屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

ていうか、「それ以外」編を書く前に年が明けそうな気がする。
ていうか、ブログ記事を書いている前に年賀状に手を付けた方がいいような気もする。

でもって、自分についての「あの頃と今」でして、読んで下さる方が得るものは少ないかな~とも思いますので、今日もひとつ、お好みでスルーでお願い致します。


この1年を振り返ってみたとき、2月から7月にかけて受講したノンフィクションの通信講座と、5月から6月にかけて読んだ「翻訳のレッスン」が、自分にとっての転機になったように思います。

通信講座に関する記事はコチラ↓です。
通信講座完走しました
通信講座・直接講義

この通信講座は、「他分野の翻訳も経験してみたい」+「この先生なら」ということで始めたものでしたが、1年前の今頃、心のどこかに「このままでいいのかなあ<自分」という漠然とした思いがあり、心の片隅では「成績がよかったらノンフィクションに乗換えもありかも」とも思っていました(世間ではこれを「慢心」と呼びます)。まあ、実際は、その慢心はすぐに打ち砕かれたのですけど。

通信講座では、半年を通して「原文を読みその伝えんとすることを訳文で伝える」というキモの部分に立ち帰り、同時に「翻訳者としての自分がブレない」ことの大切さを学んだように思います。
私はそれまで、「その場その場で適切な語句・文・文章を生成すること」「論理的に破綻していないこと」には気をつけていましたが、「流れを意識する」ということはほとんどしていませんでした。ですから、(ときには解釈間違いもあるとは思いますが)「正しい訳文」を書いてはいても、読者が読みやすい訳文になっていないことも多かったかなと思います。私が翻訳を担当する文書の最終想定読者は、「時間がない中で多量の文書を読み、その文書の内容を正しく理解しなければならない」人たち(おおむね専門家)です。であれば、そうした方たちが「ざっと目を通したとき間違いなく内容を理解できる」訳文が必要なはず。「正しい」だけではちょっと足りないかもなあ、とこの頃思うようになりました。

通信講座を通じてそんなことを考え始めるようになった頃、「翻訳のレッスン」に出会いました。そんな時期だったからこそ、「原文と同じ絵を(訳文として)描く」という言葉がすんなり頭に入ってきたのかもしれません。

さらに、通信講座と「翻訳のレッスン」を通じて、私は「さまざまな時点でまず自分で考えよ」ということを学んだような気がします(つらつら考え始めていたことの1つの答えを「翻訳のレッスン」で得た→そうやん、まず自分で悩まなあかんのやん、と自覚した、みたいな)。

2015年の中頃以降、「自分はさまざまな点で他人に後れを取っているのではと焦る → 大先輩の言う/することを取りあえず取り入れてみる → 立場や考え方が違うのでそのままでは上手くいかない → 自分を見失って方向性にも悩む → このままではいけない」という気持ちの変遷があり、「何かをやってみよう」と通信講座に挑戦するところから始まったのが私の2016年でした。そんな時期だったからこそ、通信講座も「翻訳のレッスン」も私に多くのことを教えてくれたのかもしれません。

1年経って、以前より多少「意識下で流れを意識する」「頭の中に絵を描く」ことができるようになってきたかなと思います。まだまだですけど。
来年は、「意識する」「流れを考える」だけではなく、できるだけ無意識に近い状態でそれができるよう、具体的な訓練やそのときそのときで気をつけることを試行錯誤していければと思います。
ノンフィクションは、うーん、今のところ「ひたすらその道を目指して邁進しよう」という気持ちにはなってません。ただ、時間が経つにつれて、最初に「産業翻訳とは違う」と思ったほど違わないのではないかという気もしてきました。何と言ってもキモは同じなので。注意すべきところが違うかなという気はしますが。とはいえ、別分野の翻訳の勉強が今の分野の翻訳に役立つことは間違いないように思いますので、そこは何らかの形で続けていきたいと思っています。あまり負荷の掛からない形で日常に組み込むにはどうしたらいいかという部分は考えどころですが(そこをきちんと考えないと、やはり仕事優先に埋没してしまいそう<自分の場合)。
1年前と比べて、訳す文書の種類はあまり変わっていないのですが、「意識する」ことを意識してみると、以前より訳出作業に時間は掛かっていますが、訳出に悩むこと自体が(ある意味)楽しくなりました。そういう意識転換ができたことが、もしかしたら一番の収穫だったのかもしれません。
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2016.12.21 20:35 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |