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屋根裏通信

在宅で細々実務翻訳をやってます。翻訳、英語の勉強、その時々の出来事などのんびり綴っています。


『人の匂ひ '85年版ベスト・エッセイ集』(日本エッセイスト・クラブ編 文春文庫)
『ベスト・エッセイ2017』(日本文藝家協会編 光村図書)

この二冊を手に取ったのは、あるときふと「30年前と今とで、エッセイの傾向に違いのようなものはあるだろうか」と思ったから。この二冊を選んだのに、特に深い理由はありません。

比べてみると、『人の匂ひ '85年版ベスト・エッセイ集』(以下『'85年版』)の方が、『ベスト・エッセイ2017』(以下『2017』)より、総じて1本のエッセイの長さが長いようです。「30年の間に長いエッセイは好まれなくなったのか」と、もう少し調べてみましたが、そういうことではなく、単に掲載媒体の違いによるもののようでした(編者が異なるので、そのへんも関係しているかもしれません)。『'85年版』は雑誌に掲載された作品が多いのですが、『2017』は新聞掲載のものが大半を占めていました。どちらの編者によるものも2000年代のものまでざっと確認しましたが、この傾向は変わらないようでした。ということで、仮説はあっけなく崩れ去ったのでした。
しいて違いを挙げるとすれば、『'85年版』の方が固い文章が多く、戦争について書かれたものも散見されるということくらいでしょうか(男女の役割に関し『'85年版』には、個人的に「それは時代遅れでは」と感じるような内容もありましたが、それは時代を反映したものかと思います)

以下に、それぞれのエッセイ集の中で心に残ったものを、いくつか挙げてみます(あくまで個人的な好みです)。

『'85年版』

「左遷・珠恵さんの死」(早瀬圭一 初出『文藝春秋』)
新聞記者だった著者は、左遷(少なくとも本人はそう思っている)先の高松で知り合った女性(行きつけの割烹「高はし」の同年輩の娘)に、あけすけな物言いで説教されたり励まされたりするが、不思議に腹が立たない。その後また転勤してからも、毎年高松に「帰り」、「高はし」で「珠恵さんの歯に衣きせぬ、そのくせじんとあたたかい苦言を」聞くのを楽しみにしていた。だが、ある年、突然珠恵さんの訃報が届く。胃がんだった。著者は、その春珠恵さんから届いた手紙を読み直し、便箋の上に涙を落とす。訃報に接した著者の感情が垣間見られる部分はここだけだ。そのあとは改行が入り、「『高はし』は、のれんを降ろし、店を閉じた」とエッセイは終わる。でも、私は、この愛想のない一文に著者(そして珠恵さんの両親)の深い悲しみを感じるのだ。こんな風に文章を締めくくることができたならと思うのだけれど、いつも言葉数の多い私には無理そうである。

「日本人と桜」(ドナルド・キーン 初出「リーダーズ・ダイジェスト」)
タイトルどおり日本人と桜の関係を考察したエッセイ。ところどころ堅さを感じる表現もないではないけれど、なんと端正な文章だろう。「外から」の視点を追加した考察はとても深い。


『2017』

「美しい声とは」(三宮麻由子 初出「考える人」)
著者は幼い頃視力を失ったエッセイスト。「歴史上の人物の肖像画や骨格をもとに声を復元した合成音声」の話から始めて、読者を「お?」と引きつける。その復元音声から、人物の風貌が浮かび驚いた、「『声は人を表す』なのかもしれない」と言う。それから、最近の日本人の声の変化に話題が移る。「躓(つまず)いた声」が多くなった気がするというのだ。それも三十代以下の年齢の人々に。著者は、この「躓いた声」からその人の様子を想像するのに苦労する。著者にとっての美声は、人となりが伝わってくるような声で、じぶんも「そういうまっすぐな声を目指したいものである」と、エッセイは締めくくられる。字数の関係でこういう内容になったのだろうが、話題が面白いものだっただけに、「躓いた声」でもう少し話を展開してほしかったなと思う(<オマエがエラそーに言うなという話ですが)。この人の文章は好きである。

「役に真摯に向き合い」(行定勲 初出「毎日新聞」)
著者は映画監督・演出家。平幹二朗の訃報に接しての寄稿。「黙ったまま中央に置かれた椅子に座り、そこから一歩も動くことなくその存在感だけで7、8ページある長台詞を一気に魅せ切ってしまう気魄を」見せ、著者に「本物の瞬間に出会う喜びに触れられたことは私の一生の財産である」と言わしめた平幹二朗だが、ジーパンでファッション談義に花を咲かせるような無邪気な一面もあった。そんな平の「いまだ見ぬ芝居を探求し続けたその孤高にひれ伏したい想いである」という最後の一文からは、著者の畏敬の念が伝わってくる。本当に特別な人だったのだなということがよく分かる。全体、見事な弔辞だ(蛇足ですが、平岳大さんの弔辞も心打つものでした)。


それぞれ二編ずつ紹介しましたが、心に残ったエッセイはまだまだあります。様々な方々の文章やアプローチの仕方を知ることができるというのも、こうしたエッセイ集ならではだと。エッセイスト・クラブ編の方はもう新しいものは出ないようですが、日本文藝家協会編の方は、今も毎年新しいものが刊行されているようです。
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2019.12.11 00:48 | 和書・洋書 | トラックバック(-) | コメント(0) |