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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

目を惹くタイトルの割にはてーしたことのない内容なので(すいません)、
お忙しい方は、ここいらあたりで止めておかれる方がよいかも、と。

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今月のAmelia情報誌の特集は「医療機器」だったのでした。

・・・おお、まるで私のための特集。

というほど突っ込んだ内容ではなかったですが。文書の種類や今後の動向など、これまで漠然と理解していたものが、もう少し明確化されたかなという感じでした。

私は、現在は医療機器の英日翻訳ばかりやっています(「やって」と言われれば‐分野にもよりますが‐たぶん日英翻訳もそれなりにできると思いますが、どちらかと言えば英日の方が好きなので、ずっと需要があるようなら、今のままでもいいかなと思っています)。

日英翻訳は、基本的に日本企業の海外輸出に付随するものですから、診断機器など大物関連の翻訳が中心となり、したがって翻訳ツールを必要とするものが多く、私はお呼びじゃないのかなと思っていましたが、やはりそのような感じです。
逆に私がよく受注する体内植込み系の小物たちは、その多くが海外製で、外資系企業を通じて国内に持ち込まれるものなので、翻訳も英日が中心となっているようです。
当面この流れで行くのかな、と思います。今後の動向について、アンテナを張っておく必要はあると思いますが。

仕事を始める前は、「医薬翻訳」の1つの分野として「医療機器」があるのかな、くらいのいい加減な理解だったのですが、今では、荒っぽく言えば、医療をおおまかに内科的治療と外科的治療に分け、外科的治療に関連するものは概ね「医療機器の翻訳」に含めてよいのではないかと思うようになりました。実際、手術で使われる小物(?)に関する翻訳も時々ありますし。まあ、本当は、そんな分りやすい分類では済まないかなとは思いますが。
ということで、今後、(その中でもまた、多くお仕事をお引き受けする分野というのはありますが)「外科的治療の翻訳にはかなり対処できます」的な方向を目指すのも悪くないのではないか、と思い始めたりもしています(いちおー、「この先の方向性をちと考えましょうか」的時期)。

翻訳者のバックグラウンドは、医療機器メーカー勤務&薬事申請経験者が多いとのことでしたが、私自身が他分野(工学系)からの参入組ですので、技術機械系からの参入は結構アリだと思っています。その場合、「解剖」「統計」「薬事申請」あたりが、難敵になろうかと思いますが(統計と薬事申請は、未だに青息吐息)。

ただ、ISOやEMC指令といった製薬ではあまり馴染みがないと思われる分野について、最低限の知識はある(<いや、ホント最低限ですが)ということは、逆に強みになるかと思います。あと、部品等の造語に慣れていることも。(調査に調査を重ねても対応する日本語が見つからないことはままあります。ただ、扱う製品が全くの新製品ということは少ないので、新たなコンポーネンツについても、現在国内で上市されている製品の添付文書や取説に用いられている用語の延長上で造語することにはなりますが。)
最近では、YouTubeに、新製品の動作の仕組みを解説する3D動画や手術の様子がUoloadされていることもあり(説明が「ソレは何語?」な場合も多いんですが・・・)、「これは何でどう機能する?」の部分の取り敢えずの解決は、以前より容易になったような気がします。

ということなので、医療の分野の翻訳に携わりたいという方で、電気・機械にさほど抵抗がない方にとっては、「医療機器」分野は検討に値する選択肢ではないかと思うのでした。
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2013.10.10 15:06 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
日経新聞土曜夕刊の「シニア記者がつくるこころのページ」に
「XXさんに聞く」というインタビュー記事があるのですが、
今回は明治大学教授で教育学博士、臨床心理士の諸富祥彦さん。
タイトルは、

「一億総疲労社会‐半分あきらめて生きよう」

私なんかが紹介するより、インタビュー記事そのものを読んで頂く方が、おっしゃるところがきちんと伝わるに違いないと思うのですが、頑張ってまとめてみますと・・・

諸富先生は、現代を、頑張って生きることが求められる「一億総疲労社会」ととらえ、本来、立ち止まって自分の人生を振り返り、悩みや苦しみの意味を問い直すべき40代、50代に、それができずにいる人が多いと指摘します。

(以下、「 」内は本文より引用)

「悩むべきことを悩み、その上で、成熟した大人になるのが本来の姿ですが、今はそれが難しいように感じます。若さの維持にベクトルが向き、成熟の方向へは向かっていない。それだけ自分の内面の変化にしっかり向き合えていない人が多いということではないでしょうか」

「本気で生きるほど、実はあきらめも増えるものです。自分の思い通りにはいかないのが世の中だからです。人生には光もあれば、闇もある。希望もあれば、絶望もあるのです・・・まだまだダメだと自分を追い込んでいくと、疲れや寂しさが増し、時に心の病を招きかねません」

「あきらめることは、頑張らないとか、力を抜くこととは違います。手抜きして生きると、心の奥底が充足されることはありません・・・チラリと希望を持ちながら生きることが、半分あきらめて生きるということです」

40代、50代になっても、仕事だったり介護だったり、「とにかく頑張らなあかんのや」な局面はあり、先生に諸手を挙げて賛成という訳にはいかないですし、「半分諦めて」という言葉は、一般論として「何とも否定的な響きがありますね」感は否めませんが、人生も折り返し点を過ぎた後、老いに向かい始めた自分を肯定し(甘やかす、という意味ではないです<念のため)、「自分にとって本当に必要ではないもの」から諦めていくという作業も必要ではないかと思います。そうやって手元に残したものは、自分にとってかけがえのないものであるはずで、それを大事にしながら生きることは、決して「手を抜いて楽に生きる」ことではないと思うのです。
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2013.10.06 00:18 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(10) |
好きで苦手な作家だった。

若い頃は「華麗なる一族」とか「白い巨塔」とか「ふたつの祖国」とか、とにかく貪るように読んだ。今でも読み返すことがあるが、一気読みができたということは、当時の私は本当に体力も気力もあったのだと思う。

読めなくなったのは「沈まぬ太陽」から。
当時、旦那は、左遷された、というわけではなかったけれど、色々仕事が大変で(今も別の意味で大変ですが)、主人公が現実の旦那の姿と重なってしまい、どうしても読み進めることができなかった。今でもまだ手にとっていない。その後、何となく、山崎豊子さんとは疎遠になった(←決して知合いという意味ではありません<念には念のため)。

「社会派」と呼ばれることもある作家だったようだが、確かに、山崎豊子さんの書かれる作品の登場人物には、「所詮小説だしね」と片付けてしまえないような何かがあったような気がする。

雑誌に新作を連載中ということは知っていたので、年は取ってもお元気なのだな~と思っていた。旧海軍士官の父と自衛官の息子の物語ということをどこかで読んで知り、山崎豊子さんがこのような話をどのように扱われ、まとめられるのか興味があった。完結したら読んでみたいと思っていた。未完の絶筆となった。残念だ。

合掌
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2013.10.02 16:23 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(2) |