屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

というわけで、ですね。
たまにはお仕事関係の記事です。

ごくごくたまに、勝手に「心臓植込み系」と呼んでいる分野の小さなお仕事を頂くことがあります。

ステントや人工弁も「植込み系」に含まれるかなと思いますが、ここで言う「心臓植込み系」は、ペースメーカを代表とするICD(植込み型除細動器)、CRT-D(心臓再同期治療機能付き植込み型除細動器)などの機器です。

ここまで分野を限定するのもどうかしらん、と思う気持ちがないではないのですが、私のように、門外漢なのだけれど、時々この分野の翻訳をされている(される可能性のある)方がおられましたら、この1冊があれば便利だろうなあと思いましたので、紹介させて頂きます。

私事でございますが。父は晩年ペースメーカを植え込んでおりまして(それも88歳になってから入れたのだった!<てことで、大事をとって部長先生が入れてくれた<「88歳の高齢除脈患者にペースメーカを植え込んで奏効した一例」なんぞと院内勉強会で報告されてたりして)。なので、私はたぶんペースメーカには人様より多少免疫(?)はあるかとは思うのですが(ブツも見たし、皮下ポケットに植え込まれた状態の本体も見たし<外側からだけど、メーカーの定期メンテも何度か経験したし)、それでも、この「心臓植込み系」は、個人的にはとても難しい分野のひとつです。調べても調べても、調べて分かったことがまた分からん。けど、知ったような顔して訳さなあかん。
さらには、この「ごくごくたまに」という頻度がイヤらしい。前回学んだことを殆ど忘れているし。年を取ると、どうも忘れるのも早いような気がする(と加齢のせいにしてみる)。

そんな私が「心臓植込み系」のお仕事に立ち向かうためになくてはならない参考書が以下の書籍です。

「知識の整理と確認のための ペースメーカ・ICD・CRTブック」(メジカルビュー社 2008年)

昨年夏、Amazonさん→医薬系書籍出版社と回遊していて、偶然、メジカルビュー社さんのHPで見つけました。今はAmazonでも注文できるようですが、何故か当時はAmazon検索ではヒットせず、「一見さんOK(=ユーザー登録しないでも購入可能)」のメジカルビュー社に直接注文しました。

英語の表題に「Terminology of Pacemaker, ICD and CRT」とあるとおり、用語集です。機器メーカーの方を含む多数の執筆者が執筆に参加しています。

中身は

略語一覧(英)
用語INDEX(英:ABC順)→(和:五十音順)
用語解説(基本英日併記、英語のみ日本語のみのものもあり、簡単説明付き)
主な大規模臨床試験の解説
機種一覧(2008年当時)

の順で、用語解説に、図、写真、心電図が多用されているのも嬉しい。
180頁ほどで5000円近くしますが、個人的にはその価値ありと思いました。
(「ごくごくたまに」しか出番がないのがちょっと不憫ですが)

この他に、ウエブサイトですが

「循環器学用語集」(日本循環器学会)
http://www.j-circ.or.jp/yougoshu/engine/

「循環器トライアルデータベース」(Index画面)
http://circ.ebm-library.jp/main/allTriallist.html

もよく利用します。
後者はトライアルの略称で検索でき、個々のページにかなり詳しい内容が記載されているので、試験内容や進捗を確認するのに、結構便利に使わせて貰っております。

てことで。
やっと「翻訳者のブログ」みたいな記事が書けたのだった。
めでたしめでたし。
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2012.08.30 16:05 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(2) |
プチご無沙汰です。

例の「初盆」の用意に励むあたりから、何となく調子が悪かったのでした。
何となく身体がだるいというか、疲れが抜けないというか。
大型偏頭痛後も軽い頭痛が続くし。
で、先日、はたと思い当たりました。

「こ、これが、『夏バテ』というヤツだったのかっ・・・」

これまで夏バテとは無縁で来た私ですが、さすがに寄る年波には勝てないようです。
早く涼しくなってほしい酷残暑。

そのご無沙汰明けの記事が「翻訳じゃねえのかよ~」と仰られてしまいそうなんですが、
翻訳じゃねえんですよ、すいません。

「幸福な生活」(百田尚樹)は、何の前知識もなく、図書館から借り出しました。表題を含む短編集なのですが、1編15頁強という長さが、気分転換にはちょうどいいかな、と。そしたら、これが、(個人的に)思い掛けないヒットだったのですね。

ミステリーもあり(←コレが一番多い)、心暖まる話もあり、哀しい話も切ない話もあり、なのですが、全編、最後の1行がどんでん返しの台詞という構成になっているという趣向。

例えば、「母の記憶」という作品では、「ぼく」が認知症で施設に入居している老母を訪ねます。この母親は、「ぼく」がまだ子供の頃、酒癖の悪い父親が大暴れした夜に突然家出をした後、女手1つで「ぼく」たち兄弟を育てた気丈な母親です。その母の脈絡のない話に相槌を打ちながら、「ぼく」は、父が作ってやると言っていた金魚用の池を、父の家出後母が代わりに作ってくれたことを回想します。そのモルタル造りの池跡の割れ目から、「ぼく」は、最近、長いこと行方不明だった自分の怪獣のおもちゃを見つけています。そんな「ぼく」に向かって、母は、昔語りの続きのように、ふと、そのおもちゃを父が掴んで放さなかったから「一緒に埋めちゃったのよ」と言うのです。その母の言葉が最後の1行です。

実際、母が父を殺したのかどうかは謎のままなんで(母は、妄想の中で、そりの合わなかった「ぼく」の奥さんも勝手に殺してしまっています)、よけい不気味だったりします。

全編を通じて、話のキモとなる最後の1行だけが、ページをめくった後に書かれているのが、これまた凄い。そうなるように長さを調整して書いているわけですから。やっぱり、モノカキさんって、只者じゃないのね、としみじみ思ったりしたのでした。あ、当たり前か。十数編あると、中には、半分も読めば着地点が予想できる話もあるのですが、表題作のように、最後までその話の向かう方向が分からずドキドキする話もあって、結局、気分転換ではなく、一気に読んでしまったのでした。で、仕事→睡眠時間に支障が出たのでした。

作者の百田尚樹さんは、以前「探偵!ナイトスクープ」のメイン構成を担当されていた方とか。う~ん、ちょっと(かなり)納得。

てことで、ですね。
「どんでん返し」つながりで思い出したのが、William Katzの「恐怖の誕生パーティ」(ウイリアム・カッツ/小菅正夫訳)(Supprise Party written by William Katz, 1984)。新潮文庫から1985年に出版されていますが、現在は絶版のようです。
「また絶版ものかよ~」って話なのですが、片手に余る古書店売り飛ばしbingeを経て手元に残った本なので、現在手持ちの書籍(辞書・参考書除く)は、その殆どが絶版本なのです。お許しください。

で、「恐怖の誕生パーティ」ですが。
この話は、ミステリー好きの方の間では、「最後にどんでん返し」ものとして(最後の1ページで「ええっ」となります<たぶん)、ちょっと話題にもなったようです。でも、今回の記事を書くに当たって、ちょっとGoogleを探索などしてみると、「全く伏線がなかったので、そこが評価できない」というような意見もあり、確かに「いきなりなどんでん返し」感がないでもありませんので、その当たりが最高/今イチの評価の分かれ目かなという気が致しました。

この話は、暫くの間、2本の柱で進行します。

1本の主人公は、新婚の妻サマンサ(サム)。夫マーティを驚かせ喜ばせようと、その40回目の誕生日(12月5日)のパーティーを、本人に内緒で企画するのですが(てことで、原題Surprise partyです)、古い友人達を探し出そうと夫の過去を辿るうちに、夫の語った過去はどこにも存在せず、しかも夫(の名前を持つ人物)はベトナムで戦死していることが分かります。では、私は、いったい誰と結婚したの?

もう1本の主人公は、NY市警警部クロス=ウェイド。彼は、過去数年、年1回決まった日に同じ手口で鳶色の髪の女性を殺害する「カレンダー殺人狂」連続殺人犯を、ずっと追い続けているのですが、何の手掛かりも掴めないまま、今年も問題の12月5日がやってこようとしています。

マーティ=カレンダー殺人狂ということは、読者にはかなり早い段階で明らかになり、彼が、着々と殺人の準備を進める様子も描かれます。

悩み抜いたサムがNY市警の失踪人係を訪ねたことから、2本の柱は1本となります。
サムは、クロス=ウェイドから「夫は実は連続殺人犯で、次に自分を殺そうとしている(かもしれない)」ということを聞かされるのですが、あくまでも「容疑」でしかないため、証拠を得るため予定通り計画を進めるよう依頼されます(警察としては、現場を押さえて逮捕したいのですね<もちろん、サムの身に危害が加えられないよう万全の態勢を取ると約束しますが)。

その後も、話は、2転、3転、4転くらいするので、クライマックスに至るまでのストーリーも、(多少冗長かなと思う部分もありますが)とてもスリリングです。
そして、全てが解決し、ホッとしてエピローグに進むと・・・最後にして最大のどんでん返しが待っています。ううっ、書いてしまいたい。個人的には、このラストがかなり衝撃的でしたので、「伏線? ンなもんどうでもいいわよっ」という感じでした、ご参考まで。

当時の私は、いったんある作品が気に入ると、同じ作者の作品を探して読みまくる、という生活(?)を送っていましたので、その後、カッツさんの作品も何作か読みましたが、「恐怖の誕生パーティ」を超える作品には出会えませんでした。それだけ衝撃的だったのね~。
ってことで、暑い夏に涼を取るには宜しいかと(怪談じゃないんだから<自分)。

古書店で遭遇し、ふと興味が湧きましたら、手に取って頂ければと。たぶん、105円くらいで投げ売られているかと思います(某Amazonさんでは1円で売られてましたが)。
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2012.08.23 21:20 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |
「恐怖の誕生パーティ」(W・カッツ)" dc:identifier="http://sayo0911.blog103.fc2.com/blog-entry-168.html" dc:subject="和書・洋書" dc:description="プチご無沙汰です。例の「初盆」の用意に励むあたりから、何となく調子が悪かったのでした。何となく身体がだるいというか、疲れが抜けないというか。大型偏頭痛後も軽い頭痛が続くし。で、先日、はたと思い当たりました。「こ、これが、『夏バテ』というヤツだったのかっ・・・」これまで夏バテとは無縁で来た私ですが、さすがに寄る年波には勝てないようです。早く涼しくなってほしい酷残暑。そのご無沙汰明けの記事が「翻訳じゃ..." dc:creator="Sayo" dc:date="2012-08-23T21:20:20+09:00" /> -->
東阪で月1回ペースで開催されている翻訳の講座の春学期が終了しました。
と言っただけで、医薬翻訳に関心のある方はお分かりですね。可能な限りGoogleBotクンの裏をかきたいと思っているので、正式名称など記載しないでおきますが。私が受講したのは「英訳の基礎」です。

月1回なら通学も可能かな~と、以前から興味津々ではあったのですが、両親の状態がどうなるか分からなかったので、ずっと二の足を踏んでいました。でも、1月に父を送りましたので、四十九日を済ませた勢いで無料公開セミナーに申し込み、久々に外の世界に触れて気分がハイになった勢いで講座にも申し込んでしまったのでした。昨年歯の治療に大枚叩いたので、確定申告の結果、受講料に近い還付があることも分かってましたし。

というのもありますが。
ずっと、一度きちんと英訳を学んでみたいと思っていました、というのが一番大きな理由です。電気機械では英訳の仕事もしていましたが、ずっと「英借文」で乗り切ってきていて、それは、非ネイティブとしてはひとつの正しいやり方なのかなとも思いますが、自分の英語にはいつも自信が持てずにいたのでした。
今やっている医療機器のお仕事も面白く、この先製薬の治験の分野にお仕事を拡大していく(いきたい)かどうかは自分の中でもまだ不透明なのですが、勉強しておいて損はなかろうと。あと、ここ1年超は和訳の仕事が中心でして「この先も和訳だけでもいいかな」とも思うのですが(「やっぱり和訳が好き」を再確認)、それにしても「英訳もできるけれど和訳メイン」の状態をキープできれば理想かなと。
こちらの講座の講師先生は、医薬翻訳やメディカルライターをされていた方ではありますが、言語学も修めておられるので、英訳という作業を体系的に教えて頂けるのではという密かな期待も。それに、何と言っても月1回だし(←実はこれが一番大きかったりする)。
他の翻訳学習者や翻訳者の方とも繋がりができるかもしれないし(←この点も大きかったりする)。

というわけで4月から始めた基礎講座でしたが。
クラスメートは、「医療系のバックグラウンドのある人(学んだことのある人、働いていた/いる人)」「留学などで英語を学んだ経験のある人」「(医薬)翻訳勉強中の人、医薬翻訳者、他分野の翻訳者←ココ私」に大別され、他の翻訳通学講座と比較したわけではありませんが、個人的には、かなり「雑多」という印象。自分では思いもよらないような視点の意見や質問が出たりするので、この雑多さはよかったです。5回の講座では、残念ながら「皆さんと仲良く」というわけには行きませんでしたが、一部の方とはメアド交換まで漕ぎ着けました。

内容的なことはあまり詳しく書けませんが、「英訳の基礎」は
・頻出動詞のグループ分け&使い方や冠詞の使い方などを学ぶ
・単文、2~3センテンス程度の短い文章を訳す
ということがメインで、原文は確かに医薬分野のものですが、本当に、「英訳の基礎を学ぶ」感じの講座です。

というわけで、以下、講座を受講しての個人的な感想です。

こうした講座を受けるかどうかの判断ポイントの一つに、自分の立ち位置というものがあると思うのですね。「立ち位置」というのは、自分が「医薬翻訳」という道程のどのあたりにいて、どの段階にある講座を受けようとしているのかということなのですが。あ、めっちゃ抽象的ですね。
平たく言えば、「その講座は、自分にとって簡単なものなのか、難しいものなのか」「復習的にポイントをおさえるためのものなのか、ほぼ100%新しい知識や技術を身につけるのか」ということです。
今回、「英訳基礎」から受講したのは、様々な失敗を経て、自分には「復習的にポイントをおさえる講座」が向いている(独学は別ですが)と思うようになったからですが(単に基礎講座には判定試験がなかったからという説もある)、それは、あくまで自分の場合に当てはまることですので、念のため。

数年前、幸運にも試験に受かって某アカデミーの通信講座(和訳)を半年間受講したことがありました。凄くためになったはずの講座でしたが(講師先生の全体講評の統計の説明があまりにも分かり易いので、今でも、統計の翻訳をする時に、講座のファイルを見返すことがあるくらい)、当時の私にはまだ難易度高過ぎたと思います。てことで、当時は殆ど何も身につかなかったのでした(まあ、ずっと別の分野の仕事をしていたというのもあるかもしれませんが)。訂正、多少身についてくるまでに数年を要しました。
ICHや薬局方と言った規制の重要性も教えて頂いたのですが、「規制が大事」「統計避けられん」ということを実感できたのは、実際に医療機器の翻訳を始めたここ1年ほどのことです。講座が終了した時も通しで復習したんですけど、その時点では、先生の仰っていることのどこが一番重要か、なぜ重要なのかということが分かっていなかったのですね。あと、医薬翻訳に全く自信がなかったので、講師訳文訳語のみが正しいと盲信していた感もあります(もちろん、ため息出ちゃうほど完成度の高い訳文なのですが、翻訳に関しては、誤訳は別として、「これだけが正しい訳文」という状態は、まずないですよね)。
というわけで、そんな自分には「復習的にポイントを確認する講座の方が向いている」と(勝手に)思っています。

そんなこともありまして・・・って、以下やっと講座の感想です。

・ 訳文作成という点から言えば、個人的には、難易度はあまり高くなかった。
・ でも、基本を再確認することができたのはよかった。
・ 絶対的な翻訳量は少ない。もう少し多くてもよかった。

と言ったところが大きな感想です。
最初の頃は事前提出課題だったのが、最後の頃は当日提出課題になって、楽をしようと思えばどんどん楽ができるようになり、個人的に、仕事の兼合いという点では大変助かりましたが、正直「もう少し苦労させてください」という気持ちもありました。
てことで、基礎5回だけで劇的に力がつくということはないように感じました。「英訳の基礎」ですから、基本を身につける授業なのは当然ですが。あくまでも、力をつける取掛かりというか(英訳力をつけるには、勉強にしても仕事にしても、「量をこなす」ということは必要と思います)。そのことは、最後に講師先生も仰ってましたけど。

そんなわけでですね。
ここ1年ほど、英訳作業から遠ざかっておりまして、誰に言われなくとも、日々英訳の勘が鈍っていることはひしひしと感じておりますので(それは単に加齢のせいという説もある)、秋から1つ上の講座に進むことにしました。そちらでは1回の課題の量もかなり増えそうですので、仕事との両立が不安だったりもしますが、まあ、あと半年頑張ってみます。

そんなSayoを秋学期の教室で見掛けた方がおられましたら、Sayoは世を偲ぶ仮の名前ですから、できれば本名で呼んでやってくださいませ。
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2012.08.16 21:49 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
断っておきますが(断る必要もないか)、決して五輪観戦のみに明け暮れている訳ではなくですね、ぼちぼち仕事もしていますし、それなりに勉強も続けています。

がしかし。

今Sayoを悩ませる一番の問題は「初盆」なのでありました。

4年前の伯母(同居の父姉)の初盆は、母との関係が一番大変な時期だったので、何もしませんでした。とゆーか、初盆ということすら忘れていた私を、伯母ちゃん許してね。
昨年の母の初盆は、実家でお盆にやっていたのを思い出しながら、お盆期間中、仏壇の前に小机を置いて、乾物やお菓子のみ供えて終わりにしました。

今年もそれで乗り切ろうと思っていたのですが。
父方の遠い親戚から「初盆はきちんとしてあげないと」というお言葉があり。
「きちんと」というのは、翻訳すると「ちゃんと初盆の用意をして、お寺のご住職に実家に棚経参りに来てもらいなさい」という日本語になります。
両親が健在だった頃は、毎年お盆に棚経参りをして頂いていたのですが、ここ数年は色々ありましたので、お断りしていたのですね。それを、もう一度こちらからお願いする以上、ある程度きちんと「初盆の準備」をしないといけないよな~と、ネットなど調べてみましたら、うっ、結構大変かも。

どこまで準備するか悩みましたが、基本母の時と同じ感じのお供えにし、ご住職が(実家に)来て下さる日だけ、お膳や果物などの生ものを用意することにしました。電気ガス水道はまだ引いていますけど、食器やキッチン用品はかなり処分しましたので、精進料理はこちらで作ってタッパに詰めて持参する予定。生ものはその日のみお供えします。
お膳は、本当は四十九日まで使用したお膳を流用できるようなのですが、恥ずかしながらそんなことも知らず四十九日後に処分してしまいましたので、1回限りのことなんで金の亡者のSayoとしては随分悩んだのですが、楽天さん経由で購入しました(自宅で初盆をする場合は、葬儀社さんにお願いすると一式用意してくださるようですが、ウチは、仏壇や位牌は実家にあり、しかもそこには誰も住んでいないという変則型なので、「全部用意」はしないことにしました)。

そんなわけでですね。
棚経参りの12日まで、ちょっと気が抜けなかったりするのでした。
しかもですね。
本来なら初盆は7日に始まるものらしいのですが(で、15日まで)、まだ実家に行けてないし(これも、ご住職以外のお参り予定者(?)は私と旦那だけなのでできる技ですが<明日準備に行ってきます)。
不肖の娘をお許しください。

しかし、便利な世の中になったもので。
インターネット様がおられなんだら、
初盆には太刀打ちできなかったでありましょう。


最後に、ご参考まで。
私は既に他家の嫁の立場ですんで(なので実家に仏壇を置いている訳なんですが)、旦那実家に実家の仏壇を持って行くについては、心臓に毛が生えた私でも、流石に「それはまずいやろ」と思います(それもまた古い考えなのかもしれませんが)。そういう時はどうすればいいのかということを、位牌を作った仏壇仏具店さんで聞いてみました。
実家は浄土宗、旦那実家は浄土真宗で、微妙に違いはありますがもとは一緒ということで、旦那了承があれば(旦那実家のお寺さんにきちんと伝えた上で)旦那実家の仏壇に両親の位牌を納めることは可能だそうです。或いは、位牌は実家のお寺に納めて過去帳だけ持参するか。或いは、仏壇ではなく飾り台のようなものを用意してそこに位牌と過去帳をお祭りするか(と言って、仏具店の店員さんは、店頭に飾られた飾り台の方に意味深な視線を送るのであった<はいはい、ウチで買ってってことね)。仏壇はお性根抜きをして普通に処分です。

ていうか、その前に実家の処分だよね。
うっ、面倒くさ。

ていうか、その前に女子サッカーと女子バレーの応援だよね。
(たぶんレスリングで力尽きるでしょう)
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2012.08.09 19:23 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(4) |
というわけで、寝不足な今日この頃なのでした。

五輪のメダルで、初めてその名前を知った選手がいる一方、
期待された実力の出せなかった選手もあり、怪我に泣いた選手もあり。
一生懸命な姿に涙が出てくるのは、やはり年のせいか。

ここまでのmy bestはやはり内村選手の金メダル。
帰らぬ旦那を待ちながら(←仕事ですよ、仕事)ライブで見ました。
今大会初めて「どや」顔が見れて、本当によかった。

しかし、ここに、私が、密かにですね、勝手にですね、
「メダルを取って貰いたい」
と強く思う選手がいるのです。

それは、女子バレーボールの竹下選手。

シドニー五輪最終予選敗退を経験した唯一の現役選手で、
年齢的にもこれが最後の五輪かと。

竹下選手と言えば、個人的に、
「あまり感情を表に出さない」
というイメージがあります。(あくまでもイメージ、ですよ)
内には熱いものがありつつも、いつももう1人の竹下選手がいて、
外から冷静に竹下選手を見つめているような。
それは、竹下選手の元々の性格なのかもしれないけれど、
シドニー五輪の出場を逃したこと、その後暫くのアレコレも関係しているのかなと。
完全な憶測ですけど。

「Number」633号(平成17年8月11日号)を読み返していて
ふとそんなことを思ったのでした。
「Number」は永久保存版にしたいものだけ購入しています。
だいたいは夏冬の五輪特集号なのですけれど、
これは「天才少女伝説」という、天才と呼ばれる女性アスリートを特集した号。
ハッキリ言って、かなりミーハーな私。
その「Number」633号の、特集とは無関係の記事のひとつが
「敗北を抱きしめて。」(吉井妙子=文)
シドニー五輪予選で敗北した監督と選手のその後を追ったものでした。

シドニー五輪が開催された時はまだアメリカにいたので、
「女子バレーの連続出場がはじめて途切れた」
という事実しか知らなかったのですが、
当時の経緯&メディアの反応を、この記事を読んで初めて知りました。

以下の数段落中、「 」で引用しているものは、上記の記事からのものです。

シドニー五輪最終予選、勝てば五輪、負ければ予選敗退という対クロアチア戦。日本が2-1と王手を取っての第4セット。21-17からの逆転でこのセットを取られた日本は、5セット目も失い、五輪出場の道が閉ざされます。監督や選手のショックは、私のような凡人の想像を遥かに超えるもので、葛和監督(当時)は、予選から5年が経過した取材当時でも、「偶然にこのスコアになると、今でも条件反射的に身がすくんでしまう」と語っています。又、敗戦直後の控え室は、監督をして「阿鼻叫喚というのはこういうことを言うんでしょうか」と言わしめたような状態だったそうです。
そんなチームを、当時の新聞は、「戦犯」という言葉を使って叩いたと言います(実際に記事を読んだわけけじゃありませんが、様々な媒体でこの言葉が使われたことは事実のようです)。確かに刺激的な見出しの言葉には違いありませんが、その元々の意味を考えた時、軽々しくその言葉を用いることに異議を唱える人間はいなかったのかと、ちょっと(いや、かなりですけど)憤りを感じます。
「負けた責任は僕一人で負うつもりだった。でも、協会やメディアは選手も批判した。それが堪らなかった」と述懐する葛和監督は、一時心を病んでしまうほどにまで追い詰めらます。それは選手も同じで、竹下選手も、「これ以上、辛いバレーは出来ない」と一時バレーから離れます。外出する時は帽子を目深にかぶり、「犯罪者のような気分でした。電車に乗ると誰もが白い目で見ているような錯覚に陥るんです。しばらく他人と口がきけなかった」。チームの大型化を図ろうとする協会の反対を監督が押し切る形で全日本に招集された竹下選手は、「大型化に失敗」とメディアに書きたてられたことで、余計に責任を感じたのだと思います。
そんな日があったからこそ、4年後のアテネ五輪予選で「・・・アテネ五輪の出場を決めた瞬間、観客や他の選手が歓喜する中、この4人[シドニー五輪予選に出場した大懸、竹下、高橋、杉山選手]だけは泣きじゃくった」のだと。
そうなんです。感情を表に出さないように見える(←しつこいようですが、あくまでも個人的感想)竹下選手が大泣きしていたんですね(本帰国でばたばたしていた頃なので、TVは見ていませんが)。シドニー五輪予選の敗戦は、それほどに重いものだったのだと思います。
当時の選手たちは、(一時バレーを離れた選手も含め)、5年後にはその殆どが現役を続けていました。筆者は、「このままでは終われない」という思いがそうさせたと書いています。

その後、女子バレーボールチームは、五輪には連続出場していますが、満足できる結果を残せていません。竹下選手の中には、今でも「このままでは終われない」という思いがあるんでしょうか。
TV番組の取材で、「こんなにちやほやされているスポーツなのに、結果が残せていないことをどう思います?」と、インタビュアーに逆質問しているのを聞いたことがあります。「他のスポーツの選手からしたら、きっと腹も立つこともありますよね」(発言内容はこのとおりではありませんが、趣旨はこんな感じです)と。竹下選手は、誰よりも、人気だけが先行することが悔しく、「全力を出して、結果を残したい」と思っているのだろうなと思います。それも、ある意味アウエーの五輪の舞台で。その心の中では、やっぱり、シドニー五輪をともに戦った選手たちのことも大きな比重を占めているのかなと。
もちろん、勝手な憶測で、竹下選手の心の内は、竹下選手にしか分からないものですが。

ま、そんなわけで、密かに鋭意バレーボール応援中です。
昨日はロシアに惜敗しましたが、決勝リーグ進出はなったようです。

でも、たとえメダルが取れなくても、
あなたがこれまで寡黙に頑張ってきたことを、
知っている人は知っている。

そんな感じでですね、五輪出場選手の
「語られなかった五輪までの道」を特集した「Number」が出たら、
それも永久保存版にするのにな~。
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2012.08.04 12:55 | 好きなもの・こと | トラックバック(-) | コメント(3) |