屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

翻訳以外の用事が忙しいわけではなく(いや忙しいのは忙しいんですけど)、今回の案件がなかなか難敵で、思ったように翻訳が進まないのでした(そういう時に限ってブログが書きたくなる)。

大型案件の場合は、ほぼ100%分納なのですけれど、今回の案件は、エンドクライアントさんには一括納入ということで、分納スケジュールと量は、こちらで決めてよいことになりました。なので、最初の分納までの期間を少し長めに取らせて頂いたので、まだじたばたしなくていいハズなんですが、気持ち的にすでにかなりじたばたしている私。

で。
ここから先暫くは、「難しいのよ(怒)」の話に入るための導入部です。

私、いつも結構「この翻訳誰が読む?」ということを考えながら翻訳作業する方かなと思います。「誰?」は「これは社員教育資料だそうです」みたいな形でコーディネータさんが教えて下さることもあるし、自分で推測しなければならないこともあります(で、その推測間違っている可能性も大有りなんですけど)。和訳の場合は、ほとんどの案件で、翻訳会社さんから、「です、ます」調か「だ、である」調かの指定がありますので、それも参考にしたりなんかします。

で、今回の機械案件なのですが、原稿やらちらっと頂いた情報などから、「恐らく機械にはそう強くないであろう、でも別の分野では専門的な知識を持った方々」が読者さんであろうと推測しています。てことで、「専門用語はできるだけきちっと押さえながら、地の文は分かり易く行かなあかんな」みたいなことをエラそーに考えてみたりする訳です(考えるだけという説もある)。文体の指定は「ですます」です。こういう感じの翻訳、嫌いじゃないのよね~(←納期に余裕がある時<今、ナイ)。

そんなことを考えながら、とりあえず原稿を読んでみた感触は、「行けそうかも」でした(いや、行けなかったら困るんですけど)。調査を必要とする専門用語はありますが、全体的な文意を取るのはそう難しくありません。パラグラフごとの関係が「?」(その機械に関する自分の理解が足りない&文章が難しい場合、往々にしてそういうことが起こります)な箇所もなさそう。

というわけで、勇んで翻訳作業に入ったのですが、現在鋭意苦戦中です。思い返してみれば、そうでした、こういう一見問題なさそうな平易そうな英文に、これまで何度も裏切られてきたのでした。Sayoの翻訳能力の問題やでと言われてしまえば、それまでなんですけど。

問題1
ひたすら文章である。

たまに箇条書きや図表が挟まっていると、それだけでひと息つけたりするんですが、文章ばかりだと、つい寝てしまい・・・じゃなかったわ、読者さんが寝てしまいそうな訳文を書いてしまいがちです(←あくまでもSayoの場合)。パラグラフ単位、セクション単位で読んだ時にも、間違いの(少)ない読みやすい文章にするには、チェック段階でもう一度頭を絞らなければならない場合も多くて、普段「かっちり訳してチェック少ない派」のSayoですが、最後の最後に思い切り時間を喰ってしまうなんてこともざらです。なもんで、本当なら、もっと速いペースで進んで、チェックのための時間を多めに残しておかないといけないはずなんですが・・・はずなんですが・・・

問題2
微妙に主語が変わる。

元の文は受動態で書かれているので何の問題もない(ように見える)んですけど、自分の訳した文章が何となく「座りが悪い」ので突き詰めていくと、能動態に直してみた時にandで結ばれていた2つの受動態の主語が、実は別物だったりするのでした。「主語違うや~ん!」 でも、原稿を読んでいる時は何となく意味も取れているし、別におかしいとも思わないんです(いや、それが一番の問題か)。で、おかしくない日本語にするのに、またひとしきり悩む。この「何となく分かる」は結構コワいかも。

問題3
ひとつの文の中にmay (or can) が3回、oftenが3回くらい出てくる。

しかも、そんなに長い文章じゃないし。3回とも同じ訳語じゃ芸がないしな~とか考えてドツボに嵌る(言い換えれば語彙が少ないとも言う)。

そんな感じの文章に悪戦苦闘中です。
いや、ホント、難しい英語じゃないんですけど。何でだろ。

どうしても、しっくりする訳文が作れない時は、一度ガチガチの直訳で文章を作って、それを、文意(その文の言いたいこと)を変えないように気を付けながら解体・再構成するということをするのですが、これをやると、文法をかなり無視した日本語文が出来上がることも多いのですね。なので、自分の中では「どうしようもない時の奥の手」的に使っているのですが(でもって、「直訳では意味がよく分からないので、文意を汲んで意訳しました」みたいなコメントを付けて責任回避?を図ります)、今回、すでに結構「奥の手」を使ってしまっているかも。いや、だから、難しい英語じゃないんですけど。何でだろ。

・・・というわけで、ちょっと情けなく思ったりなんかしながら、冷房完備(ストーブはつけてますが)の屋根裏で、今日も翻訳に勤しむSayoであった。やっぱり、まだまだ努力が足りんのか。うーん、まだ先が見えん(というわけで、トボトボと仕事に戻ります)。


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2012.01.31 21:10 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |


せなあかんわ~と、気ばかりあせりながら、
今週は、戸籍謄本郵送請求中につき、
表立って活動する(?)ことができないので、
基本お仕事週ということで稼動中です。

今後、お仕事の納品、確定申告提出、
相続手続き(自宅相続含むので一部専門家の方にお願い予定<当てなし)、
節目の法要(母の一周忌忘れそうやで)と
まだまだ「ま、ええか」では済まされない事どもが続きます。

加齢につき一度に3つのことしか覚えられないので、
「しなければいけない一覧表優先度順」を作成し
玄関に続く板の間に貼ってみたりなどしました。
コイツを踏み越えなければ外出できない仕掛けで、
今のところ、それなりに機能しています。
来客があったらどうするよ、はあまり考えないようにしています(ええんか<自分)。

こういう「あれもこれもそれも」な時期って、
人生には何回かあるような気がします。過去にもあったさ。

それは、何も家族の看護や介護や死に際してとは限らず、
その人により、育児だったり仕事だったり人間関係だったり、
様々な要因による「あれもこれもそれも」だと思うのですね。

それらは、基本的に、周囲の方々の助けを借りながら、
時には暫く流されてみたりなんかしながら、
でも最終的な部分は自分で決断しながら、
地道にひとつひとつこなしていくしかない場合が殆どのような。
今回も、そういうことになるでしょう。

でも、そうこう、アップアップしているうちに
それはいつかは「そんなこともあったね」になっていて、
だから「今度もできるよね」と思えるようになっている
(・・・できるんか<今回やや不安<でもやる)。

人生って、そんなことの繰返しかもねと思いつつ、
雑事(今のところ概ね書類集め&書類作成)に励むSayoは
今年「アラフィー」ではなく「フィフティ」になります。
色んな意味で、誰か時間を止めてほしい今日この頃(切実)。

・・・お仕事に戻ります。

次はそろそろ本業(?)のお話に戻りたい。

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2012.01.26 19:15 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(2) |
父が危篤になった12日深夜の時点で、
2件のお仕事を抱えていました。

1件は2月末納期の大型案件。
量は多いですが、一刻も早い連絡を要するものではありません。
問題はもう1件の方です。
翌週水曜日が納期だったのですが、
まだ4分の1程度しか手をつけていません
(初動が遅いのはいつものこと<今回かなり反省)。
これはもう、何としても代わりの方を見つけて頂くしかありません。
父が亡くなれば、葬儀翌日の役所各課&年金事務所周りが済むまでは、
身体的にも気持ち的にも仕事どころではなくなってしまうので。

幸い(?)私は少な目の申告量で稼動していますので、
残りの4分の3量を水曜日までに仕上げられる翻訳者の方は、必ずおられるはず。
で、これまた幸いなことに、私の翻訳のやり方というのは、
最初からかなりかっちりと訳していくというもの。
いつも見直し時の修正量はそう多くありません。

というわけで、早朝一時帰宅後、まず原稿のチェックを行い、
訳出したところまでの原稿を完成させ、
そうこうする内に翻訳会社さんの始業時間になったので、
すぐに担当のコーディネータさんに連絡しました。

新人(たぶん)コーディネータさんには多大な迷惑をお掛けしたと思うのですが、
何とか代わりの方が見つかり、この案件は平謝りしてお返し致しました。
事情が事情とはいえ、本当にすいません。

もう1件の案件というのは、

「明けて2012年」の記事で、

>「今は、父に何事かあれば軽く1週間は完全アウトですから
>(数百枚の超大型案件を冷たくお断りしました)」と書いた後、

「納品した」の記事で、

>「父に何事かあれば軽く1週間は完全アウト」に匹敵する
>1週間分の納期延長を頂きましたので、
>つい口が「やらせて頂きます」と言ってしまいました。

てことでゲットした案件です。
こちらの方は、相談の結果、さらにプラス3日の納期延長を頂き、
引き続きやらせて頂くことになりました
(・・・つって昨日くらいから目を通し始めたばかりですが)
まあ、何とかなりますやろ、というかせなあかんのですけど。

父の急変があと1日遅ければ、
翻訳会社さんへの連絡は月曜日になったはずで、
一時小康状態を保って見直し&連絡の時間を与えてくれたのみならず、
急変する曜日まで計算してくれた(ホンマか)父は、
最後まで「人様に迷惑はかけない」を実践してくれました。

最後に「軽く1週間完全アウト」についてですが、
実際は「5日間(金~火)完全アウト」+「3日間かなりアウト」な状態でした。
出ていることが多かったので、その間は、何もできないよりマシってことで、
空き時間に、印刷した原稿をひたすら読んでいました。

これからも、四十九日までの逮夜とか相続の手続きとか、
問題(?)はまだまだ山積しているのですが、
ぼちぼちやっていこうと思います。
こんなことしてたらアカンがな。仕事に戻ります。


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2012.01.21 17:41 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
父が急逝致しました。
1月13日のことです。

そんなわけで、頂いたコメントへの返信は
今暫く待ってやって頂きたく。


年末からかなり口の開きが悪くなっていたので、
さすがの超人も「今回は最後かも」と覚悟はしていたのですが、
私は、緩やかに老衰し春頃かなと勝手に思っていました。
それが、いきなり危篤だったので、まあ急逝と言えば急逝です。

昨日葬儀が終わり、今日はいち日役所周りなどしていました。
母が亡くなってから1年経っていないので、
いいのか悪いのか全てが記憶に新しく、
ハッキリ言ってかなり手際のいい私。
ただ、今回は相続の手続きがちょっと面倒臭そうです。


日付が1月13日に変わった頃、
施設の看護師さんから電話がありました。
手首で脈が取れず、呼吸も荒くなっているというのです。
昼間様子を見に行った時は、特に変わりはなかったのですが
(最近は「傾眠」状態のことが多く、だいたいうつらうつら)
「かなり厳しい状態です」とのこと。

すぐに旦那の車で施設に向かいました。
看取りは施設でとお願いしているので、
看護師さんの「救急搬送しますか最終確認」はお断りしました。

施設につくと、状態は少し落ち着いたようでしたが、
相変わらず末梢の動脈では脈は取れず(というわけで頚動脈で取っていた)、
呼吸は苦しそうで、手足は変色してきていましたので、
拍出が弱く血液内の酸素も足りていない状態と思われました。

さすがにここから状態が盛り返すとは思えません。
翌日(というか13日)ミニ出張の旦那には帰宅して貰い、
その晩は、父の部屋に泊まりました。
時々苦しそうに唸ってはいましたが、
それ以外は落ち着いた状態で一夜が明けました。

私も看護師さんも、その状態が一両日続くのではと予想し、
私は朝一旦帰宅しました。
で、仕事の段取りをし(の詳細はまた別途記事に致します)
洗濯しシャワーを浴び昼食を摂って、再び施設に戻りました。
その頃には、酸素吸入が始まっていて
(延命措置の範疇外ということで合意)
浅い呼吸でしたが、確かにまだ頑張っていました。

その後、「看取り」に関する書類について説明を受けている間に、
静かに呼吸が(それとも心臓?)が止まったようです。
部屋を覗いた看護師さんが
「亡くなられたようです」
と呼びにきて下さいました。

その後、施設の往診医の先生が来てくださって死亡確認。
死因は「老衰」でした。


* 危篤になってから24時間経たずに亡くなったわけですが、暫くの間小康状態を保ってくれたお陰で、翻訳会社やクライアントさんに最小限の迷惑を掛けただけで(たぶん)、仕事の段取りを付けることができました。律儀な父らしいです。

* 父はペースメーカーを入れていましたので、その子が頑張ってくれて(それがいいのか悪いのか)、数日危篤状態が続くのではないかというのが、私や看護師さんの予想で、13日の晩父の部屋に泊まるかどうか少し悩んだのですが(長丁場になると身体が持ちません)、泊まることにしてよかったです。その分、今後悔が多少少ないかも。自己満足かもしれませんけど。

* 施設に入所させたことについては、私の中にずっと何がしかの罪悪感があったのですが、最後の日は、亡くなるまで、たくさんのスタッフさんが様子を見に部屋を訪れて下さり、亡くなった後、葬儀社の車が到着するまでの間も、たくさんの顔馴染みのスタッフの方が最後のお別れに来て下さり、最後のその日、父の部屋は本当に賑やかでした。もしかしたら、自宅で私が1人で看取るより、寂しくない最後であったかもしれません。

* 最後の数年は、本来の父からすれば不本意な晩年であったかもしれませんが、そんな状態でも、人に迷惑を掛けないように努めたこととか、口を開くのさえ億劫な状態になってしまっても生きようと努めたとことか、やはり、父は(そして別のところで母も)、たくさんのものを、私に残してくれたと思います。それが「親ということ」なのかもしれません。

* 今は、悲しい気持ちやら、色々な意味でほっとした気持ちやら、(旦那はいますけど血縁という意味で)1人になった孤独やら、様々な気持ちが渾然一体となっています。でも、時には笑い、おおむね淡々と、日々なすべきことをこなしています。疲れていますけど、それなりに元気です。

そんなわけで。
取りあえずのご報告でした。


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2012.01.17 23:02 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(2) |
前々回の今年の抱負でちらっと触れた「Clinical Physiology」とは
どんな書籍ぞやというお問合せを頂いたのでした。

ソイツの本名は「Textbook of Clinical Physiology」と申しまして、
「ガイトン生理学」というタイトルで邦訳も出ています。

私が持っているのは10th editionです。
滞米時に安く仕入れました。

初版は1956年、著者のGuyton先生は既に亡くなられ、
現在はHall先生が改訂を行なっておられるようです。
なので著者はGuyton-Hallとなっています。

基本2段組の本なのですが、
全て同一のポイント数ではなく、
老眼のSayoが「年寄りのことも考えろや」と切れてしまうくらい
ポイント数が落としてある箇所もあります。
Guyton先生が初版を書かれてから、
医学の進歩に伴って、様々な追加変更がなされているのだと思います
(にも関わらず、これ以上頁数を増やさないでおこうという
涙ぐましい努力が行なわれているようなのだった<たぶん)。

ソイツが医薬翻訳に必要ですか、と問われれば、
優先度は限りなく低いかと思います。
が。
人体の生理を理解するにはよい本だと思います。

この本は「Physiology」の授業を取った時に、
先生が「医薬関連分野に進む積もりの学生は読んでおきなさい」と
副読本として生徒に勧めてくださったもの。
ちなみに、この時の授業のテキストは、
「Human Physiology – from Cells to Systems」(4th ed.) Sherwood, L
カラー図解も豊富で、なかなか分かり易い教科書でした。
(でも授業のtextでなければ踏破できなかったろうとは思いますが)

Clinical Physiologyは、2色刷りだし文字は多いし、
視覚的に学生を惹きつけようという意味の「やる気」は全くないようです。
(最新版はカラーになったという噂あり)
内容的にも、「解剖生理の基礎を学んだ学生が読む」ことを前提に、
説明が端折られている部分もあったりするので、
「最初の原書」とするにはちょっと苦しいかもです。
私も、授業が始まった頃に勇んでattackし、1度討死しています。

それから、Human Physiologyは片手で何とか持ち上げられる重さですが
(上腕2頭筋の鍛錬には程よい重さです)、
Clinical Physiologyは、非力なSayoは両手でないと5秒以上保持できません。
(索引入れると1000頁超えているのだった)
(いや、重さは関係ないんですが・・・)

Clinical Physiologyの特徴は、
よく言えば説明が丁寧、
悪く言えばしつこくくどい。
(時々音読挫折しそう)
翻訳書を読んだら、睡魔に襲われることは間違いなさそうです(←自分の場合)。

でも、Clinical Physiologyはよい本だと思うのです。
まず英語が平易(専門用語以外で辞書を引く必要はまずありません)
(医学の教科書ってこんな平易な英語で書けるんだなあと、ちょっと感動も)
しつこいが分かり易い(心臓電気生理はこの本ではじめて理解できました)。
しつこさの程度で生理学的重要度が類推できる。
「こうだからこうなる」という因果関係(?)が分かり易い。
正常な状態→異常な状態(=疾患)の順で説明がなされるので、両者が比較し易い。
ホメオスタシスを維持しようとする人体の精巧さを
しみじみと感じさせてくれた教科書でした。

あと、何といっても1000頁ですから。
か~な~り~読み切った達成感はあります。

とはいえ。
たとえば一生ものの生理学的知識を得るために
中長期的な期間を設定してコツコツ勉強するにはとても良い本と思いますが、
今現在医薬翻訳を勉強している状態で、その中に割り込ませるには、
「・・・」
な本ではあります(それなりに高いし重いし)。

私もエセ学生だったので通読できた(した)と思います。
今、いきなり「読め」と言われれば挫折するかと。
音読は自分にとって最早毎日の習慣なので、
特にコイツのために時間を取って復習しているという感覚は、
自分の中にはないので、続けられてますが。

殆ど参考にならなくてすいません。
Clinical Physiologyはそんな(それなりに可愛い)ヤツです。


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2012.01.11 21:32 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(4) |