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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


3月最後の金曜日、第11回勉強会を終えました。

今回から、Katherine Anne Porterは忘れて(笑)、Saul Bellowの『Graven Images』に挑戦します。時代は下り、1997年に書かれた「Best American Essays of the Century」のトリを飾るエッセイです。今回は要約回で、後半10段落が課題となりました。

当日朝、勉強会のグループに、管理人さんから欠席の連絡が入りました。マジかーーーい!!
前週末から体調が思わしくないことはお聞きしていましたが、前夜まで連絡がなかったので、完全に油断していました。

普段は、英米文学に一番造詣の深い管理人さんが、「こうではなかろうか」という形でご自分の解釈を提示してくださり、それを叩き台に議論が始まります。もちろん、部分的に「それは少し違うのでは」と斬りかかってはいくのですが、基本というか屋台骨が大きく揺らぐことはありません(少なくとも、これまではありませんでした)。
そんな管理人さんが不在ということは、第1秘書のわたしが議論をリードして行くんかーーーい!!(ぱにっく)
...けれど、落ち着いて考えてみれば、全員とは言わないまでも、複数メンバーが議論をリードしていける状態であるべきですよね。

そして、そこは、体調が悪くても抜かりはない管理人さんのこと。
わたしたちの要約を「読みが足りないのでは」と一刀両断された上で、キーポイントをいくつか挙げてくださっていました。

というわけで、当日は、指摘されたポイントにも注意しながら、全体の流れと著者の言いたいことについて議論し、キーパラグラフを確定することに時間を費やしました。
その結果、「こうではないか」という一応の解釈に達しましたが、後半、段落毎の検討を進める中で、その解釈には無理がある可能性が発覚して皆が慌てる、といった一幕もありました。
各段落で何を残し何を削るかについて、もう少し突っ込んだ議論がしたかったところですが、「全体を貫く解釈」がきちんとできていて始めて、そういう議論も意味があるものになるのですよね。その日の勉強会が始まった時点で、わたしたちにはまだその準備が整っていなかったように思います。

次回翻訳回は、キーパラグラフ(と秘書らが勝手に認定したもの)も含めた2段落が課題となりました。

苦労の末に辿り着いた解釈ですが、翻訳する際は、すべていったん忘れて(思い込みを捨てて)取り組まなければいけないと自戒しています(とか言っておいて、その思い込みにカンタンに足を引っ張られるヒトなのでした)。それが正しいという保証はありませんし、まだまだ「きちんと読めていない」可能性だって高いのです。要約からの翻訳もしかり、翻訳後の最終チェックもしかり、一度、先入観のないまっさらな気持ちになることは大切ですよね。勉強会は、そうしたことを再認識させてくれる場でもあります。

課題が「Best American Essays of the Century」のエッセイに変わってから、課題にかなりの時間を費やすようになりました。たとえ読みが浅かろうと、全体をなんとか解釈しないと、そもそも先(要約)に進めないのです。
普段、勉強や楽しみに読んでいる洋書は、おもに医療系のノンフィクションで、実際に翻訳するとなると話はまた別なのでしょうが、著者の主張や立ち位置に関して頭を悩ませることはありません。普段読まない文章を読むという点でも、勉強会は貴重な学びの場だと思っています。
そして、今回についていえば、「いつも管理人さんがリードしてくれる」と甘えてばかりいてはいけないということを実感。それもまた貴重な体験でした。

...ではありますが、もうしばらくはいいかな。
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2019.04.03 19:44 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |