屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

今日も役に立たないです-、独り言ですー、すいませんです-。


学びには、「今がそのとき」という時期があるのかもしれないとしみじみ思う今日この頃です。

ワタクシが(もっとずっといい加減な気持ちで)翻訳の仕事を始めたのは1993年で、その後休眠していた時期もありますが、英訳黒歴史の初回派遣時代を除外しても、翻訳を生業とする期間は10年を超えました(主婦内職的位置づけの期間が長いですが・・・)。

学ぶほどに、仕事を頂くほどに、そしてさまざまな情報に触れるほどに、「自分(の翻訳)」というものがだんだん分からなくなり、特にここ1~2年は、翻訳のやり方や、翻訳との向き合い方、今後の方向性などについて、ワタクシは迷える子ウサギ状態でした(そんなに可愛くないというツッコミはなしってことで)。なので、「これがよい」「こちらの方向がよい」という大きな声にふらっとなびいてしまい、自分の立ち位置が余計に分からなくなる、ということを繰り返していたように思います。

そんな中、年が改まって「エイヤ」と始めた通信講座が、ワタクシにとってはひとつの指針となりました。それがきっかけで「英語を等価の日本語の文章にすること」についての自分の考えも少し固まってきたような気がします。そうすると、「翻訳に専念するためにラクができるように、それ以外の(自分にできる限りの)あらゆる環境を整える」ということが、「他の方もそれをやっているから(よさそう)」「効率的に仕事ができる(らしい)」ではなく「自分にはそれが必要だから」という、これまでと少し違った(でも、本来そうあるべき)視点から理解することができるようになりました(若しくは、理解できたと錯覚しています<たぶん、こっちだな~)。

そして手にした「翻訳のレッスン」。
まだまだ半ばにも届いていませんが(てことで、実践は全然できていないのだった<そこが大事)、4人の方が語られる、少しずつ目の付け所が異なる、でも大事な言葉の数々が「ナルホドね」と文字どおり身体に染みわたります。本書を読み、自分に足りない必要な部分を取り入れる態勢が(たぶん)きちんと整うところまで、ワタクシはたぶん23年掛かって辿り着いたのですね。もちろん、1年で辿り着く方も3年で辿り着く方もいらっしゃると思います。今はよく分からなくても、1年後、3年後に再読して、「五臓六腑に染みわたる」体験をなさる方もいらっしゃるかも。翻訳歴の長さではなく、「何をどう考えながら翻訳するか」が大切なのかもしれません。

ワタクシはもう「大器晩成」という言葉も使えないほど年を喰ってしまいましたが、もしかしたら、この「今でしょ」は、年を重ね、環境も変わり、人生の先も見え、いろいろ考えるようになったからこその結果であるかもしれません。翻訳者としては「遅きに失した」感があるのは否めませんが、自分の最善を求めて努力を続けることはできるわけで、まだそれだけの体力気力があり、それが許される環境であることをありがたく思います。
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2016.06.28 15:08 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
にしては、謙さんの記事でもなく、翻訳関連の記事でもなく。
いつものように、新聞をよんで、びびっと感じるものがあり、強引にこじつけた記事です。
テキトーに読み流してくださいませ。

朝日新聞(6月23日)の記事。

ジツは「独眼竜政宗」のときからこっそりファンな私。「ゴジラ」も、内容はともかく、謙さんの「正しいゴジラの発音(?)」が聞きたくて見ましたわ。

ざっくり(強引に)まとめると、記者さんの手になる「謙さんの活躍止まらないよね」という記事なんですけど、随所に、取材で得たものと思われる謙さんの言葉が挟まれます。

(引用ここから)
ステレオタイプのアジア人役のオファーがくることもある。「そういう役は選ばず、作品は吟味する。アジアに興味を持っていたり、日本が好きだったりする監督と仕事をしますね」
(引用ここまで)

仕事を選ぶことができるのは、これまでの出演作、そこでの演技、人柄等々、謙さんがこれまで培ってきた確かなものがあるからだと思いますが、謙さん自身も、仕事を選ぶ基準として「こう」というものを持っておられるように感じます。同時に、56歳の今でも「原点回帰です」と非常に謙虚です。


ワタクシは、まだまだ「やりたい仕事を選ぶ」にはほど遠い翻訳者でして、自信をもって「得意分野です」「今後はこういう方向にも手を広げたいと思っていて、それだけの力があります」と言えるだけのものはありません。それなりに諭吉さまにもお越し頂きたいので、「ラクでラッキーだけどあまり実にはならんなあ」と思う仕事もやります。

チキンなヤツなので、せいぜい、やりたい仕事は(自分でできる範囲の)短納期に応じる、納品時に「興味深い案件でした、また是非」的なコメントをつける程度のことしかできません(それでも、少しずつそういう方向に向かいつつある部分があるのは嬉しいことです)。それ以前に、翻訳力(自分が目指すところ)がまだまだであることに暗澹とし、自信をなくし、また這い上がるを繰り返す今日この頃です。
ただ、専門的なことも、翻訳そのものについても、どういったことをもっと学びもっと意識すればいいのかということは、最近少しだけ分かってきたような気がします。実践はまだまだですが、そこは多少の進歩かも。

謙さんのように「仕事を選ぶ基準」を口にすることは、たぶん一生ないと思いますが、とりあえず自分の中に「仕事を選ばない基準」(自分的最低単価とか内容とか)があることで、今はよしとしておきます。


それにしても、ワタクシは「けんさん」と言えば高倉健さん世代ですが、最近の若い方は「けんさん」と言えば渡辺謙さんなのですね(しみじみ)。
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2016.06.23 14:37 | 分類不能 | トラックバック(-) | コメント(4) |
土曜日は関西女性翻訳者の会のセミナーでした。
案内に、「ツールの使用を無視することができない現状も考慮しながら、ツールのメリット・デメリットについてきちんと話します」(正確にはこのとおりの文言ではありませんが)と書かれていたのが、参加を決めた一番の理由です。
ワタクシはCATツールは使用しておらず、当面その予定もありませんが、それはそれとして、そうしたツールについてはある程度きちんと知っておきたいと思っていますし、しんハムさんが、様々なツールについて中立的な立場から語ってくださるとあっては、この機会逃すわけにはいかないではありませんか(そして修羅場るいつものパターンなのだった)。

4時間超のセミナーは、ざくっと3部構成です。

最初は、「翻訳支援ツールとは」というタイトルで、以下の特徴的なツールの要素について簡単な説明。
 ・プロジェクト管理
 ・ファイル変換
 ・翻訳メモリー
 ・用語ベース
 ・翻訳エディタ
 ・プレビュー
 ・品質管理
 ・クラウド機能

続いて、様々な支援ツールについての簡単な説明。
統合型翻訳支援ツール
 ・Trados Studio 2015
 ・MemoQ 2015
 ・Memosource 
 ・Felix
 ・OmegaT
 ・Open TM2
 ・対訳君(対訳登録が可能という点でここに分類)
その他の主な翻訳支援環境ツール
 ・Xbench、Wildlight、AutoHotKey、Simply Terms、Kwic Finderなど

最後に、主にTradosとMemoQを使ったデモ。

各種ツールの説明の中では、ツールを導入する前に考えるべき点(「自分」にとってメリットはあるか、支援ツールの存在が頭を使う作業の妨げにならないか、それによって本当に作業効率は上がるのか、総合的な時間単価は上がるのか下がるのかなど)、翻訳者にとっての翻訳メモリーのメリット(類似文を繰り返し全文翻訳する手間が省ける、既訳の再利用が可能、表記や用語の統一が可能など)、同じくデメリット(無理に既訳に合わせる必要が生じ、訳文の質の低下に繋がる可能性が高い、一貫性が必ずしも保証されないなど)、導入すべきかどうか最終決定する際に心に留めておくべき事柄(ツールの使用に向いた分野・案件であるか、導入しない場合自分はどうするのか、使用に際しては本来ある程度の技術的な知識・技術が必至であるなど)が語られました。
これは、他ではなかなか聞くことのできない話であると思います。


「今後もこうしたツールを使用する案件が増えるのは必至と思われ、また、個人個人のバックグラウンド、状況も千差万別であることも踏まえ、自分は、ツールの使用を否定するものでも肯定するものでもないけれど、ツールは道具/手段であるということをよく理解し、自分が使用する目的を明確にしてから使用することが大事で、まずは翻訳の実力ありきです」という、ツールを研究し使い倒して来られた方の言葉には重みがあります。また、「ツールを使用する場合も使用しない場合も、翻訳そのものに関係ない部分での効率化は大事だし、そこは大いにやるべきです」とも。そこは、ワタクシが、つい忘れがちになってしまう部分で、これからも気をつけないかんな~と思う部分でもあります。


ワタクシは「導入は考えていない」と書きましたけれど、よく考えてみれば、翻訳作業はツールと似たような手順でやっているんですよね。

PDF原稿のWord化(主にFineReaderを使用) → Word化した文書を整形(無駄な改行をなくす、訳出不要箇所を削除するなど) → Word文書の文字色を「数字や固有名詞のコピペは可能だが、パッと見た限りでは内容が目に入ってこないうすい色」に変更 → プリントアウトした原文を見ながら、だいたい段落毎に原文の上に訳文を作成 → 原文を消去した納品用原稿を作成 → Wildlightでチェック → 納品

という手順で、手元には必ず対訳のWord原稿を残すようにしていて、類似・継続案件(結構多いのよね)がきた時に参照します(これとは別に、作業しながら用語集追加も行っています)。自分の既訳を参照する、という点ではツールを使用されている方と同じかなと思うんですけど、前後の文脈も必ずラクに確認できる点が、ワタクシ的には気に入っています。ツールを使用しないのは、正直「この年になってメンドいわ~」というのもありますが、なんとなく「選択」は自分の手に残しておきたい、というのがあるのですよね。一括置換をすることもあるし、1つの文書の中で同一表現が出てくれば、前の部分を確認して(対訳で作業しているとこの部分は楽です)コピペして「うっしっしっ」と思うこともありますが、前後の部分も確認して「ホントにええんか、それ?」は自分で決めたい、みたいな。自分、よく考えないと、簡単に「引っ張られて」しまうんで。とはいえ、これはあくまでも個人的な考えでして、ワタクシの場合ってことです<念のため。

でも、医療機器翻訳の現状を見渡してみますと(トライアルの申込みはしなくても、いくつか目をつけたエージェントさんの募集要項を確認する、ということは定期的にやっています)、「ツール使用/所有経験あれば尚可」「ツール使用経験者優遇」「未経験でもツール所有者は応募可」みたいな募集が増えているのは確かなのですよね。こういう募集要項を目にすると、これから参入を考えている翻訳経験のない方が「とりあえずツールは使えるようになっておこう」と考えるのは無理ないよなあと思ってしまうわけです。

というわけで。
「使用しないけど聞きにきました」なワタクシとしては、隅っこで大人しく気配を殺してセミナーを受講させて頂くのがスジってもんなんですが、ついつい「(上記のような方に)アドバイスされることがあるとしたら、どのようなことをお話されますか」と鬼のような質問をしてしまいましたですよ。そして、「ツールを所持しているからぎりぎり受かるような翻訳力でその先やっていけますか、やっていきたいですか。実力があってこそのツールだと思うので、そこをよく考えてほしいです。状況が許すのであれば翻訳会社の「なかの翻訳者」として働いてみるのがよいと思います」というアドバイスを頂きました。講師先生、その節は本当に申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。

色々お話を聞きながら、これから巣立って行かれる方にこそ、こういうセミナー聞いて頂きたいよな、としみじみ思ったSayoなのでした。
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2016.06.19 17:42 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
「翻訳のレッスン」を少しずつ読んでいます。
(ジツは、「そもそも、翻訳って何?」で停滞中という体たらくだったりしますが・・・)

自分も意識してやっていること、意識しきれていなかった(これからもっと意識していくべき)こと、何となく理解しながら上手く言葉にできなかったことなどが、対談の中できちんと説明されていて、この本はというか、4名の著者の方は、は改めて凄い方たちだなあと思います(<えーと、決して本書の回し者ではありませんので<念のため)。

「書き手(の意図)を理解した上で訳語を選ぶ」
「(原文と訳文を)いったりきたり」
「脳内シソーラス(の充実)」
「読者の立場に立って読む」
「微視的に、巨視的に、そして全体の俯瞰を忘れない」

注意すべきキーワードを挙げていくとキリがないのですが、ワタクシアンテナに引っ掛かった部分を取りあえず挙げてみました。
こういう基礎となる部分て、意外に誰も教えてくれないような気がします(自分で考え、気づき、自分で言葉にしてみる、ということが大事なのかもしれませんが)。

でも、考えてみれば、ワタクシが「凄い!」と思った方々は、表現は違ってもみな同じようなことを仰っていたような。

「一文だけを見ていてもだめ、ストーリーを大切にすること」
「原著者の意図を(想定する)読者が理解しやすい形で伝えることが基本だが、一貫した訳文を作るには翻訳者としての自分のスタンスを定めることも大事」
「訳語で迷った/しっくりこない場合は(往々にして原文がきちんと理解できていないので)原文に帰る」

みながみな同じ考えであるということは、もちろんないと思います(それはそれでコワい)。
ただ、翻訳に向かう姿勢というか、拠って立つところというか、そうした部分は、突き詰めていくと同じなのかなあと。

皆さん仰るようなことが無意識にできている、という状態が理想なのでしょうが、ワタクシは、まだまだそこに自分の意識を持っていってやらなければなりません。翻訳とは別に、そうした「考える」訓練も大事だなと思う今日この頃です。
これらを「えーと・・・」と考えなくてもできるようになることも、ひとつの効率化と言えるのかもしれません。

先は遠いぞ<自分
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2016.06.15 17:09 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
訳文作成時のバランス、のような。

どちらかだけに注力し(すぎ)てもきちんとした訳文は作れないなあ、という話です。自戒を込めて。

少し思うところあり、以前より「全体の流れ」に気を配るようになりました(配ってなかったんか~い!というツッコミはなしね)。論旨を明確にする、というか、「こうだからこうなる」という論理の流れを、読者が苦労せず読み取れるような訳文を作る努力をするというか。それは、ある意味「ラクに予測読みできる文章をつくる」ということではないかと、ある方の書かれたものを読んで思いました。そういう目で文章を眺めてみると、少し日本語を変えるだけでも、ラクにその先を予測できるようになる場合があるようなのです。そういう意味での「日本語として読みやすい」文章を求めて呻吟することが多くなりました。なかなか進歩はないんですけど、やはり、「意識する」ことで少しは変わってきます。

ところが。
ワタクシには、「ひとつのことに注力すると他のことがおろそかになる」という悪い癖がありまして。
「全体の流れ」を気にするあまり、読み取った内容を自然に「流れ」に合わせるのではなく、強引に合わせにいった結果、原形を少なからず歪めてしまっている場合があることに気付きました(「ちからわざ」と命名してみました)。その結果、「決して間違いとは言えないけれど、原文の英語ではそこまでは言っていない」的な訳になっていることがあります。

もちろん、すべては「原文の意味(意図)を正しく理解する」ことから始まるわけなのですが、その上で、文書の種類(とその文書特有の文体)や読みやすさを考えながら、原文の意味を離れず日本語としても読みやすい文章をつくるという、バランスを意識した作業は、苦しくも楽しく(まあ、納期ありますんで、おおむね「苦しい」方が勝ってますけど)、ここが自分の翻訳の原点だなあと思う今日この頃です。

今日も今日とて、役に立たない記事でスミマセン。
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2016.06.09 00:01 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(6) |