屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


宮部みゆきさんの怪談時代物(と乱暴に括っておきます)連作短編集。

「参之続」とあるとおり、これが3作目。現在は四之続まで単行本化されているようです。

主人公は、叔父夫婦が営む袋物屋に身を寄せている(シリーズ開始時)17歳のおちか。
川崎の実家で彼女自身の身に起こったある事件がもとで心を閉ざしてしまったため、江戸の叔父夫婦の元に預けられることになったものです。
このおちかが、叔父の計らいで、三島屋を訪う客たちの語る不思議な話の数々を聞くことになるのですが、その中で、目を背け逃げてきた自身の「事件」とも対峙することになり、少し心が回復し前向きになるところまでを描いたのが「事始」の「おそろし」。事続(2作目)の「あんじゅう」では、さらに登場人物が増えて、おちかの身辺も少し賑やかになります。

3作目の本作でも、心温まる話やおそろしい話が語られます。おちかが他所の怪談語りの会に出掛けていくなんてことも。表題の「泣き童子」も心が冷え冷えとする「おそろし系」ですが、ワタクシが個人的にぶっ飛んだのは「まぐる笛」という作品。その感想は最後に取っておきましょう。

ワタクシが宮部さんの時代物作品を好きなのは、最後にきちんとカタルシスが得られるからではないかと思っています。現代物は、何というか、わりと救いがない状態で終わることが多い(それでも、「そんな世の中でも、もしかしたらまだ捨てたものじゃないかもしれない」とちらと思わせてくれるような終わり方ではあるので、ついつい手にとってしまうのですが)。

それから、これは、あくまでとても個人的な感想なのですが、時代物の方が、描写や表現でも遊んでいらっしゃるような気がします。もしかしたら、無意識のものなのかもしれませんが。

宮部さんの表現の仕方は独特だなあと思うことがあります(どの作家さんにも、ちょっとした「クセ」のようなものはあるのでしょうが)。
ワタクシが初めてそれを感じたのは「天狗風」でした(蛇足ですが、「天狗風」では、人間の言葉を喋る生意気な子猫の「鉄(てつ)」が大活躍します。猫好きの方は手にとってみてくださいませ)。
「天狗風」の中では、猫が苦手な、主人公はつの相棒右京之介さまが、猫と相対したときの様子が、「たった今満月が井戸端に降りてきて顔を洗っているのを見た、とでもいうような顔をしている」だの「満月が手ぬぐいをさげて湯屋ののれんをくぐってゆくのを見たというような顔をした」だのと、突拍子のない表現で語られています。
とはいえ、ワタクシが、未だに覚えているくらい目立っていたわけなので、表現としては若干行き過ぎではあったのかもしれません。

「三島屋変調百物語」では、そうした表現が、ストーリーの中に上手く溶け込んでいて、ワタクシはやはり「円熟」という言葉を思い浮かべずにはいられないのです。

宮部さんは、オノマトペというのでしょうか、重ね言葉の使い方も独特です。このあたりは好き嫌いの話にもなってくるかもしれないのですが、ワタクシは割りと宮部表現が好きで、新しい表現に行き当たると嬉しくなってしまいます(あくまで、自分の語彙の範囲の外にあるということなので、もしかしたら、他の方にとっては「独特」でも何でもないのかもしれませんが)。

参考までに、少し挙げておきますね。

***
「その笑いがしおしおと消えて、また震えるような吐息だ」
「いたって人の好いふくふくとした笑い方をするが、お上の御用となればぴりりと辛い山椒で」
「つるつると舌を滑らせながら」
「二人がけんけんと言い合っている間も」
「雲は動かず、風のない夏の夜に、鐘撞き堂を見下ろす山の森が、ぞわりぞわりと身動きしている」
***

という感じです。

この最後の表現は「まぐる笛」からのものなのですが、これは「怪談・妖怪もの」ではなく、あえて言うなら「怪獣もの」になります(とはいえ、ヒトの怨念が怪獣の形を取ったものではあるのですが)。「まぐる」というこの怪獣を指笛で退治する話なのですが、「まぐる」が人を喰らう様子や指笛に操られて自身を喰らう様子は(宮部さんの表現に手加減はありません)、ワタクシの中の「原始的な恐怖」を呼び覚まします。まるで、初めて「ジュラシックパーク」の恐竜と戦う場面の描写を読んだときのよう(こ、この先に「荒神」があるのかな<ドキドキ)。まさか、「三島屋変調百物語」で怪獣に出会うとは思っていなかったので、心の準備ができていなかったのでした。

とはいえ、そういうおそろしい話ばかりではありません。ちょっと切ない話や心温まる話も収められています。
「四之続」はウチの図書館ではまだ予約が10人を下回らないので、もちっと待つかなー。
関連記事
2017.11.21 00:03 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(4) |

Narrative のような、狭いスペースに多くの情報を詰め込む必要がある文書は、「これでもか」という感じで略語で攻めてくる場合が多い。

クライアントさんによっては、「略語は略語のままで」指定される場合もあるのだけど、それはそれとして、略語を開いた(とワタクシは呼んでいます)語句の意味が分からなければ、意味がとれないものも多い。というわけで、あまりお目にかからない略語の場合は、結局、スペルアウト語句探しの旅に出ることになる。

Googleで、略語+予想される英単語又は関連すると思われる日本語単語を用いてANDサーチすることが多かったのだけど、どう掛け合わせてもヒントにさえ至らないこともある。

そんなときに出会ったのが下の略語サーチと略語集。
Medical Abbreviations A thru Z
http://www.globalrph.com/abbreviations_home.htm
MediLexicon
http://www.medilexicon.com/

Lexiconの方が使いやすいかなという印象だけど、Medical Abbreviationsの元サイト(Home)の情報量がかなり凄かったので、2つ併せて紹介しておいた。
使用する際は、必ず裏取りをするなどの注意は必要になると思うが(てか、どちらにせよ、英語で開いてくれるだけなので、もう一度日本語探しの旅に出る必要があるのだった)、About Usを読むかぎり、なかなか良心的なきちんとしたサイトのように思われる。

医学の略語で泣いている方は(まだご存じなければ)参考にして頂ければと思います。
関連記事
2017.11.15 17:12 | お世話になった(なっている)ウエブサイト | トラックバック(-) | コメント(0) |
というのは、週末に、全日本大学駅伝(伊勢路)を制した神奈川大の大後監督の言葉。

箱根駅伝の予選会で失敗したあと、スタッフを増やし、練習量を減らして技術を高めることに重点を置いたという記述があったあとに、(これまでの自分のやり方を否定するのは怖かったが)という断りがあって、この言葉が続きます(朝日新聞11月6日「ひと」欄)。

その「走りの技術が伴わないのにいくら走っても意味がない」は、翻訳の仕事を始めた頃の自分だったなあ、としみじみしてしまったSayoなのでした(年を取ると、昔を思い出すことが多くなるのよねー)。
そして、書いてみたらば、あんまりタイトルと関係ない話になってしまったのでした。てか単に昔語り。
なので、今日もひとつ、「お好みでスルー」で宜しくお願い致します。


これまでも何度か書いているとおり、私は、派遣翻訳者として翻訳人生を踏み出しています。田舎の工場なので雇っていただけたものの、都会でしたら、「和訳の学習経験はあるが、英訳はほとんどしたことがありません、てか、英作文に毛が生えた程度です」な私を雇ってくれる会社なぞ、まずなかったことでしょう。いくつかの偶然が重なった、本当にラッキーな船出だったと思います。

そこは、品質保証部門の海外市場を担当する部署で、毎日どこかしらの海外販社から入ってくる大小の不具合情報の内容を分析し、必要部門に解決策を求め、情報提供元の販社に回答を提示しなければなりませんでした。いつも時間との勝負でした。私も、何度「忘れてるわけちゃうねんけどもちっと待ってな(We will inform you of the solution as soon as we find it. Please be patient)」という文章を書いたことでしょう。
「意味が分かればいいから」と、正確さより速さが優先され(専門的な説明を含む報告書の類いは、だいたい開発部門の専任翻訳者が英訳を作成していました)、10行ほどの英訳ができあがるのを、担当者が横に立って待っているなんてことはザラでした。とにかく、出社してから退社するまでひたすら翻訳しまくる日々でした。

陸上に当てはめてみれば、「とにかく量をこなす」練習をしていたことになるのかなと思います。そして、英訳のお手本となる販社からのFAXは(世はFAX全盛時代です)、米国販社も含め、決してきちんとした英語とはいえませんでした。自分のことを棚に上げるワケではありませんが、それらを手本としていた私の英語も相当ひどいものだったと思います。その後、在宅に移っても、継続して英訳の仕事は頂けませんでしたから。
当時の自分は「技術がないまま(悪い手本を見ながら)ただ走っている」状態だったと思うのです。もちろん、「量をこなす」ことに意味はあったと思います。在宅翻訳者になってからも、「納期と翻訳量(の多さ)に驚く」ということは、まずありませんでしたから。
でも、きちんとした手本(きちんとした文章)を頼りとし、ときに立ち止まって「これを自分の中にどう取り込めばよいのか」を考えながらの「量をこなす」でなければ、先にはいけないのですよね。
あのまま、在宅翻訳を続けていたら、たぶん、私は今ここにいないと思います。


幸いに、というべきか、旦那の米国転勤帯同で、完全に仕事を離れ、勉強として英語を書きまくる機会に恵まれました(現地のCommunity Collegeに通った<Residentは破格の授業料で、1科目から受講できるというありがたいシステムです)。教科書がテキストですから、きちんとした表現で書かれています。英語の授業では、英語を専門とする先生方にがんがん添削していただきました。

その期間があったからこそ、帰国してから、自信をもって英訳に臨むことができたと思います。
ただ、その頃の私は、「とにかくネイティブらしい英語を書く」ことに腐心していて、「書き手」や「読み手」のこと(書き手が何をどう伝えたく、どうすれば一番よく読み手に伝わるか)が頭から抜け落ちていたように思います。たぶん、「一読してネイティブっぽいが、いまいちすっきり伝わってこない」英文を書いていたのではないかと。走りの技術でいえば、「こんな風に手を振りこんな風に走りと連動させる」コツは何となくつかめてきたけれど、「そうすれば、なぜ楽に走れるのか」までには意識が向かなかった、みたいな感じでしょうか。この状態も、あるところまで行って頭打ちになっていたと思います。


幸いに、というべきか(いや、ちょっと違うのだが...)、今度は、両親の介護で、かなり仕事から離れることになりました。すべてが一段落したとき、私は50の手前で、「これからは、どうせなら、やりたい医療翻訳の分野で、好きな和訳だけやっていこう」と思うようになりました。
そして、6年かけて、「そうすれば、なぜ楽に走れるのかも考え理解することが、最終的によい走りにつながる」んじゃないかと考えるところまでこれたかな、という気がします。「よい走り」はまだまだ先にあるんですけど。今後は、「たちどまって考える、ときに修正する」ことを忘れず、少しでもよい走りを目指していければと思っています。

私が20年かけて辿り着いたこの地点に、短時間で辿り着いてしまう方は、もちろんたくさんおられると思うのですが、時間が掛かってもとりあえずここまで来れたので、鈍足の自分としては、まあ上出来かなと思っています。この先、「よい走り」を求めながら、結局そこには最後まで到達できないんだろうなという気がしますが、考えてみれば、「これがよい走りだ」と思ってしまうとそれより先にはいけないわけで、この「求めて到達できない」感、それはそれでいいのかなと。

...そして、今日もだらだらと仕事をしてしまったのだった<まずそこから直せよ<自分。
関連記事
2017.11.10 00:18 | 伝える | トラックバック(-) | コメント(5) |
慢性Amazon購入したい病が悪化した際に購入した1冊。


同業者は「てにをは辞典」(以下「てにをは1」)を所持しておられる方が多いようで、どちらにしようか悩みましたが、「連想表現辞典」(以下「てにをは2」)の方にしてみました。

第一印象は、「老眼にはやさしくない」。巻末に「てにをは1」の例頁が掲載されていて、そちらも同じくらい老眼にやさしくなかったので、ちょっとホッとしました(...なんか論点が違うような...)


気を取り直して。

この辞典は、帯に「日本を代表する作家四百名の名表現を類語・類表現で分類。作家的表現力を身につける『書く人』のための辞典」とあるとおり、本来、少し時間をかけて「ことばを探す」ための辞典です(少なくとも、ワタクシはそういう印象を受けました)。なので、時間との戦いである面も大きい毎日の実務翻訳には少し不向きかなあという気もします。

「引出し」と呼ばれる大分類の下に見出し語があり、各見出し語項目の中に、項目語を用いた表現例や関連(連想)語句を用いた表現例+その表現の使用者が書かれている、という構成なのですが、項目によっては、この表現例がたくさんありすぎて(しかも-しつこいようですが-老眼は考慮されていない)、斜め読みでも時間がかかります...というか、どちらかといえば、ゆっくり味わって読みたい内容です。


たとえば、「多い・少ない」という大分類を例にとってみます。

見出し語は、五十音順に収載されていて、「ある程度」「幾つか」「いくら」「一語一語」「一条」「一度」...などなど。そのおのおのに、表現例が記載されています。時間に追われる仕事では、「とりあえず見出し語だけざっと斜め読みする」という使い方はできるかもしれません。

この分類方法は、「角川類語新辞典」(以下「角川」)に似ているように思います。
「角川」では、「多い・少ない」は、「数量」という大分類中に「多少」として記載されています。その中で、「多い-数量がたくさんある」「特に分量が満ちたりて不足がない」などと、さらに細分化されています。各語には簡単な意味の説明と使用例が記載されているので、同類の語句の違いをくらべたいときも便利。ATOKにもおったような気がしますが、ワタクシは紙辞書のお世話になることが多いです。この種の紙辞書としては、仕事では一番お世話になるかも(日本語から他の日本語を連想する、という使い方では、たいていは、ウェブの「類語連想辞典」さんにお世話になります)。

「老眼にやさしい」という点では、「日本語使いさばき辞典」(以下「使いさばき」)が秀逸(?)です(<どうしてもそこなのか<自分)。
この辞書は、ライターさんから、「ちょっと変わった愛用辞書」として紹介していただいたもの。
「てにをは2」同様、「大分類は五十音順」というところが使いやすいのですが、いかんせん収録語数が少なめ(老眼にやさしいので<しつこい)なのと、各語の意味の記載がないところが若干使いにくい感じです。
「使いさばき」にも「多少」という分類はありまして(他の辞典の「大分類」に相当する位置づけ)、その中に、「数量・分量からみた『多(少)』」「『多』に関する擬態語・形容語」「ある基準からみた数量・分量の『多少』」などの分類があり、それぞれが、さらに細かく分類されています。たとえば、「ある基準からみた数量・分量の『多少』」だと、「食べ物で腹が満ちる」「はみ出した数量・分量」「端数がない」など。各大分類の最後に、その語句に関する成句一覧が記載されているのも面白いです。

「てにをは2」の「多少」の項目を眺めていたら、「多少なりとも」と「多少とも」の両方の表現があって、「どうちがうねん」が多少気になりました。そういうとき、ワタクシは、「日本語類義表現使い分け辞典」(紙版、以下「類義表現」)か「類義語使い分け辞典」(CD-ROM版)のお世話になるのですが、特に「類義表現」は、説明が詳しすぎて、気合いを入れ直して読まないと理解できないという難しさがあります(あくまでワタクシの場合)。
(ちなみに「なりとも」と「とも」の使い分けの説明は見つからなかったような気がしますので、また時間があるときに調べてみます)

そんな風に、類語辞典には、(忙しいときであっても)「類が類を呼び、最後に類義表現を呼ぶ」というこわさがあるので、ワタクシは「類語辞典の罠」と呼んでおそれています。


上で言及した辞典は以下のとおりです。

「てにをは連想表現辞典」(三省堂、2015年)
「てにをは辞典」(三省堂、2010年)
「角川類語新辞典」(角川書店、1981年)
「新版・日本語使いさばき辞典」(東京書籍、2014年)
「日本語類義表現使い分け辞典」(研究社、2007年)
「類義語使い分け辞典」研究社、1998年」

蛇足ですが、「てにをは2」には、巻末に、収録作家名と出典の一覧があるのですが、その中に、高千穂遙さんの「ダーティペアの大帝国」があって、多感な年頃、高千穂さんの作品にお世話になった身としては、嬉しいやらびっくりするやら。ただ、どこに収録されているかは分からんのです。
関連記事
2017.11.04 15:54 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(0) |

「今日から使える医療統計」(新谷歩、2015年、医学書院)

トウケイ、ニガテデス。

とはいえ、仕事では、分かった振りをして統計を語らなければならないこともあるわけで。

10年以上前に受けた医薬翻訳講座の講師先生は、「最低限、P値と信頼区間の意味だけキチンと押さえておけば、あとは何とかなります」的なことを仰いました。
もっとも、それは「最低限、そこは押さえておかなければ、意味の通じる翻訳はできない」という意味であって、「それだけ分かっていればいい」ということではなかったことは、すぐに明らかになるんですが...

医療機器では、製薬分野より統計に遭遇する頻度は低いのかもしれませんが、それでも、プロトコールや報告書ではそれなりに「統計」が登場します。
辞書は手元にありますし、おおむね初学者用の参考書も何冊か読みましたので、多少難しい内容のものも、その都度確認しながら「何とか」という感じで対処しているのですが、いつまで経ってもなかなか自信がつきません。てか、ルートとか嫌いだし。

先日も、「XXの場合はYY検定を用いる」的な文章で、「XXの場合」が互いに相反するAとBのどちらにもとれるような書き方をしているものがありました。どちらかが正しいワケで、統計をご存じの方が読まれたら「意味的にA(又はB)しかあり得ん」となるのでしょうが、その検定を字面でしか理解できていないワタクシには、調べても調べても正答が確定できません。

その仕事を納品したあとで、「今日から使える医療統計」を読み始めたら、その中に正答が書かれていたのでした(あ、合ってた...<ホッ)。

この本は、「統計に馴染みがない状態で医療翻訳をある程度こなし、『統計の洗礼(?)』を受けたあとで読むと、よく理解できる参考書」であると思います(あくまで自分の場合です)。

(ワタクシ的には)まったく初めてという項目はなかったのですが、ほとんど理解できていなかった内容もあり、さまざまなことがかなり明確になりました(理解したことはおそらくすぐに忘れてしまうと思うのですが、とにかく、どの本を見ればよいということが分かったのは収穫です)。
基礎知識やグラフの見方、感度や特異度など、復習的に役に立った箇所もあり、交絡と交互作用の違いなど「そう考えればよいのか」と違いが明確になった(今だけ)項目もあり。卑近な例を用いて説明してから、専門用語による説明に入るので、分かりやすいです。
これまで点としてしか理解できていなかった、「どのような場合はどの検定を用いる」が一覧表にまとめられているのも、一目瞭然に(今だけ)納得できて嬉しい。

1年以上積ん読していたことを心から後悔し懺悔しました。

目次などはコチラから→
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=84840

元になった週間医学界新聞の連載「今日から使える医療統計学講座」はコチラで読むことができます→
https://www.igaku-shoin.co.jp/paperSeriesDetail.do?id=144
関連記事
2017.11.02 22:21 | 辞書・参考書 | トラックバック(-) | コメント(0) |