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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

訳文作成時のバランス、のような。

どちらかだけに注力し(すぎ)てもきちんとした訳文は作れないなあ、という話です。自戒を込めて。

少し思うところあり、以前より「全体の流れ」に気を配るようになりました(配ってなかったんか~い!というツッコミはなしね)。論旨を明確にする、というか、「こうだからこうなる」という論理の流れを、読者が苦労せず読み取れるような訳文を作る努力をするというか。それは、ある意味「ラクに予測読みできる文章をつくる」ということではないかと、ある方の書かれたものを読んで思いました。そういう目で文章を眺めてみると、少し日本語を変えるだけでも、ラクにその先を予測できるようになる場合があるようなのです。そういう意味での「日本語として読みやすい」文章を求めて呻吟することが多くなりました。なかなか進歩はないんですけど、やはり、「意識する」ことで少しは変わってきます。

ところが。
ワタクシには、「ひとつのことに注力すると他のことがおろそかになる」という悪い癖がありまして。
「全体の流れ」を気にするあまり、読み取った内容を自然に「流れ」に合わせるのではなく、強引に合わせにいった結果、原形を少なからず歪めてしまっている場合があることに気付きました(「ちからわざ」と命名してみました)。その結果、「決して間違いとは言えないけれど、原文の英語ではそこまでは言っていない」的な訳になっていることがあります。

もちろん、すべては「原文の意味(意図)を正しく理解する」ことから始まるわけなのですが、その上で、文書の種類(とその文書特有の文体)や読みやすさを考えながら、原文の意味を離れず日本語としても読みやすい文章をつくるという、バランスを意識した作業は、苦しくも楽しく(まあ、納期ありますんで、おおむね「苦しい」方が勝ってますけど)、ここが自分の翻訳の原点だなあと思う今日この頃です。

今日も今日とて、役に立たない記事でスミマセン。
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2016.06.09 00:01 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(6) |