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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

いちおー、最近読んだ「名もなき毒」をタイトルにしてみましたが、宮部さんの作品はかなり読破しているので、宮部作品全体について書きたいと思います。まあ、私のことですから、「あの作品のココがいいの~」を連ねただけの記事になりそうな気もしますが。

「告白」でも書いたように、宮部作品は、ざっくり纏めてしまうと、「(ハッピーエンドであろうがなかろうが)一応の解決がなされ、その後の主要登場人物の様子がちょっとだけ描かれ、その後の彼らの人生が読者の想像に委ねられる」という収束の仕方をします。登場人物の中には、「心に闇を持ち最後まで救われない」人々も登場しますが、ラストシーンで、「心の闇に苦しみながらも遠くに光の差し込む扉を見つけるところまで辿り着いたのではと思われる」人々も登場します。
宮部さんの作品を読むと、どんな重い題材が扱われていても、最後に「それでも生きていれば、もしかしたら、いいこともあるかもしれない」と思えます。もちろん、これは私の個人的な感覚ですし、作品によって「救いがない」度の高いものもありますが(前記事のコメントで話題に上っていた「模倣犯」もそうかなと思います)。

「名もなき毒」は、「誰か」という作品の主人公だった杉村氏が再び登場します。
宮部さんの作品には、このように、「長くシリーズ化するほどではないけれど、あの人(達)をもう一度」的に以前の作品の登場人物が再び主役(級)として登場することがよくあります。たとえば、「模倣犯」→「楽園」(前作の主要登場人物の一人が主人公)とか、「パーフェクトブルー」→「心とろかすような」とか。作中登場人物に凄く愛着を感じてしまって、「もう少しこの人物について語りたい」と次の作品を書いてしまわれるのかな~、などと勝手に想像したりしています。

「名もなき毒」は、「無差別青酸カリ殺人事件」(の謎解き)と杉村氏が個人的に関わる「詐称アルバイト行動エスカレート事件」(青酸カリの方も、被害者遺族を介して関わるようになるんですが)が、ほぼ同時進行します。この詐称アルバイトの女性、ひと言で言ってしまえば「かまってちゃん」なのですが(その発想は私には理解不能)、ある意味凄い存在感なので、青酸カリ事件の方が少し霞んでしまったような印象です。こちらの犯人は、人生何もかもがうまくいかなくなって、病んだ身内を楽にしてやりたいと青酸カリを入手するのですが、「ばあちゃんは何も悪いことをしていない、死ななければならないのは、ばあちゃんじゃない」と無差別殺人に走ってしまいます。その気持ち、「分かる」と安易には言えないですが、何かが切っ掛けで、物事が悪い方に転がっていくという「一瞬の針の振れ」は少し分るような気がします。人間誰しもが心に抱える(そして通常はそれなりに飼い馴らしている)「毒」が、処理できずに噴出してしまった極端な結果が無差別殺人であり、その「毒」に身内から喰い尽くされてしまったのが、「かまってちゃん」の女性なのかなと、そんな風に思います。暗い話ではあるんですが、それでもやはり、ラストでは「正しく生きるのは馬鹿みたいな世の中だけど、正しく生きてみようか」と思わせてくれます。
個人的には、杉村氏と秋山氏(今回杉村氏と組んで事件を解決した新進気鋭のジャーナリスト)のコンビ+杉村氏の義父(杉村氏は超のつく逆玉で、義父は巨大コンツェルンの会長です)に、もう一度登場してほしいような気もするのでした。

そんな訳で、「面白い」という言葉を当て嵌めてよいのかどうか迷う宮部作品ですが、ストーリー構成力と筆力で一気読みできることは確かです。

「これ」という1作を挙げるのは非常に難しいのですが、小動物好きのSayoとしては、「人間の言葉を喋る子猫」の登場する霊験お初シリーズの「天狗風」は外せない。こやつの喋る、「ローティーンが粋がって大人の振りをしています」的べらんめえ言葉(&台詞)はたまりません。

そして、超能力者青木淳子が主人公の「クロスファイア」。もっと後期の作品の方が完成度は高いんだろうなとは思うのですが、念によって対象物を燃やしてしまう淳子が、その力でもって「処刑」を行うシーンは(<そこかよって感じですが)、読みながら頭の中に映像が浮かんでくるという意味で、凄い。若い頃は、結構ハードボイルドなものも読みましたが、たとえば、動作などは映像変換できても、「背景も含めて脳内映像変換できる言葉による説明」というものは、そうそうなかったように記憶しています。ので、「宮部みゆき、ハードボイルドも行ける~」と驚愕した作品でした。

個人的には、やはり「時代物」が一番好き、というか気楽に読めるような気がします。
前記事のコメント欄でもやり取りありましたが、現代モノは、どうしても「今の自分の状況」と比べて読んでしまう部分が多く、途中気楽に読めない場合もあります(その分、ラストの「でも捨てたものではないかも」感は大きいのですが)。その点、時代物は、そもそも設定が違うので、おどろおどろしい話でも「お話」として読めるような気がします。

そんな感じ(どんな感じですねん?<自分)で、GWも終わろうとしている午後なのでした。
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2013.05.06 16:22 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(16) |
GWですが、ぼちぼちと仕事をしています。
昨日は、懸案事項だった実家の雑草引きと大型ゴミ捨て(清掃工場持込み)が済んだので、今日は気分はだいぶスッキリ。と言っても、ゴミ捨てに関しては「大河の三滴」くらいの感じですが。捨てられるものはかなり捨てたので、そろそろ父の蔵書に手を付けないかんな~と思っています。ハッキリ言って、蔵書が片付いたら、我が家はかなりスッキリしそうな気がする。先日は、蔵書の間から聖徳太子様(古い1万円札)がお出ましになりましたので(ヘソクリかいっ!)、宝探し(?)と思ってぼちぼちやることにします(聖徳太子様は、銀行にて無事諭吉様に変身なさいました)。


さて表題の作品。

「名もなき毒」(宮部みゆき)と並行読みしたので、2作を比べながら読むことになりました。

「比べながら」と言っても、もちろん、どちらが優れているとか、そういうことを比べていた訳ではありません。「告白」という作品そのものは、個人的には「好き」とは思えなかったのですが、それは、主に、終わり方とか、全体を覆う閉塞感とか、救いのなさとか、そういう部分が好きになれなかったということで、湊さんの作品はこれが初読みですが、次々と視点を変えて様々な人物の語りによって物語を作り上げていく構成力とか、そもそもの着想とか、(もちろん文章力も含めて)凄いなあと思いました。文章そのものも、「引掛りなくさくさく読めた」という点で、自分に合った文章だなとも。どうも、「自分にとって読みやすい文章とそうでない文章」というのがあるようで、個人的には、例えば、伊坂幸太郎さんの文章はとても読みにくく、読破するまでに時間が掛かってしまうのです。凄いストーリーテラーだなとは思うのですが。それは多分、特に地の文の文章の癖とか細かな言葉の選び方とか間の取り方とか、そういうことなんだろうなと思います。

で、「告白」ですが。
Wikipediaさんを始め、各所で内容も紹介されていますし、映画化もされましたので、詳しく粗筋を記すことはしませんが、中学校の女性教師が、退職日に「事故死処理された娘は実はこのクラスのAとBに殺された」とクラス全員の前で2人の生徒を糾弾する章に始まり、クラス委員長の女子生徒(後に少年Aにより絞殺)→ 少年B(母を刺殺)の姉 → 少年B → 少年A → 再び女性教師の各人の視点で、話が語られるという構成のお話です。「少年A、Bが犯人である」という事実に疑問の余地はなく、女性教師の糾弾の結果、生徒たち(特に少年A、B)がどうなって行くのかに焦点が当てられていて、それらが当事者の口から語られます。

どんな小説でもひと言にまとめるのは難しいのですが、この小説を読んだ感想は「救いがない」というものでした。ストーリーの性質上ということもあるのでしょうが、登場人物の「闇」の部分が強調されていて、「よかったね」とホッとできる部分がないのは、精神衛生上かなり辛いです。

「その後」の想像を全部読者に委ねるような(本書の場合は、女性教師によって最後の鉄槌を下された少年A、心を病んだと思われる少年B、そして教師自身のその後、ということになるのかなと思います)お話の終わり方は、あまり好きではありません(この作品が、ということではなく、一般的な好みということですが)。個人的には、(ハッピーエンドであろうがなかろうが)一応の解決がなされ、その後の主要登場人物の様子がちょっとだけ描かれ、その後の彼らの人生が読者の想像に委ねられる、という収束の仕方が一番好きです。

この作品の怖いところは、全章が、語りや作文や日記やHP掲載手記といった、読者(聞き手)を意識した「語りかけの形で書かれているため、一人称でありながら、どこまで真実が語られて(書かれて)いるか分からないところ。研究バイアスではないですが、読者を意識すれば、誰でも「自分を正当化しよう」「書きたく(言いたく)ないことは切り捨てよう」という意識が働くと思いますので。そういうやり方は、作者が意識してされたことに違いないので、やっぱり、湊かなえという人は凄いと思います。

で、またまた「名もなき毒」との対比ですが。
こちらの作品でも、人の「闇」は描かれていて、登場人物の中には、闇に食い潰されてしまった人もいるのですが、お人好しで闇が少ない人もいて、「そうだね」「よかったね」な部分も多く、なおかつ好みの(↑)終わり方をしてくれるので、個人的にはこちらの作品の方が好きです。

湊かなえさんの描かれた「闇」は怖ろしいと感じるのですが、宮部さんの描かれた「闇」は哀しくて、読み返していて泣いてしまう時があります。
湊さんは、「今はこんなことが普通に起こるおかしな世の中なんです。おかしくないですか」と、どちらかと言えば問題提起的にお話を書かれているような気がします。これに対し、宮部さんは、「こんなおかしな世の中なので、誠実に正しく生きていくのは難しいし、馬鹿みたいかもしれないですよね。でも、そんなに捨てた世の中と人ばかりではないのかもしれません」という部分を強調されているような。あくまで主観的な感想ですが。どちらがよいとか悪いとか、優れているとかいないとか、そういうことではなく、書きたい思いを形にする場合のアプローチの違いなのかなーと思います。でもって、お人好しなSayoは、どちらかと言えば宮部さんに同調してしまうのでした。

というわけで。「告白」(湊かなえ)。面白いと思います。でも、好みは分かれるかな~、とも思いました。以上、勝手な読書感想文でした。
「名もなき毒」(+その他宮部みゆき作品)については、またそのうち日を改めまして。
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2013.05.02 14:56 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(6) |