屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

朝日新聞の夕刊に連載されていた「英語をたどって」を興味深く読みました。

「私たちはどうしてこんなに英語に苦労させられるのか」という疑問から始まった連載の最終回、筆者は、お互いの英語能力を品定めしようとする「この国に住む私たち」がその犯人なのではないかとした上で、その自作自演の「苦しみの連鎖」から脱出しませんかと呼びかけます。

中抜きで結論だけ書いてしまうと、筆者の考えるところが正しく伝わらない恐れがあるので、興味を持たれた方は、連載を全て読んでみて頂きたいなと(「朝日新聞」デジタル版の有料会員登録が必要になりますので、一番安上がりなのはやはり図書館かと・・・11月5日~20日までの全10回連載です)。

著者は「英語学習というと、よく『読む、書く、聴く、話す』の4技能をバランスよくとか「総合的に」なんていわれる。でも、きれいごと過ぎないか」と問い掛けるのですが、ビジネスの場では、4技能がそれなりにできる人材の方が重宝されるのは事実。著者の言わんとするところは分かるのですが、それでも、英語を勉強しなければ「ならない」立場の人がたくさんいる現状は一朝一夕では変わらないだろうなと思います。そんな中で個人の意識を変えていくことは途方もなく難しいだろうとも。どうするのが最適な道なのか、私には分からないのですが。

ただ、「英語教材をいくら勉強しても、そこに『言いたいこと』は書いていない。言いたいことを言う力をまず鍛える。日本語で出来ないことが、英語で出来るはずはない。そう思いませんか」という最後の問いかけは、本当にそうだと思うのです。そのためには、「言いたいことを英語で言えないもどかしさ」を経験することが大事なのではないかと思います。少なくとも、自分の場合はそうでした。


1960年代前半生まれの生徒の多くが(たぶん)そうであったように、中高では文法とリーダーを中心に英語を学び、大学では教養課程でReadingのみの授業を受けました。てことで、writingはテキストに沿った単文ならOK、会話能力はゼロのまま社会に出ました。
20代の頃には、「英会話ができたら格好いいな」くらいの気持ちで英会話スクールに通った時期もありました。ただ、その英語で何がしたいというわけではなく(翻訳の勉強はしていましたが、自分の中で翻訳と英会話は切り離して考えていた感じです)、当時の私の考えていた「英語ができる」は「Nativeに近い発音で流暢に会話が続く」以外の何物でもなかったと思います。

35歳の時、アメリカに飛ばされた旦那に帯同して海を渡りました。

「せっかくアメリカに来たんだから、英語ができるようになりたい」とか思うわけです。学生時代はClassroom-smart的優等生だったし、多少は翻訳の仕事もするようになっていたので、「他の人よりできないと格好悪い」とか「他の人より早く上達したい」とか思うわけです。根が負けず嫌いなもんで。
という訳で、近くのCommunity CollegeのESL(English as Second Language)のクラスに通い始めます。めでたくESLを卒業できれば正規の英語のクラスを取ることができます。

転機(?)は、ESLから這い上がって取った正規の英語のクラスで訪れました。
「English 101」と呼ばれるそのクラスは、無理に訳せば「大学英語入門」とか「教養課程英語購読I」みたいな感じでしょうか。高校を卒業して大学に入学した学生は、必須単位として必ず履修することが求められます。
小心者の私は、「周りは英語を母国語とする学生ばかり」というその事実にもう気後れしていました。授業では、普通のDiscussionの他に、1人1台PCを使い画面上でチャット形式で意見交換も行ったのですが、単語の綴りに自信がなく読むので精一杯の私は、全く付いて行くことができませんでした。ESLでも、Discussionでは、とにかく喋るクラスメート達に圧倒されて殆ど口を挟むことができず、挙句の果てに「Sayoには自分の意見はないの?」と聞かれるような屈辱を味わっていましたが(お前らが黙らへんから喋られへんのじゃ~!!<心の声)、チャットでは、私は「その場にいない者」として扱われ(発言しないので当然なんですが)、それは「意見はないの?」と尋ねられる以上の屈辱の日々でした(決してクラスで苛められていたとか、そういうことではありません)。

そして、「言いたいことを英語で言えないもどかしさ」を味わったのでした・・・と続けたいところですが、事実は少し違って・・・

授業にはEssay writingの課題もありました。最初の課題こそ「テキストの3つのEssaysを読んで意見を述べよ」みたいな平凡な課題でしたが、2回目からは「この学校に進学しなかった友人に今の生活を教える手紙を書け」だの「あなたがよく行く店のShop Ownerにクレームレターを書け」だの、俄然面白い課題になりました。長くこのブログを読んで下さっている方は分かると思うのですが、こういう魔球(?)が来ると、私は、俄然燃えるヒト。先生、グッジョブ。
クラスでは、2人の学生がPairになって相手のEssayを読み感想を述べるという時間がありました。その時、Pairの相手のEssayを読んで、「この子ら、全然たいしたこと書いてへんやん」と思ったのです(English 101に全身全霊を捧げている私と「取りあえず通ればいいわ」とやっつけ仕事をやって来る学生を比べるのはそもそも間違っているかもしれないのですが)。もちろん、私の書いている英語は稚拙だったし語彙も少ないし間違いもたくさんありました(あとで、先生にがっつり直されました)。でも、「内容では負けへんで」と思ったのです。何しろ、書くのが好きなヒトなもんで。「もっと英語ができたら、もっと上手く伝えられるのに」「もっと上手く書くのに」と。

私の真の「英語ができるようになりたい」は、ここから始まったような気がします。中学校で英語を習い始めた時から計算すると、実に20年以上の時間が経過していました。でも、それを実感できただけでもよかったのかも。

「きちんと伝える」ためには、何をどうすればいいのか? 「読む、書く、聴く、話す」力をつけていかなければならないのは当然なのですが、「自分はどう考えるのか」がなければ、相手にきちんと物事を伝えることができません。きちんと理解してもらうためには、発音もそれなりに大事です。そんな風に考えると、自分に相応しいアプローチは何かということも、自然と決まったような気がします。

もしも、20年前に、誰かから「英語教材をいくら勉強しても、そこに『言いたいこと』は書いていない。言いたいことを言う力をまず鍛える」ことが大事だと言われたとしたら、私は「本当にそうだよな~」としみじみ納得したと思います。でも、自分でよくよく考えて心から納得したことではなく、所詮は「教えて貰った大事な言葉」に過ぎないので、時が経てば、初めてその言葉を聞いた時の感動や納得も、次第に薄れていってしまったのではないかという気がします。そして、20年後の今も、「英語『が』できるようになりたい」と、ちょっと方向のズレた努力を繰り返していたかも。

そんな訳で、最初転勤の話を聞いた時は頭が真白になったものでしたが、今では、アメリカに連れて行ってくれた旦那に感謝しています。小心者の私が、自ら「1人で海外に出よう!」と決心することなどまずなかったと思いますので。そう考えると、やはり、子供以上に手の掛かるヤツのアレもコレも我慢しないといけないのかもしれないな~、というのが、今日の記事のオチなのでした(て全然関係ないし)。
関連記事
2013.11.26 18:01 | 英語 | トラックバック(-) | コメント(2) |
本書は、吃音で知られる英国王ジョージ6世のSpeech Specialistであったオーストラリア人Lionel Logue(とジョージ6世)の、手紙・日記・その他様々な資料に基づく伝記です。
映画「英国王のスピーチ」(未見)と同じテーマを扱っていますが、映画化後に書かれたようで、その後新たに見つかったLogue家の資料なども参考にしているようです。
映画も見てみたいと思っているのですが、未だ機会がなく。ストーリー的にも興味ありますが、それよりも、美青年だったコリン・ファースが中年の国王を演じるというその事実の方が感慨深かったり(しみじみ)。奥さん役はヘレナ・ボナム・カーターだし(しみじみじみ)。

さて、本書。
内容はとても興味深かったのですが、Logueの生い立ちから死までが結構淡々と語られるため、少し盛り上がりに欠けるかな~という印象でした。最後まで聞いたら、「あら、終わっちゃったわ」みたいな。

映画はどういうストーリーなんだろうとWikipediaさんで内容を確認してみましたら(ホント、便利な世の中になりました)、伝記とはかなり異なる内容でした。映画では1930年代半ばの2人の出会いから、ジョージ6世のラジオ向けの戦時スピーチまでが描かれているようですが、実際の2人の出会いはその10年ほど前だし、ジョージ6世がスピーチで大失敗したエピソードも伝記とは違うし・・・と細かい点を挙げていけばキリがないのですが、こちらの方がドラマチックだし、映画は映画で面白そうです。やっぱり見たいなと思いました。

決して、伝記の内容がつまらなかったというわけではありません。
Very interesting, but not exciting
て感じでしょうか。
「英国王のSpeech Specialistになる」というそのこと自体がある意味凄いことだと思うのですが、そういう凄い毎日がbaselineとして淡々と描かれて訳で、しかもLogue自身は表舞台で活躍するわけではないですから、そりゃ起伏は少ないわな、とは思います。

Speech Specialistという肩書きはありましたが、Logueは決して専門的な教育を受けたわけではなく、暗誦だったり舞台だったりの経験を基に、第1次大戦で様々な原因で声を失った兵士たちの治療を行ったのがそもそもの始まりだったようです。

その後イギリスに渡り診療所を開いたLogueの元を、王の代理としてのオーストラリア訪問を控えたアルバート王子(ジョージ6世)が藁にも縋る思いで訪ねたのが、2人の結びつきの始まりです(と伝記にはある)。王子のオーストラリア訪問でのスピーチは成功し、それでかなり自信を持った王子がLogueを訪問することは次第に間遠になります。
なので、もしも独身の兄君エドワード8世が退位し、弟のアルバート王子が即位することにならなければ、2人の関係はそのままfade outしたかもしれません。少なくとも、伝記や映画に描かれるほど強固なものにはならなかったのではないかと思います。
ジョージ6世として即位したアルバート王子は、再び熱心にLogueの協力を求めます。

Logueは吃音を精神的な問題ではなく身体的な問題と捉え、呼吸法だったり発声法だったりを教えます。また、スピーチ原稿中のジョージ6世が苦手な音で始まる言葉を別の言葉に置き換えるのもLogueの仕事でした。例えば、ジョージ6世はgやcで始まる単語やwで始まるWhispering sound、double consonantsなどが苦手だったようで、Logueは原稿中のgovernmentをourselvesに書き換えるなどして、できる限り読み手の負担を減らすよう努力しています。その結果の成功体験が、国王の自信にも繋がっていったようです(もちろん、国王も、Logueの教えに忠実に従って日々physical training ??を続けましたが)。
軽く調べてみた限りでは、今現在でも、吃音の明確な原因は解明されておらず、「これ」という確立したPermanent cureはないようです。それを思うと、Logueは本当に偉大な仕事をしたのだなあと。

映画はクライマックスで終わっているようですが、伝記は2人の死まで続きます。Logueの方は愛妻に先立たれたり自分も健康を害したりし、ジョージ6世の方も体調が優れない上に肺癌を患ったりと、第2次大戦後は2人もあまり健康的な生活は送れなかったようです。2人は1952年(ジョージ6世)、1953年(Logue)と相次いで亡くなっています。

そんな感じですから、最後まで読むと(聴くと)、「あら、終わっちゃったわ」と同時に、ついつい諸行無常などという言葉を思い浮かべて軽く気分が盛り下がったりしてしまうのですが、それでも「King’s Speech」大変興味深かったです。心に残る1冊でした。


蛇足ですが、Logue氏はめっちゃ美男子です(<そこか<自分)。
若い頃は「妙齢のレディたちは彼に夢中だが、彼にはbeautiful wife and two sonsがいる」というようなことを地方新聞に書かれているようです。


* 本記事の内容はSayoのListening記憶に基づいていますので、細かい点が微妙に事実と相違している可能性があります。
関連記事
2013.11.23 12:30 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(2) |
これまでは、医療機器会社の担当者、当局、医師などが読み手になると思われる文書の翻訳が殆どだったのですが、しばらくの間、患者さんを相手にしています。

そういう場合、もとの英文は一読時にはそう難しくないことが多いのですが、いざ訳出する段になると、さり気なくセールストークが入っていたりすることもあり、日本語にし難いことも多いです。そのような文章の翻訳は結構好きなのですが、如何せん絶対量が多く、そういう一筋縄ではいかない文章が続くと、なかなか先に進みません。現在ちょっと疲労困憊中で、NHK杯で廃人化してる場合じゃなかったわとちょっと後悔していたりします(そしてブログに逃避する)(そしてGP第5戦は少しばかり自粛する)。

どういう単語を使用するかというのも、悩みどころです。医療機器ですから、「そういう機器を操作できる、操作することに(あまり)抵抗がない人」が対象で、そこそこ技術的な用語を使っても大丈夫かなという感じなのですが、医療機器翻訳で洗脳された結果、自分は一般的と思っていても、「実は一般的じゃなかったのよ」的な言葉もあり、兼合いが難しいです。

ただ、今回はそのようなケースではないような感じですが、特定の疾患やその治療などについては、ご自身やご家族が、時には専門家も顔負けするほど勉強され、熟知されている場合も多く、あまり平易な言葉のみを選んで使いすぎるのも失礼に当たるのではなかろうか、と考えさせられるような場合もあります。「最終読み手」Populationを正しく想定することは、本当に大事だなと(しみじみ)。

・・・そんなわけで、半月以上Laymen’s terms、laymen’s termsとお経を唱えていましたら、今度は(順応性が高いというのか忘れるのが早いというのか)「医学分野的言い回し」が頭から飛んでしまい、積読状態で部屋の片隅に鎮座ましましていた日経メディカル様にお許しを願って、再びご教示を請うている今日この頃です。そんなわけで、現在頭の中で、「圧痛」と「押すと痛い」が、「発赤」と「赤くなる」がせめぎあっている土曜の昼下がりなのでした。
関連記事
2013.11.16 15:24 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
・・・またまたこの話題ですいません(たぶん、次回はまっとうに・・・)


という訳で、とても疲れた週末だったのでした。
今年は、アイスダンス→エキジビション全中継を地上波って、
NHKさんも気合入ってましたね~。
今回、女子フリーでは、機器不良が裏目に出た感もあった完全中継でしたが、
それでも「中継はこうよね」と久し振りに手に汗握ったフィギュア観戦でした。
(という訳で、副副題は「このストレスフリーな中継をもう一度」に決定)

毎年お世話になるNHK杯特設(?)サイトでは、エキジビション時の「豊の部屋」まで見ることができて大満足。地上はのせいか(?)若干Power Downしていた感もないではないですが、今年も楽しませて貰いました。

さて。
男女アベック優勝とか、恐るべし14歳ラジオノワとか、鈴木さん残念~とか、そのあたりは、いつものようにスポナビブログの皆さんの愛のこもった鋭い記事を「ふむふむ」と読んで楽しませて頂くこととして、屋根裏的フィギュアスケートでは、高橋成美&木原龍一ペア(以下「成&龍ペア」)について語ってみたいと思います。

ご存知のように、このペアは今年1月に結成されたばかりのペア。
高橋選手は、以前のカナダ人パートナーとのペアで、世界選手権で銅メダルも取っていますが、木原選手はシングルからの転向、ペア競技は全くの素人です(と思います)。

北米なんかでは、ある程度のレベルまでシングルとダンスやペアを掛け持ちする選手も少なくないようですし(クリスティ・ヤマグチ選手もそうですね)、日本でも井上怜奈さんや無良隆志さん(無良崇人パパだよ!)の例がありますが、シングルである程度のキャリアを積んでからペアに転向した選手と言えば、思いつくのは佐藤有香さんと若松詩子さんくらいです。

リフトやスロージャンプやツイストなど、シングルにはない技がありますので、男女どちらが転向した場合でも大変だとは思いますが、体力的な面から言えば、そりゃ~、男性の方が大変なんじゃないのと素人のSayoなんかは思うわけです。いくら小柄で軽いとは言え、パートナーを持ち上げたり放り投げたりしなければならない訳ですから。木原選手は、インタビューで「最初は上半身筋肉痛」と言っていましたので、あの一見華奢な胸板が厚く逞しくなる日が来るのね~、と今からしみじみ(?)してしまうSayoなのでした。

そういうペア独特の技の習得ももちろん大変でしょうが、デス・スパイラルのような一見たいして難しいようには見えない技も実は双方の技量や絶妙の引張り具合(?)が必要なようで、佐藤・ダンジェンペアも、最初の頃はデス・スパイラルが上手くできなくてこけていたのを思い出します。

スピンなどのユニゾンも大変だろうなあと。以前、井上怜奈さんがインタビューで「2人のジャンプの跳び方や回転の速さが違うので、同じタイミングで着地するためには、違うタイミングで跳ばなければならない」というようなことを仰っていました。聞いてしまえばナルホドな話なのですが、そういうところまで気を配らなければならないということなのですね。

本当に気が遠くなるような話です。

確かに、他のペアと比べて難易度は劣っていましたが、結成してまだ10ヵ月、「よくぞここまで」という感じのSPとFPでありました。SPでは、木原選手が高橋選手の動きや位置をいつも目で追って確かめていた印象がありましたが、翌日のFPでは、その「確認作業」もかなり影を潜め、たった1日でも、試合ではここまで成長できるのだなあと。

皆が期待し、すぐ結果を求めたくなる気持ちも分かりますが・・・
基礎からゆっくりと時間を掛けて育ててあげてほしいと思います。

それにつけても、私の世代で頭に浮かぶのは、やはり槇村さとるさんの「愛のアランフェス」。
男女ともに世界で競えるレベルの選手が、お互いの滑りに惹かれてペアを組み・・・という漫画なんですが、紆余曲折あり、一度解消し再結成したペアが、世界レベルの大会で出場ペア中最高の演技をして、大喝采を浴びるところで終わるのですね。「紆余曲折あり、一度解消し再結成」の部分は不要ですが、何年か後には、成&龍ペアも、そんな風に、観客を魅了し、滑りでStanding Ovationを受けられるペアに育ってほしいと思います。


最後に、彼らを指導する佐藤&ダンジェンコーチのコメントを。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131109-00000009-spnavi-spo
関連記事
2013.11.11 23:21 | フィギュアスケート(~13-14 season)  | トラックバック(-) | コメント(2) |
今日も我が道を行く屋根裏を、お許しくだされ・・・


安藤選手が出場したことでメディアを賑わせた東西選手権が終わりました。
村主さんは、昨年に続き(一昨年昨年に続き、だったかな?)今年も東日本選手権止まりで、全日本選手権には出場できません。
本人は現役続行を希望しているようです。本人にやりたい気持ちと意欲があり、続けられる環境があるのであれば、続ければよいのではないかと思いますが、点数だけを見る限り、気持ちに身体がついていっていないんじゃないかなあという気もします。

個人的には、特に「好き」という選手ではないのですが、「日本女子フィギュア」を考える時、きちんと覚えておいてあげたいなと思う選手ではあります。素人意見ですが、今に続く日本女子の躍進は、やはり、彼女から始まったんじゃないかと思うからです。


スポーツを見ていると、「勝ち経験」というものも大事ではないかと思えます。
たとえば、バレーボール。
女子は前回五輪で銅メダルを取りましたが、男子は五輪出場すら叶いませんでした。
五輪予選にせよその他の試合にせよ、2セット連取されての3セット目には男子選手の表情にはどこか覇気がないように見えました。もちろん、試合を投げているという訳ではなく、「最後まで全力」「最後まで諦めない」という気持ちで戦っていたとは思いますが、どこかに「でもこの展開ではこれまでほとんど負け試合だから、今日も勝てるはずはない」という気持ちが全くなかったと言えば嘘になるのではないでしょうか。逆に、女子は、それまでの経験から「2セット取られても3-2で勝利した試合が何度もある。今日もできる」と信じられたのではないか。その差が、男女バレーの立ち位置の差となって現れているような気がします。もちろん、コトはそんなに単純ではないでしょうが。
でも、原始的(?)確信の源となるという意味で、(自身の経験であるか同種目の他選手の経験であるかを問わず)「勝ち経験」というものも、スポーツにおける大事な要素の1つではないかと思うのです。


てことで、閑話休題。
話はフィギュアスケートに戻ります。

以前にも、伊藤みどりさんや佐藤有香さんなど五輪や世界選手権でメダルを取った選手はいましたが、彼女たちの活躍は「点」であり、「線」にはならなかったような気がします。

特に伊藤みどりさんには3アクセルという大きな武器があり、私の母親など、「みどり(←自分の娘でもないのに呼び捨てる母なのだった)は、3アクセルがなかったら絶対勝てなかったね」と明言しておりました。まー、そこまで断言はしないですが、3アクセルが五輪でのメダルに大きく貢献したのは間違いないと思います。これは、言い換えれば「大技がなければ、日本人選手は海外の選手と対等に渡り合えない(所詮、体型も手足の長さも違うんだし・・・)」ということになってしまうのですが、当時、そんな風に考えていた方も結構おられたのではないでしょうか(私のような素人ファンレベルで、てことですが)。

それを、「もしかして違う、かも?」と思わせてくれたのが佐藤有香さんで、「日本人でも、大技なくてもいける、よね?」と思わせてくれたのが村主さんではないかと思うのです。今に続く「勝ち経験」の先駆ですね(あ、ちょっと強引過ぎたか・・・)。

村主さんが、グランプリシリーズで表彰台に上がるようになり、恩田美栄さんが続きました。2000年~2002年くらいのことで、荒川静香さんが結果を出し始めるのは、もう少し後のことになります。当時の2強(?)クワンやスルツカヤと並んで村主さんが表彰台に立つ写真を見た時は、「日本人選手も強くなった」と感慨深いものがありました。選手の中にも、「頑張れば自分もあそこに立てるかも」と思った方が、もしかしたらいたかもしれません。

アメリカでディアの日本人選手の取り上げ方も、この頃から、微妙に変わってきたような気がします。最初は、正しく発音して貰うことすらできず、「フミー」「ヨシー」(←「ネッシーじゃねえし」と一人憤慨していたSayoなのだった)としか呼んで貰えなかった村主さんや恩田さんの名前が(Fumie、Yoshieを素直に発音するとそんな感じ)、「フミエ」「ヨシエ」ときちんと発音して貰えるようになり、時々は現地のスケート雑誌の記事でも取り上げられるようになり・・・

2001年発行の「Figure Skating Now」(発行当時活躍中の選手の名鑑のような書籍)では、日本人では本田君と村主さんが、2003年発行の「Figure Skating Now」では、本田君、村主さん、恩田さんが、外国人選手に混じって「Hotな選手」として紹介されています(ちなみにこの版には、井上怜奈さんと川口悠子さんも、ペアの選手として紹介されています‐川口さんは前のパートナーさんとですが)。
2007年発行の「Figure Skating Today」では(構成がガラッと変わったので一概に比較はできませんが)、浅田姉妹、安藤さん、高橋君を初めとして、多くの日本人選手が取り上げられています。
2007年版(?)の巻末には、田村明子さんの”Figure Skating in Japan: A New Era”という寄稿記事が掲載されていまして、その中に(伊藤みどり引退後、佐藤有香の活躍はあったが、日本スケートの人気が盛り返すことはなく・・・というような流れの後)、

“ (Media’s) interest slowly returned when Takeshi Honda and Fumie Suguri won the world bronze medals – each won twice in 2002 and 2003. That’s when Japan began to notice that its skaters were once again becoming competitive on an international level.”

と書かれています(括弧内はSayoが補足)。

という訳で、まあ、個人的な意見ではありますが、「日本人でも戦える」の勝ち経験の流れは、やはり村主さんから始まったんじゃないかな~、と思うのです(佐藤有香さんと村主さんの間は、少し時間が開いていますので)。

ソルトレークシティ五輪時のFP「月光」や、その前年のホルストの「木星」(FP)、その後の「Paint it Black」(SP)、「ピンクパンサー」(SP)、「白鳥の湖」(FP)などのプログラム、好きでした。「女優」と呼ばれるだけあって、「表現しよう」「表現したい」という思いが前面に出ていた選手だったと思います。
正直、世界の舞台でもうひと花は無理かなと思いますが、本人納得のいく形で現役引退できればよいなあと思います。
関連記事
2013.11.07 12:03 | フィギュアスケート(~13-14 season)  | トラックバック(-) | コメント(4) |