FC2ブログ

屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「逆境に学ぶ」(伊東四朗、朝日新聞1月8日付朝刊)

伊東「人生で途方にくれた時、逆境と思わず、試練と考えました。それを乗り越える絶対の答えはない世界だから、どんな仕事も誠意を尽くし、悔いを残さないように、と考えてきました」

伊東さんは、ご自分の仕事について「絶対の答えはない」と仰っているようですが、100人いれば100通りの生き方のある人生に、そもそも「絶対の答え」などないのではと思います。「こう生きたい」という答えは、本来、自分にしか出せないものではないかと。

伊東「・・・コントを演じる新人を、大監督がちゃんと見てくれている。後輩には『だれが見ているかわからない。絶対に手を抜くなよ』と言ってきました」

「手を抜かない」毎日は息が詰まってしんどいです。時にはぐーたらも必要かな。でも、人生トータルで考える時、「手を抜かない生き方」というのはあるような気がします。

伊東「『お天道様は見ている』というでしょう。確かにそうだと思います。考えてみると、怖い言葉だと思うんです。『人は死ぬまで仕事でも生き方でも手を抜けないよ』ということなんでしょうから」


「私が愛したスケーターたち」(ローリー・ニコル、文:田村明子、Number 868号)
* 高橋大輔、浅田真央らの振り付けも行った著明な振付師さんです。

(母を失った年、浅田真央に楽しい曲を振り付けた経験を語った後)
「彼女のようないい子がなぜこのようなハードな人生を送らなくてはならないのか、と疑問に思うこともありました。でも考えてみると、ジャネット・リン、カート・ブラウニング、ミシェル・クワンなど、もっとも人々から愛されたスケーターは、五輪チャンピオンにはならなかった。その一方で、五輪チャンピオンになっても幸せになれない人もいる。結局、人生というのは最後までいかないとパズルの最後の一片は見つからないもの。それが生きていくことなのでしょう」

そのブラウニングやクワンでさえ、人生80年とするなら、まだ道半ば。これからの人生、何が起きるか分かりません。そう考えると、人生をその時々で「よい」「悪い」、「幸」「不幸」と単純に分類しようとするのは、無意味なことのような気がします。「では、どう生きるのか」と問われれば、やはり最終的には「周りにも自分にも誠実にいまを生きる」かなあ。それが伊東四朗さんの仰る「手を抜かない生き方」にも通じるのかなと思ったりしています。

と、今年も抽象的に始まる「屋根裏」なのだった。
関連記事
2015.01.08 22:42 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(2) |
・・・やはり、年内振返りが叶わなかったのだった(昨日仕事納め、本日仕事始め)。


「屋根裏」を訪ねてくださる皆様、今年も老体に鞭打ってまいります。
どうぞ宜しくお願い致します。

普段、「食って(シアワセ)寝て(シアワセ)仕事して時間があれば読書し(シアワセ)時間がなくてもフィギュアスケートに現を抜かす(シアワセ)」だけの人間なので、まとめと目標も概ね仕事に関するものです。


2014年 まとめ

2014年のワタクシ的目標は、「医療機器翻訳を外から見よう」でした。
具体的には、医療機器に関する内外の規制について体系的知識を得ることと、日本語文法を学ぶことです。どちらも、即、訳文の質の向上に繋がるとは言えないものですが、やはり、どこかで集中して身に着けておいた方がいいであろうと。改正薬事法(医薬品医療機器等法)が施行される2014年は、規制を学ぶには最適な年のように思えました。また、1年半3期に渡り「治験翻訳講座」を受講した後、それまで感覚的に立ち向かっていた日本語を、文法的な面からきちんとおさらいした方がいいのではないかと思うようになりました。

前者については、MEIの医療機器の講座や医療機器センターさんの期間限定の無料講座公開などで、基本的なことは勉強できたかなと思います。忘却の彼方に消え去ったものも多いですが、手元に資料が残りましたので、必要時には確認することができます。
後者については、手に取った書籍は「文章表現の技術1」(石黒圭)、「24週間日本語文法ツアー」(益岡隆志)の2冊のみで、「24週間…」の方は、薄い書籍であるにも関わらず最後まで辿り着けていないという無残な結果ですが、助詞や共に用いるべき動詞といったことを意識しながら翻訳する姿勢は身についたように思います。

11月のJAT-Pharma、12月のミズトラセミナーを通して、翻訳とは「2つの言語間で意味の移植(再生)を行うことである」ということを、実感として再確認することができました。

ただ、それに伴って弊害も生じました。
秋頃から、生産性というか1日のMAX処理量が落ちてしまいまして、最初はそれを、「旦那退職により生活習慣が変わった」「(フィギュアスケートシーズン開幕を主たる理由として)集中力が落ちた」せいと考えていたのですが、「さらに日本語として適切な表現はないか」「足さず引かず意味を移植できているか」といったことを考えすぎてしまい、なかなか先に進めなくなっていることが多いのだということに気づきました。
何年もやってきて何を今更と言われそうな部分もありますし、考え過ぎは、本来の目的を失念した自己満足の翻訳に至る危険性も孕んでいるような気がしますので、2015年は、この部分は意識的に何とかしなければならないと感じています。


2015年 目標

EVERY DAY IS GIFT
毎年言っていることですが、細々とした心配事はあっても翻訳のできる毎日は、私にとっては、それだけで『Every day is Gift』です。今年も1年間、大過なく翻訳が続けられますように。

「分野の中から翻訳を見よう」
1年間の継続目標です。
一般的な日本語文法については、まだまだ至らない部分だらけですが、意識的に考える癖はつきました。今年は、自分が翻訳対象とする分野では、どのような表現が用いられるのかという点を、(時には復習の意味もこめて)重点的に攻めていこうと思います。異論もあろうかとは思いますが、「まず正しい日本語ありき」→「専門分野の日本語」と進むべきだろうというのが私の考え方です。

生産性回復
翻訳時間を増やして対処しているのが現状です。
これを夏前のレベルまで戻すのが目標です。
翻訳作業以外の部分も視野に入れていますが、2014年の弊害で述べた部分について、自分の中である程度の落としどころが見つからなければ根本解決に至らない問題ですので、そこの部分を重点的に探っていければと考えています。

バランスの取れた1年に
あくまで仕事の中で、という意味ですが。
・ 音読、リスニングは毎日の生活に組み込まれて久しいですが、読書の時間は意識してとらなければ取れないということがよく分かりました。今年は、1日、1週間単位で、仕事、音読、リスニング、読書(仕事関係)のバランスが取れた生活を送りたいです。
・ 内省と外部からの刺激のバランス‐考えず取り入れることも問題ですが、考えてばかりでも、視野が狭まる危険があります。私はどちらかと言えば「内省型」なので、適度に外から刺激を受けることも忘れないようにしたいです。
・ 自分の知識や能力の底上げを図りながらも、これまでに自分が得たものを同業者にOutputしていく‐翻訳者人生がもうそう長くないことを意識し出した一昨年頃から、この点を考えることが多くなりました。決して教え体質ではない自分に、ブログやFBでたまさかに発信していく以外に何かできることがあるのか、考えながら、時には動きながら、1年を過ごしていきたいです。


最初にも書いたとおり、ワタクシは、基本「食う寝る翻訳する」な毎日を過ごしている、その意味では、(翻訳とフィギュアスケート関連の話題は別として)付き合うにはあまり面白味のない人間かなと思います。また、「屋根裏通信」では、「私はこんな翻訳がしたい」「私がやったコレコレ(私が読んだコレコレ)は自分には役に立った(あくまでも参考まで)」的な話が多く(あとは読書感想文と季節性フィギュアスケートの話)、読んで下さる方が実務に即役立てられるような情報は(これまでもこれからも)少ないかなと思います。そんな「屋根裏」ですが、時々思い出して訪ねて頂ければ幸いです。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。
関連記事
2015.01.01 16:24 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(4) |