屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

2月にヨレヨレの半死状態で提出したコチラの通信講座、ちゃんと添削して頂くことができまして、先日、時間差で2本の添削済みシノプシスが戻ってまいりました。2本目の戻りはGW中でした。休日返上で添削頂いたようで、本当に感謝しています。

どのシノプシス原稿にも40~50個のコメントがつく(注意点と褒める点の両方)と聞いてはいましたが、課題図書には約40個、自由図書には20個ほどのコメントが付きました。
自由図書のコメントが少ないのは、決してワタクシのシノプシスのできがよかったからではなく、シノプシスが短すぎたからです。もっと正確に言えば、あらすじが。なもんで、突っ込むところがないのよね。

リーディングのシノプシスは、ざっくり言うと、作品情報、著者情報、あらすじ、読後感(所感)から成り立っているわけなんですが、ワタクシは、2本どちらのシノプシスについても、あらすじへのコメントでも全体講評でも「あらすじが短く不完全で編集者にきちんと本の内容が伝わらない」と言われてしまいました。所感は意外にも「長さも内容も適切」と言って頂けて、そこは救いです。ワタクシは、仕事でもそれ以外でも、たとえオブラートに包んだ状態であっても、「ここはちょっと...」とネガティブな言葉にするのがとても苦手なタイプでして(他人に嫌われたくないという都合のよいタイプなのだった)、作品のよい部分、悪い部分を比較しながらきちんと文章にするのはなかなかしんどかったからです。

講評では、あらすじ部分の不完全さを「時間が足りなかったのかもしれませんが」と思いやって頂きましたが(まあ、それは事実なんですけど)、たとえ時間があっても、自分には短いあらすじしか書けなかったと思います。
どうも、ワタクシは、勝手に「あらすじは短い方がいい」と思い込んでいたみたいです。頂いた資料もきちんと読んだんですけど(<て、読んで「理解して」ねーだろ<自分)。2本のサンプル・シノプシスも、あらすじ部分は結構テキトーに読み流していました。

どうしてかなと考えていて(あらすじをまとめて文章にする筆力や構成力が不足していることは、ここでは取りあえず忘れておくんなさい)、それは、「読者を意識して」あらすじを書いていたからかなということに思い至りました。他の方はどうか分かりませんが、読者としてのワタクシは、結構少ない情報で「よし、この本を読もう!」と決めるタイプです。「あー、そこまで言わんとって(楽しみが...)」的な(<それで失敗することも多いのだった)。あらすじをまとめるときは、知らず知らずのうちに「自分」という読者を意識してしまい、そのために自分好みの、結果「編集者からみて情報の足りないあらすじ」になってしまったような気がします。でも、よくよく考えてみれば(というか、考えてみるまでもなく)、編集者はシノプシスの情報を基に「売れるかも」を判断するわけですから、過不足のないそれなりの長さのあらすじがいりますよね。
読後感の部分は「編集者に売り込む」ことを意識して書いているので、読後感としては「適切」と言って頂けたものの、逆に、全体として、バランスの悪いちぐはぐな印象のシノプシスになっていたかもしれません。

ということで、もう一度サンプル・シノプシスを読み直し、2本の原稿を書き直してみようと思います。

毎日の仕事では、目に見えない読者を意識することはなかなか難しい(報告書が多いんで意識するまでもないというか...)。
リーディング講座は、「きちんと読者を意識した文書を作成する」ということの大切さと難しさを改めて意識するよいきっかけになったかなと。訓練という意味で、ときどき「コレ」という原書のシノプシスを作成することはやってみようと思います。時間はないけど...まあ、何とか作るよ(あくまでも希望的観測です)。
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2017.05.10 23:40 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |