屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

ここしばらくワタクシはoftenと戦っていました。

著者はoftenがお好きな方のようでした。
さまざまな疾患の説明が延々続き、「その疾患ではoftenこういう症状がでるからね」のような使われ方です。
非常にヤル気を掻き立てられる面白い案件だったのは事実ですが、いかんせん(屋根裏比)納期が非常に厳しく、「しばしば」「往々にして」「よく」「多くの場合」「である場合が多い」など少ない手持ち札で対応せざるを得ないことが多く、自分の語彙の少なさに悔しい思いをしながら、納期と戦いながらの翻訳となりました。

嵐が過ぎ去った今、oftenについてもう少し考えてみたいと思います。

訳語のバリエーションについて考えるとき、個人的にまずお世話になるのは「うんのさん(ビジネス技術実用英語大辞典)」、次に「新和英大辞典」(全文検索で逆引き-このやり方は昨年のJTFセミナーでT橋さんに教えて頂きました)という感じです。電子辞書格納の英々辞典で意味を確認することもあります。そこで、「なんか、なんかな」と思うときは、辞書では「日本語大シソーラス」、ウェブでは「類語玉手箱」や「連想類語辞典」も確認します。後者のサイトは「え?そこまで連想する?」という場合も結構あり、たいてい再度国語辞典で確認する手間が発生するこのですが、自分では思いつかないような類語に出くわすことも多く、ワタクシは結構愛用しています。

類語玉手箱→http://www.thesaurus-tamatebako.jp/
連想類語辞典→http://renso-ruigo.com/

今日は、日本語訳語からの連想的発展はちょっと置いておいて、oftenそのものについて考えてみました。
母語使用者の肌感覚(?)的な「頻度」がもう少し分かれば、その文全体でoftenが一番生きる訳語を当てはめてやることができるかもしれない。

ということで。
とりあえず「Oftenは何パーセントなのか」を求めてSayoは行くのだった。

oftenとfrequencyでGoogle検索をすると、たくさんの結果がヒットします。ざっと見てみると英語学習者向けの文法のページが多いような感じです。パーセント値が示してあるサイトで目についたものを2つほど挙げておきます。

http://www.eslgold.com/grammar/frequency_adverbs.html
https://www.englishclub.com/grammar/adverbs-frequency.htm

他の英語学習者向けのサイトも合わせると、だいたい60~70%という感じでしょうか(*あくまで「参考」ということで)。

ついでに「The Grammar Book」(3rd. Ed)も調べてみます。たまに思い出して確認してみると、他の文法書には掲載されていないような事柄が書かれていたりするあなどれないヤツです(<でもたいてい忘れているので、Amazonでは「ほぼ新品同様」と形容されるキレイさなのだった)。

「Meaning of Preverbal Adverbs of Frequency」という項目があって、PositiveとNegativeに分けて、low frequencyからhigh frequencyの順にならべてあります。
そこでは、oftenはfrequentlyとまとめて、sometimes/occasionallyとusually/generally/regularlyの間に置かれています。「出版物だから絶対正しい」とは言えないと思いますが、この位置関係はひとつの目安にはできそうです。


この頃、訳出に苦労する簡単な単語については、(ケースバイケースですが)ただやみくもに訳語のバリエーションを増やそうと努力するより、その訳語の「立ち位置」を自分の中で明確にしてやる方がいいのかもしれないと思うようになりました。その方が、文単位で訳語を考えるとき、「こうは言える」「ここまで離れてOK」「これはやりすぎ」の判断がしやすい場合が多いように感じるのです(あくまで、まずは基本からいきたい自分の場合ですが)。この状態で「連想類語辞典」に戻ると、最初より「選択肢としてこれもありかも」と「これはあり得んやろ」が増えているのは事実です。

でも、やっぱりこれからもoftenには悩むと思うSayoなのだった。
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2017.03.05 00:13 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |
「翻訳力を向上させるには良質の文章を読むとよい」という言葉をときどき耳にします。

以前は特に疑問も持たなかったのですが、あるとき「良質の文章て具体的にどんな文章やねん」という疑問がふと頭に浮かび、以来答えの出ない世界をぐるぐるしていたSayoです。

自分が翻訳者として関わる分野でいえば、「著者の意見が、業界用語を正しく用いて理路整然と書かれており、起承転結に齟齬がなく、その分野の基本知識を身につけた人間であれば、一読して趣旨が頭に入る」文章が良質の文章といえるのかなと思います。

一般的な文章についていえば、やはり「基本的な文法に則った、流れのある読みやすい文章」をひとつの「良質の文章」と呼ぶことはできるかなと思いますが、そうではなく、たとえばあちこち引っ掛かる表現であっても心に残る文章というものもあり、ではそれは「良質」ではないのかと問われると、分からなくなってしまうのです。

「質」という言葉を用いることで、どうしても主観的要素が混じってしまうように思います。書かれた目的、読まれる目的、対象読者などがさまざまに異なる日本語の文章全体をひっくるめて「良質の文章」と呼ぶことにも無理があるように感じます。

なので...

全方位的「良質」文章を追究するのは止めにして、自分が目的とする種類の文章における「良質」を求めていくことにしました。
たとえば、フィクション、ノンフィクション、実務文書、新聞等で良質の文章というのはビミョーに異なると思うのです。

とはいえ、基本は大事なわけで。

日本語文法と文章作成技術の基本を抑えた上で、常に「自分の求める種類の文章における『良質』は何か」を考えながら、広く文章を読んでいくのが理想かなあと思っています。
そうする上で、「今(あるいは短期的視点で)どんな文章を書く必要があるのか/書きたいのか」と「長期的にどんな文章を書いていきたいのか」の両方の視点から、優先的に読むべき文章を選んでいくのがいいのかなと。短期必要文書系6割、長期文章鍛錬系4割とか(割合はときどき見直します)あくまで自分の場合ですが(で、「優先的に」をためてしまういつものパターンなのだった)。

とはいえ、基本だけでも不十分なわけで。

そのうちご紹介したいと思いつつ年を越してしまった(<というか、世間はすでに3月なのだった)「文章の書き方」で、辰濃和男さんは、「広い円」という言葉を使って、1のことを書くために(たとえば100の)多くの情報を得ることの大切さを説いておられます。言葉も同じで、100通りの語彙や訳し方が自分の中にあってはじめてぴったりの訳語を選ぶことができるのではないかと思うわけです(まあ、100は自分には逆立ちしても無理と思いますが)。そのためには、さまざまな文章を多読して自分の中に語彙を蓄積する必要があるかなと。

ということで、強引にまとめてみると...

基本は大事。
常に目的とする文章における「良質」を自問自答することを忘れない。
その上で語彙を蓄積する努力をする。

...みたいな感じになりましょうか(...理想ですが...)
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2017.03.02 23:40 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |