屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

前回「英訳の基礎」を5ヵ月間(月1回)受講した後、ちょっと物足りない感が残りましたので、続けて「英訳実践」講座を、さらに5ヵ月間受講することにしました。その5回目の授業が先日無事終了致しました(いや、終わってからもう2週間以上経っているんですけど・・・)。

「基礎」では「量的に物足りなかった」とか生意気なことを書きましたが、「実践」ではかなり量が増えました。テキストは「治験実施計画書」からの抜粋です(程度の情報は、HPにも掲載されているので、まあ、書いても大丈夫かなと)。
今回は、お仕事の忙しい時期と課題提出時期が重なってしまうことが多く、1つはその意味で、もう1つは、単語レベルではなく、パラグラフ全体の意味を日本語から英語に移し変えるという作業に苦労しました。日本語が分かり難い箇所もありましたので(と言っても、過去の技術案件の「訳分からん~MAX」レベルを思えば、カワユいものでしたが)。
深読みし過ぎたりして、分かり難い、しつこい訳文になってしまい(英訳でも冗長な癖はなかなか抜けんのだ~)、他の受講生の方の訳文を見て、「こんなシンプルにできるんだ」と目からウロコが落ちたことも一度ならず。和訳のお仕事の提出前のチェックでもそうですが、自分の訳文を推敲は、「しっくり来ないなあ」と思いつつも、ついそれまでの発想の延長で直そうとしてしまうため、その段階で大胆に発想を転換するというのは、至難の業です。最初から、シンプルで読み易い英文が書けたらよいのでしょうが、そこはやはり、対象分野のきちんとした英文を数多く読み、経験を積んで行くしかないのだろうなあと。

この先生の授業では、「なぜその言葉(動詞、前置詞、冠詞、単/複数など)を選んだのか」ということをしつこく聞かれます。なので、「こういう訳でこの言葉を選びました」ということが答えられるようにして授業に臨む必要があります(と書くと、もの凄い覚悟で授業に臨まなければならないように聞こえますが、そ~んなことはないです。私も自分でも「なぜこんな冠詞の間違いをしたんだろう」というようなミスを犯して「その時だけ寝てたみたいです」とばっくれたことがあります)。ただ、翻訳に臨む姿勢としては、本来そうあるべきですよね。意味なく選ばれるべき言葉など、本当はないはず(・・・理想ですけど)。なので、この講座を受講し始めてから、普段の仕事でも、「自分はなぜその訳語を使うのか」ということを以前より少し意識するようになりました。

もう1つこの授業を受ける中で印象に残ったのは、冠詞(定/不定冠詞)、単複数の使い方です。これは、私のみならず、多くの方が英訳を行う時に迷ったり苦労したりされる部分と思います。これらの使用に関して言えば、これまで自分の中には、基本的な用法を押さえた上で、基本用法に基づく「こういう場合は通例このように」という「まとめケース(?)」の中のどれかに当てはめながら英文を作成していく(+過去の経験からの感覚的な選択+Googleにて使用頻度確認)、という印象があったのですが、先生の「なぜ選んだ」攻撃に曝され、「(そのcontextで)その言葉を単数(或いは複数)にした時にその文がどのように捉えられるか」という明確な説明を繰返し聞くうちに、ちょっと考え方が変わりました。冠詞や単複数の使用に際して、(基本を外さないことはもちろんキモですが、)「その文章を書きながら書き手が連想しているものは単数なのか複数なのか、抽象的なのか具体的なのか」を意識して考えることも大切なのだと思うようになりました。「何を今更」って感じですけど、私としては、そんな「今更」なことを改めて再認識した講座でした(<って、先生が講座で一番仰りたかったことを外してしまっている可能性は大なんですが)。

もちろん、3時間x 5回の授業で、自分の書く文章が飛躍的によくなる訳ではなく、課題の量も「多い」とは言っても、仕事レベルの多さではありません。本当の「実践」はこれからの自分に任された訳なんですけど、「考える」切掛けを与えて頂きましたし、他の生徒さんたちともかなり意見交換することができましたので、個人的には実りある講座でした(正直、「実践」全然進んでいないんですが)。

前の記事でも書きましたけれど、先生は言語学を修めておられることもあり、私たちの質問に対する「こういう理由でこちらの前置詞の方が望ましい」とか「こういう理由でその言い方は馴染まない」という説明がとても明解で、「業界ではこういう使い方をするから」だけで済まされないところが、「こうだからこうなる」の好きな自分には合っていたような気がします。

という訳で、この先生の和訳の授業も受けてみたくなり(先生ご自身は、実は「もう来るなよ~」とか思っていらっしゃるかもしれないんですけど)、4月から始まる和訳の講座に申し込んでしまいました。でも、私、(この講座の)和訳は始めてなんで、「Sayoさんは判定試験受けてね♪」ってことで、近々試験を受けなければなりません(また「基礎」から学べばいいんでしょうけれど、早割だの修了生割だのを使い倒しても、やっぱりなかなかにお高いので~)。なので、試験に落ちて、春から不遇を託っているかもです。その節は、どうぞ笑ってやっておくんなさいまし。
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2013.02.25 22:10 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(10) |
なのだ~(休んでばっか)

りんごうさちゃん


撮影:旦那さん同僚

旦那さんの同僚が、アメリカで初遭遇以来野生のうさちゃん一般に実らぬ恋心を抱くSayoのために、ドイツ(たぶん)で撮ってくださった写真。「走ってきて」「様子をうかがって」「ぱくつく」3部作(?)の最後の1枚。
著作権の問題もあり(?)、旦那に掲載を打診したところ(このブログの存在はヒミツなので、「Facebookに載せたいんだよね~」と偽った)「ええんちゃう? 写真を撮ったことすら忘れてると思うで」とのお墨付き(?)を頂きました。
ドイツのうさちゃんはドイツ語で「きー」とか「きゅう」とか啼くそうです(<啼かへんて)。
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2013.02.23 13:53 | 好きなもの・こと | トラックバック(-) | コメント(6) |
なるものに初めて参加させて頂いたのでした。
なので、ついに面が割れてしまい(ただの地味なおばさんですが)、大阪周辺で悪いことはできなくなってしまったのでした(<してませんが<今後の話)。

これまで、1対1で他の翻訳者の方にお会いしたことはありましたが、一気に6名、しかも全員が医薬(医療機器含む)翻訳に何がしかの関係がある方ばかりで、これまで隠遁生活を送っていたSayoは、名刺交換&自己紹介の段階で、すでに圧倒されてしまっていたのでした(私だけ名刺なかったし<については、また別記事に致します)。
お料理は美味しかったし(幹事さん、ありがとうございました)、皆さん気持ちの良い方ばかりでしたので、時間の経つのが本当に早く、仕事は結構修羅場っていたのですが、あのケーキのためだけでも(<そこかよ<とここでもツッコミ入れておく)何とか時間を作って出掛けて本当によかったと思いました。

皆さんの語られることには、共感する部分、感心する部分、そして「そこは私と違う」という部分、色々ありましたが、たとえ「違う」と思われることでも、それはその方の考えや経験に裏打ちされたものであり、「そんな考え方もあるのだなあ」と素直に頷くことができました。置かれた状況や働き方が違う以上、皆の考えが少しずつ違うのは、当然のことと思います。それでも、互いに相手をリスペクトしながら自分の思うことを口にすることのできる、自分のこれまでを省みて必要な変化に繋げることのできる、そして楽しいこういう時間の存在を、私は長いこと忘れていたような気がします(友達とのお喋りは別ですが)。皆さん、本当にありがとうございました。

とはいえ。

10年前の自分が、このような場に呼んで頂いたとしたら、こんな風に、心静かに(?)「私も頑張らなきゃ」と密かに握り拳などしながら、自分を見つめなおすということはなかったと思います。

何事もきちんと自分で管理できるように進めたい性格の私は、自分なりの考えを持って仕事に対される皆さんのお話を聞いて、「皆さんのように頑張らなきゃ」と思いながらも、同じように進められない自分がもどかしく、「全然進歩がない」とただただ焦ることしかできなかったと思うのです(この辺りは性格的な問題だと思うんですけどね)。でも、本当は(1個前の記事のイチローさんではないですが)、努力だったり進歩だったりは周りが評価するもので、自分自身で評価するものではないんですよね。

そういうことが少し分かって来るまでには、翻訳者としての経験とは又別に、私には40代の10年間という時間が(色々な意味で)必要だったような気がします(今も「途上」ではありますが)。

「仕事としての翻訳を止める」ことを意識し始めてから、「最後までどんな翻訳者でありたいか」ということを少しずつ考えるようになりました。そんな期間があってから、「止めるまでに色々発信しておきたい」という気持ちが強くなり、元来引込み思案ですが(どこがやねん、というツッコミはなしね<という声は空しく響くのだった)、できるだけ他の同業者の方々ともお話してみたいと思うようになりました。そんな時期と、関西の女性翻訳者さんとの交わりが活発化した時期がシンクロしたことは、本当に幸運であったと思います。
「止める」ことを意識したとはいえ、明日にでも止めるという訳では勿論なく、できる限り様々に手を尽くしてしがみつく積もりではおりますので(でもって、結果的に「あと10年やりました」なんてこともあるかもしれません)、今暫く「屋根裏通信」&Sayoをどうぞ宜しくお願い致します。

残りの修羅場に戻るべさ。

あ、その前に。
先日お会いしたtomokoさんの「at home」を「リンク」のページにお迎えしております。
お時間のある方は、最後は屋根裏リンクより退出なさって頂ければと思います。
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2013.02.21 17:09 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(6) |
すでにお気付きの方もおられるかと思うが、私は、結構新聞が好き。
我が家では、日経新聞と朝日新聞の2紙を購読している。あとネットで読売新聞(一番のお目当ては「発言小町」だったりする<ってそこかよ<自分)。
ネットで読むか紙版で読むかというのは、個人の好みでいいと思うのだけれど(購読料も決してお安くないしね)、私は、時間がある時は、見出しの付け方や配置や微妙な大きさの違いなんかも、結構面白く見ている。

という話題がメインではなくて、ですね。

今日の日経新聞には、特集として、紙面一面分を割いてイチローのインタビューが掲載されていた。題して「イチロー惑わず」(もう40歳だそうです<そりゃ、Sayoも年取るはずだ)。

最初から最後まで読んでこそ、その人の伝えたいことや考えていることが伝わると思うので、やはり全部を読んで頂きたいなと思うのだが、2箇所特に心に残った部分があったので、取り合えず切り取ってみました。

「努力をすれば報われると本人が思っているとしたら残念だ。それは自分以外の第三者が思うこと。もっと言うなら本人が努力だと認識しているような努力ではなく、第三者が見ていると努力に見えるが本人にとっては全くそうでない、と言う状態になくてはならないのではないか」

「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。日本語でも自分の感覚や思いを伝えることは困難だと感じている。それが外国語となれば、不可能に等しい。英語で苦労する以前に僕は日本語で苦労している」

(日本経済新聞2013年2月13日)

個人的には、「好き」「嫌い」という範疇でくくれない「凄い人」という印象です。ご本人は、自分が特別凄いことを考えたり言ったりしているという感覚はなく、自分にとってはごく普通のことを述べておられるような気がしますが。
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2013.02.13 13:56 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(4) |
を始めたのだった。

ユルい繋がりの翻訳者さんたちの集まりの末端にぶら下がらせて頂くことになり、Facebookで立ち上がったその集まりのグループに混ぜて頂くためにFacebook始めましたというのが正直なところ。

こういったものに疎く小心者の私は、メールが来たといってはおたおたし、お友達申請を頂いてはおろおろし、「いいね」ボタンを押すだけでどきどきしている体たらくなのだが、確かに、多人数のグループのメンバーに情報を周知したり、催し物に参加者を募ったりという場合には、なかなか便利なツールだと思う。

実はFacebookのアカウント自体は2年ほど前から持っていた。
その頃海外に赴任することになったかつての勤め先の後輩が、「Facebookの方が連絡取りやすいですし、友達申請して貰えれば僕の日記も見れますから」と勧めてくれたものなのだが、アカウントを取得してログインした瞬間に、Facebookさんから、たくさんのFacebook利用者について、「この人は知り合いではありませんか?」と尋ねられ(確かに殆どが多少は知っている人ではあったのだが)、「なぜにお前(=Facebook)がソレを知っている?」と怖気づいてしまって、そのままにしておいたのだった。
そのアカウントが、今になって役に立つとは。
んなわけで、件の後輩とも2年の時を経て、無事に繋がることができた。そしたら、その友達の中に旦那の会社での後輩がいたというオマケまで付いてきたのだった。旦那とSayoの後輩は、いちおー顔見知りではあるけれど、全く接点はない。本当に、人間悪いことはできないのだ~(してませんけど)。

他の方たち(時にはそのお友達)が書かれたり紹介されたりした記事を読むのは楽しいし、ついつい高校大学会社員時代の友人探しに時間を費やしてしまったりもするのだが、「自分の情報もそうやって見られている」と思うと怖くなったりする。こちらから発信することを考える場合、「見られる」ことを意識して使った方がいいツール(<取り合えず自分としては)かなと思う。もう少し肩の力を抜いてもいいのかなという気もするけれど、まだ肩の抜き具合がよく分からない小心者の旧石器時代人Sayoなのだった。
そんなわけで、今のところ、Facebookは静観という感じ。主にグループ関連の情報を閲覧するという使い方に落ち着いている(グループに投稿があると、メールで通知が来るので)。自分の代わりに文明の利器全般に対応してくれるドラえもんのポケットがほしいSayoなのだった。
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2013.02.10 20:52 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(8) |