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2014. 06. 25  
しみじみと昔を振り返る年になりました(しみじみじみ)。

今、私の周りでは、ちょっと色々なことがこれまでと違う方向へ動き出そうとしています。
そのうちここで触れることもあるかもしれません(今はまだ流動的な部分が多いので)。
仕事については、アプローチの仕方が微妙に変化する可能性はありますが、
今まで通り続ける予定です。
ブログへのアプローチ方法は変わりません。
これまで通り、読書感想文、フィギュアスケート、時々翻訳(?)です。


私が翻訳の勉強を始めた1990年頃は、翻訳といえば「出版翻訳」で、産業(或いは実務)翻訳という言葉はすでにあったのかもしれませんが、まだ一般的ではなかったような気がします。

というわけで、私が最初に目指したのも「出版翻訳」でした。そこには
「翻訳者として書籍に名前が載れば、XX(Sayoの旧姓)の名前も残るし(XX家最後の人間であります)」
というヨコシマな思いがあったのでした(というか単なる世間知らず)。もちろん「英文にぴったりとハマる日本語を探し出す作業が好き」というのが一番の理由ではありましたが(と言い訳などしてみる)。

そうして、翻訳の勉強に邁進すべく退社した後、暫く貯金を取り崩す生活が続きましたが、ある日、新聞の地方求人欄で見つけた「翻訳者募集」広告に引っ掛かり・・・もとい、応募して採用され、メーカー工場生産ラインで派遣翻訳者として勤務することになりました。出版翻訳が遠のいたような気はしましたが、当時は諸先輩と自分の間に横たわる「翻訳力の差」という厚い高い壁に暗然としていた時期でしたし、お金が欲しかったというのもありました。そこで初めて「技術文書の翻訳」なるものを経験しました。2年半働くうちに、実務翻訳が面白くなりました。

結婚退社(派遣の「退社」という言い方も変ですが)後、在宅で英日翻訳をするようになりました。様々な種類の文書を翻訳し、仕事量も増え、「もっと本腰を入れて」と思った時に海外転勤の話が持ち上がりました。柱にたかって「行きたくないよおおん」と泣きました(当時はセミだったようです)。

仕事を休んで6年半駐妻生活を謳歌しました。最初は仕事を休むことに対して焦りばかりがありましたが、そのうち、Community Collegeの授業や図書館でのボランティアが楽しくなり、「親戚付合い」という面倒なものもなく、最後は、旦那の健康を心配することさえなければ、いつまでも帰国したくないとまで思うようにさえなりました。だがしかし、楽しい人生は長くは続かない。再び異動命令が出て、帰国することになりました。

帰国後ほどなく、ありがたいことに、以前お世話になっていた翻訳会社から仕事を頂けるようになりました。英訳も始め、「医薬分野の仕事がしたい」と通信講座を受けたり、新たに取引先を開拓したりと、ほぼ自分のことだけ考えていられる時期が、約2年*続きました。仕事は技術翻訳一般で、Community Collegeで勉強した医薬の分野に未練(?)はありましたが、それなりに満足していました。

2年*後、叔母、父、母が、相次いで介護が必要な状態になりました。別居だったので、基本、施設や病院にお願いし、自分が介護に携わることは殆どありませんでしたが、非力なSayoは、3ヵ所廻って帰宅するとPCに向かう気力体力は残っておらず、仕事はほぼ休業状態となりました。自分の中でも、「翻訳? ま、いっか」的状態でしたが、数年経つうちに、叔母は亡くなり、母は入院し、父の最終的な行先も決まり、精神的にかなり楽になりました。
  *) 計算間違っちゃったので数字直してます(どこまでも算数に弱い)

そうなると、今度は、やりたい分野の翻訳がしたくなり、医薬分野のトライアルを受け、2社から合格通知を頂きました。当時は、何となく「内科的治療に係る翻訳がしたい」と思っていたのですが(医薬翻訳と言えばやっぱ製薬だよね~的な理解であったことを、ここに謹んで白状致します)、前職が災いし(?)、打診される案件は「ほぼ100%医療機器」の状態で始まり、今もその状態が続いています。
当初は、「そのうち製薬関連案件も」と虎視眈眈と狙っていたのですが、今では、イカツい医療機器の仕事(ホラ、疲労破壊試験とか・・・)も可愛く(?)感じられるようになり(結構奥深いのよ)、「外科的治療関連の翻訳者として翻訳者人生を全うしよう」と思うに至りました。勉強や情報収集へのアプローチも、医療機器を優先した形に変わってきました。


こうしてまとめてみると、20年前に志した目標とは、何と違った場所に着地したことでしょう。
結局「好き」と思える仕事/分野に着地したとも言えるのですが、「絶対コレ」と思い定めて狙ってきたわけではなく、その時々で目の前に提示されたものを受け入れ、その中で「譲らないところは譲らない」で来た結果が今であるような気がします。翻訳に限らず、人生全般において、提示されたものを、(あまり)抗わずに受け入れるという点で、自分は運命論者だなと思うのですが(その割には頑固という説もあり)、提示され受け入れたものの範囲において、こうする、こう進むという最終的な決断は自分で下してきました(除:旦那の異動)。とにかくこれまでは、人生の責任を問うべきは自分自身のみであるという人生を送れたことを幸せに思います。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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