。この先何か別のものに心惹かれるかもしれないけれど、それもやはりどこかで「書くこと」に関係するものなのではないかと何となく思っている。
何もない何も残らない平凡な人生だけれど、わたしにとっては捨てたものじゃない人生かもしれないとも思うのだ。
2017.01.23 12:34 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(-) |
どの時点に戻りたいか、という話です。

ワタクシは、こちらでもときどき語っているように、現状に不安はあっても大きな不満があるわけではなく、これまで節目の判断はおおむね自分ひとりで下してきたことを思えば、総じて恵まれた人生だったなと思っています。
なので、「戻りたい」は、「そこに戻って人生をやり直したい」ではなく、「別の道を選んでいたら、どんな人生を歩んでいたかな」という純粋な興味という感じ。

ワタクシにとっての「その時点」は、高校1年の3学期の進路提出時点です。

ワタクシの出身校は地元ではそれなりの進学校でしたので、2年生から理系と文系に分かれます。そのための「理系か文系か」申告書類を提出するとき、ということです。
そのとき、ワタクシは、文系を選びました。理由はいくつかあります。

理系科目に苦手意識があった→2年生で選択科目となった物理では赤点も取りましたので、この苦手意識はあながち根拠のないものではなかったのですが、そのワタクシが今、「医療系のための物理」をせっせと勉強しているわけですから、人生ホント分からないものです。さらに言えば、共通一次で一番成績がよかったのは数学でした...

大勢の異性の中で過ごすのが苦手だった→理系は40名近い男子生徒+女子生徒7~8名という構成が普通でした。「そこで2年も過ごすのは、つ、辛すぎる」...と考えていたそのワタクシが、就職先ではお局様となり、若い男性社員をアゴでこき使うようになるわけですから、人生ホント分からないものです。

歴史の勉強がしたかった→中高で出会った先生がたの授業のおかげなのですが、特に世界史に興味がありました。大学は文学部史学地理学科で中世西洋史を専攻しました。そのワタクシが現在医療機器の翻訳をしているわけですから、人生ホント分からないものです。

当時、地方公立大の文学部出身者の就職先(?)は公務員か教師がほとんどで、一般企業の就職先と言えば、その頃からSE候補として女子学生を大量採用し始めた「ナントカ情報システム」系くらいでした。そんなわけで、ワタクシは、友人たちから「そんな会社知らんし。ダイジョブなん?」と心配された、株式・金融情報提供系の中堅企業に就職することになります(蛇足ですが、決してアヤしい会社ではありません<念のため)。

その後の紆余曲折(?)については、以前にも一度記事にしていますので、そちらに譲ります。6年前の記事で、その後、ワタクシ自身もワタクシを取り巻く環境も若干変化しましたが、翻訳をするに至った経緯に変更はないので、お時間のある方は覗いてみてくださいませ。

でも。
そうやって文系を選んだワタクシですが、理系の進学先にも興味がなかった訳ではありません。薬学部に進みたいという気持ちもありました。「面白そうだな」くらいで、特に深い理由はなかったと思うんですけど。ただ、上で書いた3つの大きな理由を乗り越えて理系に進んでもいいかな、という気持ちはあり、申告書を出す前は結構悩んだのを覚えています。

結局、史学科に進み歴史を勉強したわけですが、のめり込むほどではなく、学んだこととは無関係の一般企業に就職。そこでは「女性社員のまとめ役」的に重宝されましたが、先が見えなくて「それなら」と勉強を始めた翻訳を仕事にするようになって今に至ります

でも。
もしもあのとき理系に進み、薬学部に進学していたら? たぶん、ですけど、今翻訳の仕事はしていなかったような気がします(とか言いながら、製薬関連の翻訳に勤しんでいたりして...)

とはいえ、性格は同じわけですから、何らかの決定が必要なときは自分で判断して決めていったに相違なく、今とは全然違う立ち位置にいながらも、「まあ自分で選んで決めてきた人生だから(こんなものかな)」とか言ってそうな気はします。

というわけで、何十年も前のあのとき、確かに枝分かれしたに違いないもう1つの人生も、早送りで見てみたいな~、と思ったりするSayoなのでした。
2017.01.13 18:01 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(3) |
ある日の夜中、特にあてもなくTVリモコンの選局上下ボタンを押していると、「あの日」の光景に出くわした。

撮影者が走っているのだろう、カメラは激しく上下にぶれ、灰らしきものが厚く積もった路面を、窓の割れた車を、建物の壁を、くもった空を映し出す。
撮影者の激しい呼吸と「水はどこだ」という声が聞こえる。

場面が変わる。ひときわ高くそびえ立つビルが炎上している。旅客機が激突したツインタワー。1棟だけだ。南棟が崩落した直後と思われた。

・・・そうか、あれからもう15年経つのか。

何人かが記録した映像を編集したドキュメンタリーらしかった。

場面が変わる。大スクリーンに炎上する北棟が大きく映し出され(CNNのBreaking Newsのようだった) 、人々が見入っている。背広姿の男性たちが「目には目を」「すぐにアルカイダ攻撃を」と、マイクに向かってまくし立てる。女性の多くは泣いている。故意か偶然か、カメラは一瞬中東出身らしい風貌の男性の姿を捉えた。彼もまた大きなショックを受けているようだった。

また、別の場面。消防士たちが装備の点検をしている。撮影者(記者と思われる)の「どんな指示が」との質問には「言えない」と手を横に振った。カメラが、粛々とツインタワー方向に向かう消防士たちの後ろ姿を捉え続ける。その時点ではまだ「消火に当たれ」との指示があったのか。十数分後にはもう1棟のビルも崩落することなど、誰も考えていないに違いない。

10時28分、北棟が崩落する。

わたしは、その日、病院の予約があって朝から外出していたので、旅客機の激突もビルの崩落もリアルタイムでは見ていない。その後、何度もReplay映像を見たけれど、それは、やはり「メディアに切り取られた一部分」の映像だった。
ドキュメンタリーを見ながら、撮影者のカメラを通して、はじめて連続的な時間軸の中の出来事として、ビルの崩落を見たような気がする。思わず「Oh My God」と呟いていた。

撮影者のマイクも、たくさんの「Oh My God」を拾う。日本語では、文脈によってさまざまに訳される言葉だけれど、こういうときの「Oh My God」は、「何、これ」+「信じられない」+「神様(そこにいるなら助けて)」などいくつもの感情が混じったもののように思う。それだけの感情をひと言で表す日本語は、いくら考えても思い浮かばない。番組でも、いくつもの「Oh My God」が「何だ」「ひどいわ」など、さまざまな言葉に訳されていたと記憶している(←日本語訳はうろ覚えです)。

あたりは、枯草色の灰に覆われている。ところどころ色のついたものが散乱しているのは、紙類なのか、それとも、何か別のものなのか。
爆撃を受けたあと、というのはこういう状態なのかもしれない、とぼーっと考えていた。

カメラがパンする。灰の積もった路面から、割れたショーウィンドウへ、建物の壁面へ、空へ。弧を描くように。灰色の世界に少しずつ色が戻ってくる。そして、青空。そうだ、あの日は本当はとてもよい天気だった。カメラは、最後に、哀しくなるほど青い空を映して静止する。

場面が変わる。ハドソン川を渡るフェリーの上だ。乗客の肩越しに、カメラはマンハッタン島を映し出す。まだ、灰で霞んでいる。そこにツインタワーはもうない。クレジットが重なる。


途中からだったので40分ほどでしたが、息を詰めて見てしまいました。
番組は淡々とした作りで、個人的にはかえって好感が持てました(あくまで個人的な感想です)。
あれから今までを思い返してみると、「憎しみは憎しみを生み、終わりはない」ような気がします。理想論かもしれませんが、争いのない世の中がきてほしいと願わずにはおれません。

*ウチは地元のケーブルTVに加入しています。History CHの番組だったと思います。

過去記事を探してみたら、5年前にも記事を書いていました。
あれから10年・上
あれから10年・下

5年前もこのブログやっとったんか・・・

・・・年取ったな<自分
2016.09.09 19:23 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(4) |
ワタクシ、ジツは「海猿」シリーズが結構好きでして。

先週末に地上波で放映された最終作は未見なので視聴したかったのですが、翌日に外出を控え、でも仕事は終わらないといういつものパターンとなり、旦那がTVで観ている音声をかすかに聞きながら、寂しく仕事に勤むというよくある結果となりました(基本的に録画はしない家庭です)。
「くっそー、You Tubeで見たるわい」と思って動画を探していたら、英語字幕付きの「海猿」を発見しました。

ということで、仕事も一段落した今日、一部飛ばしながらですが、PC上で最終作を視聴することができました\(^O^)/
全編、英語字幕付きで、その意味でも興味深かったです。
ワタクシは映像翻訳はやらないので確かなことは言えないのですが、きちんと内容に合わせて訳されているように思えました。

潜水するときの「水面よーし」という台詞が"All clear"と訳されていたり(まあ、その通りかと思いますが・・・)、
「全潜水士に繋げ(台詞、ちょっと違うかも<全員に無線連絡する、という意味です)」が"Patch me in"と訳されていたり(分からなかったので辞書を引いてみました)、
「私...離婚してるの」が"I'm ..."と始まったので、"I've ...(got divorced)"ちゃうんかいとツッコミいれていたら、次の場面で"... a divorcee"と回収されたり。
→ スイマセン、「バツイチなの」だったかと(追記)

どういう経緯で作られたものかが不明なのでリンクは貼りませんが、興味のある方は 副題英語+umizaruで検索なさってみてください。

日本語字幕の映画やドラマは時々視聴しますが、逆パターンは本当に久し振りでしたので、「おお、こうきたか」という部分も含めて、とても新鮮でした(映像翻訳素人の感想です<念のため)。
暫く、息抜きと「こうくるか」の確認に通ってしまいそうです。
2016.08.08 21:24 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |
ワタクシ、どうも「諦め」という言葉が好きらしく(笑)。

決してNegativeな意味ではありません。
本当にほしいものとそうでもないものを取捨選択し、本当にほしいもの大事にして丁寧に生きていきたい、みたいな文脈でよく使っています。

試みに「諦める」で自分のブログを検索してみましたら・・・・・・結構出る。おかしい、ここは基本「読書感想文&翻訳ブログ」のハズやのに。

4年前に書いた「50歳からの人生」と、その1年後に書いた「新聞から-その4」が、今でも自分の基本的な姿勢に近いかな~、と思いましたので、それぞれリンクを貼っておきました。

後者では、その頃、どちらかというと「親送り仲間」としての絆の方が強かったAさんと、コメント欄で「優先順位の高い事項まで諦めざるをえない現実に直面したとき、人間の真価が問われるのかもしれない」というやり取りをしています(ふ、深い話しててんな・・・)。

それから3年。自分の中で変わったことはあったかなー、と思い返してみました。

「本当に失いたくないものにはしがみつくで」「それ以外のものは諦めてもええで」「好きなことができる毎日がGiftやで」な基本姿勢は変わっていないような気がします。
ただ、「自分は本当は弱いな」と思ったことと「こうありたい」と思ったことがひとつずつありました(ひとつずつかよ<自分)。

「自分は本当は弱いな」の方は、ある病気が発見されたときに明らかになりました。ごく早期でしたので全摘で経過観察のみの今日この頃ですが(先日6ヵ月検診をクリアしました)、「早期」と前置きして病名を告げられたとき、恥ずかしながらその場で軽く貧血を起こしてしまったのでした。

というわけで、あれこれエラそーなことを言っても、自分には実際に死と向き合う準備はできていないし、どんなに心準備ができていると思っていても、実際に直面してみないと、自分の心はどう動くか分からないのだと思い知らされたのです。
「そのとき」(そして「優先順位の高い事項まで諦めざるを得ない現実に直面したとき」)始めて、「その先に見える風景をどう見るか」という意味で、私の人間としての真価が問われるのかもしれません。

「こうありたい」の方は、表題にも挙げた「恩送り」です。
「恩送り」という言葉は、今回少し調べものをしていて始めて知りました。
私が思い浮かべていたのは「Pay It Forward」という映画の方でした。この「Pay it forward」という考え方が好きだな-、と思って、この言葉が字幕でどう訳されていたのか確認しようと[(親切を)先送りする、とされているようです]調べる過程で、同様の意味で使われている「恩送り」という言葉を知りました。ナルホド-、「恩返し」じゃなくて「恩送り」なんだ-。
若い頃は、様々なことに対して「誰の助けも借りず、自分の力と努力で掴み取ったぜ」!」的な思い上がりもありましたが、今では、決断こそ自分でしたかもしれないけれど、周りの有形無形の助けや支えがあってここまで来れたのだとしみじみ思うようになりました。そうして支えてくださった方々の多くは、疎遠になったり亡くなられたりしています。なので、感謝の気持ちを何らかの形で先送りできたらいいかなー、と思い始めた今日この頃なのでした。


ワタクシがこういうことを考えるときって、凄く分かりやすくて、だいたい、誰かの訃報に接したときなんですよね。
今日は、実家のお寺のご住職の訃報が届きました(少し前に亡くなっておられたようです)。
こ、こういう場合のお香典はどうしたらええんやろ、と超世俗的に悩んでおります。
2016.07.28 22:54 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |