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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

遥か昔、某社「ノンフィクション翻訳講座」に通学していた頃、先生に
「Sayoさんの訳文は冗長だね」
とよく言われたものです。
「解釈は間違ってないんだけど、説明過多気味」

そのクラスでは、自分の担当箇所の訳文を人数分コピーして行って、それに対して皆が
「その解釈は違う(その根拠はこう)」「どうしてそういう訳文になるのか」
等々ひたすら議論するという形を取っていたので
(なので、担当箇所でなくても、かなりの下調べが必要で、正直タフなクラスだった)、
他のクラスメートの訳文を目にする機会が何度もあったのですが、
中には「アナタ、何故ここに生徒として??」というような
磨き込まれた訳文を挙げてこられる方もおられて
(さすがに、その方は、共訳書も含めその後何冊も訳書を出しておられます)、
自分の訳文と比べて何度どん底まで落ちたか分かりません。
同じ英文からの訳文なのに、ぬりかべのような私の文章と違って、
リズムのある歯切れのいい文に仕上がっているというか。
メタボな旦那(←私の訳文)と比較した、
SP時のV6の岡田準一クンの鍛え抜かれた身体(←その方の訳文)というか。
分かり易い比喩でしょ(旦那本体をご覧になれば一目瞭然かと思いますが)。

どうも、つい、懇切丁寧に説明に走ってしまう癖が、私の訳文にはあるようでした
(性格はそんなに親切ではないはずなんですが)。
自分には書籍翻訳は向かないと思った理由のひとつです。


その「冗長さ」とはまた微妙に違うような気もするのですが、
実務翻訳に落ち着いてからも、
「つい親切に説明に走ろうとする」自分の暴走(?)をどこで喰い止めるか
という見極めはとても難しいと痛感する毎日を続けています
(を10年以上続けている、ある意味進歩のないヤツです)。

一応、文(時に文節)単位で、
「足さない、引かない」の訳文作成を心掛けている積もりではありますが、
時に、原文が不親切だったり新奇な方法について述べていたりして、
そのままの訳では「意味不明やん~(<少なくとも自分にとっては)」
な場合は、どうしても、「親切に走るわよ」魂がうずきます。

で、つい「こういう訳で言葉を補って訳しました」
とコメントを要する訳文を作成してしまうわけなんですが、
その「補完」は本当に親切なのか、
実は、事情をよく知る読者には「大きなお世話」以外の何物でもないんじゃないかと、
後でじめじめと悩んだりするわけです(秋雨の季節ですからね)。

翻訳会社さん経由でやんわり「不要よ」クレームを頂いたことはないので、
取りあえず、今の状態で宜しいのかなと都合よく考えるようにしていますが。
(間違っていたらすいません)

実は、前期の治験翻訳の英訳講座でも、
単語だったりフレーズだったりを、かなりばさっと「不要」認定されてしまったので
(あっても間違いではないということで、赤入りなかった部分もありましたけど)
「英訳でもアレコレ説明してしまう自分」を改めて再認識したのでした。

というわけで、最近、心の中で「冗長冗長」と唱えながらお仕事しています。
そうしたら、先日(医薬翻訳とは関係ないですが)
「冗長ビット」という言葉と遭遇してしまい、
微妙に心臓に悪かったりしたのでした。

あ、本ブログの文章は、概ねとても冗長です。
少ない息抜きの1つなんで。見逃してやってください。
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2012.09.18 20:12 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |