屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

「シンプル病理学」と相前後して、他の日本語書籍の音読も終了しました。
(昨年末時点のラインナップはコチラ

「潮騒」(三島由紀夫)
...スイマセン、初三島です。
ストーリー的なことをいえば、「べたな純愛小説」と言えばいいんでしょうか。
音読的観点からいえば、とても読みやすかったです。無駄を省いて推敲を重ねた文章なのだと思います(もちろん、出版される文章というのは、本来すべてそうあるべきものなのでしょうが)。そうした無駄のない文章ながら、情景描写の部分では、地形や景色や天候、あるいは登場人物の佇まいが目の前にありありと浮かんでくるのは、この文章がそれだけ「読ませる」文章ということなのかなと思います。

「実戦・日本語の作文技術」(本多勝一)
...スイマセン、今さらの「日本語の作文技術」です。
この本の後半部分は、著者の主張がちょっと強く出すぎているような気がして、少々辟易する部分もありましたが、前半の「日本語の作文技術」の、直結の原則、修飾の順序、テンの二大原則などの部分は、「ナルホド」と納得する内容ばかりでした。実際、この本を読んだあとは、訳文を作る際も、今挙げたようなことを意識しています。「裁判の判決文を分析する」で、不明瞭この上ない判決文が(そのように書き直すことの是非は取りあえず置くとして)見事に料理され、分かりやすい文章になっていくさまは見事だと思いました。

の2冊を終え、現在、専門分野系の「異常値の出るメカニズム」の他に「文章読本」(谷崎潤一郎)と「かくれ里」(白州正子)を読んでいます。

このうち「かくれ里」は、実家の父の蔵書から「音読用に」と発掘してきた数冊のうちの1冊。
白州さんの本は初めてですけど、ひと目で...じゃなくて冒頭の数行で気に入りました。

「かくれ里」と題したのは、別に深い意味があるわけではない。字引をひいてみると、世を避けて隠れ忍ぶ村里、とあり、民俗学の方では、山に住む神人が、冬の祭りなどに里へ現われ、鎮魂の舞を舞った後、いずこともなく去って行く山間の僻地をいう。謡曲で「行くへも知らずなりにけり」とか「失せにけり」というのは、皆そういう風習の名残であろう(「油日の古面」冒頭部分)

自分の文章のリズムと関係している部分もあると思いますので、他の方はまた別の感想を持たれるかもしれないのですが、ワタクシは、こういう文章、好きです。凜として清々しくて品がある文章だなあと思います(あくまで個人的な感想です)。というわけで、楽しく読んでいます。

これらの書籍を音読してきて(「かくれ里」は現在進行形ですが)思うのは、何気なく書かれた文章のように見えて、あるべき順序で書かれ、必要な箇所に読点が打たれているということ。
自分の書いた訳文を音読していて、続けるべきではないところまで続けてしまって「あれれ」となっているワタクシは(つまり、分かりにくい書き方をしているということなのですが)まだまだ修行が足りないようです。トホホ。
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2017.03.31 21:00 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(2) |