屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

といっても、自分の人生のことではありません。
思い通りにならないことも、もちろんありましたが、
それでもやっぱり、自分の思う通りの道を思う通りに歩いてきたなあと思います。

というわけで、今日は両親に関する記事です。
この話題について書く時はテンションアップ(?)が難しく、文体も微妙に変わりますので(つまり、ちょっと重いってことさ)、そのような記事は「ちょっと苦手」と思われる方は、(せっかく来ていただいたのに大変申し訳ないのですが)ここで引き返されることをお勧めいたします。

今日は思うままに書こうかなと思いますので、
タイトルにうまく辿りつけるかどうか不安はあるのですが、
多少とも興味を持たれた方は、最後までお付き合いくださいませ。

Sayoの両親は介護が必要な状態で、施設と病院にお世話になっています。
厳密な意味で「認知症」と呼べるのかどうかは多少疑問符のつくところですが(つまり、アルツハイマーとかピックとかレビーとか確定診断されたことはないってことです、CT撮影で脳の委縮は言われましたが)、ともかく、2人とも意思の疎通はほぼ不可能な状態です。父はまだ(介助があれば)自力で食事ができますが、母は胃瘻で、口から食事を摂ることはできません。

親子の立場の逆転(=親は頼るべき存在ではなく、自分が面倒を見るべき存在である)を認識してからかなりの時間が経過し、今では、どうしてよいか分からないほど苦しくなることはなくなりましたが、それでも、2人の姿を見て帰宅すると、いろいろ考えてしまいます。

施設(病院)に入れてよかったのか。
もっと母が穏やかに過ごせる方法があったんじゃないか。
本当に胃瘻にしてよかったのか。
こんな状態で生きていることは、2人にとって幸せなことなんだろうか。
こんな状態で生きていることに、何か意味があるんだろうか。

そうして「自分が楽をしたかったから」「死んでほしくないから」(2人が今の状態で生きることについては)「自分の将来について考える機会を与えてくれた」「他者にやさしくなれた」「他者のやさしさに触れることができた」等々、様々な理由を探し出すのですが、よくよく考えてみれば、それらは、結局すべて「自分のため」の理由であって、子供の立場からみたエゴでしかないのではないかという一点に突き当たってしまうのです。

でもまあ、そのように考えてばかりいても、物事は前に進まないので、
どこかの時点で「でも、これしかやりようがないんだから、仕方ない」
と割り切って(あるいは愚痴愚痴言って旦那にそのように一喝され)、
また日々の雑事に悩殺されてゆく、の繰り返しな毎日です。

このように書くと、「苦悩の毎日」と誤解されてしまいそうですが、
いつもそんなことを考えているわけではなく、
ブログ記事のどこでボケようか、どこで(自分に)つっこもうかと真剣に考えている
立派な関西のおばちゃんであるSayoだって、確かにいるのです。
ただ、↑のような思いは、意識はしなくとも、いつも心のどこかにあるような気はします。

介護ブログや掲示板に足を運ぶようになり、
また、(ごくごく一部の方ですが)
そのような介護の先輩とメールでやり取りをさせて頂くようになり、
改めて分かったことは、多くの方が「後悔のない介護はない」と仰ること。

この頃になって、何だか自分もそう思うようになりました。
違った道を選択しても、たぶん違った後悔があったと思う。

友人や介護の先輩やケアマネさんに話を聞いてもらい
「Sayoさんは自分にできる最善のことを一生懸命やっていると思う」
などと言って頂くと、確かにその時は少し気持ちが楽になるのですが、
(話を聞いて下さる皆さん、いつも本当にありがとうございます)
必ずまたどこかで「これでよかったのか」という負のループに嵌まってしまう。
それはたぶん、自分の心が本当に納得していないからなのでしょう。

これらの後悔、罪悪感、負い目といった気持ちは、
薄れてゆくことはあっても、完全に消えることはないのかなと、
つまり自分が完全に心から「納得」することなどないのかなと思います。
であれば、これからの人生、
そうした気持ちから逃れられない自分という存在を、そのまま受け入れ、
それらの気持ちとうまく付き合って生きていかなければならないのだなあと
思うようになった今日この頃です。
人生ってそういうものなのかもしれない、
というような自分の心境をまとめてみたかったのですが、
結局、やっぱりうまくまとまらなかったのでした。

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.02.27 12:42 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
機械に関する翻訳が主といっても、
回路などが関係してくると、
電気関係の用語で悩まないといけないわけで。

自慢じゃないですが、高校時代、物理は苦手中の苦手でした。
テストでひと桁に近い点数を取ったこともあります。
(一応50点満点のテストでしたが<言い訳)

そのようなわけで、
普段は、電気関係は微妙に巧妙に避けつつ生きているのですが、
打診を頂き「大丈夫そう」とお引き受けしてしまってから
「うっ、ここにも、そこにも電気混じってるし」
と気づくこともあるわけで。
長~いお付き合いのA社さんなんかになると、
(例の「ステッドマン」を送ってくださった翻訳会社さんです)
電気だろうが通信だろうが戸籍謄本だろうが(いやそれは電気じゃないし<自分)、
「大丈夫ですから(きっぱり)」
と根拠のない自信に基づき、問答無用でお仕事を振ってこられるし。
でもって、そういう時は翻訳者がつかまらなくて
本当に困っていらっしゃるというのが分かってしまっているので
つい、「分かりました」とお引き受けしてしまうんですよね。
←頼まれると断りきれない損な性格です。
(もちろん「これは絶対無理」と思う時は鬼のようにお断りしますが)

前置きが長くなりましたが、
そのようなお仕事に引っ掛ってしまった時に、いつも助けて貰っているのが、
タイトルの「絵とき電気電子情報基礎用語事典」(オーム社)です。
「絵とき」というくらいなので、図解説明も多く、ありがたいです。

電気を専門にされている方から見れば、
当然押さえておくべきことばかりが書かれていて、
用語量(見出し3000語)的に物足りない事典かもしれないのですが、
(あと1999年発行と少し古いです<なのでWindows98が載ってたりする)
その当然の基礎さえないSayoには大助かりの一品です。
あとで、Google検索するさいのヒントにもなります。
見出しは50音順ですが、巻末に英語の索引がついています。

ということで。
今回も、この事典にたくさんたくさん助けて貰っているSayoです。

とはいえ。
今さら「パルス」の図解説明に妙に納得しているようでは、
未来は暗いかもしれない。

それでも(締切と競争ではありますが)
調べていくうちに「面白い」と思えてくるのは、
基本自分はマゾってことなんだろうかと、今フと思ってみたりしたのでした。

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.02.25 12:20 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(2) |
たまには、翻訳のことも書かなあかんな~と思ったりしたのでした。

なので、自分のやっている翻訳手順について書いてみます。
たぶん、かなり非効率的な手順を踏んでいると思うんですよね
(改善する気はないんかい<自分)。
なので、こんなやり方をしている翻訳者(の端くれ)もいるという感じで
参考程度に読んでやって頂ければ。

まず、添付ファイルで送られてきた原稿に(画面上で)ざっと目を通します。
基本は「機械」に関係するニッチな翻訳で生きておりますが、
「機械」といっても、大きいものから小さいものまでさまざまだし、
原稿の内容も、仕様書やマニュアル(の部分改訂)だったり、
機械が関係するプレスリリースだったり、展示会資料だったり、
問題発生報告書だったり、果ては社員教育資料だったりと、
たいていの場合、原稿との遭遇は「初めまして」状態から始まります。

なので、まず、ざっと斜め読みし
「何を調べなあかんのか」
を取りあえず理解します
(あるいは理解したつもりになります)
(あるいは理解したと錯覚します)。

それからおもむろにネット調査の迷宮に分け入ります。
「お気に入り」にテキトーな名前のフォルダを作成し、
さまざまなキーワードで片っ端から検索をかけ、
あとでもう一度参照しそうなウエブページをフォルダに放り込みます。
この時、できるだけ翻訳対象言語(和訳なら日本語)の資料を読むように心がけます。
この調査に時間が掛かるか否かは、私の場合
「運」の占める割合がかなり多いような気がします
(Google検索が下手なだけという説もある)。

とりあえず納得できるところまで調べたら、
(原稿の量にもよりますが)プリントアウトして精読します。
(原稿量が少ない場合印刷は割愛)

それから初めて訳出作業に入るわけなんですが、
この時点ですでに納期の4分の1が過ぎているなんてことはザラで、
いつも締切り前にひいひいあえぐことになります。

作業の途中で不明語にぶつかった場合は、
できるだけその場で調べて解決するようにします。
どうしても解決できないと悟った場合は、
マークをして(あるいはその時点で一旦コメントを付して)
とりあえず先に進みます。
(「コメント」とは、チェッカーさんのためのコメントってことですが
どこまでコメント入れれば、あるいは入れたらいいんだろうって、
本筋とは関係のないところで悩んで、そこでまた時間を喰ったりします)

そんな感じで作業を進めていくため、
第1稿が完成した時点で、締切りまで数時間なんてこともよくあります。
(ただし、出来上がりを100とすると、
だいたい85%くらいの完成度にはなっているかなと思います)
それからプリントアウトした原稿と画面上の翻訳原稿を突き合わせて見直し。
ほぼ翻訳原稿のみで、もう一度日本語を見直し。
その後、
「ああ、今回も納期に間に合ったぜ」
と感動しつつ、小さくガッツポーズなどしながら、翻訳会社さんに原稿を送付。

その後、まだ苦悩(?)の記憶が生々しいうちに、私を苦しめた訳語やフレーズを
そのお仕事のキーワード(あとで自分が一括検索しやすい名前)を付して
秀丸エディタに対訳で打ち込んで、とりあえずその案件に関するすべてが一応終了です。
(秀丸打ち込み作業は翻訳作業と並行して行うことも多いです)
(最近忙しくて無精をしているので、かなり溜まっていて、反動が怖いです)

翻訳関係の雑誌などに掲載される先輩翻訳者の方々のやり方を参考に
試行錯誤をした時期もあったのですが、
ここ2~3年は↑のようなやり方に落ち着いています。

今回、この記事を書くにあたって、
「どうしてこのやり方なのかな?」と考えてみました。
そうして思ったことは、このやり方が、自分にとっては一番楽で安心できるやり方だということ。なので、(年も取ってきたことだし)あとどれくらい続けられるか分からない翻訳人生、もう暫く、このストレスの少ない楽な方法でいってみてもいいかな、と改めて思ってみたりしたのでした。

てことなので。
本当に参考程度に。

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2011.02.23 11:48 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
今日も 翻訳と関係のない話題ですいません。

今年も無事提出が終わり、ちょっと気抜け状態のSayoです。
別に悪事を働いているわけじゃないですが、
裁判所の建物に入るのは、やっぱり緊張です。
(報告書は通知される期日までに家庭裁判所に提出します)

例年、ここで安心モードに入ってしまい、
思わず確定申告を忘れそうになってしまうのですが、
今年はちゃんと、ぎりぎりにならないように提出します(のつもり)。

3回目となった今年は、これまでの失敗を踏まえ
報告書作成能力もずい分向上しているはず、なのですが
やっぱり今年も最後まで収支計算が合わなかったのでありました(泣)。
学習能力の低いヤツです。

1年間の報告書に、月毎の出納帳、年単位の収支、1件10000円以上の領収証(昨年まではすべての領収証だったのでかなり楽)のコピー、次年度の収支予測、所持財産の内容を確認できるもの(通帳や固定資産税納入通知書のコピーなど)をつけて提出します。

ウチはたいした財産もないので報告は年1回ですが(2月に審判がおりたので、報告年度は2月~翌年1月です←確定申告の期間とビミョーにずれているのがまた悩ましい)、たいした財産があったり、申立て時に兄弟等の関係者間でもめたりした場合は、もう少しまめに報告しないといけないようです。

申立てから審判が下りるまで4~5か月かかりますし、
集めないといけない資料も膨大ですし、
鑑定料(本当に後見が必要かどうかを医師が鑑定 ← 基本自分で調達)かかりますし、
必要なければ利用しないにこしたことはない制度です。
(ウチはちょっと「どうしても」な事情があったので)
うすうす考えている方がもしおられましたら、
まず法テラスや家庭裁判所の無料相談で相談されることをお勧めします。
それ以前に、そのような機会が訪れないことを祈ります。

面倒くさいです。

よかったことと言えば、銀行で父の口座からちょっと額の大きいお金も
堂々とおろせるようになったことくらい。
(それまで何度も「ご本人様でないと…」障壁の前に玉砕して参りましたので
ちょっと黄門様の印籠気分だったりもするのでした♪)
その他さまざまな手続きに係る時間も低減されました。
ちなみにその銀行口座の口座名義人は
「父の名前 成年後見人 Sayoの本名」です。
その長い口座名を1度も間違わずにカタカナでスペルアウト(?)できたことは、
いまだかつて一度もありません(<だから、それは自慢じゃないし)。

で、何でしたっけ。
そうそう、ここは基本翻訳ブログでしたね。

てことで、辞書で「成年後見制度」を調べてみます。
(何とか無理に関連付けようと必死の努力をしているようです
←お暇な方は、つきあってやってください)

英辞朗と新英和(研究社)で、

Adult guardianship

という語がヒットしました。
なので、この語を手掛かりにGoogleで検索を掛けてみます。
日本独自の制度なので、海外のサイトは出てこんやろとタカを括ってましたら、あっさりヒットいたしました。よくよく考えてみれば(よくよく考えてみるまでもなく)どこの国でも同様のニーズはあるはずなので、当たり前でといえば当たり前でした。

アメリカではAdult guardianとかconservator(州によって呼び方が違う)と呼ばれるようです。

細かい部分が違うのは当然ですが、大筋は日本の制度と同じと理解しました。
もっと高齢化が進んだら、世の中どうなって行くんでしょう、
とちょっと自分の老後に思いなど馳せつつ、とりあえず仕事に戻るSayoなのでした。

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2011.02.21 17:40 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
暫く前、購読新聞にアメリカの大手書店Bordersが米連邦破産法(Chapter 11)を申請するという記事が掲載されましたが、金曜日、再び「申請して破産した」との記事が掲載されました。アメリカでは、Barnes & Nobleと並ぶ2大書店(のはず)でした。
車の運転はいつもほぼ命懸けという超ド下手なドライバーのSayoでしたが(したがって帰国した今は可愛く自転車に乗っています)、その私でも何とか行ける範囲にこの2店の書店があり、時々利用していましたので、この記事には何だか感慨深いものがありました。

といっても、根が貧乏性のSayoですから、何を買うというわけではなく、時々フィギュアスケートの雑誌を買っていたくらいですが(雑誌は店内のカフェで読めるんですが、律義で小心者のSayoは、それでは何だかお店に悪いような気がして、2回に1回は、きちんと、斜め読みしたその雑誌を購入して帰っていました ← この2回に1回というビミョーなせこさが「関西人のおばちゃん」的ではある)。今では、日本でもあまり珍しくなくなった感のあるカフェ併設書店ですが、アメリカではじめてそのスタイルを見た時は、本当にびっくりしたものです。

というわけで、消費者としてはBordersさんにもBarnes & Nobleさんにもほぼ無貢献に近いSayoですが、本の中身チェックでは、本当にお世話になりました。当時、地元の図書館でボランティアをしていたのですが、その図書館では、ボランティアもスタッフも図書館購入価格で書籍を購入できるというシステムがあり(今も続いているかどうかは不明)、これらの書店でタイトル、著者等の情報をメモり、実際の購入は図書館でして、いくばくかのdiscountをゲットしていたのです。

本屋さんとか図書館とかの雰囲気、大好きです。
背表紙を立ち読みしているだけで幸せになれる単純なヤツです。
(で、ほしい本はBook Offの105円均一を待って購入するので、
旦那からは「安上がりな女」と呼ばれています。
でも、辞書・参考書はぱっと買ってしまう危ない癖もある)

なので。
帰国してからもう数年になりますが、Borders破産の記事は、時代の流れでしょうがないのかなとは思いつつ、とても寂しく読んだのでした。
Amazonは便利で自分自身よく利用するのですが、やっぱり、本は(できれば)中身をぱらぱらめくって楽しんだり確かめたりしてから買いたいよな~、と思うSayoです。

そうやって消えていく書店もあれば、新しく開店する書店も。
関西在住の方はすでにご存じだと思いますが、
昨年12月に大阪に日本一の売り場面積を謳う「ジュンク堂梅田店」がオープンしました。

Sayoの生息地は、大阪に出ていくのは一日仕事だよな~な田舎ですんで
年に片手で数えられるくらいしか出て行かないのですが、
1月にちょっと用事があって梅田近辺まで出たので、1時間ほど見学してまいりました。

各階を駆け足で見て回るくらいの時間しかなかったのですが、MARUZEN & ジュンク堂という名が示す通り、洋書の品揃えはやはり目を見張るものがありました。特に、専門書の洋書の充実度にはびっくり(とはいえ、Sayoお気に入りのThe Best American Science Writingがなかったのは、やはり許せなかったのでありました)。あと、私がそのような売り場を探し出せなかっただけかもしれないのですが、CD-ROM辞書が個々の部門の書棚に置かれていたので、「一箇所に固め置きしてほしいな~」と思ってしまいました。
慣れていないせいもあるかと思うのですが、今のところ、個人的には、もちっとコンパクトなジュンク堂大阪本店(堂島)の方が落ち着く感じです。

とはいえ、世の中が電子書籍にシフトしようとしているこのご時勢、梅田の一等地にこれだけの書店を開店するというのは、ジュンク堂さんとはいえ、勇気がいったのではないかと思います。思わず「頑張れよ」とエールを送り(いや、何も買わずに店を出た私にそんなことをいう資格はないんですが ←すでに当日も何冊かタイトルをメモっている)、ジュンク堂を後にしたSayoでした。

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.02.18 23:02 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(2) |