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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

改めて訳すまでもないかと思いましたが、
「製品安全データシート」の略ですね、念のため。

翻訳会社A社さんからは、たま~にこのMSDSの英訳のお仕事を頂きます。
年に1~2回という、記憶の片隅には
「前にやったことあるよな~」という記憶だけが残る、微妙な頻度です。

その名の通り、化学物質(またはその化学物質を含む原材料や製品)に関する情報(健康や環境に対する有害性や、接触時の応急措置、火災/漏えい時の措置、廃棄方法など)を記した、それらの化学物質/原材料/製品に添付される文書です。

専門外といえば専門外のお仕事なのですが(一応、機械電気のニッチ小物翻訳が専門なもので)、その専門分野と医薬翻訳の分野の中間点のような、このMSDSの翻訳、嫌いではありません。

Sayoの場合、エンドクライアントさんはほぼ例外なく製造業者さんですので、そうそうむつかしい内容のMSDSが来るわけではありませんが、それでも、ごくごくたまに、「有害性情報」の項目で、「動物実験の結果がこうこうこうだし、ヒトでもこういう報告の上がっている化学物質だから、GHS (The Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals)の区分はコレコレね」と、何行にも渡る記述が続くこともあり、そんな時は、思わず「よっしゃー」とガッツポーズ(←ができるかどうかは、納期如何によりますが)をしたりなんかしてしまいます。

自社用のMSDSのひな型を持っておられるエンドクライアントさんも多く、「必要箇所上書き」作業で翻訳が進められる点、Google検索で英借文候補が多数見つかる点も助かります。

MSDS英訳の際、よく参考にするウエブサイトは以下の通りです。ご参考まで。
MSDSのsampleサイトは、多数ヒットするので省きました。

安全衛生情報センター 有害性・GHS関係用語解説
http://www.jaish.gr.jp/user/anzen/kag/kag_yogo.html

University of Missouriの”Understanding the Material Safety Data Sheet”
英語ですが、MSDS各項目の説明がコンパクトにまとめられています。
http://extension.missouri.edu/publications/DisplayPub.aspx?P=G1913

GHSの有害性区分のsummary
http://www.unece.org/trans/danger/publi/ghs/ghs_rev03/
English/06e_annex2.pdf
(入力の際は続けて入力してください)
主に、有害性情報の記述の英訳の際、自分の解釈が間違っていないかどうか確認するために使用しています。

Alttox (non-animal methods for toxicity testing)の
Toxicity Testing Resource Center
http://alttox.org/ttrc/
Skin irritation/corrosionの項を斜め読みしただけですが、各種テストの説明が英訳の際に活用できそうな感じだったので、とりあえずお気に入り登録しました。自分の勉強用です。


というわけで、ようやくちょっと落ち着いて仕事ができるようになった今日この頃。
でも、四十九日までは、まだ暫くばたばたしそうです。

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.04.17 15:50 | お世話になった(なっている)ウエブサイト | トラックバック(-) | コメント(2) |
成年後見VS相続

葬儀を終え、市役所での手続きが完了すると(年金事務所への届け出には、戸籍等必要書類があり、郵送請求しているので、も少し時間が掛かります)、次はいよいよ(?)相続の手続きです。

手続きを行うのは、3年半ほど前、未婚の伯母(父の姉)が亡くなった時に続いて2度目(その頃にはもう、書類上伯母の扶養者であり唯一の相続人であった父は、葬儀を仕切ったり相続の手続きを行ったりするのは無理な状態になっていました)なので、何となくではありますが、「こう進める」ということが分かっているつもりでした(と誤解していた)。

3年前は「3親等の壁」に阻まれ、さんざん苦労させられ(預貯金額の多寡に係らず、被相続人の姪にあたる私には、手続きを代行する権限はありません)、結果、父の成年後見申請をする羽目になってしまったのですが(相続税の絡む額ではなかったので、叔母名義のまま放置するという手もありましたが、律義な性格がそれを許さず、また、金の亡者のSayoとしては、たとえ蚤の涙であっても、介護費用の足しにしたかったというのが本音であります)、今回は、私自身も相続人。相続手続きを進めるについて、誰にも文句は言わせへんでと思っていたのですが。

今回は「成年後見人兼相続人の壁」が、私の行く手に立ちはだかったのでありました。

父の財産に少なからぬ増減がある場合は、必ず家庭裁判所に(増減が発生する前に)お伺いを立てなければならないのですが(緊急の場合は事後報告も可能)、今回、裁判所に法定相続の手続きを開始したい旨を連絡したところ、その前に「特別代理人選任申立」を行わなければならないことが分かりました。今回の相続においては、父の利益を守るべき成年後見人が、その同じ利益を侵害し得る可能性のある相続人でもあるからです(侵害なんかしませんがな)。すべては、その申立に許可の審判が下りてからということになります。

ということで、これから、旦那を特別代理人とする選任申立を行います。旦那とSayoは相続財産について利害が一致するので「それアリかい(楽なんで嬉しいけど)?」と思いましたが、「父の取り分が法定の2分の1以上になる」ような財産分割を行えば、父の権利が侵害されないということで、旦那が代理人に立ってもよいみたいです。「そんなに面倒臭いんなら、全部お父ちゃんにあげるやん」とも考えたのですが(今回も蟻さんの涙くらいですからね)、その場合でも申立を行わなければならないようですので、私も有事に備えて多少は貰っておこうと思い直しました。
審判が下りるまで1カ月弱かかるようです。何か落ち着かんので、はよしてや。
ということで、現在、遺産分割協議書案を鋭意作成中です。


胃瘻を振り返る

母は昨年1月に入院したのですが、その時点では、つかまり立ちや一部介助による車椅子への移乗ができていました。また、自分で食事を摂ることもできました。普通に意思の疎通も可能でした(まあ自分の言いたいことは言い、こちらの言うことは聞かないという感じでしたが)。

けれど、すぐに食事の時に暴れたり、(食事以外の時にも)大声で叫んだりするようになり、結果、すでにかなりすり減っていたらしい母の顎関節は、少し大きく口を開いただけで容易に外れるようになってしまったのでした。
そうなると満足に食事を摂ることができませんから、栄養摂取を点滴のみに頼るようになり、日に日に弱っていきました(点滴だけでは食事と同等の栄養を確保することはできません)。ちょうど同じ時期にノロウイルスに感染したことが、母の衰弱に拍車を掛けました。
そのようなわけで、母は、ひと月半ほどの間に、本当に「坂道を転げ落ちる」ように状態が悪化してしまったのです。意識レベルは、いつもうとうとしている、という感じでした。

主治医から胃瘻について打診されたのは(昨年)4月の半ば過ぎでした。
当時、私は、介護の先輩方のブログや相談掲示板などで、胃瘻が考慮対象となる本人状態、手術の内容(30分程度の簡単なものです)、胃瘻増設後の栄養摂取(同時に経口栄養摂取も可能です)などについてある程度の知識を得ていましたので、「母は胃瘻が必要な状態である」ということは、すんなり認めることができました。

けれど、「食べる」ということは「生きる楽しみのひとつ」です(少なくとも私はそう思っています)。入れても入れても顎関節の外れてしまう母は、恐らく、もう一度「食べる楽しみ」を味わうことはないでしょう。そのような状態で生き続けることは、母にとって望ましいことなんだろうか?
父も母も、元気な頃は「延命措置はしないでほしい」と言っていましたが、2人の言う「延命措置」には、たぶん胃瘻は含まれていなかったと思います。

とはいえ、その1週間ほど後に決断を迫られた時には、殆ど躊躇はありませんでした。「胃瘻をしない」ということは、緩やかな衰弱死を容認するということです。まだ意識があるようなないような状態の母に、その宣告をする心の準備はできていませんでした。その責任を負うのが怖かったのです。主治医から「迷うならやった方がいい」と言われたとか、万一にも状態が改善する可能性もあるからとか、様々に言い訳を並べることもできますが、この「生死に関わる重い決断は先延ばしにしたい」というのが、たぶん一番大きな理由だったと思います。

そして、5月の連休明けに胃瘻造設手術を行いました。
その後、それまでまるで生ける骸骨のようだった母は、多少ふっくらし、顔の色艶もよくなりました(旦那はそれを「普通の病人っぽくなった」と表現していました)。けれど、顎関節は、整形外科の先生のご判断で常時外した状態となり(それが本人にとって一番痛みが少ない状態だそうです)、多少意識がはっきりしている時もあったようですが、だいたいにおいて意識レベルに変化はない状態で、母は1年を過ごしました。

その1年が母にとって苦しいだけの1年だったのではないかという思いが消えることは、一生ないと思います。

この1年母のアレコレを見てきた今となってみれば、私は「胃瘻はすべきではなかった」と思っています。けれど、1年前と同じ状態に立たされれば(つまりその後の1年を見通すことができない状態では)、必ず胃瘻を選択するでしょう。

胃瘻の選択は、本当に難しい。
諸先輩方のブログを読んでいても、「胃瘻も選択肢のひとつに」と最初の打診があってから、「胃瘻どうしますか? するならすぐにでも」と決断を迫られるまでの時間は、そう長くありません(1週間弱の期間を長いと取るか短いと取るか、にもよりますが)。そういう切羽詰った状態になっているという現状もあるのでしょうが、家族としては、できればもう少し早い時期から、将来の一選択肢として示して頂けたらと思うものです。

以上、胃瘻造設振り返りでした。

来週から、またいつもの記事に戻ります(とりあえず音読ですかね)。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.04.14 22:34 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
「介護度通知が届きました(母)」&「ソーシャルワーカーさんと面談」の記事でも書きましたとおり、「特養(特別養護老人ホーム)入ってもいけそうよ」(「行けそうよ」というのは、精神科病棟を出ての施設での生活も問題なかろうと思われる、の意です)という主治医先生からのお話がありましたので、年度末期限の仕事が落ち着いた先月末から、特養探しに本腰を入れたのでした。

といっても、相談員さんが作って下さった「胃瘻患者受入れ可能施設一覧」の施設に電話し、こちらの事情(胃瘻)を話し、アポを取って施設を見学し、その後入所申込書を送付する、という一連の手順を踏むだけですが。ご存知の方も多いと思いますが、申込みをしても、何百人待ちの状態です。

母は、痰が絡んだ等何かの理由で誰かの注意を引きたい時は、ひたすら叫び声を上げますので(もう発語は無理な状態です)、個室しか無理かなと思っていたのですが、ある施設を案内して頂いている時、ちょうど母と同じように叫んでいる方がおられたので、「これくらいの声です」とお伝えしたら、案内して下さっていた施設相談員の方が「これくらいなら相部屋行けるかな~。独りは寂しいものね」と仰ってくださったので、ちょっと安心したり嬉しかったりしたのでした。

そのようにして3施設ほど申込みをし、週明けに4件目の施設を見学しようと計画を立てていた先週末、その週初から軽い誤嚥性肺炎を患っていた母は、痰が咽喉に絡んで窒息し(たぶん)、呼吸停止の状態で発見され、蘇生措置の甲斐なく、4月8日夕刻永眠致しました。享年82歳でした。

連絡を受けて急いで駆け付けましたが、結果「蘇生措置を止めて頂いて結構です」と宣言(?)するために到着するような形になってしまいました。やはり、夜中に爪を切るものではありません。

両親の死はいつも覚悟していること、(とはいえ)あまりに急でまだ実感が湧かないこと、すぐに喪主として怒涛の2日間が続いたこと、その後も手続きや書類集めに奔走していること、もともと互いに愛情薄かったことなどが混然一体となり(という表現でいいのか?)、今のところ、あまり悲しいという気持ちはありません。火葬場でまるで母を送ってくれるかのような見事な桜吹雪を見た時は、さすがに泣けましたが。少し落ち着いたら、じわじわと来るのかもしれません。

お仕事の方は、ちょうど8日朝納品で仕上げたばかり。次のお仕事は、少し納期に余裕のあるものでしたので、翻訳会社さんに連絡し、さらに納期延長 or 別の翻訳者さんへの振替えの二者択一をお願いしたのですが、ありがたいことに納期延長で対応して頂けました。明日から少しずつ翻訳作業に掛かるつもりです。手続き以外にも「しないといけない」ことがあるのはありがたいですね。

一緒に母のこと心配してくださった皆さん、どうもありがとうございました。


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2011.04.12 22:29 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(0) |
もうひと月以上前のことになりますが、「歯性上顎洞炎 しつこくその後」で、骨移植の実況(?)をさせて頂きました。その実況は、十字頭帯を頭に巻き痛み止めを飲んで、仕事に励む(あがくとも言う)ところで終わっていたかと思います。
その後も、こうしてせっせとブログ記事を書いておりますので、骨移植後の経過も順調とご理解頂いているかと存じますが(まあ、実際そうなのですが)、骨移植を控えて不安を抱えている方がおられるといけないので(いるのか?)、術後の経過を下記致します。
お暇な方は読んでね。

2月16日(水)朝~
抗菌剤(クラビット100mg)+腫止め(薬剤名分からず)を毎食後服用

2月17日(木)AM
骨移植手術 + 抗菌剤注射
クラビットと腫止めは継続
また必要に応じて痛み止め(ケンタン60mg)を服用するよう指示あり。

2月18日(金)
術創消毒&チェック + 抗菌剤注射
本来であれば、19日(土)も抗菌剤注射に通うべきところだが、
先生が学会出席で19日は臨時休診のため、18日夜から、
毎食後クラビット100 mgを2錠服用するよう指示あり。
腫止めは当初処方の3日分がなくなったところで終了。

2月21日(月)
術創消毒&チェック + 抗菌剤注射

2月22日(火)
術創消毒&チェック + 抗菌剤注射

2月23 日(水)
術創消毒&チェック + 抗菌剤注射(注射はこの日で終了)

2月25日(金)
チェック
週明け頃から胃部不快感が続いていると訴えると、
「クラビットの副作用」と胃腸薬(ガスター20 mg)を処方される。
以後、胃部不快感は軽快。

3月1日(月)
チェック
術後経過よいとのことで、この日より、弱い抗菌剤(ファロム 200 mg)に変更。
3日分処方。その後、薬の処方はなし。

その後3月一杯は、毎週1回チェックに通いました。
4月からはチェックの頻度が隔週になり、ちょっと楽になりました。

普段痛み止めはあまり飲まない方ですが(抜歯、インプラント土台植込み手術時は、1~2回服用します)、今回は、かなり長い間痛みが続き、1週間近く1日2回痛み止めを飲みました(ただし、後になって分かったんですが、先生は、チェックの度に術創をちょっと開いてチェックをなさっていたということで、そりゃ、いつまでも痛いはずだわ~)。
腫れのピークは19日(土)。でも、外出時は必ずアヤしいマスク姿でしたから、まったく恥ずかしい感はありませんでした(それ以前に、そういう年代は通り過ぎたのかもしれない)。
クラビットはこれまでにも何回か服用していますが、副作用らしき症状が出たのは今回が初めてです。まあ、これだけの量(600 mg/日)をこれだけ長い期間服用したのは初めてですが。

口の中が落ち着いてきたかな~と感じられるようになったのは、術後3週間目頃からです。それまでは、ちょっと歯ブラシやお箸の先が当たっただけで、術創から出血してしまい(すぐ止まりましたけど)、怖くて触ることもできませんでした(<案外怖がり)。その後、出血量/頻度は徐々に減り、今では出血することもありませんが、まだ何となく怖くて、その部分だけやわらかい歯ブラシで軽くゴシゴシしています。そこに歯がおらんのが気持ち悪いです(仕方ないですが)。

最初の1週間、ほぼ毎日通うのが一番大変でした
(ちょうど仕事も修羅場っていた時だったので)。

インプラントの土台を埋め込むことができるようになるまでには、
もう少し時間が掛かりそうです。
ということなので、皆さん、本「歯の治療」カテゴリ記事につきましては、
また「歯性上顎洞炎 しつこくその後・インプラント編」でお会い致しましょう。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.04.08 00:14 | 歯の治療 | トラックバック(-) | コメント(0) |
Lucky Man by Michal J Fox

マイケル・J・フォックスと言えば、少しお年を召した方は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズをパッと思い浮かべられるかも。Sayoも、この俳優さんの作品と言えばこのシリーズと、「ティーンウルフ」「摩天楼はバラ色に」「アメリカン・プレジデント(脇役です)」くらいしか見ておらず、それらの作品のイメージで、何となく「軽いヤツ」という印象を抱いておりまして。なので、トレイシー・ポランと結婚したと知った時は、ポラン嬢が結構地味な方だったので、ちょっと意外に思ったのを覚えています。

で、この「Lucky Man」ですが。
パーキンソン病の闘病を含む、2000年頃までの人生を描いた彼の自伝です。Audio Bookは、フォックス自身が朗読しています。4カセットのセットなのですが、3番目のテープが不良品で聞くことができず(帰国時にBargain Booksというディスカウント本屋さんでまとめ買いしたものの一つだったので、対処のしようがなかったのでした)、若年性パーキンソン病(30才の時に診断)にどのように直面しどのように受け入れていったのかという、肝心なところが殆ど抜け落ちてしまっているのですが、それでも、彼に対する勝手な印象を改めるには十分な内容でした。
(もっとも、「ファミリータイズ」で人気に火が付き、「バック・トゥ・・・」でスターダムにのし上がった直後は、それも無理ないとはいえ、パーティ三昧の日々を送っていた時期もあったようです ← 本当に「嫌なヤツ」にならずにすんだのは、トレイシーのおかげと、本人は言っています。パーキンソン病との闘いも、彼女なくしては、違った結果になっていたのではないかと思います。)

パーキンソン病を公表した後はじめての「スピンシティ」の公開録画で、観客が自分をどのように受け入れてくれるだろうか、自分の演技に(いつものように)笑ってくれるだろうかと心配する場面ではこちらもドキドキしたり、若年性パーキンソン病者のサイトで自分のcoming outが好意的に語られるのをこっそりウォッチする場面では、一緒にホッとしたり。
もちろん、自伝に描かれなかった非綺麗事もたくさんあったとは思うのですが(あるいは3番目のテープに多くの部分が収められていたかもしれないのですけれど)、それでも、彼の真面目な部分、きちんと病気と向かい合おうとする姿勢が伝わってきて、とても好ましく思えたものです。

俳優活動引退(2000年)後の人生を描いた「Always Looking Up」も出版されましたが、こちらは未読。どちらも翻訳版が出版されているようです。朗読された英語は、(意味を取るのが)そんなに難しいものではなかったと記憶しておりますので、興味のある方は原書で是非。

今回、この記事を書くにあたり、現在はどうしているのだろうと、Googleをチェックに行ったのですが、最近(昨年)のインタビューやTV出演時の様子が納められた動画がいくつもあり、それなりに元気にされているのだなあと、ほぼ同年代のSayoは、とても嬉しかったのでした。その際、写真(画像)も何枚も見ましたが、スターとしての最盛期の頃より、ずい分いい顔になっていると思いました。


From a Buick 8 by Stephen King

実は、私、「キャリー」や「スタンドバイミー」(リバー・フェニックス、大好きだったのに)や「ショーシャンクの空に」を映画として観たことはあるものの、スティーブン・キングの作品を読んだ(正確には聴いた)のはこれが初めてであることを、まず告白させて頂きます。

自分の中では、何度も繰り返して聴く間に、じわじわと「ええやん」感が出てきたなあという感じのストーリーでした。
殉職した警察官の息子が、父の所属していた分署で学費稼ぎのアルバイトをする間に、古いビュイックを見つけ、父の親友である分署長にそのようなものがそこにある理由を問うたのをきっかけに、分署長や父の同僚の、そのビュイックにまつわる昔語りが始まるのですが、少年の父を虜にしたそのビュイックは実はこの世のもの(?)ではなく・・・というお話で、分署長や同僚たちの1人称や3人称で物語が進行します。ラストにはちょっと「?」が残った感もあるのですが、ホラーのようなヒューマンストーリーのような、不思議な物語でした(って、キングさんはそうでしたっけ? でも、映画の「キャリー」は、もろホラーじゃなかったでしたっけ? ← 年のせいで記憶曖昧)。

だがしかし。
今回、記事を書くにあたって、「回想のビュイック8」(という邦題で新潮文庫から刊行されているようです)に関するブログ記事などを斜め読み致しましたら、実は評価はあまり高くない。正確には、「キングの新作なので大変期待して読んだ。悪くはなかったが帯の釣り文句ほどでは」という評価が多かったような。ちなみに、帯には「少年の純真、大人の叡智」とあったそうですが、原書を聴いただけのSayoも、まあ、さすがにそこまでは・・・という気は致します。

感想の中に、「後半は一気に読んだが、前半はちょっと退屈した」というような内容がありまして、思い返してみれば、確かに、ビュイックが登場し同僚の一人が失踪する場面では、「この先どうなるの?」とドキドキしましたけれど、その後の展開はちょっと緩やかだったかなあと。ただ、聴いている時は、全体が面白いので、少しでも多くの単語/フレーズ/文意を理解しようと集中していることが多かったためか、特に退屈には感じませんでした。
あと、Audio版では、4人の俳優さんが、その倍くらいの登場人物の声を演じ分けているので、ラジオドラマを聴いているような面白さもあったかもしれません。
やっぱり、読むのと聴くのは違うのね~と、しみじみ思ってみたりしたのでした。


Ladder of Years by Anne Tyler

この作者の作品が好きな方には大変申し訳ないのですが、正直に言いますと、個人的には主人公に殆ど感情移入できず、結末にも「え? そこで終わり?」と思ってしまったのでした(家出に至る心情など、共感/理解できる部分はありましたけれど)。
早く(高校卒業と同時)に結婚し、夫からも子供たちからもきちんと相手にされなくなった40歳の主婦が、成行きから家出し、落ち着き先の小さな町で自活を始める(その地での生活は1年半の長きに及びます)が、結局最後は、娘の結婚式への出席を機に元の生活に戻って行く、というお話です。たいした事件が起こるわけでもなく、淡々と物語が進行します。
およそ、自分では選ばないような本ではあるのですが(出張時に旦那がふと目についたとかで買ってきてくれた<お好きな方がおられましたら申し訳ありません、好きなジャンルが違うということでお許しください)、その割にはしつこく何巡もしています。

というのは。
主人公を始めとする登場人物たちの会話やその中の言葉遣いが、とても参考になる気がするので。「特に大きな事件の起こらない普通の生活の会話は、こんな風に進んでいくんだなあ」と思いながら聴いていました。
息子(6→7th grade)のイマドキの言葉遣いを直してばかりいる、言葉にとてもうるさい校長先生(だったと思うんですが)が登場するので、余計にそう思うのかも。「Cutlery」にキョトンとする息子を前に絶句する校長先生に、主人公が「Cutleryは死語じゃない」ことを証明する会話があったり。そのような小さなユーモアが散りばめられた作品です。


と、3作品ばかり挙げさせて頂きましたが、他に、歴史上の「もしあの時」を綴った「What if … 」やシリアルキラーのドクターに関するノンフイクション「Blind eyes」も面白かったです。


ちなみに、昨年末旦那同僚が一時帰国された際には、
前回ご紹介したMichael Palmerさんの3作品入りCollectionの他に、
The Classic Clark Collection (Mary Higgins Clark)
The Confession (John Grisham)
Lost Symbol (Dan Brown)
Panic in Level 4 (Richard Preston)
The House of Maple Street (Stephen King)
を買ってきて頂きました。
大事に聴いて3年はもたせる予定。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.04.05 12:22 | 英語 | トラックバック(-) | コメント(0) |