屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

今日も今日とて翻訳とは関係のない記事が通ります(?)んで。
お好みによりスルーでお願い致します。


五輪後初となるフィギュアスケート2014-2015シーズン。
もっともご贔屓だった選手たちが引退し、
個人的には今イチモチベーションが上がらないシーズンでした。

いつもの如く、基本リアルタイムで更新される結果をネットでチェックしつつ、
YouTube様で後追い観戦。本当にいい世の中になったものです。
(リアルTV観戦はBBAの心臓には悪いのだよ)

羽生選手がSP、FP 2本無事に滑り終えたことに、とりあえず安堵。
Galaでは笑顔ではしゃいでいて、おばさんは泣けた。
しっかり体をケアして来季に備えてほしいです。
来季とは言わんが、もう一度「オペラ座」見たいね。

無良選手と小塚選手は、あくまで個人的な感想ですが、
身体と心が少しちぐはぐなような気がしました。
小塚選手の滑りはやはりとても美しく、
本人は来季については明言を避けましたが、
個人的にはEligible枠でもう少し見ていたいです。
無良選手は様々なプレッシャーに負けてしまった部分があるのでしょうか。
割と強面の顔ですが、凄く心優しい青年なのかなあと思います。
でも、平昌までと決めたのであれば、
そこは乗り越えていかなければならない部分かと思います。

来季出場枠は2枠に減りましたが、
その昔本田コーチが孤軍奮闘していた頃のことを考えれば、
2枠に減ったことが衝撃のように語られるという現実は、
それはそれで凄いというか、思えば遠くまで来たもんだというか。

で、女子。
ラジオノワ選手の調子が悪かったという説もありますが、
ロシア娘の間に割って入った宮原選手はやはり凄い。
昨シーズンは伏し目がちだった目線も
ジャッジ&観客アピール目線になっていて、
技術的な部分以外での大きな進歩を感じます。
まだ17歳、今後、「そつのない優等生の滑り」を脱して
(それをいつもほぼノーミスで滑るのも、それはそれで凄いことですが)
宮原カラーを出していってほしいなあと思います。
どんなカラーになるのか楽しみ。
逆に、あくまで今年の印象ですが、
本郷選手は(勝手に)「ドラマチック系」に分類してみました。
今が急成長の時なのかもしれませんが、
滑るたびにPB更新は天晴れと思います。
村上選手は、FPでは失敗もありましたが、
SPでは最後まで笑顔が見られてよかったよ~。
天真爛漫な末っ子的立ち位置から長女の位置へ。
色々な意味で戸惑った1年ではなかったでしょうか。
今後のことは未定のよう。まずはお疲れ様でした。

その他、村上(大介)選手、宇野選手ら、挙げていきたい選手は多いですが、
キリがないので、とりあえず「今後が楽しみ」枠で括っときます。

個人的には、ロシアのカワグチ&スミルノフペアの復活が嬉しかったです。
カワグチさんは確か荒川さんと同い年くらいだったと思うので、
正直、平昌まで続けられるかなあ、と思う気持ちはありますが、
モチベーションと体力が続く限り頑張ってほしいです。

とはいえ、やはり、高橋大輔、町田樹両選手がいないという喪失感を大きく感じた1年でした。
特に町田さんは、世界選手権レベルで戦える力を持った選手がそれなりの成績を残している中で、外から(プロなりコーチなりの道を)呈示されたという形ではなく、スケート以外の道を選択し掴み取った初めての選手ではないかと思います(少なくとも私の思い出せる限りでということですが<あとは神崎範之さんくらい)。後輩たちに、「こういう道もある」という1つの選択肢を示すこともできたのではないかと。

ということで、激動の2014-2015シーズンも終わり。
(・・・あ、まだ国別対抗があったな・・・)
あと1~2回はこっそり更新することがあるかもしれませんが、
本カテゴリでは、また2015-2016年シーズンにお会い致しましょう。

神崎範之さんのプロフィールはこちら↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B4%8E%E7%AF%84%E4%B9%8B

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2015.03.30 20:28 | フィギュアスケート(14-15 season~)  | トラックバック(-) | コメント(0) |
聴了。

したのは「The Hot Zone」より前ですが。
11月下旬に「『Fall of Giants』を聴き始めました」と書いているので、3ヵ月以上聴いていた計算になります。何たって全24CD。

はー、疲れたぜ。
・・・というのが、正直な一番の感想です。

聞流しだから完走できたと思いますが、文字版だったら、「大聖堂」のように、また挫折したんじゃないかという気がしております。
同じ作家の「針の眼」「レベッカへの鍵」「ハンマーオブエデン」などは、その昔、ドキドキしながら一気読みしており、決してFollettさんが苦手という訳ではないのですが。

「大聖堂」や「Fall of Giants」と「針の眼」などを比べてみると、前者は群像劇、後者はごく少数の主人公を中心に物語が展開するという構成が一番大きく違っているので、(Sayo的)挫折するか否かの分かれ目はそのあたりにあるのかなあと思います。

「Fall of Giants」の舞台は第一次世界大戦で、物語自体も非ドラマチックという訳ではないのですが、イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、アメリカと舞台が目まぐるしく変わる上、主要登場人物があまりにも多すぎて、結局誰にもあまり感情移入できなかった感があります(一番感情移入できるとすれば、最初と最後に美味しいところを持って行った感のある炭坑夫Billy Williamsなのですが、彼の場面が特別多いわけではないので、「え、そんなにしっかりした子だったっけ?」という気持ちが最後まで拭えませんでした<ただ、これは、あくまでもストーリーを中心に追っている聴流しでの話ですので、邦訳を読むとまた違った感想を持つかもしれません)。

途中まで聴いたJeffrey ArcherのClifton Chronicles(「Only Time will Tell」など)もほぼ同じ時代を扱っていますが、受ける印象はまったく違います。あえてひと言ふた言で両者を表すなら、「Fall of Giants」は、世界の動きと登場人物たちの物語を交錯させた重厚な群像劇、Clifton Chroniclesは主人公(とその家族)中心の予定調和(たぶん)の肩肘張らない一代記ということになるでしょうか。どちらがよいとか悪いとかの問題ではなく、「どちらが好みか」の問題になるかなと。本好きの私の友人なら、「芸風が違うねん」のひと言で片付けたかもしれません。少し気楽にということならClifton Chroniclesということになるかと思います。「Fall of Giants」はラストでじわじわ感動がきますが、そこに至るまでにはかなりの気力体力を必要とします(注:あくまでそれらに欠けるSayoの場合)。その後、本作は、第二次世界大戦を背景とする子供世代が主人公の「Winter of the World」へと続きますが(そして、60~80年代を扱った「Edge of Eternity」で完結するらしい)、こちらは、さらに気力体力を必要としそうです。邦題も「凍てつく世界」だし。

第一次世界大戦はもちろんですが、ロシア革命をこれだけきちんと詳しく扱った小説を読んだのは、そういえば初めてかもしれない(というか、歴史の授業以外では、ほぼ「オルフェウスの窓」のみが情報取得源だったかも<「ベルサイユのばら」でフランス革命を学び、「あさきゆめみし」で源氏物語を整理した世代)。そういう意味で、とても興味深い小説でした。
ロシア革命は、主にロシア軍兵士で後にボリシェビキの有力メンバーとなっていく主要登場人物の一人Grigoriの目を通してロシア革命の様子が語られるのですが、皇帝による専制政治を覆したはずが、再び似たような国家体制が作られていく様に、「こんなはずでは」という思いを抱いたように思われるあたりで、「Fall of Giants」ロシア編は終わっています(ビミョーに理解が間違っていたらすいません)。

個人(個々の家族)の行く末もですが、次の戦争に向かって一般人から見た世界がどう変わっていくのかにも興味があり、そのうち、もう少し気力体力が復活すれば「Winter of the World」にも手を染めるかもしれません(CD枚数の割にお安いのでお得感はハンパないのだった<そこか<自分)。

蛇足ですが、登場人物については、Follettのウエブサイトのこちらのページに簡潔にまとめられています
(http://ken-follett.com/bibliography/fall_of_giants/characters.html)
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2015.03.26 21:33 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |
先日、といっても1週間以上前ですが、数年ぶりに徹夜致しました。
暫く体調が優れず、やはりもう若くないと実感したのでした(しみじみ)。

徹夜明けに、FBに「ゴミ出して寝る」(燃えないゴミ出しの日でした)と書き込んだら、多くの方から共感の「いいね」と「お疲れさま」コメントを頂きました。目に留まり易いキーワードなのだな(しみじみ)。皆様、その節はありがとうございました。

でもだがしかし。

今回の徹夜は、私自身にとっては悔しくも情けないものでした。

念のため、最初に断っておきますが、私は時々の徹夜が絶対悪だと言っているわけではありません(まあ、お肌には絶対悪で、身体にもよろしくはないとは思いますが)。超短期案件を引き受けた場合は、瞬間最大風速的に(どんな形容詞やねん<自分)徹夜が必要になる場合もあるかもしれません。また、自分や家族の健康問題で、一過性に徹夜で乗り切らなければならない状況というのもあるかと思います。
今回はそういうケースではなかったので。

もう7~8年前になりますが、スケジューリングに失敗して、徹夜明けに、自分的にはとうてい納得できない訳文品質の原稿を納品したことがあります(よく切られなかったものです)。まあ、その間に旦那の入院もありましたが、入院が決まったのは、3週間超の案件が始まったところでしたから、一部返却するなり、もう少しきちんと予定を立てるなり、何等かの対策を講じることができたはずなのですが、「何とかなるさ」とずるずる行ってしまい、結局何とかならなかった結果の徹夜でした。

その時、「もう徹夜はすまい」と決めたのですが、今回、それ以降初めて国禁を犯してしまったのでした(←最近ちょっと「花燃ゆ」にかぶれている<伊勢谷松陰先生がこっそりお気に入りだったり)。

理由
・ 体力的に不安(←その後暫く使いものにならない)
・ 徹夜明け納品は訳文品質もその他の部分の品質も落ちる(あくまで自分の場合)

ということで、以降、短期案件は自分できちんと管理できる量しか受けない、婉曲的に中長期案件をやりたいとアピールし続ける、基本ダブルブッキングはしない、を徹底して、特にここ2~3年は、そういう意味では割と気持ちよく仕事ができていたと思うのですが、今回、どうしても時間が足りなくなってしまいました。

今回は、割ときついスケジュールであったところに、旦那経由案件(諸事情により断るのが難しかったのでした<言い訳)を引き受けたのが敗因で(しかも「現地とのやり取り」て、契約書の英訳やん!!)、できれば旦那を恨みたいところですが、冷静に考えれば、やはり原因は「一杯一杯やなあ」と思いつつもその仕事を突っ込んでしまった私の判断ミスにあります。

ここ数週間、私は「仕事を管理する」ことができず、「仕事に追いまくられていた」ようです。それもあと1週間ほどで一旦落ち着くことができそうなので、心も新たに新年度を迎えたい今日この頃。今日はこれからお墓参りに行ってきます。

徹夜明けそのまま納品の怖さは身に染みて分かっていますので、今回、「徹夜は避けられない」と判断した時点で、納品日の1日前に徹夜し、最終チェックのために1日残しました。そこだけは褒めてやる<自分<てか、やっぱり1パラグラフ丸々抜けとったし。ホラー小説より怖い徹夜明けなのだった。
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2015.03.20 11:20 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
聴了。

プレストンの「ホットゾーン」、長らく絶版になっていましたが、昨年来の再流行を受けて復刊されました。てことで、Audio Bookで購入。CD3枚という短いものでしたし、冒頭からぐっと引き込まれる内容でしたので、あっちゅう間に聴き終えてしまったのでした(その前にKen Follettの「Fall of Giants」全24CDという大作に息も絶え絶えになったので、リハビリにちょうどよかったです<「Fall of Giants」の読書感想文はまた後日)。

「The Hot Zone」後に書かれたPrestonの作品を何作も読了し、導入部で、患者の側から感染症の症状が悪化し周りの医療関係者などに伝染していく様を克明に描いて、徐々に読者の恐怖を煽り、病原菌と戦う側からの描写に切り換える、という手法に慣れてしまった今では、導入部の患者の描写も含め、本作にはちょっと物足りない感が残らないでもなかったですが、それでも、ドキドキしながら最後まで読み(聴き)ました。最初に本書を読んでいたら、鳩尾にパンチを食らったような衝撃だったかもしれません。

冒頭の患者の病状の描写は結構グロテスクで、「Micro」(Michael Crichton & Richard Preston)の時も思いましたが、日本語訳されたものは目から入って脳に抜けた(文章を読み状況を想像した)時の刺激がきつ過ぎて、読み進められなかったかもしれません。ホラー小説的な描写がダメな方は、原語のまま読まれることをお勧めします。Prestonの作品は、どれも読み/聴き易いと思います。

実験室内での“事故”や封じ込め作戦の描写にも迫力があります。「Panic in Level 4」という作品には、Prestonが、実際にbiohazard suitを来て科学者とともにLevel 4実験室に入室し、実際に作業を行った体験や、Intervieweesから真実や事故当時の感情の描写を引き出す取材手法も書かれていて、そうした、時には身体をはって「とことん取材する」という姿勢から、このような迫真の描写が生まれるのかなと思います。

1点残念なのは、本書が20年以上前に書かれたものであるということ。
薬剤やワクチン開発、封じ込め努力も含め、その後の進展についても読んでみたいなというのが正直なところです。
ただし、Prestonが主に取材を行った1980~90年代は、連邦機関施設のセキュリティも今ほどタイトではなかったようですが、特に同時多発テロ&炭疽菌騒動以降は、様々な意味でセキュリティがかなり強化されているようで(Prestonも、「今ではcivilianがLevel 4 Labに入室することはできない」と書いていた記憶があります)、以前同様の臨場感溢れる描写は難しくなるかもしれません。

昨年来(一昨年だっけ?)の流行は鎮静化の方向に向かっているのかなと思いますが(「国境なき医師団」でも使途指定寄付はもう募っていないようでした)、早く完全終息することを祈ります。
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2015.03.15 13:18 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |
なんつって、翻訳の話ではないのだった。
がっくりされた方は申し訳ねえですが回れ右でお願いします。


経験しないと分からないことは多い。

母と折合いが悪かったことは何度も書いてきましたが。
母は、思い込みが結構強く、思ったことはその時に言ってしまう方が、後腐れがなくていいと思っている人だったので(よく言えば根に持たないタイプ)、私は何度も怒りで震えるような言葉を投げつけられました。私は今でもその時の情景とともにそうした言葉を覚えていますが、どうも、母は殆ど覚えていないようでした。特に、老いてからは、気に入らないことがあると、「黙れ」とか「死ね」とかずい分な言葉を浴びせられましたが(まあ、私も、母にそう思わせるようなことはしたけどね)、「かっとなったから」「本気じゃなかったんだよ」という感じで、本人に、相手が深く傷つく言葉を口にした自覚はないようでした。

そういう状態になってみて、私は、初めて、子供の頃の自分も、もしかしたら、クラスメイトに同じようなことをしていたかもしれないと思うようになりました。私は自分からグイグイ行くタイプではなかったですが、先生の受けは悪くなかったので(真面目でそれなりに成績もよかったもので<よくいる優等生タイプ)、クラスの中での立場をあまり気にせず、ぱっと物を言ってしまうようなところがありました(<というのは思い返してみての分析)。
そのことで、誰かに何かを言われたことはありませんでしたし、自分は何も覚えていないのですが、私の言葉で深く傷ついたクラスメイトが、もしかしたらいたかもしれません・・・たぶん、いたと思います。

傷つけた方は自覚がなくても、傷ついた方はずっと覚えているって、世の中にたくさんある。

そんな風に、自分で経験してみないと分からないことは多い。

とはいっても、実際に経験できないことは多いです。私にとってはまずは子育てがそう。
だから、せめて、私とは違う相手の、その経験を想像し、言えること、言えないこと、言ってよいこと、言うべきではないことをきちんと選択できる人間でありたい。また、自分も「経験していない人には分からないよね」と相手を切り捨てる人間にはなりたくない。相手は自分ではないのだから、分からないのは当たり前なのだというところから出発し、分かる努力をしたい。

年を取って、若い頃のようにできないことも多くなりましたが、こんな風に実感できるようになったのであれば、年を取ったこともそう悪いことではないのかもしれないと思う今日この頃です。
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2015.03.12 00:26 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(0) |