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2019. 11. 21  

勉強会、息も絶え絶えになって終了。

今回の「日本語学習」はテンス。1名が発表した内容を、皆で(前回同様管理人さんの力に負うところ大ではあるのですが)補足しながら白板にまとめます(白板に書くのはワタクシですが、皆さんから、「それはこっちに書いた方がいい」とか「それはいらない」とか「その表現はおかしい」とか色々愛あるツッコミをいただきます)。今回は「テンス図解」で、皆の頭の中で、絶対テンスと相対テンスの違いが明確化されたと思います。「知っているようで言葉で説明できない日本語文法」、今後も、こうしたやり方で「言葉できちんと説明できる」範囲を広げていきたい。次回の課題はアスペクトです。

翻訳課題は、前回に引き続き、E. B. Whiteのエッセイ"Once More to the Lake"。前回は冒頭2段落の翻訳でしたが、今回は最後の3段落です。
そこまで(ワタクシの理解では)割りと淡々とキャンプ地での様子(やそれらを通じての、過去と現在の対比、自分と息子の同化)が語られてきた感じだったのが、最後の2段落でThunderstormという大きな出来事が臨場感たっぷりに描写され、最終段落へとつながっていきます。いわば「大転換」とも言える段落です。

ひとつひとつの単語は決して難しいものではないし、それが文になったものも、おそらく皆(なぜそんな風に表現するのか的なことを除けば)「まったく意味が分からない」というものはなかったのではないかと思います。けれど、そのありきたりの単語がテーマにつながる深い意味を持っていたりして、翻訳しようとすると、頭を抱えてしまう――そんな文章でした。個人的な印象としては、とてもやりがいのある、けれど歯ごたえがありすぎて歯の方がボロボロになってしまった翻訳課題3段落でした。


前回から、明らかにメンバーの意識が変わったように感じています。
それは、かつては「では僕から行きますね」と常に議論を主導してきた管理人さんが黙って皆の議論に耳を傾ける時間が増え、「ここぞ」というときに割って入ることが増えたことからも明らかなように思います。

最初の頃多かった(もちろんワタクシも含めてですが)「XXさんのこの表現すごい」「YYさんのこの言い方は思いつかなかった」的な賛辞が、この頃では「こういう背景から考えて、この言葉の選び方はなかなかいいと思う」「こういう視点から見ていることを考えると、この言葉は、その視点のAという部分はよく表現されているけれどBという部分が表現されていないように思える」という賛辞(や意見)に形を変えつつあります。まだまだ未熟ではありますが、全員が、テーマと言葉使い(や表現)との関連を考えるようにもなりました。

この変化はいったいどこからきたのだろう、と考えてみたとき、ひとつのきっかけとなったのは、やはり管理人さんの言葉ではなかったかと思います。

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今回は、提出訳文配布時に、管理人さんから「メンバーの訳と自分の訳を比較するのではなく、他のメンバーの訳を読んで気になったところ、どう考えて訳したのか、訳語の選び方など、知りたいところや聞いてみたいところをチェックするようにしてください。間違いを探したり訳を評価したりする会ではありません」というコメントがありました。(「第15回勉強会―『たずね方』が大切(、と思う)」より)
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けれど、そのときには、メンバーにそれができるだけの力がついていた、だから、管理人さんの言葉に呼応するように深い議論に入っていくことができたのではないか、そんな風に考えます。「力がついた」理由は、人によって少しずつ違うだろうし、ひとつのことがきっかけだった訳でもないと思います。それぞれの日々の仕事、勉強、読書、公開勉強会、番外編、管理人さんの言葉の数々――そうしたものをもとに醸成されてきたものが、ある形をとろうとしている、今はそういう時期なのではないかと感じます。課題も「転換部」だったように、ワタクシたちも今、半受動的参加者から積極的な参加者への転換点にいるのかもしれません。
そうは言っても、ワタクシたち秘書の読み方はまだまだ未熟です。これからも、きちんと絵を描き適切な言葉で表現する努力を続けていきたいと思います。


ワタクシたちが取り上げる課題は、かなり文芸翻訳寄りです。
課題への取組みや勉強会自体は楽しいけれど、正直、こうした課題に立ち向かうことが仕事にどう役立つのだろうと考えた時期もありました。けれど、「きちんとイメージして言葉を選ぶ」というのは、すべての翻訳の基本だと思います。課題への取組みを通じて、それがどういうことかが自分の中で明確化されたような気がします。そういう頭の使い方は、実務翻訳において「読者が絶対に誤読しない訳文をつくる」ことにつながっているのだということが、今なら実感できます。


勉強会の最後に、管理人さんから、(管理人さんの考える)翻訳者の心得的な言葉が紹介されました。
それは、「翻訳者には、作者で、読者で、研究者で、そして翻訳者であることが求められる」というもの(この言葉どおりではありませんが)。
作者がなぜそんな風に書いたのかを作者の立場で考え、読者として作品を読み、研究者として作品やその背景を調べ解釈し、翻訳者としての立場を忘れないようにしながら訳す――とそんな風な意味だったと思います(白板に書き付けていたので、聞き漏らした部分があるかもしれません。解釈の責はSayoに帰します)。

来年のI-JETでは、そんな話もしてくださるとか(あくまで予定です)。
なま管理人さんをご覧になりたい方は、楽しみにお待ちください(魔王とか無茶苦茶言ってますが、とても優しい方ですよ)。
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プロフィール

Sayo

Author:Sayo
医療機器の和訳も9年目。
老眼腰痛、最近は膝痛とも闘いつつ
翻訳人生をまっとうしようと奮闘中。
この頃になってやっと翻訳の奥深さ・
難しさ・楽しさが分かってきたような。
記事は「翻訳一般」多め、ときどき読書感想文、本業(医療機器)やや少な目。
(2019年4月現在)

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