屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

翻訳関係に絞って振り返ってみました。

総括

自分の中で、初めて「在宅翻訳者した」と思える年だった。
前半はぽつぽつ失業したが、後半はほぼ切れ目なくお仕事を頂いた。
もちろん、そこは「My処理量」での「切れ目なくお仕事」なので、
全体量は聞かんでやってください。


反省と改善とそのまま継続点

[全体]

ネットサーフィンしたり、五輪の結果やフィギュアスケートの結果(速報)に一喜一憂したり、昼過ぎから深夜まで、だらだらと仕事をした。来年は、も少し全体のメリハリをつけ、なおかつ多少朝型にシフトして仕事をしたい(つーか、今からやれよ<自分)。

[仕事の仕方]

自分は特に何かに秀でているわけではないと思う。強いて言えば、しつこく調べきちんとチェックし納期に遅れないという、ごく基本的な部分で評価頂いているのではないかと思う。来年も、手を抜かずこのまま行きたい。その状態を継続するには、平均処理量は当面今のままで行くのが妥当と判断する。欲は出さないように自戒すべし。

[知識獲得]

自習
医学の基礎と考える分野の知識を継続して積み上げる、というのがここ数年の課題。今年は「ガイトン」2巡目を終え、生理学までは「どこかでお会いしたことありますね」と思えるくらいにはなったかなと思うが、生化学で足踏み中。来年も継続予定。これは性格的な問題もあろうかと思うが、個人的に「こうだからこうなる」が分からないと何となく気持ちが悪い方なので、自分にはある程度の基本が絶対必要と考える。というわけで、老眼に鞭打って勉強の日々は続く。

外部講座
父の四十九日を無事に済ませてハイになった勢いで説明会に申し込んだ月イチ講座をまだ続けている(2月に終わるので、その後、前回のようにちまっとまとめます)。自分の作成物を他人に客観的に見て貰う機会はなかなかないので、もう暫く続ける予定。講師先生が、説明会で、「和訳、英訳のどちらから始めるのがベスト?」という質問に対し、「今やりたいと思っている方から」のような返答をされていたが、当時の私の「勉強したいマイブーム」は英訳だった。そんな訳で、英訳講座受講中。

[翻訳全体]

具体的な時期を決めているわけではないが、「翻訳という仕事を辞める」ことを念頭に置きながら作業をするようになった年だった。40代は、仕事を減らせば介護とも両立でき、自分の中にも、少し勉強を頑張れば遅れは取り戻せるはずという気持ちがあった。しかし、50代を目前にして急激に体力が低下し、50代(特に後半)に、これまでと同様に、仕事を減らして2つを両立させる自信はない。そこで数年仕事を休めば、休んだところからの再開は、体力的にも精神的にも難しいと考える。よって、次の生活の激変が、仕事の辞め時になると考える。そこまで少しでも長く、仕事が続けられますよう。「仕事ができることは幸せ」なのだということ忘れずにいきたい。

[同業者との交流]

ブログを始めた昨年、何人かの同業者の方と、コメント欄やメールを通じてのお付き合いが始まった。2年目の今年、ちょっと勇気を出すと、そんな感じでユル~くお付き合いさせて頂く方の人数が増えた。
私は、例えば初対面者の集まりなどでは「話しやすい人」「真面目に見えて面白い人」と思われることが多いらしいが、自分から積極的にお付合いを開拓していく方ではない。ここ数年は、実家のこともあり、面と向かっての人付合いに関して言えば、引き篭もりに近い生活を続けていた(もともと出無精です)。そんな生活は、ある意味ラクだが、視野を狭め、「自分」という物差しで全てを推し量ろうとする危険な方向に向かう恐れがある。外部講座に出席しようと決めた気持ちの根底には、無意識のうちに、そのような危機感があったことも関係しているのではと思ったりする。

で、何でしたっけ、そうそう、同業者の方との交流でしたね。
そんな私に、ブログを通じての交流は、外に目を向ける、外に出て行く取っ掛かりを与えてくれたような気がする。ま~、根拠のない予感だけど。来年、どんな風に進んで行くのか分からないが、こうやってお知り合いになった方々とのお付合いはユル~く大事にしていきたいと思う。

[翻訳者的健康]

体調は、どこがどうというわけではないが、微妙に低調(もちろん、普通に仕事はできますし、日々の雑事も普通にこなせる程度のプチ不調です)。更○期の不定愁訴感もあるけれど。それでも、夫婦&義父母みな、それなりに元気で過ごせた1年だった。来年は、もう少し積極的に体力の底上げに取り組もうかと、ちょっと真剣に考えている今日この頃である。取り急ぎ、この慢性的な腰痛をなんとかしたい。


ということでですね。
最後は真面目に〆てみましたが、「屋根裏通信」は、来年も、概ねもっとユル~いいつもの感じで続いていくと思いますので、来年も時々遊びに来ていただければ大変嬉しいです。

そんなわけで、読みに来て下さった皆さん、
本当にありがとうございました。
少し早いですが、健やかに良い年をお迎えください。
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2012.12.28 12:13 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(6) |
年内滑り込みセーフで、お性根入れ完了しました。


てことで、今日も翻訳とは無関係の記事で
完全に我が道を行く「屋根裏」なのであった。


実家のお墓は、父母の結婚を期に、
「お参りも難しい山の中にあっちゃ不便やろ」
ということで、街中の、少しお付き合いのあったお寺の敷地内の墓地に移したものらしく、
従って、築(?)50年以上になります。

決して見苦しくはないけれど、雨風に曝されてそれなりに痛んでいますし、
何より骨壷を収める部分がかなりひどい状態になっていましたので、
旦那と2人「永代にする前にちゃんとせなあかんよな」という話はしていました。
「お父ちゃんの一周忌までには」

春はバタバタと過ぎ、夏はへろへろと過ぎ、ようやっと涼しくなった頃、「さすがにそろそろ動かんと一周忌には間に合わんやろ」ということで、さしも面倒臭がりのSayoも、やっと重い腰を上げたのでした。

10月に、お墓の前でお寺出入りの石屋さんと会い、
直して貰いたい内容を伝え見積もりを依頼。
(納骨時にお世話になり名刺を頂いています)

1週間ほどで見積り到着。承諾の返事。

お寺に連絡してお性根(魂)抜きを依頼。
(作業開始前に必要。お寺さんも忙しい時期だったようで、「こちらでやっておきます」という嬉しいお返事でした。しかしながら、石屋さんの話では、お性根抜きは、こちらの立会いを求めず、お寺でやってくださるケースが多いとのことです)

11月に、石屋さん作業場に持ち帰り作業。
(年内完成で依頼したので、ゆっくりの作業となりました)

12月初旬完成。

お性根入れは、お寺の都合で3連休まで持ち越されました。
(要立会い。気持ちの問題ですけど、きちんと「お布施」も渡します)

というわけで、年明け早々の一周忌を前に、
無事に墓石直しプロジェクトは完了したのでした。

で、アレですよね。
皆さんが気になるのは、たぶん
「それはいくらくらい掛かるのか」
ということですよね。

1 墓石洗浄、地下部分修復、花立て・線香立て新品と交換、玉砂利交換
→ 作業一式 約15万円
2 墓石に納骨者名を記名(祖母、伯母、両親の4名分)
→ 彫入れ作業等一式 約15万円

ということで、合計30万円弱ほど掛かりました。
(普通サイズの墓石です)

「どうせ先々永代供養にするから(修復)いらんやん」
と言ってくれる友人もいましたが
(Sayoにとっても、決して右から左の金額ではないので)、
普段ずぼらな旦那は、こういうところは意外にきちっとしていますし、
(微妙に信心深い??)
ここ数ヶ月は、父方の遠い親戚のおっちゃんから、時々
「あんたとこの墓石な、だいぶボロなっとるな」
と謎掛け電話もありました(近くに住み時々お参りして下さってます)。
私自身も「ちょっとヒドいかも~」と思っておりましたので、
無事修復が済んでホッとしているクリスマス休暇明けです。

そんなわけで、今日は「2012年総括」まで辿り着くことができなかったため、
「屋根裏」は年内あと1回更新される予定です。
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2012.12.25 15:31 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(2) |
CD Bookの聞流し終了。
なので、Sayo渾身の力作だい。
(単に長いだけと言う説もある)

The Clifton Chroniclesと呼ばれる5巻モノの第1巻だそうな。毎年3月に最新巻が刊行される予定で、現在2巻目(The Sins of the Farther)まで刊行済み。来年3月に第3巻が発刊される予定。

現時点で邦訳はない様子。
ストーリー&登場人物の説明はWikipediaに簡潔に纏められていました。

Only Time Will Tell→ 
http://en.wikipedia.org/wiki/Only_Time_Will_Tell_(novel)
The Sins of the Farther→ 
http://en.wikipedia.org/wiki/Sins_of_the_Father_(novel)

イギリス英語なので、最初はちょっと聞き取り難かったですが(人間関係もよく分からないし)、慣れてくるとさくさく進めることができました。分かり易い英語と思います。何よりも、ストーリーが波乱万丈ですから、一気に読めるかと思います。

Jeffrey Archerを作者読みしていた時期がありました。
読了した作品は以下のとおり。

Shall We Tell the President? (「新版・大統領に知らせますか?」
Kane and Abel(「ケインとアベル」)
The Prodigal Daughter(「ロスノフスキ家の娘」)
First Among Equals(「めざせダウニング街10番地」)
A Matter of Honour(「ロシア皇帝の密約」)
As the Crow Flies(「チェルシーテラスへの道」)
Honour Among Thieves(「盗まれた独立宣言」)

この他に短編集を何冊か。
あ、言うまでもなく、すべて日本語です。

読了した長編のうち、「新版・大統領に知らせますか?」「ロシア皇帝の密約」「盗まれた独立宣言」の3篇は、FBIエージェントなどが活躍するサスペンスもの。残りが、サーガと呼ばれる主人公の一代記です。
「Only Time Will Tell」は後者の範疇に含まれます。主人公Harry Cliftonは1920年生まれ。CD最後の著者インタビューでは、Archerは「Harryは全5巻に登場する」と述べていますので、最終巻の最後で95歳の現代に存命(予定では最終巻は2015年春刊行のはず)、という結末になるのかもしれません。Archerのみぞ知る、ですけど。ちなみに「Only Time Will Tell」の扱う時代は1920年~1939年です。

主要登場人物数名の視点から各章が語られ、各章の冒頭部分は、その人物の1人称で語られるという構成は「チェルシーテラスへの道」と同じ。Story tellingがマンネリ化しないし、意外な形で伏線が回収されたりするので、今回のような(超)長編には合っていると思います。

さて、本書の詳しいストーリーは、アマゾンさんの書評や上記Wikipediaさんに譲るとしまして、以下、思いつくままに感想など書き留めておきます。あくまで個人的な感想です。

その前に、ちょっとだけ人間関係を把握。
Harryは、港湾労働者Arther(故人)&Maisie Cliftonの一人息子ですが、Maisieが結婚直前に一度だけ関係を持った、船会社経営者Sir Walter Barringtonの息子Hugo の子供である可能性もあります。Masieは勿論そのことを息子に知らせるつもりはかったのですが、Harryが奨学生として入学した寄宿学校で親友となった少年GilesがHugoの息子だったことから、Harryの存在がHugoの知るところとなり、その後、Hugoは様々な形でHarryの未来への障害として立ちはだかります。一方、HarryはGilesの妹Emaと恋仲に。

主人公が数々の困難を跳ね除けて成長し、社会的にも成功するという基本部分は「ケインとアベル」も「ロスノフスキ家の娘」も「めざせダウニング街10番地」も「チェルシーテラスへの道」もほぼ共通しているのですが、そうした、少し間違えば既視感漂う焼き直し的ストーリーになってしまう恐れのある似たような物語を、別パターンで綴り、飽かず読ませる筆力と言いますかプロット組立て能力はさすがと思います。
同時代を複数人の視点から語るには、1つの時間軸の中で、それらの人物が別の場所で何をしどのように考えて行動していたかをきちんと把握しておかなければならないわけですが、時系列表でも作ってるんかと思われる緻密さで、Prestonさんに続き、この方の脳内も覗いてみたくて仕方のないSayoなのでした。

しかしながら、ストーリーは超一級ですが、人物描写について、ちょっともやもや感が残りました。それは、登場人物が、多分に「いい人」「悪い人」にかなりあっさり2分されているせいもあるからなのかなと。さらには本巻においてほぼ唯一の悪役と言えるHugo Barrington氏は、Harryの未来に立ち塞がるラスボスと呼ぶには余りにも小者に思えてなりません。ていうか、言うたらただの小心者の卑怯者やし。さらに、自分&家名&財産を守るためにこれくらいのことをやってのける人間は、恐らく掃いて集められるくらいはいるでしょうから、彼が悪役に分類されるのはちょっと不憫というのもあります。

逆に、「様々なものを犠牲にして息子を立派に育て上げようとした」と多くの人間から称賛されるHarryの母Maisieは、結婚直前に、好奇心も手伝って合意の上でHugoと関係を持っており、夫亡き後は、Harryにきちんとした教育を受けさせるために身を粉にして働きますが、途中ちゃんとステディな相手もできています。たぶん、Harryを身篭ったと分かった時に、Maisieが悩み苦しみ、自分の若気の至りを後悔した末に、この秘密は墓場まで持っていこうと決心するような描写があれば、Maisieが善き母として称賛され、Hugoが悪役として描かれることにも抵抗はなかったと思うのです。そういう描写が全くなかったために、最後まで、Maisieが力一杯称賛される度に、微妙にもやっとしてしまったのでした。

(以上の感想は、聞き取り間違いによる誤った理解の上に立脚している可能性がありますので、多少割り引いて聞いてやってください)

そんな私が一番好きだったのは、HarryのMentorであるOld Jack TarことCaptain John Tarrant氏。Old Jackはボーア戦争で24名の同胞兵士を救った功績によりビクトリア十字勲章を受章するのですが、その際11名の敵兵を殺した自分を許すことができず、浮浪者のような失意の生活を送っていたのですが、Harryが彼に出会った当時は、戦友であったSir Walterの好意により、Dockの夜警として廃車になった1等車に住んでいました。そんな彼が、幼少のHarryの中に天才を見出し、彼との触れ合いを通して救われていき(微妙に違うかもしれないですが、大体そんな感じ)、ついには再び元英雄Captain John Tarrantとして生きるようになります。

Old Jack Tarが訳書では何と訳されるのかはとても興味のあるところ。「オールド・ジャック・タール」になってしまうのかもしれないですが、もうちょっと捻ってほしいなあと思います。「そんならお前が考えろや」と言われてしまうと、不肖Sayoもいい訳語を思いつかず「オールド・ジャック」としてしまいそうですが。「人形使い」(ハインライン)で、皆から恐れられ慕われた組織のボス(の愛称)Old Manが「おやじ(ルビつき)」と訳されたような、或いは、「夏への扉」(同)で、今日のルンバによく似た自動掃除機hired girlが「文化女中器(ルビつき)」と訳されたような(←注:40年以上前の作品です)、そんなSayo的座布団1枚を期待。

そのOld Jackの死の場面も秀逸。
行方不明になったOld Jackを探し回ったHarryは、彼の以前の住まいである1等車両で、やっと、椅子に座っている彼を見つけると、彼の向かいに腰を下ろし、彼と出会ってからの日々を思い出します。その時点で、2人の会話がないことにちょっと違和感。そのうち、読者にも、だんだん、Old Jackは既に亡くなっているのだということが分かってきます。でも、彼の死は最後まで語られず、最後に、「Harryはそれまで人は死なないものだと思っていた(←ちょっと表現が違うかもしれませんが)」という形で、読者にOld Jackの死が知らされます。加齢と共に涙腺弱いSayoは、涙なくしてこの部分を聴くことはできなかったのでした。

こうして、Old Jackに肩入れ・・・もとい感情移入してしまうのも、彼については、その心の内(とその変化)がきちんと描かれていたせいもあるのかなと思います(もっとも、Maisieを初めとする他の主要登場人物の内面描写が不足しているんじゃないか思えるそのこと自体も、Archerのことですから「お話の都合上今はあまり詳しく描けない」ということで、2巻以降で、伏線回収的に語られるのかもしれません)。


そのような感じで、畏れ多くも大胆にも、「ここが残念」と言ってみたりもしましたが、それでも、全体として一級の物語だと思いますし、最後まで楽しませて頂きました。あと4巻もこのレベルを保ったまま行ってほしいです(生意気な読者です)。

そんな訳で、ドラマチックな一代記好きな方にはお勧め。
ただ、「え、そこで終わりですかい?」というところで話が終わり、この傾向はたぶん4巻目まで続くものと予測されるため、次巻の発行まで待つのが辛いかもです。
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2012.12.22 14:19 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |
今年も働くことになりました。ありがたいことです。

帰国後9回目の年末年始ですが、2ヶ月くらいどこからも誰からも全く音沙汰ない時期のあった年でも、実家関連の事情で、こちらから「年末年始は働けません」と申告した年以外は、必ず何らかの年末年始案件を頂いてきました。年末最終営業日に駆け込みでお電話を頂き、年明け早々に納品したごくごく短いものから、12月中旬にお話を頂き、分納を含め1月中旬まで掛かった長いものまで、内容・納期・量は様々でした。今年は、先週打診を頂いた、Sayo的には贖罪案件に続くちょっと大きな案件です。数回の分納を含むので、気分的にちょっと急き立てられる感はありますが、いつものようにぼちぼちと頑張っていきます(いや、すでに、ぼちぼちでは遅い感じですが)。

我が家は子供がいませんし、旦那がお節料理に食指を示さず(栗きんとんがあればよしという人です<実は力仕事だよ)、年末年始も(会社的には休暇でも)仕事に出たりPで始まる指の運動(分かる方は分かりますね)に精出したりしますし、外出といっても旦那実家帰省と初詣くらいですので、はっきり言って、年末年始かなり時間は作れます。人様が働かない今働かいでいつ働くよ、という感じですので、以前から、翻訳会社さんには「年末年始働けます」オーラは出してきました。その成果かもしれません。

一昨年くらいから、加齢と閉経の影響をモロに受け、身体のあちこちがガタガタし始めましたので、あと何年年末年始がっつり働けるか分かりませんが(いや、そもそも、世間的にはがっつりじゃない量だし、という説もある)、声を掛けて頂けることをありがたく思いつつ、働きながら年を越そうと思います。

振り返ってみると、特に年初バタバタと色々ありましたが、個人的には総じて「働いたぞ」な年でした。来年も、今の延長上で「働き、勉強し、たまに気分転換し」な状態を続けたいなと思いますが、義父母のこととか、自分の力だけではどうにもならない部分もありますので、そこはまあ、「なるようになる」てことで。
これまで私は本当に孤独に翻訳者してきたのですけれど、今年は主にブログを通じて何人かの同業者の方とお知り合いになりました。来年以降も、緩く長くお付き合いを続けていくことができればと願っております。

という感じで、ブログ納めのような記事になってしまいましたが、もちろん、「屋根裏通信」は残り少なくなった今年、まだまだ続くのであった(ほんまかい<とりあえず「Only Time Will Tell」(Jeffrey Archer)の感想は載せる予定<希望的観測)


あ、そうそう。
昨日はちゃんと投票行きましたよ。近隣小学校が投票所なので、学校で飼われているうさちゃんを構いついでに・・・「ていうか、順序が逆やろ、それ」(Sayo旦那談)。
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2012.12.17 16:15 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
ノンフィクションライターのRichard Prestonの書くnarrative non-fictionが好きだということは、このブログの中でも時々書いてきたかと思います。まあ、内容がメディカルに特化したものである場合が多いということもあるかと思いますが。

初めて手に取ったPrestonは、「The Demon in the Freezer」だったのですが、この本を読んだ時、ふと柳田邦男氏を思い浮かべました。それは、たぶん、私の中に柳田氏が「臨場感溢れるフィクションのようなノンフィクションを書かれる方」としてインプットされていたためと思います。

といっても、私が柳田邦男氏の著作に触れたのは20歳前後の短い時期で、その後は、特に理由があった訳ではないですが、柳田作品とは何となく疎遠になっていました。

その作品を又読んでみようと思ったのは、朝日新聞夕刊の「人生の贈りもの」という連載で柳田邦男氏が取り上げられたからでした。「人生の贈りもの」については、会議・放送通訳者の篠田顕子さん(の言葉)について書いた記事でちょっと触れています。

そこで、初めて、私が柳田氏の著作を読まなくなった後、彼がどのような人生を送って来られたかを知りました。息子さんを自死で亡くされ、奥様と離婚されていました(その後再婚なさったようです)。

私が著作を読んでいた頃の柳田氏はまだ40代。文章に筆の勢いの感じられる情熱の感じられる自信に満ちた語り口は(←あくまで個人的な感想ですが)、まだまだ様々な未来の描けていた当時の自分にぴったりだったように思います。

そんな柳田氏ももう70台の後半の年齢です(1936年生)。身近な方々との離別を経験され老境に達した今は、いったいどんな文章を書かれるのだろうと興味を惹かれました。

「新・がん50人の勇気」は、そのタイトルから察せられるとおり、柳田邦男氏が60名余の癌で世を去られた(概ね)著名人の、告知から死までの様子を、書物や家族その他親交のあった人たちへの取材を元に書き記したものです。

当たり前といえば当たり前ですが、語り口は記憶にある柳田邦男氏でした。

ただ唯一手元に残した昭和55年の作品「マリコ」と比べてみると、「マリコ」では「あれも伝えたい、これも書きたい」と情熱のまま饒舌に語っておられるような感じを受けますが(で、臨場感を伴って当時ぐいぐい読めた訳なんですが<これはこれで今でも面白いです)、本作は題材が題材ということもあるのでしょうが、淡々と書いておられる感じです。でも(こちらに氏の背景についての知識があるからかもしれませんが)、寄り添っている感も感じられます。
「品質をして語らしむ」という言葉(というか製品広告?)があったと思うのですが、それ風に言うなら、「本人をして語らしむ」という感じでしょうか。

本作について手短かに纏めることはとても難しい。
というか、そもそも纏める必要などないものなのかもしれません。誰もが、自分の体験と引き比べ、違った風に受け取り、違った部分に涙し、違った1節やひと言がそれぞれの琴線に触れる‐そんな本なのではないかと思います。私にとっては、「きちんと死ぬ」ということについて、さらに少し考えさせてくれた本でした。そして、変な話かもしれませんが、同時に「希望」を感じたのでした。

とはいえ、自分で紹介しておいてこう言うのも何ですが、決して旬のお勧め本ではありません。何と言いますか、自分で「読んでみたい」「読もう」と思った時が読み時な本なのかなと。
なので、様々な理由から皆さんの「読み時」が訪れるまで、この本は記憶の片隅にでも取っておいて頂ければと。


今日も非翻訳ブログ街道驀進中の屋根裏通信。
ありえん連投、てことで今日も寒波は続くのだった。
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2012.12.12 19:41 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |