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2016. 10. 14  
私は、性格がそうなのか育った環境が影響したのか(たぶん両方なのでしょう<+αもあるかも)、若い頃から、人生に「もっと」を求めず、あまり他人や隣の芝生を羨ましいと思うこともなく、与えられた状況を「ま、こんなものかな」と受け入れてきたように思います(「あれ欲しい、これ買って」がないので、家ウチでは「つまらないが安上がりなオンナ」と呼ばれています)。

ただ、翻訳だけは、いつまでも今の自分に満足せず、貪欲に「もっと」を求めたい。
今の状態、今の自分、今の自分の書く日本語に満足してしまうと、今の自分のレベルが維持されるのではなく、レベルの低下が始まるような気がするのです(あくまで自分の場合ですが)。だから、最低今のレベルを維持したければ、「もう少し」「もっと」を求め続けるしかない(それをどのようにやるかは、人によって少しずつ違うと思いますが)。それが、苦しいばかりではないのは、やはり翻訳が好きだからなのかなと思います。翻訳の仕事を辞めるときまで、満足しない自分でいられたら本望かな。


(蛇足)
どこまでも「もっと」を求めていては、究極的にはどんな訳文も提出できない、という話になってしまうような気もするのですが、日々の仕事ではそういうわけにもいきません。
日々の仕事の「これなら提出できる」というMy基準は「解釈に迷う箇所、意味がよく分からない箇所のすべてを(たとえそれが解釈間違いであったとしても)自分が納得できる解釈に基づいて翻訳し(2つ以上の解釈が可能な場合は、可能な限り調べた上でその1つを採用し)、求められれば、そのように翻訳した理由を説明できる(そういう箇所にはたいていコメントを付けますが)」という状態になっていること、です(注:自分の日々のやり方で、訳漏れ、数字や英語の転記ミス、誤字/脱字/誤記のチェック等は済ませたという前提です)。一度そこを「分からんけどええか」としてしまうと、心の弱い自分は、次も「ま、えっか」にしてしまうような気がするので、しんどくはありますが、そこは自分の中で譲りたくない部分です(今回、つい、悪魔の囁きに負けそうになってしまったので、自戒を込めて書いておきます<悪魔強いわ~)。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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