屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

この先、電気機械(大雑把に物理)の分野についても書くかもしれませんが、
取りあえずは、「医薬翻訳」に限っての専門知識です。

どこまで必要かと言えば、それは、もう「キリがない」としか言えないSayoです。普段の自分の生活と仕事と折合いをつけながら、少しずつ知識を積み上げていくしかないのかなと。テクノロジーも然りですが、日々進歩する分野ですし。

2年ほど前に「仕事か勉強か」「仕事か勉強か ちょっとだけ続く」で「勉強はどこまで必要(と思う)か」について、ちょっと書いています。その後、実際に医療機器のお仕事をさせて頂くようになり、しみじみ思うことは、「勉強しとってよかった(解剖生理)」「も少しきちんと勉強しとったらよかった(化学<特に化学分析関連案件の場合)」ということ。

でも、それは、5年強「勉強しかできんのじゃ(怒)」な期間があったのでできたことで、もっと短期間に最低限の知識を仕込んで仕事を始め、仕事をしながらさらに知識を積み上げていくことも可能だと思いますし、そっちの方が実際的かなとも思います。結局は、自分がどんな性格でどんな状況にいてどうしたいか&今後生活がどう変わりそうか、ということも含めて考えて、「最初にどんな風にどこまで専門知識を取得しよう」という計画を立てるのが良いのかなと。いや、実は、「その時々の状況に振り回されて来ました」感のあるSayoでありまして、「どの口が言うだ」って感じなのですが。

その上でしつこく繰り返しますが、解剖学/生理学はやはり大事だと思います。

医療機器に限っての感想ですけど、この基礎があれば、(もちろん難易度の高いものは無理ですが)対処できる分野が広がると思います。製薬関連のお仕事は殆ど受けたことがないので何とも言えないですが、医療機器の仕事について言えば、解剖の基本が分かっているかいないかで、理解度がかなり変わってくるような気がします。関節や脊椎補強関連のお仕事も結構多いですし。

人体というものは、ホメオスタシスを保つために、全ての器官が調和して機能していて、たとえば、血圧上昇ひとつを取っても、数秒、数十分、数日という様々なスパンで、頚動脈(baroreceptor)だったり循環器だったり脳下垂体だったり(だったっけ?)腎臓だったりと、身体のあちこちが様々に反応して血圧を下げよう、つまりホメオスタシスを回復しようとけなげに努力するわけです(微妙に間違っていたらすいません<大筋はこんな感じ)。なので、人体をひとつのシステムとして考える必要があり、ある器官のことだけをピンポイントで詳しく理解しようとするやり方だけでは、どの器官系を中心に仕事をしていくにせよ、どこかで行き詰ってしまうような気がします。
それに、刺激や変化に対する人体の反応は、実際、本当に緻密で素晴らしく面白い(解剖学は暗記も必要なので力仕事(?)な面もありかと<実習試験もあっので頑張って覚えた)。

そんな私ですが、高校では生物をかすった程度でしたから、始まりは、高校生物の参考書でした。
その後は、「仕事か勉強か ちょっとだけ続く」にも書きましたが、Community Collegeに潜り込んで、

生物学(Community Collegeレベル‐英語)

解剖学と生理学の基礎(同上)‐先に生物学を受講する必要あり。

ヒトの疾患(同上)‐先に「解剖学と生理学の基礎」を受講する必要あり。

解剖学(同上)‐先に生物学を受講する必要あり。

生理学(同上)‐先に解剖学を取るか解剖学との並行受講が必要。

の順番で勉強しました。この他に「microbiology」という授業もありましたが、これも、解剖学を取らないと受講できなかったと思います。解剖生理を勉強する順番を考える時の参考になれば幸いです。そういう、興味のある講義だけつまみ食いできるCommunity Collegeに出会えた自分は幸せだったなと。その時は、仕事のできない自分の身の上を嘆いていましたが。

英語のテキストは平易で、内容も10年ほど前の標準的な日本語の教科書と比べて分かり易いように思いましたが、これは、私の読んだ(&頭に入らなかった)日本語の教科書が、医学部生を対象としたものであるのに対し、Community Collegeの教科書は、基本、看護師やparamedicなどの実務資格取得を目的とする生徒を対象としたものだったからかもしれません。

英語で学んでよかった点は、医学分野独特の接頭辞や接尾辞が感覚的に身体に馴染んだこと、英文を読む時に全体像を把握し易いこと。逆に、医学分野の独特な日本語の言回しが殆ど分からないままになってしまい、帰国後1年くらいの頃に受講した通信講座の課題のMy訳は、少なくとも最初の頃は(今読み返してみると)破り捨ててこの世に存在しなかったことにしたいくらいの出来だし、後々まで随分苦労しました。てことで、どちらも一長一短なのだ~。

これは、あくまでも、生物学に関する知識が殆どない、文科系出身者の体験を交えた感想ですので、そんな感じで1参考として読んで頂けたらと思います。


長くなってしまったので、解剖生理の教科書(和書洋書)については、経験とGoogle/Amazon探索の範囲で、また別にちょこっとまとめてみたいと思います。

そうこうしている間に、どさくさに紛れて(?)1月は去るのだった。
時間よ止まれ~(いろんな意味で)。
関連記事
2013.01.31 23:16 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(4) |
今、音読でフィギュアスケートの本を再読しているので、既読のフィギュアスケート関連本(の一部)をまとめてみたりなどしました。
(という予定だったのでした)

FROZEN ASSETS‐The New Order of Figure Skating(Mark A Lund)

ソルトレーク五輪後、何冊かのフィギュアスケート関連本が出版されましたがそのうちの1冊。個人的には、Show Businessという点では、1990年代後半~2000年代前半が米国の全盛期だったような気がします(今の日本のような盛り上がり方)。ホント、いい時代にいたよね~と旦那に感謝。

日本ではどのように報道されたか分からないのですが、ロシアペアが金メダルを取ってから(ジャッジ間の裏取引が曝露され)カナダペアが2個目の金メダルを授与されるまでの、米国での報道の過熱振りはちょっと異常でした。ロシアペアはジャンプで小さなミスをしたのですが、その場面ばかりが、ノーミスで演技を終えカナダペアが歓喜する場面と合わせて、何度も放映されました。ロシアペアには「ミスをしたのに金メダルを取ったことをどう思うか」というような質問がなされ(それを選手に聞くか!!??)、男性の方が「少しのミスをしたけれど精一杯滑った。順位はジャッジが決めること」とつたない英語で答えていましたが、「カナダが金メダルを取るべきだった」とでも言わせたかったんでしょうか。Gold medal was robbedと報道されてましたからねえ。
私は、G&Gの次にあのロシアペアが好きだったので、結果がどうこういうより、あの時のメディアの煽りを思い出すだけでフツフツと怒りが湧き上がって来ますワ。というわけなので、66.5%くらい割り引いて読んでください。
録画をMuteにして再生すると、確かにカナダペアはノーミスでemotionalな演技でしたが、ロシアペアの方が優雅でエッジワークなども難しいことをやっているように見えました。ミスはあったけど互角、どちらが優勝してもおかしくなかったと思います。現に、ジャッジも5:4の僅差でしたし(そのうちのフランスの1票が、アイスダンスの票と引き換えにロシアに投じられたということでした)。
Chamipns’ Gala(エキジビション)のロシアペアの「Kid」は本当に素晴らしかった。カナダペアのエキジビの演技はすでに忘却の彼方です。
2個目の金メダルは本当に後味が悪かった。北米人もそのように感じたのでしょうか、次のシーズンのStars on Iceでは、2組のペアが一緒に滑ったり2組によるデス・スパイラルを披露したりと、「仲良し」が強調されていました。ロシアペアはどんな気持ちで滑っていたのだろうと、その本心を想像するとこちらまで切なくなります(たぶん選手間にわだかまりはあまりないと思うんです。そういう演出を強いられることに対してってことです)。

という「怒り再び」がメインの話題ではなく、Mark Lund氏は、当時International Figure Skatingというフィギュア雑誌の編集長で、「ロシアペアへの金メダル」叩きの急先鋒だったということを書こうとして、つい熱い思いを語ってしまい、話が大きく逸れてしまったのでした。

で、「どない書いとんねん」的興味で買ってみたのですが、殆どがShow businessのinside story的な内容で、五輪のことについては殆ど触れられていなかったと思います(私が忘れているくらいなので)。多くの選手の談話が引用されているのが、「おお、こんな風に引用を表現するのね」という英語の勉強にはなります。


My Sergei – A Love Story(Ekaterina Gordeeva with E.M. Swift)
前にも一度触れたかなと思いますが、渡米して初めて読破した洋書です。G&Gのエカテリーナ・ゴルデーワが語った、最初の夫でパートナーでもあった故セルゲイ・グリンコフとのOn and Off the Iceの生活をSwift氏がまとめたもの。「愛しのセルゲイ」というタイトルで邦訳も出ましたが、今はもう廃刊かも。まだ英語のつたない頃のゴルデーワの話を聞き書きしたものなので、英語はかなり平易。ラブストーリー泣ける。たくさんの写真が懐かしい。


Edge of Glory(Christine Brennan)
1997~1998年頃の(主に)米国フィギュアスケーターたちの動向を描いたもの。田村明子さんのフィギュアスケートものを英語で読んでいる感じ、と言えば、彼女のフィギュアスケート題材のノンフィクションを読まれた方には「ああ、あんな感じね」とすぐお分かりいただけるのではないかと思います。読まれたことのない方には、「臨場感溢れるノンフィクション」と説明しておきましょう。長野五輪前後のミシェル・クワンとタラ・リピンスキーが中心。他に、キャンディロロ、エルドリッジなども登場。長いけど、英語はそう難しくないかと。


Inside Edge(Christine Brennan)
同じ著者の同系統の作品、というか、「Edge of Glory」の方が続編的な位置付けですが。1994年のリレハンメル五輪のナンシー・ケリガンVSハーディング(?)、ケリガンVSバイウルの話が中心。これを読んで初めて知ったのですけれど、バイウルとケリガンの金銀メダルのジャッジも僅差(5:4)だったのですね~。TVで観ていたはずなんですけど、全然覚えていなくて。バイウルのエキジビションの「白鳥」(でしたっけ?)+ペトレンコとの即席ペアの演技だけが記憶に刻み込まれております。


The Second Mark(Joy Goodwin)
これも、ソルトレーク五輪後に出版された1冊。ロシア、カナダ、中国(申雪&趙宏博)ペアそれぞれの生い立ち、ペア結成(「その国のやり方」のようなものも感じられ興味深かった)、五輪での演技、五輪後の動向をまとめたもの。中立な立場で書こうとしているという印象を受けました。普通に(?)面白かったです。


フィギュアスケート関連本はこの他にも、自伝など何冊か読んだのですが、手元にあるのがこれだけなので、あとは割愛。本当は、写真集や和書にも触れたかったのですが、ソルトレーク五輪に思いの外文字数を割いてしまったので、急遽タイトルを変更したのでした。
(いつかそのうち)「フィギュアスケートの本(和書・洋書)その2」に続く(予定)。
関連記事
2013.01.28 20:19 | フィギュアスケート(~13-14 season)  | トラックバック(-) | コメント(0) |
「英語力」の次はやはり「日本語力」だろうかと思いますが、日本語力については、そのものズバリのタイトルで、暫く前に書いてしまいましたので、そのコのカテゴリを「伝える」(現在「翻訳」格納中)に変更して対応すれば一件落着や~ん、と思ったりもしたのですが、それはあまりな手抜きだろうという自覚もありますので、気持ちだけでも付け足しておこうと、ない知恵を絞っております。

基本的なところは、前回の記事のとおりです。

翻訳者には、分野&文書の種類に合わせた日本文を書く能力が求められ、それは、やはり多くの書を読み(できてませんけど)、多くの専門文書を読む(できてませんけど)ことで培われるものと思います。とはいえ、実際の仕事では、原稿とともに参考資料をどさっと頂くことも多いので、完璧な状態でなくても仕事をしていくことはできると思います。慣れの部分も大きいかと。私自身も、非臨床試験報告書とは、医療機器関係のお仕事を頂くようになって始めて対峙したのですが、参考資料のおかげで何とか無事に納品することができました(その後、この案件は忘れた頃を見計らったかのような絶妙のタイミングでやってきますが、その時に頂く参考資料+過去の参考資料を元に作成したMy対訳資料を武器に戦っています)。

専門文書のごく一部になろうかと思いますが、たとえば論文なら、「CiNii Article」(http://ci.nii.ac.jp/)で、「CiNiiに本文あり」を指定し、自分の興味ある(あるいは勉強中の)検索語で論文を検索し、本文にオープンアクセスできる論文を読むという手もあろうかと思います。
仕事中の調査では、「とにかくググって探して調べて」作業になるので、CiNiiさんのお世話になることは殆どないですが、修羅場が終わった後で、CiNiiさんを検索して関連論文を読んでみることはあります。まあ、覚えていればの話ですけど。
同じような感じで、医薬品医療機器総合機構(http://www.info.pmda.go.jp/)で添付文書を検索し(殆ど医療機器ですが)、中身を読むこともあります。
これらの文書の「それらしい」表現を書写していたこともありますが、若かったからできたようで、今じゃ長いことペンを持つと疲れるのよね~(<言い訳)。

ただ、一番大切なのは、やはり「その言葉どうなの?」と考えてみることではないかと。

「何気に」という言葉がありますが、個人的には、この言葉にはどうも馴染めない。「何気ない」の間違いじゃないのかと思ってしまったりする訳です。でも、少し調べてみると、誤用とする意見もありますが、「『何気なく』『さり気なく』『何となく』と言った意味で使われ始めた若者言葉」という説明もあり、この言葉は、私が思うより広く世に認知され浸透しているような感じでした(1980年代に使われ始めたということで、そんな昔からあったのね~、とちょっとびっくり)。今の「何気に」は、新語/俗語/誤用のどれとも認定し難い曖昧な位置付けにあるような気がしましたが、たとえば、20年後、50年後には、もう少し意味合いがはっきりし、常用される言葉になっているかもしれません(個人的には、どのような状況で使用する言葉なのかという定義が今いちよく分からないので、今のところ、使用できずにいます)。

そんな私も、「ら抜き言葉」と言われる言葉「見れる」「食べれる」「寝れへんがな」などという言葉は、友達や旦那との会話の中では普通に使います。でも、きちんとした文章を書かなければならない場面では「使ってもダイジョブな『らなし』だったっけ?」と考えてから使うようにしています。(そういうMy線引きが適切かどうかは置いておいて頂いて、)自分の中ではformalな場面かinformalな場面かで微妙に使い分けているような感じです。

他に適切な例を思いつかず、「何気に」さんと「ら抜き」さんにご登場頂きましたが、それらが「こうあるべき」ということではなく、そうした出自(?)の今いち曖昧な言葉を「皆が使っているから」という理由で、何も考えずに常用することは、この仕事を生業とする者として、慎むべきことではないかと思うのです。気になった言葉を調べてみた後で、「普通はそういう用い方はしないけど、この状況では『遊び』的にちょっと使ってみようか」という使い方をすることは、個人的にはありかなと思いますが。
そんな風に、言葉に敏感になるということ、和訳者としては大事なことではないかと思うのです。
自戒の意味もこめまして。

そんな「アンタ何様」的にエラそーな態度のSayoですが、滞米期間も長くなった頃には、かなり日本語がアヤしかったりしたのでした。普段どれだけ英語を使う生活をしているかどうかに関わらず、駐妻友達の殆どがそうでした。ルー大柴さんほどではないにせよ、日本語とカタカナ発音英語混じりで話をした方が、話が通じ易かったからです。で、時々、ふと、「コレって、正しくは日本語で何て言うんだっけ」と考えて・・・すぐに出てこなかったり・・・
そんな訳で、本帰国も現実のものになった頃、「これでは帰国しても和訳の仕事ができんのちゃうか」とかなり真剣に悩みました。その結果、私は、「自分でお話を書く」という短絡的な結論に辿り着いたのでした。小中学生の頃は、そうやって書き散らしたりしていましたので。と言っても、ド素人の書くものですから、たかが知れてますけど。それでも、頻繁に辞書を引いたり(そして「明解君World」に嵌って戻って来られなくなるのだった)、広辞苑様に教えを乞うたり、「、」や形容詞の位置で真剣に悩んだりした日々は、日本語の矯正(?<そもそも矯正したのかという説もある)に、何がしかの役に立ってくれたのではないかと思ったりする訳です。なので、お話まで飛ぶ必要はなかろうと思いますが(飛びすぎです)、「思うことをきちんと書く」という作業は、結構、日本語を書く訓練になるかもしれないな~と思うのでした。
今は、取りあえず翻訳ひと筋ですが、そこから足を洗わなければならない時が来たら、またそちらの「素人の物好き」に戻るかもしれません。何かを「書く」ことは止められないかも。

てな感じで、てーしたことない文章で申し訳ないです。
関連記事
2013.01.23 20:19 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(6) |
ついこの間、「父が急逝しまして、仕事が・・・」とか書いていたような気がしますが、1年早いですね~、先週、無事に(といってもSayoと旦那だけですが)一周忌を終えました。

ここ5年程の間に3人ばかり送ったので、法事のアレコレについては、お布施の金額も含め思い悩むことはないんですが(2人だけなんで気楽ですしね<旦那実家はこうはいかない)、今回は、変則型(?)だったので、土壇場までちょっと悩んだりしたのでした。

一周忌に合わせて、祖母・伯母・両親計4名の喉仏さんの納骨も済ませました。

・・・おられたんですよ、まだ、全員仏壇の中に。
祖母なんか、もう13回忌も済ませたんですけど。

祖母の喉仏さんについては、父が、浄土宗本山である知恩院に収めたいなどという大それた野望(??)を心の奥で温めつつ延ばし延ばしにしているうちに、その父自身が病に倒れてしまい、そんなこんなでバタバタする内に伯母も亡くなりまして、その時点で、仏壇の喉仏は2つになりました。
その頃、すでに普通ではなかった母は、「仏壇に喉仏があるのは気持ち悪いので『燃えないゴミ』の日に捨てる」と言い出し・・・ある時を境に、実家の仏壇から喉仏は忽然と消えたのでした。
小心者で変に信心深い旦那とSayoは、「マジ捨てたんやろか?」「祟られるんちゃう?」とびびっておりましたが、母の死後、家捜し敢行時、2体の喉仏さんは、仏壇脇の棚の奥から無事救出されました(さすがの母も、燃えないゴミとして捨てるだけの度胸はなく、見えないところにしまって、取りあえず満足したようでした)。

そんなわけで、4人分溜まっていた喉仏さんも、父の一周忌に合わせてお寺に納骨して頂くことにしました。「まだ4人ともおられましたか」とご住職にはかなりびっくりされましたが。以前は、納骨スペースの問題もあって、簡単にはお願いし辛かったんですけど、2年ほど前に納骨堂が建立されたので、今ではその心配はありません。

しかし、ここにひとつ
「納骨料はどうすればよいのか」
という大問題が。

納骨堂ができた時に、父の名前で少しまとまったお金を納めた記憶はあるのですが、それで4人分納骨できるんか?・・・ということをですね、お寺さんにずばっとお聞きするのも何だか憚られます(小心者なので<しつこい)。
旦那は、「インターネットで検索せえ」と逃亡し(確かに、これまで、インターネット様には何度となく助けていただいているのは事実ですが)、「一周忌に4人分の喉仏も納骨する場合、納骨料やお布施はどうするのか」という変則パターンの回答がネット上にあるわけはありません(調べてないですけど、たぶん)。

これはもう、当日ある程度のお金を用意していくしかあるまいと覚悟を決め(←大げさ)つつも、何となく悶々としておりましたら、一周忌の前々日に、お寺さんからお電話がありまして、
「実は、納骨料は2人分しか頂いていないので、4人分になりますと、あとコレコレのお金が・・・」
といとも簡単に問題は解決したのでした。

そんなこんなで、4人分の喉仏さんは、無事にお寺の納骨堂に収めて頂くことができました。
懐全く痛くないと言えば嘘になりますが、まあ、ここはしょうがないかと。

だから、という訳でもないでしょうが、
その2~3日後でしたか、初めて苦しい思いをせずに母の夢をみたのでした。

母にはたいがいな仕打ちをしたという負い目がありますので(「仕方がなかった」と言い聞かせてはおりますが、やはり心の奥には、ひどいことをしたという思いがあるようです)、これまでは、しんどい時に母の夢を見るという感じでした。
夢の中で、私は別の場所から母の姿を見ていて、「お母さん、死んだはずやん? 何でまだそこにおるん?」となかなかに苦しい思いをしておりまして、目が覚めて「ああ、やっぱり夢やったんや」と安心し、「あかん、疲れとるな」と体調のバロメータにするような、そんな感じといいましょうか。哀しい母娘関係やなと言われてしまいそうですけど。

それがですね。
その日見たのは、まだ60台前半の頃の母の夢で、特に怒るわけでもなくごく普通にしていたので、私も、ごく普通に「まだ生きとったん?」と聞いてみたのです(注:まだ夢の中)。すると、母は「当たり前や、まだ若い時なんやから」みたいなことを答え、そこで目が覚めました。

それまでの夢では、私は、別のところから母の姿を窺っていて「何でまだそこにおるねん?」と自問自答していたのですが、その日初めて、(夢の中ですが)母と普通に会話したのでした。

まあ、たぶん、これからも、苦しい夢は見ると思いますけど。
ある日を境に劇的に心境が変化するということは、
淡々と続く普段の生活の中では、なかなか難しいように思います。

喉仏問題は、「何とかせなあかん懸案事項」として、
実は結構気になっていたのかもしれません。

そうして無事に一周忌は終わったのですが、
今年は、まだ母の3回忌、伯母の7回忌があるのだった。大変大変。
と気持ちだけ騒いでいるSayoなのだった。
関連記事
2013.01.20 22:15 | 両親のこと | トラックバック(-) | コメント(2) |
の話の前にですね、
翻訳者的Sayo的立ち位置の話を少ししておきますと、工場派遣翻訳者としてこの仕事の端っこに「はしっ」としがみついた時、私は、1年半ほどの通信・通学一般文芸書翻訳(英和訳)講座を終了していて、TOEIC 730点(そこで停滞)、英検未保持(今も未保持)、英語は読めて(多少は)書けるが聞き取れず喋れない、海外脱出1週間の旅を3回くらい敢行済み、翻訳者として自活したい気満々の状態でした(20年くらい昔<遠い目)。
その後、縁あって旦那と結婚し、在宅翻訳→旦那海外赴任帯同にて中断→在宅翻訳→介護で殆ど休眠、という状態を経て、ほぼフル稼働の今に至ります。
派遣翻訳を開始した当初は、基礎力の底上げを図ることには、あまり注意は払いませんでした(毎日必死でしたし、忙しい職場で残業もかなりあったので、正直、疲れて勉強する気になりませんでした)。結婚~海外赴任までの2年間は、和訳ばかりでしたが結構な量のお仕事を頂き、「ぴったりの日本語に訳す」という作業がただただ楽しく、「翻訳」というものについて、あまり考えたことはありませんでした。
海外赴任帯同で仕事を中断した時、初めてしみじみと、「5年後(当初5年の予定だった)、翻訳者として力を付けた状態になっているためには、何をすればいいんだろう」ということを考えました。
「自分はどんな翻訳者でいたいんだろう」と考るようになったのは、ここ2、3年です。
自分自身、多少OL時代からの預貯金がありましたし、何より家計的大黒柱の旦那がいましたので、こと「翻訳の勉強」に関して言えば、金銭的な心配をせずに「自分のためにどうしたい」という視点から、物事を考えることができ、その点大変幸運であったと思います。


ということで、やっと、本題の「英語力」に入るのだった。

えーと、ここでいう「英語力」とは、「大抵の文章を、ざっと読んで大意を取ることができる力」くらいの意味です(つまり「多読」で「精読」は含みません)。

これは、専門知識の習得についても言えることですが、「英語力、ここまでできれば完璧」ということはないと思います。それは「英語できます」と言う時の、(個人的主観的)「できます」レベルとちょっと似ているような気がします。
TOEICや英検といた資格は、派遣翻訳&直請けも視野に入れた場合は、アピールポイントのひとつにはなりましょうが、個人的には、これまで、それらの資格を持たないがために損をしたということはありませんでした。

で、「英語力」ですが。

今年1回目の英訳の講座の余り時間に、講師先生から、「とにかく英語に触れる時間を作って英語力の底上げを図ってください」というお話がありました。そうやって、自分の身体に蓄積したものが、将来の英訳時に必ず役に立つ、感覚的に「この言葉の方が適切」ということが分かってくるから、というような趣旨でした。TVドラマでも映画でも小説でも雑誌でも、とにかく自分が興味を持てるところから入ると長続きするから、とにかく出来るところから始めて続けなさいとのこと。留学して言語学を修められた先生の言葉ですので、説得力がありました。
そういえば、私も、多読はシドニー・シェルダンとかフィギュアスケート関係の本から入ったよな~、と懐かしく思い出したりしたのでした。

英語力がそう高くなくとも、もちろん翻訳者として仕事を始めることは可能と思いますが、その後は、仕事を辞めるまで、英語力の底上げを図り、それを維持する努力が必要と思います。少なくとも、それが私の目指すところです。

Japan Timesの編集長の方でしたか、以前、英語を使って仕事をするには、最低でも、積み上げた時に自分の身長と同じ高さになるだけの洋書を読まなければならない、というようなことを仰っていました(うろ覚えなので、ビミョーに違っているかも)。
そうやって考えてみた時、私は、趣味の本・小説・テキストすべて含めて、(仕事は別として)自分の身長の5倍くらいの洋書は読んだと思います(「聞流し」も2分の1として計算に含めるというズルをしました+周りに概ね洋書しかないという環境に6年間放り込まれたってこともありますが)。それでも、ミステリ集などは、一読して「???」なことも多々あり、まだまだだなあ、と思う今日この頃です(それとも、そもそも英語的感性が低いのか<自分)。

講師先生は、「英訳力をつけるために」ということでお話して下さったんですが、多読でちょこっと底上げしたMy英語力は、和訳でも役に立ってくれています。
まず、とにかく読むのが早くなる。そして、ざーっと読んで、取り合えず大意が取れるようになる。仕事で遭遇する文章が「???」なミステリ並みに難解なことはまずありません(不慣れな分野or専門的で難解、てことはありますが)。多読にも、多分筋トレ的要素があると思います。
この多読で身につく速読は、和訳の調査時にも役に立ちます。日本語でコレという資料がない時は英語の元資料に当たり、時にはそれを元に訳語を決定することもしなければなりませんし、FDAやASTMなどの規格/通達番号が示されていれば、その規格や通達の内容もさらっと確認しておく方が、安心して仕事に掛かれます。
さらに、実際の仕事では、非ネイティブの書いたなかなかスゴい英語に出会う可能性もありますから、文法を類推(?)したりスペルミスなのかそうでないのかを見極める能力も必要になってきます。そういう勘が養われるということもあります。
これらも、ある意味での「翻訳速度の向上」だろうと思います。年単位の時間が掛かりますけど。でも、ですね、たとえば10年翻訳の仕事を続けると考えれば、3~4年でそのレベルまで達することができれば、十分じゃないでしょうか。

講師先生の仰るように、「好きなところから始める」ことは大切だし長続きする秘訣でもあろうとは思いますが、それは「普通に英語を学ぶ」場合のこと。翻訳者としてきちんとやって行きたいなら、最初は「好きな分野の本を読む」から始めても、ある時点からは、様々な文章(概ね仕事をしたい分野に近い感じのきちんとした文章)をがむしゃらに読む必要があるのではないかと思います。それくらいの差別化を図って初めて、プロとして胸を張って「これだけの対価を頂きます」と言うことができると思うのです。

講師先生は、「楽しくやらなければ続けられない」と何度も仰っておられましたが、それは、生徒である私たちのヤル気を挫かないための配慮で、本当に仰りたかったのは最後に付け加えられた次の言葉ではないかと思います。いや、私の深読みかもしれませんが。
「こちらはプロなわけで、お金を払っても翻訳してほしいと思って貰わなければ駄目なわけですから、普通の人と同じことをしていては駄目です(細部は間違っているかもしれませんが、だいたいこんな感じです)」

かなりドキッとするひと言なのであった。


このカテゴリの記事を書くのは、めちゃしんどいということが分かりました。
ので、次は又今回の傷(?)が癒えた頃に。
エラそーなことを言っているSayoも、まだまだ道半ばであります。
関連記事
2013.01.16 16:05 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(6) |