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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

進化した、と話題になっています。
その現実に踊らされることはしたくないですが、目を背けてまったく無視することもまた難しい。

あくまで「個人的に思うこと・考えること」です。
なので、程度、そんなに高くないです、たぶん。
「自分」視点を外れないよう、できるだけ努力しました、つもり。
ワタクシは現在英和翻訳者ですので、英>和の翻訳のみを念頭に置いています。

以前、「生き残る」という記事で、AIについてちょっと考えてみたことがありました。

そのとき、AIによる翻訳は、ヨコ(文や文節単位の翻訳)には強いがタテ(文脈に沿った翻訳)はまだ弱いという(素人の)印象を持ったのですが、ニューラルネット翻訳と言うんですか、今回導入された翻訳手法は、人間の脳の働きを模したもので、文脈も分析しながら翻訳を行うというではありませんか(ざっくりいい加減に理解したところなので、間違っていたらすいません)。これって、「タテも見てるで」てことちゃうん。まあ、どこまでのタテを見るか、ということはありますが、この「タテへの動き」、個人的にはちょっと脅威に感じました。

とは言っても、今のところ、適語選択の判断は「意味を理解して」ということではなさそうですので、まず原稿の全体的な流れを把握し、意味・意図・書かれた目的を理解して翻訳を行う人間の方が、正確で適切な、最善の翻訳を提供できる、ということは言えそうです。

しかし。
「AIのレベルはまだまだだから、翻訳の仕事はまだ安泰」というのは、「正常性バイアス」ではないとは言い切れないような気がするのも事実です。「正常性バイアス」という心理学用語は、最近知ったのですが、自分にとって不都合な事実や情報を「大したことはないはずだ」と無視したり過小評価したりする心理的な特性を言うのだそうです...ホラーやな。

以下、Gxxxxx翻訳に関するいくつかの記事を読んで思ったことを、思いつくままに挙げてみます。

・ それなりに流暢な訳文が生成される場合も多いので、間違った情報が伝わっていても分からない恐れが(ワタクシが「おおっ、賢くなっとる!」とか遊んでいる分には問題ないですが)。誰でも使えるGxxxxx翻訳の怖さを感じました。

・ 「一見読みやすい文章」の弊害
 1 個人で使用する頻度が上がる → 何となく意味は分かるので、それなりに満足する → 職場で翻訳需要が発生した場合に、機械翻訳で十分じゃん、と考える。
 2 個人で使用する頻度が上がる → 何となく意味は分かるので、書かれている日本語が変だとは考えない → きちんとした日本語が身につきにくくなる → 「これでよい」とする日本語の基準が低くなる

 どちらの場合も、まずは機械に(MT+PE)という流れが加速するんじゃないのかなと。
 翻訳分野や文書の種類によって、一概には言えないかな、とは思いますが。

MT+PEについて言えば、翻訳とは別ものという考え方もあるかとは思いますが、業界の一部には違いありません(と、ワタクシは思います)。「一見流暢な、でも間違っている文章」を、前後の日本語と合せながら、正しい、別の読みやすい表現に直す、てジツはかなりの技量がいるんじゃないかなあと思いますし、これはこれで、それだけに特化すれば、1つの面白い仕事と言えるかもしれません。ただ、よいPE/チェッカーを増やすためにも、業界として、その地位を向上させる(実力者には十分にペイする)仕組みを作る必要があるんじゃないかという気はします。

・  (日本語も含め)語学学習が軽視されるのではと、ちょっと不安。辞書を引いたり考えたりしなくても、すぐに「訳文」という答えが手に入るわけですから。語学がすべてとは思いませんが、きちんと言葉を学んで理解が深まる、ということもきっとありますよね。まあ、そんな風に考えたくなるのは、ワタクシが翻訳を仕事にしているからかもしれませんが。

でも。
世の流れではあるし、確かに便利な部分もあるし、ただ敵視することはしたくないとも。

 ・ 海外旅行時(個人的には特に非英語圏)の必要情報収集には威力を発揮すると思います。
 ・ 言語を同じくしない者同士のコミュニケーションが円滑化される部分もあるかと(ワタクシの通っている美容室には、場所柄か、外国の方もときどき来られるのですが、「英語は全然ダメ」というマスターは、最近ではお互いスマホを用いて、そういうお客さんと、髪型も含め、和気藹々とやり取りなさっています)。

それぞれが得意分野に特化し、共存が図ることができればベストではないかなと思います。

とはいえ。
AIによる翻訳の精度がさらに上がっていけば、人間が必要とされる翻訳が減っていくのは避けられない事実のような気がします。
今の段階でも、「原稿の全体的な流れを把握し、意味・意図・書かれた目的を理解して翻訳」されていないと感じる訳文を目にすることはありますし、それが人手によるものであるならば、そうした翻訳者は、そこに留まる限り、今後淘汰されていくのではないかと。

では、自分はどうするのかと考えてみたとき、まずは「年も年だし、そういう流れならいつ止めたっていいよ~ん」という開き直りが心のどこかにあるのは事実です。
でも、好きな仕事ですから、細くともできるだけ長く続けたい。そのためには、抽象的ですが、「機械には置き換わらない翻訳ができる力」をつける努力を怠らない、ということに尽きるかなと思います。
ワタクシは、かなり長いこと、「英語が好き」と思っていたのですが、どうやらそれは「英語が読めて書けて喋れる自分、カッコいい」と思いたい気持ちも多分に混じっていたようで、ジツは「日本語でモノを書く」ことの方が好きなようです(その割りには、「オマエの日本語変」と四字熟語に弱い旦那に言われるのですが<論理的思考を言葉で展開する能力が弱いようです)。その方向を伸ばしながら、(可能であれば、何らかの差別化も含め)翻訳者として生き残って行く道を模索しつつ仕事を続ける、というのが、来年の目標になりそうです。

以前とあまり変わらん、しょぼい結論だったような。
タイトル伏せ字にしといてよかった。
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2016.11.20 16:13 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(6) |