屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。

先日、第1回目の和訳勉強会を終えました。
まだ名前がないので(最後までこのまま行きそうな気がする)、私は勝手に「1年勉強会」と呼んでいます。
「取りあえず1年間頑張るよ~♪」という勉強会なので。

その勉強会の話をする前に、時計を1年ほど巻き戻します。
昨年の今頃、義父がちょっと体調を崩しました。一昨年には、義母が、やはり体調を崩して入院していたので、昨年の春、私は「もはやこれまで」と、一瞬軽く覚悟を決めました。
もう「翻訳が1番」の生活は続けられないかもしれない。
しかし、幸いにも大事に至らず以前の生活が戻ってきまして、私が、昨年(隠居屋根裏比)がんがん上京しまくったのは周知のとおりです。
でもだがしかし。
こんな毎日がいつまで続くか分からない。義父母とも今は何とか自立した生活が送れてはいるけれど、少し長期にわたる体調不良で高齢者のQOLががくんと低下してしまうことは、両親で体験済みです。

というわけで、昨年春、「やりたいことはやれるうちにやろう」「翻訳以外は(とりあえず)捨てよう」と決心しました。
その「やりたいことはやろう」の1つが、この勉強会なのです。やっと本題に戻ってきたゾ。

私はずっと、関東の方が参加されているさまざまな勉強会を、関西の片隅から羨ましく眺めていました。
「高名な講師をお招きするのではなく、出席者全員が参加する厳しい勉強会が、関西でもあったらいいのに」

以前なら「いいな、いいな」で終わっていたと思うのですが、昨春以降は、若干「なければつくればいいのでは」の方向に気持ちが傾いていました。
そんなとき、本会の管理人さんが、FB上で「とことん自分を苛めぬく、分野横断的オフライン和訳勉強会をやりたいのですが、一緒にやりませんか」と、事務局(立上げ準備室)スタッフを募集されました。
自分のやりたい勉強会と方向性が似ているように思えましたが、根本のところが違うと、安易に参加しては、そのうち「何か違う」ともやもやした気持ちになってしまい、結局後悔するかもしれません。
何度かメッセージをお送りし、管理人さんが求める勉強会の輪郭を確認した上で、準備室への参加を決めました(その節は、しつこいメッセージでご迷惑をお掛けしました)。昨年の初秋のことです。

その後、オフラインで2回、FB上では何度も、(管理人さんも含めた)スタッフ3名で(大人のお子さまランチを頂きながら)、「どんな勉強会をどんな風に運営しようか」という相談を続けてきました。

「良質の英語をたくさん読み、きちんと解釈し、訳す」勉強会にしたいという点で、3人の意見は一致しました。
1年と期間を区切ったのは、「厳しい勉強会も1年と思えば頑張れるのではないか」と思ったからなのですが、「1年ならば生活が介護に傾いても参加できるのではないか」という私の個人的思惑もありました(スイマセン)。もちろん、2年目以降も続く可能性はあります(1年以内に崩壊する怖れもあります)。

テキストは「The Best American Science and Nature Writings 2017」に決めました。各エッセイはScienceやNatureなどの科学誌に掲載された、きちんとした英語です。そこから、皆がやりたいものを選んでいけば、いちいち課題を探す必要がないではないか、おお一石二鳥。私は以前このシリーズを音読していた時期があったので、何となく「こんなんどうでしょう」的に名前を出したにすぎないのですが、管理人さんも、長いことAmazonの「ほしいものリスト」に入れておられたそうで、アッサリとテキスト(課題)が決まりました。

勉強会は、2回(2ヵ月)で1エッセイに取り組み、1ヵ月目は、各段落の要約を、2ヵ月目は、指定箇所の訳出を課題とし、1ヵ月目の勉強会では、主に(文法も含めた)解釈について議論し、2ヵ月目の勉強会では各自の訳文について議論する、これを6回(又は5回)やる、という大まかな流れも決まりました。実際に1回要約をやってみて分かったのですが、要約するには、全体をきちんと読み、流れを掴み、各段落で必要な箇所とそうでない箇所を取捨選択しなければなりません。読み込む勉強になったような気がします。死んだけど。ちなみに、最初のエッセイの原文ワード数は3000ワード強、全29段落でした。

そうやってオフラインで基本的な流れを決めたのち、FB上のそれぞれのTLでこそこそと参加者を募った結果、命知らず...もとい、ヤル気溢れる方が若干名名乗り出てくださり、先日、第1回目の勉強会を開催する運びとなりました。
当日は、平昌五輪女子フィギュアスケートのFPの日にあたっていたため、勉強会はまさかの即席パブリックビューイングで幕を開け、きちんとした英語に触れる前に美しい滑りに触れて心を清め、侃々諤々の議論を(優しく)戦わせたあと、カーリングにならいおやつタイム(+それぞれの一推し書紹介)を設けて終了となりました。

特に時間配分に気を配ったわけではなかったのですが、各自の要約方法の紹介(それぞれ興味深く、勉強になりました)、意味の解釈に難儀した箇所の検討、内容に詳しい方による説明など、あっという間に時間が過ぎました(心を清める時間もそれなりに長かったしな)。今回はKindle版を購入された管理人さんが、期限までに提出された各人の要約をプリントアウト&人数分コピーしてきてくださったのですが、次回からは、皆の要望で、提出期限を早め、勉強会前に全員分の課題訳文をまとめたものを差し戻してもらい、それぞれがある程度の予習をして勉強会に臨むことになりました。みんな、どんだけ命知らずやねん。
最後に、次回の勉強会の日時と、次のエッセイを決めて散会となりました。

もちろん、1人で同じことができないわけではないのですが、こんな風に期限を切ってもらわないと、これだけのことを続けることはなかなか困難です(意志が弱いだけ、とも言いますが)。
また、「他人の視点」はとても新鮮で、話を進める中で、自分では思いも寄らなかった訳語が口にされたり(即、頂きました)、解釈間違いが分かったりということもありました。
勉強会の利点の1つは「他人の視点を入れる」ということにあるのではないかと思います。
「いいな、いいな」ではなく、自分から手を挙げてみてよかったと、しみじみ思った第1回勉強会でした。
この先1年、状況がどう変わるか、あるいは変わらず今の状態が続くか分かりませんが、大事に一生懸命、仕事と両立させていきたいと思います。


そして、私は、管理人さんが、こそっと「次の課題は今回の3倍の量...」と呟いておられるのを見逃さなかったのだった。3倍あるんかーーーい(^◇^;) 
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2018.02.25 20:56 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(3) |
アトランタ五輪では、「ドリームチーム」と呼ばれた米国バスケットボールチームが大活躍し、金メダルを獲得しました。
...というわけで、ワタクシ的には「ドリームチーム」といえば、アトランタ五輪です(ジツは3代目で、最初に「ドリームチーム」が選抜(?)されたのは1992年のバルセロナ五輪だったらしいですが)。

そういう「最強チーム」が、文句なく格好よく、ばったばったと敵をやっつけていく(そのさい「何でヒーローには弾が当たらへんねん」的なツッコミは禁句です、ヒーローは死んだらあかんのです)お話を書きたくなって書いたお話の冒頭部分。「?」な方は「新・ひと休み」の前書きを。もしくは生暖かくスルーで。

主人公の少女が「TVを見るかマンガを読むくらいしかすることがない」と入院生活を嘆いていますが、初出当時、スマホはまだこの世に登場していなかったということでお許しを。
お暇のある方のみさくっと流してください。
事情により、「ばったばった」の前でぶった切ってます。
これは、世に言う「二次創作」というヤツです。固有名詞は全部アルファベットに置き換えましたが、万一元ネタに気づかれた方は、ご自分の胸に納めて密かに苦笑などして頂ければありがたく。

*** ***

 アイリーンは、もう半年以上、病院にいる。
 ときどき熱っぽかったり、身体がだるかったり、かゆくてたまらなかったりするけれど(最後のはお薬のせいらしい)、猛烈なかゆみ以外は風邪を引いた時と同じ感じだったから、自分では、特に悪いところがあるとは思えない。けれど、それが「ケッカク」というこの病気の怖いところなのだと先生も看護師のお兄さんお姉さんも口をそろえて言うのだ。どこも悪くないように見えても身体の奥に「ケッカクキン」という悪者がひそんでいて、アイリーンが、ちゃんと直らないうちにお薬を止めてしまうのを待っている。だから、たとえかき破りができてしまうほど身体がかゆくても、そんな悪さをしているお薬は絶対飲まなければならないんだそうだ。
 「お薬を止めたら、もっとしんどくなって、もっと長いこと病院にいないといけなくなるのよ」
 そう言って、看護師のお姉さんは、アイリーンがしかめ面をして10個近い色取り取りのカプセルを飲み終わるまでそばについている。そうして、小さな手帳にサインする。誰もが、アイリーンがちゃんと薬を飲んだことを確認できるように。先生は、そうやって毎日お薬を飲んでいたら、3ヵ月ほどで退院できると言っていたのに、もう半年近くたってしまった。「フクサヨウ」とかいうもののせいで「カンキノウ」が落ちているからだと説明してもらったが、アイリーンには、難しいことはよく分からない。そんなことはどうでもいいから、早く家に帰りたいと思う。学校に行って友達に会いたかった。大嫌いな宿題も、今なら進んでやれそうな気がする。11歳になったばかりのアイリーンにとって、半年という時間は永遠にも等しかった。

 パパもママも毎日のように顔を見せてくれたが、いつも、顔の下半分をおおう大きなマスクを付けていて、何だか知らない人のように見えた。「ケッカク」という病気は簡単に人に伝染(うつ)るので、病院にいる間はマスクを外してはいけないのだそうだ。アイリーン自身も、病室を出る時は、必ずマスクをしなければならなかった。そんな人ばかりが入院している病棟だから、お見舞いの人もそう多くない。仲良しの友だちには入院してからいちども会っておらず、近くに住むお祖母ちゃんも2度ほど来てくれたきりだ。でも、本当はみなアイリーンに会いたがっているのだとママは言う。
「でも、伝染ったら悪いから、我慢してね、てお願いしているの」
 もちろん、アイリーンにもよく分かっていたが、やっぱり大好きなお祖母ちゃんや親友のエリンに会えないのは寂しかった。


 そんなアイリーンの唯一の楽しみは、マンガを読むことだった(ともかく、病室にいては、テレビを見ることと本を読むことくらいしかすることがないのは事実だ)。本を読むのも嫌いではないが、無人島にどちらか一方だけ持って行っていいと言われれば、迷わずマンガの方を選ぶ。以前は、アイリーンが図書館や友達から借りてきたマンガの本を読んでいるといい顔をしなかったママも、今では、彼女の望むままにマンガの本を買い与えてくれる(「たまにはこんな本も読んでみなさい」と普通の本しか持って来てくれない時もあるけれど)。
 ここ1年ほどのお気に入りは、日本のマンガで(もちろんセリフは英語になっている)、その中でもいち押しは「XXX」というシリーズものだ。最初の出会いは、Cartoon Channel の日本アニメの再放送だった。英語に吹き替えられたそのアニメに、アイリーンは「一発でやられて」(という言葉は看護師のお姉さんから教えてもらった)しまったのだ。エリンは「YYY」の方が面白いと言って譲らなかったので、2人の仲は、それが原因で一時険悪になったものだ。
 アイリーンは、アニメの主人公Aに、「乙女心をわしづかみ」(これも同じ看護師のお姉さんから教えてもらったのだけれど、古い言回しなのだそうだ)にされたのだった。一見きゃしゃに見える栗色の髪のその青年は、ひとたび戦いが始まると誰よりも強く誰よりも格好よかった。チームには紅一点のメンバーがいて、2人は互いに好意を持っているように見えたが、どこからどう見てもステディな仲には見えなかったから、アイリーンは、もう少し大人になったら自分が主人公の彼女に立候補しようと決意を固めた。アニメの登場人物が実際にこの世に存在しないことくらいは彼女もよくわきまえていたが、彼と同じくらい強くて同じくらい格好いい大人の男の人がどこかにいないとも限らないではないか。その日のために、今からちゃんと準備しておかなければ。ああ、早く、彼につり合うような大人の女性になりたい ―― 幸いに、というべきか、Aとデートする(あるいは彼とともに「事件」を解決する)未来の自分の姿を夢想する時間は、ふんだんにあった。
 マンガを読んで、紅一点の彼女がAの「本物の」彼女だと分かった時は、しばらく涙にくれたものだ。だが、最近では、それも仕方ないと思っている。何といっても、彼女は優しくて強くてその上飛び切りの美人だ。それにチームの一員でもある。Aがいつもそばにいる彼女を好きになるのは当然だと思うのだ。だから、今では、自分の恋は潔くあきらめ、陰ながら2人の恋を応援しているアイリーンである。

(中略)

 その日の夕方、ママが帰ってしまうと、アイリーンは病室に独りきりになった。
 本当は4人部屋で、お祖母ちゃんとおっつかっつの年齢のメアリおばさんと、もう少し若いディリアおばさんが同室なのだが、金曜日の今日は、2人とも自宅に帰ってしまっていた。退院が近づくと、週末は家に帰れるようになるのだが、アイリーンには、まだ外泊許可は下りていない。
 大きな声でうわさ話ばかりしているおばさんたちがいなくなったら、さぞかしほっとするだろうと思っていたのだが、急に部屋が静かになってしまって、寂しさばかりが先にたった。2人がそれぞれの家族とともにあわただしく出て行ってしまってから、まだ数時間しかたっていないのに、彼らのかしましさが無性に懐かしく感じられた。

 早い夕食が終わり検温もすむと、あとは消灯を待つばかり。おりあしく、今日は面白そうなテレビ番組もやっていない。本当は十分以上に心細いのだが、いつでも様子を見に来てあげるという看護師のお姉さんに
「大丈夫、独りで寝られるもん」
 と胸を張った手前、そう簡単にナースコールボタンを押すわけにはいかなかった。
 時計の針は8時を指している。いくらなんでも眠るにはまだ早すぎる時間だ。アイリーンは、ため息をついてベッド脇のロッカーの扉を開け、「XXX」を1冊引っ張り出した。今晩は、彼らに助けてもらおう。

**********

 固くて冷たいものをほおに押し付けられ、アイリーンは、びっくりして目を覚ました。すぐに、その「固くて冷たいもの」が、さっきまで読んでいた(ともかく、アイリーン自身に眠りに落ちた記憶はなかった)マンガ本の表紙であることに気づく。どうやら、寝返りを打った拍子に枕の上から頭がずり落ち、顔が本の上に着地してしまったようだ。
 いつの間にか、ベッドの上の読書灯は消え(これも全く記憶になかったから、当直の看護師のお姉さんが消してくれたに違いなかった)、あたりは闇に包まれている。テレビの上に置いたデジタル時計は2:31に変わるところだった。
 こんな時間にこんな風にしんと静まり返った中で目を覚ましているのは初めてだった。もちろん、真夜中に目を覚ましたことは何度もあったが、いつもなら、目を覚ますなりメアリおばさんのいびきが耳に飛び込んできたから、今みたいに泣きたいほど寂しく感じたことはない。うるさくてかなわなかったその音が、今は懐かしくてしょうがない。思わず、コールボタンに伸ばしかけた手を、アイリーンは急いで引っ込めた。だって、「独りで大丈夫」って言ったんだもん。怖くなんかないもん。そうだ、おトイレに行こう。トイレは、ナースステーションの斜め向かいにあるから、偶然みたいな顔をしてステーションの中をのぞくことができる。うまくすれば、お姉さんの誰かとちょっとお話することができるかもしれない。

 現金なもので、そう思い立つと、さっきまでの心細さは跡形もなく消えてしまった。
 アイリーンは、カーディガンを羽織ってベッドから下りると、スリッパに足を突っ込んだ。病室の入口の天井には淡い光を放つ常夜灯が取り付けられていたから、足元に不安はない。アイリーンはそろそろとドアを引き開けて廊下に出た。真夜中のこととて廊下の照明も8割方落としてあるが、10メートルほど先の1ヵ所だけ、眩い光がもれている場所がある。そこがナースステーションで、その斜め向かいがトイレだ。

 ナースステーションは無人だったが、夜間は看護師さんの数も少ないから、これは別に珍しいことではない。お手洗いをすませて、もう一度ステーションをのぞく。まだ、誰も戻って来ていないようだった。ナースコールが長引いているのかな。もう少し待ってみようか...首を傾げて思案する。左目の片すみに動くものをとらえたのはその時だった。何だろう ―― 振り向くと、白っぽい影が、一番端の部屋に消えて行くところだった。まるで、壁を突き抜けるみたいにすっと消えていったのだが、そこは、ランドリースペースで病室のようにドアがあるわけではなかったから、それ自体は不思議でも何でもない。だけど、とアイリーンは考えた。どうしてこんな時間に、看護師のお姉さんがそんな場所に入っていったのだろう?(ちらりと見ただけだが、それはお姉さんたちの制服のように見えた) ランドリールームは入院患者自身や家族が下着や寝間着を洗濯する場所だから、看護師のお姉さんたちに用事があるとは思えない。ともかく、昼間の時間帯でさえ、お姉さんたちがそこへ入っていくのを、アイリーンはほとんど見かけたことがなかった。

 ランドリールームは、常夜灯の明かりも届かない、廊下の一番端っこにあったから、様子を見に行こうかどうかちょっと迷ったが、最後に好奇心が勝った。それに、結局、看護師のお姉さんとしばらくお喋りできることになるかもしれない。

 できるだけスリッパの音を立てないように気をつけながら、アイリーンは、廊下を進んでいった。夜間は静かに歩くようにといつも言われていたせいもあるが、お姉さんを脅かしてやろうという気持ちもあった。ランドリールームの手前までくると、そうっと首だけ出して中をのぞく。

 誰も、いなかった。廊下から差し込むかすかな明かりのおかげで、それくらいはひと目で分かる。同時に、アイリーンは、3台並んだ洗濯機のうち、一番奥のそれが防水パンの外に出されていることも、見て取った。お姉さんが動かしだのだろうか? いやいや、そんなはずはない。いくらお姉さんの力が強くても、ひとりであの洗濯機を動かすことができるとは思えない。それなら、いったい誰が何のために? それより、一体全体、お姉さんはどこへ行ってしまったのだろう? 
恐る恐るランドリールームに足を踏み入れる。防水パンのそばまで行くと、洗濯機があった場所に、ぽっかりと黒い穴が開いているのが見えた。そんな場所に穴があるべきではないということくらいは、アイリーンにも分かる。いったい、いつ、誰が開けたんだろう?もしかして、お姉さんはこの中に落っこちてしまったんだろうか?

 すぐに助けを呼びに戻るべきだと頭では分かっていたが、アイリーンは、その黒い穴から目を離すことができなかった。あの穴の向こうには、いったい何があるのだろう? お話の本なんかだと、そういうものの向こうには、別の世界が広がっていることになっているけれど。
 アイリーンは、防水パンの横にひざをつき、できるだけ身体を伸ばして穴の中を覗き込もうとした。穴の奥は真っ暗で、中で広がっているのか、それとも入口と同じ幅の筒型の穴なのか、それさえも分からない。もちろん、穴の底など見えようはずもなかった。
 アイリーンが、ため息をついて身体を起こそうとした時、穴の奥で何かがぴかりと光るのが見えた ―― ような気がした。何だろう? もっとよく見ようと、さらに身を乗り出した瞬間、つるりとスリッパが滑った。あっと思った時には、もう身体が宙に浮いていた。真っ黒な穴が目の前に迫る。アイリーンは、思わずぎゅっと目をつぶった。


(時間の関係により本文割愛)


エピローグ

 結局、アイリーンは、その「事件」から1ヵ月後に退院することができた。
 退院後は、しばらく登校できなかったし、長いことお薬を飲み続けなければならなかったが、それでも「ケッカクキン」は退治されたようで、その後、彼女が再び病院に戻ることはなかった。

 エリンに「事件」のことを話そうかどうかずい分迷ったが、結局、話さなかった。自分でも半信半疑なのだから、話しても信じてもらえないだろうという気持ちもあったが、何より、自分ひとりの思い出として大事にとっておきたかったからだ。
 いつ次の「事件」が起こっても大丈夫なように、勉強にもスポーツにも精を出したが、その後、「彼ら」に再会することはなかった。

 1年、2年、5年...と時間が経つにつれ、「事件」のことを思い出すことも間遠になった。たまに思い出しても、「楽しい夢を見た」と懐かしいような切ないような気持ちになるくらいだった。それでも、赤いカチューシャは、宝箱の底に、ずっと大事にしまっておいた。結局、そのカチューシャが本当はどこから来たのかは、分からず仕舞いだった。多分、従姉のお姉ちゃんのところからだろう。実際、色とりどりの髪飾りをいくつも持っていたから。

 大学でともに学んだクラスメートと数年後に再会し、短い交際期間を経て、翌年結婚した。背が高くハンサムと言えないこともなかったが、「彼」とは似ても似つかぬ容貌の男性だった。

 結婚に際して本やマンガはずい分処分したが、それでも、「XXX」を初めとするいくつかのシリーズものだけはどうしても処分できず、かといって実家に置いてくることもできなかったので、引越し荷物に紛れ込ませて新居に持ち込んだ。夫となった男性は、それらを2人の本棚の一等席に並べるよう勧めてくれた。結局のところ、そんな男性だったから好きになったのだ。

 2年後に、娘が生まれた。
 アイリーンは、娘が物心つく頃にはマンガを持たせ、母親譲りのマンガ好きに育て上げた。夫は、母娘が共にアニメに興じマンガを回し読みするのを見て苦笑いしたが、ともかく娘は、マンガ以外のものにも健康な好奇心を示す賢い娘に育っていたから、片目を瞑って、この母娘共通の趣味を認めてくれた。

 その娘も当時のアイリーンの年頃になった、ある日。
 学校が大好きで、いつもは目覚まし時計の不要な娘が、その日は珍しく、自分で起き出してこなかった。珍しいとはいっても、これまで何度かそういうことがあったので、さして気にも留めず、アイリーンは、娘を起こしに2階に上がった。
 娘は、すでに目を覚まして、ベッドの上に起き上がっていた。

 「どうしたの、早くしないとスクールバスに乗り遅れるわよ。それとも、どこか具合でも悪い?」
 アイリーンが、ベッドの脇に屈みこむと、娘は不思議な表情で母親を見た。
 「夢を見たの」
 「どんな?」
 「XXXの夢。一緒に悪いヤツをやっつけたの。夢じゃないんじゃないかと思うくらいリアルだったの」
 アイリーンは、急に声が出なくなってしまい、息を詰めたまま、娘の次の言葉を待った。
 「それがね、おかしいの」
 と娘は続けた。
「別れる時にね、Aが、お母さんによろしくねって言ったのよ」

 では、彼はちゃんと覚えていてくれたのだ。

 アイリーンは、娘の髪に顔を埋め、涙と感動を隠し
 「それはね」
 と震える声で言った。
 「お母さんも、昔、彼らに会ったことがあるからよ」


「ドリームチーム(The Dream Team)」(初出2007年頃)
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2018.02.24 14:29 | 好きなもの・こと | トラックバック(-) | コメント(0) |

五輪(主にフィギュアスケート)観戦で満身創痍のSayoです。
しばらく真面目な記事を書いてきましたので、今日は息抜きです。
中身がないので、お暇な方以外はスルーでお願いしいます。

夜中にNHKで「アシガール」というドラマの再放送をやっていまして、まんまと嵌まってしまいました。
その日の仕事を終え片付けを終え入浴を終え、ゆっくりする時間帯。
正確には、萌えポイントを突いたストーリーにまんまと嵌まったという感じ。

ワタクシは身近に年頃の女の子がいないので、イマドキの若いお嬢さんが何を好み何にドキドキするのかがイマイチ分からないのですよね。
ですが、このドラマに夢中になっておられる若い方が多いらしいことが分かり、「時代は変わっても『萌え』ポイントは一緒なのね」としみじみ嬉しくなってしまったのでした。
ワタクシたちが若い頃は、「王子様的人気者がなぜか地味な女の子を好きになる」というのが王道ラブストーリーだったのですが、これもそれに近い感じ。主人公は、容姿は地味ですが、元気一杯猪突猛進型、ではありますが。

「足が速いだけが取り柄の平成女子高生が弟の作ったタイムマシンで戦国時代にタイムスリップし、そこでひと目惚れした若君を守るために男の振りをして足軽として働き、ジツは女性であることを知った若君もそのけなげな姿にくらっとする」という、タイムスリップものです。原作は同名の漫画だとか。
この頃のタイムスリップものは現在と過去(又は未来)を自由に行き来できるものが多いんでしょうか、このドラマでも、主人公は現在と過去を行き来し(回数に制限があるんですが)、矢傷を負った若君を助けるため、自分の代わりに若君を現在に送り込んだりもします(お母さんがお医者さん)。

ワタクシは、個人的にはどちらかといえば、「それはありえない」という大嘘(ここではタイムスリップ)を1つついたら、その大嘘以外は細部まで緻密に作り込まれた話が好きなのですが、これは「いやいや、それはないやろ」の連続で。まあ、漫画なので、それくらいはっちゃけていてもいいのかもしれません。そして、実際、いつの間にか引き込まれている自分がいたのでした。

原作・脚本・配役などすべてがうまくかみ合った結果で、おそらく、原作の決め台詞も随所に盛り込まれていたのでしょうが、その用い方も見事に「萌え」ポイントを突いていたと思います。

主人公の唯(唯之助)は黒島結菜さん。
演技は「・・・」な部分もありましたが、足軽ですから走るシーンが多く、野山を走る場面は圧巻でした。過酷な現場だったと想像します。何より「一生懸命」さがにじみ出る演技でした。
若君忠清さまは健太郎さん。
名前も顔も今回が初めてでしたが、若君らしいおっとりした、でも上品で威厳もある喋り方や立ち居振舞いがとてもさまになっていました。お上手ですね。
原作を読まれた方は「ビミョーに違う」感があったかもしれないのですが、ワタクシは先入観なく見たので、お二人ともはまり役のように見えました。
脇の方たちも地味に上手い。ともさかりえさんが、上手に年を重ねておられるなと思いました。

土曜夕方が本放送だったようですが、人気が出たので、早々とDVD化と続編製作が決定したそうです。

途中から見たので、最初の1、2回は見逃しましたし、それ以降も見られない回があったので、その分はYou Tubeさんにお世話になりました。
いやはや、いい世の中になったものです。
というわけで、最近修羅場っていたのは、五輪と「アシガール」が原因です。

You Tubeというのは便利なもので、画面の下に経過時間が表示されます。
40分弱の放映時間のどこにどんな形で「萌え」ポイントが挟み込まれるのかも確認できたりなんかするわけで。

その結果、正しい「萌え」(<そんなものあるのか<自分)には、

1 萌えポイントは多すぎてはいけない。胸焼けする(ストーリーにほどよく盛り込まれないと萌えない。その点、本作は原作と脚本がいい感じにポイントを押さえていたと思います)。
2 「男性が問答無用に格好いい」が納得できる設定が必要(現代ものではこれがなかなか難しいのですが、異世界や過去を舞台に設定することで、このハードルが下げられたような気がします)。
3 別に2人が一緒のシーンがなくても萌えポイントは作れる(第3者に気持ちを明かすとか、心配するあまり「らしく」ない言動をしたり、とか)。
4 セリフ(時代劇調の言葉)が生きている(普段聞き慣れない言葉、というだけで「胸キュン(という言葉でよかったんだっけ?)度が上がります)。
5 ときには寸止め(邪魔が入る)や「行間読んでね」(わざと描かない)をする。

あたりが必要なのではないかとの結論に達しました(?)

今後の参考にさせて頂こうと思います。
還暦を過ぎたら(まだしばらく先ですが)、楽しくこういう話を書くのもいいかもしれない。
そのためにも、今しばらくガツガツ稼ぎ(稼いでないけど)勉強する日々を送ろうと、現実世界に戻ってきたのでした。

いろいろ書きましたが、「アシガール」、面白かったです。
続編も楽しみにしています(またYou Tubeさんのお世話になるような気がしますが)。
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2018.02.22 00:21 | 好きなもの・こと | トラックバック(-) | コメント(0) |
2月13日付朝日新聞 「波聞風問」(多賀谷克彦編集委員)から
(「NEXT 5」HP:http://www.masushin.co.jp/next5.htmも参考)

後継者不足による中小企業の廃業や解散が相次ぐ中、秋田の5件の酒造蔵が、逆境を乗り越え成果を出している、という記事。

「NEXT 5」と呼ばれる5人の経営者はみな、先代から蔵を継いだものの、利益を出せず、市場は縮小する一方だった。秋田では杜氏を置く蔵元が一般的で、「蔵の技術は杜氏の技術であり、秘中の秘だった」が、5人は、自らも酒造りに加わり、「技術や生産データの公開、共有を始めた」。酒も、品質の高い純米酒に切り替えたという。「技術交流」「情報交換」を目的に頻繁に集まり、イベントを開き、消費者の声を聞いた。2010年には共同醸造も始めた。毎年、その年の当番蔵に集合し、各自自慢の素材にこだわり、テーマを変えて、最高品質の酒を醸したという。5軒の蔵を一巡し、今は二巡目だ。この共同醸造酒が人気となり、今では毎回予約時点で完売する状態になっている。取引を求める酒販店や飲食店も多いという。もちろん5軒とも、自身の蔵でもこだわりの酒を造り続けている。
多賀谷氏は、これを「量を追わず、質を求め続けた成果だ」とし、「彼らは業界の因習にとらわれず、緩やかにつながり、危機意識、事業リスクも共有した。だからこそできた復活劇ではないか」と考察している。


この記事を読んで、「緩やかにつながり、情報、危機意識、事業リスクを共有し、量を追わず、質を求める」を、これからの翻訳の1つのやり方として応用できないかと思った。この蔵元のように、各自がそれぞれの仕事を持ちながら。
とはいえ、ビジネスマインドのない私でも、(そのまま移植しないとしても)不可能とは言わないまでも、それがかなりの難題であろうことは何となく分かる。
まず「利き酒」という言葉は聞いたことがあるが(正確には蔵元での官能検査を言うようですが、ここでは「質のよさ」の分かる舌の持ち主による試飲など、もっと広い範囲の「利き酒」をイメージしています)、「利き翻訳」という言葉は聞いたことがない。誰が「利く」のか。どう判定するのか。発注者(元クラ)の中には「利き翻訳」のできる人がいるのか。必ずその人が「利いて」くれるのか。この先、「利き翻訳」のできる人間が減っていかないか。もちろん、NEXT 5もよい共同醸造酒をつくって手をこまねいて待っていたわけではなく、自ら宣伝に回っている。だが、そこに質のよさを見分ける舌の持ち主がいて、噂が広まっていった。同じことが翻訳でもできるのか。
考え出すときりがない。というか、違いばかりが浮き出てくる。

翻訳業界は今過渡期にある、と私には思える。過渡期がどのくらい続くか分からないけれど、これまでの翻訳者の働き方と少し違う働き方をする人は確実に増えるだろう。
私の周りには、「業界がどんなふうに変わろうと、何とかわたっていけるだけの最低限の力は蓄えておきたい」という考えの人が多い。使えるものは使うけれど、最後に頼るのは自分だ、という考えだ。そのために勉強もする。ともに切磋琢磨しようという話もある。それでも、力量を買い、そこそこの単価で発注してくれる発注者が減るのではないかという不安は(少なくとも私は)消えない。同年代が多いので、「私たちは逃げ切れるよね(仕事を辞めざるをえなくなる年齢まで今のような仕事ができるよね)」という話もする。そして、次世代を思い、多少の後ろめたさを感じたりもする。一番大事なのは自分であり、自分の生活であるのは当然なのだけれど。

そんなことを考えていたときに、ふとこの記事に目が留まった。
自分の仕事も持ちながら、「質を求め、緩やかにつながり、リスクを共有する」チームがいくつもでき(チームの人数が増えるほど協調が難しくなる、というのは経験してきた)、そのチームがまた緩やかにつながって協力し合うという形で、質の担保された翻訳を広げていくというやり方はできないものだろうか(こちらからの働きかけも必要になるので、決して楽な道ではないと思うけれど)。多くが手を携えて生き残るヒントにはなるのではないかと思える記事だった。


結局、「この新聞記事いい」な記事でして、いつものように考察も甘いので、あまり深く考えず、「NEXT 5」に的を絞って、あとはテキトーに読み流していただければ嬉しゅうございます。
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2018.02.16 00:46 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

 原書と翻訳書の対訳音読を翻訳ストレッチに追えようと思ったとき、「ストーナー」(ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳)以外にも、何名かの翻訳家の名前を頭に思い浮かべました。
 そのお一人が小川高義さん。名前に聞き覚えがなくても、「『さゆり』を翻訳された方」と言えば、思い当たられる方も多いのでは。「さゆり」は描かれる世界が少し異色なので(京都花柳界)、対訳音読候補からは外しましたが、「他にどんな小説を訳されているのだろう」とAmazonで検索して見つけたのが、「翻訳の秘密」(研究社、2009年)というエッセイ集でした。副題は「翻訳小説を『書く』ために」。なかなか蠱惑的な副題ではないか...と、積ん読はこうやって積み上がっていくのだよ。


 そんなわけで、今日は主に、この「翻訳の秘密」(小川高義)の読書感想文です。

 まえがきにいきなり「翻訳は教えたり教わったりするものではない」とあります。「翻訳の出発点は『読む』段階にある(中略)初心者への指導があり得るとしたら、うまく読めるようになるための技術支援である。プロの翻訳家にとっても、一生ずっと、読み方の試行錯誤は続くだろう」(5-6頁)。だから、これから書くことはすべて読み方のヒントです、と続きます。

 第1章「翻訳の手順」では、冠詞や単複の差からイメージを膨らませ、「まず文法に基づいて考えてから、イメージや気分について自分が納得する、それから書き始める」(30頁)ことが大事と述べられます。とはいえ、細かいところばかりに気を取られすぎても駄目で、「先へ先へと読ませる推進力」も大事だとも。そして、章の末尾を「原文から思い描いたことを、どうにか日本語でひねり出す、絞り出す、ということで、せいぜい一つしか出ないと思います。だからこそ『意訳・直訳』という発想法に不信感があるのです」(50-51頁)という言葉で締められています。 
 とはいえ、その先の章では、翻訳の仕事は「書いてある英語がわかること」と「わかった内容を日本語で書くこと」の二つに大きく分けることができる(55頁)、翻訳の品質は「入口」と「出口」で決まる(92頁、ただし「入口」を無視して「出口」の議論はあり得ないとも述べられていますが)、などと「訳す(書く)」ことの重要性についても言及されています。

  「原文をきちんと読み、イメージ(絵)を描く」「細かいところばかりに気を取られすぎても駄目(寄ったり引いたりしながら訳す)」「『意訳・直訳』という発想には違和感」というあたりは、翻訳フォーラムで聞いた話と、基本は同じだなと。( )内はフォーラムで使われていた(とワタクシが記憶している)言葉です。
 前にも書いたことがあるかもしれませんが、やはり、「一流」と言われる訳文を書かれる方々が「(自分の考える)翻訳とは」として口にされることは、表現の仕方は違っても、最終的に「内容を正確に読み取り、イメージ(絵)を思い浮かべ、それを別の言語で表現する」ことに尽きるのかなという気がします。本書はどちらかといえば「読む」ことに力点が置かれていますが、それでもやはり、翻訳を「読むこと」と「書くこと」として捉えています。
 ただ、実務翻訳の文書が、事実に基づいて書かれているのに対し、文芸翻訳(小説)では作者の解釈の上にストーリーが組み立てられていることを踏まえると、(あくまで個人的な感想ですが)文芸作品の方が読みも解釈も難しいということはあるような気がします(以前、「The Best American」シリーズの「The Best American Mystery Stories」を音読に使ったことがあるのですが、2/3近くの作品は一読しただけでは「よく分からない」という悲惨な結果に終わったのでした<それはおまえの読みの力が足りんだけだろう、という説も根強い)。
 それでも、どんなジャンルのものであれ、原文の内容を正確に読み取り、(頭の中に)絵を描き、(文化や言語間の違いにも気を配りながら)日本語で的確に伝える、というのが翻訳の基本ではないかと、今のところそんな風に思っています(「思う」と「きちんとできる」はまた別なんですが(^^ゞ)。


 小川さんは、よく使用するウェブ辞書(2009年当時)としてOneLook.comという英々辞書まとめサイト(でいいのかしら)を挙げておられます。
 語句(単語やフレーズ)を入力すると、説明が記載されている辞書の(該当語句への)リンクが一覧で表示されます。語句入力→リンク先に飛ぶというひと手間が必要なのですが、語句によっては、Websterの1828年版もヒットしたりするので、特に文芸翻訳をされる方には便利なまとめサイトかもしれません。Generalカテゴリの他に、Art、Computing、Medical、Business、Tech、Slangなど、分野別のヒット辞書も表示されます。最近、コテコテの医療機器ではない一般的な案件を頂いたときに、使い勝手を試してみたりしています。


 また「さゆり」パート(?)では、ハードカバーと文庫版両方の「訳者あとがき」に加え、「アメリカ産花柳小説」をどのように翻訳するかを決めていく経緯が例とともに語られており、詳細な注も含めて興味深く読みました。少し長いですが、参考までに引用しておきます。

 (本作はプロットを重視したもので、必ずしも祇園のスケッチを意図したものではないという記述のあと)「しかしながら、そのプロットをささえているのが、アメリカの読者はもちろん、日本の読者さえ驚くだろう細部だということも確かである。その基盤が脆弱になることは、何としても防がねばならない(中略)それを大事にしたいと思えばこそ、あらさがしにも似た裏付け調査をした。祇園という場所の感覚を充分に伝えながら、なお日本の読者に抵抗感を抱かせないようにすることが訳者の任務と考えたが、その結果として、フィクションとしての本質が見えてきたようにも思う。個々のディテールとしては、見てきたような嘘をついている箇所もあるのだが、現実と非現実が入り乱れた中から、まるで細かな事実を積み重ねたかのような総体をつくってしまった作者の芸に、評価の基準をおくべきなのである」(134頁)


 この他に、小川さんが訳した他の作家の作品についての考察や、古典新訳についての話が続くのですが、長くなりましたので割愛します。
 現在は絶版のようですが(たぶん)、Amazonで容易に入手できますので、お気が向かれた方はAmazonさんを訪ねてみてください。
 あとがきの最後に、青山ブックセンターで人気の翻訳教室を主宰されている研究社のK子靖さんへの感謝の言葉があり、「おお、こんなところに」となりました。
 
 翻訳ではやはりこれがキモなのではないか、ということで、タイトルは「読み、描き、書く」としました。
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2018.02.10 22:47 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |