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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

Yahoo! 災害情報

今回の震災に際し、すでに義援金詐欺にあたると思われる行為も行われているとか。
そのニュースを知った旦那がのたまいました。
「ロクな死に方しよらへんで」
ホンマやで。
Sayoさん家で鋭意呪っておきましたです。

万一、切羽詰った事情があってしたのだとしたら
(それでも十分5寸釘ものの行為だと思いますけれど)
3年後でも5年後でも10年後でもいい、
生きてゆく余裕ができた時に、
その全額+利息分+気持ちを寄付してほしい。
被災地はまだまだ復興途上にあるはず。


昨晩、旦那と久し振りの「すぽると!」を見ておりました。
旦那の帰宅が遅い我が家では、
「ZERO」を見ながら食事→「すぽると!」に移行
という流れが定番です。

その中で、サッカーの長友選手の映像が流れました。
CLのバイエルンと長友選手の所属するミラノの一戦です。
後半最後に出場した長友選手のパスが点につながります。
長友クン、嬉しくて、ハグする相手を求めて走る、走る。
(いや、実際はそうじゃなかったかもしれないですが)
・・・でも、そのへんにミラノの選手は誰もいない。
・・・ハグする相手が誰もいない。
それでも、長友クンは走る、走る。
ちょっと恥ずかしそうに、でも、一生懸命。
その一生懸命な姿がとても可愛くいとおしくて、
「誰もおらんし~」
と笑いつつ泣いてしまったSayoなのでした。

そんな風に笑ったのは、震災の一報以来初めてかもしれない。
どんな時にも笑うことは必要なんだなあと
何だかしみじみ思ったりしたのでした。

その日の「すぽると!」では
スポーツ界の選手からのエール、
試合の前に行われる黙とうの様子、
「わたしたちは日本とともにいる」というメッセージなどが
次々と映し出されていて、
被災地の方々が今一番必要としているものは、
生きるための物資だと分かってはいるのですが、
それでも、その方々にこの映像が伝わってほしいと
心から思いました。


少し前「Pay it forward」という映画を観たことがあります。
アメリカで観たので、
内容もしかしたら間違って理解している部分もあるかもしれないのですが、
ひとりの少年が始めた「親切を先送りする」という行為が、
どんどん広がっていくというような話です。
「シックスセンス」に出ていた少年が、中学生くらいに成長して主演していてびっくり。
「受けた親切のお礼はいらないから、誰かにその分親切にしてあげてね。
そして、その人にも、誰かに親切を分けてあげるように頼んでね」
ということなのですが。
何だか妙にこの映画のことが思い出され、
残り少なくなったこの人生(人生折り返し点はとうに過ぎましたからね)
そんな風に生きたいと、真面目に考えてみたりしたのでした。

月曜日に雀の涙募金もさせて頂きました。
自分の稼ぎだけでは本当に雀の涙になってしまうので、
旦那の稼ぎもきっちりむしっておきました。

そうしてSayoは、淡々と仕事を(仕事以外のことも)こなす日々です。
こんなおばさんでも、
いつ何でどんな風に必要とされることがあるかもしれない。
ので。
自分の仕事はこなしつつ、きちんと頭のまわる健康な状態でいたいです。
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2011.03.17 15:51 | 震災 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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何だかね。
今春、卒業したての出身校の子たちが街頭募金したらしいです。
その前日に別の高校の子たちが別の場所で募金活動をして、
誘われて参加した卒業生が「私たちも」と呼びかけたら
瞬く間に賛同者が集まったらしい。

電車の中で化粧したりお弁当を食べたり、
騒音レベルの大声で会話しあったり、
狭い道一杯に広がって歩いて避ける気配もなかったり、
ぶつかられたのに睨まれたり、

そんな若い人たちを
「イマドキの若者は」
と一括りにしたこともありました。
(年取った証拠ですね)

でも。
↑のような話を聞いたり、
TV報道でお年寄りを労わる若い人たちの姿を見たりすると、

日本は大丈夫、と思います。
時間はかかっても立ち直るよねと。


でもね。
今は、皆、悲惨な光景を目の当たりにして
「自分も何かしたい」「何かしなければ」という、
ちょっと熱に浮かされた状態になってしまっているような気もします。
私自身も、ちょっとそのような状態であることを白状致します。

その気持ちが間違っているということではありません。
誤解なさらないでくださいね。

ただ、そういう気持ちをずっと持ち続けることが大事だと思うのです。
すぐに息切れしてしまわないように。
思いやりの気持ちが、一過性の、今だけのもので終わらないように。
それから。
「被災された方々は、今、何を一番必要としているだろう」
「被災地にいない自分は、どんな形でその必要を満たす貢献ができるだろう」
と考えてみることも。考え続けることも。


また震災についてアレコレ思うところを書き綴るかもしれませんが、
「屋根裏」は徐々に通常営業に戻って行こうと思います。


最後に。
恐らく不眠不休で働いておられるに違いない、
警察・消防・自衛隊・医療従事者・原発の職員の方々、
(原発はまだ予断を許さない状況で、
近くの住民の皆さんの心痛はいかばかりかと思いますが、
その状況を少しでも良い方向に持っていこうと、
必死で働いておられる方がいることに変わりはありません)
そして、その他の場所で、
私たちに普通の生活を提供すべく頑張って下さっている
たくさんの方々に感謝致します。

少しでも多くの方々が、their loved onesと再会できますように。
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2011.03.15 12:20 | 震災 | トラックバック(-) | コメント(0) |
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地震の被害の全容が明らかになるにつれ
・・・言葉がありません。

TVの中の悲惨な状況が、
同じ日本国内で起こっていることとは信じられない
平和な光景が目の前にあります。

金曜日の地震発生後、最近よく一緒にお仕事をさせて頂いている
東京の翻訳会B社さんにメールをしました。
「多少の被害はありましたが大丈夫です」
との返信を頂き、ホッと致しましたが、
恐らく、皆さん帰宅に難儀されたことと思います。

そのB社さんからの月曜朝納品のお仕事がありましたので、
とりあえず、仕事に戻りましたが、
やはり気になって時々TVを見てしまいますし、
そうやって仕事ができることの有難さとか、
さまざまなことを考えてしまって、
なかなか集中できません。

専門技能を持たない自分のような人間が、
今現地に行っても何もできないことはよく分かっているのですが
被災した方々を直接助けるすべのない、自分の無力さを感じます。
何かしたいのに、何もできない自分がもどかしい。

B社さんのお仕事は暫く続きます。
とりあえず自分にできることは、
きっちり仕事をし、きちんと生活していくことかなと
自らに言い聞かせつつ仕事に励んでいます。

明日は、郵便局で少しばかりの募金をするつもりです。
自己満足、かもしれませんが。
被災者の方々が切に必要とされている支援が行き渡りますように。

結局、月並みな言葉ですが、
「祈る」という言葉しか浮かんできません。
さまざまなことを祈ることしかできません。
一人でもたくさんの方々の救助を、一日も早い復興を。


今回の地震ではツイッターがずい分威力を発揮したとか。
けれど、世の中には携帯さえ使えない高齢者の方も、
まだまだたくさんおられるはずです
(実家の両親がそうでしたし、義父もそうです)。
もし今後同じような場に遭遇することがありましたなら、
そして、もしも少しの余裕がありましたなら、
そうして、その情報が
「安全を左右する正しい情報」であると確信できましたなら、
あなたの周りの、不安でいるに違いない高齢者の方を、
どうぞ少しだけ助けてあげてください。
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2011.03.13 19:14 | 震災 | トラックバック(-) | コメント(0) |
こちら関西でも、今日(もう昨日ですが)の地震を感じました。
ちょうど郵便局で用足し中だったのですが、
最初はめまいかと思いましたが、
吊看板が揺れているのを見て地震と知りました。
阪神淡路の時のような長い揺れで怖かったです。
報道に心が痛みます。
とりあえずは祈ることしかできないSayoですが、
皆様のご無事をお祈りいたします。
被災された方々が一日も早く元の生活に戻れるよう祈っております。

12日 追記

先ほどまで個別の災害ダイヤルを掲載しておりましたが、
Yahooに、同ダイヤルを含む各種情報をまとめた画面がありましたので、
そちらへのリンクに変えておきます。
すでにご存じかと思いますが、参考まで。

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2011.03.11 19:08 | 震災 | トラックバック(-) | コメント(0) |
というわけで、前回の続き(勢いさ)で
母に関する記事なのでした。

あまり楽しい記事ではないので、折畳み記事にしようと頑張ったんですが、
このテンプレートでは折り畳みができないような感じです。
なので、本文との間にちょっとスペースをとりました。
(あまりというか殆ど意味ないけど)
ご自身の判断でスクロールしてください。
「医療保護入院」についてもう少しお知りになりたい方は、
頑張って先にお進みください。
ただし、体験談です。

それから、次はフツーの翻訳だの英語だの本だの、の記事に戻ります。
(私もいささか疲れましたしね)
(ので、皆様、またいらしてやってくださいね)
(「骨移植」のその後はあと1回くらい書くと思いますけど)

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。


















何度か書いてきた通り、Sayoは、母に対する愛情とか「好き」という感情が薄かったと思うのです。
でも、理性のダムの堰がぶっ飛んでしまった母の脈絡のない話を聞いて分かったのですが、母の方も、それなりに勉強ができて翻訳などというハイソ(←と実情を知らない母は誤解していた)な仕事をしている娘を自慢に思いつつ、たいして可愛いとも思っていなかったようなのでした。
ほんま、親子やで。
母にもSayoにも、どちらにも問題はあると思うのですが、それは今日の記事の趣旨ではないですし、親子関係について、あまり個人的なことを書くのもどうかなあと思うので、これ以上はご勘弁をお願い致します。

そんなわけで。
少し距離を置いてつき合った方が上手くやっていくことのできる2人だったと思うのですが、
父の入院をきっかけに、濃密な時間を過ごすことを余儀なくされ。
2人にとって、それは悪い方向に向かってしまったのでした。
それについては、認知症の症状の出始めていた
(たとえば妄想とか、辻褄合わせとか、記憶飛びとか)
母にうまく対処することのできなかったSayoの方に非があります。

「一緒にいるのが嫌だ」という私の気持ちが伝わったのでしょう、
孤独だった母は(それなりに広い一軒家で本当に孤独であったろうと想像できます
ご近所の方ともうわべのお付き合い以上のものはなかったようでした)
様々な方法で私を引き留めようとしました。
たとえば日に何十回も電話を掛けてきたり。
たとえばその電話で「死んでやる」と脅したり。
「嫌だ」といっても、心配でないわけではありません。
そこが(母もそうだったのかと思うのですが)親子のmixed-feelingの難しいところです。
なので、旦那に頼んで、車を飛ばしてもらった夜もありました。
そうして、母は、気に入らないとものを投げることが、頻繁になりました。
とはいえ、最初はティッシュの箱とかまくらとかみかんの皮とか、
こちらが傷つかないカワイイものを選んで投げてくれていましたが。

その頃には、私は怖くて母のもとへは通えなくなっていて。
旦那が代わりに電話したり様子を見に行ったりしてくれていました。

そんなある日。
家の中で尻餅をついた母は、脊椎を圧迫骨折し(←あとで判明)、
立つ座るの動作にひどい痛みを感じるようになってしまいました。

旦那は何とか母を説得して病院に連れて行こうとしてくれたのですが、
母は「行かない」と断固拒否。
食事を持って様子を見に行ってくれた旦那が
「母ちゃん、懐中電灯とか電気ポットとか投げよるで。危ないで」
と言うのを聞いた時、「母を医療保護入院させよう」と思いました。

通常は、本人の意志がなければ入院はできません。
(もちろん急を要する怪我や病気の場合は別ですが)
本人の意志に反して入院させることができるのは、
精神科への医療保護入院や措置入院だけです。

医療保護入院を決断することができたのは、
精神科に信頼できる先生がおられたからでした。
保健所の無料医療相談で相談にのって頂いた先生で、
その後も、ご自分の勤める病院で「家族受診」という形で、
どうすれば母と医療をつなげることができるかを一緒に考えてくださいました。
医療保護入院という選択肢を示してくださったのも、この先生です。
この先生の方針は、
「最初から薬に頼ることはしたくない」
というものでした。
だから「この先生にお任せしよう」と決断することができたと思います。

ちょうど次の日が受診日でしたので、
状況を話し、医療保護入院させたい意向を伝えました。
先生が病棟とやり取りしてくださった結果、
翌日入院できることになりました。

母は、家の中を基本這って移動している状態でしたから、
救急車を呼んで入院させることになりました。
私ひとりではどうにもならないので、
旦那に急きょ休みを取って貰いました。

救急車を呼ぶにあたって、先生に言われたことは
「○○病院の精神科の○○医師に話が通っていてベッドを用意して待っている」
ということ(受入れ先の当てがあること)を必ず伝えるようにということ。
また、たとえば本人が暴れたりした場合、
救急隊員は力でこれを抑えることが禁止されているため、
警察を呼ぶことになるかもしれないということも言われました。

当日は、旦那だけが様子を見に先に家に入り、
私は旦那からの「電話せい」連絡を受けて、救急車を呼びました。
119への電話を終えた時には、膝が震えてしまっていて
「膝が笑うってこういう状態なんやなあ」と妙におかしくなりました。

結局、母は訳が分からないまま、大人しく救急車に乗り、
警察が呼ばれることはありませんでした。

我が家はこうして救急車で医療保護入院となりましたが、
やり方はさまざまで、たとえば自分の車で連れて行って、
そっと家族がfade outするのも医療保護入院です。

で、母のその後ですが。
時々ヒステリーを起こしつつも、
特に家に帰りたがることも私を恋しがることもありませんでした。
母は母なりに他人の保護を受けて安心したのかもしれない。

その後また少し色々ありまして、
胃瘻を余儀なくされるまでに、そして意思の疎通が叶わぬほどに、
QOLが落ちてしまったのですが、
それは、決して、いわゆる「薬漬け」にされたからではありません。
また、介護者の方のブログや掲示板の記事などを拝見すると、
医療保護入院なさった方が、お薬の調整がうまく行き、
穏やかな状態で自宅に戻られたり、施設に移られたりされた例は、
かなりの数見受けられました。参考まで。

それから、我が家では父が(書類上)母の扶養者であったため、
本当は、「保護者」として母を入院させることができるのは
父だけだったようです。
なので。
当初、母は、市長様の保護の下に入院するという形を取り(!)、
後日、「父は被成年後見者なので保護者になれない」という証拠
(=成年後見登記謄本←法務局で取ります)を提示して、
私が保護者となりました。
(てことで、手続きちょっと面倒)

最後に実家に戻ってとりあえずの後始末をし、
少し事情をお伝えしてあって、
何くれとなく母をフォローしてくださった
(そしてご迷惑もご心配もお掛けした)
ご近所の方々に事情を説明し、
これまでのことを詫び感謝の気持ちを伝えて回り
長い一日が終わりました。


「医療保護入院」の検索でこちらに来てくださった方へ

私には、それが、よいこととも悪いこととも判断できません。
ひとりひとり家の事情も親子関係も違うと思うからです。
自分のしたことが、よいことなのか悪いことなのかすらもよく分かりません。
私のことを「ひどいヤツだ」と不快に思われる方もおられるかもしれませんし、
逆に、「よく頑張ったね」と言ってくださる方もおられるかもしれません。
色んな考えの方がおられて当然だと思う。
非難の言葉は真摯に心して受け止めなければならないと思っています。
それが、自分の責任なのかなと。辛いですけど。
(で、小心者なので、実際は
ちょっとそんな雰囲気を嗅ぎ取っただけでオロオロしてしまいますけれど)
あなたの決断が(どのような決断かは分かりませんが)、
最善の道へ導いてくれるものであるよう祈ります。
どうぞご自身のお身体も大切になさってくださいね。


ここまで辿り着かれた皆さん、
最後まで読んで下さってありがとうございました。
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2011.03.09 13:27 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |