屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


「水遣りを放棄したのに、花は届けられた(山口ミルコ) 」
2018年2月1日付け朝日新聞朝刊

これだけでは、分かりづらいかなと思いますので、「ことば」に続く鷲田さんの解説も記載しておきます。

***引用ここから***
退社してすぐガンが発覚し、闘病生活に入った編集者。肩書はなくなり、髪も貯金も急減し、ついに何者でもなくなると心細い思いでいた時、以前担当していた作家から仕上がった小説が届く。心底情熱を傾けたものは、途中で降りることになっても必ず誰かが後を継いでくれる。「欠席、可」。そう思い定めると、以後何ごとにもビクビクしなくなったと言う。「毛のない生活」から。
***引用ここまで***

少し検索してみると、この方が、バリバリの社内編集者だったのが、フリーランスとして独立し「さあ、これから」というときに病気を宣告されたのだということが分かります。
「毛のない生活」は、抗がん剤治療中に考えたことを綴った1冊らしい。

本を読んだらまた違う感想を抱くと思うのですが、私が「折々のことば」を読んで思ったのは、「水を遣る」ことの大切さ。
勝手に、もっと年配の方だと思い違いし(たぶん「何者でもなくなる」「肩書はなくなり」の部分から)、定年に近い年齢で退社しガンと分かり、自分の今後の人生設計やIdentityを根こそぎ持っていかれた(と感じた)のではないかと想像したのですよね。自分と世間をつなぐものはもうなく、世間はこのまま、何もできない自分を忘れ去っていく(と私が勝手に想像を膨らませているだけですよ、もちろん<念のため)。そんなとき届いた完成本を手にとって、「自分のことを思ってくれる人がいる」と安心する。

...でも、たぶん、本当は「情熱を傾けていたものは、それを見ていた人が後を継いでいいものにしてくれる → 今はあせらなくてもいいんや → 『欠席、可』」という流れなのかなと思います(書籍を読んでみないと分かりませんが)。

てことで、私の一読しての解釈はたぶん間違っていると思うのですが、いずれにしても、「それでも花が届く」という結果になったのは、著者が普段からしっかり「水遣り」を欠かさなかったからではないかと思うのです。花が届いたのも、途中で降りても後を継いでくれる人がいたのも、そこまで手厚く水を遣り続けていたから。育てようとしたものは、水遣りを辞めざるを得ない結果になってしまったときには、すでにしっかり根を張っていたのではないかと。

では、この仕事での「水遣り」は何だろう、とついつい考えてしまったりするわけです。因果な性格です。
いろいろ考えたのですが、結局は「常に顧客にとってのベストを考えながらきちんとした仕事をやり続ける」ことに尽きるのかな、という結論になりました、とりあえず。地味ですが「やり続ける」て結構ムツカしいと思うのですよね。そういう実績を積み、さらにその仕事を好きでやっていることが伝わってこそ、「あの人なら」という信頼を得ることができ、何らかの事情で自分にそれができなくなっても、たとえば、復帰を待って貰えたり、「この仕事はこの翻訳者がこういう姿勢でやってきた仕事です」として仕事自体も守られていくかもしれない。もちろん、それで「はいそうですか」と相手を納得させられるだけの仕事をしていなければならないわけですが。あと、そうであってほしいという願望、かなり入ってます。
そう言って貰えるよう、日々せっせと「水遣り」を続けたいと思うのでした。

もとネタから限りなく離れてしまいましたが、いつものことなので大目に見ていただけるとありがたいかなと。
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2018.02.01 22:40 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |