屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

・・・といっても、遠征で考えたことがきっかけになった、くらいの意で、直接遠征に関連する内容ではありません、念のため。


今回の日英翻訳セッションには、短文が10問ほどでしたが、事前課題が出ました。
MUSTではなかったのですが、手ぶらというのも、忙しい時間を割いて準備し、遠方からお越し下さる先生に失礼であろうと、隙間時間に少しずつ取り組みました。

意外に苦労せず、主語と動詞を決めることができたのは、足掛け18年のリスニングと音読がの成果が今頃になって現れてきたのかもしれないとふと思いました。
とはいえ、「仕事で使いものになるか」(処理速度も含めて)というと、話はまた別なのですけど。

それは喜ぶべきことなのでしょうし、「コツコツ積み重ねたものが無駄になることはない」という意味で、これからこられる方の一定の励みにはなるかもしれませんが、同時に「18年もやってきてやっとこの程度か<自分」という思いもあります。ある程度和訳をされた後で、「これは和訳をこう引っ繰り返すんだからこうだよね」と、短時間でコツを掴み、英訳に馴染んでいかれる方もおられることを思えば、ワタクシには英訳のセンスはないと言えるのかもしれません。

翻って、和訳について考えてみました。
(ここからが、やっと本題ね)

自分には和訳のセンスはあるのだろうか。

子供の頃から本好きで、偏りはあったものの、本当に多くの本を読んできたと思います(遠い目)。
翻訳講座でも学び、日本語文法をもう一度勉強し、仕事ではきちんとした文章を書こうといつも努めてきました。
それなりにお仕事を頂けているのは、努力がそれなりに実を結んでいるのかなと解釈しています(そこは楽観的)。

それでも、ワタクシの文章には「読ませる何か」はない。
コツコツ勉強することが苦手ではない優等生のでんで、学習曲線はそれなりの勾配を描いてそれなりのレベルまではいくのですが、そのレベルを超えることはできないのです。これまでの人生、「文章が上手い」と褒められたことは、自慢じゃないが、一度もありません(ブログについては、「いきなり脱力」感や「1人ボケツッコミ」が自分のツボと仰ってくださる方が時々おられますが、それは、「読ませるきちんとした文章を書く」ということとは、また全く別ものだと思うのですね)。
今の仕事では、「原文に書かれていることをきちんと伝える」ことができている限り、それはそう大きな問題ではないのかもしれません。
そして、大過なく仕事ができていると、「自分は文章が書ける人間なんだよ」と勘違いしてしまうのです。
でも、そうではない。恐らくワタクシには、努力と訓練で到達することができる以上の「読ませる文章を書く」センスはない。
そういう文章が書ける人間になりたかったのに。他の方にも読んで頂きたい原書が何冊もあるのに。
「才能なくてさ、一線は超えられないんだよね<自分」と認めることは本当に辛いことです。
同時に、謙虚に認めてはじめて踏み出せる一歩もあるのかもしれないとも思います。

とはいえ。
それでも、「好き」を仕事にできていることは、やはり幸せなことには違いなく、センスがなければないなりに、「それなり」なりに、その最高レベルまで到達できるよう、そう長くない翻訳人生、これからも努力したいとしみじみ思う今日この頃なのでした。
それには、まず、この「ま、いっか」癖を治さないとね<自分(そして、そんなワタクシを通信講座の課題が容赦なく襲うのだった)。
関連記事
2016.02.28 15:06 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
やっと1人でバスに乗ったり市電に乗ったりできるようになりました(\(^O^)/)

広島遠征Iはコチラ 
広島遠征IIはコチラ 
広島遠征IIIはコチラ 

今回の勉強会はB先生のFelixデモとY先生の日英翻訳時の留意点の2本立て。
詳細は西日本医学英語勉強会のサイトのこちらのページにまとめられています→
http://west-japan.wix.com/medical-english#!workshshop/c1z99

セッション1 Felixデモ

Felixは、ワタクシの中では、これまで、乱暴に括ると「TRADOSに似た、でももう少し簡単に使用できそうなツール」という印象でした。
かねてから、きちんとした訳文を書かれる(はず、見たことないけど)和訳専門の同業者の方が便利に使用されていることをお聞きしていたので、機会があればHeavy Userの方のお話をお伺いしてみたいなと思っていました。(これは、Felixに限ったことではありませんが)、これまでコツコツと作成してきたExcelのMy辞書をグロサリに取り込んだら、今より便利に使えるだろうか、というのも確認してみたい点でした。

デモはとても分かりやすかったです。
PCは持参しませんでしたが、予めFelixをDLして少し試用してみたりしましたし。

やはり、文単位のマッチを確認していく形になりますので、「引張られない」意識を持って使用していくことが大切になりそうです。上述の同業者さんも、推敲には手間を掛けるし、使用するときとしないときがあると仰っていました。
自分がよく遭遇する案件としては、非臨床試験が対象になるかなあと。決まった言回しも多いですし。最初は大変ですが、この分野の文書はメモリに入れると後がラクかもしれません。
ただ、グロサリに関しては、ちょっとした操作で一括インポートはできるのですが、対訳だけではなく、用語選択に使用したURLを貼付けたり、訳語変更の変遷(理由付き)も記載している、今のExcelブックの方が使い勝手がよいかなあと思います。まあ、慣れているだけかもしれませんが。

現在は、

原文をWordにコピペし(PDF文書の場合はFineReaderなどを使用してWord化する)、「XXXX対訳」という名前を付ける

センテンス毎に、原文の上に訳文を追加する

原文部分を消去した「XXXX」というファイルを納品する

という作業をしていまして、手元には必ず対訳ファイルも残るようにしています(で、リピート案件時に役立てる)。文書内の訳語/訳文の統一は、主にWordの検索機能でやっています。
ご存じの方も多いと思いますが、最近、「考えなくなったなあ」と思うことがあり、原文部分は薄い文字にして、ぱっと見訳文のみが目に入り、途切れず流れを確認できるような形にして様子を見ています(原文は紙原稿)。視線の移動が煩わしいっちゃ煩わしいですが、逆に、あとで推敲することが少なくなり、全体的な処理量はあまり変わらない感じです。
今は、( )、不等号など、クライアント毎に微妙に指定が異なる、翻訳作業には関係しない部分を自動化したいなと思っています(<今更感満載なヤツですいません)。

で、何でしたっけ、そうそうFelixでしたね。
よく考えながら、威力を発揮してくれそうな分野で取り入れてみたい感じです。取りあえず、非臨床試験関連のメモリを作るかな。


セッション2 「日本人の英文三つの留意点」

1年半ほど前にJAT-PharmaのY先生のセミナーを受けたことがありましたが、ジツは、そのときのことは、あまり印象に残っていません。
(少なくとも自分の中では)「このような文章はこう」「このような文章はこう」という訳例が次々に示された記憶があり、正直に告白しますと、生意気に「それはいいから、もっと基本をきちんと教えて」と思ったりもしました。

ですが、それは、ひとえに英訳慣れしていないワタクシが悪かっただけで、先生は、ご自分の膨大な経験と読書から基本を導き出し、それに沿う形で多くの例を示して下さっていたのだということが、今回よく分かりました。前回、自分はただただついて行けていなかったのだなあと(・・・だから、先生が拠って立つ基本もきちんと理解できなかったというか・・・)。
状況や文書の内容(つまり想定読者)によって、少しずつ異なる訳文が可能ということも、実例を挙げてきちんと示してくださったし。

実際の仕事では、「こういう文章はこう訳す」を知っておくことももちろん大事なのですが、きちんと基本があってこその「この場合はこう」なのだなあと改めて実感させられました。
「日本語と英語はどう違う」という点を再認識/再考できた点もワタクシ的には有意義でした。


B先生、Y先生、遠方からありがとうございました。
また、いつもまとめ役をしてくださる管理人さん(でよいのかな?)にも心から感謝致します。


だがしかし。
長くなって疲れたので、記事は「広島遠征IV雑感」に続くのだ、そのうちいつか。
関連記事
2016.02.26 00:22 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
今日は読書感想文ですので、お好みによりスルーでお願い致します。


「独走」(読了)→「ヒート」(読了)→「チーム」(今ここ)

箱根駅伝、何だか毎年見ちゃうんですよね~。まだTV中継がなかった時代から、ラジオで聞いていた記憶があります。
というわけで、2016年の正月は、「走る小説」を読んで箱根駅伝に備えるのだ!と「独走」を読み始めたのは、確かまだ11月だったような(長かった(涙)<そしてまだ駅伝の描写まで辿り着いていないという・・・)

堂場瞬一さんの作品は、警察モノを何冊か読んだことはありましたが、スポーツ小説を読むのは初めて。驚異的に筆の早い方らしく、警察モノを書かれる堂場さんと、スポーツモノを書かれる堂場さんと、普通の生活をなさる堂場さんと、3人の堂場瞬一さんがおられるという都市伝説は・・・ありませんが、それくらい多作の方のようです。好みの問題でしょうが、堂場瞬一さんの文章は好きです。


「独走」
五輪金メダルの量産を目指し、スポーツ省が選手とスポーツを管理する世界、というビミョーにパラレルワールドが舞台。そこで純粋培養された感のある元柔道金メダリストで今はスポーツ省に所属する沢居と、彼が担当する、将来を嘱望される「考えすぎる」きらいのある陸上長距離選手の仲島の2人が主人公。金銭的な心配の必要もなく、サポートは万全、メンタルに好影響を与えそうな友人も選んでくれる、という完全バックアップ体制なのですが、最終的に、仲島はそうした束縛を嫌い、自由に走れる新たな環境を選びます。その「環境」というのが、完全にドーピングの影響を排除した私企業による世界大会というのも、興味深い。
とはいえ、仲島がその大会で軽やかに楽しそうにトップを走る場面で終わる本作、正直、多少消化不良ではありました。仲島にはスポーツ省に対する多額の負債が残ったわけだし、新たな大会も、理想は素晴らしいものの、1企業の主催する大会である点を考えると、2回目以降どうなるかは不透明。
そうした現実を予感させる描写もほしかったなというのが正直なところです。
とはいえ、ありそうでなさそうでできそうで無理そうな(どっちやね~ん<自分)このパラレルワールド設定は、「おお、そう来るか」と非常に興味深かったです。


「ヒート」
日本人選手による新記録樹立を目指して新たに開催されることになった、高速コースの東海道マラソンが舞台。唯我独尊我が道を行く天才ランナー山城、その嚙ませ犬的存在として選ばれた、ペースメーカー甲本、大会の裏方として運営を任された神奈川県職員(元陸上ランナー)音無らが主人公。大会の舞台裏が詳細に描写されていて、そちらも興味深い。
お膳立てされたコースで走ることをよしとしない山城が、かつて学連選抜のメンバーとして箱根駅伝で襷を繋いだ浦に説得される(騙される?)形で出場を決めた後、舞台がいきなりレース当日に変わるのが、個人的には、多少唐突感が否めませんでした。徹底的に嫌なヤツとして描かれる山城が、浦と話して態度を変えたのも、「チーム」の背景を知らないワタクシ的には唐突。
ペースメーカーではなくランナーとして山城に勝負を挑む甲本と山城の一騎打ちの場面は圧巻。ラストは、この1行でよいのかな、と思いつつ消化不良。結果は「チームII」で確認せよ、ということらしい。


というわけで、山城と浦の原点を知りたいと、「チーム」に辿り着いたSayoです。
「チーム」は、大学名を背負ったチームとして箱根を走ることの叶わなかった選手達を集めた学連選抜の箱根駅伝を描いたもの。前述のとおり、まだ駅伝まで辿り着けていませんが、個人的には、これが一番面白い。次は、「チーム」の7年後を描いた「チームII」かな。

その前に、課題と仕事と確定申告。2月は逃げるとはよくいったよな~。

未読の方は、登場人物の重なる「チーム」→「ヒート」→「チームII」の順番に読まれるのがよろしいようです。
関連記事
2016.02.15 18:00 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(2) |
先日、大阪で開催されたJTFセミナー(医薬翻訳の極意、伝授します)に出席致しました。

講師のM先生には、1年前にこてんぱんにされています(その時の記事はコチラ)。
当時、「それなりにお仕事を頂いて慢心していた自分をぺしゃんこにされた」みたいなことを書いておりますが、「慢心」てば立ち直りの早いこと。日本には、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といういいことわざがありますねえ(<と感心している場合ではない<自分)。

事前提出課題は、前回と似た内容の(疾患の種類は異なります)論文で、一読して、「しめしめ」と思いましたですよ。「(訳出や調査の過程で)もう同じ轍は踏むまい」。で、踏みまくっているどこまでも進歩のないSayoなのだった。

1週間が経過し、当初の衝撃も記憶もやや薄れつつありますが、思いつくところを順不同に。

参考文献
以前にも書きましたが、ワタクシは「Mメソッド(と取りあえず呼ばせて頂きます)」育ちなので、この老体には「参考文献には目を通せ」が叩き込まれています。
ですが、今回、「効率的な読み方」というものがあり、「とにかく読めばいいわけではない」ということが分かったような気がします。また、原文のどこに注目し、何をどう検索し答えを探しにいくのか、というやり方が、まだ不十分だなあということも実感致しました。この点は、今後、考えながら実践あるのみ、でしょうか。

課題出題者(≒翻訳会社)の意図
先生の回答は、「読解力・文章力・調査力をみる」というあまりにも当たり前なもの。やはり「まずは翻訳力ありき」で、「力を蓄える」ことを疎かにしてはいかんなあと。一朝一夕で身につくものではありませんが(また、実際のトライアルでは、「なぜこの会社は今この時、このような翻訳者を募集するのか、推測される翻訳会社の意図は自分の意図に沿ったものか」を見極める必要もありましょうが、キモは翻訳力、ということです)。翻訳事典でIさんが仰っていた、「『鬼に金棒』は鬼(文脈では実力がある人)が使ってこその金棒」という言葉が思い浮かびました。

FBで、同じセミナーを受講された翻訳者の方が、成績優秀者(A判定)と自分たちの違いは、「代わりがきく翻訳者かそうでないか」という点で、「この人でないとダメ」と思って貰えるようなレベルに達するには何ができるかを考えたい、というようなことを仰っていまして、その言葉には考えさせられました。

今のワタクシたちは(いちおー、同レベルだったので「たち」とさせて頂きました)「代わりはきくがそれなりに重宝される翻訳者」だと思うのです。そのレベルを推し量れる1つの打診方法に、「〇〇さんなら何とかしてくれると思って」「〇〇さんなら無理をきいてくれると思って」という言葉とともにやってくる、週末の打診があるような気がします。ワタクシも、一時この言葉に「おお、戦力にされているのか」と舞い上がって、厳しい納期で頑張ったこともありますが、この頃では、それは決して「この文書の翻訳にはアナタの力がほしい」ということではないのだ、と思うようになりました(単に体力が衰えただけという説もある)。頼りにはされていても、それは決してワタクシではなくてもよいのです。厳しい中でもそれなりの長さの納期を提示され「この納期でどうでしょう、どうしてもあなたにやってほしい」と言って貰えるのが「この人なら」という、自分の目指したい翻訳者と言えるのかなと、今はそんな風に考えています。もちろん、理想と現実は常に同じではありませんが、「自分はこうありたい」という理想を追求する姿勢は常に失わずにいたいと思います。

というわけで、今年は1月から慢心を踏み潰される日々が続いたから、暫く慢心とはおさらばだよ~ん(でありたい<希望的観測)。
関連記事
2016.02.11 23:03 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |
ワタクシは、「通翻ジャーナル」は基本図書館で読み、不定期の事典は(医学関連以外は)立読みで済ませるという、翻訳者の風上にも置けないヤツですが、今号は実務翻訳の大先輩である(といっても関係も面識もないですが)Iさんの「提言」を読み(←立読み)、購入を決めました(「出版」「実務」「映像」翻訳の3種類の提言がありましたが、どれも読み応えのある内容でした)。

他にも、辞書環境やパソコン基本のツボなど、この機会にきちんと抑えておきたい内容もあるのですが、それはまたおいおいと。

提言からは、あるべき翻訳者の姿、すすむべき道を再確認する糸口を頂いたような気がします。
それだけだと、理想論に終わってしまうのですが、現実を見据え、きちんと実際的な「抑えるべきところ」を言葉にしてくださるのが、いつもながら、Iさんの凄いところだなあと思います。


昨年後半から、ワタクシは迷いの中にいました。
「このまま日々の忙しさにどっぷり浸かって翻訳をこなす毎日でいいのか、自分」。

このところ、翻訳原稿とともに参考資料を渡されて、「訳語はこれに合わせてください」と言われることが増えました。
効率という点からいえば、ありがたいことです。
参考資料の質は総じて高く、「こんな訳に合わせてられるか~い!」(ストレス)という訳ではありません。
どちらかといえば、「おお、こういう表現あったぞえ」とこっそりMy辞書に頂戴するケースが多いワタクシは、翻訳者としては恵まれているのでしょう。

ただ、質のよい参考資料であるからこそ余計かもしれませんが、いつの頃からか、「参考資料の同様表現を確認し、できるだけそれに合わせる形で訳文を作成する」作業に特に疑問を抱かなくなっていたような気がします。「探した→あった→使う」と「探した→あった→他の表現も考慮するが、内容的に変更するほどのこともない→使う」とでは、最終結果は同じでも、ジツは「1回考える」というステップがあるかないかという大きな違いがあるのです。もちろん、納期を考えれば、正直、「いちいち考えてらんないぜ」という場合も多いのですが。
というわけで、ワタクシは、「訳文を考える」「全体を俯瞰する」ことが減っていたような。つまり、「考えることの少ない翻訳者」的方向に流れつつあったと思います。

そうしたことに何となく気付いたからでしょうか、「このままでいいのか」という思いがどこかにあったような気がします。

Iさんは「ツールの(功)罪」という話をしておられましたが、訳文作成支援ツールを使用していなくとも、「考えない」翻訳は可能で、(特にワタクシのように、染まりやすい人間は)それだけで翻訳の基礎が危うくなる可能性があるのではないかと、そのことに思い至り、それまで自分の中にあった漠とした不安の源はこれだったのかと納得できた思いです。まあ、納得できたからといって、事態がすぐに解消される訳ではないですし、まだ、その部分を今後どうしていこうという確たる考えがあるわけではありませんが。


Iさんの「そもそも、なにがしたくて翻訳を仕事に選んだのか-その目標を見すえて進む必要があります」という言葉は忘れずにいたいと思います。
訳文だけではなく、様々なことを自分の頭で考え、最後まで、最終的には自分で判断する「考える翻訳者」でありたいです。
関連記事
2016.02.04 15:11 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(2) |