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2014. 04. 27  
「よくわかる文章表現の技術I 表現・表記編」(石黒 圭) 明治書院(2009年)


翻訳の勉強をする上で、「目的とする分野の文章を多読し、その表現を身につけることが大切」という言葉をよく耳にします。もちろん、その意見に異論がある訳ではありません。その分野に精通したエンドクライアントさん(患者さんのようなLay personの場合もありますが)に、一読して内容を理解して貰わないといけない訳ですから、門外漢の自分は、その方たちが普段使う表現を用いて、違和感のない文章を書く努力をするのは、至極当然なことだよな~と思っています。

でも、そうした文章の書分けができるのは、「きちんとした日本語が書ける」という土台があってこそではないかと考えるようになりました。「文章とはどういう風に書くものなのか」という(ある程度の)知識があって、初めて効果的に、(専門文書は)「普通の文章とここが違う」「ここが特徴的なのね」という比較もできるのではないか、と思ったりした訳です。何より、私のモノカキ癖は、たぶん翻訳を止めた後も、何らかの形でしつこく続くと思うので、普通の(?)日本語の表現方法を知っておくのは、決して無駄なことではないはず。

という訳で、2014年は「日本語スキルアップ年間」にしようと決心したのは昨年末のこと。なのに、GWが始まろうという4月も終わりになって、年末に購入した「日本語の書き方」本のレビューをやっている自分、どうよ(そこは、暖かく見逃してやってください)。

さて。
この本(シリーズ)は、特定分野の文章の書き方を指南するものではありません。著者が「はじめに」で書いておられるとおり、「文章がうまく書けるようになることを目的とする文章トレーニングの本」です(個人的には、「トレーニングのための準備本」という気がしますが)。

本書の著者は、長い間、外国人留学生に日本語を教えてこられた方です。そうした生徒を相手にする場合、「日本人相手なら感覚に訴えて説明できるところでも、留学生相手の場合は、つねに理論にもとづいて説明しなければ」ならず、相手は皆優秀なだけに、苦労が絶えなかったと述べています(本書「はじめに」)。
そんな著者が、日本人学生相手に「文章の書き方」を講義することになり、その中で実際に学生に演習させた課題のデータを集計し、その傾向を見ながら、日本語表現について考えたのが本書です。

個人的に、本書が気に入った理由は、日本語表現に一定の法則を見出そうとするやり方が、「データに基づいたもの」であること(母集団が学生ということで、「偏り」が皆無な訳ではないのですが・・・)、無理に答え(「このように書くべき」という結論)を出そうとしていないこと、各章が、課題(演習)→説明→演習→参考文献の順で、しかもどこにも「正答」も「模範解答」も書かれていないこと、などです。

著者は、基本的に「データを集計したところでは、こういう傾向がみえる。だから、こういうことは言えそうだ/こういう風に説明できそうだ」というスタンスです。多少もの足りなく思う部分がないでもなかったのですが、日本語の文章というものは、それくらい多様性に富む、ひと括りにできないものなのかもしれないとも思います。本書は「文章構成編」「文法編」「発想編」「文体編」と続く5巻ものの1巻目です。今回は、まずは本書のみを購入してみました。咀嚼するのに時間が掛かるヤツなので<自分。そのうち、「文法編」も覗いてみるかもしれません。

一読したからといって、もちろん「感覚的ではない」日本語の使い方がすぐに身につく訳ではないですが、折りに触れて(特に「自分が今書いているこの文、なんかおかしいよね」という時など)、「なぜ今私はこの語、この語順、この位置に読点を選んでいるのか」ということを考えるようになりました。結局、一番大事なことは、自分が書いている文章の表現について、「意識するかしないか」ということなのかも。
年のせいか、読んだことは(悲しいほど)すぐ忘れるので、時々読み返さないかんな~、と思っています。
(とか言っている割には、ひどい日本語を書いてるやん、という説もありますが、本「概ね息抜きブログ」については、暖かくスルーしてやって頂ければ・・・頂ければ・・・頂ければ・・・

目次
第1講 読点の打ち方
第2講 語順の文法(「は」「が」の使い分けもここ)
第3講 かなと漢字の書き分け
第4講 主語の省略と表出
第5講 表現選択の可能性
第6講 話しことばと書きことば
第7講 弱い判断の功罪
第8講 事実と意見の書き分け
第9講 「のだ」のさじ加減
第10講 接続詞の使い方
第11講 文の長さと読みやすさ
第12講 段落の考え方
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2014. 04. 25  
またまた鈴木明子さんのインタビュー記事の紹介です。
彼女の言葉には、「それそれ」と思う部分が多いのですよね。

インタビューの前半はこちら→
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/2014/04/25/post_356/
インタビューの後半はこちら→
http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/2014/04/25/post_357/


今回も少し引用させて頂きます(「 」内インタビュー記事からの引用)

「自分の未来は、『今をがんばること』でしか見えてこない。プロのスケーターになりたければ、ショーに呼んでもらえるスケーターにならなければならない。もしコーチになりたいなら、コーチをしてほしいと思われるような選手にならなければいけません。今後の活動を考えて、残りの選手生活で『これをやろう』と決めれば、より可能性は広がるでしょう」

自分が「どんな翻訳者になりたいのか」を考えて、「だから今はこれを頑張ろう」というのと同じですね(と無理にこじつけてみる)。


「今できることを一生懸命にやらなければ、未来にはつながりません。たしかに、自分がやれることを少しずつやっていくことは、すごく根気がいります。『嫌になりませんか?』とよく聞かれますが、嫌になるもならないも、私にはそういう生き方しかできませんから」

この「やれることを少しずつ」が似ている部分なのかなと思います。私は、よくも悪くも「少しずつ積み上げて」「一度に1つずつ」やっていかないと何もできないヤツなので。というわけで、50になってやっとやりたい翻訳やっているわけです。でも、やっぱり、そういう生き方しかできなかったなあと思います。なので、フィギュアと翻訳の二兎を追わなければならなかった先シーズンは、本当に過酷なシーズンでした(<ってそこかい<自分)


(摂食障害の前後で変わったかとの質問に)「それまでの私は、『できないくせに完璧主義』でした。勝手にハードルを上げて、それを越えられなくて自己嫌悪に陥っていたのです。でも、病気になってからは『まあ、いいか』という部分を残すようにしました。
18歳までの私はやわらかさがありませんでした。ピンと張ったものだけが強さだと考えていたのです。でも、遊びの部分がないと、もろい。だから、意識して『まあ、いいか』を持つようにしたのです」

前の記事「受けいれる」と通じるものを感じます。
もちろん、仕事の上での「まあいいか」はご法度ですが、それ以外の部分では(特に人生全般において)「まあいいか」は、本当に大切だよなあと思います(しみじみ)。とはいえ、「まあいいか」と「甘やかし」は表裏一体のような関係にあるとも言えるので、匙加減がむつかしいんですけど(でもって、「ま、いっか」とだれている方が多いのですけど<自戒)。


というわけで、シーズンが終わっても、なかなかフィギュアスケートから離れられないSayoなのであった。
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2014. 04. 16  
「キャノン・ワールドフィギュアスケートウエブ」に、昨季で現役を引退した鈴木明子さんのインタビュー(聞き手:野口美穂)が掲載されました。
http://web.canon.jp/event/skating/interview/int_suzuki02_1.html

その中からの引用です。

==引用ここから==

「もう怪我と一緒にやるしかない」って決めて、そしたらどんな状況でも「受けいれる」ことが大事だと思ったんです。調子が良くても自分自身を過信しちゃう場合だってあるだろうし。だから調子が悪い時に、全日本選手権みたいな最高の演技がしたいと思っても、できないですよね。やっぱり時は動いているし、その時、その瞬間の演技は一度しかない。28歳の五輪は、28歳の全日本選手権とも違う。その時の自分自身を受けいれて滑ろうと思いました。

==引用ここまで==

今回Sayoのアンテナに引っ掛かったのは「受けいれる」という言葉。

スポーツに限らず、1つの分野で名を成したり尊敬されたりする方々というのは、たとえ自分でそうとは気づいていなくても、常に「現状を知り、現状を受け入れ、その中で最善を尽す」ということをされているのではないかなあと思ったのでした。

才能があり努力を怠らないでいれば、「ある時、最高の状態で、最高の結果を出す」ことは可能だと思うのです。もちろん、(特にスポーツや芸術の世界では)最高の舞台に最高の状態で臨めるということも1つの大きな才能であり努力の結果であろうとは思うのですが、100回なら100回とも、常に最高の状態で臨めるとは限らない。そうした状態の時、常に、その時の自分にできる最高のパフォーマンスをする、ということは、「最高の状態で最高の結果を出す」ことより難しいのではないか、と思うのです。
何かの分野で「一流」と言われる方々は、これができる方ではないかと。

現実の生活においても、「まず現状をそのまま受けいれる」というのは、簡単そうで、実はとても難しい。私など、毎日洗面所で鏡を見る時、そこに映っている現状からは目をそむけ、20年前の自分の姿を見ようと、無駄な努力をしていたりするわけです(老化を受け入れるのは難しいのよね~)。
現状が受け入れられないと、以前の自分を土台として将来の自分を組み立てようとしてしまう。すると、どうしてもどこかに歪みが生じてしまうように思います。

「現状を受けいれ、その中でできることを考え努力する」ことは「現状に甘んじる」こととは違う、と私は思います。ま、それは理想であって、だいたいは「現状に甘んじ」ていることが多いんですけど(というのは翻訳の仕事の話)。

でも、(年を取ったせいかもしれませんが)以前より、「受けいれて、のち、先に進む」ことの大切さというものを、感じるようになったような気がします。
そんな時、このインタビューに出会ったので、記事にしてみました。


注:あくまでも、「受けいれる」という言葉からの連想によるSayoの解釈で、鈴木さんの考えるところ、表現したかったところとは異なる可能性があります。
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2014. 04. 09  
一読した感想のような、そうでないような。


前回発行から約3年。
「どの点が違っているのか、又はいないのか」に興味があり、今回は予約注文で購入してみました。五輪Yearだし、そろそろ出ると思っていたのよね(注:何の関係もありません)。

基本的な構成は2011年版と同じなのですが、ざっと見た印象では、「多少医療機器の存在感が増したかな?」という気がしました(贔屓目かもしれませんが)。

これは、私だけが勘違いしていたことなのかもしれませんが、実際に医療機器の翻訳の仕事を始めてみるまで、自分の中では、医療機器翻訳については、「医薬翻訳の花形は製薬関連の翻訳で、医療機器の翻訳はニッチな分野の1つ」程度の位置付けしかありませんでした(ごめんしてね、医療機器翻訳)。
でも、多種多様な薬剤があるように、医療機器も大きなものから小さなものまで多岐に渡り、「こんなものも医療機器なのか(でも、そう言われればそうだよね~)」と驚くことも多いです。
製薬関連と医療機器のどちらにも等しく手を広げようとすると、結局、どちらもいい加減にしかできないのではないかとも思うようになりました(あくまで自分の場合ですが)。実際、お薬関係のニュースや雑誌情報は、Facebook上で同業翻訳者さんの記事や「いいね」で初めて知ることが多かったりするのです。
ということで、「面白い」と思えるのであれば、このままこの「外科的アプローチで疾患に立ち向かう系」の道を行くのもいいかなあと思っているということは、前にもどこかで書きましたね。苦手なIT絡みでない案件も多いですしね。


個人的に、本号で一番心に残ったのは、先輩医薬翻訳者の方の「医学・薬学の専門知識はこう学ぶ!」というコーナーでした(pp.66-70あたりね)。
前回の号でも、別の翻訳者の方が、1つのやり方として「1つの薬剤なり疾患なりを極める」という方法を紹介されていましたが、個人的には、今号で紹介されていたやり方の方が、「自分のやってきたやり方に近い」「自分の性格にあっている」と納得できるものでした(どちらが優れているとか、そういうことではありません。これから医薬翻訳を学ぶのであれば、自分の立ち位置や性格も加味して、こちらの方法を選ぶだろうということです)。
もちろん、どちらの翻訳者の方も、(特に文系出身者の場合)「まずは基礎の基礎(高校生物とか化学とか)を学ぶ」「すべてを学ばなくても仕事は始められる(しかし、仕事を始めても学び続ける)」という点では共通しています。

今号で紹介されていた方法は、「積み上げ型」と「テーマ型」を併用するというものです。基礎の基礎と基礎医学(解剖生理+病理+微生物学+生化学など)は「積み上げ型」で学習し、臨床医学は「テーマ型」で調べていきます。そうやって身につけたテーマがネットワークで繋がって知識が増えていくのだ!・・・と無理やりまとめてみました(詳しくは本誌を見てね<決して本雑誌の回し者ではありません<念のため)。
そのどこまで学んだ時点で仕事を開始するのかというのは、個々人の状況や資質によって違うかなと思いますが、とりあえず基礎医学(の解剖生理+病理<微生物学と生化学はこれらの中でカバーされる部分も多いと思うので)までそれなりの知識を持っていれば、仕事を始めた後も、かなり広い分野に対応できるのではないかという気がします。

最後に、執筆者の方は、「意識的に学ぶべき重要分野」として「医薬品開発の流れ(規制も含む)」「統計学」「疫学」を挙げておられます。個人的には、「統計学」「疫学」はまだまだなんですけど、「規制を含む医薬品(医療機器)開発の流れ」については、この頃になってやっと、その概要や重要性が分かってきたような気がします。そうすると、多少ですが、翻訳する文書に対する見方も変わってきたりするのだ(<えらそう)。

たぶん、いくつになっても「医薬翻訳の100%」には追いつけないと思う今日この頃。翻訳とは、そもそもそういうものなのかも。
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2014. 04. 05  
例年は、立ち読みで済ませるという、ファンの風上にも置けないヤツなんですが、今季は五輪Yearということで、Sayoなりに頑張ってみました。といっても、最近ではフィギュアスケート関連本の発行も多く、また、金銭的な問題や屋根裏的収納問題もありますので、厳選の4冊です(涙)。


「フィギュアスケート ソチ五輪完全ガイド」(晋遊舎)
昨年末にかけて、五輪ガイドと銘打った雑誌は多数発行されましたが、そのほとんどが、ページ数の殆どを日本人選手の紹介や写真に費やしたもので、外国人選手の情報もそれなりに知りたいSayoにとっては、どれも今ひとつ感が拭えませんでした。そんな中、この本は、日本人を中心に扱いながらも、各Discipline、各国選手の情報もかなり含んだ、読み応えのある内容でした。本書の「コーチ相関図」は、過去の師弟関係まで含めたもので、「あの複雑な『ついた、離れた』の師弟関係を、よくぞ見開き2ページにまとめたものよ」と感涙ものでした。
同業者ファンの間では「テキスト」と呼ばれシーズンを通じて重宝された1冊です。

「Number 848号 ソチ冬季五輪総集編」(文藝春秋社)
表紙が嬉し涙を流す浅田選手。これを見るだけで、こちらも、その瞬間を思い出して泣けてきてしまいます。
Numberの冬季五輪総集編号だけは、必ず購入するようにしています(トリノ五輪号は私事バタバタにより購入失念、ソルトレークシティ五輪号は家庭内行方不明)。当然のことながら、活躍した選手に関する記事が多いため、フィギュアスケート関連記事が多めで、Sayo的には嬉しい1冊。(ちなみに、リレハンメル五輪号のメインはノルディック複合で、フィギュアスケートはケリガンvsハーディングの女の戦いが軽く触れられているくらい。長野五輪号のメインはジャンプで、フィギュアスケートは、扱いこそ大きくなったものの、日本人選手に関する記述は微々たるものでした)。

「フィギュアスケートフォトコレクション Rhapsody 2004-2014」(晋遊舎)
「日本フィギュアスケートの歴史を次々塗り替えた2004-2014年のフィギュア界を記録した完全保存版フォトブック」と銘打たれた書籍。2003‐2004年のシーズンから、各シーズンに活躍した日本人選手、外国人選手の写真が、シーズン毎に掲載されています(各シーズンの主要大会の結果付)。
田村岳斗コーチ、本田武史コーチ、村主章枝さん、恩田美栄コーチら、「それは彼らから始まった」的な選手や、国内ではそれなりの戦績を残しながらも世界選手権(或いはGPシリーズ)まで到達できなかった選手たちについても触れられているのが嬉しい。引退した選手については、(外国人選手も含め)その後の活動が記されている場合も多く、ファン垂涎の1冊(と思う)。これで1500円はお値打ちものかと。その情報量の多さの故、老眼には優しくありません、念のため。あと、日本人選手活躍の記述は、伊藤みどりさんの世界選手権優勝(1989年)から始まっているのですが、そこは、渡部絵美さんと佐野稔さん(それぞれ、1979年、1977年の世界選手権で銅メダルを獲得)に関する記述から初めてほしかったなという気もしました。

「ソチ・オリンピック World Figure Skating別冊」(新書館)
今では、フィギュアスケート専門の雑誌も何冊か発行されていますが、1990年代後半~2000年代前半にかけては、この「World Figure Skating」が唯一の雑誌だったと記憶しています。海外にいる間は、(特に日本人)選手の動向を(日本語で)知ることのできる唯一の雑誌だったので、一時帰国のたびに買い集めていました。帰国してからは、写真比が増えたこともあり、立読みですませることが多くなりました(どこまでもTextの好きな人)。
この特集号も写真多めですが、特集号だし、許す(注:そこにSayoの許可はいりません)。各選手のインタビューの他に、帝王プルシェンコに関する記述、荒川静香さんや男子の試合のジャッジを務めた岡部由起子さんの解説などもあり、なかなかバランスの取れた特集号だったと思います。


それでは、皆さん、また来季にお会いいたしましょう。
(・・・ブログ自体はしつこく続きますが)
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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