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2017. 12. 01  
「~解体新書からAL、そしてその先へ~」という副題のついた、翻訳フォーラムのT橋(さ)さんとF井さんによるセッションです。
午前中の2セッションは、中身が濃いということもあり、本当にまとめるのが難しくて、この2セッションを選択した自分を全力で呪っています←今ここ。

セッションの内容に入る前に、「なぜ今この話なのか」をきちんと把握しておかないと、「翻訳の歴史について話を聞きました、面白かったです、だから何やねん」になりかねません。
なので、「なんで翻訳の歴史の話やねん」を自分なりに考えてみました。「翻訳の歴史を見ると<今>が見えてくる」とありますが、それだけでは、む、難しすぎる...

結局、「ゼッタイこれや」というところには辿り着けませんでした。なので、自分なりに考えたことを書いておきます。登壇者の方々の意図とは若干ズレているかもしれません。

セッションで語られたのは、大雑把にいうなら、翻訳に対する考え方、必要とされる翻訳、翻訳手法、翻訳の道具、周囲環境や通信事情がどのように変化してきたのかということです。その変化は「激変」と呼んでもいいかもしれません。ワタクシが勉強を始めた1990年代と比べても、さまざまな物事が大きく変わりました。今現在も、次なる激変の途上にあるのではないか--そう考えている方も多いのではないかと思います。ワタクシもそうです。これからどう変わるかを正確に予測することは難しいですが、過去を知ることで、その延長上にある「今」の自分の位置を知ることは可能です。これまでの流れと自分の置かれた位置をよく理解し、今後自分が進みたい道を選択する際や譲れない部分を見極めるときなどの参考にしてほしいとの思いが、今回のセッションの背景にあるのではないか(少なくともその一部なのではないか)と思います。

という前提で、翻訳の歴史、いきます。

セッションでは、まず、第一部として、T橋(さ)さんが江戸時代から第二次大戦後の高度成長期までを駆け足で振り返ります。

江戸時代後半~明治-欧州言語翻訳の黎明期
・文に句読点(パンクチュエーション)が打たれるようになる-現代人には当り前の「文の切れ目表現」ですが、最初に「分かりやすく表現しよう」と考えた人はやはりスゴい言わざるを得ません。
・造語が作られる-「音訳」と呼ばれる「直訳」もあったが、次第に使われなくなり、意味を示す別の語が造られるようになります。
・原語の文法を理解-単語ベースの置換えではない、真の意味での翻訳が可能になります。

明治~高度成長期
・印刷方法(木版→活版印刷)、筆記具(筆→紙と鉛筆→ワープロ・PC)、辞書など、道具が大きく変化した。
・新たな文体が確立する。
・戦後国語改革により大きな変化が生じる-漢字・かなづかいに新たな基準が設けられ、文章も平易化します。読者の増加に伴い、翻訳の需要も増大し、専業翻訳者も登場します。

ここから第二部。F井さんが辞書と通信事情の変遷(最近30年)を振り返ります。

詳細は省きますが、特に1990年代後半以降、ものすごい速度で新たなサービスが追加されていったのが分かります(その話のほとんどを「懐かしい」と思いながら拝聴している自分がいるという...)。
セイコーさんの複数辞書搭載電子辞書は、1996年にすでに発売されていたのですね(PASORAMA1号機は2009年です)。ちなみに、ワタクシが購入した最初のSII辞書はSR-T7800(医学モデル)で、リーダーズ2版+プラス、Genius3版、新和英中辞典、ステッドマン5版、ステッドマン医学略語、広辞苑5版が搭載されていて、辞書数が少なく反応も早いので、調べたい語が分かっているときなど、今でも使うことがあります。昔の子は丈夫だわ~(そこそこ重いけど)。
年代別に辞書とサービスが分かりやすくまとめられていて、改めて眺めてみて「この資料スゴい」と思いました(資料作りのための参考文献の一覧もあります)。

そしてまたT橋(さ)さんに戻って第三部。最近40年の変化を辿ります。

・ツール類の発展-翻訳者用ツール(PC)、翻訳会社用ツール(TM)、社会全体のツール(検索エンジンやGoogle翻訳など)のほかに、「翻訳作業を補助する」という広い意味でのさまざまなツールが登場してきます。
・1980年代-OA化が進みワープロやパソコンによる入力が進みます。
・1990年代-パソコン通信による翻訳者同士の横の繋がりが生まれ始めます。OAとFAの発展により、マニュアル類が大量に発生するようになってきます。翻訳の絶対量が増加したため、SOHOブーム、翻訳学校の増加とも相まって、翻訳学校からの翻訳業参入組も増え始めます(→こうした未経験参入者の賃金がDefaultになり、翻訳賃金の低下に繋がります)。
・2000年代-ウェブ検索が本格化し、シェアウェアやフリーウェアが全盛時代を迎えます。また、この頃、「訳文の再利用」という概念も普及し始め、それに伴ってTMも普及し始めます。(「機械vs人間」という対立の構図が見え始めるものの、「どんな機械をどのように使うか」を自分で決めることが大事なのではという議論も)
・2010年代-低価格化が進み、発注経路などにも変化が生じます(翻訳を必要とする部署が発注→購買部によるまとめて発注など、また旧来の翻訳業界外からの市場参入も)。MT+PE、オンラインメディア用翻訳が増加し始めます。2015年頃から、「トランスクリエーション」という言葉が広がり始めます。
・2016年秋-G翻訳がニューラルベースになり、「なめらかな」翻訳が可能に(ただし、原文をデータ化し、生成されたデータを基に訳出先原語側のコーパスを使用して訳文を生成しているため、誤訳が生じる可能性も)。
(G翻訳と確率論について、実例を示してのお話がありましたが、まだ自分で試して検証できていないので、この部分は確信犯的にOmitします。スイマセン)

G翻訳にはGoogle社の戦略に基づく開発目的があった訳で、そうしてできたG翻訳を「何の目的で誰のために」を考えず、あらゆる目的の翻訳に闇雲に使用するのはおかしいのでは、というお話があり、その部分はそのとおりだなと思いました。実際、ワタクシも英語以外の参考資料の内容確認にG翻訳を使用することがありますし、以前に書いたこともあるかと思いますが、旅行など日常のさまざまな場面で、機械翻訳は威力を発揮し、ワタクシたちを助け言語を異にする人たちと繋いでくれると思うのです。そして、とにかく早く安いのは事実。でも、今の方向性(というか開発理念?)の上に成長していく機械翻訳に、本当にすべての「翻訳」を渡してしまっていいのか、上手く共存する道はないのかということは、「機械翻訳は早く安価」「機械翻訳が仕事を奪う」という即物的な利点や脅威とは別に、ワタクシたち翻訳者も翻訳会社も、そして業界全体がよく考えていかければならないことなのかもしれません。

で、最後に、とりあえずできることはといえば、「英文を正しく読み解き、常にきちんとした日本語で表現する力を蓄えておく」ことでしょうか。
...と無理矢理セッション1とも繋げてみたりなどしてみたりなどしました(←きちんとした日本語を書いてない例を示してみました)。

この現実を踏まえ、自分は今後どこに向かいたいのか、もう一度考えてみたいと思いました。
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2017. 12. 01  
まず、全体的な注意事項を少し...

 * ときどき屋根裏に来てくださる方はご存じだと思いますが、屋根裏には、セミナー講師の方は、お名前を「ローマ字読みの最初のアルファベット+漢字」で記載するしきたり(?)があります(著書・訳書紹介時除く)。そんなわけで、今回も「何を今更」な方もしきたりどおり記載しています。ときどき、うっかりフル記載していることがありますが、暖かくスルーして頂ければありがたく存じます。
 * 屋根裏では、基本、一昨年までの自分のように「行きたかった、でも行けなかった」方にも多少流れが分かるようなレポを心掛けています(しかし、道を踏み外していくことも多い)。というわけで、セッション内容記載部分で自分の感想を述べる場合は、できるだけそれと分かるように記載するか、( )で記載しています(のように努力しています)。
 * おおむね忠実にレポしていますが、分からなかった箇所/メモ取りがついていけなかった箇所はOmitし、しれっとしている場合もあります。その場合は、個人レポということでお許し頂き、暖かくスルーして頂ければ幸甚です。


で、ここからやっと、セッション1の報告です。

登壇者のS田先生のことは、恥ずかしながら、お名前と翻訳教室を主宰されているということくらいしか存じ上げなかったのですが、産業・出版・映像・舞台脚本と多分野の翻訳を経験されたほか、翻訳会社の経営にも携わられていたことが分かりました。子役や声優の経験もあるということで、本当に幅広い経験をなさってきた方だと思いました。

ご自分の体験も交えながら、翻訳教育(翻訳者側からすれば、何に気をつけて学ぶか、ということになろうかと思いますが)について語ってくださいました。
ざっくりまとめると「英文をきちんと読めることが大切。まず英文の正しい理解ありき」ということになろうかと思います。

I 一翻訳人の歩み(翻訳を中心とした自身の歩みの振り返り)
ラジオの子役オーディションの顛末、声優として台詞のない役を自分なりに工夫された話、台本(翻訳)の仕事を得るに至る話など、興味深いお話をいくつも伺いましたが、その中で心に残ったのは次の3点でした。
「人と同じことをしていてはだめ」
(これは、子役オーディションの際の話です。といっても、闇雲に目立てばいいということではなく、相手(この場合審査員ですが)の立場に立って考え「その方が有効であろう」という目立ち方をする、ということなのだろうなと思います)
「翻訳は短ければ短いほどよい」
(S田先生の師?にあたる方の言葉だとか。これは至言と思い、今も気をつけておられるそうです)
「中途半端な感じで始めた翻訳だが、40年も続いている。継続は力なりを感じる」

II 商品としての翻訳(さまざまな例を取り上げながら「翻訳は商品であるべき」と説かれます。読者の存在を考えない独りよがりの訳文ではないという意味の「商品」と理解しました)
この中では、「良いものより悪くないものを」ということも語られました。「常に最高の訳である必要はなく、常に、業界で失点と取られないレベルの訳文を作成する」、つまり(高いレベルで)流すことも必要というようなことです。
ここだけ読むと「手抜きオッケー」とも取られかねない、危険を孕んだ言葉でもあるのですが、セッションで紹介されていた「悪くないレベル」訳はかなりの高レベルであったことも申し添えておきます。
ただ、自分自身は、まだまだ学ぶことの多い翻訳者ですから、労働と対価も考慮しつつも、常に「今できる最高の訳文を作る」というスタンスでいた方がよかろうと思いました。
その他にも、「商品としての翻訳」に大切な点として、「読点を多用しない」「リズムある文章」「語義は正確に」などいくつもの点を挙げてくださいました。

III 翻訳の編集
読者の「読む力」を舐めることなく、自身も必要な語学力を身につけ、良質な翻訳者を発掘する努力をしてほしいという、出版編集者への提言が主だったと理解しております。

IV 翻訳の教育
産業・出版・映像・舞台などさまざまな分野があり、たとえば舞台翻訳には大劇場用と小劇場用などのようにいくつかのスタイルの違いがあるなど、分野内もさらに細分されており、翻訳に関していえば、現場の方が理論より先をいっているのではないか、というのがS田先生のお考えのようです。で、「まず実践ありき」で抽象に広げていくべきなのではないかとVに続きます。
(「翻訳理論」については講座内で若干かじった程度なので、この点については自分の考えは追加できず、申し訳ねーです)

V 教育の実践からエピローグへ
その実践で必要なのが、英文をきちんと読み解くことだとS田先生は述べられます。翻訳教育(学習)では、文法力と論理力で英文を精確に読み解き、教養を身につけ、表現力を養うことが必要だと。
また、「朗読」の重要性についても触れられていました。「つっかえるところは誤訳、イントネーションが引っ掛かるところは悪訳」と仰っていましたが、ワタクシ自身も、訳文を音読してさくさく読めないところは、掛かり受けが宜しくなかったり訳が間違っていたりすることが多いので、「音読大切」は素直に頷けます。

セッションのよさを上手く伝えきれず申し訳ありません。
着地できるかどうかドキドキしながら書いてきましたが、何とか(力業でねじ伏せるよ的に)結論まで辿りつくことができてホッとしています。

配付資料の中に、モリエールの 「女房学校」の2種類の訳文が含まれていました。片方は「小劇場のような空間で一般的な日常語で演じるにはぴったり」という訳文、もう一方はS田先生の手になる「大劇場で新劇として朗々と読んでほしい」という上演台本例です。どちらがよいとか悪いとかいうことではなく、けれどまったく異なる訳文になっています。どちらも正しくまったく違う、というのは、翻訳の醍醐味のひとつと言えるかもしれません。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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