屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

医療機器翻訳」という記事の中で、「『外科的治療の翻訳にはかなり対処できます』的な方向を目指すのも悪くないのではないか、と思い始めたりもしています」と書きました。

この記事を書いたのはそんなに昔ではないので、今のところ、その気持ちは変わりません。

ただ、「薬による治療へのアプローチ」分野という選択肢も残しておきたいとは思っています。もちろん、参照すべき文書も微妙に違ってくると思うので、翻訳作業は容易ではないと思いますが。でも、「基礎があれば何とかなる」と思っています。てことは、その方面の努力も継続しないといけないってことですが。
そのあたりは、「絶対こう!」と決めてしまわず、適度に流されながら、自分にとってよりよい方向を模索したいと思います(←ええ加減)。

というわけで、前の記事で書いたように、「目の前の案件にきちんと向き合う」ことはもちろん大切なのですが、同時に、「目の前の案件だけを見ない」ことも忘れないでおきたい。「自分はどこに向かおうとしているのか」「迷子になっていないか」を、折りに触れて俯瞰できるようでありたいです。

そうして、「猫の手」ではなく「猫の右腕」を目指すべく、関西の片隅で地味に頑張っていきたいと思います。

1年間ありがとうございました。来年もどうぞ宜しくお願い致します。
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2013.12.29 00:52 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(4) |
未だに廃人なSayoです。
ロシア帝王(たぶん)引退の報にも接し「ああ本当に1つの時代が終わるのね」としみじみ。
という訳で、冷静な記事は書けそうになく、「役に立たないフィギュアの話は続く‐全日本選手権編」はお休みを頂きます。



さて、本題の「取引先」。
実質2社となってもう3年くらい(偶然にもどちらのレートも同じ)。
今年の2社の受注比率は8.5:1.5くらいで、「1社専属度」が増しました。

時折、巷で「何社程度登録するのが適切か」という声を聞いたりしますが、個人的には、働き方も考え方も仕事の進め方も違う翻訳者に「これが適切な○社」というのはないのではないかと思います。翻訳で一家の生計を支えている場合は、リスクヘッジもしなければなりませんから、複数社登録して、レートも睨みながら、複数社とそれなりによい関係を築く必要があると思いますが(同じ立場であれば、好むと好まざるに関らず、私もそのようにします)、そうでない場合は、1社専属に近い状態もありなのかなと。

その1社がどんな翻訳会社で、自分がどんな風に専属するか、にもよるでしょうが。
そして、もちろん、その「1社専属」状態を今後どうしていくのか、いきたいのか(そのまま続けるのか、方向を変えるのか)は常に考える必要があるかなと思います。


今受注している2社は、どちらも、コーディネータさんの対応だったり、頂く参考資料の質だったり、時折頂くFBだったりから考えて、良心的でよい仕事をなさる会社と思っています。というわけで、私は、いつも気持ちよくお仕事をさせて頂いていて、お断りする時は、「すいません」と受話器の前で頭を下げています(とキーボードを打つ手がゴマをする<自分)。駆引きや管理が苦手な私には、取引先が少ないという現状は、かなりストレスが少ない状態です。会社数が少ないと、固有名詞の訳出方法等、各社微妙に異なる「この時はこう処理」マニュアルもだいたい覚えてしまいますので、そういう意味でも楽です。

ただ、気持ちの面でも全面的に頼ってしまうのはよくないだろうとは思っています。つまり、「使われている」という意識は持たないようにしたいということ。今お取引のある会社とは、今後もよい関係を続けて行きたいと思っていますが、何らかの事情で(考えたくないですけれどこちらのミスとか、自分が今後進みたい方向と受注案件の方向がズレてしまったなどで)それが難しくなったと感じた時には、「それでは、別の『ココ』と思う会社を探してトライアルを受けよう」と次に繋げられるだけの知識や翻訳の質というものは、常に確保しておきたいと思うのです。それだけの土台があれば、お互いの方向性にズレが生じた場合、「このような翻訳もできます(したいです)」と、現在の取引先に自信を持ってアピールできるかもしれない。

「副業主婦」という自分の立場的に、そのような状態になって一時的に収入ががくんと落ち込んでも、取りあえず生活に困ることはありません。ただ、一度恒常的に仕事がある状態を経験してしまうと、「仕事が少ない」という状態は、金銭的というより気持ち的にかなりシンドいだろうな、とは思います。

今の取引先で、地味にアピールしながら分野を広げていくか、取引先自体をもう少し開拓するか ―― 取扱い分野を広げたいのか、広げるとすればどんな風に広げたいのかということと併せて考えていきたいと思う2014年です。その前に、目の前の案件にきちんと向き合うことが大事ですけど(その前に、目の前の年賀状ときちんと向き合うことがもっと大事な今日この頃なんですけど)。
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2013.12.26 12:52 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
関西中心の女性翻訳者がユルく繋がる会に参加させて頂いたこともあり、今年は、一気に同業者の知人友人が増えました。同業者の皆さんとの会話は、「そうそう、そうなのよ」という点でも「考え方が違うのね」という点でも、とても刺激的でした。お知り合いになった方々は総じて気持ちのよい方ばかりで、これらの出会い、そして出会いのキッカケを作って下さった方々には本当に感謝しています。

また、昨年からの「治験翻訳講座」継続受講に加え、今年は、医薬翻訳関係のセミナーにもいくつか参加してみました。製薬よりのセミナーで、仕事に直接役に立つことは少なかったのですが、業界や規制を大局的に見るよい機会となりました。

これらに加え、2月にFacebookを始めたことから、皆が翻訳の勉強だったり品質向上だったりツール導入だったりにどんな風にアプローチしているのか、どんな努力をなさっているのかが、かなり詳細に分かるようになりました。何度か勉強会のお誘いも頂きました。

私のキャパを遥かに超えるスピードでこれらの情報が流れ込んできた結果、とまどい、迷い、焦ることになりました。どうやら、私は、自分が鈍足であることを忘れ、皆と同じスピードで走ろうとしてしまったようです。その結果、「自分はなぜそれがほしいのか、なぜそれをしたいのか」を深く考えず、(特にフリーのものは)「取りあえず手に入れて安心する」という悪循環に陥りました。

「翻訳者」とひと括りにしても、どんな働き方をするかにより、また翻訳者一人一人により、必要とするものも求めるものも攻める方向も違うはずです。「他者の視点を知る」ことは大事ですが、入手する情報を咀嚼し自分の実にできる速度は人によって違うはず。私は、焦るあまり、そのことを忘れてしまっていたようです。

私の立ち位置は「家計の足し的主婦翻訳者」で、その立ち位置は、恐らくこれからも変わらないでしょう。その立ち位置だからこそできること、したいこと、そのために来年進みたい方向などを考えながら暮らした1ヵ月でした(フィギュアスケートのことしか考えていなかったという説もあり)。

来年は、「流されない、考える翻訳者」として、知識を積み上げ日本語を磨いていきたい。決して再び引き篭もるということではなく、他の同業者の方との触れ合いも大切にしていきたいのですが、「自分のために自分で考える」ことをないがしろにせず行こうと思います。
(今週末はとりあえず全日本選手権に魂を売り渡しておりますのでこの辺で。)
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2013.12.22 00:08 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
10月頃読了したのですが、どう書いたらよいか考えあぐねているうちに、ついに映画公開日が来てしまい、「こりゃいかんぜよ」という訳で、やっと重い腰を上げました。

私は、普段はあまりベストセラーは読まないのですが(世間から忘れ去られた頃に図書館で借りる、若しくはBook Offで入手する)、この本は、旦那からせしめた図書カードで購入して読みました。

百田尚樹さんが、太平洋戦争や特攻をどのように描いておられるのか知りたかったのが理由のひとつ。もうひとつは、「皆が涙する」と大々的に宣伝されている「永遠の0」に自分も涙するかどうか確かめてみたいというヨコシマな理由からでした。まったく困った性格です。

もう粗筋やら感想やらがAmazon書評を初めとする各所に出まくっているので、「前知識ゼロ」の状態で臨むのは無理ということで、Amazonの星1つから5つまでの書評を、それぞれ何件か読んでから本編に臨みました。まったく困った性格です。

結果は以下のとおり。
あくまで、個人的な感想ということで、さらっと流してやってください。

泣きました。ただし、結末はすでに分かっているので、最後のどんでん返しの場面ではなく、それより少し前の、宮部を嫌っていて空中戦で撃ち落とそうとまでした景浦が、宮部が特攻に出て未帰還だったことを知って号泣する場面です。自分でもなぜそこなのかよく分からないのですが、景浦の気持ちに同調してしまったようです。
巧みなストーリー展開で、ラストに向かってぐいぐい読ませてくれますので、勢いで泣いてしまった部分もありました。「神はサイコロを振らない」(大石英司)を読んだ時がこんな感じ。行方不明になった旅客機が、10年後に3日という期間限定で戻ってきて、当時の姿のままの乗客が10年後の「遺族」と再会し、それぞれの心に何かを残してまた消えてしまうというストーリーなのですが、再開した家族との別れの場面が、分かっていても、涙、涙でした。でも、逆に、それでカタルシスを得てしまったのか、「再読は別にいいや」になってしまって、いつか手放してしまいました。「永遠の0」も、個人的な気持ちですが、たとえば山崎豊子さんの「白い巨塔」や三浦綾子さんの「塩狩峠」などのように、時々読み返そうという気持ちには、今のところなっていません。
個人的には、星3.8個くらいの感じ。
ストーリーはよく練られていますし、星1個の方々からは「借りてきた説明」みたいに酷評されていた戦況の描写も、登場人物の言葉を借りて、よくぞここまで整理して語らせたな、と舌を巻きました(まあ、実際は、皆が皆、ああも大局的に戦争を語ることはないかと思いますが)。それでも、どうしても厳し目の感想になってしまうのは、所々に「ここ感動どころです」みたいな著者の作意を感じてしまうからです。放送作家からの転身1作目ということですから、仕方のないことなのかもしれません。もう少しブームが去ったら、「海賊と呼ばれた男」も読んでみたいと思います。
「本人を知る人に語らせる」という形で宮部という人間を描いているため、人間・宮部に感情移入することができなかったというのも、「入りこめなかった」一因かもしれません(あ、だから景浦さんに感情移入しちゃったのね)。

百田さんは「70年前には日本ではこんなことが起こっていた」(まあ、これは小説ですけど)ということを次の世代に伝えたいという思いで、この小説を書かれたのだと思います。そのことはきちんと伝わりました。


読み比べ、というと語弊があるのですが、フィクションとノンフィクションでは、感じるものはどう違うか体験してみたくて、

「戦艦大和ノ最期」(吉田満<「戦」は旧仮名遣い)
「雲ながるる果てに‐戦没海軍飛行予備学生の手記」(白鴎遺族会編)

の2冊も併せて読みました。

1920年生まれの父は、高専(当時)卒業後応召し、海軍技術将校として舞鶴海軍工廠で終戦を迎えました。自ら戦争体験を語ることはありませんでしたが(私も尋ねなかったし)、本好きの父の本棚には、この手の本が山ほどあります。上の2冊も、その中から拝借したもの。「きけわだつみのこえ」も目にした記憶があるのですが、探し当てることができませんでした。

「戦艦大和ノ最期」(手元にあるのは1978年北洋社発行のもの)は、数少ない大和乗員の生残りである吉田氏が、大和が沈没するまでの様子を記録されたもの。「一部記述は事実ではない」という批判もあるようですが、それでも、大和が敵の攻撃を受け沈没に至る様子が、(ほぼ)忠実に再現されていると思います。旧仮名遣いとカタカナのみの文語体という、かなり高いハードルがありますが、逆に文語体だからこそ、さらに胸に迫るものがあったような気がします。

「雲ながるる果てに」は、戦死した海軍飛行予備学生数十名の日記だったり手紙だったり遺文だったり遺書だったり。もちろん「お国のために」的記述も随所にありますが、それは、家族に送られる手紙が検閲を受けることを考えれば、無理からぬことと思えます。大学を出たての20代前半の若者が殆どです。驚くのは、皆が、本当にきちんとした、深く内省する文章を書いていること。

どちらの本も、事実であることが分かっているだけに、やり切れない気持ちばかりが残りました。「永遠の0」とどちらがどうという問題ではなく、「比べよう」とすること自体が、そもそも不遜で間違っていたと思います。

特に、「雲ながるる果てに」の手記を書いている若者たちは、私の子供といっても差し支えない世代。そんな若者が、国や家族や愛する人たちを守るために、と死んで行くような世の中は二度ときてほしくないと思うのです。


戦争について知りたいと思った「永遠の0」の若い読者の方には、こうしたノンフィクションも併せて読んでいただきたいと思うのでした。
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2013.12.21 00:57 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |
*botさん、検索さんに拾われにくくするため、名前を英語で表記しています。

ASADA MAOという選手のことを知ったのはいつだったろう。

初めてその滑りを見たのはショーのゲスト出演が先だったか、シニアデビューの年だったか。

フィギュアスケートの雑誌で、「山田門下生の将来のホープ」として姉のASDA MAIさんなどと一緒に紹介されている写真を見た時、彼女はまだ10歳か11歳くらいだったと思う。その後暫くして、女子で始めて3-3-3のジャンプを成功させたとして新聞のスポーツ欄を賑わせた時も、まだ小学生。

あれから、干支がひと回りし、小さかったMAOちゃんも23歳、大卒なら新入社員1年目の年齢になった・・・年とったな、自分(<そこか)・・・

彼女のスケートとともに、その成長も見てきた。だから、こんなにも応援したくなるのかなと思う。アメリカにおけるミシェル・クワンの位置付けとちょっと似ているような気もする。彼女も12、3歳の頃から、活躍していた。アメリカのスケートファンも、彼女の成長をずっと見てきたのだ。


以下は、あくまでも個人的な考えで、間違っているかもしれないし、本人の思いは別のところにあるかもしれないので、世間のASADA MAOファンの方は、「おばさんの独言」として読み流してほしい。

前回の五輪の頃の彼女は、もちろん、「3Aを入れたプログラムをパーフェクトに滑りたい」と思っていたには違いないが、まだ「とにかくクリーンな3Aを跳びたい」という気持ちの方が勝っているように感じられた。

それから3年半。今季は、インタビューや記事からの憶測にはなるが、「(ジャンプもジャンプ以外のエレメンツも全て含めて)今の自分にできる最高難度のプログラムをクリーンに滑りたい」という気持ちがとても強いように思われる。アスリートASADA MAOにとっては、それがSPで3Aを1本、FPで2本入れるあの構成なのかな、と思う。3Aは跳びたいが、それは単にそのジャンプを跳びたいからではなく、自分の理想とする最高難度のプログラムにはそれが必要だから跳ぶのだと。そこが4年前と少し違っているのではないかという気がする。

フィギュアスケートがスポーツで「五輪で金メダル」が最終目標であるなら、そこに向かってもっと戦略を練る必要があるという意見もあろうかと思う。

でも、ASADA MAOが自分の理想に向かって邁進するからこそ、彼女に惹かれる人間がこんなに多いのではないかと思う。

彼女の理想が五輪で現実のものとなることを願ってやまない(なったら泣いちゃうよー<ていうか、お前が泣いてどうする)。
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2013.12.16 21:46 | フィギュアスケート(~13-14 season)  | トラックバック(-) | コメント(0) |