屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


言葉できちんと説明できる人は伸びる、という話をずいぶん前にどこかで読んだ。
翻訳に絡めた話、ではなかったような気がする。
似たような言葉を、最近、町田さんのインタビューの中に見つけた。別のアスリートに関する記事でも目にした。

言葉で説明できる人には、伸びないだけでなく、芯の部分がブレない人が多いような気がする。

...ワタシも割りと「考えて言葉にしたがる」ヒトである。
考えているうちに、書いてまとめているうちに、ごちゃ混ぜだったものが整理されていくのが分かる(ときもある)。

では、そんなワタシが伸び悩んでいるのはなぜだろう、と考えた。

色々理由はあるに違いないが、一番足りないのは、必死さというか貪欲さではないかと思う。
ワタシは、もう少しというところで「ま、えっか」と妥協してしまうのだ。

訳語を選ぶとき。
ぎりぎりあと1回通しで見直しできる時間が残ったとき。
参考書籍に目を通すのを明日に先送りするとき。
...等々、枚挙に暇がない。

だいたいは、仕事に差し障りがあってはいけないと「無理すまい」という理由で止めてしまうのだが、「無理できない身体だし」を言訳にしているところは確かにある。
でも、無駄に過ごしている時間も多いわけで、さまざまな場面でもう少しずつ貪欲になれるはずだと思うのだ。

色々考える分、「一見無駄なようだが長い目で見て身になるだろう努力」はしていても、「力任せだけの(無駄な)努力」はしていないと思う。
効率、ともちょっと違うけれど。
そんな自分に今一番必要なのは、さまざまな状況での「もう少しの貪欲さ」ではないかと思うのだ。


そんなことを考えたのは、勉強会の予習用資料がUPされたから(今週勉強会です)。
皆さんの要約文を読んで、「そういえば、最後『ま、えっか』できちんと読まなかったところあったな」と思ったのがきっかけ。

「他人の書いた文章を読む」ことについても、少し考えた。

名文と言われる文章もそうだけれど、「凄いな」で終わっては、進歩はそこで止るのではないかと思う。
「自分はまだまだ」とがっくりし、「ではどうすれば少しでもそこに近づけるのか」を考えることにこそ意味があるのではないか。

「まだまだ」と思うのは、自分の立ち位置をそれなりに冷静に把握しているから。
「ではどうすれば」と考えられるのは、彼我の差を埋める(埋められるかもしれない)方法に多少の心あたりがないでもないから。

「がっくり」と「どうすれば」の繰り返しの先に、少しの進歩があるのではないか。

というわけで、「もう少しの貪欲さ」を忘れず、彼我の差を少しでも埋める努力を続けようと誓って...
...「カーネーション」の再放送を見てしまいました(<そこがオチか<自分)。
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2018.04.24 17:45 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

「The Emperor of All Maladies - A Biography of Cancer」(Siddhartha Mukherjee)
「がん‐4000年の歴史」の邦題で訳書も出ています(シッダールタ ムカジー、田中文訳)。
(文庫化にあたり「病の皇帝『がん』に挑む ― 人類4000年の苦闘」から改題されたようです)

聴了。

本当は、かなり前に青息吐息で聴き終わったのですが、先日ふと思い立ってAmazonの訳書の書評を覗いてみたら、「ほとんど一気読み」とか「手に汗握るストーリー」とか「上巻・下巻3日で読みました」とか。
ええええー、息も絶え絶えにやっと完走したもので、とても「一気読み」はできなんだですが。ワ、ワタクシ、何かまずかった?

というわけで、もう一度聴き直してみました。

ストーリーの組立てにもできるかぎり注意を払いながら、聴き直してみると、え、なに、なかなか面白いやん。
文字なら一気読みいけるかもしらん(日本語なら、ですが)。

文字情報の場合は、興が乗ってくれば斜め読みして流れを追ったり、前に戻って確認したりできますが、聴読はそれができない。そのへんが、「硬いノンフィクションを耳から理解する」ことの限界のひとつかなと思いました。全体の長さにもよりますが、ストーリー性が強いものでないと、強弱の少ない平板な情報として頭の中に入ってくるような気がします(あくまでも自分の場合、それも特に英語の場合ですが)。そして、あまり長いと、最初の方で聴いた内容はかなり記憶から飛んでいる(本作は、16CD、全20.5時間です<記憶が飛ぶのは加齢のせいという説もある)。
今後は、そういう点にも気をつけて題材を選んだ方がいいかも、と思ったのでした。

で、何でしたっけ、「The Emperor of All Maladies」でしたね。

邦訳の副題にもあるとおり、本書は、人類とがんの戦いの「歴史」。人類は「敵がなにものなのか分からない」うちからこの難敵に立ち向かってきた。その実体は徐々に、というより19世紀以降飛躍的に明らかになり、今ではその発生の仕組みも解明され、さまざまな分子標的薬が開発されている。だが、がんとの戦いは決して平坦なものではなく、間違った治療法が試されたこともあり、国を動かすロビイングが奏功したことも、新たな治療法が経営的判断で葬り去られようとしたこともあった。また、予防についても研究されるようになった。

...といったことが、ときに著者自身が遭遇した患者の話を交えながら、おおむね時間軸に沿って語られていた...と思います(すでに記憶があやふや>ピンポイント的に読み返せないところも聴読の欠点なのだった)。

ワタクシは一応医療翻訳者の端くれなので(ホントに端くれですが)、用語や大意の理解にはあまり難渋しなかったのですが、そうでなければ少し難しい内容かもしれません(実際、「医師は読んでおくべし」的な書評も見かけました)。
けれど、医師、研究者、患者が主体でありつつも、政治や社会も巻き込んでがん治療が発展してきたこと、今や2人に1人はがんに罹患する(生涯リスク)と言われていることを考えれば、「がん」というものをきちんと把握するために読んでおいてもいいかなという1冊かと思います。長いけど。

同じ著者の手による「The Gene: An Intimate History」という書籍も刊行されていますが、これもたいがい長そうなので、「読む」方にしようと思います(いつになるか分かりませんが)。「遺伝子‐親密なる人類史」(シッダールタ ムカジー、田中文訳)という邦題で訳書も出ているので、図書館で借りて読むかも(いつになるか分かりませんが)。
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2018.04.18 17:25 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |

販促資料との格闘に明け暮れる今日この頃です。

この種の原稿の翻訳、ジツは割りと好きなのですが、ぴったりの表現を探し当てるのに時間がかかり、定型表現の多い治験関連文書の翻訳のようにはいかない。
同じように出来上りまでの日数を見積もるとエラい目に遭います。

以前は、単語やフレーズ単位で「どう言い換えられるか」を考えていましたが、昨秋、「述語から読む・訳す」というワークショップに参加してからは、「どう言い換えられるか」を、文単位まで広げて考えることができるようになってきたような気がします。いったん文を解体して、同じ意味になるようにまた組み立て直す、を意識しながら訳せるようになってきた、みたいな(でも、それは気のせいかもしれなくて、さらに、たいして訳文が向上したようにも思えないところが悲しいのだった)。

ただ、そうすると今度は、「一度解体して日本語として読みやすく」を意識するあまり、「書いてある内容から逸脱する」方向に流れがちになる、という弊害が生じてきました。何ごとも、やると行きすぎてしまうきらいがある、という残念なヒトです>自分。
というわけで、読み直すときは、「内容がはみ出ていないか、何か落としていないか」、いわゆる「内容を足さない、引かない」に気をつけるようにしています。
「気をつけてするのだゾ」という自戒もこめて記事にしてみました。

ただ、販促資料の場合は、「日本人が日本語で理解して営業する」ことを念頭に置いて訳すので、自分の中で、翻訳の自由度が若干高まるような気がします。
その結果、まだまだ「ここまでなら足してない/引いてない」の限界を上手く定められない自分は、不注意に「振り切って」しまうのかもしれません。

試験報告書の場合は、以前、「元ナカの方」に、「そういう文書は英日を対にして確認することが多い」という話をお聞きしてから、「読みやすく」「理解しやすく」を意識しつつ、原文に寄せて、を心がけるようになりました(あくまで「心がけ」です<念のため)。若干語弊があるかもしれませんが、訳文の裏に原文がある程度見えるような、という感じ。
なので、翻訳していても、解釈を間違うことはあっても(いや、本当はあっちゃいけないんですが)、「振り切る」ことはほとんどないような気がします。

この頃やっと、「こんな文書なのでこうする」を考えることが少し楽しくなってきたような気がします。
もう少し若いうちに、ここまで辿り着きたかった(切実)。
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2018.04.16 00:08 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

フィギュアスケートファンの方は、ご存じの方も多いと思いますが、「早稲田ウィークリー」に町田樹さんのインタビューが掲載されています。
先週前編が掲載され、今日、後編がUPされました。
https://www.waseda.jp/inst/weekly/features/specialissue-skating3/

ソチ五輪シーズンの飛躍からの...翌シーズンの全日本選手権での電撃引退は、ファンの方の記憶には新しいところでしょう。
その後、ご自分のウェブサイトを開設されたので、ときどきチェックしていました。上述のインタビュー記事も、こちらのサイトで知りました。
http://tatsuki-machida.com/index.html

最初はユニークなEXプログラムが気に入り、その活躍を追うようになったのですが、ソチ五輪シーズン後、雑誌媒体でインタビューを読む機会が増えるにつれ、「感覚をきちんと(ときに饒舌に)言葉にする人だ」と思うようになりました。的確な言葉にするために、その裏でかなりの部分を「考えること」に費やしているようにも思えました。ソチ後のインタビューで(世選など大きな大会の)開催や運営にもちらと言及していましたので、引退のタイミングには驚きましたが、大学院進学という現役引退後のキャリアについては、特に驚きは感じませんでした。

でも、今回のインタビューを読むと、彼は、私の想像を遙かに超えた視野を持ち、はるか先まで見据えているようです。
「言葉で語る」ことへの言及もあり、また「言葉にする」ことで生じる責任についてもきちんと理解しています。
ここまでのことを考えていたフィギュアスケーターは、私の知る限り今までいなかったような気がします。とにかく、こんな風に理路整然とスケート界の発展やその中での自分の役割について、自分の言葉で語る人はいなかった。というわけで、今日のタイトルは「ニュータイプ」としてみました。

以下にインタビューから、いくつか引用します。
ごく一部だけを切り取るということが難しかったため、長めの引用になっています(引用元を明記しているのでいいかなと)。興味が湧かれた方は、かなり長いですが、インタビュー全編を読んで頂ければ。
下手に感想を挟まない方がいいかなと思いましたので、町田さんの言葉のみを引用しました。主な対象読者は早稲田大学の学生さんでしょうが、翻訳者としても頷ける言葉がたくさんありました(個人的には「言語化することによって、競技力が飛躍的に向上する」の部分ですかねー)。

(以下、引用はすべて上述の「早稲田ウィークリー」から)

***

「修士課程を終え、博士後期課程に進学した今、研究活動を進めれば進めるほど、学術研究という営みの中にある『怖さ』と『奥深さ』を痛感するようになりました。まず『怖さ』とは、学部や修士課程での学びは『知識を得る』という段階で済みますが、博士課程では研究の成果を学会などの公の場で発表していく上で、その一言一句には社会に対する重い責任が生じるということです。生半可なことでは『研究の成果』などと言えないですね。何よりも学問にとって必要な謙虚さを、いつでも大切にしたいと感じています」
「(奥深さについて問われて)研究にはゴールがありません。自分が解決したいという課題に対して少し近づくことができたと思ったら、また新たな課題が出てきてしまう。終着点がなく、多様性や可能性が無限に広がっているのが研究という世界なんです。肉体的な限界に縛られやすいアスリートと違って、年齢を重ねるがゆえに奥に進めるという魅力です」(前編3)

「選手生活を離れてみると、世の中は勝ち負けだけでは動いていないという当たり前のことに気づきます(中略)ですから誤解を恐れずに言えば、競技力を磨くことはアスリートにとって本義ではありますが、その能力だけで実社会を生き抜いていくことは難しい。アスリートが競技者人生の大半を費やして磨き上げるスキル(競技力)と、実社会で求められるスキルとの間に見られる齟齬(そご)が、アスリートのセカンドキャリア問題を難しくする最大の要因だと、私は考えています」(後篇1) *逆に、アスリートとしては「信念を曲げないマインド、99%の苦難の先にある1%の光を信じることを学んだとも(Sayo注)

「そんな(”表舞台で活躍しているアスリートのみならず、行政、科学、経済学などあらゆる側面から『スポーツ』がつくられている”という)視点は、現役の選手にとっても大切です。アスリートとしてのキャリアは、遅かれ早かれいずれ終わります。スポーツ科学を勉強し、スポーツ文化の広がりを知ることによって、引退後に広がるさまざまなセカンドキャリアの可能性に気づくことができるんです。実は私自身、引退の2年ほど前から研究者としてのセカンドキャリアを見据えることによって、むしろ自信を持ってアスリートとして競技に打ち込めた」(後篇2)

「解説をするにあたっては、アスリートの『体感覚』を伝えることを心掛けています。アスリートは、理屈ではなく体感覚でパフォーマンスをするものです。そんなアスリートの感覚を言語化することが、解説という仕事に課せられた一つの重要な役割だと思っています」
「私自身、現役時代から意識的に言語化することを心掛けていました。なぜなら、言語化することによって、競技力が飛躍的に向上するからです。無意識的に感じている体感覚を言語に留めておくことによって、スランプに陥った時にもう一度『こういう感覚だったんだ』と確認することができるんです。また言語化することによって、表現の説得力も向上するんです(中略)私自身、解説の仕事は、スポーツを言語化するという意味で、研究の延長として捉えているんです」(後篇3)

***

現役時代は「氷上の哲学者」と呼ばれ、インパクトの強かった発言の一部がメディアに切り取られ、映像とともに繰り返し流されたため、(自分もそうだったのですが)彼が「言葉で表現する」ことにも長けた人であったことは、見過ごされがちだったように思います。
現役引退後に出演したショーの演目について、彼自身がウェブサイトで解説していますが(プログラムアーカイブ)、いずれも「伝えたいこと」が無駄なく的確な、そして豊かな言葉で表現されていて舌を巻きます。
今年もいくつかのアイスショーに出演する予定のようで、今季のプログラムが「New work, coming soon」となっています。「何を踊るのか」と併せ「どう解説してくれるのか」が楽しみでなりません。

そして、もちろん、今後どんな研究者になり、どんな風にフィギュアスケートに関わっていくのかも。
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2018.04.09 21:14 | フィギュアスケート(14-15 season~)  | トラックバック(-) | コメント(0) |

先日、第2回目の「1年勉強会」が開催されました。

前回課題は各段落の要約でしたが、今回課題は指定の数パラグラフの翻訳です。
事前に、各人が提出した翻訳をまとめたファイルがFB上のグループページにUPされるので、各自それを印刷し予習をして勉強会に臨むという、こんなしんどい勉強会に誰がした!!! (...まあ、「こうしましょう」という提案に、ワタクシも賛成しましたよ、しましたけどね...)

というわけで、当日は、持ち寄った訳文をもとに、訳しにくかった箇所、理解があやふやな箇所等の検討です。ときには、「アナタのその訳語どうでしょう」という指摘も頂いたり。なので、「やさしい言葉で容赦ない」と書いてみましたが、いずれも頷ける指摘でしたし、対象はあくまでも訳文で、なおかつ「その訳文をこうしたらもっとよくなる」という気持ちが感じられるものでした。
ですから、最後まで楽しく勉強できたかなと思います。帰宅したら目の下にクマがおりましたが。

今回の反省点は、「一度訳語を選んだら、同系統の訳語の中でしか推敲ができなかった=大胆な発想の転換ができなかった」「スルーすべきでない箇所をスルーし、どうでもよい(さほど重要ではない)箇所で悩んだ」「全体的に読込みが足りなかった」といったところです。同じ過ちを繰り返す自分の未来が見えるようですが、少しでもこうした点を減らして、1年後には多少なりとも成長していたいものです。

皆さんの訳語や訳文にはハッとさせられるものがたくさんありましたが、面白いもので、そうした訳語をそのまま自分の訳文で使おうとすると、浮いてしまいます。各人の全体のトーンが微妙に違うので、違和感を覚えてしまうのでしょうか。とはいえ、そのまま忘れてしまうのももったいなく、「どこかで何かの機会に使えるかも」といくつかの語を控えさせて頂きました。「自分と異なる発想を知ることができる」というのも勉強会のよさかなと思います。

今回、課題に取り組んでみて、改めて「普段、本当にせまい語彙の範囲で翻訳しているなあ」と思いました。仕事の文章は「こういう場合はこう訳す」というものが多く、もちろん、その中で「分りやすさ」「伝わりやすさ」を心がけるわけですが、「言葉や表現を思いつく」ための苦労は、こうした一般的な文章ほどではありません。
この「語彙の範囲がせまい」というのは、ここ2年くらい痛切に感じていて、それが分野を限定しない翻訳勉強会をやりたいと思った理由のひとつでもあります。


さて。
今回の課題は、SARAH EVERTSの「The Art of Saving Relics」。「The Best American Science and Nature Writing 2017」に収載されたものですが、初出はScientific Americanです。
「日経サイエンス」の2016年7月号に翻訳版があり、近くの図書館で入手できたので、勉強会でコピーを配布しました。それなりの期間で全体を訳されたに違いないことを考えると「プロの仕事は凄いな」と舌を巻きます。
以下に、参考まで、原文とSayo訳(「愛の鞭」後のリライト入ってます)の順に、指定訳出箇所の一部を記載しました。リライト後でも、Sayo訳には間違いや「・・・」な点がいくつもあると思うのですが、そこは目を瞑って、「こんなものをやっている」という雰囲気だけ掴んで頂ければ。1回だけ恥さらししときます。

(タイトルと冒頭2段落)
The Art of Saving Relics
These suits were built to last. They were pristine white and composed of 20-plus layers of cutting-edge materials handcrafted into a 180-pound frame of armor. They protected the wearers from temperatures that fluctuated between ?300 and 300 degrees Fahrenheit and from low atmospheric pressure that could boil away someone’s blood. On a July day in 1969, the world watched intently as astronaut Neil Armstrong, wearing one of these garments, stepped off a ladder and onto a dusty, alien terrain, forever changing the landscape both of the moon and of human history. Few symbols of vision and achievement are more powerful than the Apollo mission spacesuits. 

Back on Earth, the iconic garments found new lives as museum pieces, drawing millions to see them at the National Air and Space Museum in Washington, D.C. And staff members there have found, to their surprise, that the suits need their own life support. They are falling apart.
(「The Art of Saving Relics」SARAH EVERTS、以下同じ)

保存・新時代
 それは長持ちするように作られた。20以上の最新素材の層を手作りで仕立て上げた180ポンドの純白の防護服だ。華氏マイナス300度からプラス300度まで変動する温度や血液を沸騰し蒸発させてしかねない真空環境から着用者を保護した。1969年7月のある日、ニール・アームストロング宇宙飛行士が、この宇宙服に身を包み、梯子から砂だらけの異境の地へと降り立ち、月と人類の歴史の地平を一新するのを、全世界が固唾を呑んで見守った。アポロ計画の宇宙服ほど理念と成就を見事に体現しているものはそうない。

 地球に帰還後、このシンボル的着衣は博物館の展示物として生まれ変わり、ワシントンD.C.の国立航空宇宙博物館に何百万もの観覧者を呼び寄せた。だが博物館スタッフが驚いたことに、宇宙服自身も生命維持装置を必要としていたのだ。すでに崩壊が始まっている。
(Sayo訳、以下同じ)

* 「日経サイエンス版」の単位表示はkg、℃(摂氏)です。日本向けの雑誌だと、そこはやはり、キロ、摂氏で記載すべきところかなと思います。

(最終段落)
The great hope of conservation scientists is that restoring the past will also help them prepare for the future, when today’s plastic materials?such as 3D-printed objects?start entering museum collections. One such item might be the first 3D-printed acoustic guitar or a retired International Space Station suit. Eventually all will be past their prime, and conservators want to have the tools in hand to give these cultural icons a facelift.

 保存修復科学者は、過去の作品をよみがえらせることが未来の備えにもなると大いに期待する。時あたかも、3Dプリント作品など現代のプラスチック素材が博物館の収蔵品に加えられようとしている。それは、初めて3Dプリントで作られたアコースティックギターかもしれないし、国際宇宙ステーションでの務めを終えた宇宙服かもしれない。だがいずれも劣化と無縁ではない。こうした文化遺産に化粧直しを施す手段を確保しておきたいというのが、保存修復士の願いだ。


次回の課題は、新しい課題のパラグラフ単位の要約です。
要約しようとすると、パラグラフ内のキモの部分を押さえたりパラグラフ同士の繋がりを考えたりしなければならず、それなりにきちんと読まなければならない、ということでこの要約作業を取り入れてみたわけですが、今回は全40パラグラフと分かって、すでに死んでいます。いや、こんなハズじゃ...ハズじゃ...(泣)
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2018.04.02 14:54 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(4) |