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2015. 08. 28  
私の現在の和訳の処理枚数は「公称8-9枚(400字/枚)/日(出来上がり)」と、「何年翻訳やっとんねん」的に恥ずかしい少なさなのですが、そこは失笑でさらっと流して頂いて、今日は、この「8-9」という数字を紐解いて(?)みたいと思います。

私は、Word大好きっ子で、頂く案件も「Wordベタ打ち」指定が多いので、作業はWord上で行います。

作業方法については、昨年末に「『こんな手順で翻訳しています』Revision」という記事にまとめましたが、基本的なやり方は当時と大きく変わっていません。

ただ、FineReaderを導入したことで、PDF原稿等のWord化がかなりラクになったので、最近では、まず訳出要部分だけを抜き出して貼付けた「XXXX(案件番号)対訳」というWordファイルを作成し、テキトーな塊ごとに対訳にしていくという訳出方法を取るようになりました。あとでまとめて訳語を置換したり再考したりしたい時に便利。

最後のチェックが終わったら、元原稿の部分のみを削除した「XXXX」というファイルを納品(又は、日本語部分のみWord上書き指定原稿、PPTの元原稿などにコピペ)します。
実際、あまり効率的なやり方とは言えません。実際にお仕事を頂くエージェントさんが少なく、リピートや関連案件が多いため、ストレス少なくできているのかなと思います。
てことで、この方法で、とりあえず春頃から様子を見ています。

でも、今日は、「役に立たない作業の話」ではなくて、処理枚数の話なのでした。

このWord元原稿作成作業、元原稿印刷、ざっと読み、調べ物、訳出、チェックのすべてを含めた一連の作業の成果物(=訳文)の出来上がり枚数を、受注日から納品日までの日数で割ったもの、より正確には、「その数字を均したらこんなものかな」というのが、私の「処理枚数」です。

当然のことながら、最初のうちは、訳語決めなどに時間が掛かって極端に少ないですし、逆に、大型案件なら、最後の方は1日に処理できる枚数もかなり増えます。
また、通院その他の外出を伴う用事や、気分転換の外出分も加味された数字です。
それらを全て見込んだ上で、「余力2割を残して作業できる」と考える量が、私の場合「8-9枚」(というしょぼい数字)なのです(作業で2割分手を抜くということではありません<念のため)。

その2割の余力で、急用など不測の事態や、「やってみたら実は根性の悪いヤツでした」案件(たまに遭遇します<最初に目測(?)を誤った自分が悪いんですけど)に対処しています。

ということで、現状、これが、調査や訳語・日本語の吟味に手を抜かず、「自分が考える訳文品質の最低ラインを割らない」ことが担保できる自分の処理枚数かなと思っています。

現在、家族の状況などに鑑み、「余力2.5で同等の枚数を処理する」方法を試行錯誤中。
でも、暑かったのでかなりだらけ、シーズンを目前に控えて(←分かるヒトには分かる)ソワソワしているため、試行錯誤はだらだらと続きそうな今日この頃なのだった。
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2015. 08. 12  
これまで何度か書いてきたかと思いますが、ワタクシは、SIIのSR-G9003(エンジニアモデル)とDF-X11001(医療従事者モデル)の2台を愛用しています。

2台をPCに接続して、両方のPASORAMA画面を立ち上げて仕事をすることもありますが、たいていは、機械的内容多めの場合はSR(180万語技術用語辞典マジ重宝)、医学的内容多めの場合はDF、とどちらか一方を接続する形で使用しています。

SRの場合は「デバイス認識」はないので、抜差しにもあまり気を遣わないのですが、DFを外す際は、(実際は大丈夫なのかもしれませんが、小心者のSayoとしては)「デバイスを安全に取り外しできる状態です」表示を確認してから外すようにしているので、少し長めに席を外す時など、抜差し処理がちょっと面倒臭い。

それでも、1年半ほど機嫌良く動作してくれていたDF君ですが、先週、いきなり「接続切れた」状態になることが頻発しました。
DF画面は、すぐに「PASORAMA接続しています」状態に戻り、PC上でPASORAMAをリセットすると使える状態にはなるのですが、数時間経つと、また接続が切れる、ということの繰返しです。

そんな状態が2日ほど続いた後、ついに、USBケーブルを繋いでもまったくデバイスが認識されない状態になってしまったのでした。
いや、必要だから使ってるんで、そこ、そういう動作(というか非動作)迷惑だから。

PCの動作自体は正常。
DF単体でも、試してみた限りは正常動作するようです。
ただ、PCB上では「不明なデバイス」として認識され、PASORAMAを立ち上げることができません。

ということは、犯人はおまえか>USBケーブル。

酷暑とは無関係に、常に根性の欠片もないSayoは、そそくさとサービスセンターに連絡します。販売終了でもサービスは継続するって聞いたもんね~。

これまで何度か電話した前科がありますが、サービスセンターの方は、いつもきびきびと対応してくださいます。センター担当者の見立てもUSBケーブル不良で、すぐに無償でケーブルを送る手配をしてくださり、単体手入力という不便な状態は24時間を待たずに解決することができました。

電話で確認させて頂いたところでは、現在所持しているDFやSGのサポートは今後ずっと継続されるとのことでしたが、まあ、社の方針もあるでしょうし、「ずっと」がいつまでを意味するのかは不透明で多少(かなり)不安ではあります。個人的には、コチラのサービスセンターの対応で嫌な思いをしたことはないので、交換部品が入手できる限り、ずっと対応を続けて頂きたいところです。

というわけで、新たなUSBケーブルを得たDF君は再び機嫌良く動作中。現金なヤツ。
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2015. 08. 11  
今年は春から訃報が多い。
そういう年なのかも。

週末亡くなったのは、数少ない薄い血縁関係の
(父の「はとこ」を私の血縁と呼べれば、の話だけれど)
でも、親戚としては、付合いは一番濃かったおじさん。
父の方がだいぶ年上だったので、「兄さん」と慕って時々実家を訪れた。

6月に旦那の元勤務先がちょっと世間様で話題となり
心配して電話をくれたのが最後になった。
「身体壊して辞めてん」と言うと、「そうか」と安心していた。
(そこ安心するとこかい、というツッコミもできますが)

声に覇気がなく、息をするのも大儀そうで
「肺に穴開いて声出えへんねん」という言葉に多少納得しながらも
おじさんらしくなく、どこか釈然としない気持ちもあったが、
忙しさにかまけてそのままになった。

実は肺がんで、その後寝付いたのだということは、
おばさんからの訃報の電話で知った。

よく言えば面倒見がよく、少し悪い言い方をすれば善意の世話焼きで、
実家絡みの謎かけのような電話に閉口したこともあったけれど、
あれも、今思えば、頼りない私を心配してのことだったのか。
ボランティアや民生委員として多忙な毎日、
遠い親戚のことなど、うっちゃっておくこともできたはず。

「おっちゃんももう後期高齢者やで」とぼやきながらも、エネルギッシュに行動し、
何となく、おじさんだけはいつまでも元気でいるような錯覚を抱いていたのだが、
最後のお別れをさせて頂いた、痩せてひと回りもふた回りも小さくなったおじさんには、
往事の面影はなく。
(といっても、久し振りに最晩年の父母を見た方も、
きっと同じように感じられたには違いないのですが)

旦那は一番近しい人で、尻にも敷き頼りにもしているけれど(意味的にヘン<自分)、
それでも、やはり「血のつながりはない」という意識がどこかにある。

父を亡くした時にもこれほどには感じなかった、
自分の拠り所がなくなるようなこの深い喪失感を、
人は誰もどこかで一度は味わうのだろうか。
しっかりと「喪失感を感じ」ておくことも、
これからの人生にとって意味があることなのか。


本日かなり感傷的ですが、
通夜葬儀で予定の狂った仕事の目途もつき、
明日は心を入れ替えて、PASORAMAの怪に触れたいと思います。
(つって、単に動かなくなったってだけですが)
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2015. 08. 06  
「日本語使いさばき辞典」(東京書籍 2014年、本体2900円)

類語辞典(紙版)は、長らく[角川類語新辞典](角川書店 初版1981年)を愛用してきました(ていうか、お恥ずかしい話ですが、基本それだけでした、すいません)。「三省堂類語新辞典」搭載のATOKを導入してからは、多少のことはそちらで確認するようになりましたが、パンフレット等、多少表現に拘りたい場合など、今でも時々お出まし願っています。

今回、(自分の中では)同系統の辞書として追加したこの「日本語使いさばき辞典」は、先日のJATワークショップで講師先生に「ちょっと変わっているけど重宝しますよ」(特に「ライターとして」という意味かと思いますが)とご紹介頂いたもの。ワークショップの後で実物を見せて頂きました。
講師の方が所持されていたのは、使い倒されたことが分かる年季の入ったものでしたが、調べてみると、おお、2014年に東京書籍から新版が出版されておるではないか。ということで、今回、購入に至りました。

キーワードに従って類語を分類するというやり方は、基本的に角川版と同じです。

例えば、「調べる」という項目は、さらに、

明確にする意の調査からみた「調べる」
異常・不正・不備の検査からみた「調べる」
悪事・犯罪などからみた「調べる」

に細分され、類語が列記されます。

また、「知る・分かる」の場合は、

認識・感知の意からみた「知る・分かる」
理解・精通の意からみた「知る・分かる」
洞察・悟るの意からみた「知る・分かる」
知識・知恵の意からみた「知る・分かる」

に細分という具合。
「調べる」「知る・分かる」等の項目語の最後には、その項目語に関する成句一覧も記載されています。

ただ、個々の言葉の説明には角川版ほどの愛想はないので、さらに各語の意味を確認する、という手間が生じる場合が多々あります(というのは、旦那に「おまえ日本語オカシイ」と言われるSayoの場合)。今のところ、「使いさばき」の方が、「あ、こういう言い方もあったよね」ということは多いです(あくまで個人的な感想です<念のため)。ただ、角川版のような索引がないので(分類キーワード=「調べる」「知る・分かる」レベルの索引のみ)、特定の語句から「同じような意味で別の言い方なかったっけ」という調べ方はできません。
という訳で、これらの辞書は2冊一組で使うのが宜しいようです。

データ版の方が便利なのかもしれませんが、この手の辞書にお出まし願うのは、「うう、いい言葉ない」と足踏みし呻吟しているときがほとんどなので、個人的には紙辞書を手に取るという作業自体が気分転換になってよいようです。
と、どこまでもアナログなSayoなのだった。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医学・医療機器和訳から
医療関連の書籍翻訳にシフト中
『患者の話は医師にどう聞こえるのか』共訳
『医療エラーはなぜ起きるのか』
現在3冊目と格闘中
還暦を過ぎて(やっと)
翻訳は楽しく苦しく難しいと実感
老体に鞭打って勉強に励む日々
翻訳関連の雑感・書籍紹介・セミナー感想など
(2023年5月現在)

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