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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


ツイッターを意識して下書きをしていたら、連投するにしても長くなりすぎてしまいましたので、独り言的に。

「翻訳を勉強する会・番外編」について書かれた井口さんのブログ記事に、「普通に訳してから相互検討を通じて仕上げたあと、方向性を変え、たとえばかた~く訳す、柔らかく訳す、人間中心に訳す、人のにじみを極力抑えて訳すなど、何種類も訳文を仕上げてみる」という一節がありました。
http://buckeye.way-nifty.com/translator/2019/07/post-622beb.html

はじめて読んだときは、「ああ、これスタイルの違う訳文をつくる勉強になるな」と思ったのですが、何度か読み直したり自分でも考えたりするあいだに、こうした「違うタイプの訳文」をつくるとき、「なぜその方向で訳すのか、そこではどんな読者をイメージしているのか」も併せて考える必要があるんじゃないかと思えてきました。「いや、それ、考えるのあたりまえでしょ」と言われればそれまでなんですけど。

たぶん、「スタイルを変えて」という指示があると、私はきっとそのことだけを意識してしまうと思うんですよね。だいたい、言われたこと(だけ)に意識が向いてしまうヤツなので。見た目「かたく」とか「やわらかく」というのは、選択する語(句)を変えるという小手先の技術だけでも、それなりの形にはできるような気がします。でも「なぜそれをするのか」を考えながらやると、もう少し大きく変える必要のある部分がでてくるかもしれない。さまざまな訳文をつくるという練習も、そこまで考えて取り組んではじめて上達できるんじゃないかと思ったわけです。「や、それ、当然でしょ」と思われた方は、たぶん、私の2倍速、3倍速で成長していかれる方なんだろうなと思います(うらやましいです)。

そんな私ですが、数年前は、文体とか著者の意図などを、もっとふわっと考えて、ふわっと訳していたと思うんですよね。仕事以外の一般的な文章(エッセイなど)ということですが。その頃から考えれば、さまざまな視点からいろいろなことを考えられるようになった分、小さな進歩かなと思うことにします(←自分に甘い)。考えたことを結果として出すのは、本当に、とてつもなくむずかしいんですけど。
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2019.08.08 14:13 | 翻訳 | トラックバック(-) | コメント(0) |

出席者の方への資料配付、アンケートの送付・回収・まとめ、講師へのアンケート結果送付、精算などの後処理がすべて終わりました(のハズ)。
アンケートに回答くださった皆さん、ありがとうございました。選択式の設問はともかく、自由記入形式の感想を書くのは面倒くさいし大変ですよね。
にもかかわらず、多くの方がコメントを(それも好意的な!)寄せてくださいました(嬉涙)。本当にありがとうございました。

皆さん、講義部分の内容、訳文検討でのやりとり、最後に登場した井口さんご自身の圧巻の訳文、さらには井口さんのブログ記事などから、それぞれに考えるところがあったようですが(運営としては、その点も嬉しいかぎりです)、ワタクシも「疲れた」「燃え尽きた」以外にも、いくつか思うところがありました。

● 「きちんと絵が描けている」では足りない
前回のブログ記事で、「(描けているつもりで)そもそも正しい絵が描けていなかった」と書きましたが、「正しい絵が描けた」だけでは不十分なのだということにも思い至りました。大事なのは「それをきちんと言葉で伝えられているか」ということなのですよね。自分は、分かった状態で書いていますから、訳文に多少不明瞭な点があっても、さらっと(正しく文意をとって)読めてしまう。そこがひとつの落とし穴になるなあと。「翻訳時に気をつける」以外で、どうすれば落とし穴にはまらずにすむかを試行錯誤中です。

● 本当に際だたせたい部分はどこなのか
必要な部分が際だつように不要な部分(ノイズ)を削る、というような話がありましたが、これまで勉強会で続けてきた要約は「際だたせる部分はどこか」を抽出して(自分の言葉で)まとめるという作業なのではないかと思うようになりました。ま、キモはそこではないのかもしれませんが。でも少なくとも、自分は、今後しばらくそういう意識をもって要約に取り組みたいと思っています。

● 文末表現で文を短くしようとしない
これは、井口さんが、訳文の長さに関する話の中で仰ったことと記憶しています。「同じ内容が伝わるのなら、基本的に訳文は短い方がよいが、文末はけちらず、テンスやアスペクトはきちんと表現するのがよい」というようなお話だったと思います。文末表現の変更や「の」の連続などで短くするのは楽なんですけど、それをしないとなると、同じことをごそっと別の言い方で言い換える必要もでてきます。常にそうするのがいいのかどうか、私にはまだよく分からないのですが、今は訓練と思ってやってみています。時間もかかるしなかなかうまくできないんですけど(そして変更前の方がやっぱりよかったってなることもけっこうあったりする)。自分で意識的にトライしてみて、はじめて「テトリス」が実感できたというのはあります。これも試行錯誤中。

● 小さな違和感をそのままにしない
「なんかおかしい」というのは、煎じ詰めれば、「頭の中で描いた絵がきちんと言葉にできていない」あるいは「必要部分がきちんと存在を主張するメリハリのついた訳文をつくれていない」ということなのだろうと。納期との兼ね合いでなかなかそこまで手が回らず「ま、いっか」となってしまうことも現実としてあるのですが、そうした妥協を極力減らしていきたいです。


こうしたことを意識しているからといって、自分の訳文が「のっぺり」から変わってきたとは思えないのですが、「メリハリ」を意識するあまり、「メリハリをつける」ことが目的になってしまってもそれは本末転倒なわけで、バランスをとるのはとても難しいと感じる今日この頃です。


「番外編」の内容を受け、通常勉強会では、次回(8月末)から新しい試みを取り入れることになりました。今後、どういう形で発展していくかまだちょっと分かりませんが。

今回の勉強会が、皆さんにとっても、今後の継続的な学びのきっかけになりましたら嬉しく思います。
「番外編」を開催した頃の「夏は来るのか」的な気候から一転して、昨年に負けず劣らずの酷暑となりました。
皆さまもどうぞお身体ご自愛ください。
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2019.08.04 01:06 | 勉強会 | トラックバック(-) | コメント(0) |