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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「英語力」の次はやはり「日本語力」だろうかと思いますが、日本語力については、そのものズバリのタイトルで、暫く前に書いてしまいましたので、そのコのカテゴリを「伝える」(現在「翻訳」格納中)に変更して対応すれば一件落着や~ん、と思ったりもしたのですが、それはあまりな手抜きだろうという自覚もありますので、気持ちだけでも付け足しておこうと、ない知恵を絞っております。

基本的なところは、前回の記事のとおりです。

翻訳者には、分野&文書の種類に合わせた日本文を書く能力が求められ、それは、やはり多くの書を読み(できてませんけど)、多くの専門文書を読む(できてませんけど)ことで培われるものと思います。とはいえ、実際の仕事では、原稿とともに参考資料をどさっと頂くことも多いので、完璧な状態でなくても仕事をしていくことはできると思います。慣れの部分も大きいかと。私自身も、非臨床試験報告書とは、医療機器関係のお仕事を頂くようになって始めて対峙したのですが、参考資料のおかげで何とか無事に納品することができました(その後、この案件は忘れた頃を見計らったかのような絶妙のタイミングでやってきますが、その時に頂く参考資料+過去の参考資料を元に作成したMy対訳資料を武器に戦っています)。

専門文書のごく一部になろうかと思いますが、たとえば論文なら、「CiNii Article」(http://ci.nii.ac.jp/)で、「CiNiiに本文あり」を指定し、自分の興味ある(あるいは勉強中の)検索語で論文を検索し、本文にオープンアクセスできる論文を読むという手もあろうかと思います。
仕事中の調査では、「とにかくググって探して調べて」作業になるので、CiNiiさんのお世話になることは殆どないですが、修羅場が終わった後で、CiNiiさんを検索して関連論文を読んでみることはあります。まあ、覚えていればの話ですけど。
同じような感じで、医薬品医療機器総合機構(http://www.info.pmda.go.jp/)で添付文書を検索し(殆ど医療機器ですが)、中身を読むこともあります。
これらの文書の「それらしい」表現を書写していたこともありますが、若かったからできたようで、今じゃ長いことペンを持つと疲れるのよね~(<言い訳)。

ただ、一番大切なのは、やはり「その言葉どうなの?」と考えてみることではないかと。

「何気に」という言葉がありますが、個人的には、この言葉にはどうも馴染めない。「何気ない」の間違いじゃないのかと思ってしまったりする訳です。でも、少し調べてみると、誤用とする意見もありますが、「『何気なく』『さり気なく』『何となく』と言った意味で使われ始めた若者言葉」という説明もあり、この言葉は、私が思うより広く世に認知され浸透しているような感じでした(1980年代に使われ始めたということで、そんな昔からあったのね~、とちょっとびっくり)。今の「何気に」は、新語/俗語/誤用のどれとも認定し難い曖昧な位置付けにあるような気がしましたが、たとえば、20年後、50年後には、もう少し意味合いがはっきりし、常用される言葉になっているかもしれません(個人的には、どのような状況で使用する言葉なのかという定義が今いちよく分からないので、今のところ、使用できずにいます)。

そんな私も、「ら抜き言葉」と言われる言葉「見れる」「食べれる」「寝れへんがな」などという言葉は、友達や旦那との会話の中では普通に使います。でも、きちんとした文章を書かなければならない場面では「使ってもダイジョブな『らなし』だったっけ?」と考えてから使うようにしています。(そういうMy線引きが適切かどうかは置いておいて頂いて、)自分の中ではformalな場面かinformalな場面かで微妙に使い分けているような感じです。

他に適切な例を思いつかず、「何気に」さんと「ら抜き」さんにご登場頂きましたが、それらが「こうあるべき」ということではなく、そうした出自(?)の今いち曖昧な言葉を「皆が使っているから」という理由で、何も考えずに常用することは、この仕事を生業とする者として、慎むべきことではないかと思うのです。気になった言葉を調べてみた後で、「普通はそういう用い方はしないけど、この状況では『遊び』的にちょっと使ってみようか」という使い方をすることは、個人的にはありかなと思いますが。
そんな風に、言葉に敏感になるということ、和訳者としては大事なことではないかと思うのです。
自戒の意味もこめまして。

そんな「アンタ何様」的にエラそーな態度のSayoですが、滞米期間も長くなった頃には、かなり日本語がアヤしかったりしたのでした。普段どれだけ英語を使う生活をしているかどうかに関わらず、駐妻友達の殆どがそうでした。ルー大柴さんほどではないにせよ、日本語とカタカナ発音英語混じりで話をした方が、話が通じ易かったからです。で、時々、ふと、「コレって、正しくは日本語で何て言うんだっけ」と考えて・・・すぐに出てこなかったり・・・
そんな訳で、本帰国も現実のものになった頃、「これでは帰国しても和訳の仕事ができんのちゃうか」とかなり真剣に悩みました。その結果、私は、「自分でお話を書く」という短絡的な結論に辿り着いたのでした。小中学生の頃は、そうやって書き散らしたりしていましたので。と言っても、ド素人の書くものですから、たかが知れてますけど。それでも、頻繁に辞書を引いたり(そして「明解君World」に嵌って戻って来られなくなるのだった)、広辞苑様に教えを乞うたり、「、」や形容詞の位置で真剣に悩んだりした日々は、日本語の矯正(?<そもそも矯正したのかという説もある)に、何がしかの役に立ってくれたのではないかと思ったりする訳です。なので、お話まで飛ぶ必要はなかろうと思いますが(飛びすぎです)、「思うことをきちんと書く」という作業は、結構、日本語を書く訓練になるかもしれないな~と思うのでした。
今は、取りあえず翻訳ひと筋ですが、そこから足を洗わなければならない時が来たら、またそちらの「素人の物好き」に戻るかもしれません。何かを「書く」ことは止められないかも。

てな感じで、てーしたことない文章で申し訳ないです。
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2013.01.23 20:19 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(6) |