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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

無理やり繋げてみたいSayoなのだった。

実際は、佐藤さんの描写や選手インタビューの言葉の中に、「無理やり」ではなく、「あ、ここ同じかも」と思える部分がいくつもあったのでした。そもそも、一流アスリートの方たちと自分を一緒くたにするところからして間違っているよなとは思うのですが、そのいくつかを挙げておきます。すべて、同書の文庫版からの引用です。

(1人で練習する朝原選手を見学しながら)
「一人きりの練習でも、孤独には見えなかった。でも、元気にも陽気にも見えなかった。そこには、ひたすら静かで強靭な意志があった。朝原宣治という一人のランナーの静かな意志が、広いグラウンドをひたひたと埋め尽くしているかのように感じられた。」(132頁)

孤独ではないが、元気でも陽気でもない、というところが何となく分るような。

(インタビューに応じる末續選手を評して)
「彼はすべてを話すわけではない。でも、話せることは、すべて、きっちりと話してくれるのだ。率直に、誠実に。」(162頁)

いや、翻訳とは関係ないですが。本ブログもそうありたいです。

(今回取材したスプリンターたちは非常に頭がいいという話の流れの中で)
「マクロとミクロの思考の使い分け(物事を大きくとらえて俯瞰するか、顕微鏡で調べるように細密に検証するか)、様々な状況判断、言葉の選び方など、現実に即した有用な知性をふんだんに持っている。」(222頁)

ミクロとマクロのどちらも大事にするって、重要なことだよなあとしみじみ。

(トップアスリートたちがしのぎを削るという文脈で)
「俺たちはフツウの人間じゃない――という言い方を末續がしたことがあった。早く走れる特殊能力の持ち主だという意味ではなく、来る日も来る日も限界に近いハード・ドレーニングを自らに課し、神経がちぎれそうなプレッシャーの中でレースをしていくアスリートであるという意識だ。そんな心身のレベルを長い期間に渡って維持し続けている。結果が出ないこともある。努力の見返りが何もない時もある。それでも、情熱を涸らさずに続けている。そうして一線に生き残っている。痛みも苦しみも喜びも、語らずとも伝わるものがある。彼らにしか理解できないことがある。『みんなで一緒に強くなりたい』と末續が言うのは、安易な仲間意識ではなく、みんな、強くなれるだけのことはしている、という代表メンバーへの血のにじむようなリスペクトなのだろう。」(237-238頁)

考え方ややり方は違っても「よい翻訳」を求めて日々努力される同業者さん(とその卵さん)をリスペクトします。あれ? 何か論点ズレた?

(リザーブの小島選手の言葉)
「よりいいものを求めて、とりあえず取り入れてみて、それがダメだったら捨てますし、ちょっといいなと思ったら続けてやってみますし、それの繰り返しですね。やっぱり、やってみないとわからないものなので。」(263頁)

現状に留まりたい自分への自戒のために。


これらの文章を心地よく読めたそこのアナタ、彼らの言葉をもっと知りたいそこのアナタ、大阪世界陸上のコーフンをもう一度文字で振り返りたいそこのアナタ、最寄りのBOOK OFF(もしくは書店もしくは図書館)へGO、でございます。

私は決して集○社文庫の回し者ではありません、念のため。
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2013.06.09 18:45 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(3) |