屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

な9月でありました(当社比ですが)。

後半は、初めて論文なるものに挑戦させて頂きました。
微妙に平日を挟んで3連休が2度続いたりしたせいか、
慣れた翻訳者さんの手当てがつかなくなり、
医療機器関連ってことで、Sayoにお話が廻ってきたようでした。

調査の一環でアブストラクトを斜め読みすることはありますが、
でもって、興味のある分野の論文をざっと読みして
分かった気分になったこともありましたが、
さらには、医薬通信講座で論文の一部を訳したこともありましたが、
論文まるごと訳すのは初めてで(しかも2本!)、
今の感想をひと言でと言われれば、
「む、むつかしかった(放心)...」
のひと言でございます。
天敵その1の統計手法だけではなく、全体的に。

マニュアル、パンフレット、手順書等、私がよく扱う文書は、
立ち止まって調査に悪戦苦闘しなければならない部分もある代わりに、
必ず、すいすい訳せる(=量を稼げる)部分もあるんですが、
論文には「すいすい」な部分がないというか。個人的な感想ですが。

では、全く歯が立たなかったのかと言われればそうではなく、
本文を読み進み調査を繰り返すうちに、薄日射す程度には内容も掴めてきたのですが、
そこに「納期」という天敵その2が立ちはだかり、
「もう少し時間があれば、もう少しきちんと調べられて、もっと適切に訳せたかもしれない」
箇所を残したまま納品しなければならなかっただけに、かなり悔しいです。
あと、最後の「訳文だけで日本語チェック」を端折ったことも心残りです。

とはいえ、本当に久々の徹夜作業となってしまい、
「今の自分にできることはやったよな」的部分もあるので、
これで低評価→2度と論文関係の打診なし、の結果になるのも、
それはそれで凹むよな~と思いながら、
やっと少し使いものになり始めた頭をフル稼働させてこの記事を書いています。

そんなわけで、今日、1週間振りに父の様子を見に行きましたら、
(普段は、自転車な距離なこともあり、3~4日に1度は顔を出します)
季節の変わり目のこととて、案の定、活動性が低下(?)してしまっていて、
昼食を食べさせるのに苦労致しました。
(まあ、本人は、口を開けるのもしんどいんでしょうねえ)

2~3日納期のお仕事は問題ないんですが
(私が2~3日ということは、そこで仕事を放り出すことになっても、
その量を1日で仕上げられる翻訳者の方が必ずおられるはずですからね)
10日~2週間程度のお仕事になると、最後の数日間は、
「お父ちゃん、頼むから今急変せんといてや」
と祈りながらの作業です。
そこで途中で放り出さねばならないような事態になると、
翻訳会社さんにもクライアントさんにも
迷惑を掛けてしまうことになりますから。

6~7月にかけて医薬の分野で2社のトライアルに合格を頂いてからこちら、
ずっとやりたかった分野のお仕事ということもあって、
自分的にはちょっと無理をしてお仕事を受けてきたなあ感があります。
どの仕事も面白かったですし、充実していたとも言えますが。

ただ、着実に衰えつつある父をみると、
「その時」「その後」に体力を残した状態で対処できるように、
もう少し仕事の負荷を減らした方がよいのかなと思ったり、
いや、せっかく少し翻訳と向き合う時間ができた今、
もう暫くフル稼働(←しつこいようですが当社比)したいと思ったり。
今後の仕事との関わりについてちょっと葛藤中な今日この頃です。

不惑はとうに通り過ぎたのにねえ。

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.09.27 20:31 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
残りの人生を考える年になり、
以前にも増して物欲とは無縁になったSayoですが
(仕事に関する物欲は除く)
それでも、ほしいものが皆無というわけではなく。
思いつくまま、列記してみました。

時間
(それは物欲の範疇ではありませんね)

20年前の体力・脚力・お肌の張り
(それも物欲の範疇ではありませんね)

せめて10年前の記憶力
(それも物欲の範疇ではありませんね)

「SWANモスクワ編 第1巻」
(買えよ<自分)

低ヒールのブーツ
(今履いているブーツはとても履きやすいのですが、毎冬履き倒してきたので、流石に「もう今年は駄目かも」的状態になってしまいました<のが昨冬の話。今冬は、暖かくて長持ちしそうな、ふくらはぎ半分丈のブーツがほしいです<切実。)

かばん
(今普段持ち歩いているかばんが、日々の酷使により、かなり悲惨な状態になってしまいました<そんなんばっかりかい。てことで、A4のクリアファイルが入り、ポケットのたくさんある、本体軽い肩掛けかばんがほしいです<ブーツより切実度低め。)

うさちゃん
(できればネザーランドドワーフ種がいいです。が、主人の実家に戻らなければ、実現不可能であり<いや、こっそり飼えばいいんですけど、実家に戻る=義両親の介護本格化ということなので、切実度ビミョー。現在、ペット屋さん行脚にて「うさちゃんほしいの病」対症療法中。)

フレーバーコーヒー
(「コーヒーの邪道」と言われることもあるらしいのですが、我が家はフレーバーコーヒーが大好き。アメリカではその辺のスーパーでごく当たり前に、安値で売られていたのですが、日本では、なかなか簡単に手に入らない<てことで、コーヒー党のお友達へのお土産には喜ばれました。以前は、Gloria Jeans日本店から通販でお取り寄せしていましたが、それなりのお値段だったので、途中で止めてしまいました<旦那、毎日水筒に詰めて会社に持って行きよるしね。その後は、旦那のアメリカ出張が唯一の命綱だったんですが、異動で、海外出張も減ってしまい、今では、一時帰国同僚さんのお土産だけが頼りです<その一時帰国も暫くないさ。ああ、フレーバーコーヒー、飲みて~。)

SII PASORAMA SR A-10003
(言わずと知れたSeiko Instrumentさんの電子辞書です。「英語を使うエンジニアモデル」SR G-9003については、「女は翻訳でよみがえる」のmarikoさんなど何名もの方がレポートして下さっていますが(marikoさんの記事はコチラ)、このA-10003は、医療従事者モデルです。
→詳しい説明はhttp://www.sii.co.jp/cp/products/medical/sra10003/index.html。
8年ほど前のモデルを持っているんですけど、当時のモデルは、医薬系の辞書は、ステッドマン+略語くらいしか搭載されていません<当時の最新モデルじゃない可能性もありますけど。主に、外での資料ざっと読み、英会話のレッスン、ガイドのボランティアに使用してまして、それらの用途には、特に不自由はありませんでした。でも、だが、しかし。このA-10003には、医学書院の辞典も、治療薬マニュアルも、ランダムハウスも、自然科学系全般辞書も、果てはブリタニカ百科事典まで入っているという。いや、外使いにそれだけのものは、いらないっちゃあいらないのですが。でも、いいよねー、魅力的だよねー。PCと繋いで串刺し可能なPASORAMA機能もついてるし。でも、だが、しかし。問題は、お値段だったのでありました。9003の倍以上の、なかなかに宜しいお値段です<コンテンツのお値段なのか。それだけあれば、別にかなりの辞書・参考図書が買えるよな~、と現実を直視しつつ、まだ諦めきれないでいるSayoです。TOEIC学習用のコンテンツはいらないのにな~、その分安くならないかな~。)

あ、最後になってしまいましたが、家族の健康、ほしいです。

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2011.09.23 12:06 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(4) |
正確には、関西方面から見て、猫島は北東の方角なんですけど、
その辺は、あまり深く突っ込まないでやってください。

もともと小動物が大好きなSayoなのですが
(現在は賃貸マンション住まいなので飼っていません)
(子供の頃、実家で暫く迷子猫を飼ってました)
(旦那の実家には最近まで柴ちゃんがいましたが、この夏老衰で亡くなりました)
アメリカで、野うさぎさんにひと目惚れしてしまったのでした。
だって、あなた、その辺普通に走ってるし。
初夏は、ミニサイズの子ウサギも走ってるし。

帰国しても「うさぎ好き♪」熱は衰えず。
そんなSayoが、ある日TV番組で遭遇してしまったのが、
「うさぎ島」こと大久野島(広島県竹原市?)の
うさぎさん達だったのでした。

数百匹のうさぎが、その小さな島に生息しているという。
うさ餌を持っていると、あっという間にうさぎに囲まれるらしい。
ああ、一度でいいから、うさぎに襲われて(?)みたい。

てことで、行って襲われてきただよ。
夏休みのこととで、家族連れが多く、
「おばさんはいいのよ」的表情を浮かべて、
小さなお子さんに先を譲らなければいけなかったけどな。
(ちなみに、それは3年前の夏の話です)

・・・幸せ♪

そんな大久野島は国民休暇村があるだけの小さな島です。
車の乗り入れは禁止されていて、
車は必ず対岸の忠海港あたりに置いていかねばなりません。
犬連れの島入りも禁止です(うさちゃんが襲われてはいけないので)。
島内は徒歩か貸自転車で移動します(それくらい小さな島です)。

この島は、別名を「毒ガス島」ともいいまして、
戦時中は、毒ガスの実験が行なわれていたのでした。
当時の建物跡にちょこんとうさぎが座っていたりして、
ちょっと何とも言えない気分になります。

毒ガス実験の詳細と、多数のうさぎが生息するようになった理由については、
Wikipediaに詳しいです(「大久野島」で検索)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E9%87%8E%E5%B3%B6


では、東(北東)の猫島とはどこぞやと言う話ですが、
それは、宮城県石巻市の田代島という島です。

高齢の方を中心に漁業で生計を立てていた島ですが、
その住所から分かる通り、今回の大震災の津波で
壊滅的な打撃を受けました。

そんな中、若い漁師さんたちが中心となって立ち上げたのが
「にゃんプロ」こと「にゃんこ・ザ・プロジェクト」。
新聞やTVでも取り上げられましたので、ご存知の方もおられるかも。
「ひと口1万円で(将来の)かきのオーナーになりませんか」
というもの(そういう形での支援ですね)。

「にゃんプロ」という名称となったのは、
島の人口(約100名)を上回る数の猫ちゃんたちが、
重要な観光資源でもあるから。

ので、実は、かきとは相性の悪いSayoですが
(生がきを食すと蕁麻疹が出るようです)
「オーナーの皆さんには、特製の猫グッズをプレゼント」
という謳い文句に吊られて、
ひと口オーナーさせて頂いています。

今は当初の目標口数に達して、オーナー募集は一旦締め切られたようですが、
興味が湧かれた方は、下記「にゃんプロ」さんの
ウエブサイトを訪ねてみてください。

私、今まで全然知らなかったのですけど、
「ひょこりひょうたん島」のモデルの島でもあるそうですね。

http://www.nyanpro.com/


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2011.09.18 22:00 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(2) |
地味に(ぼちぼち)仕事をする日々が続いている今日この頃。
そんな平凡な日々を記事にしてみたりしました。

いつもの自分らしく、小さなお仕事をこなす日々です。

木曜日の夕方か金曜日の午後にお電話で打診を頂き、
短いもので翌週の月曜日、
だいたいは水~金曜日の朝頃納品という感じです。
月曜納品の時は、週末までに、
ちまっとしたお仕事がもう1件入ることもあります。
(その週の状況&案件の難易度により、お仕事がなくても
びしっとお断りすることもあります<おお、強気)

とは言っても、もともと処理量が少ないところに、
ここ数年はさらに少な目に申告している状態ですので、
翻訳枚数的にはホントに知れているんですけど。
てことで、処理量は聞かないでやっておくんなさいまし。

今は、医療機器の翻訳が多いです。
分野的にはほぼ2つの分野に限られてきた感がありますが、
どの案件も「ビミョーに初めて」な内容なので、
いつも、まず調査でへろへろになっています。

「今までやってきた仕事とどこが違うんだろう?」的に
がっつり電気機械で武装している案件もあったりするので、
いつも原稿を見るまでワクワク戦々恐々です。
(そんな精神状態が存在するのかどうかということは、
深く問わずにおいてやってください。)

ということで、時間がある限りは、
「PCは嫌い」以来ちょっと調子の悪いPCに向かっています。

ウチは旦那さんの帰宅が遅いので、
(23時前に帰宅することは稀です)
就寝するのは、どうしても1時前後になってしまいます。
なので、毎朝、旦那を送り出し、ちゃっちゃっと腹ごしらえをし、
風呂を洗い、洗濯機を回すと、
まず2度寝をするのが日課です(至福の1時間です)。
2度寝後、洗濯物を干し、掃除機をかけ(たまに拭き掃除)、
夕食の下ごしらえをします。

この時点でだいたい11時頃なので、
Sayoの仕事時間は、普通11時~22時頃です。
(合間に、ネットサーフィンしたり、洗濯物を取り込んだり、
アイロンをかけたり、夕食の支度をしたり、
ちょっとテレビを見てしまったりします)

買い物、父/実家関係の用事、その他雑事がある場合は、
11時頃から出掛けて、がーっと一気にこなします。
(ここだけは異様に段取りがいい<仕事もそうありたい)
そういう日は、だいたい14時~15時頃から仕事です。

月曜日から金曜日までそんな感じで、
金曜日の午後だけは、これまた他の用事と絡めて
50分の英会話のレッスンに出掛けます。
(で、毎週、「1週間どうしてた?」と聞かれてSame as usualと返答するのだ。)

土曜日は、実家の草引きと整理。
(別に土曜日でなくてもいいんですけど、
昨年暫くオンサイト翻訳に行っていた時に、
このサイクルが確立されてしまったのでした)
祖母伯母すんで、現在母もの整理中。
台所、押入れ、クローゼット、物置、父の本、手つかず。先は長い。
日曜日は、午前中は惰眠、その後家事、
午後から買い物、その足で父の施設に廻り、食事の介助です。
で、夜は忙しければ仕事に戻ります(旦那は副業=パチンコに出掛けます)。

そんな感じで、今週も、慌ただしく1週間が過ぎて行くのでした。

その気になれば、ほぼ1日自分の時間とすることができるので、
(特に小さい)お子さんのおられる方に比べれば、
ずい分と恵まれた境遇だよなあとは思うのですが、
それでも、たまに、父や実家のことを全く心配せずに
翻訳だけできたらなー、と(贅沢に)考えることもあります。
ま、これも人生。
現状維持で翻訳を続けられることに感謝しつつ、
Sayoは今日も行くのだった。

とはいっても。

日本人なら日本語は正しく書かんかいっ(怒)

・・・まだまだ、感謝が足りていないようですね。

SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.09.16 14:00 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
というわけで、前回からの続きです。


そういうわけで、漠とした不安を抱えながら過ごしていたある日、ついにアメリカ軍によるタリバン攻撃が始まりました。

10月初旬の日曜日、旦那とレストランで食事をしている時に、店のテレビのBreaking Newsでそのことを知りました。薄々そうなることは感じていましたけれど。

この攻撃は本当に必要だったのかどうか、今はよく分かりません。ただ、当時、私の周りのアメリカ人(というのはおおむね図書館の同僚の気のいいおばちゃん達を指すのですが)の間では「テロ攻撃の首謀者を捕えようとするのは当然」「今後の安全のためにも必要」なので「攻撃は仕方がない」という意見が主流でした。テロからそう時間が経っていなかったことも影響していたと思います。たぶん、私自身も、同じように「仕方ない」と考えていたと思います(言ってみれば、結構感情論)。
もっとも、翌年イラク攻撃が始まった時は、その同じおばちゃん連の意見は、おおむね「本当に攻撃すべきなんか?」というものとなっていましたが。

で、話は戻りますが。
その攻撃に対する報復テロがあるかもしれないので、十分注意するようにと言うのを聞いた時、初めて「怖い」と思ったのでした。それまでも、ブッシュ大統領は、折に触れて”War against terrorism”という言葉を使っていたのですが、「戦争をしている国にいるんだあ」と実感したのはその時が初めてでした。
それまでの自分の人生では、歴史としてしかあり得なかった「戦争」の2文字が、現実のものとなりました。もちろん、空の安全は厳しく監視されるようになっていましたから、空襲などあるわけはありませんでしたが、TVや新聞では、小型の核爆弾や神経ガスを用いた無差別自爆テロの可能性にも言及していました。

そして、それからすぐ、「炭疽菌事件」が起こりました
覚えておられる方も多いかと思いますが、まずフロリダのタブロイド新聞社宛に、次いで上院議員やTV局宛に炭疽菌入りの封書が送られ、新聞社のスタッフやその封書を扱った郵便局の職員が多数感染し、数名が亡くなった事件です(正確には、最初の封書は、攻撃開始前にすでに送付され、スタッフの方も発病していたようですけど)。

最終的には、USAMRIDという政府系機関(軍の感染症研究所なので、炭疽菌の入手も可能と思われます)の元職員に疑いが掛かり、この職員が自殺し、彼の単独犯でテロとは無関係だったというような報告がなされて事件は収束したようですが、この報告に異を唱える者もいるようで、真相ははっきりしないようです。

上院議員宛の封書の中に、アルカーイダの犯行を示唆するような紙片が入っていたため、「今度は生物兵器テロ?」ということで、大騒ぎになりました。「疑わしい白い粉末のついた何かが見つかった」と言っては警察が出動する騒ぎとなり、ウチの近くの図書館にも、「本を開いたら白い粉がついていた」との通報を受けて、宇宙服(=バイオハザードスーツに身を包んだ)捜査員がやって来たなんてこともありました(ある意味貴重な光景ではあります<でも、砂糖か何かだったらしいですが)。

とはいえ、同時多発テロより、この炭疽菌事件の方が、実際に遭遇する確率が高い分、怖く感じられました。苦しんで死ぬみたいだしね。容疑者(候補)が特定されたのはずっと後になってからでしたので、もう封書が届かなくなってからもかなり長い間、「また次の炭疽菌入り封筒が、どこかに送られてくるんじゃないか」「別の形の生物兵器テロが起こるんじゃないか(←実際はテロではなかったのですが)」と、気が気ではなかったです(実は、結構怖がりな私)。

アメリカ政府も本当にピリピリしていたようで、その年の11月、NYで離陸に失敗して飛行機が墜落した時も、翌年の2月に、スペースシャトル・コロンビアが大気圏突入時に空中分解した時も、メディアがすぐに「これはテロではない」と繰り返していました。

この頃は、まだ、海外在住者向けに大手新聞の衛星版(紙版)というのが発行されていて(朝夕刊の記事をまとめたもので、夜遅くに配達されます<正確には、ドライブウエイに投げ捨てられます<車に乗ったまま、うまいこと投げ捨てていくのさ~)、我が家も読売新聞衛星版を購読していたのですが、同時多発テロこそ、かなりの期間大きく報道されたものの、炭疽菌事件については、短期間で表舞台から消え去ったように記憶しています。そりゃそうだよね。地球の裏側の国の、テロには関係なさそうな事件だもの。
でも、その時は、「こっちは、こんなに怖い思いをしているのに、日本は大して関心ないんだ」と、ちょっと不満に思ったり悲しかったりしたものでした。

同時多発テロについても、炭疽菌事件についても、決して当事者ではないんですけど、その時初めて、「中から見ることと外から見ることの違い」みたいなものを、少しだけ実感しました。不惑を前に遅すぎ、と言われれば返す言葉はないですが。
その後、「相手の立場だったらどう感じるだろう」ということを、考えるようになりました。Put yourself in someone’s shoesってやつですね。
もっとも、そうすることが、よい方向ばかりに作用したとは言えず、特に、母との関係においては、理性回路のヒューズが飛んでしまった母の言動について、いつも「でも、母の立場から見れば・・・」と考えてしまい、それで苦しくなってしまって、結局、冷静に「最善の方法」を判断することができなくなったりもしました。

9月11日は、やはり、多少は、今ある自分というものに影響したのかなと思います。
やっぱり、うまくまとまらないですね。

その日は、奇しくも、伯母の命日でもあり、東日本大震災からちょうと6ヵ月目の日でもあります。この半年間、結局、ちまちまと募金をしたり、東北originのものを購入したりすることくらいしかしてこなかったSayo家でした。これからも、同じような形でしかお手伝い(?)できないと思うのですが、せめて、これからも、数字としてではなく、色々なことを忘れずにいたいと思うSayoです。


SayoのBackgroundについては「はじめに」カテゴリの記事をご参照ください。
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2011.09.10 20:28 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |