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2011. 06. 14  
それは日々の「翻訳量」のことではありません。
勘違いされた方、すいません。

英文を多読することとかひたすら調べることとか。
そっちの方の「量」です。
自分の場合は、これらをやってきて「今」があるのかなと思います。

それは、自ら「必要」と判断してやったことではなく、
多読は授業で、調査は通信講座を通じて、
その当時は「強制的に」やらされたことなんですけど。


何度か書いてきた通り、旦那の海外転勤に伴い、
一時仕事を中断していた期間があるのですが、
転勤が決まった時は、「中断は嫌じゃ」と泣きました。

在宅で翻訳の仕事を開始して1年半。
取引させて頂いていたのは、派遣元でもあった翻訳会社さん1社だけでしたが、
小さな案件ばかりとはいえ、殆ど切れ目なくお仕事を頂いていました。
(ほぼ)家内制翻訳会社とはいえ、社長も社業拡大に燃えておられた頃ですし
(その後大病もされ、今は気持ち多少「隠居余生」気味)、
もしかしたら業界自体も拡大途上であったのかもしれません。

ま、そんなわけで。
今から思えば、実は仕事内容も自覚もまだまだだったのですが
(・・・今でもあまり成長していないかも・・・)
「このまま仕事を続ければ、稼げる翻訳者になれる(かも)」
という誇大妄想的大いなる誤解と
「ここで仕事を中断したら、2度と今の状態に戻れない」
というこれまた根拠のない恐れが、自分の中にあったのでした。

予定では、駐在は5年くらいということでした。
35~40歳までの5年間という、マコトに微妙な時期です。
何だかすごく取り返しのつかない5年のような気がするわけです。
50も近くなった今では「ふふん」と鼻で笑い飛ばしますけど。


でも、振り返ってみれば、その空白の5年(結果6年半ですけど)が、
自分に自信をつけてくれたような気がするのです。

オンサイト翻訳からトライアルもなく在宅に横滑りしたということで
切れ目なくお仕事を頂いていても、
自分の中に、「本当に翻訳者を名乗れるだけの実力があるんだろうか」
という不安が、後ろめたさとともに常にありました。
(「不安」の方は今でも皆無ではないですが・・・)

アメリカで英語を読み書きまくった日々は、そんな自分に
「あれだけ勉強したのだから(それなりに書けるはず、英語の解釈もできるはず)」
というソコハカとない自信を与えてくれたのでした。
いや、実はそれも過信かもしれませんけど。

翻訳作業そのものは精読だと思うのですが、
作業を進めるにあたっては、
原稿を一読して取りあえずの意味が理解できる必要がありますし、
調査の段階で、英文サイトもチェックしなければなりません。
そうした作業を、今あまり苦に思わずできるのは、
多読に慣れたせいもあろうかと思うのです。
英訳に関して言えば、「この表現昔出会った」ということも、ままありますし。


通信講座の「ひたすら調査」の方は、
私の医薬基礎体力のなさが元凶ではあるのですが、
ひたすら調べてからでなくては、課題の翻訳に進めなかったので、
これも必然的にそのような体質(?)になってしまったのでした。
講師先生の解説も「ここまで調べるか??」という内容でした。
こんなエラい先生でもここまでされるのかと思ったものですが、
そんなエラい先生だからこそ、そこまでされるのですね。
というか、そこまでされたからそんな優秀な翻訳者になられたというか。
先生の愛のムチ(=講評)は、言葉/言い回しこそ柔らかいものでしたが、
内容的には非常に厳しいものでしたから
(いや、それだけのものしか出せなかったってことなんですが)
「次回こそ」とリベンジに燃え、ひたすら調べまくったものです。
ま、結局、最後までリベンジできなかったんですけど。
(「よく頑張りましたね」とは言って頂けました<じ~ん)

でも調べて分かった時の嬉しさは、
何物にも代えがたいものがあります。
(「これでよかったんかい~」ということもありますが
<まあ、それもしっかり裏が取れたということで)

とはいえ。
これらの「量をこなす」。
最初にも書きましたが、必要に迫られ、かつ「やらされた」こと。

十数年前の私が、独学でそれをやれと言われたら、
たぶんできなかったと思います。
(始めてはみたが、途中で止めていたかと)
「何だか必要らしい」ということは頭で分かっていても、
「この先自分に必ず必要」ということが実感できていなかったから。
今の自分しか見ていなかったんですね。

そういう意味では、
その時期に中断を余儀なくされ、同時に渡米できたこと、
そのような講師先生の通信講座を受講することができたこと、
幸運であったかなあと思います。


「今を大事にする」ということを
ひしひしと感じる年齢になりつつある今日この頃ですが、
こと翻訳に関して言えば、たとえば3年とか5年とか少し長い目で眺めた時、
(さすがに、この年で10年先は見えん~)
今何をしなくちゃいけないのか、を時々考えるようにしています。
でないと、日々どうしてもラクな方に流れがちなもんで。

てことで、今は医薬英語の表現と各種文書の型を学びつつ、
統計と格闘する日々であります。
(格闘と呼ぶには一方的な負けいくさですが)


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
関連記事
2011. 06. 11  
ありましたっけ。3回ほど。
本当は、あってはならないことなんですけど。
皆様のご参考までに、その時の状況を下記致します。
ありがたいことに、それらの翻訳会社さんとは、
今もお取引させて頂いております。


経験1
お盆を挟んだ仕上がり40枚ほどの案件

数種類のパンフレットの和訳で、
したがってファイルもいくつかに分かれていました。
決して無理な量ではありません。
担当コーディネータさんから、「お盆を挟みますので、念のため」と
その方個人のケータイの電話番号を教えて頂きました。
そんなことは初めてだったんですけど、
きっと虫が知らせたんでしょうねえ(遠い目)。
・・・
お盆に突入した土曜日、急性腎盂炎でダウン致しました(きゃ~)。
高熱と腰の痛みで、PCの前に座るどころではありません。
(病院で点滴打って貰ったんですけど)
その時点で、「この仕事無理」と思いました。
翌日でしたか、担当さんのケータイを鳴らし、事情を伝え
「○個のファイルはほぼ完成しているので、
これは責任をもって最後までやりますが、
残り○個のファイルは他の方にお願いできないでしょうか」
とお願いしました。
ラッキーだったのは、その翻訳会社さんは、
お盆休みは個々人でとる体制になっていて、
会社自体は翌月曜日(つまり世間がお盆のさなか)も営業されていたこと。
何とかピンチヒッターさんの都合をつけて頂くことができました。
ファイルは、ピンチヒッターさんの参考にして頂けるよう、
訳出作業途中のものも含めて、すべてをお送りしました。
結局まる2日完全ダウンし、3日目の夕方くらいから、
ぼおっとした頭で仕事を再開することができたのでした。
旦那実家への帰省もぶっちぎり。


経験2
納期3週間ほどの少し大型の案件

お引受して数日後に旦那の入院手術が決まりました(きゃ~)
(単なる「ぢ」の悪化なんですけど)
でも、納期が3週間でしたのでね。
この時は、「お返しする」という選択肢は考えませんでした。
何とかなるだろうと。
でも、いざ旦那が入院手術すると、
これが思ったより手がかかる。
(我がまま言いまくりでございます)
胃腸専門病院で、自宅からちょっと遠かったし。
最後は、自分が体調を崩しました。
はい、計算甘かったです。
それでも、最終日徹夜でいけるかなと思ったのですが、
偏頭痛が胃にきて、これまた、まともにPCの前に座っていられない。
確か、昼過ぎ納品だったと思うのですが、
朝イチで担当者の方に連絡して納期延長をお願いし、
その日の夕方まで伸ばして頂くことができて、
何とか納品することができました。
この時は、本当に冷や汗ものでした。


経験3 
もともと比較的納期緩やかな中型案件

余裕で納品できるはずだったのですが
・・・母が急逝いたしました。
今年の4月のことで、記事にもしたので、
読んでくださった方もいらっしゃると思います。
そこでも書きましたとおり、翻訳会社に連絡し、
「他の方にお願い頂くか、納期を延長して頂くか」
の二者択一をお願いし(作業にはまだ殆ど手を付けていない状態)、
納期を延ばして頂いて、無事納品することができました。

それ以外にも、「ひやひや事件」なら
数知れずありますけど。

もちろん、締切りを守ることが大前提ではありますが、
諸事情により、どうしてもそれが叶わなくなった場合は、
早目に状況判断をして、担当コーディネータの方に事情をお伝えし、
その判断を仰ぐことも大切ではないかと思ったりするのでした。

質とスピードの両方が要求されるこの仕事において、
翻訳会社さん&その先にいるエンドクライアントさんに迷惑をかけないこと、
そのためには自分はどうするのが一番よいのかを
判断が必要な状況で、適切に判断できるようでありたいです。


そーんな記事を書いていて、
ふと思い出した新聞記事があるのでした。
「締切」という(恐ろしい)言葉が、
そのエピソードを記憶の底から引っ張り上げたんじゃないかと。

それは、多田かおるという漫画家さんの訃報の関連記事。
「いたずらなKISS」という人気連載の最中に
自宅での不慮の事故で亡くなられました(10年以上前ですが)。
お元気でおられたら、私よりちょい上くらいの年齢の方です。
多田かおるさんの初期の作品はよく読んでいたので、
訃報を知った時はとてもショックでした。
で。
その関連記事の中で、編集担当者さんが語っておられたのですが、
ご両親ともに病気がちだった多田かおるさんは、
連載の締切りに間に合わせるべく、真夜中、
お父様だったかお母様だったかが入院されていた病院の廊下で
ナースステーションの灯りをたよりに原稿を描いていらしたのだとか。

もちろん、替えのきかない人気漫画家VS
代替えの存在する一介の実務翻訳者という違いはありますから
(できれば、そうそう替えのきかない存在にはなりたいですが<夢のまた夢)
同じように仕事をすることが
自分の立場にとって最善なのかどうかということはありますけど、
そこに、何というか「プロ魂」を見たような気がしたのでした。


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関連記事
2011. 06. 11  
今日で3ヵ月。

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
まだ見つからない方が早く見つかりますように。
さまざまに不安な方々のために、少しでも安心材料が増えますように。
さまざまに作業に携わっておられる方々にエールを。

関連記事
2011. 06. 07  
という理由は、人によりさまざまでしょうが、私の場合は、こんな↓感じです。

はじめに‐自分のこと」でさらっと触れたとおり、文学部を卒業後、一般企業に就職しました。世の中にまだ雇用機会均等法などなかった、「短大卒ならねえ(=4大卒女子はいらない)」という、今とはまた違う理不尽な断り文句が大手を振ってまかり通っていた時代、一般にはname valueこそなかったものの、男女の別なく仕事をさせてくれるというその中小企業に就職できただけでも御の字だったのですが、当時の私は、「5~6年しっかり仕事をして、30までには寿退社♪」くらいの軽い気持ちでの就職でした(上司先輩人事担当の皆さん、すいません)。

といっても、一生懸命働きましたけど(性格なんで)。
当時、ちょうど社業が猛烈に忙しくなり始めた時期で、覚えることが山ほどあり、「男女の別なく」というより「新卒女子社員でも何でもいないよりは」という感じで出張にも出させて頂いたので、すべてが新鮮で面白かったです。

が。
仕事にも慣れ、年次が上がると、「このままでいいんだろうか」と思い始めるように。仕事はそれなりに面白い。そこそこ達成感もある。人間関係も悪くなく居心地もいい。だけど、このまま5年、10年続けた先、いったい自分に何が残るんだろう? 比較的若い会社で、その会社で働く30代後半の自分の立ち位置がイメージしにくいというのもありました。女子社員の甘えと言われてしまえばそれまでなんですけどね。

そんな時、某翻訳学校の「無料翻訳診断を受けてみませんか?」という新聞広告が目にとまり(というだけで、分かる方は分かりますね)、「面白そうやん」ということで何となく応募してみたところ、これがそう悪くない成績で(まあ、そのようにして生徒を獲得するのが一番の狙いでしょうから)、ついつい、そのまま、その翻訳学校の「ノンフィクション」の通信講座を受けることになってしまったのでした。優秀な成績で講座を終了したら、すぐにも仕事が貰えます的な宣伝文句もありましたしね(これもまたよくある話)。この翻訳学校には通信→大阪校通学で、合計2年ほどお世話になりました。
(誤解なきよう申し上げておきますが、私は、決してこの翻訳学校に悪感情を持っているわけではありません。その2年は本当に必要だったのかと問われれば「ビミョー」ですけど、通学でお世話になった講師先生からは、とことん調べることとか、ひとつの単語もいい加減に扱わないといった、翻訳をする上での基本を学ばせて頂きました。今、どうしておられるのかな~)
結局、「お仕事を貰えるほど優秀な成績で修了する」ことはかないませんでしたけど。

大学時代(英文科ではありません)、英語論文に触れる機会はありましたが、すべて「読んで要旨をとる」程度でしたし、会社でも特に英語を使う機会はありません(そういう部署もあることはありましたけど)。時々、簡単なペーパーバックを読んだりもしていましたけど、それは「原書が読めたら格好いいな」くらいの気持ちで、特にそれまで「翻訳」という仕事に興味があったわけではありません。

でも、思い返してみれば、高校時代から「勝手に翻訳まがい」のことはやっていたのかも。
当時、英語の授業は、Reader、Grammar、Compositionの3つに分かれていて(今もそうなのかな?)、あとの2つは特に好きでも嫌いでもなかったのですが、Readerだけは大好きで、「訳してくること」の宿題も、今日はフツー、今日は会話関西弁、今日は森鴎外口調(ちょうど現国で「舞姫」をやったところだったので)、今日は地の文は(当時の)イマドキ女子高生のひとり語り、みたいな感じで、楽しんでやっていたのでした。

なので、「1つの言語の意味するところをもう1つの言語に(同じことが意味されるように)置換する」という作業は、その頃から好きだったのかなあと思います。


で、話は戻りますが。
そんな風に講座を受ける間に、「自分で翻訳書が出せたらいいな」とか大それたことを考え始めるわけです。ええ、根が単純ですから。ついては、勉強に専念するべく会社を辞めよう。ええ、もう単純ですから。自宅通勤でしたので当面生活に困るわけではありません。とはいえ、両親とも高齢でしたから、居候としてそうそう迷惑をかけるわけにはまいりません。というわけで、当面2年分の居候費を確保するのに、ちょっと時間を喰ってしまったのでした。

プーになってからは、当面、その某翻訳学校の主催するトライアル(現在のアメリアの定例トライアルのようなもので、そこで優秀な成績を収めると仕事に結びつくというような内容だったと記憶しています)を受けつつ、自分で原書を訳してみるなどして勉強を続けていくつもりだったのですが、退職してから2ヵ月も経たないうちに、自宅からそう遠くないメーカー工場での「翻訳者募集」の新聞広告を見つけ、これまた「面白そうやん」と応募して採用され(「和訳がラクか英訳がラクか」)、オンサイト翻訳者として、実務翻訳の道を歩むことになったのでした。

その時点で「実務翻訳をやろう」と決めていたわけではないのですが、「このまま出版翻訳の勉強を続けモノにならない場合でも、とりあえず『翻訳』の仕事はできる」という気持ちはありました。最初は帰宅してから原書に取り組んだりしていたのですが、残業が多かったこともあり、出版翻訳の勉強はそのうちだんだんしなくなりました。
そんな感じで始めたオンサイト翻訳だったのですが、しばらく続けるうちに、実務翻訳の仕事も意外に面白いということを発見。高校時代から「理数系は苦手で嫌い」と何となく(成績で)決めつけて敬遠していたのですが、実際に機械に触れ「こうだからこうなる」という仕組みを教えて頂き、動作の原理が理解できると、「理系でしょ」的な内容の技術文書を訳すのも楽しくなり、文句ひとつ言わず淡々と働く、その無骨な(?)機械が可愛くけなげにさえ思えてくるのです。
このまま続けて行ってもいいかもと思い始めた頃、結婚が決まり、退職とともに在宅翻訳に転換することができ、その後中断等ありましたが、今に至っております。


上記の内容をまとめてみると、キッカケは「何となく勉強を始めてみたら好きだと思えた(or 昔から結構好きだったことに気づいた) for 翻訳一般」「深い考えもなく始めてみたら結構面白かった for 実務翻訳」ということになるかと思うのですが、「なぜ翻訳を仕事にしたのか」と問われれば、「異なる言語に置き換える作業が好き」という部分が、一番大きな部分を占めているかなと思うのです。
たった1行の和訳のためにアレコレと悩み、やっとのことでしっくりする言葉を探し当てた瞬間、あるいは、「何となく意味は取れるんだけど、どこか変」な英訳文(←自分のdraft)を「これがあるべき英文(たぶん)」に修正することができた瞬間、至福の時であります(でも、やっぱり一番の至福の時間は、訳文が完成して、「よっしゃー、これからメール送るで~」の時、かも)。


今でも、「翻訳書に『訳者』として自分の名前が掲載されたらカッコいいだろうなあ」と思うことはありますが、今の仕事に満足しています。
私が通信講座を始めた頃(約20年前)は、翻訳イコール出版翻訳という感じで、「実務(産業)翻訳」という言葉はそう一般的ではなかったと思います(実際、不勉強な私は、そのような分野が存在することすら知らなかったのでした)。
もしも、さまざまな情報が容易に入手できるこの時代に、翻訳の勉強を始めたとしたら、「ノンフィクション」という選択肢ははなから考慮せず、実務翻訳の勉強から始めたかもしれないし、もしかしたら、いきなり「医薬」から入ったかもしれない。
それでは、実際に「実務」を始めるまでの3年弱の時間は無駄だったのかというと、決してそうではなかったです。そこで翻訳に対する姿勢のようなものを教えて頂きましたし、その時間があったからこそ、そう迷うことなく「実務の方が面白いし向いているかも」と思うこともできたと思うのです。

でも。
同時に。
「あれもやりたい(遊び)これもやりたい(遊び2)」と思っていたあの頃に戻れたら、「コレと思ったらもっと死に物狂いでやらんかい(怒)」と、当時の私を張り倒してやりたくなることもある今日この頃なのでありました。


いや、今日は長かったですね。
でもって、ぜんぜん参考にならんかったですね。
ここまで辿り着いてくださった皆さん、本当にありがとうございました。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011. 06. 04  
・・・を受けたのでした。

2004年の夏から、旦那と2人、毎年受けています。

私は基本の半日ドックなのですが、旦那には、肺機能検査とか頸動脈エコーとか腫瘍マーカー検査とか、とにかくオプションをつけまくってやりますので、2人分だと、リッチに国内旅行ができてしまうくらいのお値段になって、ちょっと悲しいです(今のところ、旦那の会社の健保組合からいくばくかの補助が出て助かってます)。

Sayoさん家は、2004年春に本帰国したのですが、その2年くらい前から、人減らしの影響もあって、旦那はとにかく異常に忙しくなり、私は、「ゼッタイどこか悪くなっているに違いないから、帰国したらドックに放り込んで頭の天辺から爪先まで調べまくってやる」と決心していたのでした。

というわけで、放り込んで調べたのですがね。
旦那は、そんな風に馬車馬のように働かされていたにもかかわらず、いたって健康体だったのでした(当時)。ヘビースモーカーでメタボなので、確かに肺は汚かったし肝臓はフォアグラ化していましたが、血圧は正常だし血糖値もまあまあだし血液検査の結果もほぼ許容範囲内だし、脳動脈にも頸動脈にも詰まりらしきものは見つからない。
安心するより「ホンマかい??」て感じでした。
その不摂生な生活の結果が、この健全な数値かい。

その代わり(?)というか何というか、おまけで受けた私の方に、橋本病が見つかりました。といっても、中年以降の女性の3割程度は、甲状腺機能低下症だという話も聞きますけど。「そういえば疲れやすかったよね」という「あとから思えば症状」以外に、特にコレといった自覚症状はなかったのですが、血液検査(TSH高値)で引っ掛り、再検査、精密検査を経て確定診断されました。といっても、おくすり(甲状腺ホルモン)を飲み続けている以外は、ごくごくフツーに生活しております。

で、今年のドックです。

今年初めて、胃カメラが経鼻か経口か選択できるようになりまして。
どちらも同じ内視鏡を使うということなので(=径が同じ)、経鼻カメラを選択してみました。
最初、鼻の奥から咽喉へ抜ける時、ちょっと「痛っ」と思いましたが、その後はお馴染みの異物感はあるものの、これまでよりずいぶん楽に検査を受けることができました。
昨年まで口から胃カメラを飲み続けて思ったことは、「胃カメラを飲む時の辛さは検査者の技量に大きく左右される」ということ。今年も経口を選択した旦那の感想は「めちゃめちゃしんどくて泣いた」ということでしたので、同じ先生に検査頂いた経鼻カメラが楽だったということは、やっぱり、「飲みやすさ」という点では経鼻カメラの方に軍配があがりそうです。
ただ、前投薬の咽頭麻酔が鼻から注入されますので、これがかなり気持ち悪かったです。あと、検査終了後「暫く強く鼻をかまないように」と注意されたにもかかわらず、普通に鼻をかんで、鼻血を出してしまいました(すぐ止まりましたけど)。鼻腔内に炎症があると経鼻カメラができない場合もあるようですので、花粉症やアレルギーのひどい方はご注意ください。

で、結果ですが。

まだ詳しい結果の出ていないものもあるのですが、私の方はおおむね異常なし。

旦那の方は、医師問診時に「最近2回ほど、不快に感じるほどの動悸と不整脈があった」と自己申告したため、検査時心電図には異常はなかったのですが、念のため再検査ということで、6月中旬にもう一度、同じ病院の循環器内科を受診することになりました。
本人はopen reservation(受診日時は後日TELで予約)にしたがりましたけど(現在、自覚症状はありません)、そんなことをしていては、いつまでもずるずると検査を受けないに決まってますので、「小遣い前借り停止」と脅して、予約を入れさせました。喫煙やらメタボやら仕事のストレスやらで、心臓には負担が掛かっているに違いありませんから、ここらで一度きちんと診てもらいたいです。

あとは例年どおり、メタボと脂肪肝を注意されまして、食生活の改善に取り組んでいます(まだ1週間経ってないけど)。これまでは、「好きな甘いものが食べれん(旦那)」「ストレスフルな生活をしているのに、好きなものが食べれんのも可哀そう(Sayo)」という感じで、改善運動も早々に挫折してきたのですが、本人が膝に影響が出始めたと申しますので、今年はもちっと真面目に取り組む積もりです。

「年をとっても元気でいるために」という言葉が身に染みる年になりまして、それはそれでちょっと哀しかったり。精神的には、30ちょい過ぎくらいのつもりなんですけど、如何せん、身体は正直でございます。

肺活量その他の肺機能検査結果から自動的に計算される、旦那の「正直な肺年齢」、今年は71歳でした。昨年は84歳と診断されて、「肺活量検査、失敗してん」と強がっていた旦那は鬼の首でも取ったみたいに喜んでましたが、その「71」という数字がそもそも問題やろ(怒)。
・・・しかしながら、そんなストレスフルな毎日を送る旦那から、食べる楽しみも喫煙の楽しみも同時に奪うのはあまりにも不憫ということで、看護師さんと相談して、禁煙は「可能であれば」ということで、当面見送ることにしたのでした。

そんな感じで、今年の人間ドックは終わりました。


さて、気分転換に楽しんでいる英会話のレッスンですが、毎回「最近どう?」とか「週末何してた?」などという会話から始まります(よくあるパターンですね)。いつも「特に」では先生に申し訳ないと、先日は「人間ドック受けたよ」という話を致しました。
人間ドックの英訳は、英辞朗君からcomprehensive medical check-upという言葉をお借りしました。で、「半日かけて、こんなあんなそんな検査をして、健康状態をチェックするんだよ。おっきい病院はたいていやってるよ。保険効かないから高いよ」と説明すると、「ワオ」と驚いておられました。たぶん、アメリカには人間ドックに相当するものはなかったと思いますので、先生の反応は当然かと。で、「直訳するとhuman dockで、船のようにdock入りして点検してもらうのさ」と付け加えると、「なるほど~」と妙に感心しておられました。
私も、今回、英会話で説明しようと思って調べてみて、初めてきちんと確認したんですけど、初めてこの言葉をcoinした人って、スゴいと思う・・・


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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