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2013. 10. 06  
日経新聞土曜夕刊の「シニア記者がつくるこころのページ」に
「XXさんに聞く」というインタビュー記事があるのですが、
今回は明治大学教授で教育学博士、臨床心理士の諸富祥彦さん。
タイトルは、

「一億総疲労社会‐半分あきらめて生きよう」

私なんかが紹介するより、インタビュー記事そのものを読んで頂く方が、おっしゃるところがきちんと伝わるに違いないと思うのですが、頑張ってまとめてみますと・・・

諸富先生は、現代を、頑張って生きることが求められる「一億総疲労社会」ととらえ、本来、立ち止まって自分の人生を振り返り、悩みや苦しみの意味を問い直すべき40代、50代に、それができずにいる人が多いと指摘します。

(以下、「 」内は本文より引用)

「悩むべきことを悩み、その上で、成熟した大人になるのが本来の姿ですが、今はそれが難しいように感じます。若さの維持にベクトルが向き、成熟の方向へは向かっていない。それだけ自分の内面の変化にしっかり向き合えていない人が多いということではないでしょうか」

「本気で生きるほど、実はあきらめも増えるものです。自分の思い通りにはいかないのが世の中だからです。人生には光もあれば、闇もある。希望もあれば、絶望もあるのです・・・まだまだダメだと自分を追い込んでいくと、疲れや寂しさが増し、時に心の病を招きかねません」

「あきらめることは、頑張らないとか、力を抜くこととは違います。手抜きして生きると、心の奥底が充足されることはありません・・・チラリと希望を持ちながら生きることが、半分あきらめて生きるということです」

40代、50代になっても、仕事だったり介護だったり、「とにかく頑張らなあかんのや」な局面はあり、先生に諸手を挙げて賛成という訳にはいかないですし、「半分諦めて」という言葉は、一般論として「何とも否定的な響きがありますね」感は否めませんが、人生も折り返し点を過ぎた後、老いに向かい始めた自分を肯定し(甘やかす、という意味ではないです<念のため)、「自分にとって本当に必要ではないもの」から諦めていくという作業も必要ではないかと思います。そうやって手元に残したものは、自分にとってかけがえのないものであるはずで、それを大事にしながら生きることは、決して「手を抜いて楽に生きる」ことではないと思うのです。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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